人から優しくされるのがイヤ。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

新学期ですね。

入園や入学や進級や就職や新天地。

今までとは少し違う日常を迎えた方も多いかもしれませんね。

 

 

不安や怖さを抱えながらも人には頼れない。。。

助けてくれる人がいても、申し訳なかったり、何かお返しをしないといけないようで、「大丈夫です。」と拒否してしまったり。。。

 

 

今日はそんな周りからの優しさや愛情が欲しいのに受け取れない心理、

「人から優しくされるのがイヤ。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

受け取ってしまえばいいのに、優しさを受け取らないし受け取れない。

ここにあるのは、共依存の問題です。

 

ずっと誰かの役に立ってきた。期待に応えてきた。

相手が不安だと、自分も落ち着かない。

相手を安心させ、喜ばせることで自分も安心できる。

だからこそ、相手のために全力を尽くす。

 

アナタはこれを、相手を変えながらやってきてはいないでしょうか。

 

アナタは、自分を捨てて相手を生かすことを懸命にやってきたんです。

目の前の大好きな相手のために。

そして自分の安心のために。

 

アナタの目の前の人は、常に

かわいそうだったり、

大変そうだったり、

悲しんでいたり、

威圧的だったり、

大騒ぎしていたり、

起こっていたり、

していたからこそ、アナタはその人のために自分を捨て相手を安心させてきたのではないでしょうか。

 

そして、自分を捨てることで、アナタは自分の安心も手に入れることができたんです。

 

アナタが自分を捨てその人を受け入れなかったら、

その人が壊れてしまったり

その人から恨み節を言われたり

その人が責め立ててきた

そんな過去があったのだと思います。

 

 

それは苦しんだ後に見つけた、アナタの答えだったんだと思うんです。

 

つらさ、いやさ、痛みを感じながらも

大切な相手がどうにかなってしまうような怖さを感じるよりは、

自分を捨て、抑え、ガマンすることを選んだのだと思います。

 

 

それが、アナタにとって大きな安心や、安定や、安全だったりしたんです。

 

 

自分を捨て、相手を生かすことで生きていられるのに、そこに周りの人からの優しさやぬくもりなどの愛情が入ってきたら、アナタはどうなるでしょうか?

 

 

受け取ってしまうと何が起こるでしょうか?

 

アナタがシアワセな世界を築いていくことになります。

そうすると、アナタは今までの安心や安定や安全を失うことになります。

 

 

アナタが感じていた今までの安心や安定や安全は、アナタが自分を捨ててこそ成り立つものだったからです。

 

 

<このままだとどうなるか>

欲しいはすの、優しさや温もりといった人からの愛情。

けれど、それを受け取ってしまうと、

 

ひとりぼっちな自分

守ってもらえない自分

見放された自分

居場所を失った自分

愛されない自分

を感じてしまうんです。

 

 

アナタが

自分の世界を築き、

自分の幸せを追求し、

自分の信じたい人を信じて生きていく、

そうしようとすればするほど

 

裏切りものの自分

見捨てるひどい自分

存在価値のない自分

を感じてしまうんです。

 

 

自分を持つと、アナタは守ってくれる世界を失うことになるんです。

だから、人からの優しさや愛情を受け取ることを拒んでしまいます。

 

 

そうしていれば、今までの世界で生きていくことができるから。

 

けれどそれを続ける限り、アナタは自分を捨て続けないといけません。

 

相手をシアワセにすることでしか、自分のシアワセを感じることができなくなってしまいます。

 

アナタ自身のシアワセを、アナタの意思で掴むことが一生できないということになってしまいます。

 

<解決に向けて>

アナタは両親のことを、大好きで同時に憎んでもいませんか?

そのモヤモヤが、今の人間関係でも同じように起こっていないでしょうか。

 

 

両親の虚しさや悲しさという無力感や無価値感をずっと感じてきたのではないでしょうか。

だからこそ、埋め続け、役に立ち、期待に応えることで、アナタ自身も自分の存在価値を感じることができていたんです。

 

 

アナタが周りからの優しさや愛情を受け取り、自分を持ってしまうと、この両親のために生きることができなくなってしまいます。

 

人の優しさを受け取れないのではなく、受け取ってしまうと

親を見捨てるような

自分が見放されるような

そんな怖さをアナタがずっと抱えているということなんです。

 

 

アナタは

怖さで自分を縛り、今の安定を選びたいのか。

怖さを超えて、自分のシアワセを掴みに行きたいのか。

アナタがこことじっくり向き合うこと。

そこから、どうしたいのかを決めること。

 

 

どうしたいのかを選べるのは、アナタしかいないんです。

アナタが人の優しさを受け取ることは、両親を裏切ることでも、見捨てることでもないのだから。

 

 

<個人セッションのお知らせ>

4月の個人セッションの予定を出しています。

アナタの問題解決に向けて、どうぞご利用くださいね。

最新予約状況

 

自由になりたい!の落とし穴。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

三寒四温。

季節はだんだん春へと向かい、出会いも別れも一緒に感じることが多い季節ですね。

 

身体も日々の変化に何とかしてついていこうとするそうで、イライラしたり、落ち込みやすい時期でもあるそうです。

 

 

心も身体も疲れ気味だと、イライラしやすかったり不安を感じやすいのも納得ですよね。

 

ああ、もう!!!

この人さえいなければ!!!

この出来事さえなければ!!!

自由になりたいーーーー!!!!!!

 

と、ストレスがあればあるほど人は自由を求めますよね。

 

 

今日はそんな、自由を求めている時に陥りやすい心理、

「自由になりたい!の落とし穴。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは愛着自己重要感の問題です。

 

かわいそうな人。

威圧的な人。

アナタがイヤだと感じる人。

 

その人から離れようとすると、

 

自分が

悪いような、

間違っているような、

ダメな人間のように思えて、

その目の前の人から離れることができない。。。

 

その苦しさを感じたくなくて、

その人にもいいところがある

自分のためを思ってくれている

あえて嫌われることをしてくれている

と、そこに愛情を何とか見つけようとします。

 

そうすることで、

愛される自分

大切にされている自分

守られている自分を

アナタは感じることができるから。。。

 

けれどそれは息苦しい愛情なんです。

アナタを縛る愛情なんです。

 

だって、それは相手の支配下でしか自由や愛情を感じられないから。

 

こんな自由はイヤだ!!!とその支配下から飛び出そうとしても、

もう愛してもらえない

もう大切にしてもらえない

もう守ってもらえない

と怖くなって、アナタは自分の足を止めてしまいますよね。

 

 

だからどれだけ息苦しくても、目の前の人は

本当は愛してくれて

本当は大切にしてくれて

本当は守ってくれると

信じていたいのは、実はアナタの方だったりします。

 

