人との関わりが心地よくないと感じている人が心地よい人間関係を築いていくためには。

人との関わりが心地よくない。

その感覚の中に、

人そのものに触れることを心地よいと感じていないことが多くあります。

人に触れたい。

それって人間の当たり前の欲求です。

でも、その欲求に従って人に触れに行くと自分が傷つく。

過去の人間関係でその経験を持つと、

人は触れたらいけないもの。

人は怖い。

人が嫌い。

人は気持ち悪い。

人は汚い。

という感覚を作り出して自分を守るようになります。

人との関わりが心地よくないのは。。。

そうやって自分のことを守っていくと、

本当は求めているのに人との触れ合いを

身体でも心でも避けていくようになります。

嫌いな人を嫌いと思うこと

触れたくない人に触れないこと

そのことは全く悪いことではないと思います。

けれど

これが全ての人に起こる時に人間関係の問題になりますよね。

誰に対しても人が怖いと感じるのは

今の自分に誰も信用、信頼できる存在が居ないからだと思います。

不安になった時に

この人なら聞いてくれる

この人なら助けてくれる

という安心できる存在が居ないからだと思います。

子どもは不安が強い時ほど言葉だけで安心することはできません。

必ず身体に触れて安心させてくれることを望みます。

それは子どもが相手に触れて確認することが

安心に繋がることを体感しているからだと思います。

それほど人にとって触れたいという欲求は

安心に欠かせないものだとわたしは思っています。

誰かに安心させてほしい。

誰かに触れたい。

という欲求は

誰かわたしに触れて安心させて。

という愛着を求める欲求です。

そして本当は

誰でも良くなんかありません。

触れたい相手こそ、自分に触れてほしい相手です。

この人に触れたい。

この人じゃないと触れられたくない。

その求める気持ちこそが愛着だとわたしは思います。

この安心を求める気持ちが叶わず、

人が怖いままで

人が嫌いなままで

人が気持ち悪いままで

誰かひとりだけを特別に愛していこうとすると

その特別な人のことだけを愛すれば愛するほど

世間や周りの人のことを大っ嫌いになっていきます。

自分の心が過去の

寂しいままだからです。

怒ったままだからです。

求めているままだからです。

寂しいのは

自分と相手を確認できていないからなんです。

そして

触れて安心させてほしい欲求を抑え込んで諦めていても、

自分をひとりぼっちにされたことに本当はとても怒っているんです。

心地よい人間関係を築いていくために

怒りながらもその叶えてくれない相手に

依存することでしか生きていけなかった子ども時代を

受け入れることがとてつもなくツラいのだと思います。

ひとりで居ることはいつも当たり前だったから

今さら寂しいなんて思わない。

ひとりでいる方が安心。

そう思っている人こそ、自分の中にある

触れたい。

触れてほしい。

という欲求をとてつもなく抑え込んで生きてきた可能性があります。

触れてほしいけど触れてくれない。

安心したいけど安心させてくれない。

愛してほしいけど愛してくれない。

その事実に耐えられなかったのだと思います。

求めている相手を諦めて

求めることは無駄なのだと

求める人を嫌いになりながら

求める気持ちを諦めきれない。

だから自分の欲求を否定して

自分のことを否定して

怒りながらも諦めて人に依存しないと生きていけなくなってしまいます。

人が怖い。

人が嫌い。

人が気持ち悪い。

そう思うことで

人と深く付き合うことをせず、

自分の

触れたい。

触れてほしい。

安心したい。

安心させてほしい。

という欲求が出てこないように凍結させているんです。

自分を諦めてるいるうちは親を諦めずに生きていけます。

それでも、この生き方は必ずあなたの人生の毒になります。

自分から

人に頼ったり

助けてもらったり

リラックスしたり

緩めることができなくなります。

安心しないことで

自分を守るようになっていきます。

自分の根底にある

自分が本当に恐れているもの。

それが今の自分を苦しめているんです。

安心することへの怖さを解決することや

人に触れることの安心を体感することで

今の自分が選んでいるものも改善へと向かいますよ。