こんなに頑張ってるのに!!!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

先日、何かで

自分が一方的に何かをやっている、と感じる時は

人が不満を感じている時なのだと聞きました。

 

最初は自分からやりたいと思ったかもしれません。

それが

やっている。

やってあげている。

やらされている。

と変化していくんですね。

 

 

アナタは、

「わたしがやるのを当たり前と思わないでよね!!!」

「自分さえ良ければいいの???」

「なんで分からないの???」

「こっちは、こんなにやってるのに!!!」

という不満、人間関係で顔を出すことはありませんか?

 

 

例えば、

  • 仕事で自分の頑張りを評価されない
  • 家族からの感謝が足りない
  • 恋人のために尽くすのに相手は自分のことばかり
  • 懸命に子育てをしてるのに子どもが言うことを聞かない
  • 試験や面接や昇進に向けて頑張ったのに他の人が評価された
  • 人知れず努力しているのに誰にも伝わらない
  • やるべきことをやったのに文句を言われた
  • 自分のやっていることが割に合わない

 

このように自分の頑張ったことに対して相手から返ってきた反応が、自分の期待しているものと違った時に人は頑張っても報われない怒りや悲しみを感じます。

 

 

今日はそんな報われない不満の心理

「こんなに頑張ってるのに!!!」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

頑張っているのに報われない。。。

 

この不満はやがて、

この頑張りを分かってくれないアイツが悪い!

そもそも会社や社会の制度がおかしい!

と人間関係をおかしくしていきます。

 

 

この報われない不満、相手に分かってもらえたら解決するでしょうか???

 

<本当の問題は何か?>

 

ここにあるのは、共依存、他人軸の問題です。

 

こんなに頑張ってるのに!!!という報われない頑張り。

 

この頑張りは、相手に自分を評価してもらい、分かってもらい、受け入れてもらうための頑張りなんです。

 

頑張っていたら、誰かが認めてくれる。

 

頑張る自分を誰かに見せていたら、褒めてもらえる。

 

頑張り続けていたら、周りの人が気にかけて助けてくれる。

 

自分を無くして、

誰かのために

何かのために

頑張っていたら愛情が返ってくることを期待した頑張りなんです。

 

なので、愛情が返ってこないと不満が起こります。

 

気にしなければいい、

自分で認めてあげたらいい、

諦めたらいい、

そう思ってみたところで、子どもの頃からずっとずっと感じてきた「愛してほしい」という思いは無くなったりしません。

 

だから頑張ることで、親からの愛情を手に入れようとしてきたんです。

 

愛する親からの愛情が返ってこないことは、子どもにとって世界が壊れてしまうほど恐ろしくてたまらないことだから。

 

子どもはまず、愛してもらうということから始まらないと生きていくことが怖くなってしまいます。

 

その生きるための愛情をもらうために自分を無くし、親を飲み込むようになるんです。

 

自分を無くしてすり減らして頑張っているのに、その頑張りが誰にも分かってもらえない気持ち。。。

 

悲しくて当然です。

苦しくて当然です。

虚しくて当然です。

 

生きるためには頑張っていないといけないので、頑張り続けないといけない。

でも自分を無くさないと愛してもらえないから、頑張っていることを自分から表現することは許されない。

 

この愛されるために自分を無くさないといけなかった

怖さや

怒りや

つらさや

恨みや

悲しみこそが

「わたしはこんなに頑張ってるのに!!!」

という思いの正体なんです。

 

<このままだとどうなるか?>

 

ここに気がつかないままだと、ある時誰かに瞬間的に分かってもらえたとしても、この報われない思いが消えることはありません。

 

自分を無くしている限り誰かに

分かってもらい続け、

大切にしてもらい続け、

見てもらい続け、

愛してもらい続けないといけないので、

 

頑張りながら愛してもらうために自分を無くすことはやめられないんです。

 

なので、こんなに頑張ってるのに!!!という報われない思いをずっと抱えながら自分を擦り減らして頑張り続けないといけなくなります。

 

