だって!どうせ!でも!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

登園してきた子どもたちとの会話の一コマに、こんな会話があります。

「せんせーい!

タオルがなーい!

コップがなーい!

お帳面がなーい!」

 

「カバンをよく探してみて。」

 

 

「なーーーーーーーい!!!」

 

 

「ホントや。。。

今日、忘れたね。

どうしようかー。」

 

 

「だって、ママがわすれたもん!!!」

 

子どもの園生活でよくある朝の光景です。

 

子どもも、忘れたことを良いことだとは思っていないし、当然忘れると自分も困ります。

 

そして何より、先生から怒られると思って、怒られないように、お母さんが入れ忘れたから自分のせいじゃないよ、と自分の正当性を主張している訳です。

 

家庭と社会の違いとして、園生活では

「自分の使うものだから、自分で準備して確認しようね。」

と先生は言いますが、子どもはなかなか納得できないことが多いように思います。

 

子どもがまだ自分に責任が取りきれず、守ってもらいながら生きているのでそう言いたくなるのも分かりますが、さてこれを大人になってまで続けていることはないでしょうか。

 

今日はそんな自分への責任の心理、

「だって!どうせ!でも!」というテーマで書いていきます。

 

 

先ほどの子どもの忘れ物の出来事は、忘れたことを自分から言える場合の会話です。

 

忘れたことを言えず、困ったままでいる子どもも当然います。

 

家では全て、両親から気持ちを察知してもらい、困る前に何かを与えてもらっていた子にとっては、先生が声をかけて自分の気持ちを汲んでくれるまで待つのは当たり前のことですよね。

 

しかし、園生活は社会生活の場です。

 

自分が困った時に、両親は側にはいません。

 

頼れるのは自分のチカラです。

 

なので、泣いて固まって相手を見つめて、自分の気持ちに気づいてもらおうとするんです。

 

これも、ママが忘れたからわたしはこんなに困っている!という涙の被害者の訴えなんですね。

 

さてどちらのタイプにしても、これを大人ににってまで続けているとどうなってしまうのか。

 

仕事や

自分の身の回りの集団や

社会生活で

 

自分の思うようにならなかった時

自分が勇気が出なくて二の足を踏んでいる時

自分が失敗やミスをした時

 

だってあの人が。。。

どうせわたしにはできない。。。

でもわたしのせいじゃない。。。

 

と自分に言い聞かせたり、言い訳したりしてしまいます。

 

普段は気に留めていなくても、思い起こせば咄嗟に

 

だって!

どうせ!

でも!

 

と自分や周りに言っていることってありませんか???

 

 

<本当の問題は何か?>

 

ここに潜んでいるのは愛着の問題です。

 

小さな子どもは、親や養育者に依存しないと生きていけませんが、大人になると違います。

 

社会生活で社会に出た時に、頼ることができるのは自分自身です。

 

しかし、共依存で人に依存していると

頼るものが自分ではなく相手や、周りの人になります。

 

そうすることで、

責められたり

怒られたり

無視されたりすることがなく

安心の感覚を味わうことができるからです。

 

人間にとって、安心の感覚というのは無くてはならないものです。

 

だから、たとえ本当に求めているものでないとしても、束の間の安心を感じることができるのなら、人はそれにしがみついてしまいます。

 

それほどまでに、安心したいんです。

 

安心が、欲しくて欲しくてたまらない。

 

だから本当に欲しい「自分が自分で居ていい」という安心感が得られない怖さやモヤモヤを、

 

でも!

だって!

どうせ!

 

と自分に言い聞かせたり、言い訳しながら自分を持つことを諦めていくんです。

 

 

 

<このままだとどうなるか?>

 

自分を持つことを諦める、というのは

自分が自分であってはいけない、ということです。

 

自分の

思い

意見

意思

主張

欲求

を自分に禁止してしまうんです。

 

自分で捨てることを選んでしまうんです。

 

そうせざるを得なかった、とそんな自分を憐みながら

 

そもそもわたしは

愛されていなかった

大切にされていなかった

望まれていなかった

と自分を納得させようとします。

 

でも、本当には納得できないので

 

そのせいで、わたしは今

こんなに不幸!!!

こんなに人生がめちゃくちゃ!!!

こんなにつらい思いをしている!!!

 

と相手や周りを責めることで納得できない自分の本音を見ないようにするんです。

 

そうすれば、自分の責任じゃない、だから誰か何とかしてよ!!!と主張できる正当な理由が持てた気がするんですね。

 

自分の全てのことを相手や周りに預け、その責任を取れと詰め寄り、自分はこんなにも不幸なんだと言い続ける人。

 

あなたは、この人とずっと一緒に居たいと思いますか?

 

温かい交流を望みますか?

 

当然、相手や周りは離れていきます。

 

責められたり

怒られたり

無視されたりしないように

必死に自分を持たずに頑張ったのに、その結果が孤独だなんてどうでしょうか???

 

<解決に向けて>

自分には生きるチカラがない。。。

そう思い込んでしまったら、自分を預けて相手や周りに頼って生きていくことしかできなくなります。

 

安心できるかどうかは、常に相手や周り次第になってしまうんです。

 

安心感は人からもらうものではなく、自分で育てていくもの。

 

なのに、それができずにずっと安心を与えてもらおうとしている自分に気がついたなら、軸を相手や周りから自分へと戻す時なのだと思います。

 

安心なんて自分にはない。。。

そう絶望することで、求めることをしなくてよかったんです。

 

 

あなたが本当に恐れていた

求める怖さ、

受け取ってもらえない不安、

そして

自分を持つことへの怖さ、

 

ここを見つめていくことでこの問題は解決へと向かいますよ。

 

大人になったあなたは、

自分のチカラを信じることができます。

 

お母さんのせいにしなくても、

自分のチカラで生きることができます。

 

欲しかった愛情をもらえなかったとしても、

求める愛情を自分に与え、取りにいくことができます。

 

自分への愛着、気がついた時に自分へと取り戻していきましょうね。

 

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