自分を変えたい!の思いの底に。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

気がつけば、もう2月も終わろうとしています。

新年に今年の目標を立てたのも、もう遠い記憶。。。

新しい年になると、何だか自分も生まれ変わるような気がして、「こうなりたい!」、「あれをやりたい!」ナドナド自分の中からやりたいことが出てきて、色々と自分を変えようとしてみたものの。。。

はて、どんな目標を立てたんだっけ状態になりやすい時ですよね。

 

 

時がたつと共に、その思いもそれに向けての行動もいつの間にか薄れていってしまう。。。

そしてまた、

「こんなことではいかーーーん!!!」

と自分を一念発起させて、また取り組んでは挫折しての繰り返し。。。

 

 

ええ、わたしも今年こそは整理整頓できるオンナになるんだぜーい!と小分けして色々なものを収納しているつもりが、さあいざ使う時になってどこにあるのか分からないー(泣)というあるあるを経験しております。。。

 

 

自分がより生きやすいように自分を変えたいと思うのと、今の自分がダメだから自分を変えたいと思うのでは、同じ「自分を変えたい!」でも、その結果は大きく変わります。

 

 

アナタも「自分を変えたい!」と思う時ってありますよね?

 

アナタの変えたい!は

自分を生きやすくするためか。

自分の自己否定を隠すためか。

どちらでしょうか?

 

 

今日はそんな自分を変えたい心理、

「自分を変えたい!の思いの底に。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

自分をより生きやすくするために自分を変えたい。

先ほどの整理整頓で言うと、自分が使い勝手がいいように小分けにしたり片付けることで、探し物の時間が無くなったり、そのストレスが無くなったり、物を気持ちよく使えるようになったりする。

そうすることで、自分の生活が楽しくなったり余裕ができたりするので、そういう自分に向けて変わっていきたい。という場合です。

 

自分がダメだという自己否定から自分を変えたい。

これは、結構多いのではないかと思うんです。

片付けができない自分。

自分を管理できない自分。

完璧じゃない自分。

こんな自分を感じたくないから、自分を変えたいんです。

自分を変えて努力すれば。。。という思いです。

 

その。。。に続く思いこそがアナタの底にある本当の思いなんです。

 

 

<本当の問題は何か>

この問題は、アナタの自己重要感の問題なんです。

共依存とも関係しています。

人間は生きている限り、ダメな時もダメじゃない時もあります。

けれど、完璧だったりできる自分じゃないと目の前の相手から

攻撃される

否定される

無視される

拒絶される

そんな感覚があるんです。

 

 

だから、本音は

「相手を変えたい」んです。

自分を変えることで相手からの対応や反応を変えようとしているんです。

自分を変えることで、相手から

認めてもらいたい。

ここに置いてもらいたい。

見てもらいたい。

愛してもらいたい。

安心させてもらいたい。

そんな本音があるんです。

 

自分が頑張って変えようとしても相手が変わらない。

それなら、

自分が先に変われば相手が変わってくれるのではないかと思っているんですね。

 

そして、その心にはどれだけ頑張っても相手を変えることができない自分に、変わらない現実に絶望しているんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

頑張っても頑張っても報われない。

その思いは怒りへと変わり、より強く相手を変えることに必死になっていきます。

もう考えない

もう諦めた

もうこちらが折れてあげた

と自分を納得させようとしながらも、ずっと満たされない気持ちはアナタの中で燻り続けるんです。

 

 

だから諦めきれないんです。

アナタは親を諦めきれずに今度は

イヤでも受け入れること

親を嫌いだと思うこと

自分が悪いんだと思うこと

そうやって自分自身を持たずに、自分が悪いと思うことで自分が傷つかないように守っていきます。

 

続ければ続けるほど、自分という存在がなくなり、自分が分からなくなり、自分が苦しくなっていくんです。

 

 

<解決に向けて>

相手を変えたい。

その本音は、隠すものでも、否定するものでもないんです。

それほどまでに、親を求めていた自分に気がつくことです。

 

あぁ、わたしは相手を変えたいと思ってるんだなぁ。

お母さんが変わってくれたらいい関係を築けるのに。

お父さんが変わってくれたらラクに関われるのに。

そのアナタの本音を消してしまわないでくださいね。

 

自分をダメにして、

自分を無くして、

自分を否定して、

そうしてまでアナタは親を変えたかったんです。

 

その自分を感じてあげましょう。

 

たくさん感じた後に、アナタは気がつくはずです。

わたしの欲しい愛情はこれじゃなかった、と。

 

 

その時にアナタが自分を助けてあげたいかどうかなんです。

アナタが自分で自分を救いたいかどうか

なんです。

 

アナタのその決意は、自分を変えることで親を変えることから、自分のために自分を変わることへと繋がっていきますよ。

 

アナタの心が傷つくのは。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、Twitterでこんな言葉を目にしました。

 

傷つくのは、心が優しすぎるからです。

傷つくのは、アナタが優しい人だからです。

 

確かに一理あるのかもしれませんが、そう思うことだけで傷ついた心が癒されるかというとそれは違うなあと思いました。

 

だからといって、傷つくのはアナタの心が弱いわけでもありません。

 

ではなぜ、アナタの心は傷つくのか?

 

それは、

アナタが傷つくのが怖いからなんです。

 

傷つくことを恐れているから傷ついてしまうんです。

 

今日はこの

心が傷つきやすい人の心理、

「アナタの心が傷つくのは。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

 

自分は傷つきやすいな、と感じることってあると思います。

 

そんな時、

「弱いな、自分。」とか

「気にしすぎなのかなあ。」とか

「どうしたら傷つかないでいいんだろう。。。」と

自分を責めたり、傷つかないでいい方法を探したりしませんか?

 

 

だから、最初から傷つかないでいいように振る舞っていれば、傷つかなくていいんだって思っていきますよね。

 

そもそもどうしてアナタが傷つきやすいのかというと、そうやって必死に傷つくことを避けるからなんです、これが!!!

