やりたいのにできない。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

こうしたいのにできない。

こうすればいいと分かっているのに、やろうとすると足が止まる。

やらないといけないのに、全く進まない。

 

こんな

前にも後ろにも

右にも左にも

全く動かないような

モヤモヤした経験ってありませんか?

 

そうして

できない自分を

やる気のない

怠け者

精神的に弱い人間

だと感じて責めてしまったりもする。。。

 

人生、やる気と根性があれば何とかなる!と進んできた人に起こりがちかもしれません。

 

今日はそんな、やらなきゃと思えば思うほどできなくなる心理、

「やりたいのにできない。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か>

これ、実は自己重要感の問題があります。

やりたいのにでききない。

そんな時は、

やってみて失敗することが怖い。

実際に挑戦するために動くことが怖い。

という怖さに加えて、実は

本当はやりたくないことをやろうとしている、ということがあります。

自分の本心ではやりたくないと思うのに、やらないといけないと思っているから苦しくなる。

 

 

本当は今日は家で本を読みたい。

だけど友達に食事に誘われたから出かけることになった。

それなら、どれだけ待ち合わせに行こうとしても、本が気になって行きたくない気持ちになります。

やろうとしてもできないのは当然とも言えますよね。

なのに、どうしてやろうとしてしまうのか?

そこが本当の問題なんです。

やらない、できない、しない自分に対して

ダメ

価値がない

必要のない存在

というアナタの本当の恐怖があるからなんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

やりたくないことでも、やらないといけない。

自分を無理させてでもしなくちゃいけない。

そうしていないと、

本当の自分は

ダメ

価値がない人間

要らない存在

だと感じてしまうのがたまらなくイヤなんです。

 

そして、アナタ自身が自分をそう思っていると、その自分を何とか隠そうとします。

 

そのために

相手の期待に応えたり、

相手を喜ばせたり、

相手の許可をもらったり、

相手のために頑張ったり、

ということをして自分を認めてもらおうとします。

 

そうしていれば、

アナタが必要だよ。

ここに居ていいよ。

と相手から許可がもらえる気がするから。

 

だからアナタは相手のためにしか生きることができなくなってしまうんです。

 

自分という存在を消すことでしか、自分という存在を認めてもらえなくなってしまいます。

 

<解決に向けて>

これって、できないことをできるようになることが解決ではないですよね?

できるようになることは、やりたくないことを無理矢理に自分を消してやらせようとすることになるからです。

アナタはそれを自分に望むでしょうか?

 

アナタはアナタのことをどう思っているのか?

アナタはアナタのことをどう思えるようになりたいのか?

大事なのはそこだと思います。

 

できるようになっても、アナタが自分をダメで要らないと思ったままでは、誰かの許可をもらうために頑張り続ける人生は何も変わりません。

 

まずはアナタがその自分に気がつくこと。

そして、どうして自分がそれをやりたいのかを自分に聞いていくこと。

 

自分のためなのか。

相手のためなのか。

 

それは、アナタがこれからの自分をどう生きたいかにも繋がっていきますよ。

 

 

 

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自分のことを決められない。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

自分のことを決められない。

こんな感覚を持っている人、ジツは多いのかもしれませんね。

自分がどうしたいのか分からない。

誰か教えてほしい。

そうして自分という存在がどんどんなくなって苦しくなっていく。

 

自分のことなのに

決められない。

分からない。

どうしてなんでしょうか???

 

今日はそんな自分のことなのに自分で決められない心理、

「自分のことを決められない。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは自己重要感の問題です。

 

決められない、と感じながらも本当は決めていいんです。

だって自分のことだから。。。

 

けれど決めてしまうことに、大きな恐怖があるんです。

 

 

過去に、アナタが自分自分のことを決めてしまうと困る誰かが家族の中に存在した、ということなんです。

 

 

アナタが

自分の意思で

自分の考えで

自分を持って

決めてしまうと都合が悪いと感じる人が家族の中にいたんです。

 

 

だから、アナタが自分のことを決めようとすると

拒否したり

否定したり

怒ったり

無視したり

困った顔をしたり

そうやって諦めさせようとしてきたんです。

 

 

そしてそれが続くと、アナタは

わたしが何を言っても聞いてもらえない。。。

わたしはどうせ分かってもらえない。。。

わたしが何をしても否定される。。。

わたしはどうせ愛されない。。。

 

そんな行き場のない気持ちを

わたしが悪いから。

わたしが足りないから。

という罪悪感で自分で決めることを、アナタの素直な欲求を出すことを、抑えていくようになります。

 

自分のことを決めなければ、

自分の欲求を出さなければ、

相手に合わせていれば、

ひとりになる孤独の怖さ

愛されない絶望

自分はダメという無価値感

このイヤで怖い感情を避けることができるんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

自分で自分のことを決めない代わりにもらえる安心。

これはアナタが本当に望むものではありません。

だから自分が分からなくなって、どんどん苦しくなってしまいます。

 

けれど自分を持ってしまうと先程の恐怖を感じてしまうと信じているので、自分そのものを諦めていってしまいます。

 

アナタは自分には何もできないと、自分のことを自ら無力な存在にしてしまうんです。

 

諦めて無力にしておかないと自分は生きて生きていけないんだ、自分のチカラを失わせてしまうんです。

 

アナタは、

自分を無力にして、

チカラを消して、

生きることに意味も希望も何も持てずに、苦しさとしんどさを抱えながら生きていくことになるんです。

 

<解決へ向けて>

アナタが今の状態が苦しければ苦しいほど、そこには大きなメリットも同時に存在しています。

 

自分で決められず、自分を感じないことは苦しいけれど、

自分に触れずに安全で、自分の感じたくない感情を感じなくていいんです。

 

自分を

無くしていれば

抑えていれば

ガマンさせていれば

アナタは生きることができたから。

 

どちらもアナタは怖いし、つらいんです。

自分で決めることも。

自分を無くすことも。

 

 

そのどちらの自分も認め、感じていく。

まずはそこから始めませんか?

