外面のいい人。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

 

お盆休みも明けて、少し暑さも落ち着いてきてくれたかな?という福岡です。

 

園でも、子どもたちの声が帰ってきました。

 

お盆の間の色々な話を聞かせてくれました。

家庭での姿と、園での姿は当たり前に子どもは違います。

園では見せない家庭の姿を聞いて保育者が驚いたり、家庭では見られない子どもの姿に保護者が驚いたりは、あるあるの風景です。

 

しかし、それにも度が過ぎると驚きが困惑になりますよね。

 

一体、どっちがホントの姿なの?と言いたくなるのも分かります。

 

大人でも、

いつも笑顔で誰とでも仲がいい人。

誰にでも親切で優しい人。

礼儀正しくキチンとしている人。

 

 

これがいつでもどこでもそうであるなら、問題は起こりません。

 

問題になるのは、

外ではいい人なのに、家に帰ってくるとまるで人格が変わってしまう人。

なのではないでしょうか。

 

 

 

外ではいい顔をするけれど、家に帰ってくると暴君。

 

これ。

まさに、わたしの父親がそんなタイプでした。

 

家の一歩外では、

社会的な行動を取るいい人

面倒見のいい上司

気配りができる優しい人

そんな仮面をつけていましたが、家に帰るとまあ、ソッコーで人が変わります。

 

仕事から帰ってくる時に、玄関の電気がついていないと怒り出し、

仕事から帰ったタイミングでご飯が出されないと、怒鳴り散らして責め立てて、

自分が寝る時に物音が立とうものなら、大暴れして非難する。

というような非人道的な行動が日常茶飯事でした。

 

いつも父親の機嫌や顔色を伺って、黙って存在を消す。

そして、父親の苦労話に耳を傾けて労う。

父親が家に居る時は、それが当たり前だったので夜に父親の帰宅の合図である車の音がすると、玄関の電気のチェックをしていた健気なワタシ。(と自分をかわいくアピール。。。おい。)

 

なので、周りの人からどれだけ「いいお父さんで幸せだね。」と言われても、全く理解も納得もできなかったので、そんな父親をよく言う人たちに対しては、無表情無反応という抵抗をしていた幼少期なのでありました(笑)

 

なんとかわいげのない子どもであろうと思われようが、そこはどうしても譲れなかったようです。

 

この外面がいいというのは、周りの関係性がそう深くない人にとってはとても心地よい関係なのですが、家族や親しい間柄にいると、たいへん厄介です。

 

なぜそんなことが起こるのか?

そんな人とどう付き合っていくのか?

これは単なる二重人格とかいう問題ではないんです。

 

そしてこれをずっと見てきたわたしに、どんなことが起こったのか?

 

明日のブログにてお届けします!

 

 

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親と子どもの役割が逆転する時。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

昨日のブログ、

お盆のユウウツ。

の続きです。

 

お盆のこの時期のユウウツ。

それは、アナタが

自分の親に対して、親の役割をしていませんか?

自分の子どもに対して、親の役割を求めていませんか?

という、親子の役割逆転についてのお話でした。

 

 

 

今日は、このお盆にわたしの親子の役割逆転について思ったことを書いてみます。

 

わたしの場合、息子の存在をお守りにすることで悲しみから自分の命を守った感覚があります。

 

 

もちろん大切な人と死別した場合、その出来事からどれくらい時間が経っているかということや、その人との関係性、受け入れられているかどうか、などで一概にこうだと言い切れるものではないと思います。

これはあくまでも、わたしと息子との関係においてわたしが感じたことです。

 

 

わたしは息子の存在をお守りのように、見守ってくれることを信じて生きていくことで、これからを生きていくことへのとって大きな支えにしました。

 

 

しかしそのお守りにすがってしまうと、人生はいつも守ってもらわないといけなくなります。

 

自分で自分のことを守れなくしてしまいます。

 

守るチカラがあったとしても、守ることを放棄してしまいます。

 

誰かに守ってもらわないと、生きていけなくなります。

 

けれど、その人生は実はラクです。

自分では何もせずに、自分のことだけを守ってもらおうとするのは、子どもにだけ許される特権です。

なのにわたしは大人でありながら、自分で自分を

寂しがらせて

悲しませて

憐れんで

息子に対して、

「わたしを守ってほしい!」と叫んでいたんです。

 

