これまでも、グリーフの傷がある時、アイデンティティクライシスが起こった時には、その自分に共感して寄り添ってくれる人の存在が必要であることを伝えてき他のですが、でもその反面、人に自分の苦しみを話す、つらい気持ちを人に頼る、自分の痛みを分かってもらう、そういったことに抵抗があるという方もおられますよね。
人の存在が必要だとは頭では分かるけれど、いざ行動しようとすると躊躇したり、怖くなったりして、結局は人に助けを求めることができない。
人を信じることができない。
それには、理由があります。
なぜ信じる気持ちを失ってしまったのか?
大事な存在を失ったり、自分で自分を見失ったりすると、その傷や痛みの衝撃から自分のことを守ろうとして、起こった事実を認めなかったり、大きく混乱したり、苛立ちを感じたり、悲観に暮れたり、誰でもが自分ひとりでは自分をコントロールできないような不安定な状態になりやすくなります。
その時に、自分から人に助けを求めることができるかどうかは、あなたの傷を癒していく過程に大きく関わってきます。
どれだけ人の存在が必要であったとしても、あなたの中に人に助けを求めることが怖いという気持ちが強くあったり、人は信用できないという思いが深かったりすると、抱えている傷や痛みをずっとひとりで耐えていかないといけなくなります。
しかし、グリーフの傷やアイデンティティクライシスの痛みは、そのように今までずっと自分だけで傷や痛みを抱えてきた人にこそ、時間の経過と共に深刻なダメージを与えていきます。
それほどまでに深刻な状況になっているにも関わらず、どうして人に助けを求めることができないのか?
そこには、あなたの過ごしてきた幼少期に答えがあることが多いんです。
あなたが幼少期に、愛着という心の基盤を失っている。
それが大人になった今でも、あなたの人を信じる心を失わせ、人との繋がりを拒否してしまう原因になっていることがあります。
愛着を失うとどうなるのか?
愛着とは、先ほどもお伝えしたように、大事な人との関係性の中で育まれる
人を愛するチカラであり、人から愛されるチカラ
人を信じるチカラであり、人から信頼されるチカラ
だとわたしは思っています。
幼少期に自分の想いを受け止めてもらえず、相手(主に親)からの想いを受け入れ続けてきた人は心の安心の場所である愛着の形成を失っています。
自分のことは自分で守るしかないということを、体感と経験から学んでいるので、自分に対しても自分は大事にされない人間だと自己否定し、人に対しても誰も自分のことを大事にしてくれないと不信感を持っています。
人と人との繋がりなどはそもそも存在しないのだとを否定して、あたたかな関わりを信じないことで、自分で自分のことを傷つかないように必死に守りながら生きてきています。
心の中に堤防や防壁のような防波堤を作り上げていくことが、自分を守ることになっているからです。
なので、いざ自分に対して寄り添ってくれる人や与えてくれる人が現れたとしても、今まで歯を食いしばって築いてきた心の防波堤が壊されてしてしまうような気持ちになって怖くてたまらなくなります。
人からのあたたかい想いや寄り添いの気持ちや愛情。
それが自分の心の防波堤を決壊させられていくような、自分で自分がコントロールができなくなるような、自分の制御できない気持ちに不安と怖さが強くなってしまうので、自分を守るために相手を拒絶してしまいます。
心に防波堤が築かれていない状態が、怖くて仕方がないからです。
たとえもう一方の自分が助けを求めていたとしても、人の脳は生きることを優先するため、自分自身に信じる気持ちを育んでいくことを、不安や恐怖心から危険だと判断して切り捨てようとします。
なので、人を信じたいと思っても、助けてほしいと思っても、人のチカラが必要だと感じても、結果的にそれは良くないことだと避けてしまうんです。
もう一度だけ信じてみること
人からのチカラを避けると、何でもひとりでやることが当たり前になっていきます。
なので、不安な時も、怖い時も、困った時も、悲しい時も、寂しい時も、腹が立った時も、どうしていいか分からない時も、ずっと自分だけで自分のことを守ってきたのだと思います。
人との関わりを避けるのは、ずっとひとりで耐えてきたから。
人との繋がりを拒否するのは、ずっとひとりで泣いてきたから。
関わりや繋がりとは、自分の感情と相手の感情との交流です。
そもそも自分の中にあったり、人との間で湧いてきたり、溢れてきたものをやり取りすることは、人と繋がりたいという人間としての自然な欲求です。
その当たり前の欲求を、危険なものだと受け入れないことで自分を守るしかなかったのは、それほどまでにあなたがずっと孤独を感じて生きてきたからなのだと思います。
信じてしまったら、裏切られ傷ついてしまう。
求めてしまったら、失った時に耐えられない。
受け入れてしまったら、自分を守れなくなる。
この防波堤で、あなたは自分の孤独を守ってはいないでしょうか。
わたしは思うのですが、
そもそも、人は孤独な存在です。
最終的に、自分という存在の個を実感して体感できるのは自分だけだと思います。
自分が孤独な存在であることを分かっているから、人は人を求め、人とのぬくもりを感じたいのではないかと思います。
欲求も、ぬくもりも、愛情も、個という存在同士が交流するから感じられるのではないかと思うんです。
孤独であることは自分という人間の個を大事にすることです。
孤独である自分を持たなければ、ただただ人のために自分という人間を存在させ、自分を崩壊させていきます。
けれど、人は傷ついた時に孤独のままでいると、自分だけが世界から弾かれて、断絶され取り残されたように感じてしまいます。
だからこそ、
ひとりは怖い。
ひとりは寂しい。
ひとりではできない。
その自分の孤独を受け入れることで、
人と繋がることに安心できるのだと思います。
孤独を人と分かち合うことができるのだと思います。
自分で自分を守るということは、
自分ひとりではできないことを自分で受け入れ
自分の弱く脆いところをひとりで抱え込まずに
誰かと本音の気持ちで繋がりにいくことだとわたしは思います。
そこに不安や怖さを感じているのなら、あなたの今の傷と共に、ずっとひとりで耐えて頑張ってきたことへの傷にも、向き合う時なのだと思います。
自分のチカラと人のチカラ、その両輪であなたの傷は回復を始めます。
人のチカラが必要な時なのに、人からのチカラを拒否してしまう、受け入れられない、その不安を感じているのなら、あなたと共にその不安を見ていく場所がここにもあることを知ってもらえると嬉しいです。
どうぞ安心してご相談くださいね。