大事な存在を失ってから、絶望感でいっぱいになり、何もやる気が起きない。そうやって以前の自分からは考えられないくらい、自分では何もできなくなったと感じる方は多くいます。
喪失体験をして絶望すると、人と関わる機会が自然と減ったり、自ら断絶したりして、どうにも受け入れられなかったり、整理できなかったりして自分の人生や在り方に悩む人は多いですよね。
戻りたいのに戻れない
やる気が起きない絶望状態が続いてしまう原因として、何もやる気が起きない自分を人に打ち明けられずに、人から遠ざかることでより孤立感を感じてしまう、ということがあります。
悩んでいる最中は、人から遠ざかっている分だけ、今までよりも自分の中だけでもがきながら歩き回っていることがよく起こるからです。
自己完結できればまだラクにもなれるけれど、答えがない世界でいきなり闇の中に放り出されたように感じやすくなるので、以前の生活や人生に戻ることをひたすら願い望み続けることで自分の世界が止まってしまうんです。
自分の今のこのペースで、自分の望むように現実を戻してくれ。
望むことは失った存在が戻ることで、自分の人生に失った存在を取り戻すこと。
でも、それが絶対に叶わない世界に絶望しています。
何もやる気が起きない。
心も身体も動かない。
自暴自棄とも言えるようなその状態になることは、あなたが悪いわけではありません。
その絶望は、あなたにそれほどまでに愛する存在があった。ということだとわたしは思います。
失ったというあまりの出来事に圧倒され、絶望して大きく深く空いてしまった心の穴をどうすることもできずに、立ちすくんで見つめることは当然のことだと思います。
その自分の状態を、あなた自身が受け入れているのであれば、ある意味でそれは大きな絶望感を伴うまでのことにはならないかもしれません。
けれどこの時に、大抵の人はその自分の状態さえも否定し、拒絶し、責めてしまうという自己否定をしていまいます。
自分が自分でいられなくなる
もれなくわたしもその状態でした。
この苦しみ、悲しみ、つらさを経験した人とだけ交流しながら生きていけたらどれだけラクだろうと思っていました。
また、死別などの喪失体験でのグリーフを抱えていると、思いの外に周りの人との関わりで、相手がよかれと思ってやってくれている
外出へと誘ってくれる。
話を聞くと時間を作ってくれる。
以前の自分が好きなことやものを贈ってくれる。
という優しさの行為を受け取ることができずに、
気持ちを分かり合えない絶望感
自分と相手との違いを感じる劣等感
世界に自分だけが取り残された孤独感
を募らせてしまうという話はよく伺います。
これらを感じてしまう自分に対しても嫌悪感かが出てきて、自分が壊れてしまったかのように感じてしまうことは不思議なことではありません。
壊れた自分をもうひとりの自分が見つめて、どうすることもできずにただ佇んでいる。そういう絶望感を経験した方も多いと思います。
大事な存在を失う、とは自分が自分で居られなくなる体験だとわたしは思います。
断絶された世界に生きているのですから、当然ながら孤立感も大きくなっていきます。
ひとりで居たいのに、ひとりで居ることが怖くてたまらなくなってしまうんです。
そういう時に、すぐに誰かの助けを求めることが難しいという声もよく聞きます。
わたしは、こういう時だからこそ、あなたと別のペースで歩いている人が必要だと思っています。
あまりに落ち込みが深い時に、全く別の世界で違うペースで歩いている人からは共感が得られにくいので、余計に孤立感や孤独感を強く感じてしまいます。
例えばですが、公園を散歩したいと思っている人が、オリンピックのマラソンランナーを目指している人からのアドバイスをもらっても、実行することは難しいと思います。
参考にならないばかりか、それをできない自分を責めてしまうことや、余計に傷ついてしまうことが起こりやすくなります。
ここで大事なことが自己受容なんです。
絶望に必要なのは自己受容
受容と言っても、オリンピックを目指すマラソンランナーばかりと出会って分かり合えないからという理由で、世の中なんてどうせこんなものだからもう何も期待しないで生きていこう、自分という人間を閉じて生きていこうと諦めてしまうことが受容ではないんです。
散歩をしたいと思っているあなた自身が公園に行ったり、もしくは公園で散歩をしている人を探して、散歩をしている人たちとの交流をすることです。
そして、相手の信念を聞き、その価値観に触れ、自分のそれとは違うのだとそのまま受け入れ、自分の固執していた信念が全てではなかったのだと諦めることが受容なのだと思います。
散歩をしたいのに、野球をしている人の話を聞いても、当然タメにならないし、心に響きませんよね。
世界というものを一括りにし過ぎていると、自分と自分以外という対立構造が生まれることがあります。
断絶したい世界があることが悪いのではありません。
その自分が居ることを、自分が否定してしまうと心がどんどん悲鳴をあげていきます。
無理に諦めても、心はずっと求めることをやめられません。
許してないのに、諦めることはできません。
許さないのに、受容することはできません。
今のあなたに必要なことは、
自分が認めていないことを受け入れること。
自分が許していないことを受け入れること。
自分が受け入れていないことを受け入れること。
だと思います。
受け入れられない世界が存在しているという事実を、諦めることが必要な時もあるとわたしは思います。
自分の身に起こった、受け入れたくない現実。
そこを受け入れていくことが痛くてたまらないから、人は世界から自分を切り離すことで自分を守ろうとします。
受容は自分だけでできるかと言うと、わたしは自分の経験からもとても難しいことだと思っています。
人が人を求めるのは当たり前の欲求であることは以前もお話したのですが、その当然の欲求を
抑え込んでまでも受け入れたくない現実が、今のあなたにはあるのではないでしょうか。
人に話したところで何も解決しない。
人に聞いてもらっても現実は何も変わらない。
それは事実です。
それでも、人と共につらくてたまらない事実を受け入れていくことは、現実を変えることはできなくても、その現実の解釈や繋がりや絆は変わっていくことをわたしは知っています。
もしも今のあなたが、何もやる気が起きず、自己否定を繰り返しているなら。
大事な存在を失った経験を持つという、共通項の中で、自分の中でずっと繰り返し回っている闇の中を、心に寄り添ってくれる人、あなたの経験を特別なものだと理解してくれる人、共に感じようとしてくれる人を探すことを始めてみてほしいと思います。
絶望しているあなたの世界で、共感されながら、諦めながら、起こった事実とあなた自身を受け入れていくことがひとりでは難しいと感じたら、いつでもグリーフケアをご利用ください。
どうぞ、安心してご相談くださいね。