親と子どもの役割が逆転する時。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

昨日のブログ、

お盆のユウウツ。

の続きです。

 

お盆のこの時期のユウウツ。

それは、アナタが

自分の親に対して、親の役割をしていませんか?

自分の子どもに対して、親の役割を求めていませんか?

という、親子の役割逆転についてのお話でした。

 

 

 

今日は、このお盆にわたしの親子の役割逆転について思ったことを書いてみます。

 

わたしの場合、息子の存在をお守りにすることで悲しみから自分の命を守った感覚があります。

 

 

もちろん大切な人と死別した場合、その出来事からどれくらい時間が経っているかということや、その人との関係性、受け入れられているかどうか、などで一概にこうだと言い切れるものではないと思います。

これはあくまでも、わたしと息子との関係においてわたしが感じたことです。

 

 

わたしは息子の存在をお守りのように、見守ってくれることを信じて生きていくことで、これからを生きていくことへのとって大きな支えにしました。

 

 

しかしそのお守りにすがってしまうと、人生はいつも守ってもらわないといけなくなります。

 

自分で自分のことを守れなくしてしまいます。

 

守るチカラがあったとしても、守ることを放棄してしまいます。

 

誰かに守ってもらわないと、生きていけなくなります。

 

けれど、その人生は実はラクです。

自分では何もせずに、自分のことだけを守ってもらおうとするのは、子どもにだけ許される特権です。

なのにわたしは大人でありながら、自分で自分を

寂しがらせて

悲しませて

憐れんで

息子に対して、

「わたしを守ってほしい!」と叫んでいたんです。

 

息子がお腹の中に来てくれたと分かった時、

「ようやくわたしの味方が来てくれた!」と思ったのを今でも覚えています。

 

それほどわたしは親を守ってきた感覚を持っていたし、

それほど親に守って欲しいと願っていたのだと思います。

 

だからこそ、まだ生まれてもいない我が子に

「自分を守ってもらおうとした」のだと今なら分かります。

 

 

わたしは実際、心理的にしか子育てをしていません。

けれど、わたしは息子の母親です。

 

子どもに守ってもらうのでなく、わたしが息子を守って生きていくのが本来です。

 

けれどそれが逆転してしまったのは。。。

自分がまだ子どもで居たかったから。

自分が子どもの立場で守られたいから。

自分が子どものように守ってもらって安心したかったから。

 

その自分の不安を見ることからしか、自分を安心させてあげることはできません。

自分を大人の立場に置くことができません。

 

わたしが親に抱いていた

愛されたい

見てほしい

守ってほしい

欲求を、

 

わたしが親から

欲しいように愛されなかった

願うように見てもらえなかった

求めるように守ってもらえなかった

現実を、

 

イヤというほどガン見するしかありません。

 

 

それができない時、

人は被害者となり、責任転嫁し、事実を否定して、

誰かに依存しないと生きていけなくなります。

 

憎みながら親に依存して生きていくか、

憎まれながら子どもを支配して生きていくか、

という「親子の役割逆転」をしないと生きていけなくなります。

 

それだと家族を感じる度に、ユウウツさや、重さや、不安を感じるのは当たり前です。

 

アナタが親を守るのではありません。

子どもがアナタを守るのではありません。

 

 

わたしがわたしを守る。

わたしが子どもを守る。

 

それが

「自分を愛するチカラを育てていくこと」

「人を愛するチカラを育てていくこと」

なのだとわたしは思います。

 

 

「自分が自分を守り、守りたい人も守ることができること」

それが本当の強さであり、心理的な大人なのではないかな。

そう感じたそんな今年のお盆のお話です。

 

 

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お盆のユウウツ。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

お盆を迎えましたね。

 

ワタクシ身長もあってか(態度がデカいせいでしょうか。。。対面でよく思ったよりちっちゃい。。。言われることが多いんです。)、ちっちゃいことは〜気にしない〜♪みたいに思われがちなんですが(誰がワカチコぢゃ!古い!)、割と気にしぃなナイーバーな一面もあります。

 

ナイーバーひとみが登場する周期として、お盆も上位にランクインすることが多かったんです。

 

「家族」というものを深く感じる時期というのは、大きな理由のひとつでした。

 

自分には無いもの。

自分には欠けているもの。

自分が失ってきたもの。

家族を感じる瞬間というのは、まさにわたしがこの気持ちを有無を言わさずセットで感じる時でもあったからです。

 

親からの深い愛情と関心。が無い自分。

人としての信頼と繋がり。が欠けている自分。

思い描いていた希望の未来。を失っている自分。

その自分を感じてしまうのが、重くて、寂しくて、みじめで堪らなかったんです。

 

毎年、イヤでイヤでイヤすぎたお盆の時期ですが、今年はそんなにナイーバーにはなっていません。

 

そんな自分のお盆の変化を今日は書いていきます。

 

 

 

 

わたしは6年前に息子を子宮内胎児死亡で亡くしています。

それからのわたしのお盆の過ごし方は、悲壮感そのものだったと思います。

失った自分を嘆き、悲しみ、責める時間。

今でも神社に行く時は気が引けてしまうほどに、神様を恨んだりもしました。

それがわたしにとってのお盆の過ごし方だったんです。

 

ナゼ今年は違ったのか?

