自分の存在感。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

決まりきった挨拶すぎますが、毎日暑いですね。

近所の公園から、朝になるとラジオ体操が聞こえてくるので、窓を開けて一緒に家でラジオ体操をやって朝から汗だくになる40代。。。

 

ええ!

ラジオ体操も真剣にやると汗かきます!!!

(暑苦しいわ!)

 

朝イチで窓を開けるんですが、これまた時々セミが舞い込んで来ます。。。

自分から入ってきておいて、すごい主張でなきまくります。。。

 

こっちが泣きたいんですが、家の中ですごい自己主張してくるセミ取りをし、朝から疲れ果てる40代。。。

 

セミの主張はすごいですが、ラジオ体操はやっぱりいいな!と再確認の夏です!!!

 

今日はセミの自己主張ではなく、

「自分の存在感。」

について書いていきます。

 

自分には存在感がない。

居ても居なくてもいい存在。

そう自分のことを表現される方は多いです。

 

 

自分はここに居てもいいの?

誰かにいいよって言ってほしい。

誰かに助けてほしい。

 

 

それって何より両親から

愛されたい。

見られたい。

守られたい。

という切なる望みを叶えてもらえていないんです。

 

欲しかったものを、親からもらえていない。

 

だから諦めるか、強引に取りに行くか、極端な行動になります。

 

そして、その欲しかったものを周りの人に求めていくんです。

 

誰かに側に居てほしい。

誰かに好きと言ってほしい。

誰かに認めてもらいたい。

 

けれど、その欲求も毎回叶うとは限りません。

するとその絶望的な悲しみや寂しさは、怒りに変わります。

 

どうせ手に入らないんだから、最初から望まなければいい。

感情的になるなんてバカみたいなことはしないで、ただただやり過ごせばいい。

 

自分を諦めている人は、腹の底で怒っています。

 

どうせ受け入れくれないんでしょ!と相手を責めながら、受け入れられない自分に不信感を抱き続けていきます。

 

怒っている間は、自分への絶望感に気がつかないでいられます。

 

愛されたいのに愛されなかった自分。

助けてほしいのに助けてもらえなかった自分。

一緒に居たいのにひとりにされた自分。

その自分があまりにも悲しくて寂しくてみじめすぎて、気がつかないでいられるように怒っている自分すら消そうとしていきます。

 

それは自分の存在感がなくなっていきます。

むしろ、自分の存在を消さないと自分でいられなくなっていきます。

 

自分で自分の存在を消した時、

自分で自分を否定した時、

自分で自分を信じられなくなった時、

誰かを頼りに、誰かに依存して生きるしかなくなってしまいます。

 

自分の存在を誰かに委ねてまで、欲しくてたまらなかった「ここに居ていいよ」の許可証。

 

それは自分の存在を否定してきた相手を、許可証をもらうために自分の本音を諦めて否定を受け入れてきた証でもあります。

 

自分で自分を諦めていること。

自分で自分を見捨てていること。

自分で自分を否定していること。

その自分を自分が救いたいか?

まだ誰かが助けてくれるの待ちたいか?

 

それは自分じゃないと決められないんです。

自分を消してる場合じゃないんです。

自分のために、今こそ自分が立ち上がろう。

 

 

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諦め続けるその先。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

週末、リトリーブサイコセラピーの福岡基礎講座の最終日でした。

 

自分を見つめ、

自分を知り、

自分を感じる。

そんな3ヶ月間の集大成です。

 

セッションの場が用意されてはいますが、本当に自分を変えるのはセッションだけではできません。

 

そこには「自分の意思」が不可欠だからです。

 

自分が自分のことをどう思いたいのか。

自分が自分のことをどう扱いたいのか。

自分が自分のことをどうしたいのか。

 

自分が自分を諦めていたら、いつまでも助け、救ってくれる誰かを待ち続けないといけません。

 

自分が自分に対してどう選択して、何を決めるのかは自分にしかできません。

 

自分を助ける

自分を癒す

自分を守る

それを誰かに求め続けるのか、自分を頼りにやってみるか、そのためのリスクを取れるか。

そんな受講生のみなさんの葛藤や選択を目の前で感じることができました。

そして、わたし自身も改めて「自分を守る」とはどういうことなのかを考えさせられました。

基礎講座としてはこれで修了だとしても、自分の人生はこれからも続いていきます。

一気に進まなくてもいい。

どんな時の自分も、自分が諦めないこと。

自分のために立ち上がって戦うこと。

 

それが、自分を守って生きていくことなんだな。

自分を大切にして生きていくことなんだな。

改めて大きなことに気がつかせてもらう機会となりました。

 

みなさんの今、これから。

ずっと応援しています!!!

