怖いに潜む心理。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

子どものうたで、

♪そうだったらいいのにな

という歌があります。

子どもって色々なことを、こうなるといいな♡自由に想像力します。

 

けれど、この想像力の世界と現実の世界がまだハッキリと区別されてもいません。

 

大人になると、想像と現実の世界の区別はつきます。

けれど、現実があまりにも厳しいと感じると現実逃避してしまうこともありますよね。

 

そこで、あいはぶあくえすちょん。

 

人が好きだと思っているアナタ。

世界は優しいと思っているアナタ。

どんなことにも希望はあると思っているアナタ。

 

それ、本当に思ってますか?

 

自分の信じている世界の中で、

こうである

ということと、

こうあってほしい

ということは別モノです。

 

アナタは、本当は

人はいい人であってほしい。

世界は優しくあってほしい。

希望は消えないでほしい。

という願望の世界で生きてはいませんか?

 

 

そして、本当は

人が怖い。

世界は敵だらけ。

人生に希望なんてない。

と本音では感じていませんか?

 

 

こうあってほしい、という切なる願いの中で生きるということは、アナタが自分の生きている世界そのものに希望がないと本当は感じているんです。

 

現実の世界があまりにもツラいから、こうだったらいいのにな、という現実から離れた世界で生きようとします。

 

傷ついた自分がこれ以上傷つかなくていいように、現実を生きることを避けるんです。

 

けれど、

どれだけレモンを甘いと信じ込んで食べても、すっぱいものはすっぱいんです。

すっぱいのに耐えきれず、砂糖を求めます。

 

砂糖さえあれば、口で本当に感じている悶絶すっぱいを緩和することができるから。

 

そして、もうレモンのすっぱさを味わわなくていいように、レモンを遠ざけるようになります。

 

レモンがすっぱいのは、砂糖が足らないからだよね。と自分を納得させながら、レモンがすっぱかった事実を見ないでいると、

アナタはレモンが怖くなるんです。

 

 

これ、人が相手でも同じことが起こります。

 

人に裏切られた。

人から怒られた。

人から拒絶された。

人から無視された。

人から意地悪された。

 

そんな時、

相手の本当の姿を見ていないと、相手を自分の理想的な人の枠にはめます。

相手を愛情豊かな人だと信じようとして相手の嫌な部分から目を背けて、いいところばかりを見ようとします。

そして、

自分の本当の気持ちを見ていないと、自分が嫌いになっていきます。

こんな目に遭うのは、自分の何かがいけないはずだと自分に原因を探します。

 

相手をいい人だと信じることで、

自分を嫌いになることで、

自分の本当の現実、「嫌われている事実」「拒絶されている自分」に直面しないで済むんです。

 

嫌われている事実に直面しない。

拒絶されている自分を直視しない。

そうすることでアナタの悲しみや寂しさを、避けることができます。

本当は孤独である自分に気がつかないことで、自分を守っているんです。

本当の事実に直面してしまうことが、何よりも怖いんです。

 

だから人は怖いことにしておいた方がいい。

 

人が怖いという心理に潜むのは、アナタの

「本当は人が嫌い」という本音です。

本当はアナタの方が人を嫌っています。

 

人が嫌いだからこそ、人が怖い方が都合がいいんです。

 

怖いことにしておけば、

嫌いに気がつかないでいられるから。

 

気がつかないうちは、寂しいながらも生きてはいけます。程よい距離を保ちながら、人と付き合っていくこともできます。

けれど、大切にしたい人ができた時に大問題が起こります。

人が嫌いなのに、好きな人ができてしまったら、当然ながら心に矛盾が起こります。

 

本当は人が嫌いな自分を受け入れられないでいると、その大切な人に対して人が嫌いな自分を隠そうとします。

 

自分の本当の姿がバレないように、

好きな気持ちを消そうとしたり、

人を好きになる自分を嫌ったり、

必要以上に好きを伝えに行ったり、

どんどん自分の真実から離れて行こうとします。

 

さて、この本音を放置したままだとどうなってしまうのか?

長くなりましたゆえ、こちらの続きはメルマガにて書いていきますね。

 

 

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わたしの話を聞いて!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

子どもたちと話していると、

「せんせい、あのね!」と同時に何人もから話しかけられることがあります。

もちろんわたしは聖徳太子ではないので、順番に聞くんですが、それでも待てずに話し続ける子ももちろんいます。

 

そこには、

「自分の話を聞いてほしい!」という思いはもちろん、

「自分の話は聞いてもらえない!」という思いも存在します。

 

その思いを募らせたまま大人になるとどうでしょうか?

