人が怖い気持ちの心理。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

台風の3連休にビビりまくっております。

9月は巻き込まれまくりの九州ですが、避けられない台風、被害が少ないことを願っております。

 

 

避けられないと言えば!(半ば強引)

人間関係の悩みも避けられませんよね。

人が生きていく上で、人と関わることを完全に避けることはできませんから、人との関わりでの悩み事も避けられませんよね。

 

中でも、

人が信用できない。

心を許せない。

イヤでもいい顔をしてしまう。

相手の機嫌に自分の気持ちが左右されてしまう。

人との距離感がある。

近くなると離れたくなる。

こんなお悩みはよくあります。

 

モヤモヤした気持ちを抱えながら、人と付き合っていれば、それは人といることが苦痛だし、人が怖くなってくるのも分かります。

 

人と付き合う時に、仲良くなりたい気持ちはあるのに、最初はよくても段々と怖くなってきてしまう。

 

そしてその「人が怖い」という気持ちは、

信じたら裏切られそうで怖い。

相手を受け入れないと自分を拒否されそうで不安。

怒っている人のイライラで自分も揺れるからイヤ。

人と距離があって寂しい。

人と近くなると傷つくことも増えるから苦しい。

という人と関わる時の様々な不安や恐怖や不満から来ていることが多いんです。

 

そして、その不安や恐怖や不満。

これ、実は実際には起こっていないことを、想像して想定していることがこれまた多いんです。

 

〜になると傷つく。

〜になりそうでイヤ。

という今ではない自分の中にある過去の経験を掘り起こして、まるで今の気持ちが「人が怖い」であるかのように思っているんです。

 

 

どうしてわざわざ今のものではない気持ちを、今現在の気持ちのように感じてそれを信じ込んでしまうのでしょうか?

 

それは、

人に近づかないようにしていれば、傷つかないでいいからです。

 

もう傷つきたくない!

その傷ついたままの過去の気持ちをまた感じてしまわないでいいように、自分を守っているからこそ、人が怖いと信じていた方が近づかないで居られます。

 

それほど、今のアナタには安心感がないのではないでしょうか?

 

今、アナタに必要なのは安心感ではないですか?

 

人が怖い自分に、どうやって安心感をあげればいいのでしょうか?

 

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パニック!パニック!!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、とうとうコロナの陽性になり、ようやく復活の兆しとなってきました。

 

園で、もんのすごーくくずった子の対応を全力でした日があったのですが、その次の日にその子の陽性が分かり、今回ばかりは手洗いウガイの鬼のわたしも何となしに覚悟を決めていた。。。つもりでしたが。。。

 

最初は熱も咳も症状はなかったのですが、何となーく息苦しい感じがしたんですね。

その日のもう、眠れないこと!眠れないこと!

 

・やっぱり自分にも来たかな。。。

・熱が高くなるのかな。。。

・咳が止まらなかったらどうしよう。。。

・仕事、休まないとかな。。。

・今週と来週はダンナの仕事が忙しいぞ。。。

 

とまあ、ありとあらゆる予期不安を頭の中で巡らしているうちに、すっかり不安へと練り上がり、時間と共に発酵も完成。。。

 

ぬお!

眠れん!!

やっぱり息が苦しい気がする!!!

と不安の悪循環に陥りました。

 

こうやって、不安が膨らんでいくと、おいしいパンになるどころか、ひとりで大騒ぎすることになりますよね。

 

・不安に飲み込まれ

・不安にどう対処していいか分からず

・不安に押しつぶされてしまう

という状態になります。

 

そして、

その怖くてたまらない不安を何とかしようと

・全然別のことを考えようとする。

・とにかくその場を離れたくなる。

・落ち着かせようと不安を否定する。

ことをするのではないでしょうか。

 

その自分でどうにもならなかった時に起こるのが「パニック状態」です。

 

 

自分から不安を切り離すことで、自分を保とうとするものの、消し去ら逃れることができずに、不安という爆弾を手に持ったまま、「爆発する!爆発する!」と脳内が大騒ぎします。

 

このパニック状態は、多かれ少なかれ経験した人は多いのではないでしょうか?

