福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
子どものうたで、
♪そうだったらいいのにな
という歌があります。
子どもって色々なことを、こうなるといいな♡自由に想像力します。
けれど、この想像力の世界と現実の世界がまだハッキリと区別されてもいません。
大人になると、想像と現実の世界の区別はつきます。
けれど、現実があまりにも厳しいと感じると現実逃避してしまうこともありますよね。
そこで、あいはぶあくえすちょん。
人が好きだと思っているアナタ。
世界は優しいと思っているアナタ。
どんなことにも希望はあると思っているアナタ。
それ、本当に思ってますか?
自分の信じている世界の中で、
こうである
ということと、
こうあってほしい
ということは別モノです。
アナタは、本当は
人はいい人であってほしい。
世界は優しくあってほしい。
希望は消えないでほしい。
という願望の世界で生きてはいませんか?
そして、本当は
人が怖い。
世界は敵だらけ。
人生に希望なんてない。
と本音では感じていませんか?
こうあってほしい、という切なる願いの中で生きるということは、アナタが自分の生きている世界そのものに希望がないと本当は感じているんです。
現実の世界があまりにもツラいから、こうだったらいいのにな、という現実から離れた世界で生きようとします。
傷ついた自分がこれ以上傷つかなくていいように、現実を生きることを避けるんです。
けれど、
どれだけレモンを甘いと信じ込んで食べても、すっぱいものはすっぱいんです。
すっぱいのに耐えきれず、砂糖を求めます。
砂糖さえあれば、口で本当に感じている悶絶すっぱいを緩和することができるから。
そして、もうレモンのすっぱさを味わわなくていいように、レモンを遠ざけるようになります。
レモンがすっぱいのは、砂糖が足らないからだよね。と自分を納得させながら、レモンがすっぱかった事実を見ないでいると、
アナタはレモンが怖くなるんです。
これ、人が相手でも同じことが起こります。
人に裏切られた。
人から怒られた。
人から拒絶された。
人から無視された。
人から意地悪された。
そんな時、
相手の本当の姿を見ていないと、相手を自分の理想的な人の枠にはめます。
相手を愛情豊かな人だと信じようとして相手の嫌な部分から目を背けて、いいところばかりを見ようとします。
そして、
自分の本当の気持ちを見ていないと、自分が嫌いになっていきます。
こんな目に遭うのは、自分の何かがいけないはずだと自分に原因を探します。
相手をいい人だと信じることで、
自分を嫌いになることで、
自分の本当の現実、「嫌われている事実」、「拒絶されている自分」に直面しないで済むんです。
嫌われている事実に直面しない。
拒絶されている自分を直視しない。
そうすることでアナタの悲しみや寂しさを、避けることができます。
本当は孤独である自分に気がつかないことで、自分を守っているんです。
本当の事実に直面してしまうことが、何よりも怖いんです。
だから人は怖いことにしておいた方がいい。
人が怖いという心理に潜むのは、アナタの
「本当は人が嫌い」という本音です。
本当はアナタの方が人を嫌っています。
人が嫌いだからこそ、人が怖い方が都合がいいんです。
怖いことにしておけば、
嫌いに気がつかないでいられるから。
気がつかないうちは、寂しいながらも生きてはいけます。程よい距離を保ちながら、人と付き合っていくこともできます。
けれど、大切にしたい人ができた時に大問題が起こります。
人が嫌いなのに、好きな人ができてしまったら、当然ながら心に矛盾が起こります。
本当は人が嫌いな自分を受け入れられないでいると、その大切な人に対して人が嫌いな自分を隠そうとします。
自分の本当の姿がバレないように、
好きな気持ちを消そうとしたり、
人を好きになる自分を嫌ったり、
必要以上に好きを伝えに行ったり、
どんどん自分の真実から離れて行こうとします。
さて、この本音を放置したままだとどうなってしまうのか?
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