人と会って別れるときに、強く寂しさを感じたり、深く切なくなったりして、なぜか大きな不安に襲われてしまうことはありませんか?
別れ際に起こるそのような不安は、もしかするとあなたの喪失体験に関係しているかもしれません。
また寂しい想いをするくらいなら。。。
別れの時間が近づいてくると、ソワソワしたり、もう少し話したくなったり、まだこの時間を続けようと調整しようとしたり。
この別れに対して不安を感じ、大きな不安に襲われる気持ちは、喪失体験を経験した多くの方に見られやすい状況ではないでしょうか。
喪失体験をして大事な存在を失ったことで、今の人間関係や相手、仕事などの対象に対して、
もう会えないのではないか。
これで最後なのではないか。
失ってしまうのではないか。
というような不安や恐怖が、別れや喪失を経験したことにより一瞬で心の中に渦巻いてしまうため、あなたはその波に飲み込まれてしまいやすくなってしまうからです。
喪失体験で傷ついた気持ちから、もうこれ以上傷ついてしまうことにあなたの心が耐えきれないと感じると、一時的にでもその対象と離れることに対して、またあのような想いをするのではないかと不安を感じるようになります。
離れるということが、自分の頭の中で過去の喪失体験とイコールになってしまうので、永遠の別れや、関係性の終わりを想像させてしまうんです。
わたしの体験で言うと、子どもを失った後から別れや喪失の怖さから、
もう大切な存在を失いたくない。
あの想いをもう味わいたくない。
という想いが過剰に強くなり、人間関係で最初から人との関係性を深めていくことを避けるようになりました。
失うくらいなら出会わなくていい。
かなしむくらいなら深まらなくていい。
寂しいくらいなら喜びはなくていい。
そのように、絶望や失望するくらいなら希望は初めからいらないと言わんばかりに、そうしていないと、自分の心が壊れてしまいそうだったのだろうと今では分かります。
そもそも存在していた感情
もちろん、わたしの子どもを失ったという経験をしたことでこのように感じるようになったことは大きな原因になっていると思います。
けれど、このわたしの心の中の寂しさや切ない気持ちは、子どもを失ったことで初めて生まれた気持ちではなく、もっと以前からわたしの心にしっかりと存在していたものでした。
生まれた時に、1年間ほど両親と離れたこと。
慣れた母方の祖父母との生活からまた新たに両親との生活になったこと。
その新しい生活となった両親の夫婦仲が非常に悪かったこと。
幼稚園の時に父方の祖父母と同居になり、母との折り合いが悪かったこと。
中学生時にわたしの出産時の後産の処置により母が入院になったことを知ったこと。
これらはわたしの幼少期や学童期の一部ではありますが、これらの経験も自分の愛する人は離れていく、大事な人との別れは突然に来るもの、大切な人の悲しそうな顔や困っている姿をずっと見続ける、大好きや大事だという気持ちが伝わらない、自分のそのままを受け入れてもらえない、という自分の愛着や愛情の喪失、思い出や子どもらしさの喪失、価値感やアイデンティティの喪失、というような自分自身の喪失という喪失体験となります。
子どもが大きな喪失を経験した時に、自分のチカラでかなしむことは難しく、周りの存在からそのままの気持ちを聴いてもらう経験が必要になります。
かなしむ自分をそのまま受け入れてもらい、その気持ちを大事にしてもらうという経験をすることで、子どもは段々と失ったという事実を受け入れ、失った自分の気持ちを受け止めていくことができるようになります。

幼少期のわたしにはそれが難しかったため、喪失体験により自分に対して、
わたしは捨てられるような人間なんだ。
わたしが存在することは迷惑になるんだ。
わたしのせいで家族はなみんなバラバラなんだ。
わたしの気持ちはわかってはもらえないんだ。
わたしのことよりも相手の方が大事なんだ。
と別れが起こる度に、自分に対しての思い込みを信じていくようになってしまったんです。
そもそも、わたしの心の中には
わたしの存在は無価値。
わたしに存在意義はない。
というかなしみや寂しさ、虚しさや失望感、不信感や怒りが、子どもを失うという体験をするよりも以前から存在していたんです。
それをどうにかやり過ごしたり、見ないようにしたり、誤魔化したりしながら過ごしていたところに、子どもを失うという自分だけではどうにもできない大きな喪失が起きたため、幼少期に埋めていたまま放置していた喪失が時を超えて思い出されてしまい、喪失と喪失が相互に反応し合い、自分自身に何倍にもなって返ってきてしまったんです。
失ったものを受け入れていくために
これはわたしの経験ではありますが、大きく深い一度の喪失体験と思われている経験が、実は過去からの喪失の蓄積と重なっていることはめずらしいことではないとわたしは思っています。
このようにして今の喪失体験を引き金に、過去からの自分の価値観や存在価値や存在意義といった自分のアイデンティティが崩壊してしまい、自分に何の意味も感じられなくなってしまうアイデンティティクライシスはこのようにあなたの身に起こります。
だからこそこのようにあまりにも大きな不安が襲ってくる場合は、今の喪失体験だけでなく、過去からの喪失体験の傷も重なっている可能性があるとわたしは思っています。
だからこそ喪失体験からの大きな不安が襲ってくる場合、今の喪失体験の傷と過去の喪失体験の傷を分けることがとても大切になります。
過去と今の傷を分けないままだと、子どもの頃の自分の不安と大人の自分の不安とが混ざってしまい、より大きな不安の波にあなたが飲み込まれてしまわないためにとても必要なことです。
過去と今との傷を分けることで、幼少期の自分が傷ついたり不安だったことが今でもあなたの心の中に存在していることを知ることができます。
本来ならば、幼少期に不安を感じたその時に、親や養育者から助けてもらったり、守ってもらったりという経験をすることで安心感が育ち、自分で不安を受け止められるようになっていくのですが、不安が今も心に残っているのは不安を感じたままで、安心を感じられない状態であなたの時間が止まったままになっているからだと思います。
大人のあなたが今、子どもの自分にしてあげられることは、親や養育者に受け入れてもらうことでも、受け入れてくれる誰かを探すことでもないんです。
今のあなたが過去のあなたの傷を受け入れてあげるために、今のあなたの心を共に支え続けてくれる存在を探すことだと思います。
心の傷や不安が大きいほど、あなた自身のチカラと人からのチカラとの両方が必要な時です。
今のあなたの心を共に感じ、あなたが過去の自分の傷を受け入れていけるように、グリーフケアはあります。
どうぞ安心してご相談下さいね。
