外では天使、家では悪魔。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

昨日のブログ、

外面のいい人。

 

 

本当の自分を分かっていないと、人は外面がよく、家では暴君ということになりがちです。

 

本来、関係性の深くない人より、親しい関係性の方を大切にするものです。

 

家族が熱を出したら、ご飯や身の回り、治るまで看病します。けれど知り合いが熱を出しても、付きっきりでは看病しませんよね。

 

関係性が深く、大切な方を大事にします。

 

けれど、外面がいい人はこれが反対になります。

 

遠い人にほど優しく、近い人にほど攻撃的になります。

 

心の中が不安と恐怖でいっぱいだからです。

 

ここに居ていいのか自分の存在が不安

どこに居ても周りの存在が敵だらけで恐怖

自分が受け入れられているか不安

周りからいつ攻撃されるか恐怖

いつもそんな不安と恐怖と共に生きているので、外の世界では常に緊張しています。

 

自分のダメな姿が出てこないように抑圧します。

 

いつも自分を犠牲にして、相手に迎合します。

 

その怒りや恨みや憎しみは相当なものですが、それもまたギュウギュウに押し込めて外面のいい人を演じていきます。

 

誰のことも信用していないからです。

 

そこでその押し込められ続けた

不安

恐怖

怒り

恨み

憎しみ

そんな諸々の感情は家族に向けられていきます。

 

この甘えを家族が満たしてくれない時、外面のいい人は暴君になるんです。

 

家族に自分を

分かってほしい

認めてほしい

褒めてほしい

この甘えを向けているんです。

 

家族がまた、依存的な人の集まりであった場合はこの甘えと甘えがぶつかり合うので、不満ばかりが家族に充満して優しさのカケラもなくなっていきます。

 

家族が不愉快な存在にしかならなくなります。

 

そして、当たり前に家族の姿がこうだと子どももその姿を学んでいきます。

 

わたし自身もその感覚がありました。

 

遠い人なら優しくできるけど、近い人ほど冷たくなる。

 

これって、

外の人に対する不安と恐怖と憎しみ

内の人に対する否定と怒りと甘え

なのだと思います。

 

これが続くと、人との関係は破綻します。

そしてまた次の人を求めて彷徨います。

 

不安を満たしてくれる

恐怖を埋めてくれる

誰かをずっと探し続けることになります。

 

そこから出るには、

まずは自分が傷ついていること

を知ることだと思います。

 

その自分をまず癒すことだと思います。

 

そして大事なのは癒したその先です。

 

傷ついたのは、自分の子ども時代です。

傷を癒した時、今の自分は子どものままで生きていきたいのか?を自分で決めないといけません。

 

だって、子どもとしては許される甘えは、大人の今に許されるものではないから。

 

わたし自身そうだったんですが、

傷に執着している時というのは、誰かに守ってもらうことを期待しています。

子どもでいる自分を手放したくなかったんだと思います。

けれど、それだと守ってもらえないと頑張れなくなるんです。

 

外面のよさは、子どもでいたい甘えです。

子どもでいる限り、守ってもらわないといけません。

 

それよりも、自分で自分を守る。

自分で自分を守ってガンバル。

それができる人が自分の大切なものを守って生きていけるのだとわたしは思います。

 

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外面のいい人。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

 

お盆休みも明けて、少し暑さも落ち着いてきてくれたかな?という福岡です。

 

園でも、子どもたちの声が帰ってきました。

 

お盆の間の色々な話を聞かせてくれました。

家庭での姿と、園での姿は当たり前に子どもは違います。

園では見せない家庭の姿を聞いて保育者が驚いたり、家庭では見られない子どもの姿に保護者が驚いたりは、あるあるの風景です。

 

しかし、それにも度が過ぎると驚きが困惑になりますよね。

 

一体、どっちがホントの姿なの?と言いたくなるのも分かります。

 

大人でも、

いつも笑顔で誰とでも仲がいい人。

誰にでも親切で優しい人。

礼儀正しくキチンとしている人。

 

 

これがいつでもどこでもそうであるなら、問題は起こりません。

 

問題になるのは、

外ではいい人なのに、家に帰ってくるとまるで人格が変わってしまう人。

なのではないでしょうか。

 

 

 

外ではいい顔をするけれど、家に帰ってくると暴君。

 

これ。

まさに、わたしの父親がそんなタイプでした。

 