 

 

さて、前回のブログ

諦めるという生き方。。。

 

まあ、いっか。

もう、いいや。

どうせ、ムリ。

そうやって自分の本音や自分自身を諦める。

 

 

諦めるってツラいです。

諦めるって悲しいです。

諦めるって苦しいです。

でもそのイヤさと引き換えに、わたしが守れるものがありました。

 

諦めることで、今の現実を思い知らないでいい。

諦めることで、相手を受け入れることができる。

諦めることで、これ以上傷つかないでいられる。

 

わたしは自分を諦めることで、

誰かに自分を預けることができたんです。

誰かを頼りながら生きることができたんです。

ずっと依存しながらラクができたんです。

 

諦めながらも、多くのものを手にしていたし、何よりイヤだった「自分自身」を見なくてよかったんです。

 

自分の感じてきた、

悲しみ

寂しさ

無念さ

みじめさ

怒り

恨み

というイヤな感情を抱く事実から目を背けていられたんです。

 

自分では避けたい事実。それを受け入れるって、とてつもない恐怖です。

 

納得がいかないまま、その事実に圧倒されると人は無力になります。

そして怒りを自分の中に溜めて、被害者になっていきます。

きっと、もっと自分にとって素敵な現実が待っているに違いない!と事実を見ずに理想化した自分の期待や希望で世界や人を見るようになります。

 

けれど、自分の期待や希望通りには世界は回りません。

そこでまた怒りを溜めながら、人生を諦めていきます。

 

その寂しくてみじめな事実を受け入れることは悲しくて怖いけれど、事実を受け入れることで自分が世界に対応できるという感覚も感じることができるんです。

適応できる自分を信じることができるようになります。

起こったそのままを見れることは、今の事実を見れているからです。

起こったそのままを見れないのは、理想の希望を見ているからです。

 

見たくない。

避けたい。

いいと思いたい。

それは、親に対して感じてきた気持ちであることが多いです。

 

そして、

本当の親の姿を見たくないから、

親に対して絶望したくないから、

自分を諦める選択をしている人も多いです。

 

 

何をしても、

何を言っても、

この両親は変わらない。。。

その絶望感を感じたくなくて、自分を諦めながら親を理想化する。

 

理想化して親を責めたくなかったし、悪者にしたくなかった。

それくらい愛されたかった気持ちに泣いたらいいと思います。

本当は絶望している自分に気がついたらいいと思います。

 

だって、そこが自分の本当の事実です。

それが本当の自分なんです。

 

自分のために生きたいか?

両親のために生きたいか?

自分とハムレットしてみてくださいね。

 

今までどれだけ

辛かったとしても。

傷ついていたとしても。

諦め続けてきたとしても。

今の現実から立ち上がりたいかどうかは、いつでも自分で決められるから。

 

 

 

 

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諦めるという生き方。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

猛暑とセミな福岡です。。。

昨日の夕方、いきなりものすごい勢いで雨が降ってきました。

子どもたちと家の中から虹の歌をうたいながら、雨が止むのを待っておりました。

 

その雨で、子どもたちが朝の遊びの時に庭に作っていた迷路や川が壊れたんです。

 

「あーあ。また雨が止んだら作ろー。」

と言う子もいれば、

「せっかく作ったのに!雨、許さん!」

と言う子もいました。

 

結局、雨がすごくてその後に外で遊ぶことはできなかったんですが、

先の子は、その迷路や川の続きをブロックや積み木でまた作って遊んでいましたが、後の子はもう朝楽しく作ったことを思い出したくないとばかりに、周りの子が作っている迷路や川を避けて別の遊びをしていました。

 

どちらも気持ちは分かるんですが、この反応は「自分や世界をどう感じているか」をよく現しているな、と感じました。

 

自分や世界を、

何かあっても大丈夫。何とかなる。

と感じているか、

やっぱり上手くいかない。イヤなことばっかり。

と感じているのか。

 

 

 

 

在るべきか。。。

在らざるべきか。。。

それが問題なのぢゃ!

