人生は喪失と共にあるとよく言われます。
とは言え、喪失があなたの人生に大きな影響を与えることは確かです。
その衝撃の深さに、その場から動けなくなり自分の時間も止めたくなることもあるかもしれません。
自分を止めたくなるほどの喪失
大事な存在を失うという喪失体験は、死別だけでなくあなたの心の反応です。
健康や仕事や想いや信念など、その喪失から受ける心の悲嘆反応は人だけが対象ではありません。
生きているわたしたちにとって、未来というものや時間も今という瞬間も、段々と減っていったり、もう戻らなかったりすることを見ても、生きていくことそのものは失うことと共にあるのが分かります。
それでも、共にあることを拒否したくなるほどの喪失が起こった時、世界に順応できなくなり、自分を止めたくなることはあると思います。
止まったままであることがダメなことなのではありません。
まだ立ち直れていないと自分を責める必要もありません。
それでもその止まったままの自分と共にあるためには、あなたの心の傷をそのままにはできないんです。
大事な存在を失ってから、そのまま自分の人生がずっと止まっている。
それは大事な存在を失ったことで、あなたの過去の心の傷に触れてしまったからかもしれません。
喪失体験をキッカケに、自分の過去に何か傷があるかもしれないとはっきりと感じる人もいれば、自分の過去を思い返しても何も気持ちが動かずに傷を当たり前だと感じている人もいます。
人から見れば過酷だとしても、本人の中での過去は振り返ったり心温まるものではない、何も感じることのない無の時間だったりもするんです。
前者は与えられたことがあり、自分がもらったと感じた愛情を失うこと。
後者はそもそも初めから与えられず、愛情が存在していなかったと感じること。
前者は喪失を体感しやすく、後者は喪失を体感することが難しいと感じます。
同じであることは、どちらにとっても愛情の喪失体験であるということです。
こうして見ると、前者の方が止まったままの状態になることが多いように感じるかもしれませんが、実は後者の方が止まったままの状態になりやすいとわたしは感じています。
もらえなかったものを求める気持ち
なぜ幼少期に愛情をもらっていないと感じていると、ひとつの喪失から人生が止まってしまうのか。
それは、「自分はもらっていない」と求める気持ちが強く出るからです。
自分には与えられていない。欲しい。という欲求がずっと人生の根源にあります。
本来、幼少期に愛情を与えられ、満たされることでその欲求は落ち着いていくものなのですが、満たされなければ満足することも経験できません。
だからずっと「欲しい」という欲求が落ち着くことができないんです。
人生で、自分が与えられなかった愛情、持っていない安心感、それをずっと「自分にもあるはずだ。」「自分にもいつかもらえるはずだ。」と探し続けていると、喪失が起こった時に、失ったことが自分自身が足りていないことの証拠のように感じてしまい、求めることをやめられない状態になっていきます。
自分の人生の時間を止めているのは、今のあなたが自分への愛情が届いていないと感じている心の合図でもあると思います。
過去の心の傷が、過去への執着になっているのかもしれません。
失った存在やあなたへと向けられた気持ち、そこから発生するあなたの感情、それらは状態としては失ったとしても、あなたの心と身体と共に在り、あなたの一部分として存在し続けます。
なので今の喪失があなたの未来の一部分となるように、過去の幼少期に心に落とした傷あとも、今のあなたの一部分としても存在しているんです。
今のあなたに、幼少期の心の傷あとが心に刻まれたままであったなら、これからも人生で起こる喪失の度に、心が過去に反応して人生を止めようとしてしまいます。
過去への「自分はもらっていない。足りない。」という執着が、あなたが今を生きていくことを止めて過去に戻そうとするからです。
喪失と共にあるために
繰り返しますが、人生は喪失と共にあるものです。
つらく苦しい別れや喪失が、今までのあなたの生き方や過去の心の傷、自分や人との繋がり方や思い込みの信念に気がつくキッカケをくれることは多くあります。
喪失で止まったままになっている自分を、頑張って立ち直らせることが回復ではないとわたしは思います。
喪失の痛みから自分の過去に作られた思い込みに気がつくことが、あなたがこの喪失と向き合うために必要なことです。
そして、喪失と向き合うことが喪失と共にあることでもあると感じています。
喪失と共にあること。
それは、
喪失で感じた気持ちや想いと共にあること。
喪失した存在と共にあること。
喪失した過去の自分と共にあること。
喪失対象と共に、今の自分と過去の自分と共に、生きていくことなのではないかと思います。
それには、自分が持っていないもの、自分に与えられなかったもの、その過去への執着に対して「ないものはないのだ。」「過去にもらえなかったことは事実なのだ。」と自分自身が受け入れることはアイデンティティクライシスからの回復でもあるとわたしは思っています。
あなたがこの喪失と共にあるために、このブログが少しでも心に届くと幸いです。
そして、もしもひとりで自分の喪失と共にあることが難しいと感じた場合は、こちらのグリーフケアを検討していただければと思います。
どうぞ、安心してご相談くださいね。