家の一歩外では、

社会的な行動を取るいい人

面倒見のいい上司

気配りができる優しい人

そんな仮面をつけていましたが、家に帰るとまあ、ソッコーで人が変わります。

 

仕事から帰ってくる時に、玄関の電気がついていないと怒り出し、

仕事から帰ったタイミングでご飯が出されないと、怒鳴り散らして責め立てて、

自分が寝る時に物音が立とうものなら、大暴れして非難する。

というような非人道的な行動が日常茶飯事でした。

 

いつも父親の機嫌や顔色を伺って、黙って存在を消す。

そして、父親の苦労話に耳を傾けて労う。

父親が家に居る時は、それが当たり前だったので夜に父親の帰宅の合図である車の音がすると、玄関の電気のチェックをしていた健気なワタシ。(と自分をかわいくアピール。。。おい。)

 

なので、周りの人からどれだけ「いいお父さんで幸せだね。」と言われても、全く理解も納得もできなかったので、そんな父親をよく言う人たちに対しては、無表情無反応という抵抗をしていた幼少期なのでありました(笑)

 

なんとかわいげのない子どもであろうと思われようが、そこはどうしても譲れなかったようです。

 

この外面がいいというのは、周りの関係性がそう深くない人にとってはとても心地よい関係なのですが、家族や親しい間柄にいると、たいへん厄介です。

 

なぜそんなことが起こるのか?

そんな人とどう付き合っていくのか?

これは単なる二重人格とかいう問題ではないんです。

 

そしてこれをずっと見てきたわたしに、どんなことが起こったのか?

 

明日のブログにてお届けします!

 

 

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嫌われたくない!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

健康診断に行ってきました。

バリウムの恐怖に慄きまくって、心の中では駄々こねまくりで向かいました。

イヤダ。。。が顔からダダ漏れしていたのか、バリウム係のお姉さんが、

「イヤですよね、バリウム。憂鬱ですよね、待つ間って。」

と話しかけてくれました。

「そうなんですー。イヤなんですー。」

といい歳こいて泣きついたら、

「好きな方はいないですよ。」

と安心させてくれたかと思ったら、

「げっぷしちゃうと、コレ追加になっちゃいますからね♡下向いて飲み込んでくださいね♡」

と笑顔で地獄の追い討ちもくれたので、必死に下を向いて飲み込んでぐるぐる回ってきました。

終わった途端、存分に出しまくってやりました!

ええ、上からも下からも!

↑コラ!!!

 

げっぷやピー(自粛音)は出した方がスッキリするので、存分に出しますよね。

けれどこれが感情となると、やはり飲み込んでガマンする、という人は多いですよね。

そう。言いたいことを好きに出して、嫌われてしまうのが怖いから。

 

今回は、嫌われない人を続けていくうちにアナタが失い、支払っていく代償についての心理、

「嫌われたくない!」

というテーマで書いていきます。

 

 

アナタは人から嫌われたいですか?

そう聞かれてなかなかYESとは言えませんよね。

もちろん、嫌われるより好かれたいのは人としての本音です。

 

けれど、人から嫌われたくないためだけに、

周りのことばかりを優先する。

自分より相手を大事にする。

いつもニコニコ笑顔で優しくする。

イヤなことも自ら引き受ける。

これが続くと、自分がツラくなりますよね。

 

確かに人から嫌われないように相手を優先すると

感謝されたり、

重宝されたり、

役に立てる。。。

そんないいこと、ありますよね。

 

けれどその反面、

利用される

押しつけられる

大事にされない。。。

そんなイヤなこともありますよね。

 

何においても、全てがいいこと尽くしなこともなければ、全てが悪いこと尽くしなこともありません。

けれど、アナタがいつも嫌われないことの方を選んでしまうとするなら、そこにはアナタの怖さが眠っています。

 

嫌われたくないからと相手を優先するのは、アナタが自分の

そのままの感情

そのままの感覚

そのままの欲求

を出すことに自分がオッケーを出せていないんです。

そして、押さえて、出さずに、ガマンすることで

周りからの評価

誰かを助けられる

この場に居られる

などのいいことの成功体験をたくさんたくさん経験してきています。

 

