諦め続けるその先。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

週末、リトリーブサイコセラピーの福岡基礎講座の最終日でした。

 

自分を見つめ、

自分を知り、

自分を感じる。

そんな3ヶ月間の集大成です。

 

セッションの場が用意されてはいますが、本当に自分を変えるのはセッションだけではできません。

 

そこには「自分の意思」が不可欠だからです。

 

自分が自分のことをどう思いたいのか。

自分が自分のことをどう扱いたいのか。

自分が自分のことをどうしたいのか。

 

自分が自分を諦めていたら、いつまでも助け、救ってくれる誰かを待ち続けないといけません。

 

自分が自分に対してどう選択して、何を決めるのかは自分にしかできません。

 

自分を助ける

自分を癒す

自分を守る

それを誰かに求め続けるのか、自分を頼りにやってみるか、そのためのリスクを取れるか。

そんな受講生のみなさんの葛藤や選択を目の前で感じることができました。

そして、わたし自身も改めて「自分を守る」とはどういうことなのかを考えさせられました。

基礎講座としてはこれで修了だとしても、自分の人生はこれからも続いていきます。

一気に進まなくてもいい。

どんな時の自分も、自分が諦めないこと。

自分のために立ち上がって戦うこと。

 

それが、自分を守って生きていくことなんだな。

自分を大切にして生きていくことなんだな。

改めて大きなことに気がつかせてもらう機会となりました。

 

みなさんの今、これから。

ずっと応援しています!!!

 

 

さて、前回のブログ

諦めるという生き方。。。

 

まあ、いっか。

もう、いいや。

どうせ、ムリ。

そうやって自分の本音や自分自身を諦める。

 

 

諦めるってツラいです。

諦めるって悲しいです。

諦めるって苦しいです。

でもそのイヤさと引き換えに、わたしが守れるものがありました。

 

諦めることで、今の現実を思い知らないでいい。

諦めることで、相手を受け入れることができる。

諦めることで、これ以上傷つかないでいられる。

 

わたしは自分を諦めることで、

誰かに自分を預けることができたんです。

誰かを頼りながら生きることができたんです。

ずっと依存しながらラクができたんです。

 

諦めながらも、多くのものを手にしていたし、何よりイヤだった「自分自身」を見なくてよかったんです。

 

自分の感じてきた、

悲しみ

寂しさ

無念さ

みじめさ

怒り

恨み

というイヤな感情を抱く事実から目を背けていられたんです。

 

自分では避けたい事実。それを受け入れるって、とてつもない恐怖です。

 

納得がいかないまま、その事実に圧倒されると人は無力になります。

そして怒りを自分の中に溜めて、被害者になっていきます。

きっと、もっと自分にとって素敵な現実が待っているに違いない!と事実を見ずに理想化した自分の期待や希望で世界や人を見るようになります。

 

けれど、自分の期待や希望通りには世界は回りません。

そこでまた怒りを溜めながら、人生を諦めていきます。

 

その寂しくてみじめな事実を受け入れることは悲しくて怖いけれど、事実を受け入れることで自分が世界に対応できるという感覚も感じることができるんです。

適応できる自分を信じることができるようになります。

起こったそのままを見れることは、今の事実を見れているからです。

起こったそのままを見れないのは、理想の希望を見ているからです。

 

見たくない。

避けたい。

いいと思いたい。

それは、親に対して感じてきた気持ちであることが多いです。

 

そして、

本当の親の姿を見たくないから、

親に対して絶望したくないから、

自分を諦める選択をしている人も多いです。

 

 

何をしても、

何を言っても、

この両親は変わらない。。。

その絶望感を感じたくなくて、自分を諦めながら親を理想化する。

 

理想化して親を責めたくなかったし、悪者にしたくなかった。

それくらい愛されたかった気持ちに泣いたらいいと思います。

本当は絶望している自分に気がついたらいいと思います。

 

だって、そこが自分の本当の事実です。

それが本当の自分なんです。

 

自分のために生きたいか?

両親のために生きたいか?