本当の相手を見てしまうと、アナタは自分が本当は愛されず、大切にされす、守られていない自分に気がついてしまうんです。

 

それがつらすぎて、アナタは自由になりたい!と言いながら、重い相手を感じながら、自ら相手の支配を受け入れて、自由にならないことで愛されることの方を選んでいるんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

アナタがこのまま自分に起こっていることに目を向けなければ、アナタが自由を感じられることはありません。

 

目の前にイヤな人がいなくなりそうになると、アナタは別の人の支配下に入って自分をまた縛ってくれる人を探してしまいます。

 

これを繰り返すから、アナタはずっと自由になっていないんです。

 

自由でないことに不満を持ちつつ、でもどこかで安心しながら過ごしていくことになります。

 

 

自由になりたい。

でも自分から自由になろうとはしていないんです。

 

実は、アナタの自由を奪っているのは

他の誰かではなく、アナタ自身だったりします。

 

 

<解決に向けて>

アナタの中で起こっていること。

それは。。。

 

アナタをいいように使い、目的を果たすためにアナタを利用していることを

「愛されている」

 

アナタのためを思って、とアナタを否定し、怒り、拒絶し、思うように動かすことを

「守られている」

 

アナタが居ないと嘆き、悲しみ、つらそうな姿を見せられることを

「必要とされている」

 

と思い込んでいるということなんです。

 

 

そこに本当に愛情があるなら、アナタの自由を心から喜び、アナタの自由をアナタに任せるはずなんです。

 

その今までアナタが信じてきた愛情が、ホンモノではなかったと気がつくこと。

 

それを受け入れて初めて、アナタが自分の目で、自分の世界を見ることができるよになります。

 

信じてきたものが強く、深いほど、現実を見ることはつらく、痛いものにもなります。

 

それはとても悲しく、虚しく、苦しいことです。

 

痛いって、つらいんです。

でも、その痛みの先に自由があります。

 

痛みを超えてもアナタが自由になりたいかどうか。

アナタがアナタを生きたいかどうか。

 

たくさん自分と話してみてくださいね。

 

 

自分を変えたい!の思いの底に。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

気がつけば、もう2月も終わろうとしています。

新年に今年の目標を立てたのも、もう遠い記憶。。。

新しい年になると、何だか自分も生まれ変わるような気がして、「こうなりたい!」、「あれをやりたい!」ナドナド自分の中からやりたいことが出てきて、色々と自分を変えようとしてみたものの。。。

はて、どんな目標を立てたんだっけ状態になりやすい時ですよね。

 

 

時がたつと共に、その思いもそれに向けての行動もいつの間にか薄れていってしまう。。。

そしてまた、

「こんなことではいかーーーん!!!」

と自分を一念発起させて、また取り組んでは挫折しての繰り返し。。。

 

 

ええ、わたしも今年こそは整理整頓できるオンナになるんだぜーい!と小分けして色々なものを収納しているつもりが、さあいざ使う時になってどこにあるのか分からないー(泣)というあるあるを経験しております。。。

 

 

自分がより生きやすいように自分を変えたいと思うのと、今の自分がダメだから自分を変えたいと思うのでは、同じ「自分を変えたい!」でも、その結果は大きく変わります。

 

 

アナタも「自分を変えたい!」と思う時ってありますよね?

 

アナタの変えたい!は

自分を生きやすくするためか。

自分の自己否定を隠すためか。

どちらでしょうか?

 

 

今日はそんな自分を変えたい心理、

「自分を変えたい!の思いの底に。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

自分をより生きやすくするために自分を変えたい。

先ほどの整理整頓で言うと、自分が使い勝手がいいように小分けにしたり片付けることで、探し物の時間が無くなったり、そのストレスが無くなったり、物を気持ちよく使えるようになったりする。

そうすることで、自分の生活が楽しくなったり余裕ができたりするので、そういう自分に向けて変わっていきたい。という場合です。

 

自分がダメだという自己否定から自分を変えたい。

これは、結構多いのではないかと思うんです。

片付けができない自分。

自分を管理できない自分。

完璧じゃない自分。

こんな自分を感じたくないから、自分を変えたいんです。

自分を変えて努力すれば。。。という思いです。

 

その。。。に続く思いこそがアナタの底にある本当の思いなんです。

 

 

<本当の問題は何か>

この問題は、アナタの自己重要感の問題なんです。

共依存とも関係しています。

人間は生きている限り、ダメな時もダメじゃない時もあります。

けれど、完璧だったりできる自分じゃないと目の前の相手から

攻撃される

否定される

無視される

拒絶される

そんな感覚があるんです。

 

 

だから、本音は

「相手を変えたい」んです。

自分を変えることで相手からの対応や反応を変えようとしているんです。

自分を変えることで、相手から

認めてもらいたい。

ここに置いてもらいたい。

見てもらいたい。

愛してもらいたい。

安心させてもらいたい。

そんな本音があるんです。

 

自分が頑張って変えようとしても相手が変わらない。

それなら、

自分が先に変われば相手が変わってくれるのではないかと思っているんですね。

 

そして、その心にはどれだけ頑張っても相手を変えることができない自分に、変わらない現実に絶望しているんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

頑張っても頑張っても報われない。

その思いは怒りへと変わり、より強く相手を変えることに必死になっていきます。

もう考えない

もう諦めた

もうこちらが折れてあげた

と自分を納得させようとしながらも、ずっと満たされない気持ちはアナタの中で燻り続けるんです。

 

 

だから諦めきれないんです。

アナタは親を諦めきれずに今度は

イヤでも受け入れること

親を嫌いだと思うこと

自分が悪いんだと思うこと

そうやって自分自身を持たずに、自分が悪いと思うことで自分が傷つかないように守っていきます。

 

続ければ続けるほど、自分という存在がなくなり、自分が分からなくなり、自分が苦しくなっていくんです。

 

 

<解決に向けて>

相手を変えたい。

その本音は、隠すものでも、否定するものでもないんです。

それほどまでに、親を求めていた自分に気がつくことです。

 

あぁ、わたしは相手を変えたいと思ってるんだなぁ。

お母さんが変わってくれたらいい関係を築けるのに。

お父さんが変わってくれたらラクに関われるのに。

そのアナタの本音を消してしまわないでくださいね。

 

自分をダメにして、

自分を無くして、

自分を否定して、

そうしてまでアナタは親を変えたかったんです。

 

その自分を感じてあげましょう。

 

たくさん感じた後に、アナタは気がつくはずです。

わたしの欲しい愛情はこれじゃなかった、と。

 

 

その時にアナタが自分を助けてあげたいかどうかなんです。

アナタが自分で自分を救いたいかどうか

なんです。

 

