いつも疲れてしまうのは。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

しつこいですが、寒いです。。。

服も分厚くなるからか、洗濯物の乾きが遅い。。。

しかも油断すると、一部分だけしっとりしてたりします。。。

 

風呂上りに乾いたばかりの洗濯物で暖かさを期待して服を着ると、

思わぬしっとりトラップに、はうぁっ!とナゾの声をあげてしまいます。。。

(たたむ時に確認せえよ。。。)

 

 

さて。

昨日のブログで、

気持ちが一方的な時に人は疲れてしまう、とお伝えしました。

 

そしてそこには、

相手のためにしてあげたい

という気持ちと

自分への見返りがほしい

という気持ちが両方あります。

 

 

相手のために何かをすることは楽しいものです。

そしてそれを喜んでくれたら嬉しいものです。

 

けれどその行為が、自分が「やってあげたい」という気持ちからではなく、

何かのために「やってあげる」となっている時、そこには「相手から満たしてもらいたい何か」があるんです。

 

それが満たされないから、疲れてしまうんですね。

 

満たされたいもの。それは。。。

自分のことを相手が、

受け入れてほしい。

認めてほしい。

褒めてほしい。

必要としてほしい。

分かってほしい。

そんな自分の子どもの時の欲求です。

 

人は自分の気持ちが満たされていないと、自分のことを認めてほしい!という気持ちが当然強くなります。

 

相手に周りに認めてほしい。という欲求

と、

相手と心地よく繋がりたい。という欲求

は真逆のものになります。

 

 

相手に自分をこう扱ってほしいという不満

相手と自分はこう触れ合いたいという安心

では、

 

 

一方通行

相互通行

の大きな違いがあるからです。

 

 

疲れた、疲れた。。。

わたしの「疲れた。。。」は、相手が自分を認めてくれないという不満から来ていました。

 

相手への不満は、自分の心の投影です。

 

周りの人に求めすぎると、いつも期待と違った反応に傷つくことになります。

 

それくらい、

相手にすごく期待していたんです。

自分というものを相手に預けていたんです。

 

 

不満を感じた時ほど、相手に求めている自分に気がつく時なのではないかな、とわたしは思います。

 

 

相手に認めてもらうことで、自分を満たそうとしている自分を見つめる時なんだと思うんです。

 

 

相手に認めてもらうために、自分は自分のことを見ずに、考えずに、蔑ろにしているからどんどん疲れていってしまいます。

 

相手に受け入れてもらうために努力をする時は、相手へと自分の努力を見せる必要があります。

 

 

それは自分の本当の気持ちを分からなくしないと出来ません。

 

 

だって、本当はそのままの自分を相手に受け入れてほしいんだから。

 

それが叶わないと自分で思っているから、不満が溜まり疲れるまで相手に努力を見せないといけなくなります。

 

そこまでして相手と繋がりたかった。

そうまでして相手との心の触れ合いがほしかった。

それくらい寂しかった。

それほどひとりぼっちを感じていた。

 

その自分を見ることが怖いから、疲れるまで努力してしまうんです。

 

疲れるほどに求めていた自分のことを、自分は一体どう思っているでしょうか?

 

疲れるほどに努力し続けた自分に、自分は一体どうしてあげたいでしょうか?

 

 

不安や不満に対して、自分が自分に対してどんな対応をして、どんな行動をするのかで心の景色は変わってきます。

 

毎回毎回、自分の本当の感情を否定していれば

どんなことをしていようが疲れて当然です。

 

このままだと、自分を失くして抑えることでしか

自分を疲れさせることでしか

望んでいるものは手に入らない人生になってしまいます。

 

 

いつも周りや相手に求めて疲れている自分を、このまま放っておくのか、自分が救いに行くのか。

 

そして自分のその決意で問題を解決していくのが心理セラピーです。

 

疲れた、と感じる時には

アナタは人間関係で何かを無理しています。

自分を無理させて何かを成立させようとしています。

 

何を無理して、

何が不満で、

何に疲れているのか。

 

そこを丁寧に見ていくことで

自分自身とも

相手とも

繋がり直すことはできますよ。

 

 

 

それが自分に一所懸命になるということなのではないかと思います。

自分に真剣になりたい時、ぜひ心理セラピーを利用してみてくださいね。

 

 

福岡市内にて、リトリーブサイコセラピーの

個人セッションを行なっています!

