福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
お盆を迎えましたね。
ワタクシ身長もあってか(態度がデカいせいでしょうか。。。対面でよく思ったよりちっちゃい。。。言われることが多いんです。)、ちっちゃいことは〜気にしない〜♪みたいに思われがちなんですが(誰がワカチコぢゃ!古い!)、割と気にしぃなナイーバーな一面もあります。
ナイーバーひとみが登場する周期として、お盆も上位にランクインすることが多かったんです。
「家族」というものを深く感じる時期というのは、大きな理由のひとつでした。
自分には無いもの。
自分には欠けているもの。
自分が失ってきたもの。
家族を感じる瞬間というのは、まさにわたしがこの気持ちを有無を言わさずセットで感じる時でもあったからです。
親からの深い愛情と関心。が無い自分。
人としての信頼と繋がり。が欠けている自分。
思い描いていた希望の未来。を失っている自分。
その自分を感じてしまうのが、重くて、寂しくて、みじめで堪らなかったんです。
毎年、イヤでイヤでイヤすぎたお盆の時期ですが、今年はそんなにナイーバーにはなっていません。
そんな自分のお盆の変化を今日は書いていきます。
わたしは6年前に息子を子宮内胎児死亡で亡くしています。
それからのわたしのお盆の過ごし方は、悲壮感そのものだったと思います。
失った自分を嘆き、悲しみ、責める時間。
今でも神社に行く時は気が引けてしまうほどに、神様を恨んだりもしました。
それがわたしにとってのお盆の過ごし方だったんです。
ナゼ今年は違ったのか?
ナニガ今年は変わったのか?
それはたったひとつ。
わたしの息子への気持ちです。
今までのわたしが息子にお盆に毎年感じていた気持ちは、
一緒に生きたかった。。。
会えなくて寂しい。。。
わたしの生きる支えでいてほしい。。。
そういった
かわいそうな自分
憐れんでいる自分
自己否定している自分
を感じるものばかりでした。
それを自らそうしていたんです。
自分で過去に生きていたんです。
それはナゼか???
つまりわたしは、
息子に自分のことを
分かって
癒して
助けて
もらおうとしていたんです。
子どもに自分を守ってもらおうとしていたんです。
だから、
辛い自分のままでいたかった。
誰かに守ってもらいたかった。
その寂しさを見たくなかった。
それはもう、悲壮感でしかありませんよね。
息子も空からツッコミを入れてくれていいと思います。
「どっちが親なん!!!」
です。。。(笑)
お盆は、特に家族を感じることが多い機会ですよね。
家族にユウウツさや、重さや、プレッシャーを感じるという人は、
アナタは子どもの立場でありながら、親の心理的なお世話をしていませんか?
アナタは親の立場でありながら、子どもに心理的なお世話を求めていませんか?
「親子の役割逆転」が家族の中で起こっていないかを探ってみるといいかもしれません。
わたしの役割逆転については、また明日のブログでお届けします。
リトリーブサイコセラピー
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