怖いに潜む心理。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

子どものうたで、

♪そうだったらいいのにな

という歌があります。

子どもって色々なことを、こうなるといいな♡自由に想像力します。

 

けれど、この想像力の世界と現実の世界がまだハッキリと区別されてもいません。

 

大人になると、想像と現実の世界の区別はつきます。

けれど、現実があまりにも厳しいと感じると現実逃避してしまうこともありますよね。

 

そこで、あいはぶあくえすちょん。

 

人が好きだと思っているアナタ。

世界は優しいと思っているアナタ。

どんなことにも希望はあると思っているアナタ。

 

それ、本当に思ってますか?

 

自分の信じている世界の中で、

こうである

ということと、

こうあってほしい

ということは別モノです。

 

アナタは、本当は

人はいい人であってほしい。

世界は優しくあってほしい。

希望は消えないでほしい。

という願望の世界で生きてはいませんか?

 

 

そして、本当は

人が怖い。

世界は敵だらけ。

人生に希望なんてない。

と本音では感じていませんか?

 

 

こうあってほしい、という切なる願いの中で生きるということは、アナタが自分の生きている世界そのものに希望がないと本当は感じているんです。

 

現実の世界があまりにもツラいから、こうだったらいいのにな、という現実から離れた世界で生きようとします。

 

傷ついた自分がこれ以上傷つかなくていいように、現実を生きることを避けるんです。

 

けれど、

どれだけレモンを甘いと信じ込んで食べても、すっぱいものはすっぱいんです。

すっぱいのに耐えきれず、砂糖を求めます。

 

砂糖さえあれば、口で本当に感じている悶絶すっぱいを緩和することができるから。

 

そして、もうレモンのすっぱさを味わわなくていいように、レモンを遠ざけるようになります。

 

レモンがすっぱいのは、砂糖が足らないからだよね。と自分を納得させながら、レモンがすっぱかった事実を見ないでいると、

アナタはレモンが怖くなるんです。

 

 

これ、人が相手でも同じことが起こります。

 

人に裏切られた。

人から怒られた。

人から拒絶された。

人から無視された。

人から意地悪された。

 

そんな時、

相手の本当の姿を見ていないと、相手を自分の理想的な人の枠にはめます。

相手を愛情豊かな人だと信じようとして相手の嫌な部分から目を背けて、いいところばかりを見ようとします。

そして、

自分の本当の気持ちを見ていないと、自分が嫌いになっていきます。

こんな目に遭うのは、自分の何かがいけないはずだと自分に原因を探します。

 

相手をいい人だと信じることで、

自分を嫌いになることで、

自分の本当の現実、「嫌われている事実」「拒絶されている自分」に直面しないで済むんです。

 

嫌われている事実に直面しない。

拒絶されている自分を直視しない。

そうすることでアナタの悲しみや寂しさを、避けることができます。

本当は孤独である自分に気がつかないことで、自分を守っているんです。

本当の事実に直面してしまうことが、何よりも怖いんです。

 

だから人は怖いことにしておいた方がいい。

 

人が怖いという心理に潜むのは、アナタの

「本当は人が嫌い」という本音です。

本当はアナタの方が人を嫌っています。

 

人が嫌いだからこそ、人が怖い方が都合がいいんです。

 

怖いことにしておけば、

嫌いに気がつかないでいられるから。

 

気がつかないうちは、寂しいながらも生きてはいけます。程よい距離を保ちながら、人と付き合っていくこともできます。

けれど、大切にしたい人ができた時に大問題が起こります。

人が嫌いなのに、好きな人ができてしまったら、当然ながら心に矛盾が起こります。

 

本当は人が嫌いな自分を受け入れられないでいると、その大切な人に対して人が嫌いな自分を隠そうとします。

 

自分の本当の姿がバレないように、

好きな気持ちを消そうとしたり、

人を好きになる自分を嫌ったり、

必要以上に好きを伝えに行ったり、

どんどん自分の真実から離れて行こうとします。

 

さて、この本音を放置したままだとどうなってしまうのか?

長くなりましたゆえ、こちらの続きはメルマガにて書いていきますね。

 

 

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気持ちの交差点。

先日、崖の上のポニョを見まして。

ワタクシ、大好きなお話なんです。

「ポニョ、そーすけ好き♡」

この素直な想いを感じること、伝えることって、大事だなぁ、なんて思います。

 

けれど、この「好き」という気持ち。

感じ方や伝え方はそれぞれですよね。

直接的に好きを伝える。

間接的に好きを伝える。

どちらもアナタの大切な人への大事な気持ちであることに変わりはありません。

 

けれど、その好きが交錯する時があります。

例えば、

 

①「ねぇ、好きだよ。」

②「うん。」

①「好きだよ?」

②「うん。分かったよ。」

①「だから、好きだよってば!」

②「うん、分かったよってば!」

これ。

想いの交差点です。

 

直接的に伝える人と、間接的に伝える人とでは、時にこういうことが起こります。

根底の気持ちは同じでも、その表現方法が違うので、それぞれの気持ちが一方通行のように感じてしまうんです。

 

今日はそんな自分の気持ちと相手の気持ちの行き詰まってしまう交差点、

 

「気持ちの交差点。」

というテーマで書いていきます。

 

自分の気持ち。

相手の気持ち。

相手の想い。

自分の想い。

気持ちの交差点。

 

ここで渋滞や事故が起こって、人間関係が破綻してしまうことも少なくありません。

 

人はひとりだけで生きていないからこそ、

自分の気持ち

相手の気持ち

のどちらも大切なんです。

 

 

どうしてわたしの好きな気持ちを分かってくれないの?