 

<本当の問題は何か?>

ここにあるのは、自己重要感の問題です。

 

傷つくことが怖い。だから傷つきたくない。

 

そう思えば思うほど、自分は何かあったら傷つくはずだとその自分を認めてしまっているんです。

 

アナタは、傷ついてしまったら自分にはその傷を受け止めるチカラがないのだと思っていないでしょうか。

 

傷ついてしまうと、

立ち直れず、

誰にも助けてもらえない、

ひとりぼっちの自分を感じてしまうのが怖いんです。

 

自分は、

傷ついたら傷つきっぱなし。

傷ついても放置されて誰からも助けてもらえない。

価値のない人間なんだ。

 

 

アナタが自分に対してそう思っていることが問題なんです。

 

 

自分の価値をアナタが自分で信じていたら、傷つく経験があっても

受け止め、

助けを求め、

よくなかった部分は改善し、

傷を引きづり続けることはなく、次へと進めると思います。

 

けれどそれができないのは、傷ついたらもう自分は終わりなんだとアナタが信じているからなんです。

 

 

そしてその自分を信じていれば、1番避けたい傷つく経験を避けられるし、傷ついてしまったみじめな自分を感じなくていいんです。

 

 

<このままだとどうなるか?>

アナタが自分に

傷ついたら大変なことになる!

傷つくことを避けるんだ!

と言い続けると、当然何もかもが怖くなります。

 

 

アナタは

傷つかないように考え、

傷つかないように発言し、

傷つかないように行動しないといけなくなります。

 

 

自分の価値のなさや、みじめさを感じないでいいように自分自身が感じている本音や素直な反応も抑えないといけません。

 

傷つくことを避ければ避けるほど、自分を受け止めるチカラや自分の価値を消していってしまいます。

 

そうするとアナタは、自分も周りの人も信じられず、ひとりぼっちで、結局自分は何をやってもダメなんだ。。。を握りしめることになります。

 

 

<解決に向けて>

もう傷つきたくない。

あんな思いはしたくない。

それほど傷ついた過去や経験があったから、アナタは傷つくことを恐れるようになったのかもしれません。

 

 

その時には、そうすることでしか自分を守れなかったのかもしれません。

 

 

けれど、そうやって自分のした経験や、そのまま感じた感情を感じないようにして生きてきたからアナタは傷ついたままなんです。

 

アナタはどんな経験をしても何も感じずにスルーしてこんなの大したことじゃないと自分に言い聞かせてきたからつらいんです。

 

 

傷ついた自分を、優しいからだと解釈して、特別扱いをして慰めてもラクになるのは一瞬だから苦しいんです。

 

 

傷ついても大丈夫という感覚は、自分に対する信頼感です。

 

傷つくことを避けて逃げることよりも、どのような時でもアナタがアナタのチカラを信じていることが大切なんです。

 

 

自分への信頼感を取り戻していくことで、傷つきやすい自分から傷を受け止められる自分へと向かっていきますよ。

 

 

 

 

 

理想の自分を崩したくない!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

最近、

自己重要感は大事だ。

ありのままの自分を愛そう。

そのままのアナタでいい。

という言葉、よく耳にしますよね。

 

 

では突然ですが、

アナタは自分のことを愛していますか?

そう聞かれた時に、アナタはどう答えますか?

 

素直に愛していると答えられる、それはとても素晴らしいことですよね。

 

しかし、その「愛している自分」とはどんな自分でしょうか?

 

 

そこに、

ポジティブな

素敵な

輝いている

そんな自分しか想像できなかったとしたら、アナタが愛している自分は、

理想の自分なのかもしれません。

 

 

 

今日はそんな、理想の自分でいようとする心理、

「理想の自分を壊したくない!」というテーマで書いていきます。

 

 

<本当の問題は何か>

ここに潜んでいるのは自己重要感、愛着、自己愛の問題です。

自己愛とは、自分を愛し、信じ、感じながら生きることです。

 

この自己愛が傷つくと、自分そのものを愛せず、信じられず、誤魔化しながら生きることになります。

 

自分のありのままを愛することができない。

だから理想の自分をいつも頭で想像し、その理想的な自分でいようとします。

 

 

本来、人間は

いいところもよくないところも、

長所も欠点も、

得意も不得意も、

どちらもあるものです。

 

けれど自己愛が傷つくと、人よりも劣っている部分が自分に存在するのが許せず、自分には優れている部分しか存在しないのだという幻想を抱くことになります。

 

 

なので、できない自分を隠したり、周りにバレないようにウソをついたり、人からよく見られようと努力して理想の自分になろうとします。

 

 

この自分の理想化の問題は、アナタが自分を愛することができなくて起こっています。

 

アナタは自分自身を感じてその感覚や感情を感じるよりも、親や、親の理想とする自分を感じ取ってきたんです。

 

 

親を感じ取ることで親を信じ、親の理想とする自分を感じ取ることで理想の自分を演じ、親から受け入れてもらってきたんです。

 

 

そうしないと、アナタが一番欲しかった親からの愛情がもらえなかったんです。

 

 

だから、

親の役に立てなかったり

失敗したり

間違ったり

期待に応えられない

そんな自分のダメなところは必死に隠さないといけなかったんです。

 

アナタは、理想の自分が壊れてしまうのがそれほど怖いんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

理想の自分だけをずっと見て、演じ続けていくことはとても苦しいことです。

いつメッキが剥がれてしまうかと怯え、周りを常に警戒しながら自分に鞭を打ち続けているようなものです。

 

 

アナタが自分の弱さを自分で直視できないということは、自分のよわさも、他人の弱さも受け入れられません。

 

常に誰からも愛されるために、自分で自分の価値を作り出さないといけないんです。

 

そのために、周りの人を

否定したり

拒否したり

思い通りにしようとすることで

自分の価値を見出そうとするようになります。

 

 

そうするとどうでしょうか?

 

 

この状態が続くとアナタの周りから段々と人が離れていきます。

 

アナタは孤独に自分の

価値の無さや

空っぽさや

虚しさを

ずっと否定して逃げながら、

自分の価値を保つために

理想の自分を崩さないために

人と関わっては否定し、拒絶されることを繰り返していくことになります。

 

 

<解決に向けて>

アナタがありのままの自分を愛せないのは、アナタに価値がないからではないんです。

 

アナタの空っぽさや虚しさ、価値の無さの多くが親との間に感じた感情です。

親からもらった感情なんです。

 

 

親自身が子どもであるアナタを見ていると、投影で自分の価値の無さを感じてしまったんんです。

 

 

だから、理想の子育てをすることや、子どもを自分の理想通りに育てることで、自分の空っぽさや虚しさ、価値の無さを埋めたかったんです。

 

 

それは、

理想の自分でないと居られない世界。

人からの評価がないと生きていられない世界。

 

 

アナタはその世界の中にまだずっと居たいでしょうか?