 

アナタが自分の感じたくない感情に触れてでも、自分を持ちたいのかどうか?

 

アナタがアナタに何度でも聞いてあげましょうね。

 

 

 

イヤな感情を避け続けるとどうなるか?

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

昨日の福岡は、大雨&雷。

突然変わる空模様に、子ども達はパニックを起こす子もいました。

最初はじっとしていたんですが、雷に耐えきれず、抱っこした瞬間に泣き始めました。

ガマンしてたんだねぇ。。。

怖い時は、怖いって言っていいよ。

自分では大丈夫と思っても、本当は。。。ということはあったりしますよね。

アナタは自分の感情を

どれくらい知っていますか?

どれくらい感じていますか?

 

嬉しい、楽しい、そういったポジティブな感情は感じることはできる。そういう感情は感じていたいし、たくさん感じたい。

 

けれど反対の

悲しい、苦しい、つらいといったネガティブな感情は避けたい。感じたくない。

これって、ほとんどの方が当てはまるのではないでしょうか。

 

自分のイヤな感情なんて避けたい。

なくなればいい。

そう感じてしまいめすよね。

今日はそんな、イヤな感情はアナタにとって本当にジャマなのか?ということを見ていく、

「イヤな感情を避け続けるとどうなるか?」

というテーマで書いていきます。

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは、愛着、自己重要感の問題です。

自分が感情を抑えつけて、イヤな感情を感じないことで自分を守ってきたんです。しかし、抑え続けてきた感情たちは表現の場を求めています。
子どもは、恐怖を感じた時、誰かが側にいてくれることを望みます。
親からその悲しみを受け止めてもらったり、認めてもらったり、確認してもらうことで安心感や自分の価値を育てていきます。
「悲しかったね」
「怖かったんだね」
「本当はこうしたかったんだね」
そんな親からの安心を子どもは必要としています。
悲しくても、そうして受け止めてもらうことで
自分が大切にされていることや、悲しみへの向き合い方を学んでいきます。
しかしそれが叶わないと、自分の感情を確認してもらえず、自分の価値を見失い、自分は親にとって迷惑で邪魔な存在なのだということを信じていきます。

何かに傷ついたり、自分ひとりでは耐えられないような出来事に遭遇した時、まずはその事実や自分の素直な感情を否定し、拒絶することが何より優先になっていくんです。

 

受け入れきれないし、受け入れてしまうと自分が壊れてしまいそうだからです。

 

そうやって、心が自分を守ろうとするんです。

そうすると、子どもは愛されるために自分の行動を決めるようになります。
何かが起こった時に、自分ひとりでは守りきれないので愛されるように振る舞うことで、誰かに側にいてもらおうとします。
周りから愛される存在でいたいと願うのは、周りの基準で生きていくということです。
<このままだとどうなるか>
つまり、ずっと他人の基準で自分を生きていくということになります。

他人の基準で生きていくためには、自分をなくし、感情や欲求を消して、他人を優先して生きていかないといけないんです。

 

なので感情とのつながりを、自ら切ってしまうんです。

 

日常生活を送っていくためにはいちいち感情に振り回されていたら回らなくなるし、立ち止まったところで事実が変わるワケではないんだし。。。

と自分がどんどん分からなくなる。

 

もうあんな思いは2度としたくない!と思っていればいるほど、その傷が深ければ深いほど感情は閉じてしまいがちです。

 

感情なんて、感じている余裕がなくなってしまいます。

目の前のことに対処するだけで精一杯になります。

そうやって自分のことを必死に守っているんです。

誰も自分のことを守ってくれる存在なんていない、そう信じているから。。。

だから、自分の感情なんて感じていたら、自分のことを守れなくなってしまう。。。

 

なのでそうならないように、事実を否定し、自分に言い聞かせたり、大したことじゃないと目をつぶることで自分の感情を切り捨てて、不安を少しでも感じないようにするんです。

こうやって自分の感情を切り捨てて生きた方が、その場はラクでいられるから。

 

けれど、この人生はどうでしょうか?

悲しみや痛みを感じない代わりに喜びや楽しさも失っていく。。。

 

何も感じずに、ただ毎日を生きるだけ。

人を求めることもなく、孤独感と背中合わせ。

自分が何のために生きているのかを見失ってしまいます。

避けているはずなのに、いつも心の底では

価値のない

孤独な

愛されない

自分を感じながら生きることになるんです。

 

<解決に向けて>

 

感情なんていう厄介なものが存在しなければ、傷つくことも、痛みを感じることも、つらい思いをすることもない。

感情というものを感じることが、積み重ねてきた自己否定を思い知ることになってしまう。

感情とは、自分を傷つけ、失った自分の価値を改めて味わせるような恐怖の対象だと信じている。

 

これが本当の事実なのかを自分で確かめることです。

 

