福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
仕事終わりに携帯を開いて、パッと目に飛び込んできたニュースがありました。
それは、死産の報告のニュースでした。
わたしも経験者なので、あれから時間は経ってはいても心が動きました。
今日は、
「心が追いつかない。。。」
というテーマで、
衝撃の出来事がアナタを襲った時に起こりやすいこと、
衝撃の出来事からどうやって回復に向かうか、
をわたしの体験談も踏まえて書いていきます。
<衝撃の出来事に襲われたら>
つらい現実。
悲しい現実。
受け止めたくない現実。
生きていると確かに、
つらいことは起こります。
悲しいことも起こります。
心が痛みが続く時もあります。
けれどあまりにも衝撃が大き過ぎると、人は自分の感情を無くすことで何とか現実に対応しようとしたりします。
平気に振る舞ったり。
起こったことの意味を無理矢理に探して納得したり。
仕方なかったと言い聞かせて涙を止めたり。
そうして、
つらい時に前を向いてしまう。
悲しい時に意味を探して納得させてしまう。
苦しい時にひとりで閉じこもってしまう。
ことを繰り返してしまうようになっていきます。
これが繰り返されると、
つらい時につらいと言えない。
悲しい時に悲しみを感じられない。
苦しい時に助けを求められない。
そうして、守っていたはずのやり方で、自分をどんどん苦しめてしまうんです。
衝撃を受けた出来事。
これが起こったのはもちろんアナタのせいではありません。
なので、その出来事が起こって間もない時はその出来事そのものが受け止め切れません。
現実が見れない。
現実が信じられない。
現実が受け止められない。
この状態になるのは当たり前です。
わたし自身、まさに現実を避けました。
医師にお腹の中の息子が「もう亡くなっているね。」と告げられた日、あまりの出来事に自分の心が追いつききれませんでした。
診察台の上で、自分の感情を切り、意識を現実から飛ばし、自分の心を閉じたことを今でもはっきりと覚えています。
現実に対応できなかったんです。
悲しい出産後にも関わらず、ずっと笑顔でいるわたしに看護師さんが入れ替わりで「辛かったら、ここ(病院)には精神科もあるからね。無理しないでね。」と言ってくれました。
小さな棺を抱え、笑顔でお礼を言いながら火葬場へと向かう母親はあまりにも不自然です。
それほどまでに現実を受け入れきれなかったんです。
愛する子どもが、もう亡くなってしまったという現実を。
どれだけ辛く苦しい状況にいたとしても、その本人が現実を見れていない時には
傷を癒すことはできません。
周りが助けることはできません。
誰かが支えることはできません。
本人が癒しや助けや支えを望んでないこともあります。
自分を責め、怒り、呪い、嫌うことで何とか生きることが許されるように思ってしまい、自分から何も求めません。
望まない代わりに、自分を何も感じなくなっていくんです。
そうして、社会や世間からポツンと切り取られてしまったように、孤独感や、捨てられてしまった自分を隠しながら現実に対応しようとまた自分をどんどん無くしていってしまうんです。
時間は薬とも言いますが、現実を見ないまま時間だけが過ぎて行くと、傷は癒されるどころか、どんどん深くなりアナタを苦しめてくんです。
どうしてこんなことになったのか?
なぜ自分に起こったのか?
何か自分が悪いことをしたのだろうか?
どれだけ聞いても答えのない問いかけをずっと自分の中にし続けると、より自分の暗闇の中で迷子になってしまうんです。
わたし自身で言うと、
子どもを失ったことにより、今まで自分の中に抑えつけておいた
自分の価値の無さ
自分の存在のどうでもよさ
自分の惨めさ
自分への否定
自分が愛されない悲しみと怒り
が噴出してしまい、自分が保てなくなるから現実を避け続けたんです。
現実を見ると、自分が崩れてしまう。
その怖さがずっとあるから、自分を消すしか方法がなくなってしまうんです。
<回復に向けて>
本当に回復するには、アナタ自身が
現実を見ることから、
現実を信じることから、
現実を受け止めることから、
始めましょう。
それは、
自分を見ること
自分を信じること
自分を受け止めること
へと繋がります。
癒すこと、
助けを求めること、
支えてもらうこと、
もちろんそれも大切です。
ただ、心が追いつかない時ほどアナタに必要なのは、
現実を見ること
自分を見ること
なのだと思います。
それは時間がかかるように、遠回りのように思えても、アナタの心を回復に向かわせると、自分の経験からも実感しています。
現実や自分を受け止めきれない時、アナタは本当はそれほどまでに生きることに絶望しているんです。
その自分を、アナタがまず迎えに行ってあげませんか?
ただいま、期間限定でモニターを行なっています!