人にとって、愛することも愛されることもとても大切な経験です。
そのどちらも経験できる相手と出会い、関係性を深めていくことはたくさんの相手とできることではないので、よりその人をかけがえのない存在だと感じます。
だからこそ、かけがえのない人を失うその苦しみは、本人にしか分からない壮絶な痛みとなります。
今回は、愛する人との別れを経験したあなたに見つめてほしいことについて書いていきます。
愛する人を失った悲しみの根源とは
愛する人を失った悲しみを語られる中で、
過ごした時間はもう戻らず、これからを築くこともできない。
それでも、あの人が居てくれたその事実は忘れたくない。
なのに、優しい思い出を思い出すとつらくなってしまう。
そのように話される方は多いです。
関係性を互いに深め理解しあっていくことができないので、自分ひとりでふたりの関係性を見つめていくしかない事実がこれからずっと続くことが耐えられないと感じる。
離別や死別をキッカケに心の居場所をも失って、生きていくことはこんなにも大変だったのかと毎朝起きる度にあの人だけが居ないことを実感する。
どの悲しみもつらさも苦しみも痛みも、それはあなたの愛情から来ているとわたしは思います。
それほどあなた自身に
わたしは愛されている。
わたしは必要とされている。
わたしはひとりじゃない。
わたしは守られている。
わたしは大事にされている。
と感じさせてくれた人だったのではないかと思います。
だからその相手を失ってしまうと、
もうわたしを愛してくれる人はいない。
もうわたしを必要としてくれる人はいない。
もうわたしはひとりぼっちになってしまった。
もうわたしを守ってくれる人はいない。
もうわたしを大事にしてくれる人はいない。
そのような失望感や無力感、絶望感や寂しさを感じてしまうのは当然です。
けれど、もしも。
あなたがずっと失ったあの人のことだけのことだけしか考えられない毎日を何とかしたいと思い始めていたり、悲しみやつらさの思い出だけではなく、優しかったり温かかった思い出が存在したことも覚えていたいという気持ちがあるのに、その気持ちを持て余してしまう日々を過ごしているなら。
まずはあなたのそのままの気持ちを、あるがままの本音をじっくりと誰かと共有してください。
自分にはその気持ちや本音があることを誰かと一緒に分かち合うことで、そのありのままの気持ちを自分が受け入れていくことができるようになるからです。
その自己受容の過程の中で、多くの自分の中のネガティブな気持ちと出会うとあなたの自分への自己評価が下がり、あなた自身の良さが失われてしまうことがあります。
その時こそ、失った相手だけではなく、あなたの過去の傷も見つめる時なのではないかと思います。
それは欲求か執着か
あなたの過去の傷とは何だと思いますか?
かけがえのない人を失うという喪失体験という状況や事実を今の傷とするなら、その状況や事実に対してあなた自身が自分に抱く感情や、周りの人や世界からそのように思われているに違いないという認識が過去の傷です。
今の状況から今の気持ちが起こっていると思われるかもしれませんが、人の感情や認識というのは今までの経験や過去の思い込みから作られてきていることも多くあります。

自分がある状況の時にどのように考えたり振るまったりしやすいのか、という自分のパターンは幼少期のあなたが、養育者から
どのように思われてきたか
どのように言われてきたか
どのように扱われてきたか
に大きく影響を受けているからです。
過去のあなたが自分という人間の像を築き上げていく時に養育者の影響を大きく受け、その思い込みに対して自分の本音や傷つきを抑えて閉じ込めたままにしていると、あなた本来の姿を見失ったまま生きていくことになります。
そうするとさらに、
わたしは自分で自分のことをどうにもできない。と信じ込んでしまい、誰かに助けてもらわないと人生が成り立たないようにさえ感じてしまいます。
誰かに助けてもらい、支えてもらい、守ってもらうことでしか生きることが叶わないのであれば、相手にとって何か有益な自分になることでその自分の願いを成立させようと戦略を立てます。
これを生存戦略と言って、子どもがこうすれば生きていける、と自分が生き残るために見つける生き方の計画のようなものです。
そしてこの戦略の中には、あなたが抑えてきた本音や欲求が入っています。
本音や欲求を抑えて、ありのままではない自分で生きていけば生き残ることができると学んできたからです。
その思い込みのつらさや苦しみという生きづらさから救ってくれたのが、失ったかけがえのない存在であるあの人ではなかったでしょうか?
