大切な人を亡くしたあなたへ。。。

おはようございます。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

大切な人を亡くした。。。

そのつらすぎる喪失体験を、今まで1度も経験していない人なんていないのではないでしょうか。

信じられない。。。

ごめんね。。。

苦しい。。。

どうしてこんな事に?

寂しい。。。

会いたい。。。

自分もそこへ行きたい。。。

そんな今をやっとの思いで生き延びている、そのような毎日を過ごしている方もいるでしょうね。

今日はそんなつらい喪失体験、

「大切な人を亡くしたあなたへ。。。」というテーマで書いていきます。

大切な存在を失った後、

  • 本当は泣きたいけど泣けない
  • 悲しむと相手を困らせてしまう罪悪感がある
  • 相手の重荷になるようで本音を言えない
  • 周囲に傷つけられる感覚がある
  • 人と会う時は大丈夫に振る舞う
  • 人と会うと元気だがひとりの時は絶望している生きていたくないと思う

このような感覚を感じながら毎日をギリギリで生き延びている、そのような日々が続いている事はありませんか?

わたし自身で言うと、上記のような状態はすべて当てはまったように思います。

助けて欲しい時に助けてほしいと言えず、

悲しい時に悲しめず、
周囲にいつも気を遣っていました。

泣いたり悲しんだりしてしまうと、その場にいる相手を困らせてしまう。。。

そして、亡くなった大切なあの人にも心配をさせてしまうかもしれない。。。

そして相手を困らせてしまった自分が悪いんだと自分を責めてしまう。。。
前を向けない自分が弱いんだと自分を追い立ててしまう。。。

なので人と会うのが苦痛でしかなく、人と会う時は気を張って、極力感情を乱さずに、大丈夫に振る舞っていました。

 

それでも大丈夫にしていても悲しみは消えないので、どうして自分だけこんな目に会わないといけないのかと同時に怒りも抱えていました。

毎日が過ぎていくことが、ただの消化試合のようにしか感じられず、生きていることが虚しくて仕方ない。。。

しかしこれは、大切な人が亡くなったという、人生の中での大きすぎるほどの出来事に遭遇しているのですから、当たり前の状態なんです。

「大切な人が亡くなった」

この大きすぎる事実を受け入れる事は、勇気がいります。

特に、1年も経たないうちに無理に受け入れようとするのは、自分の傷の痛みにムチを打ちつけるようなものです。

自分が必要としないなら、喪失からの回復なんて何の意味も持ちませんし、そこへ向かわなくていいと思います。

ただ、自分ではこのつらさから何とか抜け出したい思いはある。

でも、どうしていいか分からない。。。

心の安心を求めながらも
冷静や平然を装ったり、
元気に振る舞ったり、
周囲から傷つけられる感覚が消えない。。。

そんな自分の危機を迎えているあなたへ届いてほしいと思います。

あなたは

つらいし、

苦しいし、

痛いのに、

自分の本音を人前で出せないことはありませんか???

求めても相手が受け止めきれずに、困らせてしまった自分が悪いと罪悪感を募らせていませんか???