 

普段は普通に生活しているのに、例えば

渋滞の車中、電車、飛行機などの公共機関といった「自分ではコントロールできない」状況や、

エレベーターに乗っている時などの「閉鎖的と感じられる」状態、

となった時に、動悸や呼吸困惑な感覚になり「このまま死んでしまうのではないか」という恐怖に襲われてしまう。

 

このパニックがまたいつ自分に起こるか分からないと、それは不安になりますし、ストレスになりますよね。

 

不安になる、ということは人間であれば誰でも経験しますよね。

 

不安に対して、

・自分ひとりで抱えきれない。

・この不安から逃れられない。

・不安に今の自分は抗えない。

という感覚があると自分の中に出てきた不安を何とか抑えつけようとします。

抑圧して落ち着け、落ち着け、と言い聞かせれば言い聞かせるほど、どんどん不安になっていく。

それがパニック状態です。

 

そして、このパニックの状態の対処法だけに目を向けても、問題は解決しませんよね。

 

パニック状態の不安、そしてその抑圧。

それは自分の中にずっと

・自分ひとりでは抱えきれない不安

・逃れたくてたまらなかった誰かや何か

・抵抗したくても抗えなかった現実

があったということです。

 

その自分をまた抑圧しようとするから、感じている恐怖と、感じている恐怖への否定で、自分自身が制御不能のコントロールが効かないという状態になってしまいます。

 

さて、この恐怖と恐怖の抑圧から起こるパニック状態。

症状だけ何とか抑えようとしても、より一層の抑圧になることがお分かりだと思います。

 

起こったパニックに、どう向き合っていけばいいのか?

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問題解決ってナニ?

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

9月になりましたね。

夏も終わりでしょうか?

台風も近づいてたりして、一気に秋っぽい福岡です。

幼稚園にも子どもたちの元気な声が帰ってきました。

 

夏休み明け。

大きな休みの後は、調子を崩す子も出てきます。

とにかくイヤ!

何だかイヤ!

ぜーんぶイヤ!

みたいな状態でやって来ます(笑)

 

子どもは自分の気持ちや想いをなかなか言語化できませんから、大人側が汲み取ってあげないといけません。

 

けれど、大人が何か問題が起こったり、壁にぶつかったりした時というのは、自分自身のチカラでそれをしていきます。

 

なんかいつも不安で。。。

なんかいつも怖くて。。。

なんかいつも不満で。。。

という漠然としたモヤモヤするイヤさ、にずっと囚われている感覚でいる時、人はこれから先のことが見えません。

 

わたしも、自分が心理を学んだのもこういう感覚で生きていたからなんです。

 

 

そしてその自分に対して、

・どうせ自分はダメと諦める。

・どうせ自分には無理と無力感を募らせる。

・どうせ自分は分かってもらえないと人のせいにする。

・問題や原因を追求して批判する。

という対応を繰り返していました。

 

そうなんです。

「自分では何一つ行動しない」ということをしていたんですね。

 

そして、行動しない自分に対してのダメ!が強くなった時には、

・ガムシャラにやるぞー!と行動する。

・気合いと根性の精神論で乗り切る。

というように、「自分で目的を持って考えない」ということをしていたんですね。

 

漠然とした問題意識に自己否定が加わり、自分から動かずに自分で考えない。

 

さて、これで問題は解決するでしょうか?

はい、モチロンしませんよね。

 

生き詰まった時というのは、こういった状態であることが多いのではないかと思います。

 

じっと自分から何も動かずに止まったまま。

その自分がイヤになると、

何も目的を持たずにとにかくガムシャラに動く。

それでは、いつまでも同じ所をグルグルするだけか、行きたい場所が分からないままただ進んでいるだけになります。

 

だから、今、自分が何に悩んでいるかを分かることはとても大事なんです。

 

そこで、根本的な原因が分かるとひとつ安心できます。

 

けれど、原因解明にだけ安心していると、原因を知ることそのものにしか目が向かなくなります。

 

原因が分かっても、それに対してどう対処して、どう行動するのかが決まらないことには何も変わりません。

 