だから、やめたくても自分を瞬時に消して嫌われない自分で人と関わることをやめられないんです。

むしろ、やめる方が怖い。

評価や居場所を失い、自分が何者でもなくなる怖さや、自分の価値の無さを感じてしまうのが怖いんです。

だから、自分がどれだけ苦しくても、相手優先でいることを選んでしまいます。

自分を失くして、

自分を分からなくさせて、

自分よりも相手を優先できるようにしているんです。

そうやって嫌われない自分を何とか作っていきます。

それほどまでに、

自分を感じて

自分を持って

自分を生きる

ということが怖いんです。

 

相手から嫌われないように自分を失くしていないと自分は生きられないと思っていることが、この問題を起こしているんです。

 

嫌われたくない、その思いから自分の全ての行動を決めてしまう。

 

この問題を持ち続けていくと、どうなってしまうのか?

続きは次回のブログにてお伝えします!!!

 

いつも忙しくする心理。

先日のブログ、

お母さんは大変なんだから!

忙しくから子どもとの時間が取れないのではなく、自分を忙しくしておくことで子どもと離れられる。

 

本心では子どもとの時間が苦痛。

なのに、それを大きな声では言えないから

仕事

ボランティア

実家の用事、介護

体調不良

お酒、ギャンブル

などに目を向けることで子どもと向き合うことを避けているんです。

 

 

子どもと向き合うと気がついてしまうから。。。

本当は

子どもを愛せない自分。

子どもに興味がない自分。

子どもが嫌いな自分。

そんな自分の本音にも向き合わなければいけなくなります。

 

 

そう思っている自分を受け入れることができていれば、まだ逃げずにいられるんですが、ここでいい母親でいようとする人ほど、この自分の本音を受け入れることができません。

 

自分は子どもを愛していると思っているし、

子どもを大切にしていると信じているからです。

 

いい母親でいながら、子どもとの時間を少しでも短くするために自分を忙しくしておかないといけないんです。

 

 

 

なので、子どもといる時間は笑顔で優しいお母さんでいないといけないので、子どもが言うことを聞いてあげたり、子どもが望むようになんでもしてあげようとします。

 

自分の本心を聞かずに、相手によく思われるために相手の言うことを聞くワケですから、どんどん不満やイライラ、怒りや恨みが溜まっていきます。

 

そうしてより一層、子どもとの時間が苦痛になっていくことになります。

だからその苦痛から逃げるために、アナタはもっと自分を忙しくしないといけなくなります。

 

そして逃げながら過ごせるのも、子どもがまだ母親を必要としている間です。

子どもが自分を持ちアナタから離れていく時、今度はアナタが子どもを追いかけるようになります。

 

いつも忙しくしながら感じたくないと避けていた感情に目を向けることが出来ないと、アナタは自分をどんどん偽りながら、待っているのは孤独な未来です。

 

そこまでして避けたかったのは一体何でしょうか?

 

わたしにも覚えがあります。

 

避けたいのは本当の自分。

逃げたいのは嫌いな自分。

自分が自分のことを1番嫌っている。

もちろん人のことも嫌いです。

 

嫌いになりたいワケじゃないのに、

自分のイヤなところ

自分の寂しい気持ち

いつもみじめな自分

ひとりぼっちの自分

そんな自分を受け止めきれないから、自分から逃げ出してしまう。

 

お母さんが子どもから逃げるのも、同じことだと思います。

 

子どもを愛せない時、それはお母さん自身が自分のことを愛せていない時なのだと思います。

 

どんな自分も自分だと思えない時、アナタはアナタを誤魔化して生きているのかもしれません。

 

 

 

 

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お母さんは大変なんだから!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

 

保育園や幼稚園におりますと、本当に色々な家庭の形を見せてもらう機会があります。

もちろん、仕事をしている保護者の方も少なくありません。

 

一括りに、仕事をしているから子どもとの時間が取れない、とは言えないのですが、仕事をして、子育てをして、家庭のことをして。。。というお母さんは、本当に毎日が忙しいだろうなあということは想像できます。

 

子どもと離れている間にもやることはたくさんあります。

 

ホッと一息つくことも叶わず、園へのお迎えに行き、そこから帰って家事が待っている。。。という生活は確かに大変です。

 

そんな忙しい時に、子どもが

まだ帰らない!まだ遊びたい!

歩きたくない!抱っこして!

お話聞いて!今聞いて!

という要求を次から次にされてイラついてしまう、なんて話もあるあるです。

 

 

 

 

そんな時、つい

忙しいんだから言うこと聞いて!