好きだから好きだって言ってるのに、どうして流すの?

自分の好きが相手にずっと届かないような虚しい気持ち。

 

これは①の人に多いかもしれません。

アナタは幼少期、

お母さん、こっち見て。

お母さん、わたしここにいるよ。

お母さん、わたしを好きになって。

そんな思いで、お母さんの背中を見ていませんでしたか?

 

どれだけ願っても、その背中が振り向くことがないと自分のその欲求を感じることを諦めることで自分を見てもらえていない現実に対応していきます。

けれど、その背中がたまに振り向いてくれたり、相手の都合のいい時だけ構ってくれたりすると、その僅かな振り向きを、「自分のことを必要としてくれている。」と受け取ります。

 

すると、いつかはまた振り向いてくれるかもしれないと自分の気持ちを伝え続けることで、関係を保つようになります。

 

相手の反応はお構いなしです。

だって自分が行くことをやめたら、もう関係は終わると思っているから。

それが何より怖いんです。

 

 

 

 

好きな気持ちを受け取ってるのに、それが伝わらないの?

なんでそんなに好きって何回も言うの?

相手の好きを相手と同じくらい返さないといけないような重い気持ち。

 

これは②の人に多いかもしれません。

アナタは幼少期、

お母さん、ちゃんとやったよ。

お母さん、わたしが守るね。

お母さん、大丈夫?

そんな想いで、お母さんをずっと助けていませんでしたか?

 

どれだけ助けても、幸せそうにならないお母さんを見続けると子どもは自分だけが幸せになることに申し訳なさを感じていきます。

自分を大事にされることに罪悪感を感じて「もらった分は同じだけかそれ以上に相手に返さないといけない。」と思うようになります。

だから自分からは行かずに、相手から何ももらわないことで関係を保つようになります。

 

自分の気持ちは何をやっても届かない。

自分から求めたり動いたりしたら、関係が終わってしまうから求めたり動くことを諦める。

だって、お母さんより自分の方が幸せであってはいけないから。

自分だけ幸せになった時点で、大切な人は自分を拒絶すると思っているから。

それが怖いんです。

 

 

けれど、怖いからと言ってこれを大人になってもずっと続けると相手は困惑しますよね。

怖いから。という恐怖から逃れるために人と繋がっていくと、この交差点に必ず引っかかってしまいます。

 

けれど、この怖さを避けて押さえつけても、アナタの中の恐怖はより強く深くなるばかりなんです。

 

アナタが不安からでなく安心で人と繋がりたいのなら、まずは

自分の現実に直面すること。

自分の本当の気持ちに直面すること。

自分自身と繋がること。

 

悲しい現実を避け続けてきたから、避けきれなくなって交差点で事故を起こしているんです。

 

悲しい現実に直面した時、

アナタはどう生きていきたいですか?

 

このまま、自分の現実から逃げて生きていきたいですか?

 

 

 

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愛情という名の敵意。その本質。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先週の「愛情という名の敵意」のとぅーびーこんてぃにゅーです。

愛情という名の敵意。

 

子ども時代に、求めても返ってこなかった愛情。

そこに悲しみや憎しみは生まれます。

けれど、憎しみながら愛することは難しいので、子どもは憎しみを抑圧して、愛されている自分を信じ込もうとします。

愛情という名の敵意。

アナタの人間関係がそうなっていたとしたら?

その解決法について今回はお話していきます。

今日は、

「愛情という名の敵意。その本質。」

というテーマで書いていきます。

 

 

敵意がアナタにとって人との関わりになっていくと、アナタの人間関係は、

人と気持ちを通わせるのが怖い。

人と繋がることに嫌悪感を持つ。

自分という存在が分からない。

相手は自分を攻撃してくると感じる。

相手が自分の為に何かしてくれると申し訳なく感じる。

 

敵意を愛情だと受け取らないと生きていけなければ、アナタの自分で築いていく人間関係は破綻します。

 

敵意を愛情だと受け取るということは、

本当のアナタを分かろうとすることなく、本当のアナタであることを拒絶した人を大切にするということです。

本当のアナタを分かろうとするような人を拒否したり、攻撃したり、無視するということです。

本当のアナタ自身を感じ、出すことに対して罪悪感を感じて自分をなくしていくことを選ぶということです。

本当のアナタを認めてくれ、受け入れてくれようとする人にこそ、アナタ自身が敵意を向けていくということです。

 

それは、アナタが本当の自分を出した時に向けられてきた拒絶、拒否、無視を、自分に向けられた愛情だと信じて生きてきたからです。

 

その敵意に満ちたアナタへの気持ちを愛情だと理解して受け取らなければ、アナタは生きることができなかったからです。

 

けれど敵意をぶつけられたのは、アナタの責任ではありません。

 

アナタがアナタ自身であることに嫉妬や憎しみや怒りをその人がぶつけてきたのは、ぶつけてきた相手が自分を出すことをガマンし、抑圧して生きてきたからです。

 

自分が自分で居られなかった恨みを、ぶつける相手はアナタではないのに、アナタにぶつけることで気晴らしをした。

そして悲しいことに、それはアナタにとってとても大切な人だったんです。

 

だからアナタが大切にするのは、本当の愛情をくれる人ではなく、アナタに敵意を向ける人だったんです。

 

その、「敵意を向けてくる人」をアナタは今も大切にし続けているんです。

相手からの敵意に対してアナタが拒否できないのはなら、アナタは自分を大切にしてくれる人を拒否しているということです。

 