そんな壮大なるハムレットのような悩みとまではないですが、予想外の出来事に遭遇することってありますよね。

 

また次を考えるか、

諦めてしまうか。

 

これは、

愛着が安定しているか、

愛着を諦めているのか、

という心の在り方に繋がっているとワタシは思います。

 

わたしもよく諦めていたなあ。。。

とその時以前の自分を思い出しました。

 

リトリーブを受講する前、わたしの口グセといえば、

まあ、いっか。

もう、いいや。

どうせ、ムリ。

当時は、人生を投げているというか、何も期待しないことで自分を守るというか。。。

まさに自分を諦めていたんですね、わたし。

 

こう聞くと、堕落したような、時の流れに身を任せたような(古)刹那的な生き方を想像するかもしれませんが、そうではありませんでした。

 

自分を諦めながら、

誰かに優しくありたかったし、

誰かの役に立ちたかったし、

誰かを幸せにしたいと思っていました。

 

ええ、割と真剣にそう思っていました。

 

いつも、

「ここには居ない誰か」のことを、わたしは考えていたんです。

 

そうすれば、自分の本当に感じている

心に穴の空いた虚しさ

周りに誰か居ても拭えない孤独感

人を信用していない寂しさ

そんなイヤなモヤモヤを誤魔化すことができたから。

 

本当は自分に起きている事実が、現実が、それほど過酷だということ。

 

それがあまりにもツラすぎて、

本当の自分を感じたくない。

本当に自分が感じている気持ちに気がつきたくない。

だから自分の感じている本音を諦めることで、目の前の事実に直面しなくていいんです。

 

まあ、いっか。

もう、いいや。

どうせ、ムダ。

こう自分に言い聞かせることで、自分の本音や自分自身を諦めることができるから。

 

この守り方は苦しいけれど、

絶対に見たくない事実を見ないでいいのでラクでもあります。

イヤなものから逃げ続けられるからです。

 

自分を諦めて逃げる。

イヤなものを避ける。

これが続くとどうなると思いますか?

 

また続きを月曜日のブログでお届けします!

月曜から早起き!(それは割とフツウ)でお会いしましょう!!!

 

 

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嫌われるのが怖いという自己否定。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

前回のブログ、

嫌われたくない!

 

人から嫌われたくない。

嫌われるのが怖い。

なぜそこまで、人から好かれないといけないと思いますか?

 

 

これ、ワタクシ大変痛いところだったんです。

わたしも、

みーんなに嫌われたくない!

みーんなに好かれたい!

と強く強く思っておりました。

 

嫌われないように、好かれるように、本当に頑張って生きてきたんだなーと、今は自分に対して思うようになりましたし、その自分を受け入れることができるようになりました。

 

なぜ、そこまで嫌われることが怖かったか?というと。

わたしにとって、

「嫌われないことは自分自身の存在価値」だったからです。

 

相手が自分のことを受け入れてくれているかどうかが、わたしの安心を作っていたからです。

 

それほどまでに、

自分を

 

抑えて、ガマンすることが安心。

自分を消せばいいことがある。

いい人でいれば生きていていい。

 

その条件付きの世界は、

脆くて

不安定で

壊れやすい

世界です。

 

自分を失くしてまでアナタが欲しかったのは、

安心してここに居ていい

自分は愛されている

そのままの自分で価値がある

そんな感覚を感じられること。

 

けれどもこの条件付きの世界では、いつまで経ってもその感覚を感じることができませんでした。

 

ガマンしても、抑えても、消そうとしても、どうやっても手に入らない自分の求めている世界。

 

それが続いた時に自分の中にどんどん溜まっていくもの。。。

 

それは怒りです。

 

どれだけやっても全く満足できない、安心できない、不満しか残らない。

それが大きな怒りになるのは当然です。

 

 

けれど、人から好かれるためにはその怒りを出すことは許されません。

 

溜まって溜まっているのに出すことを許されず、行き場を失った怒りはどうなってしまうでしょうか?