そんなに勝手ばっかり言うならもう知らない!

なんでそんなにワガママばっかり言って困らせるの!

と子どもに怒りをぶつけたり、

 

反対に

子どもの要求を全て聞いてずっと不機嫌でいたり、

子どもに付き合いその後の予定は全部後回しにしたり、

子どもを遊ばせながら自分はケータイで自分の世界に浸ったり、

と子どもが察して諦めてくれるのを待ったり、

 

どちらも、お母さんは大変なんだから!という気持ちを直接的、間接的の差はあれ、伝えようとしています。

 

そして、この「お母さんは大変なんだから!」という気持ちを強く持っている時、

子どもとの時間というのはなかなか取りづらいものです。

 

次から次にやることはあるし、身体がいくつあっても足りないくらい毎日が忙しい。

だから子どもの要求や甘えには応えられない。

罪悪感や申し訳なさも感じながら、日々に手一杯で子どもとの時間なんて取れない。

 

 

そんな時にひとつ、自分に聞いてみてほしいことがあります。

 

それは、

もしも今、何もやらないといけないことはなく、何も心配することもなく、自由に時間があったとしたら。。。

自分は、

子どもと一緒に過ごすだろうか?

子どもの話を聞こうと思うだろうか?

子どもが甘えてくるのを許せるだろうか?

 

この自分への質問の答えが、

子どもと一緒に過ごしたくない。

子どもの話なんて聞きたくない。

子どもが甘えてくるのを跳ね除けたい。

と感じるなら、

 

アナタは子どもとの時間を避けるために、

何か他に自分のやることを見つけたり、

何か自分を忙しくさせていたり、

何かで自分を紛らわせていたり、

自分を無意識に大変にさせている可能性があります。

 

忙しければ、子どもとの時間を取らないで済むから。。。

大変であれば、子どもと一緒に居なくて済むから。。。

 

忙しいから、大変だから一緒に過ごせないのではなく、

一緒に居ないでいいように次々に自分を忙しくさせて、大変にさせているのだとしたら。。。

 

そこには大変だから、忙しいからではなく、

子どもではなく、アナタ自身の問題が絡んでいます。

 

 

その自分を忙しくさせる心理については、また月曜日のブログでお届けします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分のことが分からない。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

自分のことがよく分からない。

自分のことを考えると頭が真っ白になる。

何が好きかよく分からない。

自分がどうしたいのかがない。

 

こういったお悩み、よく聞きます。

そして、よくよく聞いてみますと、

そもそも自分がどうしたいかなんて考えたことはなかったなぁ、と気がついて愕然とする方も多いんです。

 

それ、

自分のことが分からない!と言いながら、

自分を分からなくさせる理由があるんです。

 

自分のことが分からなくて困っているのに、実は自分で自分のことを分からなくさせている。

 

どうしてそんな事が起こるのでしょうか?

 

 

今日はそんな、自分で自分を分からなくさせる心理、

「自分のことが分からない。」

というテーマで書いていきます。

 

 

自分のことが分からない。

それはとても困りますよね。

自分で自分のことが決められないし、

自分を我慢させてしまうし、

自分のことを諦めてしまうし、

自分のこれからがいつも不安だし、

自分の存在を感じられないし、

分からないことにしておくなんて、どうしてだい自分!!となりませんか?

 

実は

自分で決めないことの方が、

自分が我慢することの方が、

自分を諦めることの方が、

自分を不安にさせることの方が、

自分の存在を感じないことの方が、

アナタにとって都合がいいからなんです。

 

どうしてその方が都合がいいのでしょうか?

それは。。。

自分を分からなくすることによって、自分の意志を失くすことができるからです。

自分の意志を失くすことで、

相手の

期待や

希望や

望みを

叶えることができるからです。

 

 

アナタはイヤだと感じながらも、本当は自分よりも相手を大事にしていた方が安心ではありませんか?

 

そうすることで、

束の間の安心や

いっときの平和や

傷つかない自分や

責められない自分や

ひとりにならない自分を

維持することができると信じているからです。

 

それだけ、不安や恐怖や孤独を感じることをとても怖がっているんです。

 

人は当然ながら、不快な状態を避けようとします。

 

自分を分からなくして優先しないことで、このイヤな状態を避けられているんです。

 

つまり、これって

アナタが自分で自分のことを大事にしないと決めているんですね。

 

どうしてこんなことが起こってしまうのか?