自分の中にある

欲求

要求

本音

に対する抑圧を強めることで、自分に向けられている敵意に対応して、愛情に変換して今いる場所に順応しようとするんです。

 

けれど、アナタが本当に求めているのは敵意ではなく愛情だったんです。

 

その気持ちが消えてなくなることはありません。

 

愛情と敵意は相反するもので、一緒に感じることはできません。

だから無理に「敵意ではなく愛情なんだ。」と自分に思い込ませることで生きてきたんです。

 

だけどこのまま、敵意を愛情だと思い込んで生きていくと、人間関係は崩壊して、自分の存在の責任を請け負ってくれる誰かをアナタは求め続けることになります。

そして、本当に愛してくれる人が例え現れたとしても、アナタは自らその存在を突き放していきます。

 

アナタはこのまま、気がつかないでいいですか?

 

とてもツラいけれど、

わたしが親からもらっていたものは

愛情ではなく利用だった。

愛情ではなく支配だった。

愛情ではなく依存だった。

愛情ではなく意地悪だった。

愛情ではなく憎しみだった。

愛情ではなく恨みだった。

愛情ではなく怒りだった。

わたしに向けられていたのは、愛情ではなく敵意だった。

 

この事実を知りたくなかったんです。

 

これを感じることが、アナタはツラくて苦しくてたまらなかったから、イヤだったけれど向けられた敵意を愛情として無理に変換したんです。

敵意を愛情と信じていれば、イヤだけど大切な人との繋がりを断ち切られてしまうことはなかったから。

偽りだと分かりながらも、信じることで自分を守ってきたんです。

 

今までアナタはその拒絶が、敵意が、いつの日か振り向いてくれるとずっと頑張ってきましたよね?

その苦しい頑張りを、アナタはまだこれから先も続けていきたいですか?

アナタに向けられてきた愛情という名の敵意を、これからも受け入れたまま、誰かからの愛情を求め続けながら本当の愛情を壊し続けたいですか?

 

 

 

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愛情という名の敵意。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、友達とドラマ「大奥」の話をしておりました。

どのシリーズが好きか?についても熱く語っておったのですが、振り返るとどれも面白いシリーズですよね。

 

華の乱もそうですが、最終章や菅野ちゃんの(調べなはれ、タイトル!)も面白かったなーと改めてその魅力を思い出しておりました。

 

その当時、わたしは大奥を見終わると本当に気分が沈んでおりました。

あぁ、この時代にいきていなくて本当にヨカッタ。。。と思いながらお風呂で気持ちを沈めたりしたのもいい思い出。

 

けれど、次週になるとやっぱり見ちゃう(笑)

それは、大奥が人間の愛憎劇や人間模様を映し出してくれていたからかもしれません。

 

愛情の中に潜む憎しみ。

憎しみの中の隠れた愛。

そのドロドロにお腹いっぱいになりながらも、ついおかわりをしてしまうのは、わたし達の中にもドロドロの愛憎があるからかもしれません。

 

 

アナタにも、

親しい人から急に無視された。

親しい人が急にイヤになった。

好意的だった人の態度が冷たくなった。

好意を持っていた人への気持ちが急に冷めた。

相手の意にそぐわないと攻撃された。

自分の気持ちに共感してくれない相手を責める。

そんな経験はないでしょうか?

 

そこにはもちろんアナタの中に嫌われることへの恐怖があります。

 

そして、アナタ自身が抱いていた相手への気持ちの中に愛情だけではなく、アナタが意識していなかった怒りや憎しみや恨み、そんな敵意が混じっているからかもしれません。

 

その敵意が自分で意識できていないと、アナタは人間関係を自ら壊していくことになります。

 

今日はそんなアナタが愛情だと信じていた想いの中にある無意識の怒りや憎しみの心理、

「愛情という名の敵意」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

アナタの信じている愛情の中に潜む敵意。

これは幼少期の愛する人との関係に大きく影響しています。

 

アナタが愛する人、両親との関係。

それがアナタの今の人との関わりの基盤となっています。

 

幼少期、子どもは親を常に求め、愛しています。

身体と心、全部で求めます。

 

その時に、両親からの反応が

鬱陶しいという嫌悪

関わりたくないという無視

面倒臭いという拒絶

うるさいという拒否

親を優先しろという圧力

が返ってくると、

 

子どもは

親を求める気持ちを諦めるか、

親がそうするのは自分に問題があるからだと必死に愛されようとするか、で

現実の辛さに対応しようとします。

 

愛を求めて止まないほど自分も親を愛しているからです。

 

愛する人から愛されない現実や、拒否や否定を受け入れることができない。

けれど、自分は愛している。

その矛盾に対応できない時、生きるために子どもは愛してくれない親への怒りや憎しみを抑え込むことで親を好きでいようとします。

 

なので、子どもの心の中に

怒り

憎しみ

恨み

という敵意を押し殺して、生きるために愛情だと思い込んだ「愛情という名の敵意」が存在するんです。

 

<このままだとどうなるか>

確かにある敵意を抑え込んで、親を好きでい続けようとすると、

 

人が怖くなる

人が信じられなくなる

人が嫌いになる

ということが起こります。

 

 

アナタが大切な人から向けられていた感情が、愛情ではなく敵意であったのなら、

アナタが大切な人に向ける愛情にも、敵意が潜んでいます。

 

 

だって、アナタにとってその敵意こそが愛情だから。

 

このままでは、当然アナタの人間関係は上手くいかないどころか、大切な人こそ失っていくことになってしまいます。

 

アナタの育った家庭には、愛情という名の敵意が溢れていませんでしたか?

