ずっと虚しい。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

あまり年末感はまだ感じられませんが、今年のカレンダーは確実にラスト1枚となりましたね。

 

今年も終わるなぁ。。。

 

わたしは、何だか言葉通りにあっという間に過ぎ去ってしまった2020年でした。

 

あれ???

もう終わっちゃうんですか???

という感覚です。

 

何かが終わる。

そう思った時、あなたは何を感じますか???

 

何かをして終わると虚しい。

やり終えると虚しい。

満足するかと思ったのに、感じるのは虚しさ。

 

何かをしてもしなくても、虚しさが消えない。。。

 

あなたも時に、ふとそんな「虚しさ」を感じる時はないでしょうか???

 

失った時や、悲しい時、ひとりを感じて寂しい時などにふと感じる感情ではあります。

 

しかし、物事をやり遂げた達成感や充実感ではなく、欲しいものを手に入れたはずなのに虚しい。

 

そんな風に感じることはないでしょうか???

 

今日はその虚しさの心理、

「ずっと虚しい。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

虚しさ。

何かを失ったり、悲しかったり、不安だったりした時に虚しくなるというのはある程度分かる気もしますよね。

 

そのような状態の時に虚しさを感じるのは、当然かもしれません。

 

 

けれど、

やり終えたり、

達成したり、

望んだものを作り上げたのに、

虚しさを感じる。

 

 

どうして幸せや満足感ではなく、虚しさを感じてしまうんでしょうか???

 

 

<本当の問題は何か?>

ここに潜んでいるのは、共依存の問題です。

 

何をやっても虚しさを感じてしまう時。

それはあなたが

生きていることが虚しいと感じている時です。

 

生きることがずっと虚しい。。。

 

この感覚は、自分が生きている限り

誰かを喜ばせないといけない

誰かの期待に応えないといけない

誰かを満足させないといけない

という

誰かのために常に頑張らないといけないという感覚でもあるんです。

 

子どもは大好きな両親を常に幸せにしたいと思っています。

 

だから両親のために、時には自分を犠牲にしてまでも両親を幸せにしようと頑張ります。

 

親の期待に応えることで自分の価値ができるから。

 

そうすれば、それが叶えば、次は自分が両親からめいっぱい愛されるのだと信じて。

 

でも、親は親で、子どもは子どもです。

 

どれだけ頑張っても、子どもは子どもなんです。

 

両親の望みの全てを叶えることはできません。

 

その自分がどれだけ頑張っても両親を幸せにできない現実に、無力感を感じるんです。

 

いっときの間、満足させることができたとしても、すぐにまた次の期待が来る。

 

無駄と分かりながら頑張り続けないといけない。

 

それは生きることが虚しくなるのは当然です。

 

 

<このままだとどうなるか>

生きることが虚しくなる、それはどんな感情を感じて生きることに虚しさを感じているのでしょうか???

 

どうせ自分は、何を頑張っても愛されない。

その現実に直面することが何よりも怖いんです。

この現実を受け止められないんです。

 

なので、

最初から何をやっても無駄なのだと自分を虚しくするんです。

 

両親を諦め、求めても無駄だと自分に言い聞かせながら。

 

 

自分を虚しくして、

欲しいものを求めず、

自分の価値を消し、

両親を否定しながら、ずっと両親を自分の目の前に置き、

生きることに絶望して、

自分を幸せにせにせずに生きていくということになってしまいます。

 

自分の人生なんて、価値もなく、耐えるしかない、苦痛に満ちたもの。

 

人生とは虚しいもの。。。

自分で自分の人生をそう決めているんです。

 

<解決に向けて>

役に立たないと生きている心地がしなかった。

けれど両親がどれだけ不幸に見えたとしても、両親の不幸はあなたのせいではありません。

 

本当は両親は自分のことを愛してなんていない。

 

だけど本当は

愛されたかった。

大切にされたかった。

認めてほしかった。

そのあなたの本当の思いを、あなたがしっかりと受け止めて生きたいかどうか

 

虚しさを認めて、

両親のために生きてきた自分

から

自分のために生きる自分へと

変わりたいのかどうか。

 

そこを見ていくことで、この問題は解決へと向かっていきます。

 

あなたの人生は、虚しいままでいいですか???

人生とは、虚しいもの。

そう決めたままでいいですか???

 

どれだけ耐えても、自分でそう決めている限り誰かがあなたの心の虚しさを取り去ってはくれないんです。

 

この人生の前提を、生き方を、変える。

自分がそう決めることで、あなたの人生は動き始めますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怒りを表現できないのは。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

12月に入りましたね。

今年は本当にコロナありきの1年でしたね。

わたし達の生活スタイルも大きく変わりましたよね。

 

 

密を避け、距離を保ち、あまり近づかない。

大人にとっては、毎日マスクのこの毎日が非日常な事態であることをどこかで意識しながら生活していますが、このコロナ禍の生活が日常となりつつある子どもたち。

 

愛着を育んでいく時期に、人との

スキンシップ

じゃれあい

大きな声で笑い合う会話

そういったものに触れる機会が減ることは、心の成長には大きな影響が出てしまうかもしれませんね。

 

 

大人も同じかもしれません。

 

 

こういう時期だからこそ、

自分が自分を知る

自分が自分を育む

自分が自分を大切にする

ということの本当の意味を改めて考え、感じたいものですね。

 

 

さて、

前回は逃げ続ける人生というテーマで書きました。

逃げ続ける人生〜あなたが避けているものは?〜

 

自分と親との間に感じた本音を避けたい。

親との間にあるワダカマリから逃げ出してしまいたい。

 

あなたが両親との間に感じた心のしこりから逃げ出そうとすればするほど、あなたの心の中には抑圧された怒りが溜まっていってしまいます。

 

自分の怒りという感情

自分の中の抑圧している怒り

から逃げ続けていると、あなたはどうなってしまのか?というところを書いていきます。

今回は

「怒りを表現できないのは。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

あなたが自分の感じた怒りの感情から逃げ続けて、抑え込んだままでいるとどうなってしまうのでしょうか???

