別れを引きずるあなたへ。

別れに対する感情は、相手や対象との関係性で変わりますが、大事な存在との別れであった場合、どれだけ相手にとって喜ばしい別れであっても寂しいものは寂しい。

それって当然のことだと思います。

そしてその別れを、すぐに受け止められる人となかなか受け止められない人、それぞれあると思います。

別れを引きずっているのは

ワタクシのお散歩に大きく楽しみをくれていたネコ殿。

地域猫さんなのですがまあ、かわゆいのです♡

散歩に行くとネコ殿が居て、普段のツンの時とナデの時のデレのジーエーピーが(はい、ギャップですね)たまらなかったワケです。

が、ネコ殿はこの度お家のネコさんになることになったそうで、公園は卒業なさるとのこと。

ネコ殿にとって大変喜ばしい出来事なのですが、ネコ殿に会えなくなわたしの心境としてはとても寂しい次第です。。。泣

Screenshot

(デレ時のネコ殿。かわゆすぎです。。。♡)

喪失経験をして周りの理解が得られないと感じる方は多いですが、すぐに立ち直って前を向けることを立派なことだとしたり、ずっと失った存在を思い出していることは後ろ向きであると見られたりします。

失った存在が自分の心でずっと薄まらない。

それは良い意味では愛情深くもあり、周りから心配される意味では別れを引きずるということでもあります。

その心配されてしまう意味合いを強く受け取ってしまい、喪失体験後に別れを引きずってしまう自分を情けなく感じたり、何とかしたいと感じている方は多いものです。

だから忘れるために、新しい何かを見つけようとしたり、なるべく思い出さないように思い入れのある場所や出来事を避けたり、思いのままにずっと泣き続けてみたり。

色々と自分ではチャレンジしてみても、全く自分の心の景色は変わらないまま。

何なら、もっと寂しさや悲しさや怒りが増している気さえしてしまう。

そんな毎日に嫌気がさしたり、絶望しまったり、不安が続いていたりと、悩んでいるのに周りにも言えなくなっていく状態に心を痛めている、という方の話もよく伺います。

ではなぜ、別れを引きずってしまうのでしょうか。

執着と愛情

わたしは、自分をなかなか別れを受け止められずに別れを引きずるタイプだなあとそう思っているのですが、それはまさにわたしそのものでもあり、周りからは心配されたり、早く気持ちを切り替えられるよう説得されることもよくありました。

そんなネコ殿との別れを何度も寂しがる引きずりなわたしに、

「また散歩の時に公園で新しくお気に入りの猫を探してみたら?」とそう声をかけてくれる人もいます。

確かに、公園の他のネコたちのかわいさに触れたり、生命力に元気づけられたり、と新たなネコとの出会いが、寂しさから活力へとわたしの心を変えてくれることもあるかもしれません。

けれどわたしは猫が特別に好きなのではないんです。

「ネコ殿だから好き」だったワケです。

ネコ殿が猫だから好きになったのではなく、ネコ殿がネコ殿であったから好きになったんです。

これはわたしの性質なのかもしれませんが、子どもを失った時も言葉は違えど同じように言われたことがありました。

次の子が生まれれば今の傷も少しずつ癒えていく。

忙しく子育てしているうちに痛みも和らいでいく。

そのように心配して声をかけてくれる人もいました。

これは失恋の傷には次の恋理論ではないですが、それがダメだとは思いませんし、そのおかげで自分を取り戻した人もいるのだろうと思います。

ただ、わたしのように引きずるタイプの人は次の出会いがこの出会いを薄めてしまうようなそんな気がするのかもしれません。

もしかすると、新しい出会いを大事な存在への裏切りと感じる方もいるのではないでしょうか。

喪失体験を引きずっていると感じている方の中には、

失った大事な存在を大切に心に抱えていたい。

この存在でなければ自分にとっては意味がない。

そのような想いを抱えている方も少なくありません。

わたし自身、

そう簡単に忘れられるものならもうとっくに忘れてる。

あの子の代わりはいない。

子どもという存在ではなくあの子を愛している。

と感じていましたし、周りの心配や、世間の幸せというカタチを求めようとして次の子の妊娠、出産に目を向けようと努力をしてみても、

子どもはあの子だけでいい。

だから次の子は望まない。

というのが、結局のところのわたしの最終的な本音でした。

それが周りの人にとっては、ずっと傷を抱えたまま失った子を引きずっているように見えたのだと思います。

このように、

周りの人は引きずるタイプの人を心配に感じることが多いです。

ずっと過去に囚われ、執着しているように見えるからだと思います。

では、自分が過去に囚われたり、失った存在に執着しているように見られることをあなたはどう思いますか?

おそらく、その自分に対して否定的な気持ちが出てくることが多いのではないでしょうか。

あなたのカタチ

執着や依存はよくないとも言われますが、個人の想いが執着なのか愛情なのか、それは本人にしか分からないもので、どちらが良くて、どちらがダメだというものではないと思います。

わたしは個人的に、執着とは自分の持っていないものをずっと求め続けることではないかと思うんです。

ほしい。

でも自分にはない。

という状態を受け入れられず、

何かで紛らわしたり

代わりで埋めようとしたり

自分にはないことを

誰かや何かのせいにしたり

ない自分を責めたり

というような状態が続いてしまい、

失った自分を自分が受け入れていない状態が執着だと思うんです。

もしかすると執着の状態というのは、失った自分を受け入れられず、引きずっていると感じる自分を自分が誰より責めている状態なのかもしれません。

執着や引きずることが悪いことではありません。

これは愛情の深さや強さとは関係なく、

失った存在がそれほど大事だったとあなたの心があなたにそう伝えている。

それはあなたの愛情だとわたしは思います。

愛情とはこういうものでなければいけない。

そんな決まったカタチは存在しません。

あなたがあなたのカタチで、大事にしたい存在を大事にしながら生きていくこと。

それが大切です。

それができないと、自分も相手も大事にすることは難しいと思います。

あなたが自分のことを「別れを引きずるタイプ」だと責めてしまうのなら、

失った自分を受けとめ、ないものはないのだと事実を受け入れてあげること

が大事だとわたしは思います。

ここの過程を飛ばして次の自分の目標に進もうとしていないか、一度立ち止まってあげてもいいのかもしれません。

そしてあなたの心が求めていると感じたなら、新たな出会いを探してもいいんです。

あなたは、

悲しんでいる自分。

寂しいと感じる自分。

怒りに震える自分。

そんな自分のことをどう思っていますか?

大事な存在を失うと、自分が自分ではいられない。という自分自身の喪失を経験します。

その自分の喪失は、あなたに選択や決断をとても困難なものにします。

困難だからこそ、あの存在さえここにあってくれたら、と喪失感からその存在を心に強く抱いてしまうことはよく起こります。

なので自分なりに、

自分が選べるようになるまで自分を待てるようになることも必要な過程です。

今のあなたは、こうありたい自分と自分の本音がズレてはいないでしょうか。

ズレが生じているのにそのままにしておくと、よりあなたの心を苦しめてしまいます。

あなたはあなたでいいんです。

あなたがあなたでいられるようにぜひグリーフケアであなた自身を見つめてみてください。

どうぞ安心してご相談くださいね。