水平線〜アナタの境目〜

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

東日本大震災から11年が経った3月11日。

 

back numberの水平線という曲が流れていたのを聞きました。

 

この曲は大震災の時ではありませんが、コロナ禍でのインターハイ開催の中止で、行き場のない想いを抱えた学生達や関係者に送られた曲だったと記憶しています。

 

聞きながら、泣けました😭😭😭

 

震災も、インターハイ中止も。

自分にはどうすることも出来なかった出来事という点では同じかな、と思います。

その無力感を頑張るチカラに変えたり、

失ったものの喪失感を優しさのチカラに変えたり、

孤独感の痛みを強さのチカラに変えたり、

そうしながら、自分を奮い立たせて現実と折り合いをつけながら必死に生きる。

 

その生き方は美しいと思います。

そして同時に苦しいと思います。

このどちらかだけに目を向けて生きると、人は必ず生きることに行き詰まります。

 

けれど、どうしようもない出来事であればあるほど、失われた人やモノや時間を想い、今の自分は何とか乗り越えて前向きに生きようとするものです。

 

今日はその、自分ではどうしようもない出来事に圧倒された時のその美しさと苦しさの境目、

 

「水平線 〜自分の境目〜」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

積み重ねてきた努力や日々。

それはまさに自分にとって希望です。

その積み重ねが崩れることは、アナタの希望が崩れることと同じです。

 

希望が崩れた時。。。

どうしてこんなことなったの?

とアナタが思うのは当然です。

 

これは、人と自分との水平線。境目。

 

ずっとマジメに生きてきた。

人に迷惑だってかけてない。

それなのにどうしてこんなことになってしまったのか、自分でも分からない。

意味が分からないし、理解が出来ない。

 

「気持ちは分かるけど、仕方ないよ。」

「誰も悪くないからどうしようもないんだよ。」

そのかけられる言葉に、どれだけ思いやりが込められているとしても受け取れず、自分がこんなに辛い時に周りには他人事で笑って過ごしている人がいるのだと余計に傷ついてしまう。

 

相手には相手の生活や人生がある。

この事実に耐えられないほど自分のことを守ってしまうのは、起こった出来事に圧倒され、抗えない自分への無力感を感じているから。

 

どうしようもない出来事を、負けてなるものか!と自分を奮い立たせて頑張るチカラに変えながら、自分では受け止めきれず、誰かに一緒に受け止めてほしいという憤りと悲しみです。

 

 

 

希望が崩れたことを受け入れないといけない時。。。

それが自分ではどうすることも出来ない時。。。

どうして自分がこんな目にあわないといけないの?

その疑問も当然です。

 

これは生と死の水平線。境目です。

今まで優しく生きてきた。

思いやりを持って生きてきた。

その自分に、どうしてこんな仕打ちが待っているんだろう?

 

今までの自分は、一体何だったんだろう。。。

 

「アナタだけじゃないんだから。」

「人生辛いことばかりじゃないから。」

その慰めの言葉に、失ったものを握りしめながら、自分の悲しみを優しさへと変えようとする。

 

失った人やモノや時間を想うと、実感してしまうと、生きていることそのものに耐えられなくなってしまうほどの喪失感を感じているから。

 

納得のいかない怒りと抗議をぶつける場所もなく、感じてしまえば自分が壊れるかもしれないというアナタの生きることへの辛さと、死への恐怖です。

 

 

希望が崩れてしまったことが現実だと知った時。。。

もうどうしようもないのだと知った時。。。

どうしてこれが起こったのが自分なの?

どうしてわたしなの?

その答えを誰かから欲しいのも当然です。

 

これは希望と絶望の水平線。境目です。

今まで頑張って生きてきた。

色々なことを耐えて乗り越えてきた。

それなのに、もうこれ以上頑張れない。

これを乗り越えることなんて出来ない。

 

「そんなこと言わないでまた頑張ろう。」

「そんなアナタを見て悲しむ人がいるよ。」

本音を言っても、悲しまれたり、怒られたり、拒否されたりするから、本当の気持ちを諦めて周りを安心させるために強くなろうとする。

常に誰も自分の気持ちを分かってくれない孤独感を感じているから。

 

もう誰も傷つけたくないと、現実を耐える理由を探して希望に変えて、でもその答えは永遠に見つからず、誰より自分が傷ついているという絶望です。

 

 

 

そして、どの疑問に対してもアナタが必死に抑えているものがあります。

それは、

世界への恨みと敵意です。

 

この恨みと敵意を抑えて感じないことで、現実世界へと適応することができたからです。

 

けれど

このやり場のない恨みと敵意を自分の中に認められないとアナタは、

無力で何もできない自分

生きる価値のない自分

優しいフリをした自分

失ったことを責め続ける自分

誰にも本音の言えない孤独な自分

をずっと握りしめることになります。

 

 

確かに誰の目に触れなかったとしても、確かに積み重ねてきた努力や日々は消えてしまうことはありません。

 

生きることや死、希望や絶望を通して、アナタは自分を知ることができるでしょう。

 

けれど、そこには

本当は崩壊してしまいそうなほど傷ついている自分を、

自分自身が

受け止めて

受け入れて

守り通す

その覚悟がいります。

 

アナタは強く、深く、傷ついていたんです。

 

それはとても痛くて苦しいことだと思います。

言葉にしても、その言葉さえ軽く感じられてしまうかもしれません。

 

それほど、アナタは傷ついた。

それほど、大きな衝撃だった。

現実を生きることが耐えられなかった。

 

それほどその傷をみれなかったし、見たくなかったのだと思います。

 

けれど。

その自分の本音を知ることは

自分を大事にすること

自分を生きること

にストレートに繋がります。

 

感じたくない本音や感情から逃げている間、アナタは自分を生きられないんです。

 

どうにもならない出来事が起こった。

辛くて自分の気持ちに蓋をした。

その瞬間にアナタに水平線が生まれます。

 

すぐに気がつくことは難しいと思います。

ただ、アナタが蓋をした自分の気持ちがあることに気がついた時。

受け止めるのか。

逃げ続けるのか。

それでアナタの人生は大きく変わります。

 

アナタは

諦めて生きたいですか?

自分を生きたいですか?

 

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