 

 

<このままだとどうなるか>

怒りの感情は分かっているし感じている。

でも

自分の中の怒りの感情から目を逸らしたり、

もう過去のことだからと自分に言い聞かせて言い訳したり、

別の形で別のものに怒りを発散しようとしたりして、

本来その怒りを感じた対象を避ける。

 

 

怒りの感情から逃げることで

あなたそのものへの攻撃

相手へ攻撃すること

を避けることができます。

 

 

しかし、怒りを避け続けても自分の中の怒りの感情がなくなることはありません。

 

 

むしろ、

眠れない

過食してしまう

不要な買い物をし過ぎてしまう

体調が悪くなってしまう

人や物や行為に依存してしまう

人や物や行為で破壊してしまう

怒りが爆発してしまう

などの問題を抱えることになってしまいます。

 

そして、自分自身をどんどん損なっていってしまいます。

 

自分を損なうにも関わらず、怒りを表現しない。

この根源は恐怖です。

 

 

自分が怒りを表現したら

きっと親は

嘆き悲しむに違いない。

とことん嫌味や意地悪で仕返しするに違いない。

こちらが折れるまで無視するに違いない。

わたしという存在を切るに違いない。

非難しわたしを悪者にするに違いない。

そう信じているんです。

 

 

そうすると、子どもにとってこれは自分の存在の危機です。

存在するか、消えてしまうかの瀬戸際というのは人間にとってとてつもない恐怖です。

 

実際に、幼少期に両親のそのような姿を見てきた人は多いと思います。

 

それが傷となって、痛みとなって、あなたを苦しめてきたのだと思います。

 

とてもつらかった。

とても重かった。

とても怖かった。

 

 

 

なので大人になった今でも、あなたはその怖さを持ち続けているのではないでしょうか。

 

あなたは人から怒りという感情に触れた時、

あなた自身に対する攻撃として「怒り」の感情を感じるのではないでしょうか。

 

怒りという感情を自分が表現しようとした時、

相手そのものを攻撃して壊してしまうような感覚を感じていないでしょうか。

 

それは幼少期に親が怒っている姿を目の当たりにした時、親から自分を攻撃され、自分の価値を全て壊されてしまったように感じた過去があったのだと思います。

自分なんて消えてしまいたい。。。

自分は居なくなってしまえばいい。。。

そんな心許ない怖さに、「怒り」という感情に対して為す術を失い、ただ飲み込まれ巻き込まれることしかできなかったんです。

 

それほどまでに怒りの感情を感じることが怖かったんです。

 

自分の怒りを表現するのが怖かったんです。

 

 

怒鳴られたり、

怒りに満ちた目で睨まれたり、

怒りのまま破壊している姿を見たり、

怒りそのものに触れることがたまらなく怖かったんです。

 

 

だからこそ、大人のあなたが、子どもの時のあなたの恐怖と怒りを受け止めていかない限り、ずっとずっとこの怒りから逃げ続ける人生は続いてしまいます。

 

 

<解決向けて>

幼少期にあなたが感じた両親への

愛情と恐怖

イヤさと怒りのガマン

その本当の気持ちを表現することが大切なんです。

 

それは、両親へと怒りをぶつけるということではないんです。

 

 

安全に、安心して

怖さと怒りを表現できる場が必要なのだということなんです。

 

 

なぜ、「怒りを表現すると全てが壊れる」と自分に言い聞かせてまで、自分の怒りを止めてきたのだと思いますか???

 

 

わたしが怒ったところで、何も変わらない。。。

現実は何も変わらない。。。

自分にはどうしようもできない。。。

 

そんな虚しさや絶望を感じたくなかったんです。

 

 

怒る自分は何もできない存在で、

怒りを持つ自分は無意味。

 

そうであれば、

あなたは怒りを感じることを何としても避けなければ生きられなかったんです。

 

 

わたしは本当は怖かった。

わたしは本当は怒っていた。

止めずに、その時の気持ちを全身で感じて表現することが必要なんです。

 

 

この感情を抑え込んだまま、怒りの感情から逃れたまま自分らしく生きようとしても、どこかで歪みが出てしまいます。

 

 

逃げるが勝ち、と両親との関係を無駄や愚かな争いと決めて逃げて避けていると、自分の人生という本当に大切なものを逃して生きていくことになります。

 

 

まさに自分の人生から逃げながらも、逃した魚は大きいんです。

 

 

あなたが、

怖さや怒りを感じないように避けて生きる人生から、

怖さや怒りを感じた時に受け入れて自分で対応できる人生へと

自分で変えていこうと決意できるかどうかなのではないかと思います。

 

 

その決意を自分ひとりだけで続けることこそ難しいものはありません。

 

 

あなたのその決意を応援するために心理セラピーはあるんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

逃げ続ける人生〜あなたが避けているものは?〜

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、子どもたちが鬼ごっこをしていました。

その時の、鬼をしていた子が言うんです。

「にげるなー!このひきょうものめー!!!」

そう叫びながら追いかけるので爆笑してしまいました。

「何でよー。鬼じゃない人は逃げるのが楽しいんやけん、逃げるのは当たり前やないん?」

と聞いてみたら、実は逃げている子がルールを守らなかったことに対しての抗議だったようで、その後ルールを確認し合ってまた続きが始まりました。

 

 

数年前のドラマのタイトルにもあったように、最近は「逃げる」と言うことにあまり抵抗感はなくなりつつはあるものの、「逃げる」ということに対してずるさや卑怯さを感じるという気質もやはりありますよね。

 

 

今回はその「逃げる」というテーマで書きていきます。

さて、あなたは「逃げる」ということにどんなイメージを持っていますか???

いつも逃げてばかりじゃ成長しないけど、時と場合によっては必要なこと。

はい。

その通りだと思います。

 

 

逃げていない時の自分は、割と想像がつきやすいですよね。

頑張っていたり

歯を食いしばっていたり

耐えていたり

歩み寄ったり

受け止めていたり

何かを行動している時が多いので、自分でも自覚しやすいのだと思います。

 

 

さて、一方で。。。

逃げている時はどうでしょうか。

逃げているので、確かに行動はしています。

逃げ足のように、その場から立ち去るなら逃げていることに自覚を持っていると思います。

でも。

その場に留まりながら逃げるという時があるんです。

そこの場所から動かずに、イヤなものを避けていく。

これは一見すると、逃げてないように思うかもしれません。

イヤなものを避けたいのなんて、当たり前じゃないの???

けれど実はこの「その場に留まりながら逃げる」という避け方こそが、自覚なく続けてしまいあなた自身の人生を損ない続けてしまうことになってしまうんです。

 

 

そしてあなたは一体、何からそんなに逃げないといけないのでしょうか???

 

 

自分は困難にも立ち向かっている!!!

だから逃げてなんていない!!!

そう思う時こそ、

実はあなたは何かから逃げて、何かを避けているのかもしれません。

 

 

今日はそのその場に留まりながら逃げてイヤなものを避ける心理

「逃げ続ける人生〜あなたが逃げているものは?〜」というテーマで書いていきます。

 

 

さて、その場に留まりながら逃げるとはどういうことだと思いますか???