そうです。。。

聞いて欲しくて自分の話ばかりする。

聞いてもらえないことに耐え切れず、一方的なコミュニケーションをする。

聞いてもらえない怒りを人にぶつける。

そうしてその先に待っているのは孤独です。

 

アナタの周りにはこのように一方的なコミュニケーションを取る人はいないでしょうか?

もしくは、アナタ自身がそうなってはいないでしょうか?

 

今日はそんな自分の話だけを聞いてほしい一方的なコミュニケーションの心理、

「わたしの話を聞いて!」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは、愛着投影の問題です。

自分の話だけ聞いてもらいたいのは、自分の話を聞いてもらっていない感覚をずっと抱えているんです。

 

いつも

自分の思うように相手に聞いてほしい。

自分の思うように相手に受け止めてほしい。

自分の思うように相手に関わってほしい。

という思いを抱えています。

 

 

なので、

自分の話を少しでも聞いてくれそうな人に出会うと、

この人は何でも自分のことを聞いてくれるはず。

この人は何でも自分を分かってくれるはず。

この人はどんなことをしても自分と関わってくれるはず。

と期待して、今まで叶わなかった自分の欲求や本音を全てその人に聞いてもらい、分かってもらおうとします。

 

けれどこれは、自分は変わらずに全力で相手を変えようとしているだけです。

相手は当然変わらないので、その無理な期待には応えてはくれません。

そうすると裏切られたように感じて、また怒りと悲しみを抱えて次の自分を全て分かってくれそうな人を探し続けることになってしまいます。

 

そして、ずっとずっと「わたしの話を聞いて!」というコミュニケーションをループし続けて、自分が満たされないままなんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

 

これは、誰との関わりの中でやってきたことなのでしょうか?

 

大抵は、この気持ちの根本は親との関係で起こっています。

 

親との間で、ずっと

親の話をしっかり聞いて、

親の思うように、

親を優先してきたから、

 

自分の気持ちが

置いてきぼりになり、

いつも虚しく空っぽで、

分かってもらえない悲しみと怒りでいっぱいなんです。

 

親との関係で自分を抑えて、親の全てを分かろうとし、全力で親を守ってきた人だからこそ、この怒りと悲しみをたくさん抱えているんです。

 

この

自分の話を聞いてもらえなかった悲しみ。

自分を大切にしてもらえなかった痛み。

自分を受け入れてもらえなかった虚しさ。

自分を認めてもらえなかった怒り。

 

ここに気がついて、目を向けて、受け止めること。

 

それほどの思いを感じていた自分を、なかったことにしないこと。

 

 

自分が受け止めるのでなく、誰かに何とかしてもらおうと思っているからいつまで経っても苦しいままなんです。

 

 

そして、自分の話を全て聞いてくれる誰かを探し続け、目の前の相手に期待しては「これじゃない!」と壊していく。

これでは、孤独でひとりぼっちの自分をより強くしていく人生になってしまいます。

 

 

<解決に向けて>

この傷があるのは、本人やアナタのせいではありません。

けれど、傷を受け入れず放置しているのは本人やアナタです。

それを誰かのせいにして、癒してくれる誰かを求め続けても、本人やアナタが自分の本当の気持ちを見ないと決めている限り、傷が癒やされる日は残念ながら来ないんです。

 

ただただ自分の話を聞いてほしいと思うほどに傷ついている自分の話を、誰より聞いてあげていないのが自分。。。

 

これだと、苦しさはずっと続いてしまいます。

 

自分が自分の本当の気持ちを聞く。

自分が自分の本当の気持ちを受け止める。

自分が自分の本当の気持ちを受け入れる。

これはただ癒やされるというよりは、痛いものです。

この痛みが大きいからこそ、今まで避けてきたはずです。

 

けれど、

この痛みと向き合うからこそ本人やアナタが変わることができるんです

 

自分が自分の痛みを見ると決める。

自分が自分の痛みを感じると決める。

自分が自分の痛みを解決すると決める。

 

ここからが本当のスタートなんだとわたしは思います。

素直でいたいのに反発しちゃう。。。

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

 

あー、自分の気持ちに素直になりたい。

誰しもそう思いますよね。

特に日々を自分の思うように過ごせていなかったり、自分に無理をさせていたり、人のことばかりが気になっていたりすると、素直な自分で居たいと切に思いますよね。

 

♪だのに〜

な〜ぜ〜♪

 

 

実際は

知らん顔したり

気持ちとは裏腹な行動をしたり

相手に噛みついたり

絶対に認めなかったり。

 

しかも、親しい関係の人に限ってそんな態度を取ってしまう。。。

そうやって素直どころか

反発することを繰り返してしまう。

 

 

♪歯をく〜いし〜ば〜り〜

君は〜ゆく〜の〜か〜

そんな〜にして〜まで〜♪

 

 

どうしてあなたは素直になれないんでしょうか?

