福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
先週の「愛情という名の敵意」のとぅーびーこんてぃにゅーです。
子ども時代に、求めても返ってこなかった愛情。
そこに悲しみや憎しみは生まれます。
けれど、憎しみながら愛することは難しいので、子どもは憎しみを抑圧して、愛されている自分を信じ込もうとします。
愛情という名の敵意。
アナタの人間関係がそうなっていたとしたら?
その解決法について今回はお話していきます。
今日は、
「愛情という名の敵意。その本質。」
というテーマで書いていきます。
敵意がアナタにとって人との関わりになっていくと、アナタの人間関係は、
人と気持ちを通わせるのが怖い。
人と繋がることに嫌悪感を持つ。
自分という存在が分からない。
相手は自分を攻撃してくると感じる。
相手が自分の為に何かしてくれると申し訳なく感じる。
敵意を愛情だと受け取らないと生きていけなければ、アナタの自分で築いていく人間関係は破綻します。
敵意を愛情だと受け取るということは、
本当のアナタを分かろうとすることなく、本当のアナタであることを拒絶した人を大切にするということです。
本当のアナタを分かろうとするような人を拒否したり、攻撃したり、無視するということです。
本当のアナタ自身を感じ、出すことに対して罪悪感を感じて自分をなくしていくことを選ぶということです。
本当のアナタを認めてくれ、受け入れてくれようとする人にこそ、アナタ自身が敵意を向けていくということです。
それは、アナタが本当の自分を出した時に向けられてきた拒絶、拒否、無視を、自分に向けられた愛情だと信じて生きてきたからです。
その敵意に満ちたアナタへの気持ちを愛情だと理解して受け取らなければ、アナタは生きることができなかったからです。
けれど敵意をぶつけられたのは、アナタの責任ではありません。
アナタがアナタ自身であることに嫉妬や憎しみや怒りをその人がぶつけてきたのは、ぶつけてきた相手が自分を出すことをガマンし、抑圧して生きてきたからです。
自分が自分で居られなかった恨みを、ぶつける相手はアナタではないのに、アナタにぶつけることで気晴らしをした。
そして悲しいことに、それはアナタにとってとても大切な人だったんです。
だからアナタが大切にするのは、本当の愛情をくれる人ではなく、アナタに敵意を向ける人だったんです。
その、「敵意を向けてくる人」をアナタは今も大切にし続けているんです。
相手からの敵意に対してアナタが拒否できないのはなら、アナタは自分を大切にしてくれる人を拒否しているということです。
自分の中にある
欲求
要求
本音
に対する抑圧を強めることで、自分に向けられている敵意に対応して、愛情に変換して今いる場所に順応しようとするんです。
けれど、アナタが本当に求めているのは敵意ではなく愛情だったんです。
その気持ちが消えてなくなることはありません。
愛情と敵意は相反するもので、一緒に感じることはできません。
だから無理に「敵意ではなく愛情なんだ。」と自分に思い込ませることで生きてきたんです。
だけどこのまま、敵意を愛情だと思い込んで生きていくと、人間関係は崩壊して、自分の存在の責任を請け負ってくれる誰かをアナタは求め続けることになります。
そして、本当に愛してくれる人が例え現れたとしても、アナタは自らその存在を突き放していきます。
アナタはこのまま、気がつかないでいいですか?
とてもツラいけれど、
わたしが親からもらっていたものは
愛情ではなく利用だった。
愛情ではなく支配だった。
愛情ではなく依存だった。
愛情ではなく意地悪だった。
愛情ではなく憎しみだった。
愛情ではなく恨みだった。
愛情ではなく怒りだった。
わたしに向けられていたのは、愛情ではなく敵意だった。
この事実を知りたくなかったんです。
これを感じることが、アナタはツラくて苦しくてたまらなかったから、イヤだったけれど向けられた敵意を愛情として無理に変換したんです。
敵意を愛情と信じていれば、イヤだけど大切な人との繋がりを断ち切られてしまうことはなかったから。
偽りだと分かりながらも、信じることで自分を守ってきたんです。
今までアナタはその拒絶が、敵意が、いつの日か振り向いてくれるとずっと頑張ってきましたよね?
その苦しい頑張りを、アナタはまだこれから先も続けていきたいですか?
アナタに向けられてきた愛情という名の敵意を、これからも受け入れたまま、誰かからの愛情を求め続けながら本当の愛情を壊し続けたいですか?
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