<本当の問題は何か>

大きすぎる喪失感を感じた時こそ、自分の中からムクムクと顔を出してくるのは愛着の問題です。

自分という存在の無さが、誰のことも信じられなくしてしまうんです。

誰からの愛も信じないと決めているので、受け入れたら自分が壊れてしまうという怖さを抱えています。

自分自身さえも信じないでいることで、大切な人を裏切らないようにしようとするんです。

大切な人を亡くしたことで、

自分に直面できない

自分を受け入れられない

自分を信じられない

という過去からの愛着の問題が噴出してしまったんです。

大切なものを失ったと同時に、自分も失っているんです。

大切な人を亡くしたのと同時に、自分も亡くしているんです。

なので、つらすぎる喪失体験をした時、人に自分の気持ちを話せるようになることだけが解決ではないんです。

<このままにするとどうなるか?>

強く深く愛しているから悲しむし、涙が止まらないのは当然のことです。

それをすることで少しずつ動いていくことができるようになるんです。

自分に直面せず、受け入れず、信じないままでいることは、その場で時を止め、自分がこの先1ミクロンも変わらないことを決めることにもなります。

なので、常に亡くなった人を頭の中に置いていないと不安になります。

心のつながりではなく、何かしらの亡くなった大切な人の生きていた証を求め続け、悲しんでいないと生きていけなくなります。

死にたいわけではなくとも、生きていたくもなくなり、生きることが無味無臭になってしまいます。

自分という人間を、絶望感罪悪感で閉じ込めてしまい、喜びや楽しみを許さず、苦しむことでしか生きられなくなっていってしまうんです。

<解決に向けて>

大切な人を亡くした時こそ、ひとりで自分の人生を歩いていくことの恐怖を感じます。

一時的に、自分を見失うこともそれはあるでしょう。

自分に危機が訪れた時に、自分に何をしてあげられるでしょうか?

自分と丁寧に時間をかけて向き合い、ひとつひとつ自分を育てていく。

自分の感情に、言葉を与えてあげる。

回復を求めている自分に気がついたら、避けている自分自身や相手との関わりや繋がりの根本を見直していくことを是非ともオススメします。

<2月モニター募集のお知らせ>

2月のセッション募集日をアップしていますので、申し込みお待ちしております!!!

ご確認の上、下記よりお申し込みくださいね。

たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

<2月のセッション募集日>

2月14日(金) 10:00〜 / 14:00〜
2月22日(土) 10:00〜 / 14:00〜

2月28日(金) 10:00〜 / 14:00〜

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<リトリーブサイコセラピー個人セッション>

愛する人と別れてつらい。。。

どうも!!!

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

先日、新幹線の隣に座ったイケイケ女子風の2人が、彼氏と別れた話をずっと話しておりました。

(3人席のね、窓側でしたの、わたし。。。)

 

 

イケイケ①「いい経験になったわ。。。」

イケイケ②「もう、次行こ!次!!」

と同じ会話のラリーが続きます。

 

 

 

本当は怒ってるね。。。

悲しいね。。。

サービスエースが決まればよかったんでしょうけども、残念ながら新大阪〜広島までラリーが途絶えることはありませんでした。。。

 

 

こんな風に、自分の本当の気持ちを無視してしまったり、気持ちを受け止めてもらえていなかったりすると、心の傷からなかなか立ち直ることができなくなってしまいますよね。

 

 

 

 

 

愛する人との別れ、これは人によって様々だと思います。

 

 

 

恋人やパートナーと別れたり、親や子どもと離れ離れになったり。。。

 

 

 

早く気持ちを切り替えたいのに、なかなか気持ちが前向きになれないなんてこともあるのではないでしょうか。

 

 

 

そんな時の痛みはとてもつらいものですよね。

 

 

 

時と共に少しずつ慣れていくどころか、何ヶ月経っても、何年経ってもずっとずっと心の傷が癒えてこない。。。

 

 

 

自分はどうしてしまったのか、いつまでこのつらさが続くのか。。。

 

 

 

そんな出口のないトンネルに入ってしまい、自分が分からなくなってしまう。。。

 

 

 

別れのつらさ。。。

 

 

 

 

今日はそんな、愛する人と別れてつらい。。。」というテーマでお届けします。

 

 

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愛する人と別れた時、あなたは何を感じますか?
どうなりますか?

 

  • 悲しみに暮れる
  • 別の何かに没頭する
  • この別れには何か意味があるはずだ、と無理にポジティブな意味を探す
  • 自分が悪かったんだと責める
  • 周りの人に八つ当たりする
  • 別れの事実を考えないようにする
  • 別れる前の感情を思い出してしまう
  • 別れがなかったことのように振る舞う

わたしは息子を失っていますが、全てと言っていいほど、このような状態に陥りました。

 

愛して愛して止まない存在と別れたわけですから、その悲しみは同然です。 

 

 

心から悲しみ、心から泣き、心が崩れそうになっても仕方がないと思います。

 

 

 