分かって納得しただけで終わっても、問題は解決しませんよね。

 

心理セラピーは、問題解決のためにあります。

・問題の根本を知る。

・自分がどうしたいのかを考える。

・そのための目標を決める。

・実際に自分で行動してみる。

・そこで具体的に出てきた自分の思い込みや恐怖、本当に感じていた怒りや憎しみに改めて向き合う。

 

そうやって、ひとつひとつ自分のチカラを自分で感じられるようになること。

 

それが自分への否定から、自分への自信に変わっていきます。

 

問題解決のために、自分のチカラを信じるために、ぜひ心理セラピーを利用してみてくださいね。

 

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目に見えない虐待。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

昨日のブログ、

いつも不安。いつも緊張。いつも恐怖。

の続きとなります。

 

子どもに対して、暴言、暴力のように目に見えるものだけでなく、子どもを大人の一方的な都合や意思で子どもを利用する。

 

一見すると関わりはあるように見えても、それが子ども側にだけ

・グチを聞いてもらう

・大人側の要求に従わせる

・大変さを訴え慰めてもらう

・かわいそうな姿を見せ世話をしてもらう

・全てのことを干渉される

・言うことを聞かないと脅迫する

というように、いつも求められ自分自身を確認することができない。

 

この状況は心理的ネグレクト(社会的ネグレクト)と言われ、そして目に見えて周りからの共感も得られないため、静かに深刻な状況へ進んでいきます。

 

 

 

受けた本人も、自分に虐待があったとは思っていないことが多いのではないでしょうか。

 

わたし自身も、自分が心理的なネグレクトの状況だったなんてこの心理の世界に入るまで気がつきませんでした。

 

親から自分の気持ちを

受け止めてもらったり、

共感してもらったり、

言葉にして教えてもらっていない。

これって、暴力を受けたとか、暴言を言われたとか、目に見えて分かるものではありません。

自分だけ充分な世話をしてもらえず、みじめな思いをした。というように誰かと比べて分かるものでもありません。

 

自分の気持ちに寄り添い、共感し、意味をくれる存在がいない。

それは暗闇の世界です。

自分の気持ちを何も確認できず、自分の中だけで全てのことを完結するしかなくなります。

 

けれど自分の気持ちを確認できていないので、自分の気持ちそのものに確かなものを感じられません。

 

すると、

自分そのものに確かなものを感じることができず、自分の存在に自信がなくなります。

 

自分が生きていていいのかいつも不安になります。

 

 

この自分自身の存在の不安を感じないでいいように、

自分が悪いからだ、

自分のせいだ、

自分が足りないからだ、

と無理して頑張ることで何とかしようとします。

 

親の言っている意味不明が本当は理解できない。

親のやっていることが本当は理不尽と感じている。

その自分の本当の気持ちを分かってもらうことが出来なかったので、

誰も自分を分かってくれない。

という思いを強く持っています。

 

だからこそ、常に

自分のことを分かってほしい。

と強く相手に求めてしまうんです。

 

大人になってもそういう関わりを無意識に続けてしまいます。

すると。。。

そうです。

当然モメますね。

モメまくりますね。

何なんじゃ、オラ!自分のことばっかり言ってんじゃねーぞ!と相手もなります。

それを見て、またやっぱり自分は分かってもらえないを強く握りしめていきます。

はい、悪循環です。。。

わたしもよーく覚えがあります。

 

そして、そこで躓いて人生が詰んだままになっている。

ずっと詰んだまま、一向に進まずに暗闇に居るから生きづらい。

わたしの心理へのキッカケがこの生きづらさでした。

 

 

満たされずに残り続けている

・自分は愛されないという不安

・自分は理解してもらえないという不満

・自分には存在価値がないという緊張

・自分には居場所がどこにもないという恐怖

ここを見ずには、この見えない虐待から起こる問題を解決することはできません。

 

でも、ここを見ないことで自分の存在を保ってきたので、ガマンしながら頑張る方がまだ自分を感じることができます。

 

だからこそ自分が抱えている、

不安

不満

緊張

恐怖

それらの気持ちに、気がつかないのではなく、気がつきたくないんです。

 

気がつきたくないから、見ないでガマンすることで自分の存在をギリギリで保っているんです。

 

見ないからずっと生きづらさは続いていきます。

 

では、心理的ネグレクトとどのように向き合っていけばいいのでしょうか?