アナタは大切な人から、愛情という仮面を被った理不尽な意地悪に晒されていませんでしたか?

 

アナタが敵意を愛情だと信じ込んで生きてきたのなら、

アナタは人を愛する時に愛する相手にこそ、敵意を向けていくようになります。

 

さて、これはいかがなものか!?

今日は長くなりましたゆえ、続きはまた次回とさせていただきまする!!!

 

 

 

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<福岡講座、いよいよ開催です!>

リトリーブサイコセラピー福岡基礎コース

してあげるのは楽しい。してもらうと嬉しい。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

幼稚園の砂場では、子ども達が色々なものを作っています。

カップに砂を詰めて、アイスやごはん、ケーキや飲み物、もうちょっとした工場並みの生産量です。

そして、出来たものを次から次に持ってきてくれます。

たべて!

おいしい?

つぎはなにがいい?

本当に、現実世界ではありえないほどのカロリーを摂取する毎日であります。

 

これが実際の世界だったらどうでしょうか。

例えばアナタが、ダイスキな友達にお菓子をプレゼントします。

それを受け取ってくれて、喜んでくれた顔が見れたら楽しい気持ちになりますよね。

そして、その友達から今度はお茶をもらったりします。

それを受け取って、優しさにあったかくなって嬉しい気持ちになる。

 

けれど、ずっとアナタが

お菓子を渡し続けるだけでも、

お菓子を受け取り続けるだけでも、

人間関係は上手くいかないんです。

 

今日は人間関係に詰まる原因、

「してあげるのは楽しい。してもらうのは嬉しい。」

というテーマで書いていきます。

 

 

人間関係って、相互関係です。

そして、人は自分だけで自分の存在を確認することはできません。

 

子どもは常にお母さんに確認します。

お母さん、わたしのこと好き?

お母さん、わたしのこと大事?

お母さんにとって、わたしはどんな存在?

そうやって、自分の存在を確認していきます。

 

自分の中にお母さんの存在がある。

お母さんの中に自分の存在がある。

そのことを感覚で感じられる。

 

その相互関係を通じて、相手の存在を通して、

人は自分という存在を確認していきます。

なので、人が自分ひとりで生きていくことはできないんです。

 

けれどそれは、相手なしでは生きていけないという依存とは違います。

自分という存在の意志はとても大事です。

その意志を持つためには、自分で自分の存在をまず感じることが先なんです。

わたし達が自分の存在を感じるためには、相手という存在が必要なんです。

 

なので人間関係も、自分という存在の意志を持ちながら、

自分の中に相手の存在を感じられるか。

相手の中に自分の存在を感じられるか。

この両方を感じることができて、人間関係は回ります。

 

自分がお菓子をプレゼントした時に、

相手が受け取ってくれなかったらどうでしょうか?

ずっと一方的に自分ばかりが贈りっぱなしだったらどうでしょうか?

相手が自分の想いを受け取ってくれていると感じられませんよね。

相手の中に、自分の存在があるのだと感じることができませんよね。

 

自分がお菓子をもう食べられないと断った時に、

相手が次から次にお菓子を持ってきたらどうでしょうか?

自分のキライなお菓子だったらどうでしょうか?

相手が自分の気持ち尊重してくれていると感じられませんよね。

自分の中に、相手の存在を受け入れていこうと感じることができませんよね。

 

人は本来、

愛する人に何かすることは楽しい。

愛する人に何かをしてもらうことは嬉しい。

という両方の気持ちを持っているのだと思います。

 

それが、

相手にお菓子をずっと持っていかないと不安。

相手が好みのお菓子を持ってこないと不満。

という

自分の気持ちだけを押し付ける関係。

自分の気持ちだけを大切にしてほしい関係。

という一方通行になった時に、人間関係はお互いにとって心地よいものではなくなってきます。

 

今、アナタが心地よい人間関係を築けていないと感じるのであれば、自分がどちらか片方だけのコミュニケーションを相手に対してしていないかを見つめてみることをおススメします。

 

そして、頭では分かっているのに自分がいつもそのパターンて人と繋がってしまうのはナゼか?

 

解決法も踏まえて、続きはメルマガにてお伝えしたいと思います!!!

それでは、本日は博多一本締めです。

(つまり、これでおしまいということですね。分かりづらい!)

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<福岡講座再び>

約5年ぶりに福岡での開催となる、基礎講座。

ひとりではできないことが、人のチカラを借りてできることもある。

アナタがアナタの人生をいきていくための講座です。

リトリーブサイコセラピー福岡基礎コース

紡いで生きる

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

幼稚園の子どもたちなんですが。

字に興味を持つと、自分の想いを手紙にして伝えようとします。

自分の想いを伝えたい。

そのひとつの手段として文字を知った時、まあ、ハマりますよね(笑)

鬼のように、

せんせい、「あ」はどう書くとー?

せんせい、「てんてん」てなにー?

という「この字どう書くと攻撃」の沼にたまにハマります。

 

「せんせい、『お』はどう書くん?」

と聞かれたので一緒に書いたあと、自分で書き直して

「せんせい、おてがみあげる!」

と持って来てくれました。

 

手紙を開くと中には

「おしっこ」

と書いてあり、本人は大爆笑。。。

ホントにこの時期はなんでこんなにおしっこやらうんちやらで笑えるんでしょうか!

 

ったくもう!と笑っておりますと、

「せんせい、『だ』はどう書くん?」

と即座にまた次の攻撃。

 

一緒に書いたものの、

おいおい、ビックベン(だいべん、漢字自粛。)とか書いて持ってくる気ではなかろうな!

