福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
暑すぎて髪を切りに行きました。
短く切ったるぜー!の勢いで行ったんですが、美容師さんから
「そしたら、ストレートになっちゃいますね。」
と言われて絶句。
わたしは、髪をドライヤーで乾かさないし、朝も髪ハネなんてものを気にしないでいいように、ラブパーマ生活を続けております。
今回はパーマも夏バテしたのか、割とでろーんと伸びていたので、長さを切るとパーマが消える。。。
泣く泣く子猫1匹分ほどゴリゴリ量を減らしてもらって快適を手に入れました。
自分で決めるのも大事だけど、やっぱり人の意見も大事だなぁと思いました。
最終的に決めるのは自分ですけどね。
さて、本日のブログです。
アナタは子どもの時、
お母さんが好きでしたか?
それとも、
お母さんが嫌いでしたか?
子どもは、お母さんに
自分を愛してほしい。
自分に優しくしてほしい。
自分のことを大事にしてほしい。
自分のことを見ていてほしい。
自分が困ったら助けてほしい。
そうやってお母さんの1番になることを望みます。
母親を、こういう人間であってほしいという希望と期待を持って見るのが子どもです。
母親に愛されていると感じながら育つことは、子どもにとって大きな安心感になります。
けれど愛されたくてたまらない母親から、愛されていないと感じながら育つことは、大きな不信感となります。
今日はそんな愛されたいと思いながらも不信感を抱く心理、
「不信感の心理。〜好きと嫌いの狭間〜」
というテーマで書いていきます。
人は、愛されたい人から否定されたり、拒絶されたり、無視されたりすると、自分は愛されていないのだ、と感じますよね。
愛されていないその事実があまりにも辛すぎる。
だから愛されていない自分を感じないでいいように母親を本当は自分への愛情豊かな人間なんだと思い込むことで、その辛さから逃れようとします。
これが親の「理想化」です。
ワタクシ、自分はこの理想化を全くしていないと思ってタイプでした。
両親は好きではないし、でもひとりっ子だから何かと面倒なことは自分に降りかかってくるし。
何でこんなに迷惑ばっかりかけられないといけないんだろう、くらいに思っていました。
でも本当は、
わたしは、お母さんから嫌われている。
お父さんは、わたしに何の関心もない。
という現実を見ないでいいように、
ああ、親の期待が重い。
親を面倒見るのは大変。
という、
縛られちゃって気が重いわ。
愛されちゃって大変だわ。
変換を頭で起こすことで、現実から逃れていたんです。
つまりわたしは、「親はわたしを愛してくれている」という自分を傷つけないための「理想化」をバッチリしていた、というワケですよ。
これに気がついた時は、本当に
がいーーーーーーーん!!!でした。
でもね。
そうやって、自分の存在意義を守ってたんだと思います。
けれど、どれだけ親を理想化してみても肌では感じています。
心の底では、お母さんは自分を愛してくれていないことを知っています。
自分は好きだけれど、相手には好かれていない。
自分は求めているけど、相手には邪魔に扱われる。
自分は助けるのに、相手には無視される。
そのようなことが繰り返されることで、子どもの心の中には
自分は大事にされていない。
自分はいらない存在。
自分は愛されていない。
という相手と自分への不信感を持ちます。
けれど、母親へ不信感を持ちながらも、同時に母親を愛しています。
好きと嫌いは同時に存在することが難しいので、子どもは不信感を抑圧し、親の理想化を強めていくんです。
そうすると、この親子関係は大人になってからの人間関係に影響してきます。
人と関わる時に、
みんなが自分のことを嫌っているのではないかと不信感を抱きながら、
みんなが自分のことを1番に好きでいてほしいと求めてしまいます。
どうせわたしのこと嫌いなんでしょ?
と言いながら、
わたしのことを特別に好きでいて!
という矛盾な思いを抱えながら人と付き合わないといけません。
この好きと嫌いの狭間の葛藤は、人と関係を深めていくのに大きな障害となります。
この不信感と愛情の葛藤を持ったままだと、どのようなことが起こってしまうのか?
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