福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
幼稚園でのお迎えの時間。
お母さんの姿が見えたら自分の荷物を全て渡し、遊び始める子ども。
まあ、これはよくある風景です。
けれど、自分の荷物を持たせておいて、持ち方や置き場所、今日の忘れ物などの文句を言う。
わたしは、すでに自分の荷物は自分で持ちなさい!と思っていますので、子どもに一声かけます。
けれどお母さんは、
ごめんね。
子どものすることにいちいち怒っても仕方ないんで。
とまるで子どもの言いなりのようになってしまっている。
怒りたくない。
怒っても仕方ないんだから、建設的に自分の感情をコントロールしたい。
怒っている自分を嫌悪してしまう。
そうやって怒りという感情をできるだけ避けたり、排除したい。
怒りを
抑えつける、
ガマンする、
感じないようにする、
その光景に、何とも違和感を感じました。
怒りの感情は、別に悪いものでも、ネガティブなものでもありません。
けれど、怒りや、怒りを感じている自分を悪いと思ったり、避けたりしてしまう。
今日は、怒りを避けたり嫌ってしまう心理、
「怒りたくない。。。〜怒りの矛先〜」
というテーマで書いていきます。
<本当の問題は何か?>
怒りたくない。
自分の怒りを感じたくない。
ここにあるのは、自己重要感の問題です。
自分を見たくない。
自分の本音を見たくない。
自分の怒りの感情を見たくない。
見てしまうと、自分が壊れてしまいそうで怖い。
触れてしまうと、今までの自分が崩れてしまう。
だから必死に、自分の怒りを避ける。
怒りが出てきそうな状況を避ける。
怒りの感情を全力で抑え込む。
自分の怒りを抑え付けていくと、アナタには常にガマンをして生きていかないといけません。
そして、自分がどんどん分からなくなっていきます。
その怒りを外に向けて発散したり、誰かに八つ当たりしたり、誤魔化せている時はまだマシなのかもしれません。
それを続けた結果、
人に拒否されたり、
人に嫌がられたり、
人に無視されたり、
それが繰り返されてくると、アナタはその怒りの感情そのものを段々と「悪いもの」として避けるようになります。
自分の中にある、怒りの感情の存在を認めなくなるんです。
そうして、怒りの存在を消そうとするんです。
すると、その怒りはどうなるでしょうか?
そうです。
外へと出せない怒りの感情は、アナタ自身へと向いていくんです。
アナタは、自分の怒りこ感情を否定して、抑えつけて、自分へと怒りを向けて、何事もなかったかのように日常を送ろうとするんです。
<このままだとどうなるか?>
短期間なら、まだ何とか耐えきれることもあるのかもしれません。
しかし、これが長期間ずっとずっと続いたら、アナタはどうなってしまうでしょうか?
生きているのがつらくなります。
生きる意味が分からなくなります。
生きることに希望が持てなくなります。
そうして、
もう、どうでもいいや。。。
人生なんてこんなもん。。。
どうせやってもムダ。。。
と自分を諦めてしまうんです。
怒りを感じてしまうと、
アナタの中にあるその
悔しさ
絶望感
に触れてしまいます。
触れてしまうと、抑え込んでいたものが溢れてしまいます。
その自分を受け止めるチカラが、自分にはないと思っているから触れられないんです。
感じたくない怒りがあればあるほど、自分をどんどん無くして、虚しさを募らせていきます。
怒りを飲み込んで、ニコニコと笑いながら、本当は怒っている自分を無かったことにしていれば、いつか報われる日が来るかもしれない。
そう信じて報われる日を待ち続けるんです。
それで本当に報われた日が、アナタにやって来たことはありましたか?
<解決に向けて>
生きていてくれてありがとう。
これを本当は、心から両親に言って欲しかった。
アナタが生まれてくれてよかった。
これを本当は、心から両親に思って欲しかった。
言ってもらえる自分になれるよう、
思ってもらえる自分になれるよう、
子どもは必死に努力をします。
けれどそれが叶わない。
やってもやっても叶わない。
どれだけ自分が頑張っても叶わない。
愛されない自分の絶望と悲しみを、そのネガティブな気持ちを、絶対に感じたくなくて避けていくんです。
避けることで、どんどん自分を見失っていってしまいます。
もらえない自分のみじめさや痛みを感じないでいいように、愛してくれない怒りも抑えつけていきます。
抑えつけることで、どんどん自分が分からなくなっていきます。
アナタは、
誰かに自分の
悔しさを、
絶望を、
分かってほしかったんです。
本当は、ずっとずっと泣きたかったんです。
泣かせてほしかったんです。
受け止めてほしかったんです。
アナタに今、必要なのは
自分を大事にするために、怒りを出すこと。
自分を守るために、イヤなものをイヤと言うこと。
怒りを出すことは、誰かを傷つけることではないから。
誰かと同じになってしまうことでもないから。
そして、悔しさと悲しさと怒りと絶望感でいっぱいで、それでも頑張って生きてきた自分に、
生きていてくれてありがとう。
よく生きてきてくれたね。
アナタがアナタへ、たくさんそう言ってあげることなんじゃないかな、とわたしは思います。