 

 

例えばこういうことです。

今のこの場所が暑くて汗がダラダラで嫌だから、あっちの場所に行こうとする。

でも、あっちの場所は寒くて凍えてしまいそうな場所でもっとイヤ。。。

仕方がないから、動いて凍えてしまうよりは我慢して今の暑いこの場所で、自分にここは常夏トロピカルと言い聞かせて楽しみを探して何とか乗り切っていく。

 

 

こうやって自分の人生の中でイヤとイヤの間に挟まれて、結局どちらも選ばずに自分の不満だけを募らせる生き方こそが、その場に留まりながら逃げ続けるという人生なんです。

 

 

<本当の問題は何か?>

この問題の根っこにあるのは共依存の問題です。

 

そして、ダブルバインドという状態が起こっているんです。

 

右に行っても左に行っても行き場がない。。。

そんなどちらにも選べない状態をダブルバインドと言います。

 

 

では、人生の中であなたが何と何の間で留まりながら逃げているのでしょうか???

 

 

まず一方は自分ですね。

自分自身ですね。

自分が何を感じて

自分が何を思って

自分がどう行動しているか。

 

自分という存在。

その自分という存在と向き合うことから逃げたいんです。

向き合うと自分を生きることを考えないといけないからです。

 

誰かに乗っかりながら、自分の主張だけしたい。

おんぶをしてもらいながら、自分の足では歩かずに自分の思うように動いて欲しい子どものように、ラクをしたい。

 

ラクではないことは、面倒くさいんです。

 

だからこそ、自分から逃げたい。

 

ラクだけど、いつまでも自分という存在が分かりません。

 

苦しさやつらさ、重さやしんどさ、それだけが自分になってしまいます。

 

では、もう一方は何から逃げたいんでしょうか???

 

 

逃げたい。

意識した途端に逃げたくなる。

あなたの逃げたくて逃げたくてたまらないもの。

 

 

あなたが本当に逃げたいもの。

 

 

それは。。。

 

親ではないですか???

 

 

お父さんではないですか???

お母さんではないですか???

 

 

親という存在。

親というルール。

親という価値観。

 

 

親との間の関係性で感じるあなたの本音

本当はそれから逃げ出したいんです。

その親との間のワダカマリの感情を感じたくないんです。

 

 

お父さんやお母さんに対する

本当はイヤ

そんなのヒドイ

どうしてそんなこと言うの?

どうしてこんなことするの?

わたしには出来ない

わたしだって出来る

そんなことしたくない

本当はやりたい

お父さんズルイ

お母さんズルイ

自分のことばっかり

こんなの悲しい

そんな数々のたくさんの子どもの頃からずっと積み重なってきたあなたの本音。

 

 

あなたがどうやっても、どう考えても、どう理由をつけても、本当は理解できなかった親への本音です。

 

 

そして、この心のしこりの思いの根底は怒り」の感情です。

 

 

両親に対する自分の怒りの感情から逃げたくて逃げたくてたまらないんです。

 

 

自分の中にある両親への怒りの感情を表現することが怖くてたまらないんです。

 

 

表現してしまったら、自分の周りの全てが壊れてしまうようでできない。

 

お父さんとの繋がり。

お母さんとの繋がり。

そして自分自身の存在。

 

それが壊れることだけはどうしても耐えられない。

 

 

だから逃げるんです。

本当の親の姿から。

本当の親の真実から。

本当に親に対して感じていた自分の本音から。

 

 

気がついてしまったら、もうそこで全てが終わってしまうように感じているから。

 

 

だから避け続けているんです。

自分の人生で

怒りの感情から目を逸らし、

怒りを感じないでいいように状況をコントロールして、

親に対して感じていた怒りから逃げ続けるんです。

 

 

自分と親の間でラクな方へと行ったり来たりしながら、親と向き合うことから逃げる。

 

あなたと両親との間で感じた、心のしこりをずっと避けているんです。

 

 

そして。。。

自分と親との間の関係で逃げている、と言いながらも本当は

どちらも自分の感じている怖さの感情から逃げ続けているんです。

 

 

逃げ続けないといけないのは、自分にその恐怖と向き合うチカラがないと信じているから。

 

親のもとにいないと、

親と繋がって守ってもらわないと、

自分には何もできないと信じているからなんです。

 

 

これでは、怒りを感じても表現するはずがありません。

 

 

怒りを表現してしまうと、自分を恐怖から守ってくれる堤防を失ってしまいます。

 

 

これは大きな共依存のメリットです。

 

 

でも、この堤防は偽りのものです。

 

 

この堤防にしがみつけばしがみつくほど、あなたは本当に逃してはいけない自分自身を逃してしまうんです。

 

 

このまま、自分の感情から逃げて怖さを避け続け、怒りの感情を表現しないままでいるとあなたの人生はどうなってしまうと思いますか???

 

 

そして、そうならないためにはどんな解決策があるのでしょうか???

 

 

今回は長くなりましたので、また次回にこの続きを書いていきたいと思います。

 

 

さあ、その怒りから逃げる人生に、待ちねぇ、待ちねぇ!!!

 

 

 

 

 

楽しむと怖くなる心理

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先週末は、リトリーブサイコセラピー協会の総会がありまして、大阪に行ってきました。

 

初めての総会の出席にドキドキしながら向かったんですが、いつもの大阪♡という安心感に緊張も癒えました。

 

気がつけばいつの間にか、自分にとって大切な人や場所は増えていくものですね。

 

大切な人や場所が増えていく。

それは生きていく上である意味当たり前のこと。

 

そう、当たり前のことなんですが。。。

 

それなのに、それが何だかよくないことのように感じてしまうことってないですか???

 

自分にとって大切な人や、大切な場所、大切な思い出が増えていく。

 

それを

悪いことのように思ってしまう。。。

 

裏切りのように感じてしまう。。。

 

楽しむ自分に罪悪感を感じてしまう。。。

 

そんな感覚を感じることはないですか???

 

今日はそんな、楽しさを感じると段々と怖くなってしまう、

「楽しむと怖くなる心理」というテーマで書いていきます。

 

 

 

自分が、

楽しい!!!

嬉しい!!!

幸せ!!!

