周りが見えない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、乗りたい電車に間に合わない!と大急ぎで駅まで全力疾走した際に、財布とケータイを落としました。。。

落としたことに大慌て!!!なんですが、電車の時間も間に合わない!!!とバグってしまい、そのまま財布とケータイを落としたことを消そうとしたんですね。。。

 

緊急事態ではなくても、このように慌てて焦って周りが見えなくなることってありますよね。

 

 

間に合わないと慌てる。

時間に遅れると焦る。

ひたすら走って急ぐ。

 

急いでいる時ほど自分を焦らせて、

焦って動くことで不安をかき消そうとするんです。

 

 

その時って、自分の判断能力、言うなら思考そのものがストップしてしまっています。

 

だから自分の周りで何が起きているのか、全く見えません。

 

それはそうですよね。

自分に何が起きているのか分からない状態で、自分の周りがどうなっているのかなんて見えませんから。

 

だけど、それは

自分がパニック気味でバグってしまい、心中は不安だらけの状態にも関わらず

周りからは、

自己中心的

空気が読めない

人を利用している

と捉えられてしまうかもしれません。

 

あなたはすごく困っているのに、周りから助けてもらうどころか、避けられてしまうなんてイヤですよね???

 

今日はそんな

自分の心とは裏腹に、やることが裏目になってしまう心理

「周りが見えない。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

例えば、

時間に遅れる。

約束を果たせない。

自分のミスで迷惑をかける。

そんな風に、自分のよくない部分が露呈してしまうと慌てる状況が起こった時。

 

何か慌てることをキッカケに、自分のダメさがバレてしまうという図式が自分の中に出来上がって、何とか自分のダメさがバレてしまわないように間に合わせようと自分を急かすんですね。

 

 

自分のダメさがバレてしまわないように。。。

バレないために、とにかく動き回ることでその場の怖さから逃れようとして、自分の本当に必要なものが分からなくなってしまうんです。

 

動き回ることで、

失敗をした

迷惑をかける

ダメな自分

という現実から逃れようとするんです。

 

 

事実を受け入れられない時、思考回路を止めることで自分を守ろうとするんです。

 

周りの状況も、自分の状態も一瞬で分からなくしてしまうんですね。

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは、愛着の問題です。

 

わたし達は、

ひとつのことしか考えられていない時、

何かに自分が囚われている時、

自分が何かを決めつけている時、

自分の視野というのは、ものすごく狭くなっています。

まさに、周りが見えない状態とはこれです。

 

 

自分の意見や考えに拘らず、周りをもっと見たらいいじゃないの???

そう思いますよね???

 

では想像してみてください。

周りの人達の様々な思いや意見や行動。

その全てを受け入れる自分を。。。

 

 

どうですか???

嬉しいですか???

そう。

できませんよね。

全ての周りの人の思いや意見や行動を、全て受け入れることなんてできないんです。

 

できないことなのに、それをやらなければいけないと思っていることこそが問題なんです。

 

この思いの根っこにあるのは、

「全ての人に愛されたい!!!」という感情です。

 

失敗したり

迷惑をかけたり

ダメな自分を見られたら

自分は愛されなくなってしまう、という恐怖があるんです。

 

 

愛されない自分は生きられない。

愛してもらわないと自分には生きるチカラはない。

この、子どもの頃に信じ込んでしまった信念を、大人になった今でもしっかり握りしめているんです。

 

全ての人に愛されるというのは、全ての人の基準で生きていくということです。

 

いつも相手が基準になります。

 

自分が何を感じ、どう考え、どう行動するかよりも、相手からどう思われるのかということに自分が集中してしまいます。

 

相手の基準と言いながら、その相手の基準も確かめていないので、結果、自分が思う相手の基準を決めつけて、その枠に当てはめていくんです。

 

自分は愛されたくて、必死に相手の基準に合わせているつもりでも、相手を自分の枠に当てはめようとしているだけなんです。

 

自分から見た相手の基準。

そこだけに一点集中しているんです。

 

だから、

本当の周り

本当の目の前の相手

のことなんて見ていないんです。

 

本当の自分さえ、分かりません。

 

見てしまうと、事実は残酷だと思っているから、いつまでも視野を狭めて、自分の枠の相手の基準だけを集中して見ているんです。

 

そうすると自分は傷つかないでいられるから。

これほどいい事はありません。

 

周りを見ずに、自分の枠の中の相手を見ていれば自分が傷つかずに安全でいられる。

 

大きな安心です。

でも、その安心は偽りなんです。

 

<このまま続くとどうなるか>

全ての人から愛されたくて、人から嫌われないように自分の全神経を集中する。

 

嫌われてないか、愛してくれているか、自分の行動は不快でないか、相手に確かめたいけど、確かめてしまって自分の願っている現実を知るのはつらい。

 

相手や周りに合わせているのに、なぜかいつも人間関係関係でモメてしまう。

 

こんなに相手や周りのことしか考えてないのに、自分勝手だと言われてしまう。

 

それが続くとどうなるでしょうか???

 

自分の周りから人が居なくなり、あなた自身も人と関わっていこうという気持ちがなくなっていきますよね。

 

そして、孤独になっていきます。

 

ひとりは寂しいと感じながらも、人と関わることは面倒くさい。

 

物理的にも、心理的にも、ひとりぼっちを感じていくようになるんです。

 

全ての人から愛されたい。

それは、全ての周りの人の基準で生きていくということなんです。

 

<解決に向けて>

ちなみに、財布とケータイですが。

駅から来た道を戻って、

「おそらく、この辺のはず。。。」

と探し回るものの、財布とケータイは見つからず。

血の気も引きながら、もう仕方がないな、と覚悟を決めた時、道の端にわたしのケータイケースを見つけたんです。

ケータイと財布を、わざわざ優しい誰かが一緒に寄せてくれていました。

 

ケータイケースをわざわざ上に置いて、見えやすいように置いててくれたんだと思います。

 

焦って慌てて、遅刻した自分への罪悪感や、出来なかった自分への嫌悪感、これからどうしようという不安に向いている時は全く目に入らなかったんです。

 

一つのことしか考えていない時は、視野も狭くなるんですね。

 

 

周りから愛してもらわなければ、自分は生きていけない。

 

この思いに囚われ、その考えだけに一点集中していたら、当然ながら視野も狭く狭く偏っていきます。

 

自分の中で作り上げた都合の良い相手の基準でしか物事が見れなくなってしまいます。

 

自分は生きていていいんだろうか。

その不安を周りの人に埋めてほしいから。

 

 

その不安は、誰かに埋めてもらうのもではないんです。

あなたがあなたに「ここに居ていいよ。」をあげない限り、自分の中に安心感は育たないんです。

 

周りを見えなくして、自分の枠の相手を見る。

自分の枠の相手の判断基準で生きていこうとする。

そうすることで、愛されようとする。

 

これって、現実的にできそうでしょうか???

 

それよりも、

自分の愛されていない恐怖に怖くても向き合い、自分が自分の基準で生きていく。

あなたがあなたで生きることへの許可を、自分で出せるようになる方が人生は断然生きやすくなります。

 

 

怖さや不安を自分のものとして自分が向き合うかどうかで、この問題は解決へと向かいますよ。

 

 

 

 

<11月個人セッション>

 

11月の個人セッションを募集しています。

ホームページよりご覧ください。

↓↓↓

最新予約状況