目に見えない虐待。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

昨日のブログ、

いつも不安。いつも緊張。いつも恐怖。

の続きとなります。

 

子どもに対して、暴言、暴力のように目に見えるものだけでなく、子どもを大人の一方的な都合や意思で子どもを利用する。

 

一見すると関わりはあるように見えても、それが子ども側にだけ

・グチを聞いてもらう

・大人側の要求に従わせる

・大変さを訴え慰めてもらう

・かわいそうな姿を見せ世話をしてもらう

・全てのことを干渉される

・言うことを聞かないと脅迫する

というように、いつも求められ自分自身を確認することができない。

 

この状況は心理的ネグレクト(社会的ネグレクト)と言われ、そして目に見えて周りからの共感も得られないため、静かに深刻な状況へ進んでいきます。

 

 

 

受けた本人も、自分に虐待があったとは思っていないことが多いのではないでしょうか。

 

わたし自身も、自分が心理的なネグレクトの状況だったなんてこの心理の世界に入るまで気がつきませんでした。

 

親から自分の気持ちを

受け止めてもらったり、

共感してもらったり、

言葉にして教えてもらっていない。

これって、暴力を受けたとか、暴言を言われたとか、目に見えて分かるものではありません。

自分だけ充分な世話をしてもらえず、みじめな思いをした。というように誰かと比べて分かるものでもありません。

 

自分の気持ちに寄り添い、共感し、意味をくれる存在がいない。

それは暗闇の世界です。

自分の気持ちを何も確認できず、自分の中だけで全てのことを完結するしかなくなります。

 

けれど自分の気持ちを確認できていないので、自分の気持ちそのものに確かなものを感じられません。

 

すると、

自分そのものに確かなものを感じることができず、自分の存在に自信がなくなります。

 

自分が生きていていいのかいつも不安になります。

 

 

この自分自身の存在の不安を感じないでいいように、

自分が悪いからだ、

自分のせいだ、

自分が足りないからだ、

と無理して頑張ることで何とかしようとします。

 

親の言っている意味不明が本当は理解できない。

親のやっていることが本当は理不尽と感じている。

その自分の本当の気持ちを分かってもらうことが出来なかったので、

誰も自分を分かってくれない。

という思いを強く持っています。

 

だからこそ、常に

自分のことを分かってほしい。

と強く相手に求めてしまうんです。

 

大人になってもそういう関わりを無意識に続けてしまいます。

すると。。。

そうです。

当然モメますね。

モメまくりますね。

何なんじゃ、オラ!自分のことばっかり言ってんじゃねーぞ!と相手もなります。

それを見て、またやっぱり自分は分かってもらえないを強く握りしめていきます。

はい、悪循環です。。。

わたしもよーく覚えがあります。

 

そして、そこで躓いて人生が詰んだままになっている。

ずっと詰んだまま、一向に進まずに暗闇に居るから生きづらい。

わたしの心理へのキッカケがこの生きづらさでした。

 

 

満たされずに残り続けている

・自分は愛されないという不安

・自分は理解してもらえないという不満

・自分には存在価値がないという緊張

・自分には居場所がどこにもないという恐怖

ここを見ずには、この見えない虐待から起こる問題を解決することはできません。

 

でも、ここを見ないことで自分の存在を保ってきたので、ガマンしながら頑張る方がまだ自分を感じることができます。

 

だからこそ自分が抱えている、

不安

不満

緊張

恐怖

それらの気持ちに、気がつかないのではなく、気がつきたくないんです。

 

気がつきたくないから、見ないでガマンすることで自分の存在をギリギリで保っているんです。

 

見ないからずっと生きづらさは続いていきます。

 

では、心理的ネグレクトとどのように向き合っていけばいいのでしょうか?