息子がお腹の中に来てくれたと分かった時、

「ようやくわたしの味方が来てくれた!」と思ったのを今でも覚えています。

 

それほどわたしは親を守ってきた感覚を持っていたし、

それほど親に守って欲しいと願っていたのだと思います。

 

だからこそ、まだ生まれてもいない我が子に

「自分を守ってもらおうとした」のだと今なら分かります。

 

 

わたしは実際、心理的にしか子育てをしていません。

けれど、わたしは息子の母親です。

 

子どもに守ってもらうのでなく、わたしが息子を守って生きていくのが本来です。

 

けれどそれが逆転してしまったのは。。。

自分がまだ子どもで居たかったから。

自分が子どもの立場で守られたいから。

自分が子どものように守ってもらって安心したかったから。

 

その自分の不安を見ることからしか、自分を安心させてあげることはできません。

自分を大人の立場に置くことができません。

 

わたしが親に抱いていた

愛されたい

見てほしい

守ってほしい

欲求を、

 

わたしが親から

欲しいように愛されなかった

願うように見てもらえなかった

求めるように守ってもらえなかった

現実を、

 

イヤというほどガン見するしかありません。

 

 

それができない時、

人は被害者となり、責任転嫁し、事実を否定して、

誰かに依存しないと生きていけなくなります。

 

憎みながら親に依存して生きていくか、

憎まれながら子どもを支配して生きていくか、

という「親子の役割逆転」をしないと生きていけなくなります。

 

それだと家族を感じる度に、ユウウツさや、重さや、不安を感じるのは当たり前です。

 

アナタが親を守るのではありません。

子どもがアナタを守るのではありません。

 

 

わたしがわたしを守る。

わたしが子どもを守る。

 

それが

「自分を愛するチカラを育てていくこと」

「人を愛するチカラを育てていくこと」

なのだとわたしは思います。

 

 

「自分が自分を守り、守りたい人も守ることができること」

それが本当の強さであり、心理的な大人なのではないかな。

そう感じたそんな今年のお盆のお話です。

 

 

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お盆のユウウツ。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

お盆を迎えましたね。

 

ワタクシ身長もあってか(態度がデカいせいでしょうか。。。対面でよく思ったよりちっちゃい。。。言われることが多いんです。)、ちっちゃいことは〜気にしない〜♪みたいに思われがちなんですが(誰がワカチコぢゃ!古い!)、割と気にしぃなナイーバーな一面もあります。

 

ナイーバーひとみが登場する周期として、お盆も上位にランクインすることが多かったんです。

 

「家族」というものを深く感じる時期というのは、大きな理由のひとつでした。

 

自分には無いもの。

自分には欠けているもの。

自分が失ってきたもの。

家族を感じる瞬間というのは、まさにわたしがこの気持ちを有無を言わさずセットで感じる時でもあったからです。

 

親からの深い愛情と関心。が無い自分。

人としての信頼と繋がり。が欠けている自分。

思い描いていた希望の未来。を失っている自分。

その自分を感じてしまうのが、重くて、寂しくて、みじめで堪らなかったんです。

 

毎年、イヤでイヤでイヤすぎたお盆の時期ですが、今年はそんなにナイーバーにはなっていません。

 

そんな自分のお盆の変化を今日は書いていきます。

 

 

 

 

わたしは6年前に息子を子宮内胎児死亡で亡くしています。

それからのわたしのお盆の過ごし方は、悲壮感そのものだったと思います。

失った自分を嘆き、悲しみ、責める時間。

今でも神社に行く時は気が引けてしまうほどに、神様を恨んだりもしました。

それがわたしにとってのお盆の過ごし方だったんです。

 

ナゼ今年は違ったのか?

ナニガ今年は変わったのか?

 

それはたったひとつ。

わたしの息子への気持ちです。

 

今までのわたしが息子にお盆に毎年感じていた気持ちは、

一緒に生きたかった。。。

会えなくて寂しい。。。

わたしの生きる支えでいてほしい。。。

そういった

かわいそうな自分

憐れんでいる自分

自己否定している自分

を感じるものばかりでした。

 

それを自らそうしていたんです。

自分で過去に生きていたんです。

 

それはナゼか???

