貸すも親切、貸さぬも親切。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

幼稚園で、お店屋さんごっこがありました。

各クラスでお店を開き、お客さんはお金を持って買いに行きます。

 

いくら子どもの世界とは言え、お店に買いに行っても、欲しい品物が売り切れていたら、もちろん買うことはできません。

2つまで買えるお買い物ですが、

何を買おうか迷っていたり

自分から何も動かなければ

欲しいものは買えないワケです。

 

こんな時、

泣いて欲しがる子

固まって動かない子

次の品物を探しに行く子

と対応は様々です。

 

そしてクラスの先生の対応も様々。

なだめたり

説得したり

一緒に次の品物を見に行ったり

そっと見守ったり

先生たちもその子に応じて対応します。

 

けれど、ずっと欲しいものが売り切れたことをどうしても受け入れられず号泣している子がいたとしたら、アナタならどうしますか?

 

①売り切れてしまったその子の悲しみに寄り添い気持ちが切り替わるまで待つでしょうか?

②いつまでも自分のことばかりを主張することを叱るでしょうか?

③予備で作っていたものをこっそり品物として出してあげるでしょうか?

 

今日はそんな目の前に泣いたり困ったり悲しんでいる人がいる時にアナタが咄嗟に取ってしまう行動の心理、

 

「貸すも親切、貸さぬも親切。」

というテーマで書いていきます。

 

 

<本当の問題は何か>

最初は①や②という行動を咄嗟に取る人が多いとは思いますが、それでも目の前の子が泣き続けたり、かんしゃくを起こしたり、スネてその場を立ち去ろうとすることが続くと、③のように何とか相手をなだめようとする人が増えるのではないでしょうか。

 

ここにあるのが共依存の問題です。

 

手を貸す。手を借りる。

二者関係では時にこのような関係となることがあるます。

助けや応援もそうですし、お金や支援物資などもそうですよね。

 

貸す。

借りる。

それがお互いに同じ立場で、言わば横の関係性である時はプラスな関係になります。

 

けれどどちらか一方が強かったり弱かったりする、言わば上下の関係性である時には、互いに自分のチカラを奪わせるマイナスな関係になります。

 

自分の人生を失ってしまうんです。

人間関係とはそもそも相互関係。
いつも一方方向ではありません。

それにも関わらず

目の前の相手を何とかしなきゃ!と感じてしまうのなら、

アナタが目の前の相手を何とかしたいんです。

 

相手に手を貸したい。

そう思った時に本当に大切な視点は、

それが相手のためになるかどうか、です。

 

けれどそこに気が及ばすに、とにかく何とか平穏に平和に場の空気を乱さず穏便に収めたくなってしまうのは、それはアナタが貸す立場を通り越して、支え手になってしまっています。

 

そして相手のためと支え続けることで、アナタは自分がツラくなっていきますよね?

 

しかしアナタが耐えれば耐えるほど、

それは相手をどんどんダメにしていっていることに気がついていますか???

 

<このままだとどうなるか>

アナタは、

とりあえず、この場が穏やかに過ぎればいい。

目の前の相手の困っている姿を見たくない。

自分が何とか頑張れば丸く収まる。

 

自分のこの思いから相手をどうにかしようとしているんです。

 

そう、自分のために。

自分の安心のために。

貸すことが親切と信じているから。

 

自分を犠牲にすることで、アナタは安心がもらえるんです。

 

そして、アナタが自分の安心のために貸したその

手や

助けや

お金は

相手を自分ひとりでは生きていけない人間にしていくんです。

 

先ほどの子どものように、どれだけ泣いても暴れても、本人が現実を受け止めるために助けを貸してはいけない時があるんです。

 

それこそが貸さぬが親切です。

 

<解決に向けて>

アナタがいつも相手のためを思って貸しているその手や助けやお金。

 

貸すも親切、貸さぬも親切。

アナタが貸す親切ばかりの人生を送っているのなら。

 

それは

その人のため、ですか?

それとも

自分のため、ですか?