 

続きはまた明日のブログでお届けします。

 

 

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怖いに潜む心理。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

子どものうたで、

♪そうだったらいいのにな

という歌があります。

子どもって色々なことを、こうなるといいな♡自由に想像力します。

 

けれど、この想像力の世界と現実の世界がまだハッキリと区別されてもいません。

 

大人になると、想像と現実の世界の区別はつきます。

けれど、現実があまりにも厳しいと感じると現実逃避してしまうこともありますよね。

 

そこで、あいはぶあくえすちょん。

 

人が好きだと思っているアナタ。

世界は優しいと思っているアナタ。

どんなことにも希望はあると思っているアナタ。

 

それ、本当に思ってますか?

 

自分の信じている世界の中で、

こうである

ということと、

こうあってほしい

ということは別モノです。

 

アナタは、本当は

人はいい人であってほしい。

世界は優しくあってほしい。

希望は消えないでほしい。

という願望の世界で生きてはいませんか?

 

 

そして、本当は

人が怖い。

世界は敵だらけ。

人生に希望なんてない。

と本音では感じていませんか?

 

 

こうあってほしい、という切なる願いの中で生きるということは、アナタが自分の生きている世界そのものに希望がないと本当は感じているんです。

 

現実の世界があまりにもツラいから、こうだったらいいのにな、という現実から離れた世界で生きようとします。

 

傷ついた自分がこれ以上傷つかなくていいように、現実を生きることを避けるんです。

 

けれど、

どれだけレモンを甘いと信じ込んで食べても、すっぱいものはすっぱいんです。

すっぱいのに耐えきれず、砂糖を求めます。

 

砂糖さえあれば、口で本当に感じている悶絶すっぱいを緩和することができるから。

 

そして、もうレモンのすっぱさを味わわなくていいように、レモンを遠ざけるようになります。

 

レモンがすっぱいのは、砂糖が足らないからだよね。と自分を納得させながら、レモンがすっぱかった事実を見ないでいると、

アナタはレモンが怖くなるんです。

 

 

これ、人が相手でも同じことが起こります。

 

人に裏切られた。

人から怒られた。

人から拒絶された。

人から無視された。

人から意地悪された。

 

そんな時、

相手の本当の姿を見ていないと、相手を自分の理想的な人の枠にはめます。

相手を愛情豊かな人だと信じようとして相手の嫌な部分から目を背けて、いいところばかりを見ようとします。

そして、

自分の本当の気持ちを見ていないと、自分が嫌いになっていきます。

こんな目に遭うのは、自分の何かがいけないはずだと自分に原因を探します。

 

相手をいい人だと信じることで、

自分を嫌いになることで、

自分の本当の現実、「嫌われている事実」「拒絶されている自分」に直面しないで済むんです。

 

嫌われている事実に直面しない。

拒絶されている自分を直視しない。

そうすることでアナタの悲しみや寂しさを、避けることができます。

本当は孤独である自分に気がつかないことで、自分を守っているんです。

本当の事実に直面してしまうことが、何よりも怖いんです。

 

だから人は怖いことにしておいた方がいい。

 

人が怖いという心理に潜むのは、アナタの

「本当は人が嫌い」という本音です。

本当はアナタの方が人を嫌っています。

 

人が嫌いだからこそ、人が怖い方が都合がいいんです。

 

怖いことにしておけば、

嫌いに気がつかないでいられるから。

 

気がつかないうちは、寂しいながらも生きてはいけます。程よい距離を保ちながら、人と付き合っていくこともできます。

けれど、大切にしたい人ができた時に大問題が起こります。

人が嫌いなのに、好きな人ができてしまったら、当然ながら心に矛盾が起こります。

 

本当は人が嫌いな自分を受け入れられないでいると、その大切な人に対して人が嫌いな自分を隠そうとします。

 

自分の本当の姿がバレないように、

好きな気持ちを消そうとしたり、

人を好きになる自分を嫌ったり、

必要以上に好きを伝えに行ったり、

どんどん自分の真実から離れて行こうとします。

 

さて、この本音を放置したままだとどうなってしまうのか?

