愛情という名の敵意。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、友達とドラマ「大奥」の話をしておりました。

どのシリーズが好きか?についても熱く語っておったのですが、振り返るとどれも面白いシリーズですよね。

 

華の乱もそうですが、最終章や菅野ちゃんの(調べなはれ、タイトル!)も面白かったなーと改めてその魅力を思い出しておりました。

 

その当時、わたしは大奥を見終わると本当に気分が沈んでおりました。

あぁ、この時代にいきていなくて本当にヨカッタ。。。と思いながらお風呂で気持ちを沈めたりしたのもいい思い出。

 

けれど、次週になるとやっぱり見ちゃう(笑)

それは、大奥が人間の愛憎劇や人間模様を映し出してくれていたからかもしれません。

 

愛情の中に潜む憎しみ。

憎しみの中の隠れた愛。

そのドロドロにお腹いっぱいになりながらも、ついおかわりをしてしまうのは、わたし達の中にもドロドロの愛憎があるからかもしれません。

 

 

アナタにも、

親しい人から急に無視された。

親しい人が急にイヤになった。

好意的だった人の態度が冷たくなった。

好意を持っていた人への気持ちが急に冷めた。

相手の意にそぐわないと攻撃された。

自分の気持ちに共感してくれない相手を責める。

そんな経験はないでしょうか?

 

そこにはもちろんアナタの中に嫌われることへの恐怖があります。

 

そして、アナタ自身が抱いていた相手への気持ちの中に愛情だけではなく、アナタが意識していなかった怒りや憎しみや恨み、そんな敵意が混じっているからかもしれません。

 

その敵意が自分で意識できていないと、アナタは人間関係を自ら壊していくことになります。

 

今日はそんなアナタが愛情だと信じていた想いの中にある無意識の怒りや憎しみの心理、

「愛情という名の敵意」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

アナタの信じている愛情の中に潜む敵意。

これは幼少期の愛する人との関係に大きく影響しています。

 

アナタが愛する人、両親との関係。

それがアナタの今の人との関わりの基盤となっています。

 

幼少期、子どもは親を常に求め、愛しています。

身体と心、全部で求めます。

 

その時に、両親からの反応が

鬱陶しいという嫌悪

関わりたくないという無視

面倒臭いという拒絶

うるさいという拒否

親を優先しろという圧力

が返ってくると、

 

子どもは

親を求める気持ちを諦めるか、

親がそうするのは自分に問題があるからだと必死に愛されようとするか、で

現実の辛さに対応しようとします。

 

愛を求めて止まないほど自分も親を愛しているからです。

 

愛する人から愛されない現実や、拒否や否定を受け入れることができない。

けれど、自分は愛している。

その矛盾に対応できない時、生きるために子どもは愛してくれない親への怒りや憎しみを抑え込むことで親を好きでいようとします。

 

なので、子どもの心の中に

怒り

憎しみ

恨み

という敵意を押し殺して、生きるために愛情だと思い込んだ「愛情という名の敵意」が存在するんです。

 

<このままだとどうなるか>

確かにある敵意を抑え込んで、親を好きでい続けようとすると、

 

人が怖くなる

人が信じられなくなる

人が嫌いになる

ということが起こります。

 

 

アナタが大切な人から向けられていた感情が、愛情ではなく敵意であったのなら、

アナタが大切な人に向ける愛情にも、敵意が潜んでいます。

 

 

だって、アナタにとってその敵意こそが愛情だから。

 

このままでは、当然アナタの人間関係は上手くいかないどころか、大切な人こそ失っていくことになってしまいます。

 

アナタの育った家庭には、愛情という名の敵意が溢れていませんでしたか?

アナタは大切な人から、愛情という仮面を被った理不尽な意地悪に晒されていませんでしたか?

 

アナタが敵意を愛情だと信じ込んで生きてきたのなら、

アナタは人を愛する時に愛する相手にこそ、敵意を向けていくようになります。

 

さて、これはいかがなものか!?

今日は長くなりましたゆえ、続きはまた次回とさせていただきまする!!!

 

 

 

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