別れから立ち直れず、心理的な症状が出たり、何もする気にならなくなってしまったり、何かに依存したり、引きこもりのように人と会うのを避けてしまう。

 

 

ある一定期間、このような状態になることもあると思います。

 

 

 

だって、心から愛していたんだから。

 

 

ただ、ずっとずっとこの苦しみや、辛さから逃れられない時、そこにあるのは別れの悲しみだけではないんです。

 

 

 

別れからずっと立ち直れない時は、人とつながりたいと思いながらも、人と会うと傷つけられてしまう感覚が強く、段々とひとりになっていく。。。

 

 

 

愛する人と別れた悲しみや寂しさや辛さを、誰とも共有できずにどんどん孤独を増していってしまいます。

 

悲しみや寂しさや辛さを誰とも共有できないことほど、人を孤独にするものはありません。

 

 

別れを引きずると、人は孤独になっていきます。

 

 

孤独が続くと、鬱や睡眠障害、何かへの依存や自殺未遂などさらに苦しい状況へと向かってしまうことがあります。

 

 

これ、別れたことが問題なんでしょうか。

 

 

どんか人でも、人と別れずに生きていくことなんて不可能です。

 

 

そもそも別れがコントロールできるなら、愛してやまない人との別れを、何とかして回避するはずですから。

 

 

では、別れがずっとつらく、立ち直れないことの本当の問題はどこにあるのでしょうか?

 

 

 

それは。。。

 

 

 

自分自身を見れないこと、なんです。

 

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愛するその人を愛することで、今まで自分を見なくて済んでいたんです。

 

 

愛するその人から愛されることで、自分を満たすことができていたんです。

 

 

自分自身を愛することができないから、誰か他の人から愛をもらうことで、自分の不安を消すことができていたんですね。

 

 

愛する人の存在があれば、自分が感じている不安や恐怖を感じなくて済んでいたんです。

 

 

その愛する人がいなくなってしまった時に、直面する事は何でしょうか?

 

 

それは自分の不安や恐怖であり、自分で決断していく人生であり、まさに自分自身に向き合うことになるんです。

 

 

 

自分自身の不安や恐怖に、自分が向き合えないこと。

これが問題なんです。

 

 

 

愛する存在を失ったその時こそ、自分が自分のことをどのように思っているかがはっきりと醸し出されてしまいます。

 

 

別れや喪失の悲しみや痛みが誰かや何かで埋まる事はありません。

 

 

その悲しみや痛みが消える事はありません。

 

 

こう言うと、一度でも別れを味わうともう絶望しかないようにも思うかもしれませんが、決してそうではないんです。

 

 

悲しみや痛みと共に生きることはできるから。

 

 

 

でも、自分の価値のなさや虚しさや空虚感、自分への不信感や罪悪感と共に生きていくことは、自分自身の生きる力を奪っていってしまいます。

 

 

 

どれだけ時間が過ぎようとも、誰が分かち合おうとしてくれようとも、自分自身の生きる力を信じることができなければ傷は癒されないままです。

 

 

 

いつまでも愛する人との別れが辛くてたまらない、そんな時はもしかしたらあなたは自分の人生を生きることが怖くてたまらないのかもしれません。

 

 

 

自分自身を生きるということが、どのような恐怖に結びついているのか根本的な問題を解決していくといいですね。

 

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<1月モニター募集のお知らせ>

 

 

 

1月のセッション募集日をアップしていますので、申し込みお待ちしております!!!