アナタのその決意は、自分を変えることで親を変えることから、自分のために自分を変わることへと繋がっていきますよ。

 

ずっと待ち続ける人生。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、子ども達の話を聞いておりますと、

「ウチの赤ちゃん、まだなーんもできんとよ。」

「まだ赤ちゃんやけん、仕方ないっちゃない?」

「え?そんなら、パパもなーんもできんよ?自分でなんもせんもん。大人なのにさー!」

という微笑ま。。しい家族の話を暴露。。。聞かせてくれました。

 

自分でなんにもできん。

と子どもに言わせるくらい、お母さんが痒いところに手が届く、という対応をしているのかもしれません。

 

けれど、これが自分でやらないといけない場面でも、誰かが何とかしてくれるまで自分から動かないとしたら。。。

これは、確かに

自分では何もできない、という状態です。

 

それは、誰か助けてくれる人が現れるまでずっとずっと待ち続けるということになります。

 

 

今日はそんな、自分から動かずに、ずっと相手から動いてくれるのを待っている心理、

「待ち続ける人生」というテーマで書いていきます。

 

 

 

あなたの人生、人生から動かずにずっと相手の出方を待つだけで本当にシアワセを感じることができるでしょうか???

 

そもそも、あなたはどうして自発的に動かないと決めたんでしょうか???

 

<本当の問題は何か>

ここに潜んでいるのは共依存の問題です。

 

自分から動かずに、相手から動いてくれるのを待つのは、あなたが自分のチカラを信じることができないということなんです。

 

あなたの中のチカラを消して、周りの誰かに自分を預けることでイヤだとは感じながらも、本心では安心している。。。

 

自分で動かないのがイヤなのに、ラクなんですね。

 

イヤだと感じながらも、自分で動かないといいことがたくさんあるんです。

傷つかないし

失敗しないし

人のせいにできるし

考えなくていいし

安定もしています。

 

実はいいことだらけだったりします。

 

何だか自分のイヤさをガマンして、その時だけをやり過ごしていれば、身の安全が保障されて、自分の未来までもがこれでいいような気がしてくる。

 

 

だから、あなたは

何かいいことないかなー。

と言いながら、

誰かが何とかしてくれないかなー。と

自分から動くことをしないんです。

 

これは、あなたの幼少期の親子関係から来ていることが多く、親との関係において

自分から動かない方が安全。

親の言うことを聞いておくといいことがある。

と、親の前では

自分よりも親を信じて、

自分よりも親を感じて、

自分よりも親を守ったんです。

 

つまりは、親の前では

何もせず、

親が何かを言ったり行動するまで待ち続け、

自分自身を止める、

ということをしていた方が安全なのだとアナタが学んでしまったということなんです。

 

<このままだとどうなるか?>

たとえ自分の心に不満があっても、まだ耐えられる。

イヤでも、耐えている方が自分はラクでいられる。

そう感じている時は、当然ながらずっとずっと今の自分の場所から救ってくれる誰かを待ち続けることになります。

 

待ち続けるということは、自分から何もしない、ということです。

 

あなたの人生、自分から何もしないとどうなってしまうでしょうか?

 

自分から

何も欲しがらず、

何も動かず、

自分を放り出して、

何もできない自分として生きていくことになります。

 

 

the昭和のオヤジのように、誰かが何かをしてくれるまで動かず、自分では何もできない。。。

 

自分ひとりでは、生きていけないんです。。。

 

何もできない自分として生きていくのは、

自分を感じられず、

自分が分からず、

自分の主導権がない。

 

そのかわりに手にするものがひと時の安全であり、偽りの安心なんです。

 

土台には

自分を感じられない怒り

自分を分からない絶望

自分に主導権がない悲しみ

がしっかりと根付いているので、

 

自分が自分でいていいんだ、という感覚をずっと持てないんです。

 

 

自分から何もせず、待って、待って待ち続ける。

それは自分を

分かってもらい、

察してもらい、

大切に扱ってもらい、

周りに自分自身を保ってもらおうとしているんですね。

 

人生を待ち続ける限り、あなたはあなたをずっと生きられなくなってしまうんです。

 

 

 

 

<解決に向けて>

ああ、自分はいつも待っているなあ。。。

そう思ったアナタ!!!

 

待っている自分を責めなくていいんですよ。

 

待ち続けていないと、人生には幸せは来ない。

あなたがそう思い込んでしまった過去からの人間関係があるんです。

 

それこそが共依存という関係なんです。

 

自分を持ってしまうと危険。

自分を感じてしまうと壊れる。

自分を生きるとひとりぼっち。

 

あなたの中にあるその恐怖を見ずに、自分という存在を消しながら自分を救ってくれる誰かを待ち続けていても、いつになったら救ってくれる誰かは現れるでしょうか???

 

まず、あなたが気がつくことは、自分の中の自分から逃げているのだということなんです。

 

 

アナタの中の自分には、良いものばかりでなく

 

怖さ

弱さ

悲しみ

絶望

孤独

つらさ

痛み

そんな逃げたくなるほど見たくない感情もたくさんあるのだということ。

 

アナタは自分の中にある、その逃げたくなるほど見たくない感情を、これからどうしていきたいでしょうか???

 

そこに向かう決意をすることが、アナタの待ってばかりの人生を大きく動かす一歩へと変わっていきますよ。

 

こんなに頑張ってるのに!!!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

先日、何かで

自分が一方的に何かをやっている、と感じる時は

人が不満を感じている時なのだと聞きました。

 

最初は自分からやりたいと思ったかもしれません。

それが

やっている。

やってあげている。

やらされている。

と変化していくんですね。

 

 

アナタは、

「わたしがやるのを当たり前と思わないでよね!!!」

「自分さえ良ければいいの???」

「なんで分からないの???」

「こっちは、こんなにやってるのに!!!」

という不満、人間関係で顔を出すことはありませんか?

 

 

例えば、

  • 仕事で自分の頑張りを評価されない
  • 家族からの感謝が足りない
  • 恋人のために尽くすのに相手は自分のことばかり
  • 懸命に子育てをしてるのに子どもが言うことを聞かない
  • 試験や面接や昇進に向けて頑張ったのに他の人が評価された
  • 人知れず努力しているのに誰にも伝わらない
  • やるべきことをやったのに文句を言われた
  • 自分のやっていることが割に合わない

 

このように自分の頑張ったことに対して相手から返ってきた反応が、自分の期待しているものと違った時に人は頑張っても報われない怒りや悲しみを感じます。

 

 

今日はそんな報われない不満の心理

「こんなに頑張ってるのに!!!」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

頑張っているのに報われない。。。

 

この不満はやがて、

この頑張りを分かってくれないアイツが悪い!

