大切な人を亡くしたあなたへ。。。

おはようございます。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

大切な人を亡くした。。。

そのつらすぎる喪失体験を、今まで1度も経験していない人なんていないのではないでしょうか。

信じられない。。。

ごめんね。。。

苦しい。。。

どうしてこんな事に?

寂しい。。。

会いたい。。。

自分もそこへ行きたい。。。

そんな今をやっとの思いで生き延びている、そのような毎日を過ごしている方もいるでしょうね。

今日はそんなつらい喪失体験、

「大切な人を亡くしたあなたへ。。。」というテーマで書いていきます。

大切な存在を失った後、

  • 本当は泣きたいけど泣けない
  • 悲しむと相手を困らせてしまう罪悪感がある
  • 相手の重荷になるようで本音を言えない
  • 周囲に傷つけられる感覚がある
  • 人と会う時は大丈夫に振る舞う
  • 人と会うと元気だがひとりの時は絶望している生きていたくないと思う

このような感覚を感じながら毎日をギリギリで生き延びている、そのような日々が続いている事はありませんか?

わたし自身で言うと、上記のような状態はすべて当てはまったように思います。

助けて欲しい時に助けてほしいと言えず、

悲しい時に悲しめず、
周囲にいつも気を遣っていました。

泣いたり悲しんだりしてしまうと、その場にいる相手を困らせてしまう。。。

そして、亡くなった大切なあの人にも心配をさせてしまうかもしれない。。。

そして相手を困らせてしまった自分が悪いんだと自分を責めてしまう。。。
前を向けない自分が弱いんだと自分を追い立ててしまう。。。

なので人と会うのが苦痛でしかなく、人と会う時は気を張って、極力感情を乱さずに、大丈夫に振る舞っていました。

 

それでも大丈夫にしていても悲しみは消えないので、どうして自分だけこんな目に会わないといけないのかと同時に怒りも抱えていました。

毎日が過ぎていくことが、ただの消化試合のようにしか感じられず、生きていることが虚しくて仕方ない。。。

しかしこれは、大切な人が亡くなったという、人生の中での大きすぎるほどの出来事に遭遇しているのですから、当たり前の状態なんです。

「大切な人が亡くなった」

この大きすぎる事実を受け入れる事は、勇気がいります。

特に、1年も経たないうちに無理に受け入れようとするのは、自分の傷の痛みにムチを打ちつけるようなものです。

自分が必要としないなら、喪失からの回復なんて何の意味も持ちませんし、そこへ向かわなくていいと思います。

ただ、自分ではこのつらさから何とか抜け出したい思いはある。

でも、どうしていいか分からない。。。

心の安心を求めながらも
冷静や平然を装ったり、
元気に振る舞ったり、
周囲から傷つけられる感覚が消えない。。。

そんな自分の危機を迎えているあなたへ届いてほしいと思います。

あなたは

つらいし、

苦しいし、

痛いのに、

自分の本音を人前で出せないことはありませんか???

求めても相手が受け止めきれずに、困らせてしまった自分が悪いと罪悪感を募らせていませんか???

<本当の問題は何か>

大きすぎる喪失感を感じた時こそ、自分の中からムクムクと顔を出してくるのは愛着の問題です。

自分という存在の無さが、誰のことも信じられなくしてしまうんです。

誰からの愛も信じないと決めているので、受け入れたら自分が壊れてしまうという怖さを抱えています。

自分自身さえも信じないでいることで、大切な人を裏切らないようにしようとするんです。

大切な人を亡くしたことで、

自分に直面できない

自分を受け入れられない

自分を信じられない

という過去からの愛着の問題が噴出してしまったんです。

大切なものを失ったと同時に、自分も失っているんです。

大切な人を亡くしたのと同時に、自分も亡くしているんです。

なので、つらすぎる喪失体験をした時、人に自分の気持ちを話せるようになることだけが解決ではないんです。

<このままにするとどうなるか?>

強く深く愛しているから悲しむし、涙が止まらないのは当然のことです。

それをすることで少しずつ動いていくことができるようになるんです。

自分に直面せず、受け入れず、信じないままでいることは、その場で時を止め、自分がこの先1ミクロンも変わらないことを決めることにもなります。

なので、常に亡くなった人を頭の中に置いていないと不安になります。

心のつながりではなく、何かしらの亡くなった大切な人の生きていた証を求め続け、悲しんでいないと生きていけなくなります。

死にたいわけではなくとも、生きていたくもなくなり、生きることが無味無臭になってしまいます。

自分という人間を、絶望感罪悪感で閉じ込めてしまい、喜びや楽しみを許さず、苦しむことでしか生きられなくなっていってしまうんです。

<解決に向けて>

大切な人を亡くした時こそ、ひとりで自分の人生を歩いていくことの恐怖を感じます。

一時的に、自分を見失うこともそれはあるでしょう。

自分に危機が訪れた時に、自分に何をしてあげられるでしょうか?