自分を無くしたままなので、自分で自分のことを助けるチカラがないと思っているんです。

 

 

ずっと誰かに

愛してもらい

見てもらい

助けてもらえないと生きていけなくなってしまいます。

 

頑張り続けることは苦しくてつらくて仕方ないのに、頑張ることに執着しないと生きていけなくなってしまいます。

 

<解決に向けて>

 

何かに執着しないと生きられないのは、失うことに大きな怖さがあるからです。

 

自分を無くして頑張らないと愛情を失うと思うから、怖くてたまらないんです。

 

この怖さを見ないまま、報われない不満だけを消すことはできません。

 

「こんなに頑張ってるのに!!!」という思いを、あなたは誰に対して抱き続けてきたんでしょうか???

 

本来、人は愛されるために頑張り続けなくても幸せになっていいんです。

 

人に自分を預けなくても生きていけます。

 

そこに怖さがあると、頑張ることで誰かに愛してもらうことをやめられないんです。

 

頑張らないと生きられないし、自分を無くさないと愛されない。

 

ここの怖さの根本を見ていくことで、この問題は解決へと向かっていきますよ。

 

弱さの否定。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先月のことではありますが、ケータイの機種変更をしました。

4年以上も使い込み、事あるごとに変更を考える機会はあったものの、愛着がわいちゃって♡という理由でずっと使い続けていたんです。

 

いよいよバッテリーが飛びまくりを迎えてしまい変更を余儀なくされるのですが、まあまあのビビり具合なわけです。。。

 

新しいもののワクワクよりも、なんだか困ることの方が増えそうでユウウツ。。。

 

 

今まで登録していたことをまたやり直さないといけない、今まで慣れていたことが新しくなることでできなくなるかもしれない、などなど。。。

 

 

けれど、そんな自分が何だか弱いようにも思えたりもして、新しいことへの楽しさを無理矢理に考えてみようとしたり。

 

 

オイオイ!ケータイの機種変だけで、何を大げさに!!!なんて思いながらも、やはり弱いお思う自分が出てくるわけです。

 

自分の弱さが見えた時に、受け入れられるか、否定するか。

 

 

この「自分の弱さ」への対応で、生きやすさは大きく変わるな、と思います。

 

 

今日はそんな、自分の弱さの受け入れの対応の心理

「弱さの否定」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

あなたは自分のことを弱いなあ。。。と感じることはありますか?

 

自分の弱さを感じた時に、

 

①弱い自分にならないように強くある。

②弱いからこそ強くなろうと頑張る。

 

これって似ているようで違うんです。

 

これは。。。

①弱さを持つ自分を受け入れられない。

つまり、弱い自分の存在をシャットアウトして、認めたくないと思っているんです。

自分の弱さが人にバレてしまうのを怖がっていて、いつも他人から見た自分なんです。

 

②弱さそのものが受け入れられない。

こちらは、弱い自分の存在は知っています。

その弱い自分が、弱さに負けたり飲み込まれたりするのを怖がっていて、自分から見た自分を見ています。

 

 

②のように弱い自分を分かっていれば、たとえ自分の弱さに直面した時にも、もがきながらでも進むことができます。

 

しかし、①のように弱さを持つ自分を否定してしまうと、人生そのものが逃げるか、避けるかしかなくなり、止まってしまうんです。

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは、自己重要感の問題です。

弱さという自分のマイナスとも思える部分が見えそうになると、必死に隠そうとしてしまうことが問題なんです。

 

そのままの自分で価値があるとは思えない。

 

誰かの役に立ったり、望みや期待に応えたりすることで自分の中の安心感を育ててきていて、それが出来なくなると、とてつのない虚しさを感じてしまいます。

 

誰かを受け入れていたらここに居てもいいんだ、という感覚もあるので

「人生はガマン!」となりがちです。

 

人生のあらゆることが人からどう見られるか、という他人軸でいつも自分が他人から見た自分なんです。

 