そもそも会社や社会の制度がおかしい!

と人間関係をおかしくしていきます。

 

 

この報われない不満、相手に分かってもらえたら解決するでしょうか???

 

<本当の問題は何か?>

 

ここにあるのは、共依存、他人軸の問題です。

 

こんなに頑張ってるのに!!!という報われない頑張り。

 

この頑張りは、相手に自分を評価してもらい、分かってもらい、受け入れてもらうための頑張りなんです。

 

頑張っていたら、誰かが認めてくれる。

 

頑張る自分を誰かに見せていたら、褒めてもらえる。

 

頑張り続けていたら、周りの人が気にかけて助けてくれる。

 

自分を無くして、

誰かのために

何かのために

頑張っていたら愛情が返ってくることを期待した頑張りなんです。

 

なので、愛情が返ってこないと不満が起こります。

 

気にしなければいい、

自分で認めてあげたらいい、

諦めたらいい、

そう思ってみたところで、子どもの頃からずっとずっと感じてきた「愛してほしい」という思いは無くなったりしません。

 

だから頑張ることで、親からの愛情を手に入れようとしてきたんです。

 

愛する親からの愛情が返ってこないことは、子どもにとって世界が壊れてしまうほど恐ろしくてたまらないことだから。

 

子どもはまず、愛してもらうということから始まらないと生きていくことが怖くなってしまいます。

 

その生きるための愛情をもらうために自分を無くし、親を飲み込むようになるんです。

 

自分を無くしてすり減らして頑張っているのに、その頑張りが誰にも分かってもらえない気持ち。。。

 

悲しくて当然です。

苦しくて当然です。

虚しくて当然です。

 

生きるためには頑張っていないといけないので、頑張り続けないといけない。

でも自分を無くさないと愛してもらえないから、頑張っていることを自分から表現することは許されない。

 

この愛されるために自分を無くさないといけなかった

怖さや

怒りや

つらさや

恨みや

悲しみこそが

「わたしはこんなに頑張ってるのに!!!」

という思いの正体なんです。

 

<このままだとどうなるか?>

 

ここに気がつかないままだと、ある時誰かに瞬間的に分かってもらえたとしても、この報われない思いが消えることはありません。

 

自分を無くしている限り誰かに

分かってもらい続け、

大切にしてもらい続け、

見てもらい続け、

愛してもらい続けないといけないので、

 

頑張りながら愛してもらうために自分を無くすことはやめられないんです。

 

なので、こんなに頑張ってるのに!!!という報われない思いをずっと抱えながら自分を擦り減らして頑張り続けないといけなくなります。

 

自分を無くしたままなので、自分で自分のことを助けるチカラがないと思っているんです。

 

 

ずっと誰かに

愛してもらい

見てもらい

助けてもらえないと生きていけなくなってしまいます。

 

頑張り続けることは苦しくてつらくて仕方ないのに、頑張ることに執着しないと生きていけなくなってしまいます。

 

<解決に向けて>

 

何かに執着しないと生きられないのは、失うことに大きな怖さがあるからです。

 

自分を無くして頑張らないと愛情を失うと思うから、怖くてたまらないんです。

 

この怖さを見ないまま、報われない不満だけを消すことはできません。

 

「こんなに頑張ってるのに!!!」という思いを、あなたは誰に対して抱き続けてきたんでしょうか???

 

本来、人は愛されるために頑張り続けなくても幸せになっていいんです。

 

人に自分を預けなくても生きていけます。

 

そこに怖さがあると、頑張ることで誰かに愛してもらうことをやめられないんです。

 

頑張らないと生きられないし、自分を無くさないと愛されない。

 

ここの怖さの根本を見ていくことで、この問題は解決へと向かっていきますよ。

 

ずっと虚しい。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

あまり年末感はまだ感じられませんが、今年のカレンダーは確実にラスト1枚となりましたね。

 

今年も終わるなぁ。。。

 

わたしは、何だか言葉通りにあっという間に過ぎ去ってしまった2020年でした。

 

あれ???

もう終わっちゃうんですか???

という感覚です。

 

何かが終わる。

そう思った時、あなたは何を感じますか???

 

何かをして終わると虚しい。

やり終えると虚しい。

満足するかと思ったのに、感じるのは虚しさ。

 

何かをしてもしなくても、虚しさが消えない。。。

 

あなたも時に、ふとそんな「虚しさ」を感じる時はないでしょうか???

 

失った時や、悲しい時、ひとりを感じて寂しい時などにふと感じる感情ではあります。

 

しかし、物事をやり遂げた達成感や充実感ではなく、欲しいものを手に入れたはずなのに虚しい。

 

そんな風に感じることはないでしょうか???

 

今日はその虚しさの心理、

「ずっと虚しい。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

虚しさ。

何かを失ったり、悲しかったり、不安だったりした時に虚しくなるというのはある程度分かる気もしますよね。

 

そのような状態の時に虚しさを感じるのは、当然かもしれません。

 

 

けれど、

やり終えたり、

達成したり、

望んだものを作り上げたのに、

虚しさを感じる。

 

 

どうして幸せや満足感ではなく、虚しさを感じてしまうんでしょうか???

 

 

<本当の問題は何か?>

ここに潜んでいるのは、共依存の問題です。

 

何をやっても虚しさを感じてしまう時。

それはあなたが

生きていることが虚しいと感じている時です。

 

生きることがずっと虚しい。。。

 

この感覚は、自分が生きている限り

誰かを喜ばせないといけない

誰かの期待に応えないといけない

誰かを満足させないといけない

という

誰かのために常に頑張らないといけないという感覚でもあるんです。

 

子どもは大好きな両親を常に幸せにしたいと思っています。

 

だから両親のために、時には自分を犠牲にしてまでも両親を幸せにしようと頑張ります。

 

親の期待に応えることで自分の価値ができるから。

 

そうすれば、それが叶えば、次は自分が両親からめいっぱい愛されるのだと信じて。

 

でも、親は親で、子どもは子どもです。

 

どれだけ頑張っても、子どもは子どもなんです。

 

両親の望みの全てを叶えることはできません。

 

その自分がどれだけ頑張っても両親を幸せにできない現実に、無力感を感じるんです。

 

いっときの間、満足させることができたとしても、すぐにまた次の期待が来る。

 

無駄と分かりながら頑張り続けないといけない。

 

それは生きることが虚しくなるのは当然です。

 

 

<このままだとどうなるか>

生きることが虚しくなる、それはどんな感情を感じて生きることに虚しさを感じているのでしょうか???