ナニガ今年は変わったのか?

 

それはたったひとつ。

わたしの息子への気持ちです。

 

今までのわたしが息子にお盆に毎年感じていた気持ちは、

一緒に生きたかった。。。

会えなくて寂しい。。。

わたしの生きる支えでいてほしい。。。

そういった

かわいそうな自分

憐れんでいる自分

自己否定している自分

を感じるものばかりでした。

 

それを自らそうしていたんです。

自分で過去に生きていたんです。

 

それはナゼか???

つまりわたしは、

息子に自分のことを

分かって

癒して

助けて

もらおうとしていたんです。

 

子どもに自分を守ってもらおうとしていたんです。

 

だから、

辛い自分のままでいたかった。

誰かに守ってもらいたかった。

その寂しさを見たくなかった。

 

それはもう、悲壮感でしかありませんよね。

 

息子も空からツッコミを入れてくれていいと思います。

 

「どっちが親なん!!!」

です。。。(笑)

 

お盆は、特に家族を感じることが多い機会ですよね。

 

家族にユウウツさや、重さや、プレッシャーを感じるという人は、

アナタは子どもの立場でありながら、親の心理的なお世話をしていませんか?

アナタは親の立場でありながら、子どもに心理的なお世話を求めていませんか?

 

「親子の役割逆転」が家族の中で起こっていないかを探ってみるといいかもしれません。

 

わたしの役割逆転については、また明日のブログでお届けします。

 

 

 

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諦めるという生き方。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

猛暑とセミな福岡です。。。

昨日の夕方、いきなりものすごい勢いで雨が降ってきました。

子どもたちと家の中から虹の歌をうたいながら、雨が止むのを待っておりました。

 

その雨で、子どもたちが朝の遊びの時に庭に作っていた迷路や川が壊れたんです。

 

「あーあ。また雨が止んだら作ろー。」

と言う子もいれば、

「せっかく作ったのに!雨、許さん!」

と言う子もいました。

 

結局、雨がすごくてその後に外で遊ぶことはできなかったんですが、

先の子は、その迷路や川の続きをブロックや積み木でまた作って遊んでいましたが、後の子はもう朝楽しく作ったことを思い出したくないとばかりに、周りの子が作っている迷路や川を避けて別の遊びをしていました。

 

どちらも気持ちは分かるんですが、この反応は「自分や世界をどう感じているか」をよく現しているな、と感じました。

 

自分や世界を、

何かあっても大丈夫。何とかなる。

と感じているか、

やっぱり上手くいかない。イヤなことばっかり。

と感じているのか。

 

 

 

 

在るべきか。。。

在らざるべきか。。。

それが問題なのぢゃ!

そんな壮大なるハムレットのような悩みとまではないですが、予想外の出来事に遭遇することってありますよね。

 

また次を考えるか、

諦めてしまうか。

 

これは、

愛着が安定しているか、

愛着を諦めているのか、

という心の在り方に繋がっているとワタシは思います。

 

わたしもよく諦めていたなあ。。。

とその時以前の自分を思い出しました。

 

リトリーブを受講する前、わたしの口グセといえば、

まあ、いっか。

もう、いいや。

どうせ、ムリ。

当時は、人生を投げているというか、何も期待しないことで自分を守るというか。。。

まさに自分を諦めていたんですね、わたし。

 

こう聞くと、堕落したような、時の流れに身を任せたような(古)刹那的な生き方を想像するかもしれませんが、そうではありませんでした。

 

自分を諦めながら、

誰かに優しくありたかったし、

誰かの役に立ちたかったし、

誰かを幸せにしたいと思っていました。

 

ええ、割と真剣にそう思っていました。

 

いつも、

「ここには居ない誰か」のことを、わたしは考えていたんです。

 

そうすれば、自分の本当に感じている

心に穴の空いた虚しさ

周りに誰か居ても拭えない孤独感

人を信用していない寂しさ

そんなイヤなモヤモヤを誤魔化すことができたから。

 

本当は自分に起きている事実が、現実が、それほど過酷だということ。

 

それがあまりにもツラすぎて、

本当の自分を感じたくない。

本当に自分が感じている気持ちに気がつきたくない。

だから自分の感じている本音を諦めることで、目の前の事実に直面しなくていいんです。

 

まあ、いっか。

もう、いいや。

どうせ、ムダ。

こう自分に言い聞かせることで、自分の本音や自分自身を諦めることができるから。

 

この守り方は苦しいけれど、

絶対に見たくない事実を見ないでいいのでラクでもあります。

イヤなものから逃げ続けられるからです。

 

自分を諦めて逃げる。

イヤなものを避ける。

これが続くとどうなると思いますか?