どうしてあなたは親しい人ほど反発してしまうんでしょうか?

 

 

今日はそんな素直になりたい人にほど反発してしまう心理、

「素直でいたいのに反発しちゃう。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

まだ距離が近くなけれはある程度の礼節を保ちつつ関わる事ができる。

 

けれど、心の距離が近くなればなるほど目の前の相手に何だか反発して素直な気持ちで関わることが出来なくなる。

 

これって、あなたの中で何が起こっているのでしょうか?

 

<本当の問題は何か?>

ここにあるのは投影の問題です。

あなたは目の前の人に、ある思いを重ねているんです。

 

それは。。。

あなたが幼少期に伝えたくても伝えることが出来なかった、表現することを許されなかった思いです。

 

そう、あなたの両親に。

 

あなたが感じた感じた感情。

それは子どもが言ってる事だから。。。と軽んじられるものではなく、とても大切な感情です。

 

それを大人側の都合や利用で

止められたり

無視されたり

否定されたり

笑われたり

非難されたりしたら

当然子どもの心は傷つきます。

 

 

傷つくこと自体は悪いことではありません。

 

いつも傷つかずに生きることはできませんし、守ってばかりでは心も身体も成長できません。

 

傷をそのままで放っておくから、ずっとずっと得体の知れない大きな傷となって傷つきっぱなしの自分になってしまうんです。

 

それがトラウマとなり、自分を止めてしまうことは多いんです。

 

 

あなたが自分の素直な、あなたのままの感情を感じても、

何も返ってくることなく

責めて非難され

そのように感じるあなたが悪いのだ、という結果しか得られなかったら

 

 

怒ってもムダ

泣いてもムダ

言ってもムダ

 

 

という経験を自分の中に積んでいくでしょう。

 

 

そうやって全てを諦めて生きるのは

どれだけ素直に

怒っても

泣いても

言っても

変わらなかった現実に失望しているんです。

 

そうやって自分の人生に絶望しているんです。

それが自分なんだと思っているんです。

 

 

なので人と親しくなり、人に心を許していくことをすると

その失望を思い出してしまうんです。

自分に失望し、人生に絶望している。

そんなことを感じたくなんてありませんよね。

 

 

生きていく上でつらくなってしまいます。

だからこそ感じないように、思い出さなくていいように避けようとするんですね。

 

 

目の前の人へ反発し、その人を遠ざけることで自分を守ろうとするんです。

 

 

でもそれは、同時に

元の傷ついたままの自分に戻るということでもあるんです。

 

<このまま続くとどうなるか?>

傷ついたままの自分に、気がつけばいつも戻ってしまう。

けれど戻ることを選んでいるのはあなた自身でもあるんです。

生きることを諦めて、自分の人生が辛くなり、生きることに絶望していく。

 

別に

生きていたっていいことなんてない。

生きていたいわけじゃない。

自分が生きていて何になるのか。

 

自分を傷つけたまま失望し人生に絶望していると、そのままの自分で生きることを自分から拒んでしまいます。

 

どれだけ素直に生きたいと思っても、素直に生きることに反発して、元の自分に戻ろうとしてしまう。

 

悲しいけれど、その方が安心だし、その生き方しか知らないんです。

 

 

<解決に向けて>

怒っても

泣いても

言っても

自分にはこの現実を何も変えることはできないのだと思い知らされてきた。

 

つらすぎて、受け止められなくて人生がそこで止まってしまっている。

 

あなたの人生はそこで止まったままになっていませんか?

 

自分に失望したまま、人生を反発しながら生きていくのか。

自分への失望を受け止めて向き合うのか。

 

 

受け止めて、向き合うということは

今まであなたがやってきた

ムダだと諦めるラクさを止めると決めること。

失望と絶望から逃げてまで、ひとりで孤独になっていかないと決めること。

自分の中にある生きるチカラを信じてみること。

 

 

そこを見ていくことで、この問題は解決へと向かいますよ。

 

 

 

 

 

子どもを叱らない?叱れない?