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いつも不安。いつも緊張。いつも恐怖。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、園の子ども達と遠足に行きました。

川遊びや野っ原で虫を追いかけたり、坂道を走って駆け降りたり、このコロナ禍で身体を存分に動かして遊ぶ機会が減っている子ども達にとっていい経験となりました。

ええ、大人は汗だくのグッタリですが。。。(笑)

 

そして子ども達は、「お母さんからの手作り弁当」を食べられることも大きな楽しみのひとつです。

 

日頃はお昼ご飯に給食を食べていますが、

今日はお母さんが作ってくれたお弁当を食べる!それは子ども達にとって嬉しくてたまりません。

登園してきてから、お弁当を出して中身まで見せようとする子がいたり、お弁当のおかずには何が入っているかを力説してくれたり。

いつもの給食は残すことが多い子も、お弁当の日はすぐに完食していまう微笑ましいヒトトキです。

 

お弁当は、子どもたちにとってただの昼食ではなく、大好きなお母さんから自分ひとりのために注がれる

愛情

優しさ

温もり

を感じるものなのだと思います。

 

目には見えないけれど、そこに込められた想いを受け取っているんだろうなぁと感じます。

 

けれど、一方でお弁当をあまり喜ばない子もいます。給食は食べるけど、お弁当はなかなか進まない子も中にはいるワケです。

 

その子本人の食べきれる量や、好み、体調にもよるので一概には言いきれませんが、こちらが見ていて

お弁当、あんまり嬉しくないんだろうな。。。

と感じる子です。

 

お弁当という物質はここにある。

けれど本人にとってそこから何も感じられない。

ただ、食べ物が詰まっているだけ。

そう感じている子は、食べることに喜びを感じられないからです。

 

 

これ、わたしがずっと感じてきた感覚でもあります。

わたしは、今でこそ食べることは好きですが、幼少期は全く食べることに関心などありませんでした。

 

そんなにお腹は空かなかったし、何が食べたいとか、何がおいしいとか、正直あんまりありませんでした。

 

出されたから食べるもの。

食べないと怒られるもの。

母親の手間をかけるもの。

それがわたしの食事に対するイメージでした。

 

子どもって、自分ひとりで自分の気持ちを確認することはできません。

自分の中から湧き上がってきた気持ちを、大人に受け止めてもらって、共感してもらって、言葉にしてもらって自分の気持ちというものを確認していきます。

 

けれどその自分への関心を全く向けられていないと、子どもはずっとずっと不安と不満と緊張と暗闇に包まれたまま自分自身を確認することができません。

 

返ってくるものが何もない。

求めても何も返ってこない。

これは子どもにとって大きな恐怖です。

 

わたしも、一見すると

食事があり、住む家があり、両親と祖父母もいる。

それは普通の家の普通に恵まれた環境に周りからは映ったのではないかと思います。

 

そしてひとりっ子ですから、大事に育てられている箱入り娘もともよく言われました。

(誰ですか?箱がお気の毒なんて言う人は!)

 

けれど、わたしは食事で言うと

いつもひとりで食べていた。

母親が食事を食べている姿を知らない。

父親は自分の好きなものが出されないと暴れる。

一緒に暮らしながら祖父母と食べることは母親から許されなかった。

食べないと物凄い嫌味と自分への否定が来た。

という現状がありました。

 

形だけ。

まさにその言葉がピッタリなくらい、「家族の関わり」というものが全く分かりませんでした。

 

自分の気持ちは、暗闇の中で響いているだけ。

人は周りに居ても、誰とも繋がりを感じられない。

それでも相手からの要求だけはやって来る。

この状況が続くと

いつも不安、

いつも緊張、

いつも恐怖、

という心理状態になります。

 

これを分かってくれる人も、周りに誰も居ない。

 

これこそが、心理的ネグレクト(社会的ネグレクト)と言われる状況です。

 

そして、受けた本人が気がつきにくいのもまた心理的ネグレクトの特徴だと思います。

 

けれどこの心理的ネグレクトは、意識しないうちにわたし達に大きな影響を与えます。

 

一体、心理的ネグレクトはわたし達にどんな影響を与えるのか?