 

 

自分の人との関わり方に本当に危機感を持った時、アナタは今まで居続けた世界から出ることができます。

 

 

アナタは今までの理想の世界で、誰を思い通りにしたかったんでしょうか?

思い通りにできなかった怒りや恨みを、今のアナタの身近な周りの人にぶつけてはいないでしょうか?

 

 

アナタがそこから出ることを決めた時、この問題は解決へと向かいますよ。

愛されたいのに嫌われてしまう。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

 

先日、話の中で犬派か猫派か、という話になりました。

それぞれの派の主張もしっかりしていて、もう自分が満足できればどちらでも良いのだ!という結論ではない結論に至りました。

 

犬派も猫派も、自分の愛し方や愛され方がくっきり出ているんだなーと思いました。

 

 

犬派はいつでも犬に構いたいし、猫派は自分の好きな時に構いたい。

犬派は猫の気ままさが不安になるし、猫派は犬の従順さが重く感じる。

 

 

人は、自分の思うように愛したいし、思うように愛されたいんだなあーとふむふむ納得しながら聞いておりました。

 

 

しかしながら。。。です。

いつも自分の思うように愛し愛されることはなかなか難しいですよね。

 

 

特に、愛する人に愛されたいと思う時ほど頑張ってしまうものですよね。

 

ただ、これが全ての人が対象だとすると大変です。

 

 

人から愛されたくてたまらない。

人から嫌われないように必死に努力する。

大切な人から大切にされたい。

粗末に扱われないように懸命に振る舞う。

 

それにも関わらず、

人から嫌われてしまう。。。

人からぞんざいに扱われてしまう。。。

愛されない。。。

大切にされない。。。

 

 

そうならないように、そんなことが起こらないように、自分ではすごく気をつけているのに、気がつけば自分が傷つくような結果になってしまう。。。

 

 

さて、どうしてこのようなことが起こってしまうのでしょうか???

 

 

これ、実は。。。

自分から嫌われようとしているんです。

 

 

え???

そんなことはしていない???

そうですよね。

そう思いますよね。

愛されたいのに嫌われる。

大切にされたいのにぞんざいにされる。

楽しく関わりたいのに怒らせてしまう。

 

今日はそんな心理、

「愛されたいのに嫌われてしまう。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

先ほども書きましたが、どうして愛されたいのに自分から嫌われるようなことをしてしまうと思いますか???

 

 

これって、幼少期のある思いと非常に強く結びついているんです。

 

その思いというのが。。。

 

 

<本当の問題は何か?>

ここに潜んでいるのは、脱愛着の問題です。

 

そもそも、愛情というものを諦めている状態の脱愛着。

温かいぬくもりという感覚がよく分かりません。

人との愛情での交流、

人との間で育む安心感、

人との絆を信じる感覚、

そういった人と繋がりたいという欲求を切り、無くすことで世界に順応してきたんです。

 

 

人は安心しないと生きていけない。

そう感じながらも、

安心を求めたら自分は死んでしまう。

と思っているんです。

 

幸せになりたいと強く願いながら、幸せになって満たされてしまうと自分の空っぽさや虚しさに気がついてしまう。。。

 

 

なので人と関わりたいと感じながらも、関わりを求めてはいけないので避けて生きることを選んでいるんです。

 

 

でも、本当に関わりがもらえないと子どもは生きていけなくなります。

 

 

自分の存在を完全に無視された状態で、子どもは命を繋ぐことはできないからです。

 

 

完全に無視されるくらいなら、

否定

罵倒

怒り

そういったイヤな感情でもいいから、相手から引き出そうとします。

 

 

イヤな感情こそが、相手と繋がるための唯一の方法になるんです。

 

 

イヤな感情で繋がることこそが、自分にとって関わりという愛情を感じられる。

 

 

だから繋がりたい相手にこそ、自分から

否定

罵倒

怒り

などのイヤな感情を相手にもらいに行くんです。

 

 

わざわざ、

自分から相手に嫌われに行くんです。

 

<このままだとどうなるか>

わざわざ自分から相手に嫌われるようなことを言ったり、したりするのですから、それは相手は嫌がったり、怒ったり、否定的な反応をしたりします。

 

相手から否定的な反応や、拒否、拒絶か返ってきたらそこで止めることができるのが大人の対応です。

 

しかし、

相手を傷つけること

相手から嫌われること

相手を怒らせること

相手から否定されること

が人との関わりや繋がりになっていたら、これらの反応は自分にとって大切な関わりや繋がりになってしまうんです。

 

 

無視されるくらいなら、否定的な関わりでも欲しいんです。

 

 

だから相手を

嫌がらせることや

怒らせることや

困らせることを

止められないんです。

 

そうするとどうでしょうか???

 

 

自分としては大切な関わりや繋がりだとしても、相手からすればただの嫌がらせです。

 

嫌がらせをずっとされていたら、当然ながら相手は離れていきます。

 

 

自分の周りからは人が居なくなってしまいます。

 

結局、待っているのは孤独なんです。

 

 

 

<解決に向けて>

嫌われてでもいいから、相手と繋がりたい。

無視されるくらいなら、嫌われてもいい。

 

そこには自分は見てもらえなかったという大きな傷があります。

 

 

あなたはそれほどまでに人との関わりや繋がりが欲しかったんです。

あなたは本当は人を求めていたんです。

 

 

だからこそ、嫌われてでもいいから

関わりを求めたんです。

繋りを求めたんです。

 

確かにそれはとても悲しいことだったと思います。

とても傷ついたと思います。

 

しかしながら、です。

あなたは、この関わり方をずっとこれからも続けたいでしょうか???

