不幸ばかり数える自分から、幸せを数える自分になるために。

よく質問があります。

コップに半分量の水が入っています。

もう半分しかない!と思いますか?

まだ半分もある。と思いますか?

という誰もが耳にしたことがある質問です。

どう感じることが正しいかは別として

幸せを数えるのか、

不幸を数えるのか、

という視点がよく分かるのかもしれませんね。

今回はその不幸の方に目を向ける人。

いつも自分がいつまでも不幸から抜け出せないような

気持ちになってしまう心理について書いていきます。

不幸を望んでいるのは自分自身かもしれない。。。

どうして自分はいつも不幸なんだろう。。。

なんでいつも自分ばっかり上手くいかないんだろう。。。

そのような悩みを抱えている方は多いと感じます。

そして自分の不幸を感じている時、

そこにあるのは無力感だったりします。

これは、

自分の幸せを諦めている状態です。

無気力な状態なのだから

何もできないしどうしようもないし

ましてやどうしていいかなんて分からない。

けれど

この無気力な無力感こそ

自分がラクをできる、

誰かのことを優先できる、

怒りを抑えていい人でいられる、

自分への関わりをもらえる、

誰か周りのせいにできる、

そんな

自分にとって最大に必要なものだったりするんです。

無力感と無気力で

自分の今が不幸だらけなのは

実は自分が望んでいることがあります。

不幸でいたい。

不幸でいれば

大事な人との繋がりを感じることができるから。

この大事な人との繋がり方こそが

愛着の感覚が歪んでしまっている原因なんです。

不幸な自分に愛着心を持ってしまう

これは幼少期に

どんなカタチで特別な存在と繋がろうとしたか、

という繋がり方でもあります。

この時に、

自分を大事にしてほしい。

わたしを助けてほしい。

自分を甘えさせてほしい。

わたしを分かってほしい。

自分を安心させてほしい。

わたしを愛してほしい。

自分をを求めてほしい。

わたしを受け入れてほしい。

その愛情欲求が

親との間で満たされていないと

何とか他のもので埋めようとします。

親を求めない自分

親の望む自分

であれば親との関係を何とか繋ぐことができた。

そんな溺れている時に掴むワラが

自分の幸せを望まないこと。

自分の不幸を受け入れること。

だとするなら

不幸でいることそのものに愛着心を持っていくことになりますよね。

でも、

ずっと不幸でいることは苦しいので

周りの誰かが

自分を満足させてくれることを諦めきれなくなっていきます。

相手ばかりに求めていると相手は当然離れて行きますよね。

なので人間関係は揉めていきます。

かと言って

自分を受け入れてくれる状況も怖くてたまらないんです。

不幸ではない繋がりは人との繋がりではないからです。

これでは

たとえどれだけ受け入れてくれる人が目の前に現れたとしても

満たされなかった過去の想いを握りしめている限り

ずっとずっと差し伸べてくれた手を

払いのける人間関係を続けていきますよね。

自分の信じ込んだ世界を変えてしまうことが怖くて

どれだけイヤな世界でも

変わらない世界の方を安心だと感じて選び続けてしまいます。

不幸を自らずっと選び続けていくことになるんです。

そうしていれば、

ひとりぼっちを感じている自分を

思い知らずにすむからです。

見捨てられないと信じているからです。

不幸を数える繋がり方から幸せを数える繋がり方に

不安を自分で見ることを諦めると、

自分が失くなります。

怒りと恨みを抱えます。

孤独に怯えるようになります。

自分で自分を不幸にします。

逃げても、避けても、抑圧するだけでは

何度も何度も同じことを繰り返してしまいます。

人生がずっと不幸なのは

不幸でいないと人とは繋がれないと

世界を見て信じているのかもしれません。

今でもずっと子どもの視点のままで

世界を見て信じているのかもしれません。

過去の親との関係を今でもなぞったままで

世界を見て信じているのかもしれません。

繰り返し逃げる自分を続けたいのか?

自分の恐怖を乗り越えて進みたいか?

新たに人との繋がりを見つけていくには

今までの繋がり方を自分から変えていかないといけませんよね。

今まで信じてきた過去の自分の愛着心を

新たな今の愛着に築き直していくんです。

その時には

もう誰かのせいにはできません。

自分が自分のために

これから自分と人と世界とどう繋がっていきたいか、

なのだとわたしは思います。

自分の繋がり方をぜひ見つめてみて下さい。

自分の望む繋がり方で繋がっていくことはできますよ。