自分と丁寧に時間をかけて向き合い、ひとつひとつ自分を育てていく。

自分の感情に、言葉を与えてあげる。

回復を求めている自分に気がついたら、避けている自分自身や相手との関わりや繋がりの根本を見直していくことを是非ともオススメします。

<2月モニター募集のお知らせ>

2月のセッション募集日をアップしていますので、申し込みお待ちしております!!!

ご確認の上、下記よりお申し込みくださいね。

たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

<2月のセッション募集日>

2月14日(金) 10:00〜 / 14:00〜
2月22日(土) 10:00〜 / 14:00〜

2月28日(金) 10:00〜 / 14:00〜

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<リトリーブサイコセラピー個人セッション>

愛する人と別れてつらい。。。

どうも!!!

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

先日、新幹線の隣に座ったイケイケ女子風の2人が、彼氏と別れた話をずっと話しておりました。

(3人席のね、窓側でしたの、わたし。。。)

 

 

イケイケ①「いい経験になったわ。。。」

イケイケ②「もう、次行こ!次!!」

と同じ会話のラリーが続きます。

 

 

 

本当は怒ってるね。。。

悲しいね。。。

サービスエースが決まればよかったんでしょうけども、残念ながら新大阪〜広島までラリーが途絶えることはありませんでした。。。

 

 

こんな風に、自分の本当の気持ちを無視してしまったり、気持ちを受け止めてもらえていなかったりすると、心の傷からなかなか立ち直ることができなくなってしまいますよね。

 

 

 

 

 

愛する人との別れ、これは人によって様々だと思います。

 

 

 

恋人やパートナーと別れたり、親や子どもと離れ離れになったり。。。

 

 

 

早く気持ちを切り替えたいのに、なかなか気持ちが前向きになれないなんてこともあるのではないでしょうか。

 

 

 

そんな時の痛みはとてもつらいものですよね。

 

 

 

時と共に少しずつ慣れていくどころか、何ヶ月経っても、何年経ってもずっとずっと心の傷が癒えてこない。。。

 

 

 

自分はどうしてしまったのか、いつまでこのつらさが続くのか。。。

 

 

 

そんな出口のないトンネルに入ってしまい、自分が分からなくなってしまう。。。

 

 

 

別れのつらさ。。。

 

 

 

 

今日はそんな、愛する人と別れてつらい。。。」というテーマでお届けします。

 

 

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愛する人と別れた時、あなたは何を感じますか?
どうなりますか?

 

  • 悲しみに暮れる
  • 別の何かに没頭する
  • この別れには何か意味があるはずだ、と無理にポジティブな意味を探す
  • 自分が悪かったんだと責める
  • 周りの人に八つ当たりする
  • 別れの事実を考えないようにする
  • 別れる前の感情を思い出してしまう
  • 別れがなかったことのように振る舞う

わたしは息子を失っていますが、全てと言っていいほど、このような状態に陥りました。

 

愛して愛して止まない存在と別れたわけですから、その悲しみは同然です。 

 

 

心から悲しみ、心から泣き、心が崩れそうになっても仕方がないと思います。

 

 

 

別れから立ち直れず、心理的な症状が出たり、何もする気にならなくなってしまったり、何かに依存したり、引きこもりのように人と会うのを避けてしまう。

 

 

ある一定期間、このような状態になることもあると思います。

 

 

 

だって、心から愛していたんだから。

 

 

ただ、ずっとずっとこの苦しみや、辛さから逃れられない時、そこにあるのは別れの悲しみだけではないんです。

 

 

 

別れからずっと立ち直れない時は、人とつながりたいと思いながらも、人と会うと傷つけられてしまう感覚が強く、段々とひとりになっていく。。。

 

 

 

愛する人と別れた悲しみや寂しさや辛さを、誰とも共有できずにどんどん孤独を増していってしまいます。

 

悲しみや寂しさや辛さを誰とも共有できないことほど、人を孤独にするものはありません。

 

 

別れを引きずると、人は孤独になっていきます。

 

 

孤独が続くと、鬱や睡眠障害、何かへの依存や自殺未遂などさらに苦しい状況へと向かってしまうことがあります。

 

 

これ、別れたことが問題なんでしょうか。

 

 

どんか人でも、人と別れずに生きていくことなんて不可能です。

 

 

そもそも別れがコントロールできるなら、愛してやまない人との別れを、何とかして回避するはずですから。

 

 

では、別れがずっとつらく、立ち直れないことの本当の問題はどこにあるのでしょうか?