 

 

 

 

ご確認の上、下記よりお申し込みくださいね。

 

 

 

たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

 

 

 

<1月セッション予約可能日>

 

17日(金) 10:00〜 /  14:00〜

18日(土) 10:00〜 /  14:00〜

20日(月) 10:00〜 /  14:00〜

 

※上記以外の時間についてはご相談ください。

 

 

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リトリーブサイコセラピー – 生きるのがつらい毎日に、心が安心して帰る場所を

 

お盆に思うこと 〜お盆に心が揺れるなら〜

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

お盆ですね。

 

 

お盆になると、実家に帰る、夫や自分の実家へ帰る、それ自体が憂鬱。。。

 

 

そして、行くまでの交通渋滞や満員に溢れかえる新幹線や飛行機などの公共機関にうんざりしてしまう。。。

 

 

反対にそんな心労はないけれど、長期の休みになって一人で過ごす時間に寂しさや虚しさが増したりする。。。

 

 

色々なお盆があるとは思いますが、今あなたはどんなお盆を迎えているでしょうか。

 

 

 

今日は、そんなお盆の時期に思うこと「お盆に思うこと 〜お盆に心が揺れるなら〜というタイトルでお届けします。

 

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お盆は亡くなった人達をお迎えし供養する期間と言われていますが、生きている方は色々な気持ちに揺り動かされるような、振り回されてしまうような、そんな期間でもあるかもしれませんね。

 

 

 

日常を過ごしている時よりも、センチメンタルになりやすい時でもありますよね。

 

 

 

わたしもお盆センチメンタルになる一人ですし、数年前までむしろお盆の時期はセンチメンタルを超えて、死にたくなる気持ちを抑えるのに必死な期間でもありました。

 

 

 

わたしにとってお盆とは、どうしても息子を思い出さずにはいられない時期だからです。

 

 

 

妊娠7か月で失った息子が帰ってきてくれると思えば嬉しくもあるのですが、結局はどうせまた離れなければならないという現実を受け入れることができなかったんです。

 

 

わたしにとってお盆は、

 

 

 

大切な存在を失った。。。

 

 

 

その現実を噛みしめなければいけない時期でもありました。

 

 

 

 

大切なものを失ったと認めるほど、つらく苦しいものはないかもしれません。

 

 

 

 

愛する人を失う、これほど心が破壊されることはないのではないでしょうか。

 

 

 

 

そして悲しいことに、人は失ってからその存在の大きさを知ることがほとんどです。

 

 

 

 

愛する人に、もう

「ありがとう」も

「さようなら」も

「ごめんね」も言えない。

 

 

二度とそれは叶わない。

 

 

 

それは絶望という言葉でさえ足りないような、明けることのない暗闇です。

 

 

 

その暗闇に迷うように、お盆は自分の心が大きく揺れてしまう。。。。。

 

 

 

お盆に揺れる心、大切な人を失った痛みと、どう向き合えばいいか分からない。

 

 

 

今回のブログはわたしの体験談をもとに、そんなお盆の心の揺れとの向き合い方を書いていきます。

 

 

 

 

 

 息子のことを書くと、とても愛情深い母親が息子を思って綴っているように思うかもしれませんが、今の想いと違い、妊娠期間中のわたしはそんな母親ではありませんでした。

 

 

 

自分のことしか考えていなかったんですよ、わたし。

 

 

 

妊娠が分かった時は、いつお別れになるか分からないから安定期までは周りには知らせないでおこうと思っていたほど子どもを意識できませんでしたし、

 

自分がやりたいことを制限されるのがイヤで自分の行動の我慢なんてしませんでしたし、

 

出産後に子どもと過ごす時間を想像さえしませんでしたし、

 

子育てに何のビジョンもありませんでしたし、

 

ただ、結婚したら子どもは必要なんだろうな、くらいにしか思わない自分のことしか考えていませんでした。

 

お腹の子どもに全く気持ちが向かない母親でした。

 

愛情はあっても、お腹の子にそれをどう伝えればいいのかも分かりませんでした。

 

 

 

 

お腹の中に居る息子と、気持ちが通じ合った思い出なんて数えるくらいもあるかどうかです。

 

 

 

なので自分のことを薄情な母親だと思っていたし、お腹の中で息子が亡くなったことを知った時に、わたしは息子に愛想をつかされたと思いました。

 

 

 

もう息子は、こんな母親の元になんていられない、生まれてくるのがイヤになったんだろうと思いました。

 

 

 

 

やっと子どもという自分の味方が来てくれたと思ったら、その味方に見捨てられてしまった。。。

 

 

 

そんな思いがわたしを包みました。

 