長くなりましたゆえ、こちらの続きはメルマガにて書いていきますね。

 

 

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気持ちの交差点。

先日、崖の上のポニョを見まして。

ワタクシ、大好きなお話なんです。

「ポニョ、そーすけ好き♡」

この素直な想いを感じること、伝えることって、大事だなぁ、なんて思います。

 

けれど、この「好き」という気持ち。

感じ方や伝え方はそれぞれですよね。

直接的に好きを伝える。

間接的に好きを伝える。

どちらもアナタの大切な人への大事な気持ちであることに変わりはありません。

 

けれど、その好きが交錯する時があります。

例えば、

 

①「ねぇ、好きだよ。」

②「うん。」

①「好きだよ?」

②「うん。分かったよ。」

①「だから、好きだよってば!」

②「うん、分かったよってば!」

これ。

想いの交差点です。

 

直接的に伝える人と、間接的に伝える人とでは、時にこういうことが起こります。

根底の気持ちは同じでも、その表現方法が違うので、それぞれの気持ちが一方通行のように感じてしまうんです。

 

今日はそんな自分の気持ちと相手の気持ちの行き詰まってしまう交差点、

 

「気持ちの交差点。」

というテーマで書いていきます。

 

自分の気持ち。

相手の気持ち。

相手の想い。

自分の想い。

気持ちの交差点。

 

ここで渋滞や事故が起こって、人間関係が破綻してしまうことも少なくありません。

 

人はひとりだけで生きていないからこそ、

自分の気持ち

相手の気持ち

のどちらも大切なんです。

 

 

どうしてわたしの好きな気持ちを分かってくれないの?

好きだから好きだって言ってるのに、どうして流すの?

自分の好きが相手にずっと届かないような虚しい気持ち。

 

これは①の人に多いかもしれません。

アナタは幼少期、

お母さん、こっち見て。

お母さん、わたしここにいるよ。

お母さん、わたしを好きになって。

そんな思いで、お母さんの背中を見ていませんでしたか?

 

どれだけ願っても、その背中が振り向くことがないと自分のその欲求を感じることを諦めることで自分を見てもらえていない現実に対応していきます。

けれど、その背中がたまに振り向いてくれたり、相手の都合のいい時だけ構ってくれたりすると、その僅かな振り向きを、「自分のことを必要としてくれている。」と受け取ります。

 

すると、いつかはまた振り向いてくれるかもしれないと自分の気持ちを伝え続けることで、関係を保つようになります。

 

相手の反応はお構いなしです。

だって自分が行くことをやめたら、もう関係は終わると思っているから。

それが何より怖いんです。

 

 

 

 

好きな気持ちを受け取ってるのに、それが伝わらないの?

なんでそんなに好きって何回も言うの?

相手の好きを相手と同じくらい返さないといけないような重い気持ち。

 

これは②の人に多いかもしれません。

アナタは幼少期、

お母さん、ちゃんとやったよ。

お母さん、わたしが守るね。

お母さん、大丈夫?

そんな想いで、お母さんをずっと助けていませんでしたか?

 

どれだけ助けても、幸せそうにならないお母さんを見続けると子どもは自分だけが幸せになることに申し訳なさを感じていきます。

自分を大事にされることに罪悪感を感じて「もらった分は同じだけかそれ以上に相手に返さないといけない。」と思うようになります。

だから自分からは行かずに、相手から何ももらわないことで関係を保つようになります。

 

自分の気持ちは何をやっても届かない。

自分から求めたり動いたりしたら、関係が終わってしまうから求めたり動くことを諦める。

だって、お母さんより自分の方が幸せであってはいけないから。

自分だけ幸せになった時点で、大切な人は自分を拒絶すると思っているから。

それが怖いんです。

 

 

けれど、怖いからと言ってこれを大人になってもずっと続けると相手は困惑しますよね。

怖いから。という恐怖から逃れるために人と繋がっていくと、この交差点に必ず引っかかってしまいます。

 

けれど、この怖さを避けて押さえつけても、アナタの中の恐怖はより強く深くなるばかりなんです。

 

アナタが不安からでなく安心で人と繋がりたいのなら、まずは

自分の現実に直面すること。

自分の本当の気持ちに直面すること。

自分自身と繋がること。

 

悲しい現実を避け続けてきたから、避けきれなくなって交差点で事故を起こしているんです。

 

悲しい現実に直面した時、

アナタはどう生きていきたいですか?

 

このまま、自分の現実から逃げて生きていきたいですか?