 

という感情を感じると、何だか悪いことをしているようで、段々と怖くなってきてしまう。

 

それは、自分の心の傷が疼いている時でもあるんです。

 

 

<本当の問題は何か?>

ここに潜んでいるのは共依存の問題です。

 

あなたとお父さんやお母さんとの間で起こった心の傷が、そのままになっているんです。

 

あなたにとって、お父さんやお母さんはどんな存在でしょうか。

 

もしかすると、

かわいそうなお母さん。

大変そうなお母さん。

助けてあげたいお母さん。

自分勝手なお父さん。

無関心なお父さん。

無責任なお父さん。

そのような両親の像を持っているかもしれません。

 

だとすると親が親として、あなたにとっての安全な人や場所ではなかったのではないでしょうか。

 

そのような状況が続くと、子どもは親を何とか笑顔にしたいと、幸せにしたいと思うものです。

 

親が幸せになれば、次はようやく自分も幸せになれると感じるからです。

 

幼少期は、そうやって親から守ってもらう安心感で、自分の心の安全を築いていきます。

 

それが、親が親としての役割を果たさないままでいると、子どもはそのような親の

助けになったり、

役に立ったり、

慰め役をしたり、

安心の存在になったり、

代わりをしたり、

するようになります。

 

 

そうしている時にだけ、自分の存在を感じられるんです。

 

親の期待に応えている時だけ、自分は大事な存在なのだと感じることができるから。

 

だから、親がいないと自分を感じられないんです。

 

親がいるからこそ、自分の存在意義が見つけられる。

 

なので、

自分だけの楽しみになんて、何の価値も見出せません。

 

自分が楽しむことに、一瞬は喜びを感じられたとしても、何の価値も感じることができなくなっていって、楽しめなくなっていきます。

 

そして、自分自身が楽しむということが怖くなってしまうんです。

 

親から離れてしまうと、とんでもないことになってしまう。

親を置いて自分が楽しむことは、親を裏切ってしまうこと。

親から離れないことを、安心で幸せなことだと自分で決めているんです。

 

<このままだとどうなるか?>

 

ずっとあなたの頭の中で作り上げてきた、小さい頃のままのお父さんとお母さんを、ずっとあなたの目の前に存在させています。

 

それを

イヤだ、

自由になりたい、

自分を生きたい、

と感じながらも続けているのはなぜでしょうか???

 

そこに、自分の価値があるからです。

そこに、自分の生きる意味があるからです。

そこに、自分そのものがあるからです。

 

だから、自分が自分自身を楽しむなんてあり得ないんです。

 

どれだけ頭で人生を楽しみたいと思ってみても、心の底では楽しむ自分に何の価値も感じていないんです。

 

無価値な虚しい自分を感じてしまうくらいなら、かわいそうでひどい両親のお世話を自ら進んでやり続けて、自分の存在価値を感じていたいんです。

 

仕方なかった、

どうしようもなかった、

そうすることしかできなかった、

と親を受け入れたフリをすることは、同時にガマンするしかないと自分に言い聞かせていることと同じです。

 

自分には本当は価値なんてない。

自分が自分に対してそう思っていることを必死に隠して、価値のある自分を演出します。

そこには、あれだけイヤだと感じている両親が必要なんです。

 

自分の価値を感じるためには、かわいそうでひどい両親を、これからもずっとずっとあなたの目の前に存在させ、あなたはイヤだと言いながらもずっとその両親の元へと戻り続けることになります。

 

 

<解決に向けて>

自分の楽しみは、何の価値もない。

親の役に立てば、自分に価値が生まれる。

 

なぜ、あなたは自分のことをそう信じてしまったのでしょうか???

 

そして、これは本当でしょうか???

 

親が子どもを守り、その安心感を土台にして子どもは自分の人生を歩んでいく。

 

これって当たり前のことです。

 

それなのに、自分が自分の楽しみや喜びを止めてしまう。

 

親の元に帰るために、自分は幸せにならないと決めているんです。

 

まずは、気がついてあげませんか???

 

親を使って、自分が自分を生きる怖さから逃れているのだということに。

 

そしてそれが、本当にあなたにとっての幸せではないのだということに。

 

それは違う、自分の幸せは自分で決めていくのだと感じるなら、あなたの問題をもう自分で解決していってみませんか?

 

自分にはできる力はない。

そう思い込んであなたは自分を止めてきたのだから。

 

止めているあなたが動き出せば、この問題は解決へと向かっていきますよ。

 

 

事実をねじ曲げる心理

福岡心理セラピストリトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、年中さん同士のケンカに立ち会いました。

もう一触即発で掴みかかりそうな勢いだったので、間に入ることにしたのですが、互いに譲りません。

自分の座る場所を巡ってのバトルだったのですが、

自分の場所を取られたと思っている子

キツい言い方をされ怖い思いをした子

の互いの主張を譲らず、それぞれ自分には非が無いと思っているから相手を責めまくるんです。

 

座る場所を取らないで欲しいという思いから、キツく怒った自分

厳しい口調に悲しくなって、腹も立ち意地でも動かなかった自分

 

というもう一つの事実を自分が納得したことで、仲直りをしていました。

 

 

物事って、人それぞれ立場や状況において解釈の仕方は変わってきますよね。

 

自分の都合で物事を見ることは多いと思います。

 

自分の解釈と事実

それが一致している時は、問題は起こりませんよね。

一致しない時に、

誰かと揉めたり

傷付いたり

相手を責めたり

を繰り返しながら、時には加害者、時には被害者になるのだと思います。

 

事実をまっすぐに捉えられない。。。

ねじ曲げて受け取ってしまう。。。

あなたはひねくれてるね、なんて言われてしまう。。。

 

 

今日はそんな、ひねくれ者と言われてしまう心理、

「事実をねじ曲げる心理」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か?>

この、事実をねじ曲げてしまう心理に潜んでいるのは、共依存の問題です。

 

あなたはこんな経験はないですか?

自分はこんなにも辛いとか、

こんなに悲しませておいてそれでいいと思っているのか、

あなたのために言っているのに、

あなたが心配だからしてるのに、

と、自分は被害者だと訴えながら責め立てられた経験。

 

これって、実は感じたことがある人は多いと思います。

あなたのために、

相手のために、

誰かのために、

やっていると主張して、自分を正当化しようとして言われているので本心ではすんなり受け入れられないと感じるんですね。

 

これって、相手に対して罪悪感を感じさせて、相手を何とかコントロールしようとしているんです。

 

 

けれど、本当は自分自身の中にある

不安

本音

腹黒さ

を知られたくないので、あなたのためと言っていることが多いと思います。

 

これ、幼少期の親子関係で思い当たることってあると思うんです。

 

親の

かわいそうな姿

大変そうな姿

落ち込んでいる姿

怒っている姿

がマンしている姿

を見ると、子どもは自分が何とか親を助けたいと思います。

 

なので、親の思いや希望や願望を叶えようと頑張ります。

 

それはいつも自分の思いや希望や願望と一致しているとは限りません。

 

一致しない時に、親の都合を優先し、選択するんです。

 

そうすることで、子どもは自分を

愛してもらい

見てもらい

守ってもらおうとするんです。

 

なので本当は、

自分は愛されていないかもしれない

自分は見てもらえていないかもしれない

自分は守ってもらえないのかもしれない

という事実に晒されそうになった瞬間に、その事実をねじ曲げないといけなくなるんです。

 