 

 

本当は、あなたには安心して人と関わり、繋がる力はもうあるんです。

そのチカラを自分がどうしたいか、ですよね。

 

 

そこを丁寧に見ていくことで、この問題は解決へと向かっていきますよ。

 

 

ずっと待ち続ける人生。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、子ども達の話を聞いておりますと、

「ウチの赤ちゃん、まだなーんもできんとよ。」

「まだ赤ちゃんやけん、仕方ないっちゃない?」

「え?そんなら、パパもなーんもできんよ?自分でなんもせんもん。大人なのにさー!」

という微笑ま。。しい家族の話を暴露。。。聞かせてくれました。

 

自分でなんにもできん。

と子どもに言わせるくらい、お母さんが痒いところに手が届く、という対応をしているのかもしれません。

 

けれど、これが自分でやらないといけない場面でも、誰かが何とかしてくれるまで自分から動かないとしたら。。。

これは、確かに

自分では何もできない、という状態です。

 

それは、誰か助けてくれる人が現れるまでずっとずっと待ち続けるということになります。

 

 

今日はそんな、自分から動かずに、ずっと相手から動いてくれるのを待っている心理、

「待ち続ける人生」というテーマで書いていきます。

 

 

 

あなたの人生、人生から動かずにずっと相手の出方を待つだけで本当にシアワセを感じることができるでしょうか???

 

そもそも、あなたはどうして自発的に動かないと決めたんでしょうか???

 

<本当の問題は何か>

ここに潜んでいるのは共依存の問題です。

 

自分から動かずに、相手から動いてくれるのを待つのは、あなたが自分のチカラを信じることができないということなんです。

 

あなたの中のチカラを消して、周りの誰かに自分を預けることでイヤだとは感じながらも、本心では安心している。。。

 

自分で動かないのがイヤなのに、ラクなんですね。

 

イヤだと感じながらも、自分で動かないといいことがたくさんあるんです。

傷つかないし

失敗しないし

人のせいにできるし

考えなくていいし

安定もしています。

 

実はいいことだらけだったりします。

 

何だか自分のイヤさをガマンして、その時だけをやり過ごしていれば、身の安全が保障されて、自分の未来までもがこれでいいような気がしてくる。

 

 

だから、あなたは

何かいいことないかなー。

と言いながら、

誰かが何とかしてくれないかなー。と

自分から動くことをしないんです。

 

これは、あなたの幼少期の親子関係から来ていることが多く、親との関係において

自分から動かない方が安全。

親の言うことを聞いておくといいことがある。

と、親の前では

自分よりも親を信じて、

自分よりも親を感じて、

自分よりも親を守ったんです。

 

つまりは、親の前では

何もせず、

親が何かを言ったり行動するまで待ち続け、

自分自身を止める、

ということをしていた方が安全なのだとアナタが学んでしまったということなんです。

 

<このままだとどうなるか?>

たとえ自分の心に不満があっても、まだ耐えられる。

イヤでも、耐えている方が自分はラクでいられる。

そう感じている時は、当然ながらずっとずっと今の自分の場所から救ってくれる誰かを待ち続けることになります。

 

待ち続けるということは、自分から何もしない、ということです。

 

あなたの人生、自分から何もしないとどうなってしまうでしょうか?

 

自分から

何も欲しがらず、

何も動かず、

自分を放り出して、

何もできない自分として生きていくことになります。

 

 

the昭和のオヤジのように、誰かが何かをしてくれるまで動かず、自分では何もできない。。。

 

自分ひとりでは、生きていけないんです。。。

 

何もできない自分として生きていくのは、

自分を感じられず、

自分が分からず、

自分の主導権がない。

 

そのかわりに手にするものがひと時の安全であり、偽りの安心なんです。

 

土台には

自分を感じられない怒り

自分を分からない絶望

自分に主導権がない悲しみ

がしっかりと根付いているので、

 

自分が自分でいていいんだ、という感覚をずっと持てないんです。

 

 

自分から何もせず、待って、待って待ち続ける。

それは自分を

分かってもらい、

察してもらい、

大切に扱ってもらい、

周りに自分自身を保ってもらおうとしているんですね。

 

人生を待ち続ける限り、あなたはあなたをずっと生きられなくなってしまうんです。

 

 

 

 

<解決に向けて>

ああ、自分はいつも待っているなあ。。。

そう思ったアナタ!!!

 

待っている自分を責めなくていいんですよ。

 

待ち続けていないと、人生には幸せは来ない。

あなたがそう思い込んでしまった過去からの人間関係があるんです。

 

それこそが共依存という関係なんです。

 

自分を持ってしまうと危険。

自分を感じてしまうと壊れる。

自分を生きるとひとりぼっち。

 

あなたの中にあるその恐怖を見ずに、自分という存在を消しながら自分を救ってくれる誰かを待ち続けていても、いつになったら救ってくれる誰かは現れるでしょうか???

 

まず、あなたが気がつくことは、自分の中の自分から逃げているのだということなんです。

 

 

アナタの中の自分には、良いものばかりでなく

 

怖さ

弱さ

悲しみ

絶望

孤独

つらさ

痛み

そんな逃げたくなるほど見たくない感情もたくさんあるのだということ。

 

アナタは自分の中にある、その逃げたくなるほど見たくない感情を、これからどうしていきたいでしょうか???

 

そこに向かう決意をすることが、アナタの待ってばかりの人生を大きく動かす一歩へと変わっていきますよ。

 

こんなに頑張ってるのに!!!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

先日、何かで

自分が一方的に何かをやっている、と感じる時は

人が不満を感じている時なのだと聞きました。

 

最初は自分からやりたいと思ったかもしれません。

それが

やっている。

やってあげている。

やらされている。

と変化していくんですね。

 

 

アナタは、

「わたしがやるのを当たり前と思わないでよね!!!」

「自分さえ良ければいいの???」

「なんで分からないの???」

「こっちは、こんなにやってるのに!!!」

という不満、人間関係で顔を出すことはありませんか?

 

 

例えば、

  • 仕事で自分の頑張りを評価されない
  • 家族からの感謝が足りない
  • 恋人のために尽くすのに相手は自分のことばかり
  • 懸命に子育てをしてるのに子どもが言うことを聞かない
  • 試験や面接や昇進に向けて頑張ったのに他の人が評価された
  • 人知れず努力しているのに誰にも伝わらない
  • やるべきことをやったのに文句を言われた
  • 自分のやっていることが割に合わない

 

このように自分の頑張ったことに対して相手から返ってきた反応が、自分の期待しているものと違った時に人は頑張っても報われない怒りや悲しみを感じます。

 

 

今日はそんな報われない不満の心理

「こんなに頑張ってるのに!!!」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

頑張っているのに報われない。。。

 

この不満はやがて、

この頑張りを分かってくれないアイツが悪い!

そもそも会社や社会の制度がおかしい!

と人間関係をおかしくしていきます。

 

 

この報われない不満、相手に分かってもらえたら解決するでしょうか???

