福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
子ども達といわゆる「中あて」的なボール遊びをよくします。
ボールをぶつけられたら外に出て、ぶつけたら中に入る。
何度も繰り返し遊べるのですが、ここ最近、一回ボールをぶつけられると、
自分からボールを取りに行かず、
ボールを投げられないから飽きてしまい、
遊びをやめてしまう子が増えたなぁと感じます。
自分から動かない。
一回で当てられないとスネてしまう。
先に諦める。
この姿が増えたように感じます。
大人でも、
どうせ無理。
どうせムダ。
どうせダメ。
最初から期待なんてしない。
自分の分相応でいい。
多くを望むなんてバカだ。
そうやって先に諦めて、自分の本当の欲求や願望を打ち消していく。
傷つくくらいなら、やらない。
ガマンして無かったことにしてしまう。
今は上手くいかないけど、いつの日かきっと素晴らしい未来が待っているはずだから!!!
と、何か別の楽しいことに思いを巡らせて、
自分チカラではなく、誰かや何かのチカラでシアワセにしてもらう。
ガマンしていれば、シアワセは向こうからやってきてくれる。
今日はそんな、
多くを望まず諦めて、
いつの日か自分は報われる、
そう信じて人生を何とか前向きに乗り切ろうとする
「偽りのポジティブ。」というテーマで書いていきます。
<本当の問題は何か>
ここにあるのは脱愛着の問題です。
そうやって、自分の望みや欲求を消していれば、みじめで虚しい自分を感じずに、自分を何とか保つのとができます。
それほどアナタ自身が脆くて危ういんです。
自分の中に安心感がないんです。
そして
諦めて、
求めずに、
全てを受け入れたフリをしておくことで、
今までの自分を肯定することができるんです。
そもそも自分は
愛されない
価値のない
ダメで
出来ない
居ても居なくてもいい存在。
アナタの中に、その根底があると誰が認めて、受け入れてくれたところで、
そんなことはない!!!
と自分の思う自分に戻っていくのが人間です。
アナタはアナタのことを、どう思えたらいいんでしょう?
そして、何も求めないことで、自分を諦めることで、
自分を生きないでいられるんです。
これにどんないいことがあるのか、ただ苦しいだけじゃないかと思うかもしれませんが、ここにもちゃんとメリットがあるんです。
自分から何も挑戦せず、動かず、何もせず、自分を感じられない代わりにラクができます。
何より、自分で何もしないんですから、そこに責任は発生しません。
いつでも、どこでも、
自分には関係ない。
自分には責任はない。
悪いのは相手。
と責任を押し付けられるんです。
誰かや何かに文句を言って、人のせいにできる。
こんなに耐えているのに、と被害者になれる。
だから、苦しくても、つらくても、
アナタは先に諦めておくことで、今に不満を持っておくことで、自分の人生を生きる怖さに直面しないでいられるんですね。
<これが続くとどうなるか?>
これは、脱愛着の人が陥りやすい
イヤを避ける人生
自分の責任から逃げる人生
の傾向だと思います。
これが続いてしまえば、アナタの人生はどうなるでしょうか?
ラクで何の責任もない代わりに、
アナタは自分を生きている感覚を持てず、
ずっと誰かに依存して生きていかないといけません。
依存する相手がいるうちは、まだそれほど深刻な状況にはならないかもしれません。
けれど、依存できる相手が居なくなった時、
アナタは生きていけますか?
求めず、諦め、逃げ続け、避け続けた人生のその先に、アナタの幸せな未来は待っているでしょうか?
<解決に向けて>
諦めて求めないこと。
それはアナタが生きるために身につけてきた術です。
本当の強さとは、
自分自身の
嬉しいも、
悲しいも、
楽しいも、
苦しいも、
喜びも、
絶望も、
アナタの全てのどんな感情も、アナタがそのまま受け止めて受け入れられることだと思います。