 

どうせ自分は、何を頑張っても愛されない。

その現実に直面することが何よりも怖いんです。

この現実を受け止められないんです。

 

なので、

最初から何をやっても無駄なのだと自分を虚しくするんです。

 

両親を諦め、求めても無駄だと自分に言い聞かせながら。

 

 

自分を虚しくして、

欲しいものを求めず、

自分の価値を消し、

両親を否定しながら、ずっと両親を自分の目の前に置き、

生きることに絶望して、

自分を幸せにせにせずに生きていくということになってしまいます。

 

自分の人生なんて、価値もなく、耐えるしかない、苦痛に満ちたもの。

 

人生とは虚しいもの。。。

自分で自分の人生をそう決めているんです。

 

<解決に向けて>

役に立たないと生きている心地がしなかった。

けれど両親がどれだけ不幸に見えたとしても、両親の不幸はあなたのせいではありません。

 

本当は両親は自分のことを愛してなんていない。

 

だけど本当は

愛されたかった。

大切にされたかった。

認めてほしかった。

そのあなたの本当の思いを、あなたがしっかりと受け止めて生きたいかどうか

 

虚しさを認めて、

両親のために生きてきた自分

から

自分のために生きる自分へと

変わりたいのかどうか。

 

そこを見ていくことで、この問題は解決へと向かっていきます。

 

あなたの人生は、虚しいままでいいですか???

人生とは、虚しいもの。

そう決めたままでいいですか???

 

どれだけ耐えても、自分でそう決めている限り誰かがあなたの心の虚しさを取り去ってはくれないんです。

 

この人生の前提を、生き方を、変える。

自分がそう決めることで、あなたの人生は動き始めますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怒りを表現できないのは。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

12月に入りましたね。

今年は本当にコロナありきの1年でしたね。

わたし達の生活スタイルも大きく変わりましたよね。

 

 

密を避け、距離を保ち、あまり近づかない。

大人にとっては、毎日マスクのこの毎日が非日常な事態であることをどこかで意識しながら生活していますが、このコロナ禍の生活が日常となりつつある子どもたち。

 

愛着を育んでいく時期に、人との

スキンシップ

じゃれあい

大きな声で笑い合う会話

そういったものに触れる機会が減ることは、心の成長には大きな影響が出てしまうかもしれませんね。

 

 

大人も同じかもしれません。

 

 

こういう時期だからこそ、

自分が自分を知る

自分が自分を育む

自分が自分を大切にする

ということの本当の意味を改めて考え、感じたいものですね。

 

 

さて、

前回は逃げ続ける人生というテーマで書きました。

逃げ続ける人生〜あなたが避けているものは?〜

 

自分と親との間に感じた本音を避けたい。

親との間にあるワダカマリから逃げ出してしまいたい。

 

あなたが両親との間に感じた心のしこりから逃げ出そうとすればするほど、あなたの心の中には抑圧された怒りが溜まっていってしまいます。

 

自分の怒りという感情

自分の中の抑圧している怒り

から逃げ続けていると、あなたはどうなってしまのか?というところを書いていきます。

今回は

「怒りを表現できないのは。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

あなたが自分の感じた怒りの感情から逃げ続けて、抑え込んだままでいるとどうなってしまうのでしょうか???

 

 

<このままだとどうなるか>

怒りの感情は分かっているし感じている。

でも

自分の中の怒りの感情から目を逸らしたり、

もう過去のことだからと自分に言い聞かせて言い訳したり、

別の形で別のものに怒りを発散しようとしたりして、

本来その怒りを感じた対象を避ける。

 

 

怒りの感情から逃げることで

あなたそのものへの攻撃

相手へ攻撃すること

を避けることができます。

 

 

しかし、怒りを避け続けても自分の中の怒りの感情がなくなることはありません。

 

 

むしろ、

眠れない

過食してしまう

不要な買い物をし過ぎてしまう

体調が悪くなってしまう

人や物や行為に依存してしまう

人や物や行為で破壊してしまう

怒りが爆発してしまう

などの問題を抱えることになってしまいます。

 

そして、自分自身をどんどん損なっていってしまいます。

 

自分を損なうにも関わらず、怒りを表現しない。

この根源は恐怖です。

 

 

自分が怒りを表現したら

きっと親は

嘆き悲しむに違いない。

とことん嫌味や意地悪で仕返しするに違いない。

こちらが折れるまで無視するに違いない。

わたしという存在を切るに違いない。

非難しわたしを悪者にするに違いない。

そう信じているんです。

 

 

そうすると、子どもにとってこれは自分の存在の危機です。

存在するか、消えてしまうかの瀬戸際というのは人間にとってとてつもない恐怖です。

 

実際に、幼少期に両親のそのような姿を見てきた人は多いと思います。

 

それが傷となって、痛みとなって、あなたを苦しめてきたのだと思います。

 

とてもつらかった。

とても重かった。

とても怖かった。

 

 

 

なので大人になった今でも、あなたはその怖さを持ち続けているのではないでしょうか。

 

あなたは人から怒りという感情に触れた時、

あなた自身に対する攻撃として「怒り」の感情を感じるのではないでしょうか。

 

怒りという感情を自分が表現しようとした時、

相手そのものを攻撃して壊してしまうような感覚を感じていないでしょうか。

 

それは幼少期に親が怒っている姿を目の当たりにした時、親から自分を攻撃され、自分の価値を全て壊されてしまったように感じた過去があったのだと思います。

自分なんて消えてしまいたい。。。

自分は居なくなってしまえばいい。。。

そんな心許ない怖さに、「怒り」という感情に対して為す術を失い、ただ飲み込まれ巻き込まれることしかできなかったんです。

 

それほどまでに怒りの感情を感じることが怖かったんです。

 

自分の怒りを表現するのが怖かったんです。

 

 

怒鳴られたり、

怒りに満ちた目で睨まれたり、

怒りのまま破壊している姿を見たり、

怒りそのものに触れることがたまらなく怖かったんです。

 

 

だからこそ、大人のあなたが、子どもの時のあなたの恐怖と怒りを受け止めていかない限り、ずっとずっとこの怒りから逃げ続ける人生は続いてしまいます。

 

 

<解決向けて>

幼少期にあなたが感じた両親への

愛情と恐怖

イヤさと怒りのガマン

その本当の気持ちを表現することが大切なんです。

 

それは、両親へと怒りをぶつけるということではないんです。

 

 

安全に、安心して

怖さと怒りを表現できる場が必要なのだということなんです。

 

 

なぜ、「怒りを表現すると全てが壊れる」と自分に言い聞かせてまで、自分の怒りを止めてきたのだと思いますか???

