ゆるすということ。

大きな喪失体験をした人にとって、「ゆるす」ということは生きていく上での障害や壁、人生での課題やテーマになることがあります。

ゆるすことが大事とはよく言われますが、大事な存在を失った人にとって、一体何をゆるせばいいのでしょうか?

ゆるせない思い

特に喪失体験をすると、「ゆるせない」という気持ちが強く出ることがあります。

例えば、愛する人が亡くなった。

そこにも、

もっと、こうしておけばよかった。

愛する人の異変に気づけなかった。

あの時、あんなことを言わなければよかった。

というように、自分のことをゆるせないと思う場合。

亡くなってからあの人の裏切りが分かった。

生前のあの時の態度にとても傷ついた。

自分より先に亡くなってしまったことへの怒り。

というように、相手のことをゆるせないと思う場合。

不慮の事故や過失。

予測不可能な災害。

いじめや嫌がらせ。

というように、何かや誰かをゆるせないと思う場合。

そのように、喪失体験後にゆるせないという気持ちを抱えることはよく起こることなのです。

亡くなった人や失ったものに対しては「もう取り返しがつかない」ということも分かっているので、納得のいかない気持ちや傷ついた想いを自分の中だけで抱えて処理しなければならず、それに対応できない状態や追い付かない気持ちが「ゆるせない」という思いとなっているのではないでしょうか。

ゆるせないのは、自分が被害者の気持ちが抜けないからだと言われることもあるかもしれません。

言ったところで変わらないのだから、人にぶつけるのは弱いからだと見られてしまうこともあるかもしれません。

たとえそのようなことが起こっても起こらなくても、ゆるせないという気持ちを抱えながらあなたが人生を生きていくことそのものが、とてもつらいことです。

喪失体験そのものに対して、ゆるせないという気持ちを抱えることもありますが、それは自分の運命であったり、神仏に向けての気持ちであったりするので、この場合は喪失体験の事実を受け入れていく過程で、ゆるすという過程も辿っていくことが多いように思います。

では、この自分や相手や誰かをゆるせないと思う気持ちはどうしたらいいのでしょうか。

無理にゆるす必要はない

願わざれども花は咲き、願えども花は散る。

という言葉もあるように、喪失体験そのものをわたし達の力でなかったことにはできません。

自分に起こった出来事や事実を、これは自分に起こったことなのだとひとつひとつ受け入れていくことが大事になります。

けれど、喪失体験を受け入れることができたからゆるすことができるかというと、それは難しいと思います。

まず、ゆるせないあなたに知っていてほしいことは、無理にゆるす必要はないということです。

ゆるさなければ前に進めない、あの人が悲しむ、解放されない、などの思いから、何とかゆるそうと頑張って、努力して、余計に自分を疲弊させてしまうというのはよく伺うお話でもあります。

ゆるせないのではなく、今はゆるさない。

今の自分はゆるさないということを自分が決めていいとわたしは思います。

何かを「ゆるす」ということは、相手や誰かにたとえ裏切られたり傷つけられたことがあっても、あなたがあなたであることの存在意義やあなたそのものの価値を許すことでもあるとわたしは思っています。

相手や誰かから裏切られたり傷つけられたと感じたことで、

自分の人格が尊重されなかった。

自分の存在を大事にされなかった。

自分らしさや自主性を奪われた。

という自分への尊厳の喪失も感じているからです。

ゆるすということは、相手や誰かのためのことのように思われるかもしれませんが、ゆるすことは、あなた自身にも大きく関係しています。

あなたがあなたを自由にするためにするものでもあるとわたしは思っています。

ゆるすということ

先日、「許す」、「赦す」、「恕す」、の違いについて聴いた時に、それぞれの「ゆるす」の意味を知りました。

許すは許可すること。

赦すは責めないこと。

恕すは受け入れること。

大まかですが、わたしはこのように解釈しました。

なのでわたしが思うゆるすということは、誰かや何かに対してではなく

あなたの罪悪感や自責を赦す。

自分の存在意義や価値を許す。

自分のこれからの人生を恕す。

というように、自分自身に対して行うことなのではないかとわたしは思います。

けれどすぐにそう思えるのであれば、ゆるせない気持ちを抱え続けることはないですよね。

簡単にそう思えない気持ちを抱えるからこそ苦しいのも事実です。

その苦しい時ほど、

誰かからあなたのその気持ちをそのまま受け入れてもらい、そこからあなたがあなたの本音を受け入れるという自己受容

自己受容から相手の存在や相手の想いに気がつき、相手に存在する気持ちを相手のものとして受け入れるという他者受容

このどちらも体感することで相互受容が起こっていきます。

これが「ゆるしあう」ということなのではないかとわたしは思います。

ゆるせない、ゆるしたくない、そのあなたの気持ちがあなたを苦しめているなら。

誰かと共に、その奥にあるあなたの本音を見にいくといいと思います。

もちろん、それは誰でもいいワケではありませんよね。

あなたにとって、安心できる、信頼できる誰かであることが大切です。

このような時、家族や友人関係では近すぎるあまりに聴くことが困難になったり、想いが溢れるばかりに怒りが出ることがあります。

だからこそ、このような時ほどあなたの日常生活において利害関係の起きない相手を選ぶことも必要になります。

かと言って、自分ひとりでどうにかすることにも限度があります。

なので、グリーフケアをあなたのその誰かの選択肢のひとつにしてもらえればと思っています。

どうぞ安心してご相談くださいね。