 

消える。。。ことなくずっと残り続けます。

 

そしてその怒りはやがて、

アナタの子どもやパートナー、身近な人に向かって出そうとします。

 

けれど、本当の相手へと出せない怒りは、別の相手に対して出せたとしても、消えたりはしないんです。

 

そして、抑えつけた怒りはやがて、アナタ自身へと向かいます。

 

出せない自分が弱いという自己否定。

怒りを出すなんて親みたいでイヤという抑圧。

ぶつけると相手がかわいそうという罪悪感。

 

こうしてアナタはどんどん生きづらくなり、死にたいという思いさえ抱えてしまうようになるかもしれません。

 

嫌われたくない!

アナタがそう強く強く願うのは、アナタが本当は

「自分は嫌われている存在だ」と自分に対して感じているからです。

 

自分を強く強く否定しているからです。

 

自分の

怒りを感じることが怖いんです。

怒りを認めることが怖いんです。

怒っても、泣いても、叫んでも、どうせ自分には現実を変えるチカラなんてない。。。

 

だからそもそも自分の欲求を

どうせムダ

伝わるワケない

何をしても同じ

そうやって抑えることで、生きてきたんです。

 

その代償は、

自分で自分を消そうとする形で

アナタ自身に向かいます。

 

アナタは

自分を消したいですか?

自分を出したいですか?

自分を潰したいですか?

自分を守りたいですか?

 

嫌われたくない自分とどう向き合っていくのか?

コチラはわたしの体験談も踏まえて、次回のメルマガにてお届けします!

嫌われたくない!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

健康診断に行ってきました。

バリウムの恐怖に慄きまくって、心の中では駄々こねまくりで向かいました。

イヤダ。。。が顔からダダ漏れしていたのか、バリウム係のお姉さんが、

「イヤですよね、バリウム。憂鬱ですよね、待つ間って。」

と話しかけてくれました。

「そうなんですー。イヤなんですー。」

といい歳こいて泣きついたら、

「好きな方はいないですよ。」

と安心させてくれたかと思ったら、

「げっぷしちゃうと、コレ追加になっちゃいますからね♡下向いて飲み込んでくださいね♡」

と笑顔で地獄の追い討ちもくれたので、必死に下を向いて飲み込んでぐるぐる回ってきました。

終わった途端、存分に出しまくってやりました!

ええ、上からも下からも!

↑コラ!!!

 

げっぷやピー(自粛音)は出した方がスッキリするので、存分に出しますよね。

けれどこれが感情となると、やはり飲み込んでガマンする、という人は多いですよね。

そう。言いたいことを好きに出して、嫌われてしまうのが怖いから。

 

今回は、嫌われない人を続けていくうちにアナタが失い、支払っていく代償についての心理、

「嫌われたくない!」

というテーマで書いていきます。

 

 

アナタは人から嫌われたいですか?

そう聞かれてなかなかYESとは言えませんよね。

もちろん、嫌われるより好かれたいのは人としての本音です。

 

けれど、人から嫌われたくないためだけに、

周りのことばかりを優先する。

自分より相手を大事にする。

いつもニコニコ笑顔で優しくする。

イヤなことも自ら引き受ける。

これが続くと、自分がツラくなりますよね。

 

確かに人から嫌われないように相手を優先すると

感謝されたり、

重宝されたり、

役に立てる。。。

そんないいこと、ありますよね。

 

けれどその反面、

利用される

押しつけられる

大事にされない。。。

そんなイヤなこともありますよね。

 

何においても、全てがいいこと尽くしなこともなければ、全てが悪いこと尽くしなこともありません。

けれど、アナタがいつも嫌われないことの方を選んでしまうとするなら、そこにはアナタの怖さが眠っています。

 

嫌われたくないからと相手を優先するのは、アナタが自分の

そのままの感情

そのままの感覚

そのままの欲求

を出すことに自分がオッケーを出せていないんです。

そして、押さえて、出さずに、ガマンすることで

周りからの評価

誰かを助けられる

この場に居られる

などのいいことの成功体験をたくさんたくさん経験してきています。

 

だから、やめたくても自分を瞬時に消して嫌われない自分で人と関わることをやめられないんです。

むしろ、やめる方が怖い。

評価や居場所を失い、自分が何者でもなくなる怖さや、自分の価値の無さを感じてしまうのが怖いんです。

だから、自分がどれだけ苦しくても、相手優先でいることを選んでしまいます。

自分を失くして、

自分を分からなくさせて、

自分よりも相手を優先できるようにしているんです。

そうやって嫌われない自分を何とか作っていきます。

それほどまでに、

自分を感じて

自分を持って

自分を生きる

ということが怖いんです。

 

相手から嫌われないように自分を失くしていないと自分は生きられないと思っていることが、この問題を起こしているんです。

 

嫌われたくない、その思いから自分の全ての行動を決めてしまう。

 

この問題を持ち続けていくと、どうなってしまうのか?

