見放されるのが怖い!!!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

卒業、卒園シーズンですね。

今年はコロナの影響で、式次第も変わったり時間を縮小したり、参列の人数制限があったりと例年とは少し変わった節目となったり、延期となって色々な思いを抱えた方もおられるかと思います。

学校や園側としても、この3学期の時期にもっと伝えたかった、関わりたかった、少しでも思い出を増やしてほしかった、等の思いも抱えたことと思います。

それ程までに、この節目という時期をわたし達は大切にしているんですよね。

4月になると別の環境になったりして、新たなスタートとなることを感じるからこそ、今の戻らないこの時を大切にしたいという気持ちは誰しも経験したことがある思いですよね。

ずっと今のままならいいのに、という気持ちと新しい門出を楽しみにする気持ちとが入り混じる、そんな時期ですね。

ですが、あまりにも

今のままでいること、

変化することへの不安、

自分の居場所がなくなる怖さ、

をあなたが感じているなら、それは「見捨てられ不安」が関係しているかもしれません。

今日は、そんな見捨てられ不安について

「見放されるのが怖い!!!」

というテーマで書いていきます。

あなたはこんなことはないですか???

  • 自分の欲求を満たすことはワガママだと思う
  • 自分の感じていることに自信が持てない
  • いつも焦って慌ててしまう
  • 間違ったり失敗してはいけないと思う
  • 自分の言うことは軽く扱われると思う
  • 人の期待に応えたいし、役に立ちたいと思う

これをしてしまうと、

自分だけ置いていかれる

自分の居場所がなくなる

自分は必要ない存在になる

と思って怖くてたまらなくなってしまう。。。

常に、

見放される

捨てられる

取り残される

放ったらかしにされる

という怖さがピッタリと自分について回っているんです。

これって、

そんなことはない!

わたしは愛される存在なんだから自分の思いを通していいんだ!

と、自分の価値を180度変えてステキな自分へと変身することが解決になるでしょうか???

いいえ。。。

残念ながら、無理に自分を変えようとしても、結果同じ場所に戻ってしまいます。

180度変えたところで、軸を回せば同じことなんですよね。。。

<本当の問題は何か?>

この見捨てられ不安は、自己重要感の問題があります。

子どもは常に、自分の存在の意味、自分の感じたこと、見たこと、聞いたことを親や大切な人に確認して安心したいんです。

ところが、親が子どもの感じた感情を否定したり、助けを求めた時に拒否されたり、無関心な態度を取られたりしてしまうと、

親と違う感じ方をする自分はどこかおかしな存在で、間違っているんだ、と思い込んでしまうんです。

これが自己否定になっていきます。

自分を否定し、自分は間違っている存在なので

親の欲求に応じて、自分を捨てるようになっていきます。

泣いている時に、そんなことくらいで泣くな!

怒っている時に、そんなに怒ることじゃない!

笑っている時に、何がそんなにおかしいんだ!

という体験の積み重ねで、自分を大切にするという感覚が分からなくなってしまうんです。

この体験こそが、見捨てられ体験なんです。

自分は常に見放され捨てられた存在だから、どうにかここに、家族という場所に置いてもらえるようにと人に注目することで自分を守ろうとするんです。

人に注目し、人の欲求を満たし、人の期待に応えないと自分はここには居られなくなる。。。

自分を愛してもらうために、自分の感情を切り捨てて、この見放される怖さを持つことで何とか人の役に立って居場所を得ようと頑張っているんです。

<このまま続くとどうなるか?>

この生き方を続けると、周りや人から認めてもらえるかどうかに常に意識を向けていないといけなくなります。

人が自分を受け入れてくれるかどうかが何よりも大切になります。

自分の本音を隠して人と付き合い、相手の要求を満たせない自分には価値がないと信じてしまいます。

必死に誰かに受け入れてもらえるよう、どんどん自分を失わせていきます。

自分という存在が、消えていってしまいます。。。

 

たとえ自分を受け入れてくれる相手が現れたとしても、それを信じることができないので、相手を常に試したり、疑うことが止められなくなり、結局それに疲れた相手が去っていくことを繰り返していきます。