 

 

 

それは。。。

 

 

 

自分自身を見れないこと、なんです。

 

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愛するその人を愛することで、今まで自分を見なくて済んでいたんです。

 

 

愛するその人から愛されることで、自分を満たすことができていたんです。

 

 

自分自身を愛することができないから、誰か他の人から愛をもらうことで、自分の不安を消すことができていたんですね。

 

 

愛する人の存在があれば、自分が感じている不安や恐怖を感じなくて済んでいたんです。

 

 

その愛する人がいなくなってしまった時に、直面する事は何でしょうか?

 

 

それは自分の不安や恐怖であり、自分で決断していく人生であり、まさに自分自身に向き合うことになるんです。

 

 

 

自分自身の不安や恐怖に、自分が向き合えないこと。

これが問題なんです。

 

 

 

愛する存在を失ったその時こそ、自分が自分のことをどのように思っているかがはっきりと醸し出されてしまいます。

 

 

別れや喪失の悲しみや痛みが誰かや何かで埋まる事はありません。

 

 

その悲しみや痛みが消える事はありません。

 

 

こう言うと、一度でも別れを味わうともう絶望しかないようにも思うかもしれませんが、決してそうではないんです。

 

 

悲しみや痛みと共に生きることはできるから。

 

 

 

でも、自分の価値のなさや虚しさや空虚感、自分への不信感や罪悪感と共に生きていくことは、自分自身の生きる力を奪っていってしまいます。

 

 

 

どれだけ時間が過ぎようとも、誰が分かち合おうとしてくれようとも、自分自身の生きる力を信じることができなければ傷は癒されないままです。

 

 

 

いつまでも愛する人との別れが辛くてたまらない、そんな時はもしかしたらあなたは自分の人生を生きることが怖くてたまらないのかもしれません。

 

 

 

自分自身を生きるということが、どのような恐怖に結びついているのか根本的な問題を解決していくといいですね。

 

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<1月モニター募集のお知らせ>

 

 

 

1月のセッション募集日をアップしていますので、申し込みお待ちしております!!!

 

 

 

 

ご確認の上、下記よりお申し込みくださいね。

 

 

 

たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

 

 

 

<1月セッション予約可能日>

 

17日(金) 10:00〜 /  14:00〜

18日(土) 10:00〜 /  14:00〜

20日(月) 10:00〜 /  14:00〜

 

※上記以外の時間についてはご相談ください。

 

 

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リトリーブサイコセラピー – 生きるのがつらい毎日に、心が安心して帰る場所を

 

お盆に思うこと 〜お盆に心が揺れるなら〜

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

お盆ですね。

 

 

お盆になると、実家に帰る、夫や自分の実家へ帰る、それ自体が憂鬱。。。

 

 

そして、行くまでの交通渋滞や満員に溢れかえる新幹線や飛行機などの公共機関にうんざりしてしまう。。。

 

 

反対にそんな心労はないけれど、長期の休みになって一人で過ごす時間に寂しさや虚しさが増したりする。。。

 

 

色々なお盆があるとは思いますが、今あなたはどんなお盆を迎えているでしょうか。

 

 

 

今日は、そんなお盆の時期に思うこと「お盆に思うこと 〜お盆に心が揺れるなら〜というタイトルでお届けします。

 

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お盆は亡くなった人達をお迎えし供養する期間と言われていますが、生きている方は色々な気持ちに揺り動かされるような、振り回されてしまうような、そんな期間でもあるかもしれませんね。

 

 

 

日常を過ごしている時よりも、センチメンタルになりやすい時でもありますよね。

 

 

 

わたしもお盆センチメンタルになる一人ですし、数年前までむしろお盆の時期はセンチメンタルを超えて、死にたくなる気持ちを抑えるのに必死な期間でもありました。

 

 

 