 

<本当の問題は何か?>

 

ここにあるのは、共依存、他人軸の問題です。

 

こんなに頑張ってるのに!!!という報われない頑張り。

 

この頑張りは、相手に自分を評価してもらい、分かってもらい、受け入れてもらうための頑張りなんです。

 

頑張っていたら、誰かが認めてくれる。

 

頑張る自分を誰かに見せていたら、褒めてもらえる。

 

頑張り続けていたら、周りの人が気にかけて助けてくれる。

 

自分を無くして、

誰かのために

何かのために

頑張っていたら愛情が返ってくることを期待した頑張りなんです。

 

なので、愛情が返ってこないと不満が起こります。

 

気にしなければいい、

自分で認めてあげたらいい、

諦めたらいい、

そう思ってみたところで、子どもの頃からずっとずっと感じてきた「愛してほしい」という思いは無くなったりしません。

 

だから頑張ることで、親からの愛情を手に入れようとしてきたんです。

 

愛する親からの愛情が返ってこないことは、子どもにとって世界が壊れてしまうほど恐ろしくてたまらないことだから。

 

子どもはまず、愛してもらうということから始まらないと生きていくことが怖くなってしまいます。

 

その生きるための愛情をもらうために自分を無くし、親を飲み込むようになるんです。

 

自分を無くしてすり減らして頑張っているのに、その頑張りが誰にも分かってもらえない気持ち。。。

 

悲しくて当然です。

苦しくて当然です。

虚しくて当然です。

 

生きるためには頑張っていないといけないので、頑張り続けないといけない。

でも自分を無くさないと愛してもらえないから、頑張っていることを自分から表現することは許されない。

 

この愛されるために自分を無くさないといけなかった

怖さや

怒りや

つらさや

恨みや

悲しみこそが

「わたしはこんなに頑張ってるのに!!!」

という思いの正体なんです。

 

<このままだとどうなるか?>

 

ここに気がつかないままだと、ある時誰かに瞬間的に分かってもらえたとしても、この報われない思いが消えることはありません。

 

自分を無くしている限り誰かに

分かってもらい続け、

大切にしてもらい続け、

見てもらい続け、

愛してもらい続けないといけないので、

 

頑張りながら愛してもらうために自分を無くすことはやめられないんです。

 

なので、こんなに頑張ってるのに!!!という報われない思いをずっと抱えながら自分を擦り減らして頑張り続けないといけなくなります。

 

自分を無くしたままなので、自分で自分のことを助けるチカラがないと思っているんです。

 

 

ずっと誰かに

愛してもらい

見てもらい

助けてもらえないと生きていけなくなってしまいます。

 

頑張り続けることは苦しくてつらくて仕方ないのに、頑張ることに執着しないと生きていけなくなってしまいます。

 

<解決に向けて>

 

何かに執着しないと生きられないのは、失うことに大きな怖さがあるからです。

 

自分を無くして頑張らないと愛情を失うと思うから、怖くてたまらないんです。

 

この怖さを見ないまま、報われない不満だけを消すことはできません。

 

「こんなに頑張ってるのに!!!」という思いを、あなたは誰に対して抱き続けてきたんでしょうか???

 

本来、人は愛されるために頑張り続けなくても幸せになっていいんです。

 

人に自分を預けなくても生きていけます。

 

そこに怖さがあると、頑張ることで誰かに愛してもらうことをやめられないんです。

 

頑張らないと生きられないし、自分を無くさないと愛されない。

 

ここの怖さの根本を見ていくことで、この問題は解決へと向かっていきますよ。

 

アナタなんていらない。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

新年も明けて2週間。

 

緊急事態宣言が出た地域もあり、まだまだ日常という感覚にはなかなかなれませんね。

 

日常は変わりながらも、自分の家族、職場、学校、コミュニティー等々での人との人間関係の築き方というのはそうそう変化はしませんよね。

 

人との付き合い方。

自分の人の求め方。

 

最初のうちこそ楽しかったり、嬉しかったり、近づいたりするのが心地よく感じるその人間関係が、段々と親しくなったり、慣れてきたりすると何だかイヤになったり、鬱陶しくなったり、離れたくなったりと心地悪くなったりしてしまうことってありませんか?

 

 

目の前の相手と最初は良好な関係なのに、慣れるとケンカが増え、もう放っておいて!と避けたくなったり、アナタにわたしの何が分かるの?と責めてしまったり、アナタと一緒に居たくない!と否定してしまったり。。。

 

 

今日は親しくなるほど投げ出したくなる心理、

「アナタなんていらない!」というテーマで書いていきます。

 

 

 

相手を責めたり否定したりすることが続けば、相手はあなたから離れていってしまいますよね。

 

それを望んでいないにも関わらず、そんな関わりを繰り返してしまうのはなぜでしょうか???

 

 

<本当の問題は何か>

この親しいほど近づけなくなる心理は、回避性の愛着の問題です。

 

近づけば近づくほど段々と心地悪くなる人間関係は、主にあなたの幼少期の親子関係と大きく関係しています。

 

あなたの幼少期の親子関係は、成長するとそのまま他人との人間関係になりやすいんです。

 

子どもは常に大好きな親を求めます。

しかし、求めるたびに

拒絶

否定

無視

虐待

ネグレクト

などの反応が返ってくると、子どもは傷つき、心が満たされません。

 

 

すると親を求めることを諦めて

親と離れていた方が安心。

と自分の心にいい聞かせ、刻んでいきます。

 

 

幼少期に親との関わりでそう学んでしまうと、人と近づき親しくなればなるほど自分の心の中の安心感が脅かされてしまいます。

 

 

人を求め、近づくことに

安心よりも不安や不快の気持ちの方を強く感じてしまうんです。

 

 

なので目の前の人との心の距離が近くなると、相手が離れるまで「アナタなんていらない!」と相手のことを責めたり否定したりしてしまうんです。

 

 

そうして相手を怒らせたり、敵意を持たせたりして、これ以上人との関係が近づいたり親しくなったりしないように自分で仕向けてしまっているんです。

 

あなたが人間関係を放り出してしまうんです。

 

 

愛してもらいたい人に愛してもらえない。

 

 

だから自分から「アナタなんていらない!」と愛する人から離れることで、せめてもの繋がりを何とか保とうとしているんです。

 

 

諦めることで両親と繋がれているんです。

 

 

人から離れておかないと、

人を責めておかないと、

人を否定しておかないと、

人から愛されない無価値な自分を思い出してしまうんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

愛してもらえないから、これ以上傷つかないように両親から心の距離を離す。

 

距離をとって責めて否定することが、人間関係になっていく。

 

 

愛してもらえないという悲しみと絶望を見ないでいいように、諦めることで人と繋がっていく。

 

 

自分を諦めて自分を傷つけることで、自分のことを見てもらおうとするんです。

 

 

自分が傷つかないように人から離れ、自分を傷つけることで人から関わってもらおうとするんです。

 

 

なので

アナタなんていらない!