 

 

わたしが怒ったところで、何も変わらない。。。

現実は何も変わらない。。。

自分にはどうしようもできない。。。

 

そんな虚しさや絶望を感じたくなかったんです。

 

 

怒る自分は何もできない存在で、

怒りを持つ自分は無意味。

 

そうであれば、

あなたは怒りを感じることを何としても避けなければ生きられなかったんです。

 

 

わたしは本当は怖かった。

わたしは本当は怒っていた。

止めずに、その時の気持ちを全身で感じて表現することが必要なんです。

 

 

この感情を抑え込んだまま、怒りの感情から逃れたまま自分らしく生きようとしても、どこかで歪みが出てしまいます。

 

 

逃げるが勝ち、と両親との関係を無駄や愚かな争いと決めて逃げて避けていると、自分の人生という本当に大切なものを逃して生きていくことになります。

 

 

まさに自分の人生から逃げながらも、逃した魚は大きいんです。

 

 

あなたが、

怖さや怒りを感じないように避けて生きる人生から、

怖さや怒りを感じた時に受け入れて自分で対応できる人生へと

自分で変えていこうと決意できるかどうかなのではないかと思います。

 

 

その決意を自分ひとりだけで続けることこそ難しいものはありません。

 

 

あなたのその決意を応援するために心理セラピーはあるんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

逃げ続ける人生〜あなたが避けているものは?〜

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、子どもたちが鬼ごっこをしていました。

その時の、鬼をしていた子が言うんです。

「にげるなー!このひきょうものめー!!!」

そう叫びながら追いかけるので爆笑してしまいました。

「何でよー。鬼じゃない人は逃げるのが楽しいんやけん、逃げるのは当たり前やないん?」

と聞いてみたら、実は逃げている子がルールを守らなかったことに対しての抗議だったようで、その後ルールを確認し合ってまた続きが始まりました。

 

 

数年前のドラマのタイトルにもあったように、最近は「逃げる」と言うことにあまり抵抗感はなくなりつつはあるものの、「逃げる」ということに対してずるさや卑怯さを感じるという気質もやはりありますよね。

 

 

今回はその「逃げる」というテーマで書きていきます。

さて、あなたは「逃げる」ということにどんなイメージを持っていますか???

いつも逃げてばかりじゃ成長しないけど、時と場合によっては必要なこと。

はい。

その通りだと思います。

 

 

逃げていない時の自分は、割と想像がつきやすいですよね。

頑張っていたり

歯を食いしばっていたり

耐えていたり

歩み寄ったり

受け止めていたり

何かを行動している時が多いので、自分でも自覚しやすいのだと思います。

 

 

さて、一方で。。。

逃げている時はどうでしょうか。

逃げているので、確かに行動はしています。

逃げ足のように、その場から立ち去るなら逃げていることに自覚を持っていると思います。

でも。

その場に留まりながら逃げるという時があるんです。

そこの場所から動かずに、イヤなものを避けていく。

これは一見すると、逃げてないように思うかもしれません。

イヤなものを避けたいのなんて、当たり前じゃないの???

けれど実はこの「その場に留まりながら逃げる」という避け方こそが、自覚なく続けてしまいあなた自身の人生を損ない続けてしまうことになってしまうんです。

 

 

そしてあなたは一体、何からそんなに逃げないといけないのでしょうか???

 

 

自分は困難にも立ち向かっている!!!

だから逃げてなんていない!!!

そう思う時こそ、

実はあなたは何かから逃げて、何かを避けているのかもしれません。

 

 

今日はそのその場に留まりながら逃げてイヤなものを避ける心理

「逃げ続ける人生〜あなたが逃げているものは?〜」というテーマで書いていきます。

 

 

さて、その場に留まりながら逃げるとはどういうことだと思いますか???

 

 

例えばこういうことです。

今のこの場所が暑くて汗がダラダラで嫌だから、あっちの場所に行こうとする。

でも、あっちの場所は寒くて凍えてしまいそうな場所でもっとイヤ。。。

仕方がないから、動いて凍えてしまうよりは我慢して今の暑いこの場所で、自分にここは常夏トロピカルと言い聞かせて楽しみを探して何とか乗り切っていく。

 

 

こうやって自分の人生の中でイヤとイヤの間に挟まれて、結局どちらも選ばずに自分の不満だけを募らせる生き方こそが、その場に留まりながら逃げ続けるという人生なんです。

 

 

<本当の問題は何か?>

この問題の根っこにあるのは共依存の問題です。

 

そして、ダブルバインドという状態が起こっているんです。

 

右に行っても左に行っても行き場がない。。。

そんなどちらにも選べない状態をダブルバインドと言います。

 

 

では、人生の中であなたが何と何の間で留まりながら逃げているのでしょうか???

 

 

まず一方は自分ですね。

自分自身ですね。

自分が何を感じて

自分が何を思って

自分がどう行動しているか。

 

自分という存在。

その自分という存在と向き合うことから逃げたいんです。

向き合うと自分を生きることを考えないといけないからです。

 

誰かに乗っかりながら、自分の主張だけしたい。

おんぶをしてもらいながら、自分の足では歩かずに自分の思うように動いて欲しい子どものように、ラクをしたい。

 

ラクではないことは、面倒くさいんです。

 

だからこそ、自分から逃げたい。

 

ラクだけど、いつまでも自分という存在が分かりません。

 

苦しさやつらさ、重さやしんどさ、それだけが自分になってしまいます。

 

では、もう一方は何から逃げたいんでしょうか???

 

 

逃げたい。

意識した途端に逃げたくなる。

あなたの逃げたくて逃げたくてたまらないもの。

 

 

あなたが本当に逃げたいもの。

 

 

それは。。。

 

親ではないですか???

 

 

お父さんではないですか???

お母さんではないですか???

 

 

親という存在。

親というルール。

親という価値観。

 

 

親との間の関係性で感じるあなたの本音

本当はそれから逃げ出したいんです。

その親との間のワダカマリの感情を感じたくないんです。

 

 

お父さんやお母さんに対する

本当はイヤ

そんなのヒドイ

どうしてそんなこと言うの?

どうしてこんなことするの?