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

さて、突然ですがあなたの目の前の子どもが、

危険なことをした。

人が嫌がることをした。

約束を守らなかった。

 

 

目の前の子に対してあなたは

イライラした。

肝を冷やした。

腹が立った。

悲しくなった。

イヤな気分になった。

 

 

その瞬間。。。

 

 

あなたなら、子どもを叱りますか???

それとも叱りませんか???

 

 

子育ての方針として「叱らない子育て」をしていて、子どもを叱ることをしないという方もいるかもしれませんね。

 

 

叱るのがいい/ダメの話ではなく、目の前の子に対して叱りたい気持ちを感じながらも、

笑ってやり過ごしたり、

物分かりのいいふりをしたり、

何もなかったように振る舞ったり、

というような行動を大人の

自分が取ってしまう時です。

 

 

今回はそんな子どもを叱ろうとする時にあなたの心に起こる心理、

「子どもを叱らない?叱れない?」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

子どもと過ごす時間を大切にしたい。

限られた時間を笑って過ごしたい。

イヤな言い方をしたくない。

 

その気持ちで子どもと一緒に居たいと思うのは、おかしなことではありませんよね。

 

 

ただ、子どもはいつもあなたを笑顔にすることばかりを言ったり行動したりするワケではありません。

 

先ほどの質問のように時に、

危険なことをしたり、

度を越してふざけたり、

大人の言うことを聞かなかったり、

様々なことをしますよね。

 

 

いわゆる、

「ダメなものはダメ!!!」

という時ですね。

 

 

そんな時、叱ってしまうと子どもが

泣いてしまう。

怒ってしまう。

悲しんでしまう。

傷ついてしまう。

 

そんな姿は見たくないし、後から自分がもっと大変になる。

だから何も言わないでおく。

 

 

これは子どもを、叱らないではなく叱れないんです。

 

 

<本当の問題は何か?>

子どもを叱りたい時に叱れない。

ダメなものはダメと言いたい。

でも、そうしてしまうと子どもが傷ついてしまうようで出来ない。

ガッカリさせたくない。

その後、余計に手がかかってしまいそうでその方が面倒臭い。

ここに隠れているのは、投影の問題です。

 

叱ることが子どもを傷つける訳ではありません。

 

子どもは叱られたことに傷つくのではなく、叱られた後に放っておかれ、ひとりぼっちを感じ、自分の存在を感じないことに傷ついていくんです。

 

なのに、傷つけることを怖れて自分の気持ちを抑えてしまうんでしょうか?

 

傷つけてしまうと。。。

ダメなものをダメと伝えてしまうと。。。

嫌われてしまいそうで怖いんです。

自分が悪者になってしまいそうで怖いんです。

 

そうすると、自分が傷ついてしまうんです。。。

 

それに耐えられないから、子どもを叱れない。。。

 

いい人、いい親でいたい。

子どもに受け入れられたい。

そうやって子どもの顔色を伺ってしまう。

嫌われてしまったら、自分が傷ついてしまう。

 

これって、

自分の幼少期の傷がそのままになっているということでもあります。

 

目の前の子どもとの今の関係が、過去の親との関係になっているんです。

 

 

<このままだとどうなるか?>

相手を傷つけなければ、自分が安全に生きられる。

心が乱れることなく、穏やかに何事もないことが幸せ。

ダメなものはダメ、そう言ってしまうと嫌われ、受け入れてもらえず、否定されてしまうと思っているのは、

どうせわたしは嫌われている

わたしは嫌われている存在

というあなた自身の心の傷がそのままになっているということでもあるんです。

 

あなたがイヤがることはしないから、

嫌わないで。

受け入れて。

安心させて。

 

<解決に向けて>

 

叱らないことで守っているのは、子どもではなく自分自身です。

子どものすることに何も言わないことと、受け入れることは別のことです。

 

子どもが何事もなく感情を動かして表現せずに平穏に過ごしてくれたら、自分が安心できるんです。

 

 

自分のその心の傷をまず回復、解決することです。

 

自分に傷があるままだから、子どもの傷ついた姿を見たくないんです。

 

自分は嫌われている。。。

そう感じ続けてきた心には、傷があります。

その傷はとてもつらいものです。

 

痛いからとその傷に塩を塗らずとも、ずっと砂糖を塗り続けていても傷は回復しないんです。

 

まずは自分の傷に目を向け、癒し、回復する。そこから投影の問題も解決へと向かっていきます。

 

 

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分かり合えない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

うーーーーーーむ。。。

どうも合わない。。。

 