感情を切っていても、感じてないということではないんです。

本当は感じているからこそ、避けたいし逃げたいんです。

 

自分の傷から逃れるために感情を切り捨てる限り、過去の痛みからは永遠に逃れられなくなります。

感情とは、自分そのもの。

感情を切るのは、自分自身を切り捨てていることと同じなんです。

自分の感情に間違いなんてありません。

 

なので再びその過去に感じていた感情たちを、同じ強さと深さで感じ、それを安全に表現する。

それをやるのだと、自分が決める。

そのためには、自分への信頼も必要です。

自分を感じること、

素直に表現すること、

本当の望みに気がつくこと、

感情はあなたにそれを教えてくれていますよ。

 

 

怒りたくない。。。〜怒りの矛先〜

福岡の心理セラピストリトリーブサイコセラピー前田ひとみです。

 

幼稚園でのお迎えの時間。

お母さんの姿が見えたら自分の荷物を全て渡し、遊び始める子ども。

まあ、これはよくある風景です。

けれど、自分の荷物を持たせておいて、持ち方や置き場所、今日の忘れ物などの文句を言う。

わたしは、すでに自分の荷物は自分で持ちなさい!と思っていますので、子どもに一声かけます。

 

けれどお母さんは、

ごめんね。

子どものすることにいちいち怒っても仕方ないんで。

とまるで子どもの言いなりのようになってしまっている。

 

 

怒りたくない。

怒っても仕方ないんだから、建設的に自分の感情をコントロールしたい。

怒っている自分を嫌悪してしまう。

 

そうやって怒りという感情をできるだけ避けたり、排除したい。

 

怒りを

抑えつける、

ガマンする、

感じないようにする、

その光景に、何とも違和感を感じました。

 

怒りの感情は、別に悪いものでも、ネガティブなものでもありません。

 

けれど、怒りや、怒りを感じている自分を悪いと思ったり、避けたりしてしまう。

 

今日は、怒りを避けたり嫌ってしまう心理、

「怒りたくない。。。〜怒りの矛先〜」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か?>

 

怒りたくない。

自分の怒りを感じたくない。

ここにあるのは、自己重要感の問題です。

 

自分を見たくない。

自分の本音を見たくない。

自分の怒りの感情を見たくない。

 

見てしまうと、自分が壊れてしまいそうで怖い。

触れてしまうと、今までの自分が崩れてしまう。

 

だから必死に、自分の怒りを避ける。

怒りが出てきそうな状況を避ける。

怒りの感情を全力で抑え込む。

 

自分の怒りを抑え付けていくと、アナタには常にガマンをして生きていかないといけません。

そして、自分がどんどん分からなくなっていきます。

 

その怒りを外に向けて発散したり、誰かに八つ当たりしたり、誤魔化せている時はまだマシなのかもしれません。

それを続けた結果、

人に拒否されたり、

人に嫌がられたり、

人に無視されたり、

それが繰り返されてくると、アナタはその怒りの感情そのものを段々と「悪いもの」として避けるようになります。

 

自分の中にある、怒りの感情の存在を認めなくなるんです。

 

そうして、怒りの存在を消そうとするんです。

すると、その怒りはどうなるでしょうか?

 

 

そうです。

外へと出せない怒りの感情は、アナタ自身へと向いていくんです。

 

 

アナタは、自分の怒りこ感情を否定して、抑えつけて、自分へと怒りを向けて、何事もなかったかのように日常を送ろうとするんです。

 

<このままだとどうなるか?>

 

短期間なら、まだ何とか耐えきれることもあるのかもしれません。

 

しかし、これが長期間ずっとずっと続いたら、アナタはどうなってしまうでしょうか?

 

生きているのがつらくなります。

生きる意味が分からなくなります。

生きることに希望が持てなくなります。

 

そうして、

もう、どうでもいいや。。。

人生なんてこんなもん。。。

どうせやってもムダ。。。

と自分を諦めてしまうんです。

 

怒りを感じてしまうと、

アナタの中にあるその

悔しさ

絶望感

に触れてしまいます。

 

触れてしまうと、抑え込んでいたものが溢れてしまいます。

 

その自分を受け止めるチカラが、自分にはないと思っているから触れられないんです。

 

感じたくない怒りがあればあるほど、自分をどんどん無くして、虚しさを募らせていきます。

 

怒りを飲み込んで、ニコニコと笑いながら、本当は怒っている自分を無かったことにしていれば、いつか報われる日が来るかもしれない。

そう信じて報われる日を待ち続けるんです。

それで本当に報われた日が、アナタにやって来たことはありましたか?

 

 

<解決に向けて>

生きていてくれてありがとう。

これを本当は、心から両親に言って欲しかった。

アナタが生まれてくれてよかった。

これを本当は、心から両親に思って欲しかった。

 

言ってもらえる自分になれるよう、

思ってもらえる自分になれるよう、

子どもは必死に努力をします。

 

けれどそれが叶わない。

やってもやっても叶わない。

どれだけ自分が頑張っても叶わない。

 

愛されない自分の絶望と悲しみを、そのネガティブな気持ちを、絶対に感じたくなくて避けていくんです。

 

避けることで、どんどん自分を見失っていってしまいます。

 

もらえない自分のみじめさや痛みを感じないでいいように、愛してくれない怒りも抑えつけていきます。

 

抑えつけることで、どんどん自分が分からなくなっていきます。

 

アナタは、

誰かに自分の

悔しさを、

絶望を、

分かってほしかったんです。

 

