喪失体験の事実に向き合っていく時に、
こんなはずはない。
これがウソであってほしい。
という気持ちを抱えることは当たり前の気持ちです。
起こってほしくなかった。そのような絶対的に望まない出来事なら尚更だと思います。
極論に行きがちな思考のクセは
自分ひとりで受け入れていくにはあまりにもつらすぎるので、人のチカラを借りながら今の事実を受け取っていく。
そうやって人は自分や人を受け入れながら、喪失体験というつらい出来事も受け入れていくことができます。
その、人のチカラを借りる時に「落ち込む自分が許せない」という方や、
立ち直っていく自分を「どうしても受け取れない」という方がおられます。
事実としては分かっていても、自分の人生観や価値観とあまりにも違うこの現実を「認めることができない」という状態です。
特に
こうなるなんて間違っている。
こんなことが起こる方がおかしい。
と事実を全面拒否したり、
何をやってもどうせこうなる。
いつも同じだから自分が耐えればいいだけ。
と無抵抗で全て受け入れたり、
そのように物事が善悪でクッキリと世界が分かれてしまうことを二分化思考と言うのですが、この極端な思考のクセはあなたをどんどん追い詰めます。
この0か100かという二分化思考は、頭では色々な結果や可能性があるのだと分かっていても、どうしてもどちらかに決めたくなります。
そうしないと自分が落ち着きません。
なので喪失体験後にも、
失うくらいならもう何も要らない。
絶対に無くならない保証がほしい。
というような
自分を失くすか。
周りを無くすか。
という生きるか死ぬか。の極論に行きがちになります。
喪失体験をした自分をイチブとして見れないので、マイナスの出来事や感情を自分のゼンブとして感じやすいからです。
これはあなたの心の傷の悲しみや苦しさや痛みから来ているだけではなく、そこにあなたの幼少期の発達段階の躓きが隠れていることがあります。
喪失体験をしてグリーフの状態にあるのに、この二分化思考をずっと持っていると
まだ気持ちは浸りたいのに、前に進むべきだと無理に忘れようとしたり、
事実を受け入れられないのに、悲しまないといけないと悲しめない自分を責めたり、
人の助けが欲しいのに、自分がしっかりしなくてはと自分を削って奮い立たせたり、
頭で考えることと気持ちが一致せず、
自分でさえ自分がどうしたいのか分からない
という状態になり、あなたをより一層混乱させて疲弊させていきます。
そして周りに対してもこうあるべき!と押し付けやすくなり、
孤独感を感じているのにより孤立してしまうということも起こりやすくなります。
そのあなたを苦しめる思考のクセが幼少期から来ているとしたらどうでしょうか?
心の安全な成長とは
そもそも子どもの心の発達段階は、
委ねる
↓
取り込む
↓
放出する
という段階で進みます。
この「取り込む」時期に
自分にとって良いものを取り入れることができたか。
それとも、
良くないと感じるものを取り入れざるを得なかったか。
これで子どもの心の成長は大きく変わってきます。
この取り込む時期は1歳から2歳にかけての時期で、相手に与えることはできず、取り入れたものを自分の中で味わう時でもあります。
とてもこだわりが強くひとつのことに固執してしまう。
周りからの言葉に全く耳を貸さずに自分でやる。
食事や排泄などで子どもvs親となる時には、ここの段階での躓きをそのままにしているから起こっていることがあります。
大人になっても善悪、白黒、有無というような二分化思考になりやすかったり、自分に対する自己否定を持ちながらも隠していたり、そのように常にどちらか一方しか取り入れないという極端な選択肢をしがちになります。
そうすると、こうあるべきという自分を作り出してしまいその極端な思考のクセで、
喪失体験で抱える
悲しいけど腹が立つ。
無気力だけど行動的。
楽しむと罪悪感が出る。
というような複雑な本音を切り捨ててしまい、
どちらかの自分でないと自分を受け入れられず、その反対の自分は切り捨てようとするので、自己否定が広がってしまいます。
この取り入れる時期の躓きが起こったままだと、今の喪失体験での苦しみに生きづらさも加わって、あなたの人生が自分の本当の気持ちをずっと否定しながら自分を諦めて生きていく人生になりやすくなってしまいます。