わたしは、海の幸牡蠣の味は大好きなんです。

 

でも、食べられないんです。。。

残念なことに、合わないんです。。。

 

忘れもしない若かりし遊び盛りの20代前半の頃に、牡蠣を食べに張り切って宮島に行った時に事件は起こりました。

 

どこに行っても美味しい牡蠣が食べれることに気を良くしたわたしは、自分の限界を知らず、食べて食べて食べて食べて食べまくり。。。

 

2日間ほどで60個は食べたんじゃないかと思われるほど、牡蠣を暴食するという暴挙に出てしまっていました。。。

 

それから3日後くらい経った時の事だったでしょうか。。。

 

トイレで事件は起こりました。。。。。。。。

これより先は自主規制。。。。。。。。。

 

失礼しました。。。

 

さて、これが人と人になるとどうでしょうか???

 

  • あの人とは相性が悪い
  • 意見が合わない
  • 上手くいかない
  • モヤモヤする
  • 何だか気をつかう

 

そんな人っていませんか?

 

 

うまくスルーしてその場を乗り切る。

距離を置く。

極力関わらない。

そんな対応をしてしまうのは、相手が嫌な人だからでしょうか???

それとも、自分のコミュニケーション能力の問題でしょうか???

 

分かり合えない人が目の前にいる。

そんな時、あなたはどうしていますか???

 

今日はそんな、分かり合えない人を目の前にした時の心理

「分かり合えない。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

なんだかこの人とは分かり合えない。

 

そんな相手に感じているのは、「分かってくれない!」という思いです。

 

ずっと自分のことを分かってくれない相手と一緒にいるのはつらいことです。

 

では、その人を避けられたら解決するでしょうか?

 

その人が居なくなれば、態度を変えてくれれば、改心して優しくなったら解決でしょうか?

 

例えそれが解決に思えたとしても、自分の望みだったとしても、実際にそのようなことができるでしょうか?

 

それは無理ですよね。。。

相手は変わりませんもの。。。

 

合わない人を目の前にして、あなたはその人とどうしていきたいでしょうか?

 

<本当の問題は何か?>

ここに潜んでいるのは、投影の問題です。

 

今、目の前にいる分かってくれないと感じている人に誰かを重ねているんです。

 

目の前のその人に、過去から自分がずっと感じてきた「分かってほしい」という思いを重ねているんです。

 

分かってほしいその思いには、分かってもらえなかった過去があります。

 

それはとても悲しいですよね。

 

分かってほしいと思いながらも、自分の気持ちを一生懸命に抑えて、相手のことを分かろうと努力してきたんですよね。

 

子どもにとって、分かり合えない家族と一緒に暮らさないといけない状況は、大きな大きな恐怖です。

 

しかしながら、そのガマンをしていればいいこともあります。

 

分かってもらえない自分

分かってもらう価値がない自分

分かろうとされないくらい愛されない自分

を感じなくていいんです。

 

そんな絶望を感じたら、それこそもう立ち直れない。。。

 

その絶望を、分かりたくないんです。

 

なので、もしも相手が歩み寄ってくれたり、分かろうとする姿勢を見せようものなら、途端に「分かったようなことを言わないで!!!」と反旗を翻し、「そんなに言うならわたしを分かるまで納得させて!!!」と攻撃をしたり、揚げ足を取ったり、と信じられないんですね。

 

そうなんです。

分かってくれなくても、分かってくれても満足できないんです。

 

さて、ここで気がつきませんか???

 

どちらとも、相手が主語になっているんです。

 

なぜ、自分を主語にしないんでしょうか?

 

自分から動いてしまうと、過去のあの時のように分かってもらいたい欲求を拒絶されそうで怖いんです。

 

自分から分かろうとすると、絶望してしまいそうで避けたいんです。

 

自分の抱えている怖さを見ずに、コミュニケーション能力を高めようと行動しても、隠している怖さは消えたりしないんです。

 

<このままだとどうなるか?>

分かり合えない人との関わりを、

諦めたり

怒ったり

離れたり

捨てたり

しようとしている時は、自分の中の怖さと向き合えず逃げてしまっている時です。

 

逃げることで、自分の本当の

悲しみ

絶望

怖さ

を見ないようにしているんです。

 

今までずっと、その苦しさを受け止めてきてもらってないんです。

 

ずっとひとりで何とかしないといけなかったんです。

 

ずっとずっと、ひとりで頑張ってきたんです。

 

受け止めてもらっていないその「分かってほしかった」を、自分が受け止めてあげないと

自分とも

相手とも

周りとも

誰とも分かり合えないままになってしまいます。

 

相手に求め続け、

相手を変えようと努力し、

自分をごまかしながら過ごすようになっていきます。

 

いつまでも孤独を募らせていく日々を、あなたは望むでしょうか???