つまりわたしは、

息子に自分のことを

分かって

癒して

助けて

もらおうとしていたんです。

 

子どもに自分を守ってもらおうとしていたんです。

 

だから、

辛い自分のままでいたかった。

誰かに守ってもらいたかった。

その寂しさを見たくなかった。

 

それはもう、悲壮感でしかありませんよね。

 

息子も空からツッコミを入れてくれていいと思います。

 

「どっちが親なん!!!」

です。。。(笑)

 

お盆は、特に家族を感じることが多い機会ですよね。

 

家族にユウウツさや、重さや、プレッシャーを感じるという人は、

アナタは子どもの立場でありながら、親の心理的なお世話をしていませんか?

アナタは親の立場でありながら、子どもに心理的なお世話を求めていませんか?

 

「親子の役割逆転」が家族の中で起こっていないかを探ってみるといいかもしれません。

 

わたしの役割逆転については、また明日のブログでお届けします。

 

 

 

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自分の存在感。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

決まりきった挨拶すぎますが、毎日暑いですね。

近所の公園から、朝になるとラジオ体操が聞こえてくるので、窓を開けて一緒に家でラジオ体操をやって朝から汗だくになる40代。。。

 

ええ!

ラジオ体操も真剣にやると汗かきます!!!

(暑苦しいわ!)

 

朝イチで窓を開けるんですが、これまた時々セミが舞い込んで来ます。。。

自分から入ってきておいて、すごい主張でなきまくります。。。

 

こっちが泣きたいんですが、家の中ですごい自己主張してくるセミ取りをし、朝から疲れ果てる40代。。。

 

セミの主張はすごいですが、ラジオ体操はやっぱりいいな!と再確認の夏です!!!

 

今日はセミの自己主張ではなく、

「自分の存在感。」

について書いていきます。

 

自分には存在感がない。

居ても居なくてもいい存在。

そう自分のことを表現される方は多いです。

 

 

自分はここに居てもいいの?

誰かにいいよって言ってほしい。

誰かに助けてほしい。

 

 

それって何より両親から

愛されたい。

見られたい。

守られたい。

という切なる望みを叶えてもらえていないんです。

 

欲しかったものを、親からもらえていない。

 

だから諦めるか、強引に取りに行くか、極端な行動になります。

 

そして、その欲しかったものを周りの人に求めていくんです。

 

誰かに側に居てほしい。

誰かに好きと言ってほしい。

誰かに認めてもらいたい。

 

けれど、その欲求も毎回叶うとは限りません。

するとその絶望的な悲しみや寂しさは、怒りに変わります。

 

どうせ手に入らないんだから、最初から望まなければいい。

感情的になるなんてバカみたいなことはしないで、ただただやり過ごせばいい。

 

自分を諦めている人は、腹の底で怒っています。

 

どうせ受け入れくれないんでしょ!と相手を責めながら、受け入れられない自分に不信感を抱き続けていきます。

 

怒っている間は、自分への絶望感に気がつかないでいられます。

 

愛されたいのに愛されなかった自分。

助けてほしいのに助けてもらえなかった自分。

一緒に居たいのにひとりにされた自分。

その自分があまりにも悲しくて寂しくてみじめすぎて、気がつかないでいられるように怒っている自分すら消そうとしていきます。

 

それは自分の存在感がなくなっていきます。

むしろ、自分の存在を消さないと自分でいられなくなっていきます。

 

自分で自分の存在を消した時、

自分で自分を否定した時、

自分で自分を信じられなくなった時、

誰かを頼りに、誰かに依存して生きるしかなくなってしまいます。

 

自分の存在を誰かに委ねてまで、欲しくてたまらなかった「ここに居ていいよ」の許可証。

 

それは自分の存在を否定してきた相手を、許可証をもらうために自分の本音を諦めて否定を受け入れてきた証でもあります。

 

自分で自分を諦めていること。

自分で自分を見捨てていること。

自分で自分を否定していること。

その自分を自分が救いたいか?

まだ誰かが助けてくれるの待ちたいか?