そうやって、事実をねじ曲げることで自分をずっと守ってきているんです。

 

愛して欲しい人

見て欲しい人

守って欲しい人

への思いが叶わず、その現実を受け入れるのがつらいので事実をねじ曲げる必要があったんです。

ねじ曲げるために、
自分を何とか納得させるために、

罪悪感を利用するんです。

 

 

<このまま続くとどうなるか?>

 

罪悪感を利用するということは、罪悪感で人と繋がっていくということです。

 

事実を突きつけられる度に、親子関係でやり続けてきた

「相手に罪悪感を背負わせる」

「罪悪感を使って自分を止める」

という両方を行き来しながら、

「子どものことを愛している親」

「親のことを真剣に思っている子ども」

という自分の思い描く自己像が壊れないように、

事実をねじ曲げること

繋がりを無くすこと

諦めることがやめられなくなるんです。

 

 

親から、自分を持つことを許されていないと

イヤだということや、思うことでさえ許されないと思い込んでしまいます。

 

 

親がいいことだと思っていること、

が、

わたしのいいと思うことになっていってしまうんです。

 

その思いを持ち続けていると、人と関わる時に

人を自分とは違う人という事実を認めていないということになります。

 

 

事実というのは自分ひとりだけのものではなく、他者とも共有しているんです。

それをねじ曲げるというのは「他者を尊重しない行為」になるんです。

事実をねじ曲げて、自分の思い通りにしようとしているんです。

自分もそれがねじ曲げているのではなく「事実」だと信じているんです。

 

 

自分を待たずに相手のためを思って。。。という思いから始まった行為は結果として

人を尊重せず、自分の思い通りにしようとしてしまうことになってしまうんです。

 

 

<解決に向けて>

 

関わる人が、いつも自分を無視され軽んじられているように感じる。

そうすると、当然あなたの周りから人は居なくなっていきます。

 

 

自分の本音や事実から逃れながら生きるのは、本当に自分を生きていると言えるのでしょうか。

 

ねじ曲げることなく事実をそのままに受け取ってしまうと、今までずっと守ってきた自分の自己像が崩れてしまいます。

 

事実をねじ曲げてまで、守りたい自分の価値観があるんです。

 

ねじ曲げていないと、今まで信じてきた自分が無くなってしまう怖さがあるんです。

 

そこを認めることって、とても勇気がいることだと思います。

 

愛され、守られなければ生きられないと信じてきた自分の自己像。

 

今はもうそれが必要ではないのに、大事に握りしめているのはなぜでしょうか。

 

自分放棄することで、本当は人生のラクさを感じてはいないでしょうか。

 

誰かに求め、誰かのせいにするためにも、事実はねじ曲げられ続けます。

 

そこにあるのは依存心です。

 

愛情を人に求めるのでなく、自分に求める。

 

自分を自分で育てていく。

 

自分がそれをするのだ、という事実を真っ直ぐに受け止めること。

 

そこから、この問題は解決へと向かっていきますよ。

 

 

ヤバイ!マズイ!!焦る!!!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

きぃー!!!

なんじゃこりゃー!!!

やる事がたくさんあるやないかー!!!

 

とテンパったり、慌てたり、イライラしたりすることってありますよね。

 

そして、それが全く何も進んでいない、手をつけられていないなんて状況になると、尚更焦ってしまいます。

 

 

やることがたくさんある。

あれをしないと!

これもやらないと!

どれから手をつけよう!

とにかく何かしないと!!!

 

 

というように、

何かをしないとヤバイ!

このままだとマズイ!

どうにかしないといけないと焦る。。。

 

だけど焦るばかりで、実際には何も手につかなかったり、やっていても集中できなかったり、結局慌ててしまってミスをしたりということはありませんか???

 

今日はそんな焦ってしまう心理、

「ヤバイ!マズイ!!焦る!!!」というテーマで書いていきます。

 

 

焦る時というのは、自分の中に

間に合わないかもしれない。。。

間に合わなかったらどうしよう。。。

という予期不安がある時でもあります。

 

この予期不安に、自分が追い立てられている状態なんです。

 

さて一体、何に間に合わないのでしょうか?

 

 

 

<本当の問題は何か?>

この問題に隠れているのは共依存の問題です。

 

自分の能力や頑張りが追いつかないことに焦って、自分を追い立てているんです。

 

能力や頑張りが追いつかないもの。。。

それは周りからの期待や欲求です。

 

 

大切な人から向けられる期待。

大切な人が望んでいる欲求。

これをずっとずっと感じながらも、今のままのそのままの自分では足りないと感じているんです。

 

 

こんなダメな自分ではいけない!!!と自分を否定しながら、無理をすると苦しいのに、自分に鞭を打ちながら頑張ってしまう。。。

 

 

では、頑張らなければいいんじゃ無いの?

そう思いますよね。

自分のできる範囲で、自分の能力でやれるだけのことをやったらいい。

 

 

それなのに頑張ることの方をやめられない。

それは、頑張らない自分に何かを感じてしまうから。

 

頑張らない自分は空っぽ。。。

役に立てない自分に価値なんてない。。。

そんなダメな自分を感じてしまうんです。

だから頑張ることをやめないんです。

 

 

なので、

あれもしないとヤバイ!

これもしないとマズイ!

そうやって自分を焦らせて、自分を否定しながら頑張っていたら

大切な人の期待や欲求に応られて、自分の価値も感じることができるんです。

 

 

期待や欲求に応えれば、大切な人が

喜んでくれ

自分を見てくれて

愛してくれる

そう思っているから。。。

 

自分を否定して、予期不安で自分を焦らせて頑張っていたら

大切な人と繋がることができたんです。

 

 

<このままだとどうなるか?>

無理をすると苦しい。

でも

頑張らないと空っぽ。

 

 

頑張り続けることに耐えきれなくなって、やる気が起きなくなる。

そんな自分をダメだと否定する。

今までやってきた頑張りは全てムダだったと自分を責めて焦りを募らせる。

そしてまた頑張る自分に戻っていく。

 

 

自分の無理のないやり方を探したところで、

役に立たない自分に価値はない。

期待に応えられないなんて意味がない。

大切な人と繋がれない孤独感。

この感覚がある限り、焦りながら自分を頑張らせることがやめられません。

 

 

<解決に向けて>

どうしてそんなに自分を焦らせてまで

役に立たないといけないのか。

期待に応えないといけないのか。

できないと恐ろしいほどの孤独感に襲われてしまうのか。

 

 

そこには、あなたが

役に立ちたかった

期待に応えたかった

喜んでほしかった

見てほしかった

大切な人の存在があるはずです。

 

そうしないと繋がれなかった

できないとひとりぼっちを感じた

だからこそあなたは必死に頑張ったのではないでしょうか。

 

自分を焦らせてまで、頑張り続けたのではないでしょうか。

 

まずはその自分に気がついてあげることから始めませんか?