アナタは必要じゃない!

アナタがいなくても大丈夫!

という怒りを目の前の人にぶつけていくことがやめられません。

 

 

怒りをぶつけて放り出した結果、相手は離れていき、この怒りは自分自身へと向いていきます。

 

 

今度は

お前なんていらない!

とあなたがあなたに対して言うようになり、あなたを傷つけていきます。

 

 

その傷ついた状態でいると、ひとりぼっちの寂しさや虚しさから人を求めることが

できるので、人を求め関わることをするのですが、近づいて親しくなると居心地が悪くなり、責めて否定して放り出すと言うことを繰り返してしまいます。

 

 

<解決に向けて>

この一連のあなたの行動には、賭けとも言える望みも入っています。

 

どれだけ自分が責めても否定しても、自分が信じられるまで

愛してほしい。

安心させてほしい。

不安を消してほしい。

 

それが叶わないことに、また絶望しているんです。

 

あなたのその悲しみと絶望を、あなたが受け入れるかどうかなんです。

 

本当は絶望している自分にあなたが向き合うかどうか。

 

 

親が自分を愛してはくれなかった。

それが事実であろうとなかろうと、親から愛されていたかどうかで決してあなたの価値は決まったりしません。

 

 

 

親を何とかして変えたかった自分。

親に何とかして愛されなたかった自分。

 

その自分が居てもいいじゃないですか。

本当にあなたは心から親を求めていたんだから。

 

たとえ叶わなかったとしても、そこに傷ついていたとしても、ちゃんと癒していくことはできます。

 

 

そこにあなたの価値は何も関係ないんです。

 

 

あなたにとって、人と関わることは自分が傷つくことではありませんか?

でも、それって本当でしょうか?

 

大切なのは、あなたが自分らしく人とどうつながっていきたいかを考えることです。

 

 

あなた自身で考え、どうしていきたいかを決めた時、選択肢は逃げる、避ける、から広がり始めます。

 

 

絶望というのは今までの自分のやり方、生き方を変えて、

新たな自分の信じたいやり方や生き方へと向かおうとしている時です。

 

 

そのお手伝いとして、ぜひ心理セラピーも活用してみてくださいね。

 

弱さの否定。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先月のことではありますが、ケータイの機種変更をしました。

4年以上も使い込み、事あるごとに変更を考える機会はあったものの、愛着がわいちゃって♡という理由でずっと使い続けていたんです。

 

いよいよバッテリーが飛びまくりを迎えてしまい変更を余儀なくされるのですが、まあまあのビビり具合なわけです。。。

 

新しいもののワクワクよりも、なんだか困ることの方が増えそうでユウウツ。。。

 

 

今まで登録していたことをまたやり直さないといけない、今まで慣れていたことが新しくなることでできなくなるかもしれない、などなど。。。

 

 

けれど、そんな自分が何だか弱いようにも思えたりもして、新しいことへの楽しさを無理矢理に考えてみようとしたり。

 

 

オイオイ!ケータイの機種変だけで、何を大げさに!!!なんて思いながらも、やはり弱いお思う自分が出てくるわけです。

 

自分の弱さが見えた時に、受け入れられるか、否定するか。

 

 

この「自分の弱さ」への対応で、生きやすさは大きく変わるな、と思います。

 

 

今日はそんな、自分の弱さの受け入れの対応の心理

「弱さの否定」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

あなたは自分のことを弱いなあ。。。と感じることはありますか?

 

自分の弱さを感じた時に、

 

①弱い自分にならないように強くある。

②弱いからこそ強くなろうと頑張る。

 

これって似ているようで違うんです。

 

これは。。。

①弱さを持つ自分を受け入れられない。

つまり、弱い自分の存在をシャットアウトして、認めたくないと思っているんです。

自分の弱さが人にバレてしまうのを怖がっていて、いつも他人から見た自分なんです。

 

②弱さそのものが受け入れられない。

こちらは、弱い自分の存在は知っています。

その弱い自分が、弱さに負けたり飲み込まれたりするのを怖がっていて、自分から見た自分を見ています。

 

 

②のように弱い自分を分かっていれば、たとえ自分の弱さに直面した時にも、もがきながらでも進むことができます。

 

しかし、①のように弱さを持つ自分を否定してしまうと、人生そのものが逃げるか、避けるかしかなくなり、止まってしまうんです。

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは、自己重要感の問題です。

弱さという自分のマイナスとも思える部分が見えそうになると、必死に隠そうとしてしまうことが問題なんです。

 

そのままの自分で価値があるとは思えない。

 

誰かの役に立ったり、望みや期待に応えたりすることで自分の中の安心感を育ててきていて、それが出来なくなると、とてつのない虚しさを感じてしまいます。

 

誰かを受け入れていたらここに居てもいいんだ、という感覚もあるので

「人生はガマン!」となりがちです。

 

人生のあらゆることが人からどう見られるか、という他人軸でいつも自分が他人から見た自分なんです。

 

他人から自分の弱さがバレないように、強い自分でいられるように、自分の弱さなんて認めるわけにはいかないんです。

 

 

弱い自分を認めてしまうと、誰かにつけ込まれたり、責め立てられるかもしれないという怖さもそこには眠っています。

 

弱い自分を認めてしまうと

自分が無くなってしまうような、

飲み込まれてしまうような、

全ての自分のチカラを奪い取られてしまいそうな、

そんな怖さから、自分の弱さを認めずに必死に周りにバレないように隠し通そうとするんです。

 

 

弱さを出した途端に否定されたり、拒否されたり、無視されたりしてしまい、自分が強くなることで自分自身を守ろうとしたんです。

 

 

自分の弱さがバレるということは、自分の存在の無意味さがバレてしまうことと同じなんです。

 

だから、必死に隠さないといけないし、認めることなんてできないんです。

 

そのプレッシャーと悲しみたるや、大きく深いものです。

 

 

<このままだとどうなるか>

無理矢理に強くなってきたあなたの強さは、役に立ち、ニーズに応え、生きるために自分を苦しませることで身につけてきたものです。

 

このままでは、あなたは自分の弱さを隠し、認めず、苦しむことで生きていくことになります。

 

ならば自分のありのままを生きたらいいじゃないか、そう思うでしょう?