 

それは自分じゃないと決められないんです。

自分を消してる場合じゃないんです。

自分のために、今こそ自分が立ち上がろう。

 

 

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諦め続けるその先。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

週末、リトリーブサイコセラピーの福岡基礎講座の最終日でした。

 

自分を見つめ、

自分を知り、

自分を感じる。

そんな3ヶ月間の集大成です。

 

セッションの場が用意されてはいますが、本当に自分を変えるのはセッションだけではできません。

 

そこには「自分の意思」が不可欠だからです。

 

自分が自分のことをどう思いたいのか。

自分が自分のことをどう扱いたいのか。

自分が自分のことをどうしたいのか。

 

自分が自分を諦めていたら、いつまでも助け、救ってくれる誰かを待ち続けないといけません。

 

自分が自分に対してどう選択して、何を決めるのかは自分にしかできません。

 

自分を助ける

自分を癒す

自分を守る

それを誰かに求め続けるのか、自分を頼りにやってみるか、そのためのリスクを取れるか。

そんな受講生のみなさんの葛藤や選択を目の前で感じることができました。

そして、わたし自身も改めて「自分を守る」とはどういうことなのかを考えさせられました。

基礎講座としてはこれで修了だとしても、自分の人生はこれからも続いていきます。

一気に進まなくてもいい。

どんな時の自分も、自分が諦めないこと。

自分のために立ち上がって戦うこと。

 

それが、自分を守って生きていくことなんだな。

自分を大切にして生きていくことなんだな。

改めて大きなことに気がつかせてもらう機会となりました。

 

みなさんの今、これから。

ずっと応援しています!!!

 

 

さて、前回のブログ

諦めるという生き方。。。

 

まあ、いっか。

もう、いいや。

どうせ、ムリ。

そうやって自分の本音や自分自身を諦める。

 

 

諦めるってツラいです。

諦めるって悲しいです。

諦めるって苦しいです。

でもそのイヤさと引き換えに、わたしが守れるものがありました。

 

諦めることで、今の現実を思い知らないでいい。

諦めることで、相手を受け入れることができる。

諦めることで、これ以上傷つかないでいられる。

 

わたしは自分を諦めることで、

誰かに自分を預けることができたんです。

誰かを頼りながら生きることができたんです。

ずっと依存しながらラクができたんです。

 

諦めながらも、多くのものを手にしていたし、何よりイヤだった「自分自身」を見なくてよかったんです。

 

自分の感じてきた、

悲しみ

寂しさ

無念さ

みじめさ

怒り

恨み

というイヤな感情を抱く事実から目を背けていられたんです。

 

自分では避けたい事実。それを受け入れるって、とてつもない恐怖です。

 

納得がいかないまま、その事実に圧倒されると人は無力になります。

そして怒りを自分の中に溜めて、被害者になっていきます。

きっと、もっと自分にとって素敵な現実が待っているに違いない!と事実を見ずに理想化した自分の期待や希望で世界や人を見るようになります。

 

けれど、自分の期待や希望通りには世界は回りません。

そこでまた怒りを溜めながら、人生を諦めていきます。

 

その寂しくてみじめな事実を受け入れることは悲しくて怖いけれど、事実を受け入れることで自分が世界に対応できるという感覚も感じることができるんです。

適応できる自分を信じることができるようになります。

起こったそのままを見れることは、今の事実を見れているからです。

起こったそのままを見れないのは、理想の希望を見ているからです。

 

見たくない。

避けたい。

いいと思いたい。

それは、親に対して感じてきた気持ちであることが多いです。

 

そして、

本当の親の姿を見たくないから、

親に対して絶望したくないから、

自分を諦める選択をしている人も多いです。

 

 

何をしても、

何を言っても、

この両親は変わらない。。。

その絶望感を感じたくなくて、自分を諦めながら親を理想化する。

 

理想化して親を責めたくなかったし、悪者にしたくなかった。

それくらい愛されたかった気持ちに泣いたらいいと思います。

本当は絶望している自分に気がついたらいいと思います。

 

だって、そこが自分の本当の事実です。

それが本当の自分なんです。

 

自分のために生きたいか?

両親のために生きたいか?