自分とハムレットしてみてくださいね。

 

今までどれだけ

辛かったとしても。

傷ついていたとしても。

諦め続けてきたとしても。

今の現実から立ち上がりたいかどうかは、いつでも自分で決められるから。

 

 

 

 

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諦めるという生き方。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

猛暑とセミな福岡です。。。

昨日の夕方、いきなりものすごい勢いで雨が降ってきました。

子どもたちと家の中から虹の歌をうたいながら、雨が止むのを待っておりました。

 

その雨で、子どもたちが朝の遊びの時に庭に作っていた迷路や川が壊れたんです。

 

「あーあ。また雨が止んだら作ろー。」

と言う子もいれば、

「せっかく作ったのに!雨、許さん!」

と言う子もいました。

 

結局、雨がすごくてその後に外で遊ぶことはできなかったんですが、

先の子は、その迷路や川の続きをブロックや積み木でまた作って遊んでいましたが、後の子はもう朝楽しく作ったことを思い出したくないとばかりに、周りの子が作っている迷路や川を避けて別の遊びをしていました。

 

どちらも気持ちは分かるんですが、この反応は「自分や世界をどう感じているか」をよく現しているな、と感じました。

 

自分や世界を、

何かあっても大丈夫。何とかなる。

と感じているか、

やっぱり上手くいかない。イヤなことばっかり。

と感じているのか。

 

 

 

 

在るべきか。。。

在らざるべきか。。。

それが問題なのぢゃ!

そんな壮大なるハムレットのような悩みとまではないですが、予想外の出来事に遭遇することってありますよね。

 

また次を考えるか、

諦めてしまうか。

 

これは、

愛着が安定しているか、

愛着を諦めているのか、

という心の在り方に繋がっているとワタシは思います。

 

わたしもよく諦めていたなあ。。。

とその時以前の自分を思い出しました。

 

リトリーブを受講する前、わたしの口グセといえば、

まあ、いっか。

もう、いいや。

どうせ、ムリ。

当時は、人生を投げているというか、何も期待しないことで自分を守るというか。。。

まさに自分を諦めていたんですね、わたし。

 

こう聞くと、堕落したような、時の流れに身を任せたような(古)刹那的な生き方を想像するかもしれませんが、そうではありませんでした。

 

自分を諦めながら、

誰かに優しくありたかったし、

誰かの役に立ちたかったし、

誰かを幸せにしたいと思っていました。

 

ええ、割と真剣にそう思っていました。

 

いつも、

「ここには居ない誰か」のことを、わたしは考えていたんです。

 

そうすれば、自分の本当に感じている

心に穴の空いた虚しさ

周りに誰か居ても拭えない孤独感

人を信用していない寂しさ

そんなイヤなモヤモヤを誤魔化すことができたから。

 

本当は自分に起きている事実が、現実が、それほど過酷だということ。

 

それがあまりにもツラすぎて、

本当の自分を感じたくない。

本当に自分が感じている気持ちに気がつきたくない。

だから自分の感じている本音を諦めることで、目の前の事実に直面しなくていいんです。

 

まあ、いっか。

もう、いいや。

どうせ、ムダ。

こう自分に言い聞かせることで、自分の本音や自分自身を諦めることができるから。

 

この守り方は苦しいけれど、

絶対に見たくない事実を見ないでいいのでラクでもあります。

イヤなものから逃げ続けられるからです。

 

自分を諦めて逃げる。

イヤなものを避ける。

これが続くとどうなると思いますか?

 

また続きを月曜日のブログでお届けします!

月曜から早起き!(それは割とフツウ)でお会いしましょう!!!

 

 

<大阪、東京、基礎コース募集中!!!>

どちらも、9月からの開講です。

気になる方は、満席になる前にぜひ!!!

 

 

 

自分を諦める事で諦めないでいられるもの。

昨日のブログ、

心が折れる時。

 

そのままの自分では価値がない。

何か役に立っていたらここに居ていい。

誰かを喜ばせるために頑張る。

自分そのものを自分が否定して生きていくと、

 

ひとつの躓きで、

やっぱりダメな自分

を改めて感じてしまう。

 

だから

心を折らせてしまう。

諦めてしまう。

 

 

自分を先に諦めるって、一見相手のために自分を犠牲にしているようにも思えます。

 

自分がガマンすることで、相手が満足する。

 

たまにそういう時があってもいいんです。

喜んだ相手の顔を見て、自分も嬉しい。

それは相手を大事に想うからこその感情です。

 

けれどこれが、

ダメな自分。

必要とされない自分。

愛されない自分。

ひとりぼっちの自分。

そのイヤな自分を避けるために諦め続けると、怖さはどんどん膨らんでいきます。

 

 

だから怖さを避けるために、感じないでいいように、行動しなくていいように、自分のことを先に諦めてきたんです。

 

するとこのままでは、ずっとこの先の人生、

ダメで無価値で愛されない自分を抱えたまま、その怖さから逃げる人生を送ることになります。

 

人と関わらず、

自分を信じず、

何事にも挑戦せず、

誰かの望むように生きる。

それは自分の生きづらい気持ちをどんどん増加させるだけですよね。

 