本当は、ずっとずっと泣きたかったんです。

泣かせてほしかったんです。

受け止めてほしかったんです。

 

 

アナタに今、必要なのは

自分を大事にするために、怒りを出すこと。

自分を守るために、イヤなものをイヤと言うこと。

 

怒りを出すことは、誰かを傷つけることではないから。

誰かと同じになってしまうことでもないから。

 

そして、悔しさと悲しさと怒りと絶望感でいっぱいで、それでも頑張って生きてきた自分に、

 

生きていてくれてありがとう。

よく生きてきてくれたね。

アナタがアナタへ、たくさんそう言ってあげることなんじゃないかな、とわたしは思います。

自分のことが分からない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

自分のことがよく分からない。

 

そんな話を最近よく聞きます。

 

意見を求められると、自分の中から何も出てこない。

 

自分がどう思っているのか、自分でよく分からない。

 

人の話を聞く時は、すんなり聞けるから何の問題もないんだけど、自分の意見を求められると固まってしまう。

 

自分のことなのに、自分が1番分からない。

 

 

今日はそんな心理、

「自分のことが分からない。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

何が好きなのか分からない。

何が嬉しいのか分からない。

自分のことが分からない。

アナタが自分のことが分からないのは、アナタが自分の気持ちが分からないからです。

 

自分の気持ちが分からない時、アナタは自分の感じている本音を誤魔化したり、無理に納得させたり、消したりしていますよね。

 

それがアナタを辛くしているし、苦しめています。

 

だから本音を感じることはとても大切です。

本当は

悲しかった。。。

イヤだった。。。

腹がたった。。。

そういう自分も見たくない本音、感じたくない本音がそこにはあります。

 

その本音を感じて受け入れることで、アナタは自分自身を感じることができます。

 

けれど、その本音を感じることがアナタにとって本来の自分を改めて思い知らされることにもなるから、本音を感じることが怖いんです。

 

アナタが自分の本当の感情を出して

泣いたり

拒否したり

怒ったり

してしまうと、

 

 

ものすごい勢いで否定される。

どれだけ表現しても無視される。

なんて酷いんだと責め立てられる。

そんな反応が返ってくる経験を何度も何度も経験したのではないでしょうか。

 

 

だからアナタは、自分の本音を消すということをしたんです。

 

それは怖かったというだけでなく、アナタは

愛されない自分

大事にされない自分

捨てられた自分

守られない自分

ひとりぼっちの自分

そんな自分を感じてしまったんです。。。

 

 

問題は、アナタがアナタを

愛されない存在

どうでもいい存在

見捨てられた存在

孤独な存在

必要ない存在

だと思って信じていることなんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

アナタが自分を感じて、自分のそのままに生きていくということは、絶望的な自分も同時に感じてしまうことになってしまいます。

 

自分の本音を出したり通したら、最初こそスッキリしたり自分に自信が出たように感じるかもしれません。

 

けれど自分を感じれば感じるほど、アナタの中にある

愛されない自分

孤独な自分

必要ない自分

も同じく積み重なっていきます。

 

 

アナタはそれを感じないように自分自身の感覚を麻痺させたり、紛らわすことができる何かや、埋めてくれる人やものに自分気持ちを向けることでしか自分を保てなくなってしまいます。

 

結局、自分の本音が分かっても、分からなくても、アナタが自分のことを要らない存在だと思っている限り、アナタの心はいつまでもつらく、苦しいままなんです。

 

 

<解決へ向けて>

アナタが自分に絶望しているのは、

感じた絶望を

誰にも言えず、

誰にも分かってもらえず、

誰にも表現させてもらってないからです。

 

人は、ただただポジティブに前を向くだけでは、

自分の本当の傷は癒えません。

本音だって言えません。

自分を感じることもできません。

 

これはポジティブではなく、自分をより強く押さえつけるだけになってしまいます。

 

 

意志の力だけでなく、アナタがアナタの本音に向かい、アナタがアナタを愛していくためには、

聞いてもらうこと。

認めてもらうこと。

側に居てもらうこと。

受け止めてもらうこと。

表現すること。

が必要なんです。

 

自分から求めていくことが必要なんです。

 

 

自分のことが分からない、

自分の本音が分からない、

それは、

アナタの人生がアナタのものではないままで、

アナタの心が傷ついたままで、

アナタが自分に絶望したままだからです。

 

まずは、

アナタの本音を、アナタに戻していきましょう。

 

 

 

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心が追いつかない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

仕事終わりに携帯を開いて、パッと目に飛び込んできたニュースがありました。

それは、死産の報告のニュースでした。

わたしも経験者なので、あれから時間は経ってはいても心が動きました。

 

 

今日は、

「心が追いつかない。。。」

というテーマで、

衝撃の出来事がアナタを襲った時に起こりやすいこと、

衝撃の出来事からどうやって回復に向かうか、

をわたしの体験談も踏まえて書いていきます。

 

 

 

 

<衝撃の出来事に襲われたら>

つらい現実。

悲しい現実。

受け止めたくない現実。

 

生きていると確かに、

つらいことは起こります。

悲しいことも起こります。

心が痛みが続く時もあります。

 

けれどあまりにも衝撃が大き過ぎると、人は自分の感情を無くすことで何とか現実に対応しようとしたりします。

 

 

平気に振る舞ったり。

起こったことの意味を無理矢理に探して納得したり。

仕方なかったと言い聞かせて涙を止めたり。

 