自分とハムレットしてみてくださいね。

 

今までどれだけ

辛かったとしても。

傷ついていたとしても。

諦め続けてきたとしても。

今の現実から立ち上がりたいかどうかは、いつでも自分で決められるから。

 

 

 

 

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諦めるという生き方。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

猛暑とセミな福岡です。。。

昨日の夕方、いきなりものすごい勢いで雨が降ってきました。

子どもたちと家の中から虹の歌をうたいながら、雨が止むのを待っておりました。

 

その雨で、子どもたちが朝の遊びの時に庭に作っていた迷路や川が壊れたんです。

 

「あーあ。また雨が止んだら作ろー。」

と言う子もいれば、

「せっかく作ったのに!雨、許さん!」

と言う子もいました。

 

結局、雨がすごくてその後に外で遊ぶことはできなかったんですが、

先の子は、その迷路や川の続きをブロックや積み木でまた作って遊んでいましたが、後の子はもう朝楽しく作ったことを思い出したくないとばかりに、周りの子が作っている迷路や川を避けて別の遊びをしていました。

 

どちらも気持ちは分かるんですが、この反応は「自分や世界をどう感じているか」をよく現しているな、と感じました。

 

自分や世界を、

何かあっても大丈夫。何とかなる。

と感じているか、

やっぱり上手くいかない。イヤなことばっかり。

と感じているのか。

 

 

 

 

在るべきか。。。

在らざるべきか。。。

それが問題なのぢゃ!

そんな壮大なるハムレットのような悩みとまではないですが、予想外の出来事に遭遇することってありますよね。

 

また次を考えるか、

諦めてしまうか。

 

これは、

愛着が安定しているか、

愛着を諦めているのか、

という心の在り方に繋がっているとワタシは思います。

 

わたしもよく諦めていたなあ。。。

とその時以前の自分を思い出しました。

 

リトリーブを受講する前、わたしの口グセといえば、

まあ、いっか。

もう、いいや。

どうせ、ムリ。

当時は、人生を投げているというか、何も期待しないことで自分を守るというか。。。

まさに自分を諦めていたんですね、わたし。

 

こう聞くと、堕落したような、時の流れに身を任せたような(古)刹那的な生き方を想像するかもしれませんが、そうではありませんでした。

 

自分を諦めながら、

誰かに優しくありたかったし、

誰かの役に立ちたかったし、

誰かを幸せにしたいと思っていました。

 

ええ、割と真剣にそう思っていました。

 

いつも、

「ここには居ない誰か」のことを、わたしは考えていたんです。

 

そうすれば、自分の本当に感じている

心に穴の空いた虚しさ

周りに誰か居ても拭えない孤独感

人を信用していない寂しさ

そんなイヤなモヤモヤを誤魔化すことができたから。

 

本当は自分に起きている事実が、現実が、それほど過酷だということ。

 

それがあまりにもツラすぎて、

本当の自分を感じたくない。

本当に自分が感じている気持ちに気がつきたくない。

だから自分の感じている本音を諦めることで、目の前の事実に直面しなくていいんです。

 

まあ、いっか。

もう、いいや。

どうせ、ムダ。

こう自分に言い聞かせることで、自分の本音や自分自身を諦めることができるから。

 

この守り方は苦しいけれど、

絶対に見たくない事実を見ないでいいのでラクでもあります。

イヤなものから逃げ続けられるからです。

 

自分を諦めて逃げる。

イヤなものを避ける。

これが続くとどうなると思いますか?

 

また続きを月曜日のブログでお届けします!

月曜から早起き!(それは割とフツウ)でお会いしましょう!!!

 

 

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嫌われるのが怖いという自己否定。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

前回のブログ、

嫌われたくない!

 

人から嫌われたくない。

嫌われるのが怖い。

なぜそこまで、人から好かれないといけないと思いますか?

 

 

これ、ワタクシ大変痛いところだったんです。

わたしも、

みーんなに嫌われたくない!

みーんなに好かれたい!