 

続きはまた明日にお届けします!

 

 

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外では天使、家では悪魔。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

昨日のブログ、

外面のいい人。

 

 

本当の自分を分かっていないと、人は外面がよく、家では暴君ということになりがちです。

 

本来、関係性の深くない人より、親しい関係性の方を大切にするものです。

 

家族が熱を出したら、ご飯や身の回り、治るまで看病します。けれど知り合いが熱を出しても、付きっきりでは看病しませんよね。

 

関係性が深く、大切な方を大事にします。

 

けれど、外面がいい人はこれが反対になります。

 

遠い人にほど優しく、近い人にほど攻撃的になります。

 

心の中が不安と恐怖でいっぱいだからです。

 

ここに居ていいのか自分の存在が不安

どこに居ても周りの存在が敵だらけで恐怖

自分が受け入れられているか不安

周りからいつ攻撃されるか恐怖

いつもそんな不安と恐怖と共に生きているので、外の世界では常に緊張しています。

 

自分のダメな姿が出てこないように抑圧します。

 

いつも自分を犠牲にして、相手に迎合します。

 

その怒りや恨みや憎しみは相当なものですが、それもまたギュウギュウに押し込めて外面のいい人を演じていきます。

 

誰のことも信用していないからです。

 

そこでその押し込められ続けた

不安

恐怖

怒り

恨み

憎しみ

そんな諸々の感情は家族に向けられていきます。

 

この甘えを家族が満たしてくれない時、外面のいい人は暴君になるんです。

 

家族に自分を

分かってほしい

認めてほしい

褒めてほしい

この甘えを向けているんです。

 

家族がまた、依存的な人の集まりであった場合はこの甘えと甘えがぶつかり合うので、不満ばかりが家族に充満して優しさのカケラもなくなっていきます。

 

家族が不愉快な存在にしかならなくなります。

 

そして、当たり前に家族の姿がこうだと子どももその姿を学んでいきます。

 

わたし自身もその感覚がありました。

 

遠い人なら優しくできるけど、近い人ほど冷たくなる。

 

これって、

外の人に対する不安と恐怖と憎しみ

内の人に対する否定と怒りと甘え

なのだと思います。

 

これが続くと、人との関係は破綻します。

そしてまた次の人を求めて彷徨います。

 

不安を満たしてくれる

恐怖を埋めてくれる

誰かをずっと探し続けることになります。

 

そこから出るには、

まずは自分が傷ついていること

を知ることだと思います。

 

その自分をまず癒すことだと思います。

 

そして大事なのは癒したその先です。

 

傷ついたのは、自分の子ども時代です。

傷を癒した時、今の自分は子どものままで生きていきたいのか?を自分で決めないといけません。

 

だって、子どもとしては許される甘えは、大人の今に許されるものではないから。

 

わたし自身そうだったんですが、

傷に執着している時というのは、誰かに守ってもらうことを期待しています。

子どもでいる自分を手放したくなかったんだと思います。

けれど、それだと守ってもらえないと頑張れなくなるんです。

 

外面のよさは、子どもでいたい甘えです。

子どもでいる限り、守ってもらわないといけません。

 

それよりも、自分で自分を守る。

自分で自分を守ってガンバル。

それができる人が自分の大切なものを守って生きていけるのだとわたしは思います。

 

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外面のいい人。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

 

お盆休みも明けて、少し暑さも落ち着いてきてくれたかな?という福岡です。

 

園でも、子どもたちの声が帰ってきました。

 

お盆の間の色々な話を聞かせてくれました。

家庭での姿と、園での姿は当たり前に子どもは違います。

園では見せない家庭の姿を聞いて保育者が驚いたり、家庭では見られない子どもの姿に保護者が驚いたりは、あるあるの風景です。

 