 

そうして、

つらい時に前を向いてしまう。

悲しい時に意味を探して納得させてしまう。

苦しい時にひとりで閉じこもってしまう。

ことを繰り返してしまうようになっていきます。

 

これが繰り返されると、

つらい時につらいと言えない。

悲しい時に悲しみを感じられない。

苦しい時に助けを求められない。

そうして、守っていたはずのやり方で、自分をどんどん苦しめてしまうんです。

 

 

衝撃を受けた出来事。

これが起こったのはもちろんアナタのせいではありません。

なので、その出来事が起こって間もない時はその出来事そのものが受け止め切れません。

 

現実が見れない。

現実が信じられない。

現実が受け止められない。

この状態になるのは当たり前です。

 

わたし自身、まさに現実を避けました。

医師にお腹の中の息子が「もう亡くなっているね。」と告げられた日、あまりの出来事に自分の心が追いつききれませんでした。

診察台の上で、自分の感情を切り、意識を現実から飛ばし、自分の心を閉じたことを今でもはっきりと覚えています。

現実に対応できなかったんです。

悲しい出産後にも関わらず、ずっと笑顔でいるわたしに看護師さんが入れ替わりで「辛かったら、ここ(病院)には精神科もあるからね。無理しないでね。」と言ってくれました。

小さな棺を抱え、笑顔でお礼を言いながら火葬場へと向かう母親はあまりにも不自然です。

それほどまでに現実を受け入れきれなかったんです。

愛する子どもが、もう亡くなってしまったという現実を。

 

どれだけ辛く苦しい状況にいたとしても、その本人が現実を見れていない時には

傷を癒すことはできません。

周りが助けることはできません。

誰かが支えることはできません。

 

本人が癒しや助けや支えを望んでないこともあります。

自分を責め、怒り、呪い、嫌うことで何とか生きることが許されるように思ってしまい、自分から何も求めません。

望まない代わりに、自分を何も感じなくなっていくんです。

そうして、社会や世間からポツンと切り取られてしまったように、孤独感や、捨てられてしまった自分を隠しながら現実に対応しようとまた自分をどんどん無くしていってしまうんです。

 

時間は薬とも言いますが、現実を見ないまま時間だけが過ぎて行くと、傷は癒されるどころか、どんどん深くなりアナタを苦しめてくんです。

 

 

どうしてこんなことになったのか?

なぜ自分に起こったのか?

何か自分が悪いことをしたのだろうか?

どれだけ聞いても答えのない問いかけをずっと自分の中にし続けると、より自分の暗闇の中で迷子になってしまうんです。

 

 

わたし自身で言うと、

子どもを失ったことにより、今まで自分の中に抑えつけておいた

自分の価値の無さ

自分の存在のどうでもよさ

自分の惨めさ

自分への否定

自分が愛されない悲しみと怒り

が噴出してしまい、自分が保てなくなるから現実を避け続けたんです。

 

 

現実を見ると、自分が崩れてしまう。

その怖さがずっとあるから、自分を消すしか方法がなくなってしまうんです。

 

 

<回復に向けて>

本当に回復するには、アナタ自身が

現実を見ることから、

現実を信じることから、

現実を受け止めることから、

始めましょう。

 

それは、

自分を見ること

自分を信じること

自分を受け止めること

へと繋がります。

 

 

癒すこと、

助けを求めること、

支えてもらうこと、

もちろんそれも大切です。

 

ただ、心が追いつかない時ほどアナタに必要なのは、

現実を見ること

自分を見ること

なのだと思います。

 

 

それは時間がかかるように、遠回りのように思えても、アナタの心を回復に向かわせると、自分の経験からも実感しています。

 

 

現実や自分を受け止めきれない時、アナタは本当はそれほどまでに生きることに絶望しているんです。

 

その自分を、アナタがまず迎えに行ってあげませんか?

 

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親と無価値とわたし。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

朝、起きるのがツライ。

朝、目が覚めたら虚しい。

朝、何で生きているんだろうと思ってしまう。

 

そんな、朝からの

虚無感や倦怠感や絶望感。。。

 

天気も相まって、ウツウツとした朝を迎えている人が多くいると聞きます。

 

天気。

仕事。

人間関係。

多少は左右されるものの、やはり変わらずアナタの中にある、

「自分は居ても居なくても同じ。」という心の中にある大きな穴や空っぽ感。

 

今日はそんなアナタの中にある無価値感、

「親と無価値とわたし。」

というテーマで書いていきます。

 

<本当の問題は何か>

アナタが

何かを始めたり、

何かに挑戦したり、

何か新しいことをしようとすると、

躊躇したり、

やる気がなくなったり、

何か邪魔が入ったりして、

途中でやめてしまう。

そんなことありませんか?

 

何かを始めようとすると、

アナタにはできない

アナタには無理

アナタがやれるワケない

自分の中にこんな声が聞こえたり、過去に自分が言われた言葉が頭に響いてきたりして止めてしまう。

 

これ、もちろんアナタの自己重要感が反応しています。

 

できない自分を責めたりもしながら、

 

そして、

わたしはやっぱりダメなんだ。。。

という確固たる信念を握りしめていく。

 

わたしにはどうせできない。

これは、

わたしは必要ない存在

わたしは愛されない存在

わたしは助けてもらえない存在

わたしは分かってもらえない存在

わたしは受け入れてもらえない存在

という

アナタの無価値感と繋がっています。

 

できない自分には、もともと価値がない。

だからアナタはできるようになろうとします。

けれどそうすると、怖くなってしまうんです。

 

そう。

アナタにできるはずがない。

この声が自分に響き渡るからです。

そして、その声に従ってアナタはダメな自分をダメだと感じながらも続けていきます。

無価値な自分をずっと握りしめながら。

 

<このままだとどうなるか>

このアナタの無価値感、生まれた時から持っているんでしょうか?