と強く強く思っておりました。

 

嫌われないように、好かれるように、本当に頑張って生きてきたんだなーと、今は自分に対して思うようになりましたし、その自分を受け入れることができるようになりました。

 

なぜ、そこまで嫌われることが怖かったか?というと。

わたしにとって、

「嫌われないことは自分自身の存在価値」だったからです。

 

相手が自分のことを受け入れてくれているかどうかが、わたしの安心を作っていたからです。

 

それほどまでに、

自分を

 

抑えて、ガマンすることが安心。

自分を消せばいいことがある。

いい人でいれば生きていていい。

 

その条件付きの世界は、

脆くて

不安定で

壊れやすい

世界です。

 

自分を失くしてまでアナタが欲しかったのは、

安心してここに居ていい

自分は愛されている

そのままの自分で価値がある

そんな感覚を感じられること。

 

けれどもこの条件付きの世界では、いつまで経ってもその感覚を感じることができませんでした。

 

ガマンしても、抑えても、消そうとしても、どうやっても手に入らない自分の求めている世界。

 

それが続いた時に自分の中にどんどん溜まっていくもの。。。

 

それは怒りです。

 

どれだけやっても全く満足できない、安心できない、不満しか残らない。

それが大きな怒りになるのは当然です。

 

 

けれど、人から好かれるためにはその怒りを出すことは許されません。

 

溜まって溜まっているのに出すことを許されず、行き場を失った怒りはどうなってしまうでしょうか?

 

消える。。。ことなくずっと残り続けます。

 

そしてその怒りはやがて、

アナタの子どもやパートナー、身近な人に向かって出そうとします。

 

けれど、本当の相手へと出せない怒りは、別の相手に対して出せたとしても、消えたりはしないんです。

 

そして、抑えつけた怒りはやがて、アナタ自身へと向かいます。

 

出せない自分が弱いという自己否定。

怒りを出すなんて親みたいでイヤという抑圧。

ぶつけると相手がかわいそうという罪悪感。

 

こうしてアナタはどんどん生きづらくなり、死にたいという思いさえ抱えてしまうようになるかもしれません。

 

嫌われたくない!

アナタがそう強く強く願うのは、アナタが本当は

「自分は嫌われている存在だ」と自分に対して感じているからです。

 

自分を強く強く否定しているからです。

 

自分の

怒りを感じることが怖いんです。

怒りを認めることが怖いんです。

怒っても、泣いても、叫んでも、どうせ自分には現実を変えるチカラなんてない。。。

 

だからそもそも自分の欲求を

どうせムダ

伝わるワケない

何をしても同じ

そうやって抑えることで、生きてきたんです。

 

その代償は、

自分で自分を消そうとする形で

アナタ自身に向かいます。

 

アナタは

自分を消したいですか?

自分を出したいですか?

自分を潰したいですか?

自分を守りたいですか?

 

嫌われたくない自分とどう向き合っていくのか?

コチラはわたしの体験談も踏まえて、次回のメルマガにてお届けします!

嫌われたくない!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

健康診断に行ってきました。

バリウムの恐怖に慄きまくって、心の中では駄々こねまくりで向かいました。

イヤダ。。。が顔からダダ漏れしていたのか、バリウム係のお姉さんが、

「イヤですよね、バリウム。憂鬱ですよね、待つ間って。」

と話しかけてくれました。

「そうなんですー。イヤなんですー。」

といい歳こいて泣きついたら、

「好きな方はいないですよ。」

と安心させてくれたかと思ったら、

「げっぷしちゃうと、コレ追加になっちゃいますからね♡下向いて飲み込んでくださいね♡」

と笑顔で地獄の追い討ちもくれたので、必死に下を向いて飲み込んでぐるぐる回ってきました。

終わった途端、存分に出しまくってやりました!

ええ、上からも下からも!

↑コラ!!!

 

げっぷやピー(自粛音)は出した方がスッキリするので、存分に出しますよね。

けれどこれが感情となると、やはり飲み込んでガマンする、という人は多いですよね。

そう。言いたいことを好きに出して、嫌われてしまうのが怖いから。

 

今回は、嫌われない人を続けていくうちにアナタが失い、支払っていく代償についての心理、

「嫌われたくない!」

というテーマで書いていきます。

 

 

アナタは人から嫌われたいですか?

