諦めるという選択 〜どうせムダ〜

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

人間の最大の弱みは諦めてしまうこと。

最大の強みはもう一度挑戦できること。

なんて言葉も聞きますよね。

 

 

諦める。

それが必要な時もあれば、自分の足を引っ張る時もあります。

潔く次に行くためには必要ですし、やり遂げるためには足かせになります。

 

 

その差ってなんでしょうか???

 

 

大きく言うと、諦める対象が

自分以外のことか、自分のことか。

という差ではないでしょうか。

 

 

最近も、園でこんなことがありました。

あの子と一緒に縄跳びして遊びたい、と熱望する子がおりました。

でもそのお目当ての子は別の子と砂場で遊んでいる。

その子を砂場から連れ出して、自分と一緒に縄跳びをしてほしい!!!

必死に「こっちきて!」と誘いまくるワケです。

でも、その子は砂場で遊びたい。

そういう時、縄跳びをひとりでするか、別の子を誘うか。

もしくは、自分が砂場での遊びに仲間に入れてもらうか。

という選択をしますよね。

 

 

砂場の遊びを止めて、自分と縄跳びをして欲しいー!!!

は、自分の願いではあるけれど、一方的なものです。

どうするか、は相手が選択することです。

自分の欲求のようにも見えますが、相手の選択を自分がコントロールしたいという思いなので、結局は相手の選択なんです。

 

自分以外の選択はコントロールできないので、そこには諦めが必要です。

 

 

しかし、こういう場合はどうでしょうか。

あと少しで鉄棒の前まわりができそう。

だけど、何回やっても最後に身体を起こすことができない。

もういいや。

どうせできない。

何回やってもムダ。

 

最初は大人に手伝ってもらいながらやっていても、自分でいざやるとなると、あと少しというところまで来てやる気をなくしてしまう。

 

これだと自分の成長を止めてしまいます。

諦めてはいけない時なのに諦めてしまう。

諦めれば、失敗をすることはありません。

でも、

失敗を避けるということは、成功も避けているんです。

 

 

今日は、そんな自分のことを諦めてしまう心理、

「諦めるという選択 〜どうせムダ〜」というテーマで書いていきます。

 

人のことであれば、自分がどう思っていたとしても相手の選択を無理やり変えることはできませんから、諦めることは当然かもしれません。

 

しかし、自分のことなのにも関わらず諦めることを繰り返す。

ガマンする。

やる気をなくす。

ムダだからやめる。

そうやって、欲しいという感覚を消していく。

 

しかも懸命に消す訳ですから、元々の欲求はあるんです。

 

なのに自分から欲しいと取りに行くことをしないで、自分から望んでいることを表現しようとしないんです。

 

欲しいものを欲しいなんて言っても、叶わないんだから。

どれだけほしがったって、どうせムダ。

最初から欲しがらなければいいんだから。

と、望みや欲求を自分から否定していくんです。

 

これってどうしてだと思いますか?

 

<本当の問題は何か?>

ここにあるのは、自己重要感の問題です。

 

諦める、それはまさに無力感です。

 

目の前の痛みやストレスに対して、自分には何もできることがないという感覚です。

 

諦めて

自分を無力にして

じっと耐えて

ただただ通り過ぎるのを待つ感覚です。

 

与えられたものだけで満足しようと、今あるものだけで何とか自分を満たそうとします。

 

 

無力な自分を感じることは、

何もできない自分

自分を感じられない自分

何をしても叶わない自分

を感じてしまうので、大きな痛みや絶望を感じてしまいます。

 

 

では、どうして痛みや絶望を感じてまで諦めるということをしてしまうのでしょうか。

 

 

そこには、無力な自分、自分の力を無いことにするメリットがあるからです。

 

自分を無力にすることで、

これ以上傷つかない

関わってもらえた

助けてもらえた

繋がりを感じることができた

 

つまり、

自分のチカラを無いことにしていれば安全だったんです。

 

 

これは幼少期から、

出来ない時だけ構ってもらえた

ダメだと目を向けてもらえ、できると無関心

できた時に調子に乗るなというような圧をかけられる

欲しかったものが手に入らず悲しんでいると、欲しがるのが悪いと放っておかれる

できなかった時に、ほらできないと追い討ちをかけられる

 

 

というような体験から、

欲しがらない、出来ないという状態の方がラクだと信じてしまったんです。

 

 

親が自分の目からはとても不幸に見えていたり

親がガマンばかりしているように見えたり

自分の欲しいものや欲求を否定されたり

自分で選ぼうとしたら止められたり

ということが繰り返されていると、

人生とは苦しいもの、辛いもの、不自由なものというように、人生が苦痛だらけのものになっていきます。

 

自分は親を置いて幸せになったらいけないんだと信じてしまうんです。

 

 

だから、自分のチカラで自分を幸せにしていくことが恐ろしくてできません。

 

 

自分で自分を止めることが安全なんです。

 

 

<このままだとどうなるか?>

 

もちろんこのままだと自分が幸せになることに許可が出せません。

 

自分の欲求が叶えられた経験を自分の中に積み重ねられないので、欲しいという感覚そのものが消えていきます。

 

自分の本当に望んでいる、欲しいものが目の前に来ると、自分で自分のことを止めて手に入れません。

 

どうせムダだと言いながら自分の幸せを諦めていく人生になっていきます。

 

 

どうせムダなんだから、と

何でもいいとどうでもいいものを選んでしまったり

最初から2番目や3番目といった保険を選んでしまったり

自分が変わることを怖がって何にも挑戦できなかったり

自分が本当に望んでいる自分になれません。

 

 

<解決に向けて>

 

どうせムダ。。。

自分にそう言い聞かせながら、

自分が今まで何を守ってきたのか。

何から逃れてきたのか。

どんな怖さや悲しみや痛みを隠してきたのか。

 

そして、今のその安全やラクから本当に出たいのかどうか。

 

ここを自分に聞いていくことで、この問題は解決へと向かっていきますよ。

 

どうせムダ。。。という諦めの底には大きな悲しみがあります。

 

そして、大きな大きなメリットがあります。

 

今の自分は、

本当に欲しいものを諦めたいのか、

諦めることが何より自分を傷つけていないか、

欲しいものを欲しいと言って、叶わなかった時にどれだけ自分が痛みを抱えていたのか、

欲しがることがどれだけ怖いのか、

 

そこの自分の感情を見ていきましょうね。

 

 

 

 

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