福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
夏が長いことあったかと思えば、急にひんやりしてきましたね。
秋はどこへ行った?という感じです。
金木犀の香りをふんわり感じて、何とか秋を感じることができたわたしです。
秋の夜長に読書を!という意気込みではないんですが、「チーズはどこへ消えた?」という本を読みました。
ネズミ2匹と小人が2人。
迷路の中でチーズを探すお話なんですが、それぞれの登場人物?の変化に対する対応が面白かったんです。
アナタの人生の中でも、変化は起こりますよね。
むしろ、変化は避けようと思っても避けられません。
アナタは人生で変化が起こった時、
嘆きますか?
順応しますか?
見ないようにしますか?
今日はそんな変化に対するアナタの対応、
「幸せはどこに行った?」
というテーマで書いていきます。
<アナタの変化への対応は?>
物語は、迷路でチーズを探している2匹のネズミと2人の小人が、長いこと自分たちの特別なチーズを見つけるために探し回っているところから始まります。
2匹と2人は、好みのチーズを発見することに成功します。
ですが、ある朝行ってみるとチーズがなくなっています。
ネズミ2匹は、その変わってしまった状況を受け入れ、また新たにチーズを探しに出かけます。
しかし、チーズが消えてしまったことにショックを受けた小人2人は状況がなかなか受け入れられず、そこからしばらく動くことをしませんでした。
2人はそれからも毎日チーズが今日は帰ってくるかもしれないと待ち続けます。
そのうち、小人のホーはある日、もうひとりのヘムからの反対を押し切って、勇気を奮い起こしてまた迷路へチーズを探しに行くことにします。
もうチーズは見つからないのではないか。。。
動かずここに居た方が安全かもしれない。。。
自分はもう手遅れなのではないか。。。
そんな怖さでいっぱいなのですが、その自分の怖さが取り越し苦労がほとんどであることに気づき、自分から行動することで道を拓いていきます。
なぜ、起こった出来事は同じなのに2匹と2人の対応はこんなにも違うのでしょうか?
<本当の問題は何か?>
この対応の違いこそが愛着です。
言わば、ネズミ2匹は安定型の愛着。
どんなことが起こっても、自分は大丈夫という自分に対する安心感があるので、状況が変化していっても、変化に適応したり、新たなことに挑戦したりすることができます。
小人の
ホーは不安型、
ヘムは回避型、
の愛着。
不安型のホーは、自分の中から次々と沸いてくる不安に押しつぶされそうになります。
自分が進もうとする度に、恐怖が襲い何度も元の場所に帰ろうかと自問自答します。
回避型のヘムは、自分の状況を見ずに、いつかチーズが帰ってくるはずだと思い込むことで自分を保ち、自分から動くことをしません。
チーズが消えてしまったという現実に向き合うことを避けるんです。
そして、変化に素早く適応したネズミ2匹はまたすぐにチーズを探し出し、変化を不安や恐怖で躊躇するホーと、変化を否定し現実を見ないヘムは、どんどん衰弱していってしまいます。
<このままだとどうなるか>
不安と恐怖の中、自問自答して自分なりの答えを探してみようと自ら動いたホーは、時間をかけながらもまたチーズを見つけることができます。
けれど、チーズを失った現実を受け入れないヘムはもちろん状況は何も変わらず、むしろ悪化していってしまいます。
誰かが悪いのだから、自分のせいではない。
今までの自分を変える必要はない。
待っていれば、直視しなければ、いつか問題は解決するはず。
状況さえ変わればいい。
変化すると何かを失う。
そうやって、変化に対する対応を迫られた時にアナタは何か自分への言い訳をしていないでしょうか?
誰かのせいにしたり、
自分の怖さを見ようとしなかったり、
周りが変わってくれることだけ望んだり、
そうしている限り、アナタの幸せはアナタの前から消えていくんです。
あれ?いつの日か誰かがくれるはずの幸せはどこ?
わたしの幸せはどこにいった?
と、ずっと探し続けることになります。
それは、アナタの中に
変わらないことが安全だ!という思いがあるからです。
そしてその思いは、安心感がないから起こるんです。
アナタはどうですか?
変化に対応することができますか?
自分の人生に安心感がないままでいいですか?