自分の問題に向き合い、解決したい方の

お手伝いをさせて頂いています。

まずは自分に起こっていることや

自分の問題を整理したい方のために、

zoom・電話カウンセリングも行っています。

↓↓↓個人セッションのお申し込みはコチラから。

ブログよりも深くて、お得な情報をお届けしています。

メルマガ、ぜひご登録ください!

↓↓↓お得なメルマガの登録はコチラから。

 

 

 

あー、疲れた。。。が口グセになっていませんか?

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

 

わたし、割と暑苦しいタチなので冬に強いかと思われがちなんですが、寒さにも弱いです。

 

寒さに凍えまくります。

 

子ども達と遊んでいても、しれっと小刻みにつまみ食いか休憩を挟みます。

(それは単に年齢のせいか。。。)

 

 

寒いと身体が固まって疲れやすくなるそうです。

寒さだけに限らず、

人混みに疲れる、

運動しすぎて疲れる、

仕事が詰まってて疲れる、

「疲れる」も人それぞれありますよね。

 

 

けれど、これが

いつもいつも疲れている。

1日の終わりに、気がつけば

「あー、疲れた。。。」と言っている。

 

口グセのように、疲れたと言っている。

 

 

特別に何かをした訳ではないのに、むしろ楽しい予定から帰ってきた時でさえも

「あー、疲れた。。。」と口から出ている。

 

 

疲れた時ならまだしも、そんなに疲れてもいない時にも関わらず、「疲れた、疲れた」と言っている自分、いませんか?

 

 

これ、わたしがそうだったんですよ。

仕事が終わって充実感を感じた瞬間、

お風呂にゆっくり入ってほっこりした瞬間、

家のことが終わって開放感に浸る瞬間、

口から出る言葉が

「あー、疲れた。」だったんです。

 

 

友達と遊びに行ったり、自分の行きたい所に行ったり、楽しみを感じた後でも出てくる言葉は、

「あー、疲れた。」でした。

 

 

ひとりになると出てくる、「あー疲れた。」

 

 

体力的にも、内容的にも、疲れるようなことでもないのに疲れた、疲れたと口から出てくるのは、どうしてだと思いますか?

 

それは、もしかすると

自分の本当の気持ちと、自分のやっている行動が違うことをしているからかもしれません。

 

 

人は自分のやりたいことをやっている時、心底疲れたりはしないものです。

 

 

子ども達を見ると分かるように、どれだけ寒い中でも、どれだけ走り回っても、やりたいことをやった後は、「あー、たのしかった!」と言います。

 

 

それは心が満足しているからです。

 

 

いつも、疲れた、疲れたと口から出る時、

本当に自分のやりたいことをやっていない可能性があります。

 

 

もちろん、仕事等でやらなければいけないことをやる時はありますよね。

 

 

けれど、やらなければいけないことに対してでも、自分が自分の意思を持って取り組んでいる時には、人は疲れるよりも、充実感を感じます。

 

 

疲れている時。

それは自分が自分ではなく、

他の誰かのために行動していたり

他の誰かから見た自分を演じていたり

他の誰かを喜ばせていたり

そうやって、

自分以外の他の誰かのために自分が生きていることがあります。

 

これできなくて困ってるの、と言われて自分が休みの日で時間があるから代わりにやっておく。

 

友達が欲しいものがあるから、と言うのでそれが見つかるまで店を何軒もハシゴして探す。

 

相手が忙しそうだから、先回りして相手のことを自分のことを置いて先にする。

 

パートナーシップにおいては、互いが互いのことを協力しながら進めていくことは確かに多くありますよね。

 

しかし、疲れるのはこれが自分の一方通行だった場合です。

 

 

そして、問題なのはこれを自らやっている時です。

 

 

しかも、自分がガマンすることによって何らかの見返りを期待している時です。

 

 

この求めてきた見返りこそが、何より自分のメリットなんです。

 

 

ガマンすることで、何らかの報酬を期待するこの気持ちが「あー、疲れた。。。」となって、溢れ出てきているんです。

 

 

 

続きは明日のブログにてお届けします!