 

こんなわたしだったから。。。

わたしのせいで。。。

わたしが悪いんだ。。。

 

 

 

日々押し寄せてくるこの自己否定の思いから逃れたくて、

 

息子がわたしに伝えたかったことは何だろうか、

何か前向きになれるようなことはないだろうか、

どうしてこんなことが起こったのかと、

 

意味や答えを求め続けました。

 

 

 

 

 わたしは自己否定から逃れたくて、でも押しつぶされそうで、何かしがみつくものが必要でした。

 

 

 

 

見つけたものが、「息子からの愛を見つけてこれからの自分に生かすこと」だったんですね。

 

 

 

 

 

そして、幸いなことにその愛は至る所から見つかります。

 

 

 

その愛に触れながら、自分が本当はどれだけ息子を愛していたのかにも気がついていくことができました。

 

 

 

どうしてもっと息子と一緒の時間を楽しめなかったのか、心底から後悔しました。

 

 

 

 

リトリーブサイコセラピーに出会い、その後悔を受け止め、どん底で生きる気力を失っていた自分から、人のあたたかさを感じるまでに回復することもできました。

 

 

 

自分の不安が、未来を見ないようにしていたことにも気がつきました。

 

 

 

 

でもそれで全てが解決かというとそうではなく、自分の感情を感じ始めたことで逃れたかったところへと戻ることにもなるんです。

 

 

 

どこに戻るのか。。。

 

 

 

それは。。。

 

 

 

息子への愛情を感じると共に、大きな自分への否定戻っていきます。

 

 

 

 

もちろん、そんな地獄のような場所に戻る自分を認めることなんてできません。

 

 

 

もう二度とあんな思いはしたくない!

 

 

 

自分に生きるチカラがないと信じていると、またあの時に戻ってしまうのが怖くて必死に過去から逃れようとします。

乗り越えるチカラなんて自分にはないと思い、もう二度と今の場所に帰ってこれないと必死にあの日あの時に戻ることを避けようとするんです。

 

 

 

あの時に戻ってしまったら、もう終わりだ!!!

そんな気持ちで自己否定から逃げ出そうとするんです。

 

 

 

幸い、絶望を乗り越え人生に光をもう一度見つけ直し、笑顔を取り戻していくことは、世の中で理想とされているし、周りが求めることでもあります。

 

 

 

なので自己否定から逃れるために自分の感情を押し殺す痛みを、頑張って悲しみを乗り越えようとしている痛みだと勘違いしてしまいます

 

 

 

しかし結果として、自然に笑顔を取り戻していくことと、笑顔を自分で作り続けることとは違います。

 

 

 

無理に顔で笑顔を作っていても、自分を否定していたら心は笑顔になることはありません。

 

 

 

自分を否定していたら、悲しみも寂しさも癒えないんです。

 

 

 

それは大きな痛みになります。

 

 

 

この痛みは、感じて受け止めることでしか和らぎません。

 

 

 

 

その傷の痛みや苦しさやつらさを感じるためには自分への信頼が必要です。

 

 

 

子どもの時に、失った悲しさや寂しさを表現することが許されていなかったら、感情を否定し、自分を否定することでその痛みを乗り越えようとします。

 

 

 

 

自分を否定することで、自分を守ってきたんですね。

 

 

 

大切なものを失った時に感じた痛みは、小さな頃から感じ続けてきた「愛する親に感じた見捨てられた痛み」でもあります。

 

 

 

 

見捨てられるような自分に、自分の価値を感じる事なんてできないから否定します。

 

 

 

小さな頃は、それが安全だった。

 

 

 

でも、大人になった今、その方法を続けなくてもいいんです。

 

 

自分を信頼して、傷や傷跡を誰かと分かち合ってもいいんですよ。

 

 

 

悲しみや寂しさを安全に表現して、それを受け入れてもらう体験をすることは自分への信頼を取り戻していくことに繋がっていくんです。

 

 

 

それほど、自分の感情を確認してこなかったし、悲しんだり、寂しがっている自分を受け入れてもらってきていないんです。

 