続きは次回のブログにてお伝えします!!!

 

怒りの抑圧は、怒りに支配される。

昨日のブログ、

怒れない。。。

 

怒らない、のではなくて、怒れない。

怒りという感情そのものを感じないように抑えたり、感じたとしてもそれを出してしまわないように何とか抑え込む。

どうしてそこまでして、自分の怒りを無くしてしまおうとすると思いますか???

 

 

怒りを何とか感じないようにしたい。

そう感じるのは、怒りを感じ、それを表現することを何より怖がっているからです。

 

怖いんです。怒ることが。

わたしは、表面では怒りながらもその怒りは自分へのイライラという形で向けていました。

 

怒りを感じてしまったら、出してしまったら、今まで頑なに信じてきたり、守ってきたものが壊れてしまいそうで怖かったんです。

 

 

怒ってしまったら、

自分が自分じゃなくなる

自分が悪いと罪悪感を感じる

自分が嫌いになる

だから避けて感じないようにする。

 

怒りを出してしまったら、

関係が壊れてひとりぼっちになる

周りから嫌われてしまう

虚しさに襲われる

だから出す前に抑える。

 

怒れない、というのはアナタが怒らないことを決めている、ということです。

イライラしながら、

ウツウツとしながら、

怒るような自分がダメなんだと自分を責めることで、

アナタは自分の怒りの感情を封じ込めることに自分のチカラを注いでいれば、怒らない自分でいられるし、自分自身を守ることができるんです。

 

何から守れるのか???

そう思いますよね。

怒ってしまうと気がついてしまうんです。

自分の本当の気持ち。

自分が本当に感じている気持ち。

自分がずっと抱えていた気持ち。

そんな気がつきたくない気持ちに。

 

それは、わたしにとって両親への気持ちでした。

愛してほしい。

見てほしい。

分かってほしい。

受け入れてほしい。

認めてほしい。

怒ってしまうと、この気持ちが何ひとつ満たされないという現実に直面してしまうんです。

 

怒らなければ、自分に怒りを向けながら、まだ希望を捨てずにいられたんです。

 

でも、その守り方では相手を守れたとしても、自分自身を守ることはできません。

 

怒れないままだと、アナタの周りには

アナタを利用してくる人

アナタに意地悪をする人

アナタをぞんざいに扱う人

アナタに要求ばかりしてくる人

アナタをバカにする人

アナタを支配する人

が集まってきます。

 

その不当な扱いから自分を守るのが怒りの感情なんです。

 

自分が自分の怒りを感じない限り、ずっと誰かのゴミ箱になる人生になってしまいます。

 

自分が自分の怒りを出さない限り、ずっと周りの誰かに守ってもらう人生になってしまいます。

 

誰かのゴミ箱。

誰かに守ってもらう。

そのためには、自分の怒りは抑圧しないといけません。

すると、抑圧した怒りにずっと支配されることになります。

抑圧すればするほど、不安と恐怖が強くなります。

 

溜まりに溜まった怒りは、不安と恐怖から、自分にとって大切な人にほど

怒りの爆発

意地悪で発散

執拗な無視やいじめ

という形で向います。

 

これでは、人間関係が壊れてしまいます。

 

怒りを自分のために感じること。

相手にぶつけるためでなく、自分を守るために怒ること。

 

自分で自分を助けるために。

自分で自分を守るために。

自分で自分を信じるために。

 

これが

自分で自分を大事にすること

相手も自分も大切にすること

だとわたしは思います。

 

 

 

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怒れない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

健康診断に行ってきました。

ええ、もう連日の暑さで夏バテですよ。。。

タイリョクダイジ!

カラダイタワル!