 

けれど、自分の弱さを否定せずありのままの自分という素で生き、振る舞い、人と関わると自分が必死に隠してきた自分の虚しさ、存在のなさ、心許なさをダイレクトに感じてしまうことになります。

 

 

だから弱さを否定することで、そこに気が付かないでいいように守ってきたんです。

 

しかし、このままだと自分をずっと隠しながら、苦しみを選択し続けてしまいますよね。

 

 

弱さを認めるのも、認めてありのままに生きるのも、どっちも怖いですよね。。。

これ、どうしたらいいんでしょうか。

 

 

 

<解決に向けて>

自分らしく生き、人と繋がり関わり合いたい。

これは人間として、誰もが持つ自然な欲求です。

 

しかし、人から見た強いかりそめの自分を作り、自分の弱さを否定していないと人と関わることができない。

今のそのままの自分に価値があるなんて思えないんですね。

 

 

自分は

居てもいなくてもいい存在

どうでもいい存在

必要のない存在

この感覚があなた中にある限り、行動だけで無理に弱さを認めようとしても、余計に怖くなって元の自分に戻ってしまいます。

 

 

目を向けるのは、

あなたがそのように感じた過去の傷があったということ。

そしてその傷を今だに抱えてあなたの人生に採用しているということ。

です。

 

その触れたくないあなたの傷のままの思いが、悲しみと絶望なんです。

 

 

大切なのは、

あなたがあなたをどう思うのかということ。

あなたがあなたをどう感じるのかということ。

あなたがあなたをどう信じるのかということ。

なんです。

 

 

自分の弱さを避けることなく、否定することなく、自分を見ていくこと。

 

心理セラピーでも、ここを見ていくことはできます。

 

あなたが自分の弱さを否定せず、認めていけるかどうか。

 

ここに目を向けるだけで、あなたの行きやすさは大きく変わりますよ。

 

 

石橋を渡らず、転ばぬ先の杖を用意する。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

 

明けましておめでとうございます。

新たな年も皆様にとって良き一年となりますようお祈りモー牛あげ。。。お祈り申し上げます!

うっしっしっ。。。

 

さて失笑はさておき、年末年始はあまり出かけず、帰省や旅行などをせず家でゆっくりと過ごすという方も多いのではないでしょうか。

 

そうすると、ゆっくりとしたり、落ち着いて振り返ったり、新たな年に向けての英気を養ったり、と自分へ向かうという時間を持つ方も多いかと思います。

 

旅行などが楽しいのはもちろんなので行けないのは残念に感じて当然ですが、帰省がユウウツだった方にとってはその予定がなくなり嬉しいはずなのに、それはそれで憂鬱になったり。。。

 

重さや鬱陶しさや噛み合わないストレスからは逃れられたのに、時間が出来たことにより、これからの自分のことを考える時間ともなり不安や心配や怖さが出てきてしまう。。。

 

年末年始、ひとりでいても、家族と居ても、誰といてもどこにいても実はモヤモヤしてしまう。。。

 

そう。

いつも、自分はイヤな思いをしないでいいようにしているのに、最終的には虚しかったりモヤモヤしてしまっていませんか。

 

石橋を叩きまくって充分に気をつけて。

転ばぬ先の杖を用意して万全に準備して。

 

そうやって日々イヤな思いをしないでいいように頑張っているのに、そのイヤな思いから逃れられない。

 

今日はそんな新年一発目。

イヤな思いをしないでいいように頑張ってるのに逃れられない心理、

「石橋を渡らず、転ばぬ先の杖を用意する。」 

というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

どうしてあなたはいつもイヤな思いがついて回ってくるのでしょう?

イヤな思いをしないでいいように。

傷つかないでいいように。

自分を守れるように。

いつも行動しているのに。。。

 

けれど、あなたのその行動こそが問題解決を先送りしているとしたらどうでしょうか?

 

<本当の問題は何か?>

ここのあるのは回避性の愛着、脱愛着の問題です。

 

回避とは、人と人との間に温かい交流や深い関係を求めようとせず、避けるという対応で傷つくことや拒否されることを経験しないでいいように、人を求めたいという欲求を自分の中からシャットアウトすることで、生きることに適応している状態を言います。

 

人は一度でも痛い経験をすると、もう傷つきたくないと思うものです。

また同じような経験をすることを避けようとするのは当然のこと。

 

しかし、そこで周りの人からの支えや、自分の心の傷の手当ができると、受け入れ、その経験がどれほどつらくても受け止めることができます。

 

ところが回避性の愛着や脱愛着の人は、傷ついた時にその場から離れて耐えたり、起った出来事を拒否することで、自分を守ろうとします。

 

傷を

見ないこと

思い出さないこと

閉じ込めること

で自分を保とうとするんです。

 

 

つまり、自分の傷ついた経験をそのまま放ったらかしにしているんです。

 

 

そして傷ついた時に感じた自分の

無力感

無価値感

悲しみ

という受け入れきれない恐怖絶望を感じたくなくて自分の中にそのままの状態で封印しているんです。

 

 

自分は愛されない人間だと感じることを避けながら、本心では自分は愛されない人間なんだと信じてしまっているんですね。

 

逃げの二重構造になっているんです。

 

それが自分を守る方法だと思っているから。

 

 

<このままだとどうなるか?>

自分の中に逃げなければいけない、避け続けたい感情がある限り二重では足りず三重、四重、と傷つくことを避ける方法を見つけ出さないといけなくなります。

 

 

その場しのぎにその時の苦痛から逃げることだけを繰り返していても、あなたのイヤな気持ちやモヤモヤや不安や恐怖は消えないんです。

 

目の前の石橋が壊れるかもしれないと、橋を渡るのを避け続けても自分の行きたいところには行けません。

 

いつまでも目的地に行こうとしない自分を隠して、歩き出しもしない自分に杖だけ準備して行くつもりになったところで、いつまで経っても到着しないのは明らかです。

 

 