 

 

だからこそ、大人の自分が自分を受け入れてあげること。

 

 

 

悲しみや寂しさを、受け入れるチカラが自分にはあると信じていきたいかどうかを決めること。

 

 

 

 

もうお分かりでしょうが、わたしが悲しんで寂しがっておけば。。。いいこともあったんです。。。

 

 

 

息子への想いということで悲しみや寂しさを持っておけば、自分を信じなくていいし、自己否定を感じなくてよかったんです。

 

 

 

悲しみ、寂しさを持っていれば、自分という存在が許される

 

 

 

 

わたしは、自己否定を感じないでいいように自分を否定していたんです。

 

 

 

 

でもこの自己否定は元々わたしが隠し持っていたもので、息子が亡くなったから自己否定が生まれたわけではないんです。

 

 

 

 

ありのままの自分を確認するということは、過去から今までの自分の感情の全てを確認することでもあります。

 

 

 

感情を確認し、受け止めていくことで自分の価値を見つけていくことができます。

 

 

 

わたしたちは自分で自分のことを好きになる価値がある、とわたしは思います。

 

 

 

大切な存在を失った、その悲しみや寂しさは誰かが埋めてくれるものではありません。

 

 

 

自分への信頼を取り戻していくことが、愛する人を失った傷の回復に繋がっていくとわたしは思います。

 

 

 

自分への信頼を少しずつ回復して、全ての出来事を息子と結びつけないことを決めた今でも、悲しみに暮れる日も、寂しさに潰されそうな日も、息子に会いたくてたまらない日も、自分をダメだと思う日も、わたしにはまだまだあります。

 

 

 

愛する子どもを抱っこして小さな棺に入れ、手を合わせて見送らなければならなかった痛みは、これからだってわたしを何度も包むと思います。

 

 

 

でもそれと同じくらい、わくわくを感じる日も、生きるチカラが湧く日も、笑う日も、感動する日も増えたのも事実です。

 

 

 

砕けそうな自分の痛みを、分かち合いたいと思える人も増えました。

 

 

 

起こった出来事を丸ごと受け入れたいと思うようにもなりました。

 

 

 

変わらず息子を愛しているし、共に生きている感覚を信じています。

 

 

 

そうやって充分に悲しんで寂しがって傷は癒えたと思っても、跡として残ることもあるんです。

 

 

 

その傷跡が疼く時も、もちろんあります。

 

 

 

だから、自分の傷や傷跡を隠さなくていいんです。

 

 

 

大切なのは心が揺れないことではなくて、揺れを感じて認められることではないでしょうか。

 

 

 

自分の心が揺れた時こそ、自分の感情に目を向ける時なのだと思うんです。

 

 

 

気持ちが揺れやすいこのお盆の時期だからこそ、自分が自分に目を向ける、そのいい機会になるのではないかと思いました。

 

 

 

静かな時間に、自分の自己否定を抑えきれなくなったら。。。

 

 

 

そして愛する人を想い、涙を流しながらも自分の心の傷に気がついたなら。。。

 

 

 

自分への信頼を取り戻し、自分を回復していくことをわたしはオススメします。

 

 

 

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<お知らせ>

 

 

 

只今、限定でモニターさんを募集しています!!!

 

 

わたしはこのリトリーブサイコセラピーで命を救われました。

 

 

 

それは、自分の喪失からの再生でした。

 

 

 

たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

 

 

 

お申し込みは、こちらからどうぞ↓↓↓

 

 

 

www.yourexcellence.jp

離婚という喪失

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

 

新緑がキレイな季節ですね。

 

 

 

 

この時期の緑たちって、なんだかとっても柔らかそうですよね(*´꒳`*)

 

 

 

 

ふわふわを期待して、緑に突っ込み、何度ちくちく刺さったことか。。。

 

 

 

 

ダイブしなくなった自分に、だいぶ大人を感じます。。。d( ̄  ̄)

 

 

 

 

そして、5月の緑と言えば。。。

 

 

 

 

 

 

 

そう、我らがよもぎさんです!!!