痛感するお年頃です。

 

健診待ちの時、割と待ちが長かったんです。

ずぅーーーっとため息ついたり、

足をビンボー揺すりしたり、

コメカミを手で何度も抑えたりするおじさまがおりました。

明らかに怒ってるんですけど、出さないでそれを察知してほしい感がアリアリと出てるもんだから、誰も声をかけないんです。。。

まぁ、わかりやすい悪循環。。。

おじさまのガマンが、健康を害さないことを願ったのでした。。。

 

今日は人間が誰でも持つ怒りの感情。

これを何とか抑えようとする心理、

「怒れない。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

「怒り」

自分の中にある怒りの感情に気がついていないこと、そもそも多いと思います。

感じたとしても、できるだけ抑えたかったり、無くそうとしたり、別の感情に変換しようとしたりして、意識したくない感情ではないでしょうか。

 

何となく怒りの感情は

人を攻撃して傷つけてしまうもの、

我慢の足りない人が出すもの、

自分の知っている誰かのようになってしまうもの、

というように

よくないもの。

虚しいもの。

破壊するもの。

というイメージがあるのかもしれません。

 

わたしも、怒るのはすごく苦手でした。

自分がイライラしているのは分かってはいたものの、自分の怒りを自分でコントロールできないなんて、だっさいぜ!とばかりに、抑えることにエネルギーは向いておりました。

 

そもそも、感じないと怒りは出せないので、怒りそのものをよくないものとして、怒りを感じないようにしようと努力していました。

 

ええ、そんな努力はもちろん無理です。。。

 

人間はあるものをないようにすることはできないからです。

怒りの感情を感じているのに、それを無かったことにすることはできません。

 

なので自分の感じた怒りにウソをついたり抑圧したりすればするほど、

ガマンが爆発して関係が破綻したり

怒りが自分に向いてウツっぽくなったり

自分が分らなくなって生きることが怖くなったり

人生をどんどん苦しいものにしていきます。

 

 

怒りをガマンして感じない。

怒りを抑えて出さない。

そうすればするほど、相手も自分に対して何をしてもいい人なんだと思いますよね。

 

絶対に怒らないんだから、どんなことだって

言ってくるし、

やってくるし、

要求してきます。

 

なのに、どうして怒らないのか?

 

そこには

自分がガマンすれば丸く収まる

怒ったところで何も変わらない

人が争うところを見たくない

怒った後に悲しくなって自己嫌悪してしまう

怒りを出すと何倍にもなって返ってくる

怒ると自分から人が離れていく

という感覚があるからです。

だから、怒れないんです。

 

わたしは、この感覚が大きくありました。

 

この感覚があると、怒った後のデメリットが大きすぎるように感じて、怒りを抑える方へと自分のエネルギーを使うので、怒ることができません。

 

そう。

「怒らない」のではなく「怒れない」んです。

 

怒りをガマンして感じない。

怒りを抑えて出さない。

そうすればするほど、相手とは本当にいい関係を築けるのでしょうか?

何をしても怒らないのだから、相手はこちらに何をしてもいい人なんだと思いますよね。

 

絶対に怒らないんだから、どんなことだって

言ってくるし、

やってくるし、

要求してきます。

 

ガマンして抑えれば抑えるほど、相手は何だってしてくるようになります。

 

その時、アナタならどうしますか?

続きはわたしの経験を踏まえながらまた明日!!!

 

 

愛情と不信感の葛藤。

金曜日のブログ、

不信感の心理。〜好きと嫌いの狭間〜

 

 

好きと嫌いという気持ちの葛藤を抱えたままだと、

人と関わる時に、

みんなが自分のことを嫌っているのではないかと不信感を抱きながら、

みんなが自分のことを好きでいてほしいと求める。

とお伝えしました。

その愛情と不信感の両方があると、人間関係に問題が出てきます。

 

 

 

 

 

どういうことかと言うと、

アナタが大切な人と関わろうとすればするほど、

どうせわたしのこと嫌いなんでしょ?

と言う気持ちと、

わたしのことを特別に好きでいて!