 

大人になった今。

あなたは自分を焦らせて、奮い立たせて頑張ることで人と繋がらなくてもいいんです。

 

もう、別の繋がり方を選ぶことができます。

 

 

繋がれない、見てもらえないという自分の中にある恐怖を受け止め、見ていくことでこの問題は解決へと向かっていきますよ。

 

そして、見つけていきましょう。

 

これからのあなたが、

どんな風に

どうやって

どんな思いで

人と繋がっていきたいのかを。

 

 

 

 

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わたしの行く先はジャマ者ばかり!!!

#リトリーブさいこ福岡心理セラピストリトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

朝の通勤ラッシュも戻って参りました。。。

 

わたしは車での移動が主なのですが、先日たまたまバスとの遭遇が高確率な日があったんです。

 

バス停が道路に入り込んでの場所な場合、バスをそのまま追い越して行くんですが、道路に沿ってバス停があったり、車線がいくつもあるとバスが停車して発車するまで待ちますよね。

 

時間に余裕がない時に限って、何台ものバスが何度もバス停に止まり、隣の車線も車がどんどん来ていて車線変更もできない。。。

 

ムキーーーーー!!!

時間がないとに限って、どうしてわたしの行く先をジャマするんだーー!!!

なんて気持ちにもなります。

 

全くついてないったらありゃしない。。。

急いでるのに。。。

やらないといけないことがあるのに。。。

 

そんな時に限って、わたしの目の前にどどーーーんと立ちはだかるジャマ者の存在がいる。。。

 

今日はそんな、なぜか自分のやることを邪魔されてしまうような気がする心理

「わたしの行く先はジャマ者ばかり!!!」というテーマで書いていきます。

 

 

あなたはこんなことはないですか?

  • 自分の欲しいものは手に入らない
  • やりたいのにやれない
  • やることが裏目に出てしまう
  • 言いたいことが言えない
  • 自分を出せない
  • 自分がよく分からない

 

こんな風に、自分が何かをしようとすると、必ず上手くいかなくなったり、ジャマ者にジャマされてしまってできない感覚。

 

ジャマさえ入らなければ、わたしの人生はもっと自由に楽しめるはずなのに!!!

 

何とかジャマが入らないようにするにはどうしたらいいんでしょうか???

 

<本当の問題は何か?>

 

ここに潜んでいるのは共依存の問題、人との繋がり方の問題です。

 

繋がり方の問題なら、自分の人との繋がり方がどのような繋がり方なのでしょうか?

 

問題なんて、ない方がいいですよね。

 

自分の

やりたいこと

言いたいこと

欲しいもの

それに向けて行動したいですよね。

 

そうしたいのにできなくて困っているんですから。

 

行動しようとすると、ジャマ者にジャマされてしまうんです。

 

では。。。

もしも。。。

ジャマ者が邪魔してこなかったらどうでしょうか???

 

すんなり喜んで、楽しんで、自由を感じて行動でき。。。。ん???

 

あれ???

 

そう、怖さが出てきませんか???

 

ジャマ者がないと、自分の思うように行動できると、じわじわと怖くなってきてしまうんです。

 

自分にこんなことが許されていいのかと、不安になってしまうんです。

 

そして、この怖さというのは今のものではないことがほとんどです。

 

私たちは自分の幼少期の家族との繋がり方を、大人になった今もそのままやっていることがとても多いからです。

 

自分の

やりたいこと

言いたいこと

欲しいもの

に向かって行動すると、

 

親からの

否定

拒絶

拒否

憎しみ

嫉妬

が待っていたんですね。

 

それが怖くて自分自身を止め、抑え、親の期待に応えることで、自分を受け入れてもらえた。

 

自分を出さず

大変そうな

かわいそうな

苦しそうな

親の役に立つことで喜ばれた。

 

親の抱えている問題を背負い、一緒に抱えることで、

親との繋がりを維持してきたんです。

 

だから、

問題があることで大切な人と繋がれる

問題があることで生きていける

と自分で問題やジャマ者を目の前に置いていくんです。

 

もう!

何でわたしのジャマばっかりするの?と言いながら、ジツはジャマ者のせいにしておけば自分が不安や恐怖を感じなくてよかったんです。

 

問題の苦しさで人との繋がりを感じるってどうですか?

 

問題やジャマ者を自分で目の前に置く人生はどうでしょうか?

 

 

<このままだとどうなるか?>

 

この問題を抱えることで人と繋がる自分に気がつかないと、いつも自分に起こる問題を人のせいにして生きるようになってしまいます。

 

問題をいつも抱えていると、周りから同情や愛情がもらえ、それで人と繋がれると思ってしまい、ずっとずっと自分が不幸でいることを握りしめていないと生きていられなくなってしまいます。

 

問題やジャマをする人がなくなってしまうと、誰と繋がれなくなって孤独になってしまいます。

 

問題を抱え、ジャマ者を目の前に置いていると大切な人と繋がることができて、自分はここに居てもいいんだという安心感を感じることができてしまうんです。

 

それは傷つかずにノーリスクな人生に一見すると見えるかもしれません。

 

でも自分をずっと感じることができない人生に、本当の安心なんてありません。

 

 

<解決に向けて>

 

問題やジャマ者がいてくれるおかげで嫌われないし、愛してもらえる。

なくなると愛されずに捨てられ、ひとりぼっちになってしまう。

 

そう思い込まないと生きられなかったほどに怖かった自分がいたんです。

 

その怖さは、本当にあなたのものなのでしょうか???

 

ずっとずっと受け止め、自分のことのように感じ取って、共有してきた不安や恐怖。

 

そもそも、誰が抱いていた感情だったんでしょうか?

 

あなたですか?

それともあなたの親ですか?

 

わざわざ問題やジャマ者を置かずとも、人と人は繋がれます。

 

なのに、あなたがなぜその繋がり方を選び続けているのか???

 

あなたが得たい安心がそこにないのだと気がついたなら、安心を求めて人と繋がろうとした時に感じる怖さこそ、あなたが今向き合う感情です。

 

自分がこれから人とどのような繋がり方をしたいのかを、決めていけるのは自分しかいません。

 

バスがどれだけジャマ者に思えた日があったとしても、車線変更をするのも、別の道を通るのも、流れに任せるのも、決定権はハンドルを握っている自分が持っています。

 

今の自分が何を選んでいるのか。

それを見ていくことでこの問題は解決へと向かっていきますよ。

 

 

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威圧的な人にうんざり。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

先日、久しぶりに圧力鍋たるものが出て来ました。

おや、どれだけぶりだろう。。。

そう言えば、以前カレーを圧力鍋で作って中の具材が消えたなあ。。。

どこ行っちゃったんだろうなあ。。。

という圧力鍋の圧に耐えきれず、そっとまた戻してみました。。。

(使わんのかい!!!)

