こんにちは。
福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。
11日は、鏡開きでしたね。
最近では、なかなか大きな鏡餅を割って食べるという機会も少なくなりましたね。
鏡餅に刃物を使うことはタブーとされていたため、
木槌などで割るようになったそうですが、割るのも縁起が悪いので
運を開く意味を込めて鏡開きとなったとか。
わたしは個人的に、こういう言葉を大切にする心は日本人の素敵な
ところだなあと思います。
なんて言いながら、自分は言葉足らずになることもよくあるので、
言葉を大事に使いたいなと思います。
ちなみに、野球などで優勝したチームが酒樽を割ることも、
鏡開きと言うそうです。
お餅よりもお酒の方をお好みの方もおられると思いますが、
わたしは酔うなら自分に酔う!と豪語しているので
(単に飲めないだけ。。。)、お餅派であります。
そんなお餅派(注:そのような派閥は存在しません)がお届けする
本日のブログ。。。
今日は「怒りのバクハツ!~それは引き継いだストーリーかもしれない~」です。
昔のわたし、それはもう怒り出すと止まらなかったんです。
原因を考えると、覚えてもいないような大したことじゃないことでも、
1度怒りだすと、もう烈火のごとく、血管切れるんじゃね?くらいに
キレまくっていました。
生きていて、全く怒りを感じないことなんてないとは思います。
ですが、アナタはその怒りの気持ちが起こった時、それをどういう風に表現していますか?
例えば。。。
◦スイッチが入ったように怒り出すと止まらなくなる。
◦子どもやパートナーが思うような行動をしていないと責め立てる。
◦他の感情は出さないが、怒りだけは表現できる。
◦身近な人にこそいつもイライラしてしまう。
◦弱い立場の人に対して怒りを爆発させる。
◦突然キレる。
など、こういったことはないでしょうか?
「怒り」という感情は、自分のことを守るためで自然のもの。
それは、機能的な怒りです。
対して、全てを破壊するかのような、自分の不安を隠すような、
そんな怒りは非機能的な怒りです。
後から考えるとあんなに怒る必要のなかったような些細なことも、
地雷を踏んだかのように爆発させる。
怒りのバクハツは魅力的な感覚でもあり、人をコントロールできたりもします。
怒りそのものが、コミュニケーションの手段になっていたりもします。
そして、そのあとは自己嫌悪。。。
そんないつものこのパターンは、ないですか?
その、怒り出すと止まらない、「怒りのバクハツ」
物事をコントロールしたい、自分の思い通りにしたい、という感覚は
どこから来ているのでしょう?
この怒りのコミュニケーション、誰かがやっていませんでしたか?
はい、わたしで言うと、それは両親になります。
父も母も、自分の両親(わたしの祖父母)から、甘える、悲しむ、怖がる、泣く、
などの感情を出すことを良しとされていませんでした。
ただ、そのたまりにたまった感情が満タンになった時、それは言わば
怒りのバクハツの状態となってあふれ出します。
これ以上ガマンできない、という合図でもあります。
こうやって怒りをバクハツさせることで、自分の言うことを聞いてもらったり、
価値を認めてもらおうとします。
そうした時だけ、両親(祖父母)は聞く耳を持ってくれた。
感情の中で、唯一「怒り」だけ表現することが許されていたんですね。
なので、自分の思うような状況にならない時に怒りで自分の気持ちを
表現し、相手と状況をコントロールしたい。
怒りで、自分に注目を向けたいんですね。
そんな関わりをする2人を見て、わたしはそこから
◦自分の方を向いてほしい時
◦物事を自分の思い通りにしたい時
◦相手をコントロールしたい時
◦自分の感情を出したい時
その時には、「怒ればいいんだ!」
と学び、そのやり方を自分の中に取り入れていきます。
この、価値観、思い込みによって作られた人生のストーリーを
「人生脚本」といいます。
あんなに似たくないと思っていた父や母と同じことしてるやん!というアレです。
この事態が、現在も自分が好きで選び続けている脚本だなんて。。。
人生の重要な場面で、どう思考し、どういう感情を感じ、どう行動するかを
決めるなんて。。。
どう思いますか?
いや~、怖いですね~。。。
恐ろしいですね~。。。
ヤバイよ、ヤバイよ、ですね~。。。
わたしが、この脚本に基づいたまま怒りバクハツの人生を進むとどうなるでしょう?
当然、人は離れ、やはり人は信用ならないと閉じこもり、人を試し続けて
心が休まらず、繰り返し全てを破壊する。
これを自分が決めているなんてイヤですよね。
このままでは、生きるのがつらくなります。
でも、わたしの怒りのバクハツは、親から引き継ぎ、自分で作り出したストーリー
だったんです。
やめたいのにやめられないのではなく、自分が両親の生き方を
取り込み、自分の人生の中に書き上げて、自分でそれを選んでいる。
自分の困った行動が出てきた時、両親の生き方を振り返り、
自分の価値観や思い込みを見ていき、それに伴う感情を丁寧に扱っていく。
すると、新しい価値観や信念に基づいた脚本に書きかわっていきます。
わたしも、リトリーブサイコセラピーを学んでから、怒りを使うコミュニケーションから、
ぬくもりやあたたかさでつながるコミュニケーションへと脚本が書きかわり、
人と安心して感情の交流ができるようになりました。
怒りまくっていた頃にやや目を細めてしまうくらい、怒りバクハツが
遠のいています。
心を大切に扱うことにより感覚と感情が変わり、
抱えていた問題に対する反応が自然に変わっていくんですね。
これは、自分にとっての困った行動を親のせいにすることではありません。
過去を過去として扱えていないから、現在でもあの時のあの気持ちが溢れ出すだけ。
過去をあるべき場所に戻す、ことで犯人探しではないんです。
人生脚本は、過去を元の場所に戻す大きな助けになります。
だって、怒りのバクハツ!!!それは自分で作り上げたストーリーだから。
自分で作ったものですから、気づいたその時から書きかえていけます。
抑え込むことが怒りのコントロールではありません。
どうやって表現していくかも、怒りの大事なコントロールなんですね。
だからこそ自分の人生の脚本に何を自分で書き込んでいるのか、
まずはその台本をしっかり読んでどうするかを決めたいですね。
興味を持ったり、フォローしてもらえると最高です(*´▽`*)
小躍りしながら、自分に酔いまくって喜びます♪
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