先日、崖の上のポニョを見まして。
ワタクシ、大好きなお話なんです。
「ポニョ、そーすけ好き♡」
この素直な想いを感じること、伝えることって、大事だなぁ、なんて思います。
けれど、この「好き」という気持ち。
感じ方や伝え方はそれぞれですよね。
直接的に好きを伝える。
間接的に好きを伝える。
どちらもアナタの大切な人への大事な気持ちであることに変わりはありません。
けれど、その好きが交錯する時があります。
例えば、
①「ねぇ、好きだよ。」
②「うん。」
①「好きだよ?」
②「うん。分かったよ。」
①「だから、好きだよってば!」
②「うん、分かったよってば!」
これ。
想いの交差点です。
直接的に伝える人と、間接的に伝える人とでは、時にこういうことが起こります。
根底の気持ちは同じでも、その表現方法が違うので、それぞれの気持ちが一方通行のように感じてしまうんです。
今日はそんな自分の気持ちと相手の気持ちの行き詰まってしまう交差点、
「気持ちの交差点。」
というテーマで書いていきます。
自分の気持ち。
相手の気持ち。
相手の想い。
自分の想い。
気持ちの交差点。
ここで渋滞や事故が起こって、人間関係が破綻してしまうことも少なくありません。
人はひとりだけで生きていないからこそ、
自分の気持ち
と
相手の気持ち
のどちらも大切なんです。
どうしてわたしの好きな気持ちを分かってくれないの?
好きだから好きだって言ってるのに、どうして流すの?
自分の好きが相手にずっと届かないような虚しい気持ち。
これは①の人に多いかもしれません。
アナタは幼少期、
お母さん、こっち見て。
お母さん、わたしここにいるよ。
お母さん、わたしを好きになって。
そんな思いで、お母さんの背中を見ていませんでしたか?
どれだけ願っても、その背中が振り向くことがないと自分のその欲求を感じることを諦めることで自分を見てもらえていない現実に対応していきます。
けれど、その背中がたまに振り向いてくれたり、相手の都合のいい時だけ構ってくれたりすると、その僅かな振り向きを、「自分のことを必要としてくれている。」と受け取ります。
すると、いつかはまた振り向いてくれるかもしれないと自分の気持ちを伝え続けることで、関係を保つようになります。
相手の反応はお構いなしです。
だって自分が行くことをやめたら、もう関係は終わると思っているから。
それが何より怖いんです。
好きな気持ちを受け取ってるのに、それが伝わらないの?
なんでそんなに好きって何回も言うの?
相手の好きを相手と同じくらい返さないといけないような重い気持ち。
これは②の人に多いかもしれません。
アナタは幼少期、
お母さん、ちゃんとやったよ。
お母さん、わたしが守るね。
お母さん、大丈夫?
そんな想いで、お母さんをずっと助けていませんでしたか?
どれだけ助けても、幸せそうにならないお母さんを見続けると子どもは自分だけが幸せになることに申し訳なさを感じていきます。
自分を大事にされることに罪悪感を感じて「もらった分は同じだけかそれ以上に相手に返さないといけない。」と思うようになります。
だから自分からは行かずに、相手から何ももらわないことで関係を保つようになります。
自分の気持ちは何をやっても届かない。
自分から求めたり動いたりしたら、関係が終わってしまうから求めたり動くことを諦める。
だって、お母さんより自分の方が幸せであってはいけないから。
自分だけ幸せになった時点で、大切な人は自分を拒絶すると思っているから。
それが怖いんです。
けれど、怖いからと言ってこれを大人になってもずっと続けると相手は困惑しますよね。
怖いから。という恐怖から逃れるために人と繋がっていくと、この交差点に必ず引っかかってしまいます。
けれど、この怖さを避けて押さえつけても、アナタの中の恐怖はより強く深くなるばかりなんです。
アナタが不安からでなく安心で人と繋がりたいのなら、まずは
自分の現実に直面すること。
自分の本当の気持ちに直面すること。
自分自身と繋がること。
悲しい現実を避け続けてきたから、避けきれなくなって交差点で事故を起こしているんです。
悲しい現実に直面した時、
アナタはどう生きていきたいですか?
このまま、自分の現実から逃げて生きていきたいですか?
↓↓お得なメルマガ、登録お待ちしてます!
↓↓↓個人セッションのお申し込みはコチラ