いつも不安。いつも緊張。いつも恐怖。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、園の子ども達と遠足に行きました。

川遊びや野っ原で虫を追いかけたり、坂道を走って駆け降りたり、このコロナ禍で身体を存分に動かして遊ぶ機会が減っている子ども達にとっていい経験となりました。

ええ、大人は汗だくのグッタリですが。。。(笑)

 

そして子ども達は、「お母さんからの手作り弁当」を食べられることも大きな楽しみのひとつです。

 

日頃はお昼ご飯に給食を食べていますが、

今日はお母さんが作ってくれたお弁当を食べる!それは子ども達にとって嬉しくてたまりません。

登園してきてから、お弁当を出して中身まで見せようとする子がいたり、お弁当のおかずには何が入っているかを力説してくれたり。

いつもの給食は残すことが多い子も、お弁当の日はすぐに完食していまう微笑ましいヒトトキです。

 

お弁当は、子どもたちにとってただの昼食ではなく、大好きなお母さんから自分ひとりのために注がれる

愛情

優しさ

温もり

を感じるものなのだと思います。

 

目には見えないけれど、そこに込められた想いを受け取っているんだろうなぁと感じます。

 

けれど、一方でお弁当をあまり喜ばない子もいます。給食は食べるけど、お弁当はなかなか進まない子も中にはいるワケです。

 

その子本人の食べきれる量や、好み、体調にもよるので一概には言いきれませんが、こちらが見ていて

お弁当、あんまり嬉しくないんだろうな。。。

と感じる子です。

 

お弁当という物質はここにある。

けれど本人にとってそこから何も感じられない。

ただ、食べ物が詰まっているだけ。

そう感じている子は、食べることに喜びを感じられないからです。

 

 

これ、わたしがずっと感じてきた感覚でもあります。

わたしは、今でこそ食べることは好きですが、幼少期は全く食べることに関心などありませんでした。

 

そんなにお腹は空かなかったし、何が食べたいとか、何がおいしいとか、正直あんまりありませんでした。

 

出されたから食べるもの。

食べないと怒られるもの。

母親の手間をかけるもの。

それがわたしの食事に対するイメージでした。

 

子どもって、自分ひとりで自分の気持ちを確認することはできません。

自分の中から湧き上がってきた気持ちを、大人に受け止めてもらって、共感してもらって、言葉にしてもらって自分の気持ちというものを確認していきます。

 

けれどその自分への関心を全く向けられていないと、子どもはずっとずっと不安と不満と緊張と暗闇に包まれたまま自分自身を確認することができません。

 

返ってくるものが何もない。

求めても何も返ってこない。

これは子どもにとって大きな恐怖です。

 

わたしも、一見すると

食事があり、住む家があり、両親と祖父母もいる。

それは普通の家の普通に恵まれた環境に周りからは映ったのではないかと思います。

 

そしてひとりっ子ですから、大事に育てられている箱入り娘もともよく言われました。

(誰ですか?箱がお気の毒なんて言う人は!)

 

けれど、わたしは食事で言うと

いつもひとりで食べていた。

母親が食事を食べている姿を知らない。

父親は自分の好きなものが出されないと暴れる。

一緒に暮らしながら祖父母と食べることは母親から許されなかった。

食べないと物凄い嫌味と自分への否定が来た。

という現状がありました。

 

形だけ。

まさにその言葉がピッタリなくらい、「家族の関わり」というものが全く分かりませんでした。

 

自分の気持ちは、暗闇の中で響いているだけ。

人は周りに居ても、誰とも繋がりを感じられない。

それでも相手からの要求だけはやって来る。

この状況が続くと

いつも不安、

いつも緊張、

いつも恐怖、

という心理状態になります。

 

これを分かってくれる人も、周りに誰も居ない。

 

これこそが、心理的ネグレクト(社会的ネグレクト)と言われる状況です。

 

そして、受けた本人が気がつきにくいのもまた心理的ネグレクトの特徴だと思います。

 

けれどこの心理的ネグレクトは、意識しないうちにわたし達に大きな影響を与えます。

 

一体、心理的ネグレクトはわたし達にどんな影響を与えるのか?

 

続きはまた明日にお届けします!

 

 

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