という矛盾な思いが同時に自分の中から起こってきます。

 

 

なので、

諦めて人から離れようとする。

求めて人を振り向かせようとする。

という事が起こります。

 

どちらもそうしているうちは、

本当の相手を見なくていいんです。

理想化した相手を見ることで、相手から愛されていない自分を見なくていいから。

 

 

そしてそれは、

今の目の前の相手との関係ではなく、過去の母親との関係での想いです。

 

それほどまでに、アナタは愛されたかったんです。

 

なので、人生をずっと愛されるために生きていることになります。

 

相手から愛されるために、自分を失くし、相手に自分という存在を捧げてしまいます。

 

自分を生きてしまうと、誰からも愛されなくなると思っているから。。。

 

 

アナタは子どもの時にお母さんに、

愛されたかった。

大事にされたかった。

見てほしかった。

助けてほしかった。

受け入れてほしかった。

 

 

その叶わなかった切実なアナタの思いを、

アナタが分かろうとしていないこと。

アナタが受け入れようとしていないこと。

それが今の問題なんです。

 

抱いている気持ちに、

愛情と不信感のどちらもあることを知らないと、人との付き合いの中で愛し方が分からなくなるのは当然です。

 

アナタが自分自身でいることを、母親は良しとしなかった。

アナタがアナタでいることを、母親は拒絶していた。

 

その

悲しさ、

寂しさ、

孤独感、

怒り、

恨み、

それは当然アナタが感じていい感情です。

 

その時に感じる不安や葛藤をアナタがどうしていきたいか、なのだと思います。

 

この愛情と不信感の葛藤から逃げると、アナタの人生は

親を理想化して自分が持てずに苦しむか、

親を恨んで相手を変えるために苦しむか、

になってしまいます。

 

信じさせてほしかった。

それはアナタの母親への気持ちです。

 

そこを受け入れない限り、目の前の人に埋めてもらおうとずっと求め続けてしまいます。

 

わたしは、

自分の人生を生きたいのか?

親のための人生を生きたいのか?

 

ここを自分に聞くことが、

理想化の人生をやめて、自分の現実世界を生きていくスタートだと思います。

 

現実は、理想的な世界ではないから、当然イヤなことも苦しいことも辛いこともあります。

 

そこを受け入れても、自分が自分として、人と繋がりながら生きていきたいかなんだろうな、とわたしは思います。

 

 

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不信感の心理。〜好きと嫌いの狭間〜

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

暑すぎて髪を切りに行きました。

短く切ったるぜー!の勢いで行ったんですが、美容師さんから

「そしたら、ストレートになっちゃいますね。」

と言われて絶句。

 

わたしは、髪をドライヤーで乾かさないし、朝も髪ハネなんてものを気にしないでいいように、ラブパーマ生活を続けております。

 

今回はパーマも夏バテしたのか、割とでろーんと伸びていたので、長さを切るとパーマが消える。。。

 

泣く泣く子猫1匹分ほどゴリゴリ量を減らしてもらって快適を手に入れました。

 

自分で決めるのも大事だけど、やっぱり人の意見も大事だなぁと思いました。

最終的に決めるのは自分ですけどね。

 

 

さて、本日のブログです。

 

アナタは子どもの時、

お母さんが好きでしたか?

それとも、

お母さんが嫌いでしたか?

 

子どもは、お母さんに

自分を愛してほしい。

自分に優しくしてほしい。

自分のことを大事にしてほしい。

自分のことを見ていてほしい。

自分が困ったら助けてほしい。

そうやってお母さんの1番になることを望みます。

 

 

母親を、こういう人間であってほしいという希望と期待を持って見るのが子どもです。

 

 

母親に愛されていると感じながら育つことは、子どもにとって大きな安心感になります。

 

 

けれど愛されたくてたまらない母親から、愛されていないと感じながら育つことは、大きな不信感となります。

 

 

今日はそんな愛されたいと思いながらも不信感を抱く心理、

「不信感の心理。〜好きと嫌いの狭間〜」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

人は、愛されたい人から否定されたり、拒絶されたり、無視されたりすると、自分は愛されていないのだ、と感じますよね。

 

 

愛されていないその事実があまりにも辛すぎる。

だから愛されていない自分を感じないでいいように母親を本当は自分への愛情豊かな人間なんだと思い込むことで、その辛さから逃れようとします。

 

 

これが親の「理想化」です。

ワタクシ、自分はこの理想化を全くしていないと思ってタイプでした。

 

両親は好きではないし、でもひとりっ子だから何かと面倒なことは自分に降りかかってくるし。

何でこんなに迷惑ばっかりかけられないといけないんだろう、くらいに思っていました。

 