と思っていた数分後、

 

「せんせい、おてがみあげる♡」

 

キタ。。。。。

なんか絵も描いてたし、ビックベンだらけの手紙をそんな笑顔で持って来たのではあるまいなキミは!!!

とちょっと恐怖で中を開くと。。。

 

「だいすき♡」

 

。。。。。

ぬぅ!!!!!!

かわいいぢゃないかー!!!

かわいすぎるぢゃないかー!!!

先生、ひねくれた大人でごめんよー!!!

 

どう書くと攻撃を一緒に書きながら、溢れる子どもたちの想いにきゅん♡とした時間でした。

 

 

「きゅん♡」で人と繋がり、関係を育てていけることはとても素敵なことだと思います。

 

けれどそればかりではなく、人生には時に人との繋がりの中で胸が締めつけられるほどの経験をすることがあります。

 

今までの自分が崩れ落ちるような、自分が大切に大事にしていたものを失ってしまった時です。

 

その失った瞬間に、自分の人生はこれで終わったのではないかというくらいアナタ自身が揺らいでしまったのだとしたら。

 

それはアナタの「あること」が関係しているかもしれません。

 

その「あること」について今日は書いてみます。

 

そしてそのあることに気がついた後に、やる事こそが「紡ぎ直し」なのだと思うんです。

 

「紡いで生きる」とはどういうことか、わたしなりに想ったこと、感じたことを書いていきます。

 

 

 

自分の大切なものを失う。

それは単に人との別れだけに留まるワケではありません。

 

 

自分が大切にしている

関係

仕事

健康

信念

これらを失うことも、アナタの心と身体に莫大な痛みを与えます。

 

 

その時にただただその悲しみや苦しみや怒りや恨みや痛みに耐えるしかないのだとしたら、人は喪失体験を経験すると限界と崩壊を迎えてしまうと思います。

 

どうしてこんな事に。。。

こんなはずじゃなかったのに。。。

なんでこんな目に合うんだろう。。。

そうやってやり場のない想いに圧倒されながら、仕方がないと自分に言い聞かせている時、アナタは失った大切なものから問われています。

 

アナタは今のままでいいですか?

アナタの人生はそれでいいですか?

アナタは自分とどう繋がっていますか?

アナタの人とどう繋がっていますか?

失った大切なものからそう問われています。

そして、「改めて自分と向き合うこと」が大切なものを失った意味なんじゃないかなぁとわたしは思います。

 

 

そして失った痛みは、時と共に薄れていくものでも、慣れていくものでも、諦めるものでも、乗り越えるものでもないと思うんです。

 

感じる様々な感情を、自分が感じて受け止めること。

これができるかどうかが、喪失体験の意味を変えます。

けれど、人はこれこそ避けたいんです。

ここで感じる痛みが辛すぎるから逃れたい。

 

それは幼少期に、アナタが大切な人とどのような愛着関係を結んできたか、に深く関係しています。

 

アナタの大切な人から受け取ってきた愛情が

無条件の愛情だったか。

条件必須の愛情だったか。

アナタそのままを受け入れてくれた関係だったか。

相手に都合の悪いものを拒絶された関係だったか。

 

そこでアナタの自己肯定感の育み方が変わります。

 

アナタがアナタである安心感。

アナタがアナタでいい安全感。

この感覚がないと、大切なものを失い自分と大切なものとの絆が崩壊したと感じた時、アナタ自身が崩れ落ちてしまうんです。

 

やっぱりわたしには無理なんだ。

だからわたしは価値がないんだ。

どうせわたしはダメなんだ。

この崩壊は、今までアナタが頼りない自分の土台の上に築き上げてきた

自信

自己

安心

というメッキが崩壊して、

不安定な自信

不確実な自己

不誠実な安心

という本来の自分の不安と恐怖が出てきたからです。

 

大事なものを失った時に出てくるアナタの不安と恐怖こそ、アナタが幼少期に大切な人と築いてきた愛着関係そのものなんです。

 

だから失った痛みは、消してリセットして無くしてしまえばいいものではないんです。

 

失ったからこそ、その痛みを自分が感じ、自分と向き合い、自分が受け入れることが大事です。

 

そして、今までの自分の自分自身との繋がり方や、人との繋がり方をもう一度繋ぎ直すことが大切なものを失ったことの本当の意味ではないかとわたしは思います。

 

わたしも、大切な存在を失った時

自分の存在意義や

生きることの意味を

失いました。

 

どうしてこんな事になったんだろう。

わたしが何か悪いことをしたんだろうか。

生きていたっていい事なんて何もない。

その自分への不信感や不安定さは、そのままわたしの両親との繋がり方でもありました。

 

失うことは、自分が「生きる」ということと向き合う機会であるように思います。

 

失った大切な存在。

それがアナタにあったことは確かです。

失ったけれど、それは確かにあったんです。

 

大切な存在を失ったことで

自分を尊重されたことに気がつくかもしれません。

自分が愛されたことに気がつくかもしれません。

紡いで生きることの意味を知るかもしれません。

どれも、アナタだけが感じることができる安心感の土台になります。

 

そして。

失って、生きるということに向き合った後、それで終わりではないのだと思います。

 

向き合い、気づいたあと、

アナタが自分とも、人とも、繋がり方を紡ぎ直すことが「生きる」ことから「生きていく」希望へと変わっていくことに繋がるのだと思います。

 

出会いが痛みや苦しみとなったことの意味を、その存在との関係を通して向き合った時、アナタの中で失った大切な存在との絆を紡ぐことができます。

 

きっと見守ってくれているという安心感

離れても側にいてくれるという安心感

その存在から学んだ自分の在り方を、向き合い受け止めていくことは、アナタが新たな関係を紡いでいく時の希望になります。

 

失った大切な存在との間で築き直した愛着の絆は、アナタの「これから紡いでいく大切な存在」との間で育み直され、生きていく強い土台になります。

 

それが現実を生きていくということなのではないかと思います。

 

自分の土台。

自分の今の繋がり。

自分のこれからの人生。

アナタはどう生きていきたいですか?