そうまでして、絶対的な味方を探しているんです。

<解決に向けて>

悲しいかな、見捨てられ不安が強い時というのは、実は誰よりも自分を見捨てているのは自分自身だったりするんです。

自分の悲しみ

思うように愛されなかった絶望

心からの本音や欲求

これらの過去の傷や痛みを抱えている自分を、自分が見放しているんですね。

見放された自分から回復するには、自分への信頼が必要です。

信頼は、認めるチカラで大きく育っていきます。

自分の感情を認めてもらえると、自分にそれだけの価値があると思えるからです。

自分が自分を認めていけるよていけるようになると、周りからの承認をずっと求め続けなくてもよくなります。

見捨てられることが怖すぎたり、自分を見放している自分に気がついたら、否定された感情に目を向けていくことが解決へと繋がっていきますよ。

<モニター募集のお知らせ>

只今、モニターさんを募集しております。

たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

 お申し込みは、こちらからどうぞ↓↓↓

<リトリーブサイコセラピー個人セッション>

<大阪基礎コース始まります>

ひとりでは築くことができない人間関係。

今まで自分の中に押さえ込んできた怖さや痛み。

そんな、ひとりではできないことを仲間と共に見つめ、受け止めていくことで自分をたくさん知っていく、ぬくもりのコースです。

もちろん楽しいことばかりではないけれど、だからこそひとりじゃないと感じることができる

この基礎コース。

自分の中にある、

つらさ

悲しみ

痛み

苦しみ

怒り

怖さ

共に助け合って感じていく空間がここにあります。

www.yourexcellence.jp

わたしを捨てないでぇぇぇ~!!!

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

 

福岡、数日あたたかいか。。。な。。。なんて思ってたら、やはりまだまだ寒いですね。

 

 

 

寒いとお腹が空きませんか?

 

 

 

寒いというだけで、体力を使うんでしょうか。。。

 

 

 

そんな毎日お腹が空いていた先日、いちごを頂いたんです。

 

 

 

 

福岡名産あまくて、まるくて。。。をおいしく頂きながら、いちごの旬はいつだ論争になりまして。

 

 

1月やろ!

5月やろ!

 

 

そこでわたしが、「イチゴの名前の通り、イチ月からゴ月までやろ!」なんて鼻の穴を広げながら言ったんですが。。。

 

 

 

どうやら全くの根拠のない話とのことで、ドヤ顔を却下されました。。。

1月から5月においしいからイチ、ゴーのいちご!と思ってましたーΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

 

 

 

結論は、いちごの旬は5月!で落ち着きましたが、一番姿を見るのは1月!

という何とも日本人らしいような折衷案が採用されました( ̄∇ ̄)

 

 

 

いつでもおいしいものを食べられるようになったのはいいことなんですが、

最もおいしい旬の時期に食べることも忘れず経験したいなぁとしみじみ思ったのでした。

 

 

 

そんないちごへのアモーレでムーチョな気持ちを感じつつ、本日のブログです。

いちご愛が熱く語られているようでもありますが、この時期、わたしを黄色い声援で

ムーチョにしてくれるのは、みかんだったりします。。。

(注:超個人的意見なので、お気になさらず^_^)

 

 

 

 

 

 

さて今日のブログは「わたしを捨てないでぇぇぇ~!」です。

 

 

 

これは、みかんに嫉妬したいちごの発言ではありません。

(もういい。。。∑(゚Д゚)。。。)

 

 

この、捨てないで!という言葉を聞いて、どんなことを想像するでしょうか。

 

 

見捨てられ不安という言葉を聞いたことがありますか?

 

 

 

 

言葉通り、誰かに見捨てられるかもしれないと不安を感じることです。

 

 

 

「見捨てられる」という言葉を聞くと、何となくすがりつくような、自分が必要ないような、

後から必死に追いかけるような、そんな世界観がないですか?

 

 

 

わたしは、リトリーブサイコセラピーの講座に行くまでは、誰かに鬼の形相でつきまとうなんて、

絶対にイヤだ!みじめになる!なんて思っていました。

 

 

 

すがりつくなんて、自分に価値がないことを証明しているようで、たまらなかったんですね。

 

 

 

強がって、「来るものは拒まず、去る者は追わず!」とか言ってカッコつけていました。

 

 

 

それほど「見捨てられる」ことに拒否感丸出しだったワケですが、必死に抵抗しながらも、

このようなことが常に起こっていました。

アナタはどうですか?

 

 

 

◦自分は嫌われる、といつも不安。

 

 

 

◦人の好意を受け取れない。

 

 

 

◦親しくなり近づくと怖くなり、距離を取る。

 

 

 

◦相手を試すような行動や言動を繰り返す。

 

 

 

◦人から愛されている感覚がなく、人を愛せない。

 

 

 

◦人の言動に過剰に反応し、相手に合わせたり攻撃したりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出すのは、わたしの学生時代。。。

 

 

 

最初に新しい環境に慣れるまでに時間がかかる子でしたので、この空間は

自分にとって安心だと感じるようになると、その安心が続くよう保証のようなものが

欲しかったんですね。

 

 

 

一日が終わり、友人と別れる時の「バイバイ、また明日ね!」がものすごく苦手だったんです。

 

 

 

この、また明日の明日も本当に会えるのか不安に思っていましたし、

今度、遊びに行こう等々の計画が出ようもんなら「今度っていつ?」とその場で

約束の日にちまで決めたがっていました。

 

 

 

 

いつも誰かをそばに感じてないと不安だったんです。

 

 

 

 

そんなわたしの心の中は、どうなっていたんでしょうか?