わたしには出来ない

わたしだって出来る

そんなことしたくない

本当はやりたい

お父さんズルイ

お母さんズルイ

自分のことばっかり

こんなの悲しい

そんな数々のたくさんの子どもの頃からずっと積み重なってきたあなたの本音。

 

 

あなたがどうやっても、どう考えても、どう理由をつけても、本当は理解できなかった親への本音です。

 

 

そして、この心のしこりの思いの根底は怒り」の感情です。

 

 

両親に対する自分の怒りの感情から逃げたくて逃げたくてたまらないんです。

 

 

自分の中にある両親への怒りの感情を表現することが怖くてたまらないんです。

 

 

表現してしまったら、自分の周りの全てが壊れてしまうようでできない。

 

お父さんとの繋がり。

お母さんとの繋がり。

そして自分自身の存在。

 

それが壊れることだけはどうしても耐えられない。

 

 

だから逃げるんです。

本当の親の姿から。

本当の親の真実から。

本当に親に対して感じていた自分の本音から。

 

 

気がついてしまったら、もうそこで全てが終わってしまうように感じているから。

 

 

だから避け続けているんです。

自分の人生で

怒りの感情から目を逸らし、

怒りを感じないでいいように状況をコントロールして、

親に対して感じていた怒りから逃げ続けるんです。

 

 

自分と親の間でラクな方へと行ったり来たりしながら、親と向き合うことから逃げる。

 

あなたと両親との間で感じた、心のしこりをずっと避けているんです。

 

 

そして。。。

自分と親との間の関係で逃げている、と言いながらも本当は

どちらも自分の感じている怖さの感情から逃げ続けているんです。

 

 

逃げ続けないといけないのは、自分にその恐怖と向き合うチカラがないと信じているから。

 

親のもとにいないと、

親と繋がって守ってもらわないと、

自分には何もできないと信じているからなんです。

 

 

これでは、怒りを感じても表現するはずがありません。

 

 

怒りを表現してしまうと、自分を恐怖から守ってくれる堤防を失ってしまいます。

 

 

これは大きな共依存のメリットです。

 

 

でも、この堤防は偽りのものです。

 

 

この堤防にしがみつけばしがみつくほど、あなたは本当に逃してはいけない自分自身を逃してしまうんです。

 

 

このまま、自分の感情から逃げて怖さを避け続け、怒りの感情を表現しないままでいるとあなたの人生はどうなってしまうと思いますか???

 

 

そして、そうならないためにはどんな解決策があるのでしょうか???

 

 

今回は長くなりましたので、また次回にこの続きを書いていきたいと思います。

 

 

さあ、その怒りから逃げる人生に、待ちねぇ、待ちねぇ!!!

 

 

 

 

 

楽しむと怖くなる心理

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先週末は、リトリーブサイコセラピー協会の総会がありまして、大阪に行ってきました。

 

初めての総会の出席にドキドキしながら向かったんですが、いつもの大阪♡という安心感に緊張も癒えました。

 

気がつけばいつの間にか、自分にとって大切な人や場所は増えていくものですね。

 

大切な人や場所が増えていく。

それは生きていく上である意味当たり前のこと。

 

そう、当たり前のことなんですが。。。

 

それなのに、それが何だかよくないことのように感じてしまうことってないですか???

 

自分にとって大切な人や、大切な場所、大切な思い出が増えていく。

 

それを

悪いことのように思ってしまう。。。

 

裏切りのように感じてしまう。。。

 

楽しむ自分に罪悪感を感じてしまう。。。

 

そんな感覚を感じることはないですか???

 

今日はそんな、楽しさを感じると段々と怖くなってしまう、

「楽しむと怖くなる心理」というテーマで書いていきます。

 

 

 

自分が、

楽しい!!!

嬉しい!!!

幸せ!!!

 

という感情を感じると、何だか悪いことをしているようで、段々と怖くなってきてしまう。

 

それは、自分の心の傷が疼いている時でもあるんです。

 

 

<本当の問題は何か?>

ここに潜んでいるのは共依存の問題です。

 

あなたとお父さんやお母さんとの間で起こった心の傷が、そのままになっているんです。

 

あなたにとって、お父さんやお母さんはどんな存在でしょうか。

 

もしかすると、

かわいそうなお母さん。

大変そうなお母さん。

助けてあげたいお母さん。

自分勝手なお父さん。

無関心なお父さん。

無責任なお父さん。

そのような両親の像を持っているかもしれません。

 

だとすると親が親として、あなたにとっての安全な人や場所ではなかったのではないでしょうか。

 

そのような状況が続くと、子どもは親を何とか笑顔にしたいと、幸せにしたいと思うものです。

 

親が幸せになれば、次はようやく自分も幸せになれると感じるからです。

 

幼少期は、そうやって親から守ってもらう安心感で、自分の心の安全を築いていきます。

 

それが、親が親としての役割を果たさないままでいると、子どもはそのような親の

助けになったり、

役に立ったり、

慰め役をしたり、

安心の存在になったり、

代わりをしたり、

するようになります。

 

 

そうしている時にだけ、自分の存在を感じられるんです。

 

親の期待に応えている時だけ、自分は大事な存在なのだと感じることができるから。

 

だから、親がいないと自分を感じられないんです。

 

親がいるからこそ、自分の存在意義が見つけられる。

 

なので、

自分だけの楽しみになんて、何の価値も見出せません。

 

自分が楽しむことに、一瞬は喜びを感じられたとしても、何の価値も感じることができなくなっていって、楽しめなくなっていきます。

 

そして、自分自身が楽しむということが怖くなってしまうんです。

 

親から離れてしまうと、とんでもないことになってしまう。

親を置いて自分が楽しむことは、親を裏切ってしまうこと。

親から離れないことを、安心で幸せなことだと自分で決めているんです。

 

<このままだとどうなるか?>

 

ずっとあなたの頭の中で作り上げてきた、小さい頃のままのお父さんとお母さんを、ずっとあなたの目の前に存在させています。

 

それを

イヤだ、

自由になりたい、

自分を生きたい、

と感じながらも続けているのはなぜでしょうか???

 

そこに、自分の価値があるからです。

そこに、自分の生きる意味があるからです。

そこに、自分そのものがあるからです。

 

だから、自分が自分自身を楽しむなんてあり得ないんです。

 

どれだけ頭で人生を楽しみたいと思ってみても、心の底では楽しむ自分に何の価値も感じていないんです。

 

無価値な虚しい自分を感じてしまうくらいなら、かわいそうでひどい両親のお世話を自ら進んでやり続けて、自分の存在価値を感じていたいんです。

 

仕方なかった、

どうしようもなかった、

そうすることしかできなかった、

と親を受け入れたフリをすることは、同時にガマンするしかないと自分に言い聞かせていることと同じです。

 

自分には本当は価値なんてない。

自分が自分に対してそう思っていることを必死に隠して、価値のある自分を演出します。

そこには、あれだけイヤだと感じている両親が必要なんです。

 

自分の価値を感じるためには、かわいそうでひどい両親を、これからもずっとずっとあなたの目の前に存在させ、あなたはイヤだと言いながらもずっとその両親の元へと戻り続けることになります。

 

 

<解決に向けて>

自分の楽しみは、何の価値もない。

親の役に立てば、自分に価値が生まれる。

 

なぜ、あなたは自分のことをそう信じてしまったのでしょうか???

 

そして、これは本当でしょうか???