 

福岡市内にて、リトリーブサイコセラピーの

個人セッションを行なっています!

自分の問題に向き合い、解決したい方の

お手伝いをさせて頂いています。

まずは自分に起こっていることや

自分の問題を整理したい方のために、

zoom・電話カウンセリングも行っています。

↓↓↓個人セッションのお申し込みはコチラから。

ブログよりも深くて、お得な情報をお届けしています。

メルマガ、ぜひご登録ください!

↓↓↓お得なメルマガの登録はコチラから。

 

 

 

怒りの抑圧は、怒りに支配される。

昨日のブログ、

怒れない。。。

 

怒らない、のではなくて、怒れない。

怒りという感情そのものを感じないように抑えたり、感じたとしてもそれを出してしまわないように何とか抑え込む。

どうしてそこまでして、自分の怒りを無くしてしまおうとすると思いますか???

 

 

怒りを何とか感じないようにしたい。

そう感じるのは、怒りを感じ、それを表現することを何より怖がっているからです。

 

怖いんです。怒ることが。

わたしは、表面では怒りながらもその怒りは自分へのイライラという形で向けていました。

 

怒りを感じてしまったら、出してしまったら、今まで頑なに信じてきたり、守ってきたものが壊れてしまいそうで怖かったんです。

 

 

怒ってしまったら、

自分が自分じゃなくなる

自分が悪いと罪悪感を感じる

自分が嫌いになる

だから避けて感じないようにする。

 

怒りを出してしまったら、

関係が壊れてひとりぼっちになる

周りから嫌われてしまう

虚しさに襲われる

だから出す前に抑える。

 

怒れない、というのはアナタが怒らないことを決めている、ということです。

イライラしながら、

ウツウツとしながら、

怒るような自分がダメなんだと自分を責めることで、

アナタは自分の怒りの感情を封じ込めることに自分のチカラを注いでいれば、怒らない自分でいられるし、自分自身を守ることができるんです。

 

何から守れるのか???

そう思いますよね。

怒ってしまうと気がついてしまうんです。

自分の本当の気持ち。

自分が本当に感じている気持ち。

自分がずっと抱えていた気持ち。

そんな気がつきたくない気持ちに。

 

それは、わたしにとって両親への気持ちでした。

愛してほしい。

見てほしい。

分かってほしい。

受け入れてほしい。

認めてほしい。

怒ってしまうと、この気持ちが何ひとつ満たされないという現実に直面してしまうんです。

 

怒らなければ、自分に怒りを向けながら、まだ希望を捨てずにいられたんです。

 

でも、その守り方では相手を守れたとしても、自分自身を守ることはできません。

 

怒れないままだと、アナタの周りには

アナタを利用してくる人

アナタに意地悪をする人

アナタをぞんざいに扱う人

アナタに要求ばかりしてくる人

アナタをバカにする人

アナタを支配する人

が集まってきます。

 

その不当な扱いから自分を守るのが怒りの感情なんです。

 

自分が自分の怒りを感じない限り、ずっと誰かのゴミ箱になる人生になってしまいます。

 

自分が自分の怒りを出さない限り、ずっと周りの誰かに守ってもらう人生になってしまいます。

 

誰かのゴミ箱。

誰かに守ってもらう。

そのためには、自分の怒りは抑圧しないといけません。

すると、抑圧した怒りにずっと支配されることになります。

抑圧すればするほど、不安と恐怖が強くなります。

 

溜まりに溜まった怒りは、不安と恐怖から、自分にとって大切な人にほど

怒りの爆発

意地悪で発散

執拗な無視やいじめ

という形で向います。

 