しかし、それにも度が過ぎると驚きが困惑になりますよね。

 

一体、どっちがホントの姿なの?と言いたくなるのも分かります。

 

大人でも、

いつも笑顔で誰とでも仲がいい人。

誰にでも親切で優しい人。

礼儀正しくキチンとしている人。

 

 

これがいつでもどこでもそうであるなら、問題は起こりません。

 

問題になるのは、

外ではいい人なのに、家に帰ってくるとまるで人格が変わってしまう人。

なのではないでしょうか。

 

 

 

外ではいい顔をするけれど、家に帰ってくると暴君。

 

これ。

まさに、わたしの父親がそんなタイプでした。

 

家の一歩外では、

社会的な行動を取るいい人

面倒見のいい上司

気配りができる優しい人

そんな仮面をつけていましたが、家に帰るとまあ、ソッコーで人が変わります。

 

仕事から帰ってくる時に、玄関の電気がついていないと怒り出し、

仕事から帰ったタイミングでご飯が出されないと、怒鳴り散らして責め立てて、

自分が寝る時に物音が立とうものなら、大暴れして非難する。

というような非人道的な行動が日常茶飯事でした。

 

いつも父親の機嫌や顔色を伺って、黙って存在を消す。

そして、父親の苦労話に耳を傾けて労う。

父親が家に居る時は、それが当たり前だったので夜に父親の帰宅の合図である車の音がすると、玄関の電気のチェックをしていた健気なワタシ。(と自分をかわいくアピール。。。おい。)

 

なので、周りの人からどれだけ「いいお父さんで幸せだね。」と言われても、全く理解も納得もできなかったので、そんな父親をよく言う人たちに対しては、無表情無反応という抵抗をしていた幼少期なのでありました(笑)

 

なんとかわいげのない子どもであろうと思われようが、そこはどうしても譲れなかったようです。

 

この外面がいいというのは、周りの関係性がそう深くない人にとってはとても心地よい関係なのですが、家族や親しい間柄にいると、たいへん厄介です。

 

なぜそんなことが起こるのか?

そんな人とどう付き合っていくのか?

これは単なる二重人格とかいう問題ではないんです。

 

そしてこれをずっと見てきたわたしに、どんなことが起こったのか?

 

明日のブログにてお届けします!

 

 

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親と子どもの役割が逆転する時。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

昨日のブログ、

お盆のユウウツ。

の続きです。

 

お盆のこの時期のユウウツ。

それは、アナタが

自分の親に対して、親の役割をしていませんか?

自分の子どもに対して、親の役割を求めていませんか?

という、親子の役割逆転についてのお話でした。

 

 

 

今日は、このお盆にわたしの親子の役割逆転について思ったことを書いてみます。

 

わたしの場合、息子の存在をお守りにすることで悲しみから自分の命を守った感覚があります。

 

 

もちろん大切な人と死別した場合、その出来事からどれくらい時間が経っているかということや、その人との関係性、受け入れられているかどうか、などで一概にこうだと言い切れるものではないと思います。

これはあくまでも、わたしと息子との関係においてわたしが感じたことです。

 

 

わたしは息子の存在をお守りのように、見守ってくれることを信じて生きていくことで、これからを生きていくことへのとって大きな支えにしました。

 

 

しかしそのお守りにすがってしまうと、人生はいつも守ってもらわないといけなくなります。

 

自分で自分のことを守れなくしてしまいます。

 

守るチカラがあったとしても、守ることを放棄してしまいます。

 

誰かに守ってもらわないと、生きていけなくなります。

 

けれど、その人生は実はラクです。

自分では何もせずに、自分のことだけを守ってもらおうとするのは、子どもにだけ許される特権です。

なのにわたしは大人でありながら、自分で自分を

寂しがらせて

悲しませて

憐れんで

息子に対して、

「わたしを守ってほしい!」と叫んでいたんです。

 

息子がお腹の中に来てくれたと分かった時、

「ようやくわたしの味方が来てくれた!」と思ったのを今でも覚えています。

 