 

 

<解決に向けて>

目の前にいる分かり合えない人、あなたはその人に誰を投影しているでしょうか?

 

誰に対する思いを重ねているのか?

 

まずはそこを見ていきましょう。

 

どれだけ話しても、伝えても、分かり合えないことはあります。

 

その時にあなたが自分は誰へのどんな気持ちを重ねているのかに目を向けることで、目の前の分かり合えない相手どう関わっていきたいのかも見えてきます。

 

投影は、自分がガマンして抑えつけている自分の感情を知るチャンスです。

 

自分の本当の感情に気がつくからこそ、これからの自分がどうなりたいのかに目を向けていけるようになりますよ。

 

 

 

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もうかわいそうだから止めてあげて!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 野菜を買いに、八百屋さんに行った時のことでした。

その時に横断歩道があるのですが、5歳くらいの子が自転車の練習の帰りだったのか後ろからお父さんが叫んでいました。

「おい!!!止まれ!!!止まれ!!!」

横断歩道にも関わらず、子どもは確認せずに渡ろうとしたんですね。

最終的にお父さんが走って子どもを捕まえる形で止めましたが、車通りもそこそこある通りなので確かにヒヤリとする場面ではありました。

よくある親子の場面ではあるとは思うんですが、この後の対応であなたなら何とこの子に伝えますか???

今日はそんな出来事からの心理、

「もうかわいそうだから止めてあげて!」

というテーマで書いていきます。

この後、お父さんは烈火の如く怒ったんですね。

命に関わることでもありますので、横断歩道での確認、自転車に乗る時の注意点などは伝えないといけないですよね。

しかしこの時のお父さんは、

「何でお前はいつもお父さんの言うことを聞かないんだ!

「だからこんな危険な目に合うだろ!」

ともう止まりません。

子どもも、お父さんの鬼の形相に号泣です。。。

またその後ろから来たお母さんが、血相を変えてお父さんに言ったんです。

「今は、思うように遊べてないんだから仕方ないじゃない!」

「もうこの子がかわいそうだから、怒らないでやって!

わたしは、正直なところどちらの対応にも違和感を覚えました。

<本当の問題は何か>

これ、実はお父さんにもお母さんにも投影の問題が起こっています。

お父さん、お母さんそれぞれの幼少期に自分が感じてそのままにしている感情があるんです。

自分の父親の言うことや言いつけをきちんと聞いてきたお父さん。

自分の気持ちよりも、父親の都合が優先。

父親の機嫌を損ねないように、期待に応えてきた。

だから我が子が、

自分の思うように行動し

親の言うことを聞かず

自分の欲求ばかりを言う

そんな場面に遭遇したらどうでしょうか?

我が子に対する愛情はもちろんあるのですが、子どもの頃に自分がガマンしてきた

自分の事ばかり言うなんてワガママだ!

何で親の言うことを聞かないんだ!

誰も自分のことを分かってくれない!

という幼い頃の不満と怒りと悲しみが抑えきれなくなって、我が子にぶつけられてしまいます。

自分の母親を励まし、助け続けてきたお母さん。

かわいそうな母親を支え助けてきた。

母親が悲しまないように喜ばせ続けてきた。

だから我が子が、

思うようにいかず我慢をして

自分の欲求を叶えることができず

悲しんでかわいそうな姿を見たら

どうなるでしょうか???

まるで目の前の子どもが、かわいそうで支え続けてきた母親の姿と重なって

願いを叶えてあげたい!

助けてあげたい!

悲しみを笑顔に変えてあげたい!