圧力鍋の圧はまだいいとしても、普段の

職場

近所付き合い

習い事

ママ友

諸々の人間関係

そこに登場するボス的存在。もしくはおツボネ的存在。

という人の圧はどうでしょうか。

心優しい人達と思いやりを持って楽しく過ごしたいと思っているのに、気がつくといつも目の前にどどどーーーんと威圧的な人の存在に苦しめられてしまう。。。

イヤなのに、面倒くさいのに、関わりたくないのに、あなたの前に立ちはだかるその存在。

何でどこに行ってもこういう威圧的な人がいるんだろう!!!

この人さえいなければ、この空間は快適な心地いいものになるはずなのに!!!

なんて心の中では思いながらも、その人の前では笑顔でいたり、言いたいことを飲み込んだり。。。

そう思うことってないですか???

今日はそんな

「威圧的な人にうんざり。。。」というテーマで書いていきます。

 あなたはこんなことはないですか???

  • イライラしている人が近くにいると気になってしまう
  • いつもグチの聞き役になることが多い
  • チームや集団の輪を乱さないようにしている
  • 相手と揉めるくらいなら譲ってあげる
  • 自分の言いたいことが言えない
  • その場の空気が悪くなるのが耐えられない
  • 損な役回りを引き受けることが多い
  • 人からどう思われているのかがとても気になってしまう

人間関係で、なぜか自分がいく先には威圧的な人がいて、その人に悩まされてしまうことが続いている。

その人に合わせるのはイヤだし、自分の時間を取られるようで困る。

自分が強くなって、相手に対してはっきりキッパリ伝えることができたらいいのに!

さて、それができたら解決でしょうか???

<本当の問題は何か?>

ここに潜んでいるのは共依存の問題です。

相手の感情を、まぁまぁまぁ。。。と

なだめて、

収めて、

引き受ける。

そうすることで、実は自分も安心しています。

だってそうすれば、相手が機嫌を直してくれるから。

一見、とても人が良さそうではあるんですが。。。

本当は、

あなたが察してよ!

という本音が潜んでいます。

わたしこんなに

ガマンしてるの!

あなたのことを思ってるの!

あなたのために頑張ってるの!

こんなに!

こんなに!!

こんなに!!!

と相手のためという行動をすることで、

自分を認めて

自分を受け入れて

自分を大切に

もらおうとしているんです。

そう。

自分さえガマンすればその報酬として

愛してもらえる

と思っているところに大きな問題があるんです。

愛してもらうためには、頑張らないといけない。

頑張るためには

いつもイライラしている人

いつもグチばかり言う人

周りの輪を乱す人

が自分の目の前に必要なんです。

そうしないと、周りの役に立てず、自分が必要とされていると感じることができないんです。

残念ながら、自らそのような威圧的な人を探し、自ら必要としているんですね。。。

<このままだとどうなるか?>

自分の本音をずっと押し殺して相手や誰かのために頑張っているので、その場の平和はいっときは満たされます。

しかしその分、自分の心はどんどん潰れていきます。

そして頑張っているにも関わらず、もっともっとと求められたり、余計なことをするなと責められたりすることも時にはあります。

なのでどんどん溜まっていくのは怒りの感情です。

外へと出せない怒りは、自分へと向かいます。

自分がもっと潰れていき、威圧的な人は変わらずイライラをぶつけてくるし、周りの人もあなたに対しては何を言ってもしてもいいのだ、と粗雑な扱いをされるようになっていってしまいます。

自分の束の間の安心のために、ずっと威圧的な人を自分で探し続け、自分で自分を苦しめてしまう。。。

これってどうでしょうか???

<解決に向けて>

まず受け入れてあげるのは、それほど頑張ってきた自分です。

そうしたら自分に聞いてみてください。

このまま、相手の感情を

なだめて、

収めて、

引き受けるために

自分の人生を使いたいのかどうかを。

イヤだと思いながらも、あなたはなぜ続けてきたんでしょうか?

あなたがずっと助けたかったのは誰ですか?

ジャマなんだよ!

もうそこをどいてよ!

あっちに行ってよ!

あなたが本当に言いたかったのは誰ですか?

あなたが本当に怒りたかったのは誰ですか?

その本当の自分の思いに気づき、そうしてまでも守りたかった大切な存在との関係性を変えてまでも、自分を生きたいかどうか。

そこを見ていくことで、この問題は解決へと向かい始めますよ。

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決めてほしい!!!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

いよいよ、わたしの住んでいる福岡にも非常事態宣言が出ました。

分かってはいても、百貨店やお店が臨時休業したり、いつもと違う光景になると、やはり心細くもなりますよね。

急に不安になったり、なんだかイライラしたり、そんな心境にもなりますよね。

だから、一刻も早く、雛形やこれから先の見通しを国が、県が、地方が決めてくれると安心できるのなぁ、なんて思う方もいるかもしれませんね。

仕事はどうなるの?

補償はどうなるの?

生活はどうなるの?

経済はどうなるの?

未来はどうなるの?

その不安に、安心が欲しくなるんですね。

今日はそんな不安が拭えない心理、

「決めてほしい!!!」というテーマで書いていきます。

今は、本当に世界的に先が見えないような状況ですよね。

良くなっていく状況を願いつつも、日々目にしたり耳にするのは不安な情報や状況の方が多かったりもします。

これから先の自分の

仕事、

補償、

生活、

未来、

一体どうなってしまうんだろう???

宣言が出ても、線引きはどこまでなのか分からないし、はっきりしないことだらけ。。。

だからこそ、早く

こうします!

この方針で行きます!

こうしてください!

これをしてください!

こう動いてください!

そうやって国が、誰かが、決めてくれたらいいのに。。。

さて。。。

では決めてくれたら安心でしょうか???

決まったら決まったで、また不安になったり、不満がたまったりということはないでしょうか???