わたし個人の話をしますと、幼少期の洋服は従兄弟たちからもらったものがほとんどでした。
わたしはひとりっ子なのですが、子どもの服は何を着ても同じという母親の感覚があったのか男女ものを問わず、わたしの着る服はもらいものの服だったんです。
これが着たいと思う服は買ってもらうことは叶わなかったし、もらった服の中でもどうしてもこの服は着たくないというものもありました。
それでも
この服を着て。これしかない。
この服を着ないなんて悲しい。
という自分のイヤを母親に認めて受け入れてもらえないという経験から、服に関しては、
取り入れたいものを拒否される。
イヤなものの取り入れを強要される。
という幼少期の思い込みを抱きました。
なので
この服を着たいと思ったものを諦めることが当然になり、要求をすることもしませんでした。
服での経験として、自分が取り入れたいと思ったものを取り入れて感じて味わう、ということができなかったんですね。
今となってはその反動なのか、自分の着たい服を着る!と合う合わないを度外視する
選択をするようになりました(笑)ええ、極端です。。。
この「自分の感覚や感情を取り入れて味わう」ことはとても大事な経験で、味わうことを堪能することで
部分的な取り入れ
と
部分的な拒否
ができるようになるんです。
極論からの回復
この、部分的な取り入れと部分的な拒否ができることが心の成長には欠かせません。
その過程を経験できていないと、
全てを受け入れるか
全てを拒否するかの
選択肢しか分からないからです。
もしもあなたが極端な二分化思考であったり、周りにもその考えを強要するなら、この取り入れる時期の躓きがまだ解決できていない可能性があります。
まずは頼れる人という存在と共に、あなたが取り入れたいものを取り入れて味わうこと。
そして、取り入れたくないものを拒否するという体感をすること。
その経験をしながら、幼少期の思い込みの取り入れをあなた自身が選別すること。
ここからあなたの取り入れる時期を改めて自分に与えてあげることで、あなたはあなた自身の
自分の本当に感じている気持ち。
相手や周りがあなたに向けている想い。
を受け取り、取り入れたり拒否したりしていくことができるようになります。
この世界は、良いもの、悪いものは人によってそれぞれ違います。
そして、絶対的なものも存在しません。
どうしてもこの二分化思考で良し悪しや善悪を決めないと気が済まないのは、幼少期にあなた自身が自分の取り入れたものに対しての味わう余裕を持てていなかった可能性があります。
イヤなものを取り入れた経験。
取り入れたいものが叶わなかった経験。
これらを経験したことが悪かったのではありません。
自分にとってのマイナスの経験をすることは、人生では避けられません。
大事なのは、マイナスの経験をしたその後なんです。
子どもの心が健全に育っていくために必要なのは、マイナスの経験をしないことではなく、その経験をトータルで見た時にプラスの感情でを終えられることだとわたしは思います。
大人の心の回復にも同じことが必要です。
その経験での感情がマイナスで終わっているから、極端な思考に繋がりやすくなります。
あなたのマイナスの感情の経験も、人生においてトータルでプラスの感情に変えていくと得られなかった欲求に対して執着が少なくなります。
人生のイチブでマイナスが起こったとしても、そのマイナスはあなたのゼンブではありません。
もしあなたの中で、マイナスの気持ちのままイチブが止まっているとしたら、あなたの全体にも目を向けていけると、自分のことが客観的に見られるようになり、気持ちを味わう余裕が生まれます。
グリーフの状態にある時に、あなたが自分自身を感じて味わっていくことはあなたの心の傷を段々と癒していきます。
その経験が今まで持ててこなかったことはとても残念なことかもしれませんが、今からでも何度でも人は自分を築き直せます。
そして、自分や喪失対象、周りの人や世界とも繋がり直す事もできます。
あなたが自分を味わい、関係性の繋がり直しをあなたのままで紡いでいけるように、もし、ひとりでは難しいと感じた時にはいつでもグリーフケアをご利用ください。
安心してご相談くださいね。