他人から自分の弱さがバレないように、強い自分でいられるように、自分の弱さなんて認めるわけにはいかないんです。

 

 

弱い自分を認めてしまうと、誰かにつけ込まれたり、責め立てられるかもしれないという怖さもそこには眠っています。

 

弱い自分を認めてしまうと

自分が無くなってしまうような、

飲み込まれてしまうような、

全ての自分のチカラを奪い取られてしまいそうな、

そんな怖さから、自分の弱さを認めずに必死に周りにバレないように隠し通そうとするんです。

 

 

弱さを出した途端に否定されたり、拒否されたり、無視されたりしてしまい、自分が強くなることで自分自身を守ろうとしたんです。

 

 

自分の弱さがバレるということは、自分の存在の無意味さがバレてしまうことと同じなんです。

 

だから、必死に隠さないといけないし、認めることなんてできないんです。

 

そのプレッシャーと悲しみたるや、大きく深いものです。

 

 

<このままだとどうなるか>

無理矢理に強くなってきたあなたの強さは、役に立ち、ニーズに応え、生きるために自分を苦しませることで身につけてきたものです。

 

このままでは、あなたは自分の弱さを隠し、認めず、苦しむことで生きていくことになります。

 

ならば自分のありのままを生きたらいいじゃないか、そう思うでしょう?

 

けれど、自分の弱さを否定せずありのままの自分という素で生き、振る舞い、人と関わると自分が必死に隠してきた自分の虚しさ、存在のなさ、心許なさをダイレクトに感じてしまうことになります。

 

 

だから弱さを否定することで、そこに気が付かないでいいように守ってきたんです。

 

しかし、このままだと自分をずっと隠しながら、苦しみを選択し続けてしまいますよね。

 

 

弱さを認めるのも、認めてありのままに生きるのも、どっちも怖いですよね。。。

これ、どうしたらいいんでしょうか。

 

 

 

<解決に向けて>

自分らしく生き、人と繋がり関わり合いたい。

これは人間として、誰もが持つ自然な欲求です。

 

しかし、人から見た強いかりそめの自分を作り、自分の弱さを否定していないと人と関わることができない。

今のそのままの自分に価値があるなんて思えないんですね。

 

 

自分は

居てもいなくてもいい存在

どうでもいい存在

必要のない存在

この感覚があなた中にある限り、行動だけで無理に弱さを認めようとしても、余計に怖くなって元の自分に戻ってしまいます。

 

 

目を向けるのは、

あなたがそのように感じた過去の傷があったということ。

そしてその傷を今だに抱えてあなたの人生に採用しているということ。

です。

 

その触れたくないあなたの傷のままの思いが、悲しみと絶望なんです。

 

 

大切なのは、

あなたがあなたをどう思うのかということ。

あなたがあなたをどう感じるのかということ。

あなたがあなたをどう信じるのかということ。

なんです。

 

 

自分の弱さを避けることなく、否定することなく、自分を見ていくこと。

 

心理セラピーでも、ここを見ていくことはできます。

 

あなたが自分の弱さを否定せず、認めていけるかどうか。

 

ここに目を向けるだけで、あなたの行きやすさは大きく変わりますよ。

 

 

自分で自分を追いつめる

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

夏休みになりましたね。

 

 

 

さてこの夏休みに出される、友達でも何でもない宿題は先に終わらせる派でしたか?

(今はもう、宿題はなつやすみのとも、とは言わないのかしら。。。)

 

 

 

それとも、ギリギリ派でしたか?

 

 

わたしは思いっきり後者で、最終日までもつれ込むのは当たり前、徹夜を逃れられるかレベルでした。。。

 

 

これでも、根が真面目なもので宿題を提出しないという選択肢はないのですが、何せやりたくないもんだからギリのギリのキワキワまでやらなかったですね!

(何の自慢にもなりませんが。。。)

 

 

 

けれど、そんなギリのギリのキワキワまで行くと、不思議と馬力みたいなアドレナリンなようなものが出て、すごい集中力を発揮したりしませんか???