問題は自分が動かない限り、何も解決しないんです。

 

 

石橋を渡らず、転ばぬ先の杖ばかりを用意して、自分が行動しない言い訳を納得させる状況と理由を作り続けないといけなくなります。

 

あなたはこのままでは、

自分から何も行動することなく、

自分から何かに挑戦することなく、

あれは危険だ、これは危ない、それは安全じゃない、と言いながら

自分から自分の人生の可能性を止めていくでしょう。

 

 

<解決に向けて>

あなたの中の眠ったままの

本音

想い

感情

反応

それらと向き合うことを逃れていると、自分の人生そのものからも逃げ出してしまいます。

 

 

だから向き合うしかないんです。

 

 

そして、それほどまでに怖かったんです。

自分の本当に感じてきたものが。

否定せずには自分が安全を感じられなかったんです。

 

感じてしまうと自分は脆くも崩れてしまうと思うほど、助けを求めたその時にあなたはひとりぼっちだったんです。

 

あなたの心は、それほど安全が守られていなかったんです。

だからこそ、ずっと怖くて避けてきた。

 

 

今あなたが避け続けている

イヤな気持ちや

モヤモヤや

不安や

恐怖は

今だけのものでなく、あなたがずっと過去からそのままにしていた傷でもあります。

 

 

それだけ懸命に「生きる」ということを、あなたは頑張ってきたのだと思います。

 

 

その傷に気がついた時に

また逃げる選択をするか、

自分の人生を見直し、立て直すという選択をするか。

 

 

避けるという守り方でなく、向き合うという自分の守り方は、自分を生きるということに繋がっていきますよ。

 

 

素直でいたいのに反発しちゃう。。。

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

 

あー、自分の気持ちに素直になりたい。

誰しもそう思いますよね。

特に日々を自分の思うように過ごせていなかったり、自分に無理をさせていたり、人のことばかりが気になっていたりすると、素直な自分で居たいと切に思いますよね。

 

♪だのに〜

な〜ぜ〜♪

 

 

実際は

知らん顔したり

気持ちとは裏腹な行動をしたり

相手に噛みついたり

絶対に認めなかったり。

 

しかも、親しい関係の人に限ってそんな態度を取ってしまう。。。

そうやって素直どころか

反発することを繰り返してしまう。

 

 

♪歯をく〜いし〜ば〜り〜

君は〜ゆく〜の〜か〜

そんな〜にして〜まで〜♪

 

 

どうしてあなたは素直になれないんでしょうか?

どうしてあなたは親しい人ほど反発してしまうんでしょうか?

 

 

今日はそんな素直になりたい人にほど反発してしまう心理、

「素直でいたいのに反発しちゃう。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

まだ距離が近くなけれはある程度の礼節を保ちつつ関わる事ができる。

 

けれど、心の距離が近くなればなるほど目の前の相手に何だか反発して素直な気持ちで関わることが出来なくなる。

 

これって、あなたの中で何が起こっているのでしょうか?

 

<本当の問題は何か?>

ここにあるのは投影の問題です。

あなたは目の前の人に、ある思いを重ねているんです。

 

それは。。。

あなたが幼少期に伝えたくても伝えることが出来なかった、表現することを許されなかった思いです。

 

そう、あなたの両親に。

 

あなたが感じた感じた感情。

それは子どもが言ってる事だから。。。と軽んじられるものではなく、とても大切な感情です。

 

それを大人側の都合や利用で

止められたり

無視されたり

否定されたり

笑われたり

非難されたりしたら

当然子どもの心は傷つきます。

 

 

傷つくこと自体は悪いことではありません。

 

いつも傷つかずに生きることはできませんし、守ってばかりでは心も身体も成長できません。

 

傷をそのままで放っておくから、ずっとずっと得体の知れない大きな傷となって傷つきっぱなしの自分になってしまうんです。

 

それがトラウマとなり、自分を止めてしまうことは多いんです。

 

 

あなたが自分の素直な、あなたのままの感情を感じても、

何も返ってくることなく

責めて非難され

そのように感じるあなたが悪いのだ、という結果しか得られなかったら

 

 

怒ってもムダ

泣いてもムダ

言ってもムダ

 

 

という経験を自分の中に積んでいくでしょう。

 

 

そうやって全てを諦めて生きるのは

どれだけ素直に

怒っても

泣いても

言っても

変わらなかった現実に失望しているんです。

 

そうやって自分の人生に絶望しているんです。

それが自分なんだと思っているんです。

 

 

なので人と親しくなり、人に心を許していくことをすると

その失望を思い出してしまうんです。

自分に失望し、人生に絶望している。

そんなことを感じたくなんてありませんよね。

 

 

生きていく上でつらくなってしまいます。

だからこそ感じないように、思い出さなくていいように避けようとするんですね。

 

 

目の前の人へ反発し、その人を遠ざけることで自分を守ろうとするんです。

 

 

でもそれは、同時に

元の傷ついたままの自分に戻るということでもあるんです。

 

<このまま続くとどうなるか?>

傷ついたままの自分に、気がつけばいつも戻ってしまう。

けれど戻ることを選んでいるのはあなた自身でもあるんです。

生きることを諦めて、自分の人生が辛くなり、生きることに絶望していく。

 

別に

生きていたっていいことなんてない。

生きていたいわけじゃない。

自分が生きていて何になるのか。

 

自分を傷つけたまま失望し人生に絶望していると、そのままの自分で生きることを自分から拒んでしまいます。

 

どれだけ素直に生きたいと思っても、素直に生きることに反発して、元の自分に戻ろうとしてしまう。

 

悲しいけれど、その方が安心だし、その生き方しか知らないんです。

 

 

<解決に向けて>

怒っても

泣いても

言っても

自分にはこの現実を何も変えることはできないのだと思い知らされてきた。

 

つらすぎて、受け止められなくて人生がそこで止まってしまっている。

 

あなたの人生はそこで止まったままになっていませんか?

 

自分に失望したまま、人生を反発しながら生きていくのか。

自分への失望を受け止めて向き合うのか。

 

 

受け止めて、向き合うということは

今まであなたがやってきた

ムダだと諦めるラクさを止めると決めること。

失望と絶望から逃げてまで、ひとりで孤独になっていかないと決めること。

自分の中にある生きるチカラを信じてみること。

 

 

そこを見ていくことで、この問題は解決へと向かいますよ。