 

 

 

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愛情という名の敵意。その本質。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先週の「愛情という名の敵意」のとぅーびーこんてぃにゅーです。

愛情という名の敵意。

 

子ども時代に、求めても返ってこなかった愛情。

そこに悲しみや憎しみは生まれます。

けれど、憎しみながら愛することは難しいので、子どもは憎しみを抑圧して、愛されている自分を信じ込もうとします。

愛情という名の敵意。

アナタの人間関係がそうなっていたとしたら?

その解決法について今回はお話していきます。

今日は、

「愛情という名の敵意。その本質。」

というテーマで書いていきます。

 

 

敵意がアナタにとって人との関わりになっていくと、アナタの人間関係は、

人と気持ちを通わせるのが怖い。

人と繋がることに嫌悪感を持つ。

自分という存在が分からない。

相手は自分を攻撃してくると感じる。

相手が自分の為に何かしてくれると申し訳なく感じる。

 

敵意を愛情だと受け取らないと生きていけなければ、アナタの自分で築いていく人間関係は破綻します。

 

敵意を愛情だと受け取るということは、

本当のアナタを分かろうとすることなく、本当のアナタであることを拒絶した人を大切にするということです。

本当のアナタを分かろうとするような人を拒否したり、攻撃したり、無視するということです。

本当のアナタ自身を感じ、出すことに対して罪悪感を感じて自分をなくしていくことを選ぶということです。

本当のアナタを認めてくれ、受け入れてくれようとする人にこそ、アナタ自身が敵意を向けていくということです。

 

それは、アナタが本当の自分を出した時に向けられてきた拒絶、拒否、無視を、自分に向けられた愛情だと信じて生きてきたからです。

 

その敵意に満ちたアナタへの気持ちを愛情だと理解して受け取らなければ、アナタは生きることができなかったからです。

 

けれど敵意をぶつけられたのは、アナタの責任ではありません。

 

アナタがアナタ自身であることに嫉妬や憎しみや怒りをその人がぶつけてきたのは、ぶつけてきた相手が自分を出すことをガマンし、抑圧して生きてきたからです。

 

自分が自分で居られなかった恨みを、ぶつける相手はアナタではないのに、アナタにぶつけることで気晴らしをした。

そして悲しいことに、それはアナタにとってとても大切な人だったんです。

 

だからアナタが大切にするのは、本当の愛情をくれる人ではなく、アナタに敵意を向ける人だったんです。

 

その、「敵意を向けてくる人」をアナタは今も大切にし続けているんです。

相手からの敵意に対してアナタが拒否できないのはなら、アナタは自分を大切にしてくれる人を拒否しているということです。

 

自分の中にある

欲求

要求

本音

に対する抑圧を強めることで、自分に向けられている敵意に対応して、愛情に変換して今いる場所に順応しようとするんです。

 

けれど、アナタが本当に求めているのは敵意ではなく愛情だったんです。

 

その気持ちが消えてなくなることはありません。

 

愛情と敵意は相反するもので、一緒に感じることはできません。

だから無理に「敵意ではなく愛情なんだ。」と自分に思い込ませることで生きてきたんです。

 

だけどこのまま、敵意を愛情だと思い込んで生きていくと、人間関係は崩壊して、自分の存在の責任を請け負ってくれる誰かをアナタは求め続けることになります。

そして、本当に愛してくれる人が例え現れたとしても、アナタは自らその存在を突き放していきます。

 

アナタはこのまま、気がつかないでいいですか?

 

とてもツラいけれど、

わたしが親からもらっていたものは

愛情ではなく利用だった。

愛情ではなく支配だった。

愛情ではなく依存だった。

愛情ではなく意地悪だった。

愛情ではなく憎しみだった。

愛情ではなく恨みだった。

愛情ではなく怒りだった。

わたしに向けられていたのは、愛情ではなく敵意だった。

 

この事実を知りたくなかったんです。

 

これを感じることが、アナタはツラくて苦しくてたまらなかったから、イヤだったけれど向けられた敵意を愛情として無理に変換したんです。

敵意を愛情と信じていれば、イヤだけど大切な人との繋がりを断ち切られてしまうことはなかったから。

偽りだと分かりながらも、信じることで自分を守ってきたんです。

 

今までアナタはその拒絶が、敵意が、いつの日か振り向いてくれるとずっと頑張ってきましたよね?