そう聞かれてなかなかYESとは言えませんよね。

もちろん、嫌われるより好かれたいのは人としての本音です。

 

けれど、人から嫌われたくないためだけに、

周りのことばかりを優先する。

自分より相手を大事にする。

いつもニコニコ笑顔で優しくする。

イヤなことも自ら引き受ける。

これが続くと、自分がツラくなりますよね。

 

確かに人から嫌われないように相手を優先すると

感謝されたり、

重宝されたり、

役に立てる。。。

そんないいこと、ありますよね。

 

けれどその反面、

利用される

押しつけられる

大事にされない。。。

そんなイヤなこともありますよね。

 

何においても、全てがいいこと尽くしなこともなければ、全てが悪いこと尽くしなこともありません。

けれど、アナタがいつも嫌われないことの方を選んでしまうとするなら、そこにはアナタの怖さが眠っています。

 

嫌われたくないからと相手を優先するのは、アナタが自分の

そのままの感情

そのままの感覚

そのままの欲求

を出すことに自分がオッケーを出せていないんです。

そして、押さえて、出さずに、ガマンすることで

周りからの評価

誰かを助けられる

この場に居られる

などのいいことの成功体験をたくさんたくさん経験してきています。

 

だから、やめたくても自分を瞬時に消して嫌われない自分で人と関わることをやめられないんです。

むしろ、やめる方が怖い。

評価や居場所を失い、自分が何者でもなくなる怖さや、自分の価値の無さを感じてしまうのが怖いんです。

だから、自分がどれだけ苦しくても、相手優先でいることを選んでしまいます。

自分を失くして、

自分を分からなくさせて、

自分よりも相手を優先できるようにしているんです。

そうやって嫌われない自分を何とか作っていきます。

それほどまでに、

自分を感じて

自分を持って

自分を生きる

ということが怖いんです。

 

相手から嫌われないように自分を失くしていないと自分は生きられないと思っていることが、この問題を起こしているんです。

 

嫌われたくない、その思いから自分の全ての行動を決めてしまう。

 

この問題を持ち続けていくと、どうなってしまうのか?

続きは次回のブログにてお伝えします!!!

 

怒りの抑圧は、怒りに支配される。

昨日のブログ、

怒れない。。。

 

怒らない、のではなくて、怒れない。

怒りという感情そのものを感じないように抑えたり、感じたとしてもそれを出してしまわないように何とか抑え込む。

どうしてそこまでして、自分の怒りを無くしてしまおうとすると思いますか???

 

 

怒りを何とか感じないようにしたい。

そう感じるのは、怒りを感じ、それを表現することを何より怖がっているからです。

 

怖いんです。怒ることが。

わたしは、表面では怒りながらもその怒りは自分へのイライラという形で向けていました。

 

怒りを感じてしまったら、出してしまったら、今まで頑なに信じてきたり、守ってきたものが壊れてしまいそうで怖かったんです。

 

 

怒ってしまったら、

自分が自分じゃなくなる

自分が悪いと罪悪感を感じる

自分が嫌いになる

だから避けて感じないようにする。

 

怒りを出してしまったら、

関係が壊れてひとりぼっちになる

周りから嫌われてしまう

虚しさに襲われる

だから出す前に抑える。

 

怒れない、というのはアナタが怒らないことを決めている、ということです。

イライラしながら、

ウツウツとしながら、

怒るような自分がダメなんだと自分を責めることで、

アナタは自分の怒りの感情を封じ込めることに自分のチカラを注いでいれば、怒らない自分でいられるし、自分自身を守ることができるんです。

 

何から守れるのか???

そう思いますよね。

怒ってしまうと気がついてしまうんです。

自分の本当の気持ち。

自分が本当に感じている気持ち。

自分がずっと抱えていた気持ち。

そんな気がつきたくない気持ちに。

 

それは、わたしにとって両親への気持ちでした。

愛してほしい。

見てほしい。

分かってほしい。

受け入れてほしい。

認めてほしい。

怒ってしまうと、この気持ちが何ひとつ満たされないという現実に直面してしまうんです。

 

怒らなければ、自分に怒りを向けながら、まだ希望を捨てずにいられたんです。

 

でも、その守り方では相手を守れたとしても、自分自身を守ることはできません。

 

怒れないままだと、アナタの周りには

アナタを利用してくる人

アナタに意地悪をする人

アナタをぞんざいに扱う人

アナタに要求ばかりしてくる人

アナタをバカにする人

アナタを支配する人

が集まってきます。

 

その不当な扱いから自分を守るのが怒りの感情なんです。

 

自分が自分の怒りを感じない限り、ずっと誰かのゴミ箱になる人生になってしまいます。

 

自分が自分の怒りを出さない限り、ずっと周りの誰かに守ってもらう人生になってしまいます。

 