でも本当は、

わたしは、お母さんから嫌われている。

お父さんは、わたしに何の関心もない。

という現実を見ないでいいように、

ああ、親の期待が重い。

親を面倒見るのは大変。

という、

縛られちゃって気が重いわ。

愛されちゃって大変だわ。

変換を頭で起こすことで、現実から逃れていたんです。

つまりわたしは、「親はわたしを愛してくれている」という自分を傷つけないための「理想化」をバッチリしていた、というワケですよ。

これに気がついた時は、本当に

がいーーーーーーーん!!!でした。

 

でもね。

そうやって、自分の存在意義を守ってたんだと思います。

 

けれど、どれだけ親を理想化してみても肌では感じています。

心の底では、お母さんは自分を愛してくれていないことを知っています。

 

 

自分は好きだけれど、相手には好かれていない。

自分は求めているけど、相手には邪魔に扱われる。

自分は助けるのに、相手には無視される。

そのようなことが繰り返されることで、子どもの心の中には

自分は大事にされていない。

自分はいらない存在。

自分は愛されていない。

という相手と自分への不信感を持ちます。

 

 

けれど、母親へ不信感を持ちながらも、同時に母親を愛しています。

 

 

好きと嫌いは同時に存在することが難しいので、子どもは不信感を抑圧し、親の理想化を強めていくんです。

 

 

そうすると、この親子関係は大人になってからの人間関係に影響してきます。

 

 

人と関わる時に、

みんなが自分のことを嫌っているのではないかと不信感を抱きながら、

みんなが自分のことを1番に好きでいてほしいと求めてしまいます。

 

どうせわたしのこと嫌いなんでしょ?

と言いながら、

わたしのことを特別に好きでいて!

という矛盾な思いを抱えながら人と付き合わないといけません。

 

この好きと嫌いの狭間の葛藤は、人と関係を深めていくのに大きな障害となります。

 

 

この不信感と愛情の葛藤を持ったままだと、どのようなことが起こってしまうのか?

続きは月曜日のブログでお伝えします!

 

 

 

 

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誰とも繋がっていない孤独。

昨日のブログ

お母さんが分からない。

 

根本の人間関係でお母さんや自分と繋がれていない感覚。

その孤独は、子どもにとってとても寂しいことです。

寂しいを感じても、誰も助けてくれないと求める自分がおかしいんだ、と諦めていきます。

そして、お母さんや家族以外の周りや外の世界と繋がることで自分を安心させようとするようになります。

周りとの関係を維持できれば、ひとりぼっちの孤独を感じなくていいから。

 

そうやって、自分の置かれている現実から目を逸らすことで自分を保つことを続けると、人間関係に問題が起こってきます。

 

 

 

わたしも自分の現実を見ることが怖くて、この痛い思いに経験があります。

人とモメたくない。

自分が何をされても流す。

周りのバランスが最優先。

そんな感覚で孤独や寂しさから逃れて生きているので、

人とモメたり、

イヤなことがあったり、

周りの輪が乱れたり、

を感じた時に不安が爆発するんです。。。

 

 

モメたくない。。。

人とモメないように、ありのままの相手を見れなくなります。

自分の理解できるこうであってほしい期待で相手を見るからです。

お母さんを理解できなかった不安と恐怖を、思い出さなくていいように。

 

これ、イヤだな。。。

そう感じた時も笑って流して、その場に居るようになります。

相手からの否定も、この場に居るために受け入れるようになります。

かわいそうなお母さんを助けられなかった価値のない自分を思い出さなくていいように。

 

場を乱したくない。。。

その思いから、人の居る場で自分自身をガマンさせるようになります。

自分を否定することで、自分をガマンさせることで、お母さんを優先して、守ることができるように。

 

本当は、ずっと感じてきたんです。

ここに愛情がない恐怖を。

否定を受け入れないと存在できない不安を。

自分を否定していないと繋がれないみじめさを。

 

それでもそこに直面しないことで、受け入れならない現実に対応しようとしたんです。

 

現実世界でも、不安や恐怖を感じたり、ガマンをすることはあります。

けれど人は、その後の経験として愛情や安心を感じられるからこそ、直面して受け入れていくことができます。

 

常に不安と恐怖とガマンの人生では、それはより一層膨らんで、人生から逃げることを選び続けていきます。

 

ああ。。。

こんな人生はイヤだ。。。

 

そう感じたり、気づいた時こそ、自分で選び直せるチャンスです。

 

イヤと感じながらも続けてきた自分に、自分ができることは何だろう???

 

 

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