福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
春の
寒さと温かさ。
別れと出会い。
少しずつ咲いていく桜の花に、この時期ならではの切なさとぬくもりを感じるセンチメンタルな日々です。
幼稚園でも、卒園式が終わり、在園生もいよいよ今の学年を修了します。
1年間を振り返ったり、次への希望に胸を膨らましたりしますよね。
そして子ども達というのは、今の別れを悲しむことをあまりしません。
もちろん、今時点で変化を迎えているわけではないですから当たり前なんですが、次への期待の方が大きいので、
「またね。」
はあくまでも次に会えることを信じています。
ですが大人になると、「今までの経験」というものから、「またね。」と言っても
しばらくお別れ。
もう会えない。
今日で終わり。
という、次の約束がない時があることを知ります。
その時に、別れというものがアナタにとってどういうものなのかを痛感する人って、多いと思います。
別れが苦手。
別れを避けたい。
サヨナラなんて言いたくない。
大事な人であればあるほど尚更です。
けれど、別れの時期に
・人と居ることが辛くなる
・次への約束を執拗に確認したくなる
・毎日会わないと不安になる
・相手が自分をどう思っているかすごく気になる
・自分は必要ないのではないかと感じる
こんなことが続くのであれば。。。
アナタにとって、別れは絶望だけのものであり、希望を感じることは難しいですよね。
今日はそんな別れというものへの受け止め方の心理、
「サヨナラだけが人生か!?」
というテーマで書いていきます。
<本当の問題は何か>
大切な人であればあるほど、その人との別れは辛く悲しいものです。
けれどその別れの中に、
別れとは、自分が捨てられること。
大事な人は自分の目の前からいなくなる。
自分に問題があるから別れが来てしまった。
という自分への無価値感があると、別れそのものを自分の価値がないからこうなったんだと結びつけてしまいがちです。
そうでもしないと、別れに自分が対応できないから。
別れを悲しむ。
別れに泣く。
別れを惜しむ。
これって当たり前のことです。
そしてとてもツラいことです。
だからこそ、自分の存在価値を無くすことで、自分がダメだからと無理に納得させることで、自分が壊れてしまわないように守るんです。
そして、そういう人は幼い頃から
自分の悲しみを否定された
存分に泣かせてもらっていない
惜しむ自分が悪いと責められた
経験を持つ人が多いと思います。
<このままだとどうなるか>
別れの度に、自分を責め、自分の存在価値を見失うのでは、人との付き合い自体を避けるようになっていきます。
本心を伝えること
本音で関わること
本気で愛すること
これを避けることで、自分の価値を守ろうとするんです。
最初から
求めず
避けて
逃げる
これが生き方になってしまうんです。
誰とも繋がらないことで自分を守るのは孤独です。
でも、孤独が安心だなんて変だと思いませんか?
<解決へ向けて>
出会えば、待っているのは別れ。
ある意味ではその通りです。
いつかは人は死ぬのだから。
だとすれば、アナタは自分の人生を死ぬことをただ待って過ごすことになります。
出会えばサヨナラが待っている。
だから仕方ない、諦めよう。
人生なんてひとりぼっちなのだから。
と諦めて孤独に生きていきたいのか。
出会いに喜び、サヨナラに悲しむ。
だからこそ、今を大事にしよう。
人生は人との繋がりで豊かに変わるのだから。
と自分を感じ人と共に生きていきたいか。
あなたは、サヨナラだけが人生ですか?
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