 

 

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<福岡講座が帰ってきた!!!>

ここ数年は、東京、大阪でしか行われていなかったリトリーブサイコセラピーの基礎コース。

なんと!

いよいよ!!

ようやっっっと!!!

福岡講座の開催が決定しました!

これを逃すと、次はまだ未定ですぜ、ダンナ!

↑誰なんだ。。。

気になる方は、お早めのチェックを!!!

リトリーブサイコセラピー福岡基礎コース

 

 

人が怖い人こそ支配者を求める

いよいよ4月となりましたね。

 

毎年、桜を見るとポップなコーンを想像していたわたしなんですが。。。

 

今年は、

大事な人を思い出したり

大事な思い出を噛みしめたり

大事な人や思い出が、心の中にあることをふと実感したりする桜です。

 

そんな桜が咲き誇る中、園を卒園した子が、桜の下での記念撮影をするために、ランドセルを背負った姿を見せに来てくれ、

新たな出会い

新たな挑戦

新たな変化を

目頭を熱くしながら応援する4月です。

 

新たな環境になった時に、

頑張ろう!と思う人は多いですよね。

 

〇〇デビュー!なんてよく言われるのも、新しい自分への憧れがあるからではないでしょうか。

 

けれど、そんな新しい自分への期待と希望をするりとやってのける人と、挫折する人。

 

新しい自分への勇気と覚悟は確かにあるでしょうが、どうして新しい環境を楽しむ人と苦痛になる人がいるのでしょうか?

 

新しい環境が苦痛

新しい人付き合いが億劫

新しい場所に慣れるまで不安

新たな挑戦に尻込みする

そんな今までと違うことに怖さを感じてしまう時、

アナタは同時に人への怖さも感じていませんか?

 

上手くやれるだろうか?

嫌な人はいないだろうか?

誰も話してくれなかったらどうしよう。

嫌われたらどうしよう。

新しい環境に、そんな不安がピッタリとくっついていると、いつも緊張してそれは楽しめませんよね。

 

今日はそんな新しい環境に出会った時にぴったりとくっついてくる不安の心理、

「人が怖い人こそ支配者を求める。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

この

人が怖い

という感覚は、感じたことがある人は多いと思います。

 

そしてこの感覚は、今現在のアナタの感じている感覚と言うよりは、

過去でアナタが経験した感覚を使った防衛

であることがほとんどです。

 

アナタの過去に、

自分という存在が相手の意にそぐわなかった時に、

無視

拒絶

否定

という対応をされ、自分の存在を失くすことで適応する。

 

自分の思うようにすることは、自分が捨てられるほどの怖さを経験することになります。

 

そして、それが幼ければ幼いほど、その理由を理解することはできません。

 

その過去の経験を、自分を守るためのやり方として定着させると、

人は自分を思い通りにしようとする

人は自分を傷つけてくる

人は自分の中に侵入してくる

という感覚を持つようになります。

 

これがアナタが人間関係を安心できない、人が怖いと感じてしまう正体です。

 

 

<このままだとどうなるか>

そしてその、人が怖いという過去の経験を今もずっと感じ続けています。

 

イヤな過去ならば、もう違う方法を取ればいいのにまだ続けている時、アナタが実はその生き方をまだ選んでいるということでもあるんです。

 

人は怖い。

そういうことにしておけば、

自分から近づかず傷つかなくていい

上手くいかなくても相手のせいにできる

今でも親とだけ繋がっていられる

そんなアナタにとって本当はラクな状況を保てたりします。

 

だからアナタはずっとずっと人が怖い。

人が怖い自分でいたいんです。

 

人が怖い自分でいたいから、アナタが出会う人はみんな怖い人でなければいけません。

 

アナタを怖さで支配してくれる人を、イヤだと言いながら、アナタはずっと呼び続け、求めつづけているんです。

 

<解決に向けて>

人が怖いから避けていると、ラクではありますがアナタ自身は孤独感ばかりが膨らんでいきます。

 

それは自ら人との関わりを断つのですから、ひとりぼっちで寂しくなるのも当然です。

 

自分から関わって傷つくのはイヤ。

だけど孤独で寂しいのもイヤ。

 

この2つの相反する気持ちの間で、あなたはずっと疲れているから常に不安なんです。

 

そして、イヤの気持ちを避け続けるだけではアナタの不安は解決しません。

 

アナタがイヤと言いつつも、本当に避けているものがある限り、アナタの心は不安なままです。

 

自分から自分を捨てて、誰かに安心をもらおうとしても、近くに寄ってくるのはアナタを利用する人ばかりです。

 

アナタはずっと、

人を怖いことにしておきたいですか???

自分の人生を恐怖に支配されたいですか???