 

これ、NOなんです。

 

生まれた時から、無価値感を握っている子なんていません。

 

ではいつから握りしめるようになるのでしょうか?

 

無価値感は、実はアナタのものではありません。

 

アナタが感じている無価値感は、誰かからもらったものなんです。

 

なぜでしょうか?

 

アナタが

必要とされている

愛されている

助けてもらっている

分かってもらっている

受け入れてもらっている

その姿をとてつもなく見ることが辛くて怖くてたまらない人がいるんです。

 

アナタのその姿を見ると、

愛されなかった自分

助けてもらえなかった自分

受け入れてもらえなかった自分

を感じてしまうからです。

アナタの無価値感は、アナタの親からもらっています。

親自身が自分の中にある無価値感を感じることが怖いから、アナタを自分より価値のない子にしておくんです。

アナタがダメでいてくれれば、親は自分の無価値感を感じないで生きていけます。

アナタができることがあればあるほど、親は自分の無価値感を刺激されて、アナタを止めたくなります。

自分よりも下でいろ!

自分を超すな!

わたしの無価値感を刺激するな!

 

だから、アナタが持っている、感じている無価値感はアナタのものではないんです。

アナタの中にある無価値感は、アナタは無価値なんだというメッセージを受け取り続けたからこそ、アナタの中に根付いてしまったんです。

 

親が自分を守るために。

 

けれど、アナタがそれを受け取り続け、信じ続け、できない自分でいることで相手と繋がったり、居場所をもらったりしている限り、

無価値はアナタのものであり続けることになります。

 

<解決に向けて>

自分のものではない無価値感。

親から与えられた無価値感。

 

アナタの価値を、

アナタの人生を、

アナタの存在を、

親に委ねて、預けて、捧げていたら、アナタはいつまでも親の無価値感や劣等感を癒し続けることになります。

 

アナタの価値は、アナタのもの。

アナタの人生は、アナタが描き、創るもの。

アナタの存在は、アナタのためにあるもの。

 

無価値な自分はイヤ。

無価値な自分の安心。

このどちらも感じるからこそ、アナタはこれからどうしたいのかを自分に聞くことができるのだと思います。

 

ただ今、期間限定Skypeモニターカウンセリングを行っています。

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弱音が吐けない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコサラピー)の前田ひとみです。

 

ゴールデンウィークですね。

心身ともにリフレッシュ!!!

そんな時を過ごせている人の方が、時期としてはもしかしたら少ないのかもしれませんね。

 

気持ちや身体が思うようにいかず、

何かしんどいなあ。。。

どうしてもきついなあ。。。

もう疲れたなあ。。。

そんな風に感じることもあるかもしれません。

 

そんな時、アナタは誰かに素直にその気持ちを伝えられていますか?

 

無理して笑ったり、

反対に元気に見せたり、

大丈夫なフリをして、

余計に疲れたりすることはないですか?

 

自分の辛さや苦しさを言えず、大丈夫に見せてしまう。。。

今日はそんな心理、

「弱音が吐けない。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは、アナタの無価値感が関係しています。

自分は価値のない存在だと、アナタ自身が自分に思っていることが問題なんです。

 

弱音や、自分のダメなところを人に見せたり、見られてしまうと、

相手から

見限られたり

つけ入られたり

利用されたり

裏切られたり

捨てられたり

奪われたり

してしまうと思っているんです。

 

だから、弱音を吐きたくても吐けない。

吐いてしまうと、とんでもないことになってしまうから、ガマンするほうがまだアナタにとってはラクなんです。

 

過去には実際に、アナタにこのようなことが起こったのかもしれません。

その時にアナタはとても辛くて、苦しくて、怖くて、悲しい思いをしたはずです。

 

その傷が、今、アナタの前に

大きな大きな不安

果てしなく続く恐怖

となって立ちはだかり、アナタはその傷の重さにひとりで耐えきれず、潰されそうになっているんです。

 

<このままだとどうなるか>

弱音を吐いたり、自分の弱さを見られることがアナタにとっては莫大な不安と恐怖なので、アナタは自分の弱音や弱さをなんとか誤魔化したり、隠したり、取り繕ったり、言い聞かせたり、自分にも周りにも分からないように頑張ります。

 

するとどうなるでしょうか?

 

自分の弱さを、誰よりもアナタ自身が否定するようになります。

甘えたことを言うな!

しっかりしろ!

これくらいで負けるな!

そんなことじゃ、この先生きていけないぞ!