悲しみも、

怖さも、

怒りも、

虚しさも、

どんどん溜まっていきます。

 

自分を何も感じられないまま、避けるつもりがより一層溜まっていってしまうんです。

 

 

わたしがずっと、

やる気や、やりたいこと、自分の本音を失くしてまで守ろうとしていたもの。

 

それは、

愛されないダメな自分を隠すため。

愛されない無価値な自分を感じないため。

愛されないひとりぼっちな自分を見ないため。

 

それほどわたしは、

ダメな

無価値な

愛されない

自分を、

自分で思い知るのが怖かったんです。

今ではない過去の事実を、ずっとずっと避けてきたんです。

 

誰かに愛してもらうことでしか、自分の価値を感じることができなかったんです。

 

自分を諦めることで、

こうしていれば愛してくれるかもしれない。

その望みを繋いでいたんだと思います。

 

愛してくれなかった両親を諦めることができず、

自分を諦めることで両親を諦めずにすみました。

 

ずっと親を握りしめていたのは、わたしだったんです。

 

その怖かった自分、まだ依存している自分を受け入れてはじめて、自分が思い込んできたダメで無価値で愛されない自分をひっくり返そうという気持ちが出てくるんだとわたしは思います。

 

愛されない自分は、ダメで価値がない。

自分のことを最終的にそう決めたのは、わたし自身だったから。

 

けれど、人生の中で全く嫌われないように生きていくことって可能でしょうか?

 

ずっと愛され続けるって、できるでしょうか?

 

自分が自分を無視するのに、誰かに愛してもらって満足できるでしょうか?

 

自分の中にある、感じたくないイヤなものに手を突っ込む勇気。

それが躓きや失敗や挫折を受け止める自分の土台を作っていくと思います。

 

 

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心が折れる時。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

今までヤラかした失敗はなぁに?

という話で盛り上がっておりました。

 

真剣な話の最中。

「へえ!そうなんですね!」という相槌を打とうとした時に、

「ぺえ!」

と思いっきり言って、微妙すぎる空気が流れた。。。

 

 

敬語も尊敬語も何も分かっていない学生の時に。

「ご苦労様でした。」

カッコつけてバスを降りる時に言おうとしたら。

「ごちそうさまでした!」

と言って、何食べたん?という顔をされた。。。

 

免許取り立ての時にガソリンスタンドで。

給油口を開けようとして、レバーを張り切って引っ張ったところ。。。

自分の運転席のシートが倒れて、勢いよく戻ってきた。。。

 

ええ。。。

全てわたしの話でございます。。。

 

 

自分が経験した、

ひとつの喪失。

ひとつの失敗。

ひとつの挫折。

たったひとつの躓きで今まで積み重ねてきたものが、心折れてしまう。

今日はそんな心理についてお話します。

 

 

疲れたり心が折れたりすることは、時にはあるものですよね。

 

けれど、順調な時はそんなことはないのに、ふとひとつ躓くと、全てがなくなったように感じてしまう。

 

ひとつの失敗や挫折で、全てがダメになってしまうように感じてしまう。

それは元々、自分の中に

自分はそのままではダメなんだ。。。

という自己否定があるからです。

 

そのままの自分では価値がない。

何か役に立っていたらここに居ていい。

誰かを喜ばせるために頑張っている。

 

だから自分の中で上手く行っている時は、自分のことを認められるし、肯定もできる。

自分を受け入れられるんです。

 

けれど、ひとつの躓きがあると、

やっぱりダメな自分

をひしひしと改めて感じてしまいます。

 

だからこれ以上ダメな自分を感じないでいいように、もうやーめた!と投げ出して、何もしないことを選んでしまいがちになります。

 

これ、わたし自身も

「自分を先に諦めること」で

自分自身のダメさや、イヤさや、弱さを誤魔化したり、隠そうとしてきたタチなのでよーーーく分かります(笑)

 

自分はダメ。

自分は必要ない。

自分は愛されない。

その思いを感じることは、とてもツラくて悲しいことだから。

 

そして、その思いを

受け止めてもらえず、

余計に責められ、

無視されてきたのだとしたら。。。

これほど怖いことはありませんよね。

 

だから怖さを避けるために、感じないでいいように、行動しなくていいように、自ら心を折ってきたんです。

 

自分の気持ちという芽、

自分の本音という根幹、

全部、全部折りまくっていくんです。

 

そうしていれば、見たくないものにフタはできます。

 

けれどこのままでは、ずっとこの先の人生、

ダメで無価値で愛されない自分を抱えたまま、その怖さから逃げる人生を送ることになります。

 

それは心を折らせたまま、諦めながら自分が腐っていくのを待っているようなもの。。。

 

心が折れた時、

心を自ら折らせている自分に気がついたら、自分にできることって何でしょう?