 

 

 

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怖いなんて言えない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、地震がありましたね。

リアルタイムで揺れを感じたり、ニュースを見て不安になったり。。。

そして、何かを思い出して怖くなったり。

人にはそういう瞬間的な反応があります。

 

 

そして、怖さを感じたその瞬間。

怖さから逃げる。

怖さから隠れる。

怖さを避ける。

怖さに固まる。

怖さを感じないようにする。

反応はそれぞれあると思いますが、人は恐怖を感じることから何とか逃げたいものです。

 

怖い!

けれど、その怖さを何とかしようとしても、どうしていいか分からない。。。

それがまた怖い。

逃げるためには、怖いなんて感じてられない!

怖いなんて言ってられない!

だけど、その怖さは感じないようにしても消えるものではありません。

そして、今のこの瞬間の怖さを感じないことがアナタを本当の恐怖から守っているのかもしれません。

 

今日はそんな、怖さを何としても感じたくない心理、

「怖いなんて言えない!」

というテーマで書いていきます。

 

 

<本当の問題は何か>

怖いと思ってしまったら。

怖いと実感してしまったら。

アナタには、もっと怖いことが待っているのだとしたら、それは何が何でも怖さを感じるワケにはいきませんよね。

 

本当は怖いのだと感じてしまったら。。。

もう自分は頑張れなくなってしまう。

これ以上、頑張ることができなくなってしまう。

 

アナタが怖さから逃れ、生きることを懸命に頑張ったのは、大切な誰かを助け、その大切な人を守り、癒すためではなかったですか?

 

そしてそれができない、叶わない。

その事実を目の当たりにしていまうと、アナタは生きていることそのものに意味を失ってしまう。

 

だからこそ、アナタは必死に自分の怖さに目を向けず、生きるために自分の本当の気持ちを消そうと頑張ってきたのではないでしょうか。

 

<このままだとどうなるか>

だけど、どれだけ怖さと戦って誰かを守り、感じないようにして自分を奮い立たせてみても、本当はアナタだって怖いんです。

 

自分だって甘えたい。

自分だって助けてほしい。

自分だって愛されたい。

 

だけど、怖いと言って自分の一方的な献身の現実を見ると、辛すぎて、耐えられなさすぎて、自分があまりにも悲しくて、壊れそうで直視できなかったんです。

 

アナタはその大事な人のために、親のために、120%の愛情と献身を注いできた。

だけどアナタの本当の気持ちや欲求は200%で無視されてきたんです。

 

その関係は、一方通行です。

利用され、所有されることはあったとしても、アナタが求めている愛情は来ません。

 

<解決に向けて>

それには、アナタがひとりじゃないこと。

アナタの心と身体がひとりぼっちを感じていないことが大事なんです。

 

 

自分はひとりぼっちじゃない。

自分のことを、助けてくれる人はいる。

自分のことを、自分だけで守らなくてもいい。

心の中でその自分を信じることができる人が、自分の怖さも弱さも認めて、受け入れることができます。

 

自分を大事にすることができます。

人への思いやりを持つことができます。

 

アナタの怖さ。

本当の気持ち。

アナタはどうしてあげたいですか?

 

血の繋がりという絆と鎖。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、ふと耳にしたドラマか何かで、

「異国で誰も助けてくれない時、そんなひとりぼっちはつらい。。。」的なことを言っていました。

それって確かにしんどすぎる状況だなぁと思いました。

そしてふと、幼少期からその感覚はわたしにもあったなぁーと感じたんです。

 

家族という異国の中で、

誰も助けてくれない。

周りに心が通える人がいない。

否定され、拒絶される感覚。

 

だけども、

生きていく上ではその環境に従わないといけない。

何とか適応しなければ、そこでは生きていけない。

そんな異国でひとりぼっちの感覚。

家族の中でひとりぼっちでいる感覚。

世界に味方がおらず、自分だけ取り残されている感覚というのを味わったり、肌で感じてきた人というのは多いのではないでしょうか。

 

家族という子どもにとっては血の繋がりのある、人間関係の根本に、

自分はひとりぼっち。。。という感覚。

そんな感覚に覚えがある方、実は多いのではないでしょうか。

 

 

アナタは、

  • 人が怖くて信じられない。
  • 特定の感情(怒り、悲しみ、恨み寂しさ)等を避ける。
  • いつも不安がある。
  • 両親や家族が重い。
  • 人との繋がりが分からない。
  • 人との関わり方が分からない。

ということはありませんか?

 

これ、そんなアナタの中にある

異国でひとりぼっちの感覚と関係しています。

 

今日はそんなアナタが家族の中で感じる孤独の心理、

「血の繋がりという絆と鎖。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

アナタは、

「家族じゃないか。」

「親子なんだから。」

その言葉を聞いてどう思いますか?

 

勇気をもらった人もいれば、重さを感じる人もいるのでないかと思います。

 

それはその血の繋がりに、

絆を感じるか。

鎖を感じるか。

の違いではないかと思います。

 

家族。

親子。

その繋がりは、血の繋がりです。

 

 

繋がりが、

受け入れ

温かい関心

共感

である場合は、安心を感じます。

これはアナタにとって絆になります。

血の繋がりが絆である場合、どんなに遠く離れていても、側にある温もりをいつも感じながら生きていくことができます。

 

しかし、

繋がりが、

無視

拒絶

否定

である場合は、恐怖でしかありません。

これはアナタにとって鎖になります。

血の繋がりが鎖である場合、どんなに近くに居ても安心できず、もっともっと安心させてほしいと相手に対する欲求が止まることがありません。

 

血の繋がりしか信じられないのは、世界に安心感がないからです。

 

世界は自分を受け入れてくれない。

世界は自分に厳しくツラいもの。

世界は自分を傷つけてくる。

アナタが世界をそう感じているから、拠り所として血の繋がりを握りしめたくなる。

 