 

親が子どもを守り、その安心感を土台にして子どもは自分の人生を歩んでいく。

 

これって当たり前のことです。

 

それなのに、自分が自分の楽しみや喜びを止めてしまう。

 

親の元に帰るために、自分は幸せにならないと決めているんです。

 

まずは、気がついてあげませんか???

 

親を使って、自分が自分を生きる怖さから逃れているのだということに。

 

そしてそれが、本当にあなたにとっての幸せではないのだということに。

 

それは違う、自分の幸せは自分で決めていくのだと感じるなら、あなたの問題をもう自分で解決していってみませんか?

 

自分にはできる力はない。

そう思い込んであなたは自分を止めてきたのだから。

 

止めているあなたが動き出せば、この問題は解決へと向かっていきますよ。

 

 

事実をねじ曲げる心理

福岡心理セラピストリトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、年中さん同士のケンカに立ち会いました。

もう一触即発で掴みかかりそうな勢いだったので、間に入ることにしたのですが、互いに譲りません。

自分の座る場所を巡ってのバトルだったのですが、

自分の場所を取られたと思っている子

キツい言い方をされ怖い思いをした子

の互いの主張を譲らず、それぞれ自分には非が無いと思っているから相手を責めまくるんです。

 

座る場所を取らないで欲しいという思いから、キツく怒った自分

厳しい口調に悲しくなって、腹も立ち意地でも動かなかった自分

 

というもう一つの事実を自分が納得したことで、仲直りをしていました。

 

 

物事って、人それぞれ立場や状況において解釈の仕方は変わってきますよね。

 

自分の都合で物事を見ることは多いと思います。

 

自分の解釈と事実

それが一致している時は、問題は起こりませんよね。

一致しない時に、

誰かと揉めたり

傷付いたり

相手を責めたり

を繰り返しながら、時には加害者、時には被害者になるのだと思います。

 

事実をまっすぐに捉えられない。。。

ねじ曲げて受け取ってしまう。。。

あなたはひねくれてるね、なんて言われてしまう。。。

 

 

今日はそんな、ひねくれ者と言われてしまう心理、

「事実をねじ曲げる心理」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か?>

この、事実をねじ曲げてしまう心理に潜んでいるのは、共依存の問題です。

 

あなたはこんな経験はないですか?

自分はこんなにも辛いとか、

こんなに悲しませておいてそれでいいと思っているのか、

あなたのために言っているのに、

あなたが心配だからしてるのに、

と、自分は被害者だと訴えながら責め立てられた経験。

 

これって、実は感じたことがある人は多いと思います。

あなたのために、

相手のために、

誰かのために、

やっていると主張して、自分を正当化しようとして言われているので本心ではすんなり受け入れられないと感じるんですね。

 

これって、相手に対して罪悪感を感じさせて、相手を何とかコントロールしようとしているんです。

 

 

けれど、本当は自分自身の中にある

不安

本音

腹黒さ

を知られたくないので、あなたのためと言っていることが多いと思います。

 

これ、幼少期の親子関係で思い当たることってあると思うんです。

 

親の

かわいそうな姿

大変そうな姿

落ち込んでいる姿

怒っている姿

がマンしている姿

を見ると、子どもは自分が何とか親を助けたいと思います。

 

なので、親の思いや希望や願望を叶えようと頑張ります。

 

それはいつも自分の思いや希望や願望と一致しているとは限りません。

 

一致しない時に、親の都合を優先し、選択するんです。

 

そうすることで、子どもは自分を

愛してもらい

見てもらい

守ってもらおうとするんです。

 

なので本当は、

自分は愛されていないかもしれない

自分は見てもらえていないかもしれない

自分は守ってもらえないのかもしれない

という事実に晒されそうになった瞬間に、その事実をねじ曲げないといけなくなるんです。

 

そうやって、事実をねじ曲げることで自分をずっと守ってきているんです。

 

愛して欲しい人

見て欲しい人

守って欲しい人

への思いが叶わず、その現実を受け入れるのがつらいので事実をねじ曲げる必要があったんです。

ねじ曲げるために、
自分を何とか納得させるために、

罪悪感を利用するんです。

 

 

<このまま続くとどうなるか?>

 

罪悪感を利用するということは、罪悪感で人と繋がっていくということです。

 

事実を突きつけられる度に、親子関係でやり続けてきた

「相手に罪悪感を背負わせる」

「罪悪感を使って自分を止める」

という両方を行き来しながら、

「子どものことを愛している親」

「親のことを真剣に思っている子ども」

という自分の思い描く自己像が壊れないように、

事実をねじ曲げること

繋がりを無くすこと

諦めることがやめられなくなるんです。

 

 

親から、自分を持つことを許されていないと

イヤだということや、思うことでさえ許されないと思い込んでしまいます。

 

 

親がいいことだと思っていること、

が、

わたしのいいと思うことになっていってしまうんです。

 

その思いを持ち続けていると、人と関わる時に

人を自分とは違う人という事実を認めていないということになります。

 

 

事実というのは自分ひとりだけのものではなく、他者とも共有しているんです。

それをねじ曲げるというのは「他者を尊重しない行為」になるんです。

事実をねじ曲げて、自分の思い通りにしようとしているんです。

自分もそれがねじ曲げているのではなく「事実」だと信じているんです。

 

 

自分を待たずに相手のためを思って。。。という思いから始まった行為は結果として

人を尊重せず、自分の思い通りにしようとしてしまうことになってしまうんです。

 

 

<解決に向けて>

 

関わる人が、いつも自分を無視され軽んじられているように感じる。

そうすると、当然あなたの周りから人は居なくなっていきます。

 

 

自分の本音や事実から逃れながら生きるのは、本当に自分を生きていると言えるのでしょうか。

 

ねじ曲げることなく事実をそのままに受け取ってしまうと、今までずっと守ってきた自分の自己像が崩れてしまいます。

 

事実をねじ曲げてまで、守りたい自分の価値観があるんです。

 

ねじ曲げていないと、今まで信じてきた自分が無くなってしまう怖さがあるんです。

 

そこを認めることって、とても勇気がいることだと思います。

 

愛され、守られなければ生きられないと信じてきた自分の自己像。

 

今はもうそれが必要ではないのに、大事に握りしめているのはなぜでしょうか。

 

自分放棄することで、本当は人生のラクさを感じてはいないでしょうか。

 

誰かに求め、誰かのせいにするためにも、事実はねじ曲げられ続けます。

 

そこにあるのは依存心です。

 

愛情を人に求めるのでなく、自分に求める。

 

自分を自分で育てていく。

 

自分がそれをするのだ、という事実を真っ直ぐに受け止めること。

 

そこから、この問題は解決へと向かっていきますよ。