 

 

 

先日、摘みに行っていいニオイに囲まれました(*´꒳`*)

 

 

 

 

洗うために、そのまま水につけて置いてたんですが。。。。。

 

 

 

 

なんと残念、半日で腐っていましたΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

 

 

 

 

流水にするまではないかな、と思っていたら、暑さでしっかりぬるま湯に。。。( ̄◇ ̄;)

 

 

 

 

よもぎも、人間関係もぬるま湯ではダメなんですね。。。

 

 

 

 

そこに留まるだけのぬるま湯ではなく、新しいものに触れていきたいなー、とよもぎから学んだ5月でありました。。。

 

 

 

 

 

さて、色々な経験から人は学ぶもの。

 

 

 

 

今日は、「離婚という喪失」というテーマでお届けします。

 

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わたし、あんまりイメージにないようなんですが、離婚を経験しています。

 

 

 

 

しかも、2年と持たないスピード離婚でした。

 

 

 

離婚。

 

 

 

それは、

自分から・相手から、愛がある・なし、子どもがいる・いない、揉める・揉めない、どの状況に関わらず、大きな喪失感が伴うものです。

 

 

 

 

どのような形であれ、家族を失ったんです。

 

 

 

 

自分の居場所や存在価値、幸せの家族像という夢や理想、周囲からの信頼、様々なものを失うわけですから、大きな喪失感孤独を感じて当然なんです。

 

 

 

 

そして、離婚までは物理的にも精神的にも色々と大変です。

 

 

 

 

無事に離婚が成立した状況であったとしても、ほっと一息ついた途端に、今まで抑えていた気持ちが溢れて不安定になったり、無気力になったり、そんな状態になってもおかしくはありません。

 

 

 

ならば、離婚なんてしまければいい、ガマンしていればいい、そういうものでもありません。

 

 

 

人の気持ちはナマモノなので、その時に放置してしまうと当然腐ってきてしまいます。

 

 

 

 

離婚の理由なんて、いい悪いではないんです。

お互いに言いたいことはあるだろうし、お互いに自分が正しいと思っています。

加害者、被害者の関係のように見えても実はそれが心地よい依存関係だったりもするので、自分にとっては「正しいのは自分」なんです。

 

 

 

 

わたしも思いっきり自分が正しい!!!をしていました。

 

 

 

 

いつも自分が正しくて、相手が間違っている。

 

 

 

正しく頑張っているからこそ、相手には自分という価値を認めてほしいと思ってしまう。

 

 

 

 

自分という価値を相手に分からせたくなる。

 

 

 

 

何なら相手が分かるまで間違いを指摘しまくって、思い知らせてやりたくなる。

 

 

 

 

支配を受け入れて育つと、自分も人を支配しようとするようになります。

 

 

 

 

特に身近な存在、家族にはあからさまにその思いがでます。

 

 

 

 

支配して当然、言うことを聞いて当然だ、くらいの気持ちを持っています。

 

 

 

 

自分がそうされて育ってきたからというのもありますが、自分が我慢してきた分の積み重ねてきた怒りを、親ではなくパートナーに引き受けてもらおうとしているんですね。

 

 

 

わたしが離婚をしてこの不幸を見せつけてやりたい!と思ったのは、親に対してでした。

 

 

 

アナタ達の子育ての結果はこれやけんね?

 

 

 

 

子育て失敗したね、アナタ達のせいやもんね。

 

 

 

 

そうやって自分の身をもって、子育ての失敗を親に見せつけたかったんです。

 

 

 

 

しかしながらです。

 渦巻く気持ちはそれだけではありませんでした。

 

 

 

 

それと同時に、親の望むような人生を送れない自分を責めます。

 

 

 

 

両親を安心させてあげたかった。

 

 

 

 

結婚は、して当たり前のもの。

 

 

 

 

そして子育てをし、親の面倒を見るもの。

 

 

 

 

とにかく世間の目や、周りから見た幸せの形が大事

 

 

 

 