幼い頃に母親を助けてあげられなかったという罪悪感と無力感から必死に助けようとしてしまいます。

<このまま続くとどうなるか?>

この投影の状態で我が子を見てしまうので、いつまでも客観的な視点が持てません。

人間の子どもは、他の動物に比べて1年早く生まれるらしいんです。

生まれてからの方が、取り入れていくことがたくさんあるんです。

人間の子どもというのはまずは依存して育ち、そこから社会へと世界を広げていきます。

その依存の時期にどのようなものを取り入れてきたかで、社会へどのような感覚を持つのかも変わってきます。

そして年齢を重ねてきた時に、親と子という二者関係では許され認められていたものでも、社会に出ると通用しないことを経験し、そこで葛藤を覚えます。

その時に、依存期にどのようにして物事を取り込んできたかが出ます。

トイレトレーニングなどがその例ですよね。

親子間ではどこでも排泄を許されていたオムツが、社会という場に出るとトイレという決まった場ですることが必要になります。

なので、子どもが社会へと出ていく時に親自身にこの投影が起こってしまうと

無理やりやらせようと躍起になったり

子どもが嫌がることはさせたくない、と

いきなり無理にオムツを取って、失敗したら怒ったり、

いつかできるようになるとトレーニングを全く子どもと一緒に経験しなかったり、

そんな極端な行動になってしまいます。

相手との関係性を図る前に、自分の恐怖の方が先に立ってしまうんですね。

すると、その恐怖を子どもは取り入れて、

前者は怒られないように自分を抑えるように

後者は自分で何もせず周りをコントロールするように

両者だとどうしていいか分からず自分では何もできなく

なっていきます。

<解決へ向けて>

親子の間では許されていたことでも、社会の場では許されないこと。

それがしつけです。

本当に子どものためになることを考えきれず、自分の感情だけで子どもと関わってしまうなら、そこにはあなたの恐怖が投影されているんです。

幼少期に感じた、あなた自身の恐怖がまだ癒されていないんです。

その自分の恐怖に目を向けていくことで、

そのままの自分自身の感覚や

ありのままの子どもそのものを

受け入れていく第一歩になりますよ。

子どもが言うことを聞かない!

子どもがかわいそう!

と親自身の思いを我が子に投影していたら、

その子は社会に出た時に、

本当に

自分が分からない

自分はかわいそう

という子になろうとしてしまいます。

子どもの

全てを思い通りにしないと気が済まない

全てを思い通りにしてあげないといけない

という感覚になっている時、

あなたの中の子どもの自分が何をあなたに伝えようとしているのかを聞いてあげるのが、この問題の解決へと繋がります。

 

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<大阪基礎コース始まります>

ひとりでは築くことができない人間関係。

今まで自分の中に押さえ込んできた怖さや痛み。

そんな、ひとりではできないことを仲間と共に見つめ、受け止めていくことで自分をたくさん知っていく、ぬくもりのコースです。

もちろん楽しいことばかりではないけれど、だからこそひとりじゃないと感じることができる

この基礎コース。

自分の中にある、

つらさ

悲しみ

痛み

苦しみ

怒り

怖さ

共に助け合って感じていく空間がここにあります。

www.yourexcellence.jp

自分から、去る 〜目の前の人、それって誰ですか?〜

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

コロナウイルスの影響が日が経つにつれ、出てきていますね。

職場でも、家庭でも、プライベートでも、多くの予定変更を余儀なくされることもあるでしょうね。

どの対応が正解で、どれが不正解かはその人の置かれた状況によって変わりますよね。

揺れると思います。

そして、揺れていいんだと思います。

その中で自分なりに、今の自分が何を思い、何ができるのかは、考えていきたいですね。

家に居る時間が増え、テレビやDVDやYouTube等を見るという方もいるかもしれませんね。

ひと昔前、テレビで、月曜9時にOLが街から消える(さすがに古めかしい)と言われたドラマをご存知でしょうか???

不朽の名作「東京ラブストーリー」でございます。

違いや、すれ違いや、すれ違い。。。

そんなもどかしさと、天真爛漫な赤名リカのキャラクターにゾッコンになった(90年代表現が止まらない。。。)視聴者がたくさんいました。

そんな名作「東京ラブストーリー」、わたしもOLではない年代ながらもハマっておりました。

なんか、おっとなー♡的な背伸び感覚で見ていたんですが、ハマったのは心理の面から言うとそれだけではなかったのではないかなーと思います。

リメイクの話を聞き、驚きと共に懐かしさも感じつつ、十数年後に自分も社会人になり、カンチの母校やあの涙のお別れの駅に足を運んだ(行ったんです、愛媛まで♡)わたしとしては

興味津々でした。

愛するカンチのために自分から愛する人の元を去る、そんなリカの姿に感動を覚えた人も数多くいましたが、果たしてそのリカの選択は

美徳でしょうか?

愛でしょうか?

それとも?

今日はそんな心理、

「自分から、去る 〜目の前の人、それって誰ですか?〜」というテーマで書いていきます。

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あなたはこんなことはないですか?