 

また続きを月曜日のブログでお届けします!

月曜から早起き!(それは割とフツウ)でお会いしましょう!!!

 

 

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イヤって言ってない。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

わたしってば、何だかストレスが溜まってるなあ。。。

そんなこと、ありますよね。

だけど何でだろう?

自分の思ったことは伝えてるし。

自分の意見も言えてるし。

そんなにガマンしてるつもりもないのに。

 

こんな時、アナタの感じているモヤモヤの感覚は正直なんです。

 

伝えいても、言えていても、ガマンしてないつもりでも、それだけでは問題解決ではないからなんです。

 

今日はそんな、自分の意見を言えてるはずなのにモヤモヤしてしまう心理、

 

「イヤって言ってない。」

というテーマで書いていきます。

 

 

<本当の問題は何か>

これ、実は共依存の問題があるんです。

なぜ?

自分をしっかり出してるのに?

と思うかもしれませんが、大事なのはその自分を出したあとに、アナタがどうしているかなんです。

 

自分の意見を言う、伝える。

それで相手が受け入れてくれた時は何も問題は起こりません。

 

問題は、

相手から

イヤな顔をされた。

否定的な態度が返ってきた。

拒否された。

怒らせてしまった。

傷ついてしまった。

その時に起こるんです。

 

アナタは咄嗟に、

怖い!

めんどくさい!

モメたくない!

そんな気持ちが出て来ないでしょうか?

だから、これって、

本当は自分のイヤを最後まで伝えきることはできていません。

 

アナタは伝えているつもりでも、最終的に相手の反応によって、引っ込めているんです。

 

イヤを言えてないんです。

 

 

 

 

 

そうして、少しでもその雰囲気を察知すると、出した自分の意見や感情を引っ込めて、相手に合わせたり、優先したりする。

 

 

 

拒否されたり、否定されたり、無視されたりすることが、すごく怖いんです。

だけど、その怖さを感じないようにすぐに自分をガマンさせることで収めてしまおうとするんです。

それくらい、相手の反応が怖い自分がいるんです。

 

そして、相手を傷つけたり、悲しませたりしてしまうようで耐えられなくなってしまう。

自分を悪者にして、自分が悪いことにして、そうして相手を優先させているんです。

 

これは親子の役割逆転です。

 

アナタは、ずっと一方的なコミュニケーションをしてきたり、かわいそうだったりした親の心理的なお世話をしてきていませんか?

 

大切な人を、

悲しまないように。

傷つかないように。

壊れてしまわないように。

 

親の

怒りや

恐怖や

悲しみを

自分のものとして感じて、まるでお母さんのお母さんのように、支えてあげる。

 

だからアナタは、まるで今もお母さんと関わっているかのように、周りの人とも今も関わっているんです。

 

 

 

<このままだとどうなるか>

自分としては意見を言っている、伝えている、そのつもりでも、最終的には自分を抑えてガマンすることを選んでいるので、もちろんイライラやストレスは溜まってしまいます。

 

自分を最後まで守ることができていないから。

 

自分の意見や感情を一度出しただけで、相手の態度によってその対応はすぐに変わってしまい、自分の意見や感情を通していません。

 

自分を貫いていないんです。

 

だから結局、相手に主導権を渡して、自分の中にある「イヤ!」という気持ちを大事にできていないんです。

 

自分の欲求や感情を素直に出すことは、相手を

傷つける。

悲しませる。

怒らせる。

そうなることだと信じてしまうんです。

 

アナタはこのままだと、ずっと自分を抑えつけて、ガマンして生きていくことになってしまいます。

 

<解決に向けて>

自分の意思や感情や欲求を出しているようで、相手の態度によってすぐに変わってしまう。

実は、イヤって言ってない。

問題はそこなんです。

アナタが肝心な時に、自分のイヤを貫けていない。

アナタがアナタを大事にできていないんです。

 

アナタが自分の気持ちを大事にすることは、大切な人を

悲しませることではないんです。

怒らせることではないんです。

傷つけることではないんです。

 

アナタが親の心理的なお世話をずっとしてきているのなら、アナタはきっと自分だけが

自由に

楽しく

幸せになることが

怖くてたまらないはずです。

 

けれど、アナタがどれだけ尽くしてお世話をしたとしても、お母さんは幸せを選ばないんです。

 

それどころか、より不幸になっていくんです。

 

人を幸せにすることだけが、アナタの幸せではありません。

アナタがアナタを幸せにしたいかどうか。

 

そのために、

アナタがアナタを大事にするために、イヤをしっかり表明すること。

 

自分のイヤを本当に言えているのかどうか、自分にしっかり聞いてみてくださいね。