 

 

 

今日は、そんな「自分で自分を追いつめる」というテーマで書いていきます。

 

f:id:taiyotoniji:20190729185951j:image

 

あなたは、こんなことはありませんか?

 

問題が絶えない

責任感が強すぎるくらい強い

頼まれると断れない

自分がやらないといけないとよく思う

やる事が増えすぎて休めない

何かと申し訳ない気持ちになる

ギリギリにならないとやらない

 

 

これを繰り返していると、段々と自分が疲れてきてしまいますよね。

 

 

 

止めたらいい、そう分かっているんだけど止められない。

 

 

どうして止めないんでしょうか???

 

 

そう、

追いつめた方が頑張れるからです。

 

 

 

自分を追いつめることで、何かしらのやらなければいけないと思っている行動を何とか奮い立たせてやらせようとしているんです。

 

 

 

でも、その自分を追いつめるやり方は、行動を起こすことはできるんですが、長続きはしないんです。

 

 

焦りや奮い立たせて頑張ったことは、その状況が終わると行動も終わります。

 

 

これが続くのであれば、追いつめるやり方もステキだわ♡となるかもしれませんが、その場しのぎとなると、その心の疲労感たるやものすごく大きなものとなってしまいますよね。

 

 

 

じゃあなんでやるんやろ???

不思議ですよね???

 

 

 

自分を追いつめるのは、頑張れるだけではないからです。

 

 

追いつめていると、感じなくていいんです。

 

 

自分は無価値なんだという思い込みを。。。

 

 

いい結果を出さないと価値がない

認めてもらえない自分はダメなんだ

まだ自分は貢献できていない

 

 

本当に追いつめられているのは、これらの思いなんですね。

 

 

なので、このイヤな感情から逃れるために頑張っているんです。

 

 

逃れるために頑張るから、当然のように目的を見失ってしまいます。

 

 

自分自身が留守になってしまうんです。

 

 

自分の中に、自分がいない。

 

 

これでは生きるのがつらくなります。

 

 

では、どうしたらいいのか?

 

 

自分の目指している目的地を、

 

周りの人が決めたのか

自分自身が決めたのか

 

それを自分によく問うことです。

 

 

 

やらなければいけないのか

やりたいと思っているのか

これはとても大切なことです。

 

 

人のためにやらなければいけないと思っていることに、自分のチカラを込めて行動することができるでしょうか?

 

 

無価値を感じたくないから、人から認めてもらい、自分の価値を保証してもらうために頑張り行動することに、自分の喜びを感じることができるでしょうか?

 

 

 

一時的に頑張ることはできても、継続できなくて当然です。

 

 

なので、あなたが自分で自分を追いつめることでつらく苦しんでいるなら、自分を幸せにしない!と決めているその無価値や罪悪感の思い込みを見つめ、受け入れることが先です。

 

 

 

怖くてひとりでできないようなことだからこそ、助けを求めていいんです。

 

 

自分を追いつめていると、助けを求めるという選択肢がないんです。

 

 

 

自分以外の人を、全て締め出してしまいます。

 

 

 

なので、追いつめることでしか頑張れない自分の、本当に感じたくなくて避けてきた

 

無価値な自分

自分が悪いという罪悪感

 

これを見ていくことで解決に繋がっていきます。

 

 

 

自分の限界を超えようとしている時は、なりたい自分があってこそ超えていけるのだとわたしは思います。

 

 

 

追いつめることではなく、自分の目的を持って、なりたい自分へ向かっていきたいですね。

 

 

 

 

 

f:id:taiyotoniji:20190729190011j:image

 

 

 

 

 

<お知らせ>

 

 

 

只今、限定でモニターさんを募集しています!!!

 

 

わたしはこのリトリーブサイコセラピーで命を救われました。

 

 

 

それは、自分の喪失からの再生でした。

 

 

 

たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

 

 

 

お申し込みは、こちらからどうぞ↓↓↓