これでは、人間関係が壊れてしまいます。

 

怒りを自分のために感じること。

相手にぶつけるためでなく、自分を守るために怒ること。

 

自分で自分を助けるために。

自分で自分を守るために。

自分で自分を信じるために。

 

これが

自分で自分を大事にすること

相手も自分も大切にすること

だとわたしは思います。

 

 

 

↓↓↓個人セッションのお申し込みはコチラから。

 

↓↓↓お得なメルマガの登録はコチラから。

 

怒れない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

健康診断に行ってきました。

ええ、もう連日の暑さで夏バテですよ。。。

タイリョクダイジ!

カラダイタワル!

痛感するお年頃です。

 

健診待ちの時、割と待ちが長かったんです。

ずぅーーーっとため息ついたり、

足をビンボー揺すりしたり、

コメカミを手で何度も抑えたりするおじさまがおりました。

明らかに怒ってるんですけど、出さないでそれを察知してほしい感がアリアリと出てるもんだから、誰も声をかけないんです。。。

まぁ、わかりやすい悪循環。。。

おじさまのガマンが、健康を害さないことを願ったのでした。。。

 

今日は人間が誰でも持つ怒りの感情。

これを何とか抑えようとする心理、

「怒れない。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

「怒り」

自分の中にある怒りの感情に気がついていないこと、そもそも多いと思います。

感じたとしても、できるだけ抑えたかったり、無くそうとしたり、別の感情に変換しようとしたりして、意識したくない感情ではないでしょうか。

 

何となく怒りの感情は

人を攻撃して傷つけてしまうもの、

我慢の足りない人が出すもの、

自分の知っている誰かのようになってしまうもの、

というように

よくないもの。

虚しいもの。

破壊するもの。

というイメージがあるのかもしれません。

 

わたしも、怒るのはすごく苦手でした。

自分がイライラしているのは分かってはいたものの、自分の怒りを自分でコントロールできないなんて、だっさいぜ!とばかりに、抑えることにエネルギーは向いておりました。

 

そもそも、感じないと怒りは出せないので、怒りそのものをよくないものとして、怒りを感じないようにしようと努力していました。

 

ええ、そんな努力はもちろん無理です。。。

 

人間はあるものをないようにすることはできないからです。

怒りの感情を感じているのに、それを無かったことにすることはできません。

 

なので自分の感じた怒りにウソをついたり抑圧したりすればするほど、

ガマンが爆発して関係が破綻したり

怒りが自分に向いてウツっぽくなったり

自分が分らなくなって生きることが怖くなったり

人生をどんどん苦しいものにしていきます。

 

 

怒りをガマンして感じない。

怒りを抑えて出さない。

そうすればするほど、相手も自分に対して何をしてもいい人なんだと思いますよね。

 

絶対に怒らないんだから、どんなことだって

言ってくるし、

やってくるし、

要求してきます。

 

なのに、どうして怒らないのか?

 

そこには

自分がガマンすれば丸く収まる

怒ったところで何も変わらない

人が争うところを見たくない

怒った後に悲しくなって自己嫌悪してしまう

怒りを出すと何倍にもなって返ってくる

怒ると自分から人が離れていく

という感覚があるからです。

だから、怒れないんです。

 

わたしは、この感覚が大きくありました。

 

この感覚があると、怒った後のデメリットが大きすぎるように感じて、怒りを抑える方へと自分のエネルギーを使うので、怒ることができません。

 

そう。

「怒らない」のではなく「怒れない」んです。

 

怒りをガマンして感じない。

怒りを抑えて出さない。

そうすればするほど、相手とは本当にいい関係を築けるのでしょうか?

何をしても怒らないのだから、相手はこちらに何をしてもいい人なんだと思いますよね。

 

絶対に怒らないんだから、どんなことだって

言ってくるし、

やってくるし、

要求してきます。

 

ガマンして抑えれば抑えるほど、相手は何だってしてくるようになります。

 

その時、アナタならどうしますか?

続きはわたしの経験を踏まえながらまた明日!!!