 

続きはまた、明日のブログでお届けします。

 

 

 

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愛情という名の敵意。その本質。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先週の「愛情という名の敵意」のとぅーびーこんてぃにゅーです。

愛情という名の敵意。

 

子ども時代に、求めても返ってこなかった愛情。

そこに悲しみや憎しみは生まれます。

けれど、憎しみながら愛することは難しいので、子どもは憎しみを抑圧して、愛されている自分を信じ込もうとします。

愛情という名の敵意。

アナタの人間関係がそうなっていたとしたら?

その解決法について今回はお話していきます。

今日は、

「愛情という名の敵意。その本質。」

というテーマで書いていきます。

 

 

敵意がアナタにとって人との関わりになっていくと、アナタの人間関係は、

人と気持ちを通わせるのが怖い。

人と繋がることに嫌悪感を持つ。

自分という存在が分からない。

相手は自分を攻撃してくると感じる。

相手が自分の為に何かしてくれると申し訳なく感じる。

 

敵意を愛情だと受け取らないと生きていけなければ、アナタの自分で築いていく人間関係は破綻します。

 

敵意を愛情だと受け取るということは、

本当のアナタを分かろうとすることなく、本当のアナタであることを拒絶した人を大切にするということです。

本当のアナタを分かろうとするような人を拒否したり、攻撃したり、無視するということです。

本当のアナタ自身を感じ、出すことに対して罪悪感を感じて自分をなくしていくことを選ぶということです。

本当のアナタを認めてくれ、受け入れてくれようとする人にこそ、アナタ自身が敵意を向けていくということです。

 

それは、アナタが本当の自分を出した時に向けられてきた拒絶、拒否、無視を、自分に向けられた愛情だと信じて生きてきたからです。

 

その敵意に満ちたアナタへの気持ちを愛情だと理解して受け取らなければ、アナタは生きることができなかったからです。

 

けれど敵意をぶつけられたのは、アナタの責任ではありません。

 

アナタがアナタ自身であることに嫉妬や憎しみや怒りをその人がぶつけてきたのは、ぶつけてきた相手が自分を出すことをガマンし、抑圧して生きてきたからです。

 

自分が自分で居られなかった恨みを、ぶつける相手はアナタではないのに、アナタにぶつけることで気晴らしをした。

そして悲しいことに、それはアナタにとってとても大切な人だったんです。

 

だからアナタが大切にするのは、本当の愛情をくれる人ではなく、アナタに敵意を向ける人だったんです。

 

その、「敵意を向けてくる人」をアナタは今も大切にし続けているんです。

相手からの敵意に対してアナタが拒否できないのはなら、アナタは自分を大切にしてくれる人を拒否しているということです。

 

自分の中にある

欲求

要求

本音

に対する抑圧を強めることで、自分に向けられている敵意に対応して、愛情に変換して今いる場所に順応しようとするんです。

 

けれど、アナタが本当に求めているのは敵意ではなく愛情だったんです。

 

その気持ちが消えてなくなることはありません。

 

愛情と敵意は相反するもので、一緒に感じることはできません。

だから無理に「敵意ではなく愛情なんだ。」と自分に思い込ませることで生きてきたんです。

 

だけどこのまま、敵意を愛情だと思い込んで生きていくと、人間関係は崩壊して、自分の存在の責任を請け負ってくれる誰かをアナタは求め続けることになります。

そして、本当に愛してくれる人が例え現れたとしても、アナタは自らその存在を突き放していきます。

 

アナタはこのまま、気がつかないでいいですか?

 

とてもツラいけれど、

わたしが親からもらっていたものは

愛情ではなく利用だった。

愛情ではなく支配だった。

愛情ではなく依存だった。

愛情ではなく意地悪だった。

愛情ではなく憎しみだった。

愛情ではなく恨みだった。

愛情ではなく怒りだった。

わたしに向けられていたのは、愛情ではなく敵意だった。

 

この事実を知りたくなかったんです。

 

これを感じることが、アナタはツラくて苦しくてたまらなかったから、イヤだったけれど向けられた敵意を愛情として無理に変換したんです。

敵意を愛情と信じていれば、イヤだけど大切な人との繋がりを断ち切られてしまうことはなかったから。

偽りだと分かりながらも、信じることで自分を守ってきたんです。

 

今までアナタはその拒絶が、敵意が、いつの日か振り向いてくれるとずっと頑張ってきましたよね?

