愛情と不信感の葛藤。

金曜日のブログ、

不信感の心理。〜好きと嫌いの狭間〜

 

 

好きと嫌いという気持ちの葛藤を抱えたままだと、

人と関わる時に、

みんなが自分のことを嫌っているのではないかと不信感を抱きながら、

みんなが自分のことを好きでいてほしいと求める。

とお伝えしました。

その愛情と不信感の両方があると、人間関係に問題が出てきます。

 

 

 

 

 

どういうことかと言うと、

アナタが大切な人と関わろうとすればするほど、

どうせわたしのこと嫌いなんでしょ?

と言う気持ちと、

わたしのことを特別に好きでいて!

という矛盾な思いが同時に自分の中から起こってきます。

 

 

なので、

諦めて人から離れようとする。

求めて人を振り向かせようとする。

という事が起こります。

 

どちらもそうしているうちは、

本当の相手を見なくていいんです。

理想化した相手を見ることで、相手から愛されていない自分を見なくていいから。

 

 

そしてそれは、

今の目の前の相手との関係ではなく、過去の母親との関係での想いです。

 

それほどまでに、アナタは愛されたかったんです。

 

なので、人生をずっと愛されるために生きていることになります。

 

相手から愛されるために、自分を失くし、相手に自分という存在を捧げてしまいます。

 

自分を生きてしまうと、誰からも愛されなくなると思っているから。。。

 

 

アナタは子どもの時にお母さんに、

愛されたかった。

大事にされたかった。

見てほしかった。

助けてほしかった。

受け入れてほしかった。

 

 

その叶わなかった切実なアナタの思いを、

アナタが分かろうとしていないこと。

アナタが受け入れようとしていないこと。

それが今の問題なんです。

 

抱いている気持ちに、

愛情と不信感のどちらもあることを知らないと、人との付き合いの中で愛し方が分からなくなるのは当然です。

 

アナタが自分自身でいることを、母親は良しとしなかった。

アナタがアナタでいることを、母親は拒絶していた。

 

その

悲しさ、

寂しさ、

孤独感、

怒り、

恨み、

それは当然アナタが感じていい感情です。

 

その時に感じる不安や葛藤をアナタがどうしていきたいか、なのだと思います。

 

この愛情と不信感の葛藤から逃げると、アナタの人生は

親を理想化して自分が持てずに苦しむか、

親を恨んで相手を変えるために苦しむか、

になってしまいます。

 

信じさせてほしかった。

それはアナタの母親への気持ちです。

 

そこを受け入れない限り、目の前の人に埋めてもらおうとずっと求め続けてしまいます。

 

わたしは、

自分の人生を生きたいのか?

親のための人生を生きたいのか?

 

ここを自分に聞くことが、

理想化の人生をやめて、自分の現実世界を生きていくスタートだと思います。

 

現実は、理想的な世界ではないから、当然イヤなことも苦しいことも辛いこともあります。

 

そこを受け入れても、自分が自分として、人と繋がりながら生きていきたいかなんだろうな、とわたしは思います。

 

 

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不信感の心理。〜好きと嫌いの狭間〜

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

暑すぎて髪を切りに行きました。

短く切ったるぜー!の勢いで行ったんですが、美容師さんから

「そしたら、ストレートになっちゃいますね。」

と言われて絶句。

 

わたしは、髪をドライヤーで乾かさないし、朝も髪ハネなんてものを気にしないでいいように、ラブパーマ生活を続けております。

 

今回はパーマも夏バテしたのか、割とでろーんと伸びていたので、長さを切るとパーマが消える。。。

 

泣く泣く子猫1匹分ほどゴリゴリ量を減らしてもらって快適を手に入れました。

 

自分で決めるのも大事だけど、やっぱり人の意見も大事だなぁと思いました。

最終的に決めるのは自分ですけどね。

 

 

さて、本日のブログです。

 

アナタは子どもの時、

お母さんが好きでしたか?

それとも、

お母さんが嫌いでしたか?

 

子どもは、お母さんに

自分を愛してほしい。

自分に優しくしてほしい。

自分のことを大事にしてほしい。

自分のことを見ていてほしい。

自分が困ったら助けてほしい。

そうやってお母さんの1番になることを望みます。

 

 

母親を、こういう人間であってほしいという希望と期待を持って見るのが子どもです。

 

 

母親に愛されていると感じながら育つことは、子どもにとって大きな安心感になります。

 

 

けれど愛されたくてたまらない母親から、愛されていないと感じながら育つことは、大きな不信感となります。

 

 

今日はそんな愛されたいと思いながらも不信感を抱く心理、

「不信感の心理。〜好きと嫌いの狭間〜」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

人は、愛されたい人から否定されたり、拒絶されたり、無視されたりすると、自分は愛されていないのだ、と感じますよね。

 

 

愛されていないその事実があまりにも辛すぎる。

だから愛されていない自分を感じないでいいように母親を本当は自分への愛情豊かな人間なんだと思い込むことで、その辛さから逃れようとします。

 

 

これが親の「理想化」です。

ワタクシ、自分はこの理想化を全くしていないと思ってタイプでした。

 

両親は好きではないし、でもひとりっ子だから何かと面倒なことは自分に降りかかってくるし。

何でこんなに迷惑ばっかりかけられないといけないんだろう、くらいに思っていました。

 

でも本当は、

わたしは、お母さんから嫌われている。

お父さんは、わたしに何の関心もない。

という現実を見ないでいいように、

ああ、親の期待が重い。

親を面倒見るのは大変。

という、

縛られちゃって気が重いわ。

愛されちゃって大変だわ。

変換を頭で起こすことで、現実から逃れていたんです。

つまりわたしは、「親はわたしを愛してくれている」という自分を傷つけないための「理想化」をバッチリしていた、というワケですよ。

これに気がついた時は、本当に

がいーーーーーーーん!!!でした。

 

でもね。

そうやって、自分の存在意義を守ってたんだと思います。

 

けれど、どれだけ親を理想化してみても肌では感じています。

心の底では、お母さんは自分を愛してくれていないことを知っています。

 

 

自分は好きだけれど、相手には好かれていない。

自分は求めているけど、相手には邪魔に扱われる。

自分は助けるのに、相手には無視される。

そのようなことが繰り返されることで、子どもの心の中には

自分は大事にされていない。

自分はいらない存在。

自分は愛されていない。

という相手と自分への不信感を持ちます。

 

 

けれど、母親へ不信感を持ちながらも、同時に母親を愛しています。

 

 

好きと嫌いは同時に存在することが難しいので、子どもは不信感を抑圧し、親の理想化を強めていくんです。

 

 

そうすると、この親子関係は大人になってからの人間関係に影響してきます。

 

 

人と関わる時に、

みんなが自分のことを嫌っているのではないかと不信感を抱きながら、

みんなが自分のことを1番に好きでいてほしいと求めてしまいます。

 

どうせわたしのこと嫌いなんでしょ?

と言いながら、

わたしのことを特別に好きでいて!

という矛盾な思いを抱えながら人と付き合わないといけません。

 

この好きと嫌いの狭間の葛藤は、人と関係を深めていくのに大きな障害となります。

 

 

この不信感と愛情の葛藤を持ったままだと、どのようなことが起こってしまうのか?

続きは月曜日のブログでお伝えします!

 

 

 

 

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