  • 人が怖い
  • 人が信じられない
  • 人はどうせ自分を裏切る
  • 自分の愛情は受け取ってもらえない
  • 見捨てられる前に自分から去る

この感覚をずっと持っていると、人と人間関係を築くことはできたとしても、関係を深めていく時、深まっていく時という継続の関係が難しくなってしまいます。

 

自分の望んだものが手に入りそうだったり、目の前にあると、途端に急ブレーキがかかってしまったりもします。

なので、最終的に自分の望みとは違う結果になってしまいます。

それなのに、大切な人やものを目の前にして、その大切さを感じそうになると、手に入れるどころか自分から去ってしまう。。。

大切なものを手にしたいのに、気がついたら自分から手放してしまっている。

だから、後付けのように「相手のため」なんて言いながら、いつまでも自分の心は満たされない気持ちを抱えてしまう。。。

<本当の問題は何か?>

自分から愛する人の元を去る、この本当の問題は投影にあります。

投影とは、自分自身の心の動きを目の前の相手に重ねて見てしまうことを言います。

自分から、本当は望みもしないのに相手の幸せのためとかいう大義名分で愛する人の元を去るのは、自分が愛する人から捨てられたと感じた過去があるのかもしれません。

その幼い頃の傷や痛みがそのままになっていて、今、自分の目の前にいる人との関係が、過去の自分の親との関係になってしまっているんです。

その傷や痛みを再び感じたくなくて、目の前の相手から自分が捨てられるくらいなら、その痛みを味わうくらいなら、相手のためと言いながら自分からその人の元を去る方がまだマシだと思っているんです。

人と関係性を築くことはできたとしても、どうせいつか相手から捨てられるような価値のない自分を信じていないし、相手のこともいつか自分を捨てるに違いないと信じることができません。

なので、関係性の継続がとても難しいものになります。

こう言うと、信じることが出来ずに苦しんでいるように見えますが、犠牲的に見えて実は、

傷つかないように

捨てられないように

怖さを感じないように

価値のない自分がバレないように

愛されない絶望を見ないように

必死になって、

自分から去り、

本音を捨てることで、

自分を守っているんです。

自分から去ってしまわないと、この感じたくない感情に押しつぶされたり、自分が壊れたりしてしまいそうで、そっちの方がずっとずっと怖くてたまらないんです。。。

<このまま続くとどうなるか?>

このままずっとこの感覚を持ち続けると、いつも大切な人を大切にし、大切にされる関係性を望みながらも、続いていく人と人との関係性を信じていくことができません。

そもそも自分を信じることができないので、その信じられない気持ちを目の前の相手に重ねてしまいます。

いつか自分は捨てられてしまうという怖さを目の前の大切な人に重ねてしまい、自ら関係を壊し、去っていくことを繰り返してしまいます。

なので人間関係が長期的な温もりのあるものでなく、単発的な形だけのその場限りのものになってしまいます。

幼い頃に感じたくなかった、ずっと抑えつけてきた思いや恐怖を、大人になっても目の前の人に対して重ね続けてしまうんです。

押さえ込んできた思いや恐怖は、とても大きな感情の力となります。

なので人を求めているにも関わらず、この抑え込んだきた思いや恐怖に飲み込まれ、結果ひとりや孤独を自分から選んでしまい、どうせ自分はこうなんだと諦めていってしまうんです。

もう、どうでもいいや。

いつものことだし。

そうやって自分が自分を捨てていってしまいます。。。

<解決に向けて>

この問題は、自分の幼い頃に誰とのどんな関係に傷があるのかを見てみることが解決への一歩目になります。

そしてその痛みを、その時と同じ深さで感じていくこと。

そうしていくことで、自分の傷は癒されていきます。

感じたくないほどの傷や痛みや怖さは、癒されたくてあなたにずっと訴えかけてきたんです。

ひとりで受け止められないほどの怖さは、ひとりで受け止めなくていいんです。

ひとりでできないことは、助けてもらっていいんです。

その自分へ向き合う覚悟が、自分の人生を変えていきます。

だって、カンチは最後にリカと歩いていく決意をして追いかけて行ったんだもん。

なのに、リカは自分から去ってしまった。

きっとリカが、自分の傷を癒し、等身大の自分も相手もそのまま信じることができていたら。。。

あの切ないラストはなかったでしょうね。

物語ならまだしも、自分の人生という物語がいつも切ないラストシーンなのはどうでしょうか???

自分が望むならそれでいいですが、少なくともハッピーエンドを望むのなら、

自分が目の前の人に

誰を、

どんな気持ちを、

重ねているのかを見てみることで、問題は解決へと向かいますよ。

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