その苦しい頑張りを、アナタはまだこれから先も続けていきたいですか?

アナタに向けられてきた愛情という名の敵意を、これからも受け入れたまま、誰かからの愛情を求め続けながら本当の愛情を壊し続けたいですか?

 

 

 

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愛情という名の敵意。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、友達とドラマ「大奥」の話をしておりました。

どのシリーズが好きか?についても熱く語っておったのですが、振り返るとどれも面白いシリーズですよね。

 

華の乱もそうですが、最終章や菅野ちゃんの(調べなはれ、タイトル!)も面白かったなーと改めてその魅力を思い出しておりました。

 

その当時、わたしは大奥を見終わると本当に気分が沈んでおりました。

あぁ、この時代にいきていなくて本当にヨカッタ。。。と思いながらお風呂で気持ちを沈めたりしたのもいい思い出。

 

けれど、次週になるとやっぱり見ちゃう(笑)

それは、大奥が人間の愛憎劇や人間模様を映し出してくれていたからかもしれません。

 

愛情の中に潜む憎しみ。

憎しみの中の隠れた愛。

そのドロドロにお腹いっぱいになりながらも、ついおかわりをしてしまうのは、わたし達の中にもドロドロの愛憎があるからかもしれません。

 

 

アナタにも、

親しい人から急に無視された。

親しい人が急にイヤになった。

好意的だった人の態度が冷たくなった。

好意を持っていた人への気持ちが急に冷めた。

相手の意にそぐわないと攻撃された。

自分の気持ちに共感してくれない相手を責める。

そんな経験はないでしょうか?

 

そこにはもちろんアナタの中に嫌われることへの恐怖があります。

 

そして、アナタ自身が抱いていた相手への気持ちの中に愛情だけではなく、アナタが意識していなかった怒りや憎しみや恨み、そんな敵意が混じっているからかもしれません。

 

その敵意が自分で意識できていないと、アナタは人間関係を自ら壊していくことになります。

 

今日はそんなアナタが愛情だと信じていた想いの中にある無意識の怒りや憎しみの心理、

「愛情という名の敵意」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

アナタの信じている愛情の中に潜む敵意。

これは幼少期の愛する人との関係に大きく影響しています。

 

アナタが愛する人、両親との関係。

それがアナタの今の人との関わりの基盤となっています。

 

幼少期、子どもは親を常に求め、愛しています。

身体と心、全部で求めます。

 

その時に、両親からの反応が

鬱陶しいという嫌悪

関わりたくないという無視

面倒臭いという拒絶

うるさいという拒否

親を優先しろという圧力

が返ってくると、

 

子どもは

親を求める気持ちを諦めるか、

親がそうするのは自分に問題があるからだと必死に愛されようとするか、で

現実の辛さに対応しようとします。

 

愛を求めて止まないほど自分も親を愛しているからです。

 

愛する人から愛されない現実や、拒否や否定を受け入れることができない。

けれど、自分は愛している。

その矛盾に対応できない時、生きるために子どもは愛してくれない親への怒りや憎しみを抑え込むことで親を好きでいようとします。

 

なので、子どもの心の中に

怒り

憎しみ

恨み

という敵意を押し殺して、生きるために愛情だと思い込んだ「愛情という名の敵意」が存在するんです。

 

<このままだとどうなるか>

確かにある敵意を抑え込んで、親を好きでい続けようとすると、

 

人が怖くなる

人が信じられなくなる

人が嫌いになる

ということが起こります。

 

 

アナタが大切な人から向けられていた感情が、愛情ではなく敵意であったのなら、

アナタが大切な人に向ける愛情にも、敵意が潜んでいます。

 

 

だって、アナタにとってその敵意こそが愛情だから。

 

このままでは、当然アナタの人間関係は上手くいかないどころか、大切な人こそ失っていくことになってしまいます。

 

アナタの育った家庭には、愛情という名の敵意が溢れていませんでしたか?

アナタは大切な人から、愛情という仮面を被った理不尽な意地悪に晒されていませんでしたか?

 

アナタが敵意を愛情だと信じ込んで生きてきたのなら、

アナタは人を愛する時に愛する相手にこそ、敵意を向けていくようになります。

 

さて、これはいかがなものか!?

今日は長くなりましたゆえ、続きはまた次回とさせていただきまする!!!