けれど血の繋がりだけを握りしめている時、アナタが感じているのは家族への絆ではなく鎖です。

 

安心という絆ではなく、

役割

期待

要望

支配

依存

という鎖で繋がっているんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

臍の緒の命の繋がりで始まる母子関係。

日常という繋がりで始まる家族関係。

付き合いましょうと始まる恋人関係。

結婚しましょうと始まる夫婦関係。

繰り返されながら、戻りながら、それは血の繋がりだけではありません。

そしてもうひとつ。

何の確約もなく始まる関係もあります。

友人関係です。

もしかすると、ここにこそアナタの人間関係が凝縮されるのかもしれません。

血の繋がりもない。

約束も契約書もない。

いつ失うかも、壊れるかも分からない。

そんな保証のない中で、アナタがその人とどのように繋がっていくのか。

その人との関係をどのように育てていくのか。

 

アナタが自分の求めている繋がり方に気がつかなければ、アナタはずっと

誰かがアナタを助け出してくれて

誰かがアナタを守ってくれて

誰かがアナタを愛してくれる

その日まで、永遠にひとりぼっちのまま待ち続けることになります。

 

 

 

<解決に向けて>

もちろん、血の繋がりは濃いものです。

ひとりでない心強さや、一体感や仲間意識を感じながら生きていけるから。

 

けれど、それが全てとは限りません。

 

なぜなら人には心があるからです。

 

血の繋がりよりも、強くて深いもの。

それが心の繋がりです。

 

 

血の繋がりは濃い。

けれど、

心の繋がりは深い。

 

そして

それを体感した人は強い。

わたしはそう思います。

 

アナタはこれから先もひとりぼっちのまま、自分の繋がりを止めてしまいたいでしょうか?

叶わなかった血の繋がりの温もりを、もらえるまで待ち続けたいでしょうか?

アナタが求める繋がり。

それは

血の繋がりですか?

心の繋がりですか?

 

<福岡講座が帰ってきた!!!>

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どうしていいか分からない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、お店の中で、赤ちゃんがずっと泣いておりました。

恐らくですが、眠かったのではないかと思われます。保育士のカンですが。。。

 

それはもう、ぐずっておりました。

ぐずりまくっておりました。

そう。求めてたんです、お母さんを。

残念ながら、お母さんは食材探しに大忙しでなかなか赤ちゃんの欲求には応えられません。

 

買い物が終わったあとに、しっかり抱っこされて眠りについたことを願うばかりなり、でした。

 

赤ちゃんや子どもは、このように不快を感じると泣いたり怒ったりします。

 

そしてその時に母親からの拒絶を感じると、よりはっきりと不快感を感じます。

 

そこで怒られたりしたら、不快はMAXです。

 

拒絶の不快感を感じながらも、それでも自分ひとりではこの不快感をどうすることもできないので、やはり母親に何とかしてもらいたくて、愛情を求めます。

 

すると不快と愛情を求める相反する気持ちが同時に起こります。

 

このように相反する気持ちが起こると、人は葛藤します。

 

そんな時、どうしていいか分からず、身動きが取れなくなってしまうんです。

 

今日はそんな相反する気持ちの葛藤の心理、

「どうしていいか分からない。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

どうしていいか分からずに、

身動きが取れなかったり

、立ち尽くしてしまったり、

何も考えないようにしたり、

そこから逃げたり。。。

 

そのように不安に圧倒されるのは、アナタの中に愛着自己信頼感が育っていないからです。

 

自分には、

不安

不快感

恐怖心

をどうすることもできない。

 

自分には受け止めるチカラがないと思っているんです。

 

幼少期に、不快感を泣いても、叫んでも、怒っても、どうやっても受け止めてもらえなかったんです。

 

一緒に解決してもらえなかったんです。

 

助けてほしいのに、守ってほしいのに、

自分自身で自分を守らなければいけなかった。

けれど、自分をどう守っていいのか分からなかった。

自分には何も出来ない無力感。

その不安こそが、

「どうしていいか分からない。。。」という不快な葛藤を引き起こします。

 

幼少期から、不快感を感じながらも、助けてほしい人に守ってもらっていない不安。

 

そのことに不満を感じながらも、不満を表現することが許されず、不安も、不満も自分の中に閉じ込めたままになっているんです。

 

葛藤が起こるのは、今、アナタの心に不快感があるということです。

 

<このままだとどうなるか>

葛藤に立ち向かえないと、アナタはずっと葛藤という心の混乱の中に居続けることになります。

 

なので、不安や不快感な恐怖に対していつも身構えながら過ごしていかないけなくなります。

 

不安がいつまでも解決しないから、いつまでもずっと不安に囚われてしまうようになってしまいます。

 

自分には自分を守るチカラなんてないと思い知らされているのに、自分で自分を守らないといけない不安と不満の世界に、ひとりで取り残されてしまうことになるんです。

 

<解決に向けて>

まずは、アナタが自分だけで自分のことを守ろうとしないことです。

 

欲しいって言えない。

助けてって求められない。

安心させてって伝えられない。

だからずっとアナタは不安だったんです。

 

求めてしまうと、

失うかもしれない。

そう信じて、自分を抑えてきたのかもしれません。

 

けれど、それで今アナタは幸せでしょうか?

 

失わないようにひとりで踏ん張って、何とか手に入れようとした安心は感じられているでしょうか?

 

アナタはもうとっくに失ってはいませんか?

 

失ったままの自分でいいですか?