どれだけ反発をしたことろで、親の価値観をしっかり自分が受け入れていました。

 

 

 

 

でも、それは本当に自分が望むことではないので、最後にはひっくり返して終わらせてしまう。

 

 

 

 

そんな「親を安心させることができない自分」をものすごく責めます。

 

 

 

 

自分はみんながしているようにできないという劣等感、欠陥品であるような恥ずかしさ、自分がダメだからこんなことになるんだという罪悪感、これらが一気に自分へと向かってきます。

 

 

 

 

 

今まで親の願いを察知し、自分から進んで行動してその願いを叶えることで親を安心させてきたんです。

 

 

 

 

親の願いは、自分の想い。

 

 

 

 

親の安心が、自分の安心。

 

 

 

 

 

そうやって、親に目を向けておくことが自分の存在意義でもあったんですね。

 

 

 

 

なので、「ほら見たことか、ざまあみろ親め!!!」という気持ちと、「親を安心させることができない自分なんて、なんて価値がないんだろう。。。」という両方の気持ちに襲われます。

 

 

 

 

 自分の心の中で親を責める気持ちと、自分を責める気持ちとがいう同時にせめぎ合っている。

 

 

 

 

相反する気持ちだから苦しいんだ、つらいんだ、とそう思いますか?

 

 

 

 

確かに、同時に逆方向へ向かうような感情にも見えます。

 

 

 

 

しかし、一見すると相反するように見えるこの感情ですが、実は根っこは同じなんです。

 

 

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それは、自分の感情の中心は親だという根です。

 

 

 

 

自分の心の核となる柱が、自分にない。

 

 

 

 

自分の感情よりも、親の(大人になってからは他人の)感情が大切

 

 

 

これが他人軸です。

 

 

 

 

そうなんです。

 

 

 

わたしには、自分の軸というものがなかったんです。

 

 

 

わたしは離婚という経験で、今まで積み重なってきた喪失、つまり自分の心の重心、軸の喪失に気づかされることになります。

 

 

 

 

自分の人生を、他人の為に使い、他人の為に生きる。

 

 

 

 

これでは、生きるのがつらくなります。

 

 

 

 

では、どうしたらいいのか。

 

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離婚と事実を変えるのでなく、他人軸に生きてきた生き方を変えていくんです。

 

 

 

 

自分は何をどう感じ、どうしたいのか。

 

 

 

何が好きで、何がイヤなのか。

 

 

 

何をやりたくて、何をしたくないのか。

 

 

 

その本当は。。。という自分の感情を自分の為に感じて、表現していく。

 

 

 

 

 わたしは離婚と言う経験で、自分の軸をまた大きく捨てようとしたんです。

 

 

 

自分のために生きていない!

そう気がついたら、自分に軸を戻して、人のためでなく自分のために生きる決意がいります。

 

 

 

 

その未来は勝手に見えては来ません。

 

 

 

自分のために生きることが簡単なら、今までだってすぐにそうしていたはずです。

 

 

 

そこには必ず大きな恐怖が眠っています。

 

 

 

そこを丁寧に、そして安心して見てていくこと、安全に表現することが大切です。

 

 

 

わたしは、リトリーブサイコセラピーでその恐怖を安心に変えていきました。

 

 

 

いつからでも、どこからでも、まずは自分の「そんなのイヤだ!変わりたい!」は大きな原動力になります。

 

 

 

離婚という喪失は、大きければ大きいほど自分に回復を求めてきているのではないかと、わたしは思うんです。

 

 

 

その声を無視せず、かつての自分がしてほしかったように自分の本音を聞いてあげられるといいですね。

 

 

離婚の喪失。

それは、満たされなかった親への想いと同じ。

 

 

だからこそ、その喪失の余白を大人になった自分が満たしていきましょう

 

 

 

 

       〈 お知らせ〉

 

 

 

 

只今、限定でモニターさんを募集しています!!!

 

 

わたしはこのリトリーブサイコセラピーで命を救われました。

 

 

 

それは、自分の喪失からの再生でした。

 

 

 

たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

 

 

 

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