叶わない本音や欲求は、
わたしはもらっていない。
わたしの中に存在しない。
わたしには、ない。
という大きな自己否定となり、あなたの心が消化できるまでずっと残り続けます。
あなたは本当はずっと不安な思いで生きてきませんでしたか?
あなたは常に怖さを抱えたまま何とか生き続けていませんか?
その不安や怖さは、あなたの中で消化できないままの
相手から愛されているか確認したい。
相手に必要とされていると感じたい。
相手が一緒にいる安心を継続したい。
という抑圧されたままの幼少期からの切なる本音や欲求です。
それは今となってはもう要望や欲求を超えて、未練や執着となっているかもしれません。
ないままの自分
幼少期のあなたは素直に
あなたが居てくれて本当によかった。
あなたが居てくれたから助かった。
あなたが居てくれたおかげで頑張れた。
ただただそうやって
お母さんに愛してほしかった。
お母さんに守ってほしかった。
お母さんに求めてほしかった。
という思いで頑張ったことがたくさんあったのではないかと思います。
本音や欲求を抑えながら、諦めながらも、本当は叶えてもらいたいと求めていたのではないでしょうか。
無いからほしい。
もらっていないから求める。
それを繰り返していたのではないでしようか。
それは叶うことのない切なる願いだったからこそ、あなたは今でもその思いを消化できずに抱えたまま抑えてきたのだと思います。
そうやって頑張って生きてきたのだと思います。
それはとても苦しい戦略だったはずだし、苦しみながらも求めずにはいられなかったのだろうと思うんです。
けれど、それを消化してくれるはずの相手がもう居ないから、また抑えるしかないのかと言うと、それは違います。
抑えて求め続けることの苦しさを、あなたはもう充分すぎるほどに感じてきたはずだからです。
あなたが自分のためにできることは、
そもそも自分には無いのだということを認めて受け入れること。だとわたしは思います。

もともと自分が持っていないもの。与えられていないもの。
持っていたけれど失ったもの。一度は与えられて無くしたもの。
それはどちらも大きな喪失です。
自分がそもそも持っていないもの。
一度は持っていたけど失ったもの。
それらに対して、
「自分には無い。」「自分は持っていない。」と認めて受け入れる。
持っていない自分を認めて受け入れることは、自分がみじめに感じたり、劣っているようにも思えて、目を逸らしたくなるものです。
だからと言って「持っていない自分」、「ない自分」を受け入れられないと、ずっと求め続けて執着してしまいます。
それでも、もう欲しくない。自分には必要ない。と抑えたり、別の何かで埋めようとしてもあなたの心には反対に強く残ってしまうことを、あなたはもう知っています。
自分には、ない。
それはあなたにとって悲しい事実かもしれません。
けれど無いものを求め続けるからこそ、人は自分で苦しみを作り出していきます。
自分には、無い。
無いものを無いと認めるには、あなたの幼少期の自分の状況、それをどう感じてきたのか、その自分をどう思われていると信じてきたのか、それを紐解き、今のあなたが捨取選択をしていくことです。
そうやってあなたの心の整理整頓をしていく中で
自分にないもの。
自分にあるもの。
を見つめていくことができるようになります。
ないままのありのままの自分。
あなたがその自分を迎えに行きましょう。
ひとりでは難しいと感じる場合、こちらで話をしながらあなたの心の整理整頓をお手伝いさせて頂きます。
安心してご相談くださいね。