 

 

 

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リトリーブサイコセラピー福岡基礎コース

諦めるという生き方。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

思うようにいかない時ってありますよね。

自分の想像とは違った時。

失敗した時。

自分の足りなさを知った時。

何かに圧倒された時。

 

そういう時、人は

何かしらの次の手立てを見つけようとします。

もう一度立て直す。

改善策を練る。

相手の立場で考える。

そうやって自分と折り合いをつけて、次に繋げていこうとします。

 

その、折り合いをつける時に。

先に諦めてしまう、ということがあります。

もういいや。

どうせムリ。

やっても一緒。

仕方ないから。

そう自分に言い聞かせて、今の状況をただただ受け入れる。

 

今日はそんな、今をただただ受け入れながら仕方ないと諦めていく心理、

「諦めるという生き方。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

この、先に諦める生き方。

そもそも、自分の欲求を諦めています。

人生が、自分の思うようになんてなる訳がない。

どうせ裏切られるのだ、と信じています。

この自分の人生にいつも絶望を感じている生き方が脱愛着です。

 

望まなければ、期待しなくていい。

希望を持たなければ、絶望しなくていい。

最初から諦めておけば、今以上に傷つかずに生きていけます。

 

幼少期に、アナタはそうやってしか自分を守ることができなかったのではないでしょうか。

世界は全て自分を攻撃してくる。

世界は誰も自分を守ってはくれない。

世界はみんな敵なのだ。

根底で、自分の生きている世界をそう感じながら生きてきたのではないでしょうか。

 

ずっと危険に身を晒されながら、守ってくれるはずの人が守ってくれない。守ってくれないどころか、1番守ってほしい人から無視をされたり、攻撃をされたりする。

 

子どもにとってその状況は想像するだけでも、とても恐ろしい世界です。

 

自分を生かすために、恐ろしい世界から身を守るために、自分の本音や欲求を抑えることで、必死に取ってきた自分なりの身の守り方が「諦める」という生き方なんです。

 

 

 

<このままだとどうなるか>

諦めていると、怖さも感じにくいのでいいことだらけに思えるかもしれません。

 

けれど、怖さやネガティブを感じないで生きていられるということは、同時にアナタがアナタらしく生きるための喜びや楽しさも感じることができません。

 

人は感じたい感情だけを選択して感じることはできないからです。

 

自分の本当は感じている感情を諦めるということは、アナタが自分を生きること、自分らしく生きること、生き生きとした人生を送ることも同時に諦めることになります。

 

するとアナタは自分の人生を、今から先の人生を、これからずっとどのような感覚で生きていくと思いますか?

 

そう。。。

心にずっと空っぽ感や虚しさを抱えながら、死んだように生きていくことになるんです。。。

 

 

<解決に向けて>

アナタが自分の本音を諦めてきたのは、生きるために幼少期はとても必要なことだったと思います。

 

けれど、

生きる意欲というのは、自分の本音を感じることなく湧いてくることはありません。

生きる意味というのは、自分ひとりで感じるものでなく、誰かとの信頼関係から見つけていけるものです。

アナタが今、人生の虚しさを感じているのなら。

それは、

人から離れることで解決しません。

自分を避けることで解決しません。

 

アナタは諦めたまま、自分の人生を否定したままでいいですか?

 

アナタがずっと苦しいのは。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

子ども達が園庭で縄跳びの練習をしていたんですね。

10回ごとに到達シールがもらえます。

縄跳びを跳べるようになることが楽しい子は、シールが増えていく度に

「数えて!見てて!」

とチャレンジしていこうとします。

反対に、友達がやるから、練習しないといけないから、という自主的な理由ではない子は、思うように跳べないとすぐに辞めてしまいます。

 

これ、やる気が出るまで待ちましょう、そっと見守りましょう、のお話ではありません。

 

思うように縄跳びが跳べない。

だから縄跳びは好きじゃない。

縄跳びを挑戦することを避けて、縄跳びそのものを見ないようにする。

 

縄跳びを避けて、見ないようにすれば、自分は苦しくないからです。

けれど、別の遊びをしていても自分が本当はやりたかった思いはなくなりません。

できなかった悔しさも消えません。

縄跳びをやってもやらなくても、ずっとずっと苦しい気持ちのまま過ごすことになります。

 

今日はそんな、

見ないようにしたのに、

フタをしたのに、

アナタがいつまでもラクにならずに苦しさがなくならない心理、

「アナタがずっと苦しいのは。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは脱愛着の問題です。

自分から求めることをしない。

欲しいと思う前に諦める。

欲求そのものを感じないようにする。

求めている気持ちを諦めることで、世界に適応しようとする生き方です。

 

欲しがってもムダ。

自分には必要ない。

そんなもの要らない。

 