 

 

 

見捨てられ不安を持っているということは、自分が見捨てられたと感じた経験を

持っているということです。

 

 

 

もう捨てられたくない、傷つきたくないという思いは、常に人を警戒することをします。

 

 

 

痛みを感じることのないように、人の言っていることの裏を取ります。

 

 

 

 

そのままの自分でいいと思えないので、よく見せたり、愛されようとします。

 

 

 

自分を守り、人を求めていることを隠します。

 

 

 

 

わたしにとって、「見捨てられる」ことは

ひとりぼっちになることに他なりませんでした。

 

 

 

 

それは、自分は無視される存在で、欠けていて、責められている

思い知らされることと同じでした。

 

 

 

 

ひとりぼっちで価値のない自分を思い知らされないように、

生きのびるために必死だったんです。

 

 

 

これが続くとどうなると思いますか?

 

 

 

 

見捨てられないために、

 

 

 

 

みんなから好かれるよう、自分の気持ちより相手の気持ちを

優先します。

 

 

 

不安を感じないように、人や状況をコントロールしようとします。

 

 

 

相手に合わせ、人についたり離れたりを繰り返し、いつも誰かがそばにいてくれるように

必死になります。

 

 

 

そうやって、自分の心を捨てていきます。

 

 

 

本当に見捨てられているのは自分自身なんですね。

 

 

 

 

そして自分を見捨てても、結局はひとりぼっちを感じます。

 

 

 

そこに自分が居ないので、心細く、不安で、自分が自分にしたように

いつ人から見捨てられてしまわないかと怖くなります。

 

 

 

これは、自分自身が子どもの時に感じたものでもあります。

 

 

 

◦求めているときに全くかまってもらえなかったり、ワガママと言われる。

 

 

 

◦役に立てないなら家の中に居られず、喜んでもらえるのは他の家族の要望を聞いた時だけだった。

 

 

 

◦自分の感情や気持ちを軽く扱われる。

 

 

 

◦間違うことは許してもらえない。

 

 

 

 

 

 

 

これが続くと、子どもは家族から見捨てられないように本当の自分を隠して抑えて

捨ててしまわないといけなくなります。

 

 

生きのびるためだけに、生きる。

 

 

 

これでは、生きるのがつらくなります。

 

 

 

幸いわたしは、リトリーブサイコセラピーの講座に通っている時にこの見捨てられ不安に気づきましたので、

講座の中でその自分を認め、体感していく中で、「愛着」につまずいている自分と向き合う

機会と時間を持ちました。

 

 

 

そこで私が自分にしたこと。

 

 

 

それは「自分自身におかえりなさいをすること」でした。

 

 

 

そうなんです、鬼の形相で「わたしを捨てないでぇぇぇ~!」と追ってきてたのは、他の誰でもなく子ども時代のわたし自身だったんですね。

 

 

 

自分の見たくないところとして、子どもの頃の自分や、ある部分や感情を捨てるから、捨てないで、と追って来るんですね。

 

 

 

 

 

そしてこの前、ふと気づいたんです。

 

 

 

「またねー!バイバーイ!」と安心して友人と別れている自分に。

 

 

 

また次に会うのを楽しみにしている自分に。

 

 

 

以前は、毎回が今生の別れくらいの場面だったんですね。

 

 

行かなきゃならぬとこがある、ヤメて!アナタ行かないでー!とお互い涙ですがりつく足を解かれる。。。そんな時代錯誤の時代劇。。。

 

 

 

 

それはそれは、鬼の形相だったことでしょう。。。

 

 

 

 

今は、不安から次の約束を取り付けるのでなく、シアワセから次の約束を求めるようになるので、しがみつく必要がなくなったんですよ。

 

 

 

これは、わたしの場合でしたが、アナタ自身がどのような場面でどんな時に

「見捨てられ不安」を感じるのか。

 

 

 

その不安は、心の安心感を必要としています。

 

 

 

子どもの頃の自分に声をかけ、共に一緒に過ごす。

 

 

 

この世界が心地いいものだと感じるチカラはそこから生まれます。

 

 

 

どれだけ言い聞かせてみても、怖いものは怖いんです。

 

 

 

だからこそ、その1番イヤな怖さを感じること、表現することが

必要です。

 

 

 

それがしっかりできると、自分の何かを見捨てる必要がなくなりますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

興味を持ったり、フォローしてもらえると最高です(*´▽`*)

 

 

 

小躍りしながら、両方のほっぺにいちごとみかんを入れて喜びます♪

 

 

 

 

 

Facebookページ

https://www.facebook.com./taiyotoniji

 

 

Twitter

https://twitter.com/taiyotoniji