 

そうやって、

何もできない自分

意味のない自分

価値のない自分

を奮い立たせようとします。

 

だからこのままずっと、アナタは頑張ることをやめられず、弱音を吐かず、人に弱みを見せず、ひとりで世界に取り残され、ひとりで何とかしないといけないと心と身体が倒れるまで走り続けることになってしまいます。

 

自分の弱さは、アナタの価値の無さを証明してしまうから。

 

少しでも

強い

出来る

役に立つ

自分になれば、自分に価値が出るのだと信じてひたすら完璧な自分を目指すんです。

 

心身ともに、動けなくなるまで。。。

 

<解決に向けて>

アナタはどうして自分のことを無価値な存在、生きている意味のない存在だと思ってしまったんでしょうか。

 

無価値な人なんていないんです。

 

アナタの中にあるその無価値感は、誰かにもらったもの。

そして、アナタが受け取らなければ生きていけないものだったんです。

 

 

それを信じてしまったし、信じていた方が安全に過ごせた気がしていたんです。

そう、幼い頃は。

 

アナタはこのまま、自分の

弱さ

辛さ

苦しさ

痛み

を隠しながら、倒れるまで誤魔化し、頑張りたいでしょうか?

 

けれど自分を無価値にしてまで、アナタは守れたものも確かにあったんです。

 

ひとりではない…

ここに居てもいい…

誰かの役に立てる…

頑張れて結果を出せる…

自分の悲しみを感じなくていい…

 

だからこそ、無価値な自分でいることをアナタは選んできたんです。

 

そんなのイヤだ!!!

自分に価値があるのだと信じられたなら、アナタにはどんな未来が待っているでしょうか?

 

自分には価値がある、とただただ呪文のように自分へと言い聞かせてみても、

ひとりぼっちで孤独

居場所がなくて不安

誰の役にも立たない無力さ

ダメな自分を見る怖さ

自分の悲しみに気がつく絶望

が未来に待ち受けていたなら、アナタはその未来に希望を持って進めるでしょうか?

 

だからこそ、まずはアナタそのものが持っている怖さに気がつくこと。

そして、今のままがとても苦しいことを感じること。

 

そこからでないと、アナタの未来は見えないままです。

 

アナタのこれからを、どんなアナタで迎えたいですか?

 

別れを引きずってしまう。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

4月に入りましたね。

新学期を迎えたり、新しい出会いや生活が始まる人も増えますね。

先日の新幹線での1コマなんですが、ホームでおそらく進学のために引っ越しをする高校卒業したての若者。

そして周りには、見送りにきた友人たち。

発車のアナウンスと共に、

「またなー。」

「頑張れよー。」

「やべ。泣きそ。。。」

という声に送られながら、ドラマのように新幹線は出発しました。

 

見送られた若者は、しばらくドアの前で泣いていました。

 

 

あー、なんとも切ない別れの場面でした。。。

 

ホームで見送った若者たちは、すぐに階段に向かったり、ずっと手を振っていたり、ひとりで噛み締めていたり、泣いていたり。

 

別れの時。

すぐに切り替えて進める人と、ずっと引きずってしまう人といますよね。

 

別れの季節がつらすぎて、引きずってしまい、新しい環境や出会いに気持ちが向かなくなってしまうこともあります。

 

もう、切り替えて新しい環境にの馴染みたいのに。。。

春なのにー、ため息またひとつー♪(古)がエンドレスな状態。。。

 

今日は別れの季節が来るたびにモヤモヤとしてしまったり、ユウウツになってしまう心理、

「別れを引きずってしまう。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か>

この本当の問題はまだあなたが未解決の傷を抱えたままであるということです。

「もう会えない。」

「今までとは変わる。」

「失ってしまった。」

そんな別れは誰しも喜ばしいことではありません。

 

けれどあなたが別れの季節に憂鬱さや悲しさ、切なさをずっと感じているのならば、それは今の別れの寂しさでは無いかもしれません。

 

別れの場面を見たり体験したりすることで、あなたが過去に感じた大切な存在との喪失体験を思い出している、という事かもしれません。

 

それが突然だったとしても、分かっていたことだったとしても、同じことです。

 

あなたがその別れの悲しさ、寂しさ、痛さ、無力さ、怒りと言う感情を十分に感じることなく、その時の現実にただ対応するしかなかったのであれば、傷は癒えるどころか残ったままになっています。

 

「自分は失ってしまった。」

「大切な人と別れて悲しい。」

「大切な人と別れて悲しい。」

「どうしてあの人がここに居ないの?」

 

そんな納得のいかない、沸き起こる感情を

「悲しいね。」

「寂しいね。」

「つらいね。」

と大人に一緒に感じてもらった子どもは、その喪失の痛みを受け止めて、同時に愛されている自分を感じることができます。

その喪失の痛みを受け止めて、同時に愛されている自分を感じることができます。

 

しかし、周りにその余裕がなかったり、子どもの喪失を大人が大した事では無いと共感しなかったりすると、子どもはその別れに

自分を大切にされない痛み、

捨てられた悲しみ、

自分にはどうすることもできない無力さ、

を味わったまま、別れが来たのは自分が愛されていなかったからだと思い込んでいくようになってしまいます。

 

<このままだとどうなるか>

別れの季節が来るたびにあなたの心が疼いてしまうのは、あなたが別れと同時に愛されない自分を感じているからです。

別れとは、

自分が愛されない、自分が捨てられた証になってしまうからです。

 

だから別れの季節になると自分の感情が不安定にならないように自分の不安を切り捨てて、別れの辛さを感じないようにしたり、別れに対して前向きな理由を見つけようとしたり、最初から人と関係を深めずに悲しみを減らそうとしたりします。

 

自分の不安を切り捨てて、別れの辛さを感じないようにしたり、別れに対して前向きな理由を見つけようとしたり、最初から人と関係を深めずに悲しみを減らそうとしたりします。

 

そうしていれば愛されない自分を感じずに、傷を見ぬフリができて、アナタはこれ以上傷つかなくてよかったんです。

 

そうやって、何とか自分を保つことができたし、自分を生かすことができたんです。

そうやって、何とか自分を保つことができたし、自分を生かすことができたんです。

 

そのかわりに、あなたは

 

人が信じられず

自分を感じられず

悲しまないけれど喜びも嬉しさも感じることができない

 

そんな孤独感いっぱいの毎日を過ごしていくことになります。

自分を守るために孤独な毎日を過ごすことをあなたは心から望むでしょうか?