そうやって、愛情や自分を安心させることを諦めて、求めないようにしたとしても、アナタの中には、

本当は愛してほしい。

本当は見てほしい。

本当は分かってほしい。

本当は受け入れてほしい。

本当は認めてほしい。

という人間としての当然の欲求は消えません。

 

むしろ消そうとすればするほど、アナタの中に欲求は意識され続けます。

 

それを感じないように、抑えるために自分のエネルギーをたくさん使うことになります。

 

<このままだとどうなるか>

消えない欲求は、満たされることを望みます。

なので色々な方法を使って、相手や誰かに見てもらおうとコントロールするようになります。

誰かに自分を見てもらっている時だけ、自分の存在を感じることができるからです。

けれど見てもらうためには、アナタは

不幸でなければいけません。

困っていなければいけません。

被害者でないといけません。

 

アナタは誰かから見てもらうために、

ずっとずっと苦しんでいないといけないんです。

 

だからアナタは自分から、

今の苦しい状況を自分で作り続けてしまいます。

 

そうすることでしか、自分が誰かと関わることができないから。。。

 

 

<解決に向けて>

わたしがいつもこんなに苦しいのはどうしてだろう。。。

アナタがずっとそう思っているなら、

アナタ自身が自分をどう扱い、どう思っているのかを自分に聞いてみたらいいと思います。

 

そしてそれは、過去にアナタがどう扱われ、思われていたのかにも繋がっていきます。

 

過去に、アナタの大切な人が、

アナタを愛するチカラがなかった。

アナタを守るチカラがなかった。

アナタを受け入れるチカラがなかった。

 

だからアナタも、そのまま自分や人を

愛することができないままでいいですか?

守ることができないままでいいですか?

受け入れることができないままでいいですか?

 

 

 

↓↓↓10月のセッション予約可能日、更新しています

最新予約状況

 

☆カズさんの新刊発売記念講演会☆

10月12日にカズさんこと大鶴和江さんの力作の
新刊

「自分を縛る“禁止令”を解く方法」

が発売されます!!!

 

なんと、その記念に「新刊発売記念講演会」が決定しました。

 

10月30日(土) 大阪
10月31日(日) 東京
11月3日(祝・水)福岡

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すぐに怒ってしまう〜怒りっぽいアナタへ〜

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

人って、余裕がなくなると怒りっぽくなったりしませんか?

 

普段なら何も気にもとめないのに、急いでいると自分の思うように事が運ばないとイライラしたり。。。

 

もちろん、怒りはアナタが自分のことを守るためにとても大切な感情です。

 

理不尽な扱いを受けた

相手が傷つけてきた

自分の大切なものを攻撃された

そういう時に、人が怒りの感情を感じないと、相手のされるがままになってしまい、自分のことを守れません。

 

けれど何かの時というよりも、常に何かに怒ってしまう。

すぐにキレてしまう。

 

今日はそんな、怒りっぽい心理

「すぐに怒ってしまう〜怒りっぽいアナタへ〜」というテーマで書いていきます。

 

 

 

いつも何かに怒っている。

イライラが止まらない。

ずっと怒りが収まらない。

そんな時には、アナタに何が起こっているのでしょうか?

 

<本当の問題は何か>

この根底には、愛着の問題があります。

怒りを手放したいけど、いつも怒っている。

 

そんな時、自分に聞いてみてください。

怒っていないと、アナタはどうなりそうですか?

怒っていれば、アナタはどんな自分の気持ちに気がつかないでいいですか?

 

おそらくアナタには、とても感じたくないイヤでたまらない感情があるんです。

 

愛してほしい人に愛されなかった。

守ってもらいたい人に守られなかった。

愛している人を愛せなかった。

守りたい人を守ることができなかった。

 

そんなアナタの本当の想いが、怒っていないと出てきてしまうんです。

 

悲しくて、

寂しくて、

みじめで、

苦しくて、

ツラくて、

自分の存在ごと、崩れ去ってしまいそうで。。。

 

 

本当は、自分の人生に絶望している。

本当は、希望なんかない。

本当は、生きていたくなんかない。

 

何かに目を向けて怒っておけば、この自分の脆くも崩れてしまいそうな絶望感を感じなくていいんです。

 

だから、怒っていたい。

絶望感に気がつきたくない。

 

だからアナタは、自分の本当の気持ちから目を逸らし、相手や他人に目を向けては怒れる何かを探し続けてしまうんです。

 

<このままだとどうなるか>

自分では、絶望感や悲しみにフタをするために怒っていても、周りの人にとってはアナタはいつも怒っている人です。

 

いつも怒っている人に、喜んで近づきたいと思う人はいるでしょうか?

