福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
4月に入りましたね。
新学期を迎えたり、新しい出会いや生活が始まる人も増えますね。
先日の新幹線での1コマなんですが、ホームでおそらく進学のために引っ越しをする高校卒業したての若者。
そして周りには、見送りにきた友人たち。
発車のアナウンスと共に、
「またなー。」
「頑張れよー。」
「やべ。泣きそ。。。」
という声に送られながら、ドラマのように新幹線は出発しました。
見送られた若者は、しばらくドアの前で泣いていました。
あー、なんとも切ない別れの場面でした。。。
ホームで見送った若者たちは、すぐに階段に向かったり、ずっと手を振っていたり、ひとりで噛み締めていたり、泣いていたり。
別れの時。
すぐに切り替えて進める人と、ずっと引きずってしまう人といますよね。
別れの季節がつらすぎて、引きずってしまい、新しい環境や出会いに気持ちが向かなくなってしまうこともあります。
もう、切り替えて新しい環境にの馴染みたいのに。。。
春なのにー、ため息またひとつー♪(古)がエンドレスな状態。。。
今日は別れの季節が来るたびにモヤモヤとしてしまったり、ユウウツになってしまう心理、
「別れを引きずってしまう。。。」というテーマで書いていきます。
<本当の問題は何か>
この本当の問題はまだあなたが未解決の傷を抱えたままであるということです。
「もう会えない。」
「今までとは変わる。」
「失ってしまった。」
そんな別れは誰しも喜ばしいことではありません。
けれどあなたが別れの季節に憂鬱さや悲しさ、切なさをずっと感じているのならば、それは今の別れの寂しさでは無いかもしれません。
別れの場面を見たり体験したりすることで、あなたが過去に感じた大切な存在との喪失体験を思い出している、という事かもしれません。
それが突然だったとしても、分かっていたことだったとしても、同じことです。
あなたがその別れの悲しさ、寂しさ、痛さ、無力さ、怒りと言う感情を十分に感じることなく、その時の現実にただ対応するしかなかったのであれば、傷は癒えるどころか残ったままになっています。
「自分は失ってしまった。」
「大切な人と別れて悲しい。」
「大切な人と別れて悲しい。」
「どうしてあの人がここに居ないの?」
そんな納得のいかない、沸き起こる感情を
「悲しいね。」
「寂しいね。」
「つらいね。」
と大人に一緒に感じてもらった子どもは、その喪失の痛みを受け止めて、同時に愛されている自分を感じることができます。
その喪失の痛みを受け止めて、同時に愛されている自分を感じることができます。
しかし、周りにその余裕がなかったり、子どもの喪失を大人が大した事では無いと共感しなかったりすると、子どもはその別れに
自分を大切にされない痛み、
捨てられた悲しみ、
自分にはどうすることもできない無力さ、
を味わったまま、別れが来たのは自分が愛されていなかったからだと思い込んでいくようになってしまいます。
<このままだとどうなるか>
別れの季節が来るたびにあなたの心が疼いてしまうのは、あなたが別れと同時に愛されない自分を感じているからです。
別れとは、
自分が愛されない、自分が捨てられた証になってしまうからです。
だから別れの季節になると自分の感情が不安定にならないように自分の不安を切り捨てて、別れの辛さを感じないようにしたり、別れに対して前向きな理由を見つけようとしたり、最初から人と関係を深めずに悲しみを減らそうとしたりします。
自分の不安を切り捨てて、別れの辛さを感じないようにしたり、別れに対して前向きな理由を見つけようとしたり、最初から人と関係を深めずに悲しみを減らそうとしたりします。
そうしていれば愛されない自分を感じずに、傷を見ぬフリができて、アナタはこれ以上傷つかなくてよかったんです。
そうやって、何とか自分を保つことができたし、自分を生かすことができたんです。
そうやって、何とか自分を保つことができたし、自分を生かすことができたんです。
そのかわりに、あなたは
人が信じられず
自分を感じられず
悲しまないけれど喜びも嬉しさも感じることができない
そんな孤独感いっぱいの毎日を過ごしていくことになります。
自分を守るために孤独な毎日を過ごすことをあなたは心から望むでしょうか?
<解決に向けて>
別れが来たのはあなたのせいではありません。
あなたが愛されていなかったからでもありません。
別れを悲しんでも、寂しさや痛みを感じても、無力さや怒りでいっぱいになっても、あなたが捨てられたといことではありません。
別れが来たのは自分のせいだと思わなければ現実を生きられなかったくらい、あなたはその別れに傷ついていたし、悲しんでいたし、無力になったり怒ったりするくらい受け入れられなかったんです。
傷ついたままの自分にアナタは何と声をかけてあげたいですか?
傷ついたままの自分に気がついた時、
本当は悲しかった自分に気がついた時、
あなたがあなたにどうしてあげたいでしょうか?
受け止めてあげたい、受け入れてあげたい、助けてあげたい、あなたがそう思うのなら自分の傷の痛みにも改めて向き合うことにもなります。
ひとりでは抱え切れない傷に気づいた時こそ、あなたがあなたのためにできる事は何かを自分に聞く時です。
アナタは、自分の未解決のままになっているその傷を、アナタのためにどうしたいでしょうか?