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いつも不安。いつも緊張。いつも恐怖。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、園の子ども達と遠足に行きました。

川遊びや野っ原で虫を追いかけたり、坂道を走って駆け降りたり、このコロナ禍で身体を存分に動かして遊ぶ機会が減っている子ども達にとっていい経験となりました。

ええ、大人は汗だくのグッタリですが。。。(笑)

 

そして子ども達は、「お母さんからの手作り弁当」を食べられることも大きな楽しみのひとつです。

 

日頃はお昼ご飯に給食を食べていますが、

今日はお母さんが作ってくれたお弁当を食べる!それは子ども達にとって嬉しくてたまりません。

登園してきてから、お弁当を出して中身まで見せようとする子がいたり、お弁当のおかずには何が入っているかを力説してくれたり。

いつもの給食は残すことが多い子も、お弁当の日はすぐに完食していまう微笑ましいヒトトキです。

 

お弁当は、子どもたちにとってただの昼食ではなく、大好きなお母さんから自分ひとりのために注がれる

愛情

優しさ

温もり

を感じるものなのだと思います。

 

目には見えないけれど、そこに込められた想いを受け取っているんだろうなぁと感じます。

 

けれど、一方でお弁当をあまり喜ばない子もいます。給食は食べるけど、お弁当はなかなか進まない子も中にはいるワケです。

 

その子本人の食べきれる量や、好み、体調にもよるので一概には言いきれませんが、こちらが見ていて

お弁当、あんまり嬉しくないんだろうな。。。

と感じる子です。

 

お弁当という物質はここにある。

けれど本人にとってそこから何も感じられない。

ただ、食べ物が詰まっているだけ。

そう感じている子は、食べることに喜びを感じられないからです。

 

 

これ、わたしがずっと感じてきた感覚でもあります。

わたしは、今でこそ食べることは好きですが、幼少期は全く食べることに関心などありませんでした。

 

そんなにお腹は空かなかったし、何が食べたいとか、何がおいしいとか、正直あんまりありませんでした。

 

出されたから食べるもの。

食べないと怒られるもの。

母親の手間をかけるもの。

それがわたしの食事に対するイメージでした。

 

子どもって、自分ひとりで自分の気持ちを確認することはできません。

自分の中から湧き上がってきた気持ちを、大人に受け止めてもらって、共感してもらって、言葉にしてもらって自分の気持ちというものを確認していきます。

 

けれどその自分への関心を全く向けられていないと、子どもはずっとずっと不安と不満と緊張と暗闇に包まれたまま自分自身を確認することができません。

 

返ってくるものが何もない。

求めても何も返ってこない。

これは子どもにとって大きな恐怖です。

 

わたしも、一見すると

食事があり、住む家があり、両親と祖父母もいる。

それは普通の家の普通に恵まれた環境に周りからは映ったのではないかと思います。

 

そしてひとりっ子ですから、大事に育てられている箱入り娘もともよく言われました。

(誰ですか?箱がお気の毒なんて言う人は!)

 

けれど、わたしは食事で言うと

いつもひとりで食べていた。

母親が食事を食べている姿を知らない。

父親は自分の好きなものが出されないと暴れる。

一緒に暮らしながら祖父母と食べることは母親から許されなかった。

食べないと物凄い嫌味と自分への否定が来た。

という現状がありました。

 

形だけ。

まさにその言葉がピッタリなくらい、「家族の関わり」というものが全く分かりませんでした。

 

自分の気持ちは、暗闇の中で響いているだけ。

人は周りに居ても、誰とも繋がりを感じられない。

それでも相手からの要求だけはやって来る。

この状況が続くと

いつも不安、

いつも緊張、

いつも恐怖、

という心理状態になります。

 

これを分かってくれる人も、周りに誰も居ない。

 

これこそが、心理的ネグレクト(社会的ネグレクト)と言われる状況です。

 

そして、受けた本人が気がつきにくいのもまた心理的ネグレクトの特徴だと思います。

 

けれどこの心理的ネグレクトは、意識しないうちにわたし達に大きな影響を与えます。

 

一体、心理的ネグレクトはわたし達にどんな影響を与えるのか?

 

続きはまた明日にお届けします!

 

 

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