 

関わろうと歩み寄っても、拒否されたり否定される人と関係を深めて育んでいきたいと思う人はいるでしょうか?

 

そして、アナタ自身はずっと孤独を感じながらいきることになります。

 

けれど、自分の本音には絶対に触れないように逃げ続けて生きていかないといけないんです。

 

そうです。

アナタはこのままだと、

自分が誰なのか?

何のために生きているのか?

全く分からないままの未来が待っているんです。

 

<解決に向けて>

なぜ自分がいつも怒っているのか?

どんな気持ちから逃げているのか?

ここに気がつくことはとても大切だと思います。

 

大切な人から

愛されなかったアナタも、

守ってもらえなかったアナタも、

愛されて守られていい存在なんです。

 

 

愛せなかったアナタも、

守れなかったアナタも、

愛して守り抜くチカラが存在するんです。

 

それをアナタ自身が感じられていないことが問題なんです。

 

アナタはアナタを受け入れられないまま、これから先の人生を送りたいですか?

アナタはずっと感じられません。

アナタはアナタを生きることができません。

 

アナタは自分から逃げるために、怒り続けて生きていきたいでしょうか?

 

アナタは自分で、何を選びたいですか?

 

 

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怖いと感じるのが怖い。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

自分は、大体いつも冷静だし、理論的に落ち着いて物事を考えることができる。

 

だから、あんまり怖いことなんてない。

 

そんなタイプの人、いますよね。

けれど、それって。

実は感じている怖いを、何とか自分の中から消したり排除したりしようとしているのかもしれません。

 

今日はそんな、怖いを感じることを避けてしまう時にあなたに起こっている心理、

「怖いと感じるのが怖い。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは脱愛着の問題です。

 

世の中は分からないことだらけ。

自分は世界に対応できない。

どこにも居場所がない。

 

その感覚はアナタが幼少期から、恐怖や不安を感じた時に、

受け止めてもらっていない

否定や拒絶や無視をされた

どうすればいいか教えてもらっていない

ことで、あなたの中にずっと安心が持てず、恐怖や不安がずっと消えていないから起こっているんです。

 

恐怖や不安がずっと消えずにいつもつきまとうと、愛情や安心感を求めないことで自分を守ろうとするようになります。

 

恐怖や不安な状況や状態が日常。

そう思い込もうとするんです。

 

人との繋がりを求める気持ちを諦めて消すことで、自分の存在を守ろうとするんです。

 

自分の怖さを受け入れて認めてしまったら、

ひとりぼっちで

何もできない

助けてもらえる価値のない

そんな自分を感じてしまうんです。

 

怖いという恐怖を感じてしまうと、自分が壊れてしまう。

それが怖くて、自分が感じている怖さや助けを求める気持ちを消そうとします。

 

<このままだとどうなるか>

もちろん自分の

本当は寂しい

本当は助けてほしい

本当は怖い

という気持ちを必死に抑えているので、自分自身の全てを感じられなくなってしまいます。

 

自分自身の存在が分からなくなってしまうので、周りの人から自分が何なのかを教えてもらおうとします。

 

自分の全てを他人に預けることで、自分の求める気持ちを消そうとするんです。

 

自分が

どんな気持ちを感じても、

どんな思いをしても、

どれだけ怖かったとしても

誰も助けてなんてくれない。

 

自分の中にある怖さを感じてしまうと、自分そのものが壊れてしまいそうで怖いんです。

 

だからアナタはずっとずっと恐怖や不安から逃げ続けるだけの人生になってしまうんです。

 

<解決に向けて>

恐怖や不安から逃げ続けたら、アナタはいつまでも

自分を感じることはできません。

自分を持つことはできません。

自分を生きることはできません。

 

求めることを避ける代わりに、アナタは自分自身を失ってしまうから。

 

だからこそ、アナタにできることは、

自分の

怖いを知ること。

怖いを認めること。

怖いを受け入れること。

 

そして、勇気を持って自分から助けを求めることなんです。

 

自分ひとりじゃできないことだから、人の手を借りる。

アナタがアナタを助けるために、人に求める。

 

だってアナタは本当はひとりで充分に苦しんできたから。

 

どうしていいか分からないこの世界の中で、何とかひとりで対応しようと頑張ってきたから。

 

自分のために泣くこと。

自分のために怒ること。

自分のために喜ぶこと。

 

分からないことは、まずは人から教えてもらったらいい。

わたしはそう思います。

 

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