福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
先日、
「近くで虹がでている!」と聞いて、慌てて外に出て空を見回しまくったんですが、見上げた空には見つけることができず、それでも諦めずにキョロキョロしていたら、何台ものタクシーに道を探している人と勘違いされゆっくりと前を通過されまくったワタクシです。。。
虹は、何となく幸福や、希望といったイメージですよね。
自分の幸せ。
自分の希望。
人生に幸せや希望を求めるのって、当たり前の姿でもありますよね。
その幸せや希望が、
アナタにとって今の延長線上にあるものならいいのですが、
今のアナタがツラくて苦しくてたまらない時に、苦しい時こそ前を向け的な、今を乗り切れば幸せが待っているという希望であった場合、これは希望どころかアナタをじわじわと余計に苦しめていきます。
今日はそんな、今の苦しみを未来の希望で乗り切ろうとする心理、
「絶望を感じないための希望。」
というテーマで書いていきます
<本当の問題は何か>
これ、愛着が関係しています。
自分の人生に安心できず、
生きることを楽しめず、
生きることを信じられないと、
人は今ではない素敵な未来に希望を託します。
いつかきっと。
そのうち必ず。
今じゃなくても。
きっと、きっと。。。
そうやって、未来にだけ自分の希望を託す時、アナタは自分の人生に絶望しています。
アナタは人生そのものを「生きたい。」という思いではなく、
生きないといけない。
生きるしかない。
生きていくだけ。
という生き延びるような感覚で生きているんです。
辛くて
苦しくて
しんどくて
虚しくて
絶望している
その自分人生を、何とか生き抜くために希望が必要なんです。
アナタは、
今の自分が感じている大きくて深い絶望を感じないために、未来はきっと幸せだからという希望がないと生きられないんです。
希望がなければ生きられない。
それこそが、アナタの問題なんです。
<このままだとどうなるか>
希望を失ったと感じた瞬間は、誰でもが落ち込みます。
けれど、希望を失ったアナタは自分の中にある
わたしは愛されないという無価値感、
わたしは必要とされていないという捨てられた感、
わたしはひとりぼっちという孤独感、
わたしには何もないという虚無感、
わたしは利用されていたという怒り、
という大きな深い絶望感にも一緒に触れてしまいそうになります。
だから自分を無気力にして、この絶望感を必死に避けようとするんです。
見なかったことにするんです。
必要な経験だった、
自分のためを思ってくれた、
こうするしかなかった、
そう自分を納得させながら、何とか希望で自分を繋ごうとします。
希望が壊れたら、生きていけないから。
希望を見ることで、今のアナタのツラさや苦しみから、目を逸らすことができるから。
けれど、
このままだとアナタは自分の希望が壊れたと感じた瞬間に、自分の人生そのものが壊れたと感じることになってしまいます。
本当に自分が感じているものから
逃げ続けて
避け続けて
代わりのもので埋めて
アナタはアナタの人生を生きられるでしょうか?
<解決に向けて>
まずはアナタが、自分の人生に絶望していることに気がつくことがスタートです。
自分の人生そのものや、生きることに絶望しているアナタが、
そこから回復するためには自分が感じている絶望をアナタがしっかりと受け入れ、受け止めないといけません。
本当は感じている自分の絶望を感じずに、目を背けたままだと、アナタは生きることがつらいままなんです。
その絶望感を感じることは、とても怖くてつらいことでもあります。
ひとりでは受け入れきれないからこそ、
ひとりでは受け止め切れないからこそ、
アナタには誰かの助けが必要なんです。
アナタのその大きくて深い絶望を
否定せず一緒に受け止めて、
拒否せず一緒に受け入れて、
ただただ一緒に感じてくれる、
アナタには人が必要なんです。
アナタがアナタのために、自分から勇気を出して求めることへ挑戦してほしいと思います。
アナタが助けを求めないと、アナタを救うことはできないから。
そこから
絶望を感じないための希望
が、
アナタを生きるための希望
へと変わっていきますよ。