誰かのゴミ箱。

誰かに守ってもらう。

そのためには、自分の怒りは抑圧しないといけません。

すると、抑圧した怒りにずっと支配されることになります。

抑圧すればするほど、不安と恐怖が強くなります。

 

溜まりに溜まった怒りは、不安と恐怖から、自分にとって大切な人にほど

怒りの爆発

意地悪で発散

執拗な無視やいじめ

という形で向います。

 

これでは、人間関係が壊れてしまいます。

 

怒りを自分のために感じること。

相手にぶつけるためでなく、自分を守るために怒ること。

 

自分で自分を助けるために。

自分で自分を守るために。

自分で自分を信じるために。

 

これが

自分で自分を大事にすること

相手も自分も大切にすること

だとわたしは思います。

 

 

 

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怒れない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

健康診断に行ってきました。

ええ、もう連日の暑さで夏バテですよ。。。

タイリョクダイジ!

カラダイタワル!

痛感するお年頃です。

 

健診待ちの時、割と待ちが長かったんです。

ずぅーーーっとため息ついたり、

足をビンボー揺すりしたり、

コメカミを手で何度も抑えたりするおじさまがおりました。

明らかに怒ってるんですけど、出さないでそれを察知してほしい感がアリアリと出てるもんだから、誰も声をかけないんです。。。

まぁ、わかりやすい悪循環。。。

おじさまのガマンが、健康を害さないことを願ったのでした。。。

 

今日は人間が誰でも持つ怒りの感情。

これを何とか抑えようとする心理、

「怒れない。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

「怒り」

自分の中にある怒りの感情に気がついていないこと、そもそも多いと思います。

感じたとしても、できるだけ抑えたかったり、無くそうとしたり、別の感情に変換しようとしたりして、意識したくない感情ではないでしょうか。

 

何となく怒りの感情は

人を攻撃して傷つけてしまうもの、

我慢の足りない人が出すもの、

自分の知っている誰かのようになってしまうもの、

というように

よくないもの。

虚しいもの。

破壊するもの。

というイメージがあるのかもしれません。

 

わたしも、怒るのはすごく苦手でした。

自分がイライラしているのは分かってはいたものの、自分の怒りを自分でコントロールできないなんて、だっさいぜ!とばかりに、抑えることにエネルギーは向いておりました。

 

そもそも、感じないと怒りは出せないので、怒りそのものをよくないものとして、怒りを感じないようにしようと努力していました。

 

ええ、そんな努力はもちろん無理です。。。

 

人間はあるものをないようにすることはできないからです。

怒りの感情を感じているのに、それを無かったことにすることはできません。

 

なので自分の感じた怒りにウソをついたり抑圧したりすればするほど、

ガマンが爆発して関係が破綻したり

怒りが自分に向いてウツっぽくなったり

自分が分らなくなって生きることが怖くなったり

人生をどんどん苦しいものにしていきます。

 

 

怒りをガマンして感じない。

怒りを抑えて出さない。

そうすればするほど、相手も自分に対して何をしてもいい人なんだと思いますよね。

 

絶対に怒らないんだから、どんなことだって

言ってくるし、

やってくるし、

要求してきます。

 

なのに、どうして怒らないのか?

 

そこには

自分がガマンすれば丸く収まる

怒ったところで何も変わらない

人が争うところを見たくない

怒った後に悲しくなって自己嫌悪してしまう

怒りを出すと何倍にもなって返ってくる

怒ると自分から人が離れていく

という感覚があるからです。

だから、怒れないんです。

 

わたしは、この感覚が大きくありました。

 

この感覚があると、怒った後のデメリットが大きすぎるように感じて、怒りを抑える方へと自分のエネルギーを使うので、怒ることができません。

 

そう。

「怒らない」のではなく「怒れない」んです。

 

怒りをガマンして感じない。

怒りを抑えて出さない。

そうすればするほど、相手とは本当にいい関係を築けるのでしょうか?

何をしても怒らないのだから、相手はこちらに何をしてもいい人なんだと思いますよね。

 

絶対に怒らないんだから、どんなことだって

言ってくるし、

やってくるし、

要求してきます。

 

ガマンして抑えれば抑えるほど、相手は何だってしてくるようになります。

 

その時、アナタならどうしますか?

続きはわたしの経験を踏まえながらまた明日!!!