久しぶりぶりに絵本で
「みにくいアヒルの子」を子ども達と読みました。
子どもの時は、
不運や不幸に耐えてガマンすると
後からきっと幸せになれる、
という教訓的なお話かと思っていたんですけども。
今、読んでみると改めて愛着の大切さを感じるお話でした。
今日は、そのみにくいアヒルの子に見る
愛着不全が引き起こす「嫌われる恐怖」
について書いていきます。
愛着不全が引き起こす嫌われる恐怖
ご存じ、みにくいアヒルの子は本来、白鳥の子どもです。
アヒルの中に白鳥が居るのでそれは当然ながら悪目立ちします。
学校に行っても周りの鳥達から
白い目で見られたり、いじめられたりします。
けれど、最初のうちはお母さんが
「やめて!ウチの子にそんなことしないで!」
と守ってくれます。
だからこそ、このみにくいアヒルの子は
どれだけ周りの鳥から嫌われても生きていくことができたんです。
これこそが
自分はどんなことがあっても大丈夫。
自分は何があっても守ってもらえる。
という愛着の感覚です。
この愛着が心の土台にあるから
どんな世界があったとしても
自分を信じて生きていくことができます。
ところがある日。
とうとうお母さんアヒルも疲れて
「アナタさえいなければ。。。」と漏らしてしまいます。
お母さんは自分のことを
迷惑だと感じている。
要らないと思っている。
本当は嫌っている。
そう感じたみにくいアヒル子はお母さんや家や兄弟から逃げ出して
ひとりで生きていくことを決めます。
子どもにとって
母親からの愛情をもらえない。
母親から嫌われてしまう。
ということは、
アナタを愛さない。
アナタの存在を認めない。
アナタを受け入れない。
アナタを無きものとして扱う。
アナタは死んだ存在。
という死ぬほどの恐怖を味わいます。
もらえなかったらそれで終わりではない
けれど
そこで固まって人生を止めるか。
怖くても自ら進んでいくのか。
で未来は大きく変わります。
人生で大事なのはここだと思うんです。
みにくいアヒルの子は、ひとりで越冬をした後に
湖でいつか見た憧れの鳥が泳いでいることを見かけます。
またいじめられるかもしれない。
また仲間外れにされるかもしれない。
また嫌われてしまうかもしれない。
そう思いながらも勇気を出して
その白鳥の群れに自分から
泳いで近づいていきました。
自分がそもそも白鳥の子であることはその時に気がつくんです。
声をかけてもらうのを待つでもなく、
寂しそうに気を引いたのでもなく、
怖くても自分から近づいていったから
新しい世界や仲間に出会えたんです。
親に嫌われる。
それは子どもにとって何より大きな死ぬほどの恐怖です。
だからこそ自分の人生を
そのまま親に捨てられないために
また嫌われないように
自分のことを捨ててしまうと
ずっと
過去の
嫌われた自分という
親から与えられた価値観のままで生きていくことになります。
確かに過去はそれが
自分にとっての
最大の恐怖だったかもしれない。
愛着をもらえなかった相手に
愛情をもらうことを諦めきれないと
過去に囚われて過去に生きてしまいます。
愛着はもらえなかったら
それで終わりではないんですよ。
傷ついたら終わりではありません。
むしろ、
愛情に飢えているからこそ
自分の不安や恐怖から逃げず受け止めることは大事です。
自分に対して安心すること。
人との世界を信頼すること。
それこそが愛着の体感です。
自分には愛着がない。
そう気がついたのなら、まずは
自分が生きていくことの不安
と
人に感じている不信感を解決することが大事です。
そしてそこに放置したままになっている
過去の大切な人から嫌われてしまうことを恐れて
自分という存在を捨てたままにしている今を
自分と人との関係性の中で取り戻すために
ぜひ心理セラピーもご利用くださいね。
愛着は親からもらえなかったとしても、
今から自分と人との間で育んでいくことができますよ。