それほどわたしは親を守ってきた感覚を持っていたし、

それほど親に守って欲しいと願っていたのだと思います。

 

だからこそ、まだ生まれてもいない我が子に

「自分を守ってもらおうとした」のだと今なら分かります。

 

 

わたしは実際、心理的にしか子育てをしていません。

けれど、わたしは息子の母親です。

 

子どもに守ってもらうのでなく、わたしが息子を守って生きていくのが本来です。

 

けれどそれが逆転してしまったのは。。。

自分がまだ子どもで居たかったから。

自分が子どもの立場で守られたいから。

自分が子どものように守ってもらって安心したかったから。

 

その自分の不安を見ることからしか、自分を安心させてあげることはできません。

自分を大人の立場に置くことができません。

 

わたしが親に抱いていた

愛されたい

見てほしい

守ってほしい

欲求を、

 

わたしが親から

欲しいように愛されなかった

願うように見てもらえなかった

求めるように守ってもらえなかった

現実を、

 

イヤというほどガン見するしかありません。

 

 

それができない時、

人は被害者となり、責任転嫁し、事実を否定して、

誰かに依存しないと生きていけなくなります。

 

憎みながら親に依存して生きていくか、

憎まれながら子どもを支配して生きていくか、

という「親子の役割逆転」をしないと生きていけなくなります。

 

それだと家族を感じる度に、ユウウツさや、重さや、不安を感じるのは当たり前です。

 

アナタが親を守るのではありません。

子どもがアナタを守るのではありません。

 

 

わたしがわたしを守る。

わたしが子どもを守る。

 

それが

「自分を愛するチカラを育てていくこと」

「人を愛するチカラを育てていくこと」

なのだとわたしは思います。

 

 

「自分が自分を守り、守りたい人も守ることができること」

それが本当の強さであり、心理的な大人なのではないかな。

そう感じたそんな今年のお盆のお話です。

 

 

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お盆のユウウツ。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

お盆を迎えましたね。

 

ワタクシ身長もあってか(態度がデカいせいでしょうか。。。対面でよく思ったよりちっちゃい。。。言われることが多いんです。)、ちっちゃいことは〜気にしない〜♪みたいに思われがちなんですが(誰がワカチコぢゃ!古い!)、割と気にしぃなナイーバーな一面もあります。

 

ナイーバーひとみが登場する周期として、お盆も上位にランクインすることが多かったんです。

 

「家族」というものを深く感じる時期というのは、大きな理由のひとつでした。

 

自分には無いもの。

自分には欠けているもの。

自分が失ってきたもの。

家族を感じる瞬間というのは、まさにわたしがこの気持ちを有無を言わさずセットで感じる時でもあったからです。

 

親からの深い愛情と関心。が無い自分。

人としての信頼と繋がり。が欠けている自分。

思い描いていた希望の未来。を失っている自分。

その自分を感じてしまうのが、重くて、寂しくて、みじめで堪らなかったんです。

 

毎年、イヤでイヤでイヤすぎたお盆の時期ですが、今年はそんなにナイーバーにはなっていません。

 

そんな自分のお盆の変化を今日は書いていきます。

 

 

 

 

わたしは6年前に息子を子宮内胎児死亡で亡くしています。

それからのわたしのお盆の過ごし方は、悲壮感そのものだったと思います。

失った自分を嘆き、悲しみ、責める時間。

今でも神社に行く時は気が引けてしまうほどに、神様を恨んだりもしました。

それがわたしにとってのお盆の過ごし方だったんです。

 

ナゼ今年は違ったのか?

ナニガ今年は変わったのか?

 

それはたったひとつ。

わたしの息子への気持ちです。

 

今までのわたしが息子にお盆に毎年感じていた気持ちは、

一緒に生きたかった。。。

会えなくて寂しい。。。

わたしの生きる支えでいてほしい。。。

そういった

かわいそうな自分

憐れんでいる自分

自己否定している自分

を感じるものばかりでした。

 

それを自らそうしていたんです。

自分で過去に生きていたんです。

 

それはナゼか???