その苦しい頑張りを、アナタはまだこれから先も続けていきたいですか?

アナタに向けられてきた愛情という名の敵意を、これからも受け入れたまま、誰かからの愛情を求め続けながら本当の愛情を壊し続けたいですか?

 

 

 

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愛情という名の敵意。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、友達とドラマ「大奥」の話をしておりました。

どのシリーズが好きか?についても熱く語っておったのですが、振り返るとどれも面白いシリーズですよね。

 

華の乱もそうですが、最終章や菅野ちゃんの(調べなはれ、タイトル!)も面白かったなーと改めてその魅力を思い出しておりました。

 

その当時、わたしは大奥を見終わると本当に気分が沈んでおりました。

あぁ、この時代にいきていなくて本当にヨカッタ。。。と思いながらお風呂で気持ちを沈めたりしたのもいい思い出。

 

けれど、次週になるとやっぱり見ちゃう(笑)

それは、大奥が人間の愛憎劇や人間模様を映し出してくれていたからかもしれません。

 

愛情の中に潜む憎しみ。

憎しみの中の隠れた愛。

そのドロドロにお腹いっぱいになりながらも、ついおかわりをしてしまうのは、わたし達の中にもドロドロの愛憎があるからかもしれません。

 

 

アナタにも、

親しい人から急に無視された。

親しい人が急にイヤになった。

好意的だった人の態度が冷たくなった。

好意を持っていた人への気持ちが急に冷めた。

相手の意にそぐわないと攻撃された。

自分の気持ちに共感してくれない相手を責める。

そんな経験はないでしょうか?

 

そこにはもちろんアナタの中に嫌われることへの恐怖があります。

 

そして、アナタ自身が抱いていた相手への気持ちの中に愛情だけではなく、アナタが意識していなかった怒りや憎しみや恨み、そんな敵意が混じっているからかもしれません。

 

その敵意が自分で意識できていないと、アナタは人間関係を自ら壊していくことになります。

 

今日はそんなアナタが愛情だと信じていた想いの中にある無意識の怒りや憎しみの心理、

「愛情という名の敵意」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

アナタの信じている愛情の中に潜む敵意。

これは幼少期の愛する人との関係に大きく影響しています。

 

アナタが愛する人、両親との関係。

それがアナタの今の人との関わりの基盤となっています。

 

幼少期、子どもは親を常に求め、愛しています。

身体と心、全部で求めます。

 

その時に、両親からの反応が

鬱陶しいという嫌悪

関わりたくないという無視

面倒臭いという拒絶

うるさいという拒否

親を優先しろという圧力

が返ってくると、

 

子どもは

親を求める気持ちを諦めるか、

親がそうするのは自分に問題があるからだと必死に愛されようとするか、で

現実の辛さに対応しようとします。

 

愛を求めて止まないほど自分も親を愛しているからです。

 

愛する人から愛されない現実や、拒否や否定を受け入れることができない。

けれど、自分は愛している。

その矛盾に対応できない時、生きるために子どもは愛してくれない親への怒りや憎しみを抑え込むことで親を好きでいようとします。

 

なので、子どもの心の中に

怒り

憎しみ

恨み

という敵意を押し殺して、生きるために愛情だと思い込んだ「愛情という名の敵意」が存在するんです。

 

<このままだとどうなるか>

確かにある敵意を抑え込んで、親を好きでい続けようとすると、

 

人が怖くなる

人が信じられなくなる

人が嫌いになる

ということが起こります。

 

 

アナタが大切な人から向けられていた感情が、愛情ではなく敵意であったのなら、

アナタが大切な人に向ける愛情にも、敵意が潜んでいます。

 

 

だって、アナタにとってその敵意こそが愛情だから。

 

このままでは、当然アナタの人間関係は上手くいかないどころか、大切な人こそ失っていくことになってしまいます。

 

アナタの育った家庭には、愛情という名の敵意が溢れていませんでしたか?

アナタは大切な人から、愛情という仮面を被った理不尽な意地悪に晒されていませんでしたか?

 

アナタが敵意を愛情だと信じ込んで生きてきたのなら、

アナタは人を愛する時に愛する相手にこそ、敵意を向けていくようになります。

 

さて、これはいかがなものか!?

今日は長くなりましたゆえ、続きはまた次回とさせていただきまする!!!

 

 

 

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