<本当の問題は何か?>

この早く決めてほしい心理、これは共依存の問題が潜んでいます。

決めてくれないと不安。

つまり自分で決めるのが怖いんです。

誰かの指示や意見に従っている方がラクなんです。

誰かが決めてくれたら、自分には何も責任がかかってこないので、決まったことに対して従ったり、不満やグチを言うことはできるんです。

でも。。。

自分はどう思うかなんて分からないから、誰かに決めてほしい。

それって、自分という人間を放棄して、誰かに沿って従って、誰かのために生きているんです。

そう、誰かとは大切な人。

親であることが多いです。

自分を押し殺して、誰か大切な人を生かしているとなると、まるで犠牲者のようでもありますが、実はお互いに支配し合って、安心を得ているから止められないんです。

加害者、被害者ではなく、お互いに利益のある関係だから離れられないんです。

それが共依存の怖いところですね。

決めてくれたら、

方針を出してくれたら、

それに従うから

代わりに安心をちょうだい。

そうやって、どんどん自分が分からなくなってしまいます。

<このままだとどうなるか>

このままだと、どんな事をするにも

決めてくれて

指示してくれて

答えをくれて

先の道を見せてくれないと不安になりますよね。

自分で考えたり、

調べたり、

聞いたり、

見たり、

感じることをしなくなってしまいます。

そうしていることが、安心になってしまうんです。

自分という人間を、自分が消してしまう。

これをあなたは望むでしょうか?

<解決に向けて>

今、このような時だからこそ

あなたはどう感じていますか?

あなたはどう考えていますか?

あなたはどう行動しますか?

 

というところに意識を向けていく時だと思います。

自分はどうしたいのかを自分に聞いても、全く分からない時、それは共依存の問題の根っこを見ていくと解決に向かっていきますよ。

まだまだ先は見えてこないコロナ情勢です。

だからこそ、わたし達ひとりひとりが

どう感じ

どう考え

どう行動するか

を持ち寄りたいですよね。

誰かが決めてくれたことに従うことと、

自分が納得して行動することとは、

見た目は同じように見えても、心の景色は全く違うと思います。

家に居る時間も増える時です。

自分に目を向ける時間も、大切にしていきたいですね。

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たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

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<リトリーブサイコセラピー個人セッション>

<大阪基礎コース始まります>

ひとりでは築くことができない人間関係。

今まで自分の中に押さえ込んできた怖さや痛み。

そんな、ひとりではできないことを仲間と共に見つめ、受け止めていくことで自分をたくさん知っていく、ぬくもりのコースです。

もちろん楽しいことばかりではないけれど、だからこそひとりじゃないと感じることができる

この基礎コース。

自分の中にある、

つらさ

悲しみ

痛み

苦しみ

怒り

怖さ

共に助け合って感じていく空間がここにあります。

www.yourexcellence.jp

正解が欲しい!!!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

クーイズ、クイズ♪

なーんのクイズー???

こんなフレーズで、子どもたちと時折クイズやなぞなぞをして遊んだりするんですが、ここ数年、増えたなーと思う返答があるんです。

「わからーん!」

「こたえ、なにー???」

「こたえ、おしえてー!!」

という、すぐに答えを知りたがる子どもたちの姿なんです。

正解、不正解よりも、その過程を楽しむクイズやなぞなぞなんですが、すぐに正しい答えが欲しくなってしまう

さて、今日はそのように過程よりもすぐに答えが欲しくなる心理、

「正解が欲しい!!!」

というテーマで書いていきます。

f:id:taiyotoniji:20200308135741j:image

あなたは、こんなことはないですか?

  • いつも自分の存在が不確かに感じる
  • 自分の意見がない
  • 自分のことを考えられない
  • イヤだけど強い人に従ってしまう
  • かわいそうな人を放っておけない
  • 誰かに従っていれば安心
  • いつも正しさを求めている

これって言わば、いつも心が不安で不安定で仕方がない状態です。

不安で不安定だから、いつも自分は間違っている存在のような気がしてしまいます。

間違っているからこそ、正しいちゃんとした答えが欲しいし、安心したいんです。

大人であれば、自分の頭で考えずにすぐにネットで調べたり、SNSからの情報をそのまま信じてしまったりします。

誰かからの正しい答え、が欲しくてたまらないんです。

<本当の問題は何か?>

このすぐに答えが欲しい心理、潜んでいるのは共依存の問題があります。

共に依存ですから、どちらか一方だけでなく支配する側もされる側も、依存する側もされる側も、両方にとってプラスの関係です。

そして、どちらも自分を生きられない関係です。

孤独になるのが怖くて、自立するのをお互いに避けています。

そうやって誰かに従って生きていると、

愛してもらえたり

見てもらえたり

居場所があったり

衣食住の保証があったり

お金に困らなかったり

ひとときの安心感が得られるんです。

常にダメで間違っている存在の自分が、誰かに従って自分を表現しなければ安心という保証がもらえるんです。

なので、自分ではなく誰かのために生きています。

目の前の大切な人に、自分を大切にしてもらうために、自分を消していきます。

自分を消しながら、相手を、気持ちを、状況を汲み取っていくんです。

だから、相手にとっての正解がほしいんです。

相手の望んでいるものが分からないことが怖くてたまらないんです。

自分で考えなければ、相手を喜ばせることができて、自分はダメなんだという無価値感も感じなくていいんです。

自分の人生は自分のためのものではなく、ガマンすることで成り立つし、自分を消すことで相手を生かしていることが、根っこの問題なんです。

<このままだとどうなるか?>

答えを求め、正解を求め、正しさを求め、ずっと誰かの期待に添える自分であろうとしてしまいます。

これって、ずっとやり続けることができると思いますか???

自分という存在はあるのに、ずっと24時間誰かのために生き続ける努力をしないといけないなんて、ゾッとしませんか???

いつも誰かから認めてもらえないと安心できず、自分のやりたいこともやれず、言いたいことも言えず、頑張ることで誰かにここに居てもいいよ、とひとときの安心をもらい続けないと生きていけなくなってしまうんです。。。

<解決に向けて>

まずは、正解がないと、答えを教えてもらわないと不安でたまらない自分に気がついてみませんか。

そして、不安だしイヤなんだけど、今の状況で自分が安心してしまっていることにも気がついてみたらいいと思います。

正しい自分であれば、愛してもらえる。

そうやって、自分を生きることを放棄していないでしょうか???

自分に聞いてみてください。

本当に欲しいのは、答えですか???

欲しいのは答えではなく、本当は自分という存在に応えてもらった安心感ではないでしょうか。

その自分の根本の安心感を育てていくことで、この問題は解決へと向かっていきますよ。

f:id:taiyotoniji:20200308135758j:image

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ひとりでは築くことができない人間関係。

今まで自分の中に押さえ込んできた怖さや痛み。

そんな、ひとりではできないことを仲間と共に見つめ、受け止めていくことで自分をたくさん知っていく、ぬくもりのコースです。

もちろん楽しいことばかりではないけれど、だからこそひとりじゃないと感じることができる

この基礎コース。

自分の中にある、

つらさ

悲しみ

痛み

苦しみ

怒り

怖さ

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