 

 

<解決に向けて>

別れが来たのはあなたのせいではありません。

あなたが愛されていなかったからでもありません。

別れを悲しんでも、寂しさや痛みを感じても、無力さや怒りでいっぱいになっても、あなたが捨てられたといことではありません。

 

別れが来たのは自分のせいだと思わなければ現実を生きられなかったくらい、あなたはその別れに傷ついていたし、悲しんでいたし、無力になったり怒ったりするくらい受け入れられなかったんです。

 

傷ついたままの自分にアナタは何と声をかけてあげたいですか?

 

傷ついたままの自分に気がついた時、

本当は悲しかった自分に気がついた時、

あなたがあなたにどうしてあげたいでしょうか?

 

受け止めてあげたい、受け入れてあげたい、助けてあげたい、あなたがそう思うのなら自分の傷の痛みにも改めて向き合うことにもなります。

 

ひとりでは抱え切れない傷に気づいた時こそ、あなたがあなたのためにできる事は何かを自分に聞く時です。

 

アナタは、自分の未解決のままになっているその傷を、アナタのためにどうしたいでしょうか?

 

怒りのスイッチ

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

いつも穏やかな心で。。。

笑顔を忘れずに。。。

どんな時も冷静に。。。

 

そうやって自分を律している人。

人間関係でも、そういう人が大人の振る舞いとして見られることが多いですよね。

 

けれど、普段からそうやって気をつけている人ほど、一旦怒り出すと止まらない、なんてことがよく起こります。

 

まるで人が変わったように、突然急変して怒り狂ってしまう。

 

自分でどうにもできないくらい、スイッチが入ったように怒りが止まらなくなってしまう。

 

もしかしたら、アナタもそんなことがあるかもしれません。

 

 

今日はそんな一瞬にして怒りが沸き上がってしまい、その怒りが止まらない心理、

「怒りのスイッチ」というテーマで書いていきます。

なぜ、いきなりアナタの怒りのスイッチは押されてしまうのでしょうか?

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは、愛着、自己重要感の問題です。

自分で自分のことを大切にできずに、どんな自分でも大丈夫なんだと受け入れられない。。。

それが、怒りのスイッチとどんな関係があるのでしょうか?

 

それは。。。

怒りのスイッチを押し、怒ることで避けられる感情がある、ということなんです。

 

怒りのスイッチを押して、怒りまくったり、相手を攻撃したり、ストレスを発散することでアナタが本当に見なくていいもの。

それは。。。

 

自分は分かってもらえない。

自分は助けてもらえない。

自分は愛してもらえない。

 

という深い深い悲しみ。

 

アナタがずっと幼い時から本当は感じていたこの悲しみやつらさや痛みなんです。

 

これを感じてしまうと自分がとてもじゃないけど耐えきれないから、怒りのスイッチを押して、その痛みをはね返そうとするんです。

 

怒りを使って、

分かってもらえない悲しみ

助けてもらえないつらさ

愛してもらえない痛みを

何とか自分の中に入れないようにしているんです。

 

<このままだとどうなるか>

怒りのスイッチを使っていれば、アナタにとってイヤな感情は感じないでいられます。

 

なので、自分を保つことができます。

 

しかし、相手の話を最後までじっくり聞いたり、相手と折り合いをつけて話し合ったり、交渉したりすることをしないままで、とにかくスイッチを入れて、怒りで相手をはね返そうとしてしまいます。

 

そうすると、相手との関係はギクシャクしてきます。

 

話を聞かずに、怒り出してしまい、責め立てられたら、相手も当然離れていってしまいます。

 

なので、イヤな感情を感じなくていい代わりに、アナタはどんどん孤立して、孤独感に苛まれていくことになってしまいます。

 

自分の悲しみやつらさや痛みを避けようと怒りのスイッチを入れれば入れるほど、アナタは孤独感を募らせていってしまうんです。

 

そして孤独に耐えきれず、また誰かに関わりに行き、また怒りのスイッチを押して人間関係を壊す、ということを繰り返してしまうんです。

 

<解決に向けて>

感じたくない。

避けたい。

逃げたい。

その思いが強ければ強いほど、アナタの中にある傷も大きなものなんです。

 

傷を持ったまま人と関わったら、痛くて怖くて、「触らないでー!!!」と相手を拒絶したくもなりますよね。

 

だからまず、アナタの中に傷があることに気がつくことなんです。

 

怒りのスイッチを押してしまう自分をダメだと責めるその前に、どうしてアナタが怒りのスイッチを押さなければいけないのか。

 

怒りのスイッチを押してまで、アナタは自分を必死に守ろうとしているだけなんです。

 

だから、まずはその傷を見ないといけないんです。

 

傷を見つけて、

痛みを逸らさず、

手当てをすること。

 

そうすれば、

怒りのスイッチを使わなくても、アナタがアナタを守れるようになります。

 

傷を避けるのではなく、アナタの傷を見ることから始めてみませんか?