つまりわたしは、

息子に自分のことを

分かって

癒して

助けて

もらおうとしていたんです。

 

子どもに自分を守ってもらおうとしていたんです。

 

だから、

辛い自分のままでいたかった。

誰かに守ってもらいたかった。

その寂しさを見たくなかった。

 

それはもう、悲壮感でしかありませんよね。

 

息子も空からツッコミを入れてくれていいと思います。

 

「どっちが親なん!!!」

です。。。(笑)

 

お盆は、特に家族を感じることが多い機会ですよね。

 

家族にユウウツさや、重さや、プレッシャーを感じるという人は、

アナタは子どもの立場でありながら、親の心理的なお世話をしていませんか?

アナタは親の立場でありながら、子どもに心理的なお世話を求めていませんか?

 

「親子の役割逆転」が家族の中で起こっていないかを探ってみるといいかもしれません。

 

わたしの役割逆転については、また明日のブログでお届けします。

 

 

 

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自分の存在感。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

決まりきった挨拶すぎますが、毎日暑いですね。

近所の公園から、朝になるとラジオ体操が聞こえてくるので、窓を開けて一緒に家でラジオ体操をやって朝から汗だくになる40代。。。

 

ええ!

ラジオ体操も真剣にやると汗かきます!!!

(暑苦しいわ!)

 

朝イチで窓を開けるんですが、これまた時々セミが舞い込んで来ます。。。

自分から入ってきておいて、すごい主張でなきまくります。。。

 

こっちが泣きたいんですが、家の中ですごい自己主張してくるセミ取りをし、朝から疲れ果てる40代。。。

 

セミの主張はすごいですが、ラジオ体操はやっぱりいいな!と再確認の夏です!!!

 

今日はセミの自己主張ではなく、

「自分の存在感。」

について書いていきます。

 

自分には存在感がない。

居ても居なくてもいい存在。

そう自分のことを表現される方は多いです。

 

 

自分はここに居てもいいの?

誰かにいいよって言ってほしい。

誰かに助けてほしい。

 

 

それって何より両親から

愛されたい。

見られたい。

守られたい。

という切なる望みを叶えてもらえていないんです。

 

欲しかったものを、親からもらえていない。

 

だから諦めるか、強引に取りに行くか、極端な行動になります。

 

そして、その欲しかったものを周りの人に求めていくんです。

 

誰かに側に居てほしい。

誰かに好きと言ってほしい。

誰かに認めてもらいたい。

 

けれど、その欲求も毎回叶うとは限りません。

するとその絶望的な悲しみや寂しさは、怒りに変わります。

 

どうせ手に入らないんだから、最初から望まなければいい。

感情的になるなんてバカみたいなことはしないで、ただただやり過ごせばいい。

 

自分を諦めている人は、腹の底で怒っています。

 

どうせ受け入れくれないんでしょ!と相手を責めながら、受け入れられない自分に不信感を抱き続けていきます。

 

怒っている間は、自分への絶望感に気がつかないでいられます。

 

愛されたいのに愛されなかった自分。

助けてほしいのに助けてもらえなかった自分。

一緒に居たいのにひとりにされた自分。

その自分があまりにも悲しくて寂しくてみじめすぎて、気がつかないでいられるように怒っている自分すら消そうとしていきます。

 

それは自分の存在感がなくなっていきます。

むしろ、自分の存在を消さないと自分でいられなくなっていきます。

 

自分で自分の存在を消した時、

自分で自分を否定した時、

自分で自分を信じられなくなった時、

誰かを頼りに、誰かに依存して生きるしかなくなってしまいます。

 

自分の存在を誰かに委ねてまで、欲しくてたまらなかった「ここに居ていいよ」の許可証。

 

それは自分の存在を否定してきた相手を、許可証をもらうために自分の本音を諦めて否定を受け入れてきた証でもあります。

 

自分で自分を諦めていること。

自分で自分を見捨てていること。

自分で自分を否定していること。

その自分を自分が救いたいか?

まだ誰かが助けてくれるの待ちたいか?

 

それは自分じゃないと決められないんです。

自分を消してる場合じゃないんです。

自分のために、今こそ自分が立ち上がろう。

 

 

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