わたしにとってお盆とは、どうしても息子を思い出さずにはいられない時期だからです。

 

 

 

妊娠7か月で失った息子が帰ってきてくれると思えば嬉しくもあるのですが、結局はどうせまた離れなければならないという現実を受け入れることができなかったんです。

 

 

わたしにとってお盆は、

 

 

 

大切な存在を失った。。。

 

 

 

その現実を噛みしめなければいけない時期でもありました。

 

 

 

 

大切なものを失ったと認めるほど、つらく苦しいものはないかもしれません。

 

 

 

 

愛する人を失う、これほど心が破壊されることはないのではないでしょうか。

 

 

 

 

そして悲しいことに、人は失ってからその存在の大きさを知ることがほとんどです。

 

 

 

 

愛する人に、もう

「ありがとう」も

「さようなら」も

「ごめんね」も言えない。

 

 

二度とそれは叶わない。

 

 

 

それは絶望という言葉でさえ足りないような、明けることのない暗闇です。

 

 

 

その暗闇に迷うように、お盆は自分の心が大きく揺れてしまう。。。。。

 

 

 

お盆に揺れる心、大切な人を失った痛みと、どう向き合えばいいか分からない。

 

 

 

今回のブログはわたしの体験談をもとに、そんなお盆の心の揺れとの向き合い方を書いていきます。

 

 

 

 

 

 息子のことを書くと、とても愛情深い母親が息子を思って綴っているように思うかもしれませんが、今の想いと違い、妊娠期間中のわたしはそんな母親ではありませんでした。

 

 

 

自分のことしか考えていなかったんですよ、わたし。

 

 

 

妊娠が分かった時は、いつお別れになるか分からないから安定期までは周りには知らせないでおこうと思っていたほど子どもを意識できませんでしたし、

 

自分がやりたいことを制限されるのがイヤで自分の行動の我慢なんてしませんでしたし、

 

出産後に子どもと過ごす時間を想像さえしませんでしたし、

 

子育てに何のビジョンもありませんでしたし、

 

ただ、結婚したら子どもは必要なんだろうな、くらいにしか思わない自分のことしか考えていませんでした。

 

お腹の子どもに全く気持ちが向かない母親でした。

 

愛情はあっても、お腹の子にそれをどう伝えればいいのかも分かりませんでした。

 

 

 

 

お腹の中に居る息子と、気持ちが通じ合った思い出なんて数えるくらいもあるかどうかです。

 

 

 

なので自分のことを薄情な母親だと思っていたし、お腹の中で息子が亡くなったことを知った時に、わたしは息子に愛想をつかされたと思いました。

 

 

 

もう息子は、こんな母親の元になんていられない、生まれてくるのがイヤになったんだろうと思いました。

 

 

 

 

やっと子どもという自分の味方が来てくれたと思ったら、その味方に見捨てられてしまった。。。

 

 

 

そんな思いがわたしを包みました。

 

 

こんなわたしだったから。。。

わたしのせいで。。。

わたしが悪いんだ。。。

 

 

 

日々押し寄せてくるこの自己否定の思いから逃れたくて、

 

息子がわたしに伝えたかったことは何だろうか、

何か前向きになれるようなことはないだろうか、

どうしてこんなことが起こったのかと、

 

意味や答えを求め続けました。

 

 

 

 

 わたしは自己否定から逃れたくて、でも押しつぶされそうで、何かしがみつくものが必要でした。

 

 

 

 

見つけたものが、「息子からの愛を見つけてこれからの自分に生かすこと」だったんですね。

 

 

 

 

 

そして、幸いなことにその愛は至る所から見つかります。

 

 

 

その愛に触れながら、自分が本当はどれだけ息子を愛していたのかにも気がついていくことができました。

 

 

 

どうしてもっと息子と一緒の時間を楽しめなかったのか、心底から後悔しました。

 

 

 

 

リトリーブサイコセラピーに出会い、その後悔を受け止め、どん底で生きる気力を失っていた自分から、人のあたたかさを感じるまでに回復することもできました。

 

 

 

自分の不安が、未来を見ないようにしていたことにも気がつきました。

 

 

 

 

でもそれで全てが解決かというとそうではなく、自分の感情を感じ始めたことで逃れたかったところへと戻ることにもなるんです。

 

 

 

どこに戻るのか。。。

 

 

 

それは。。。

 

 

 

息子への愛情を感じると共に、大きな自分への否定戻っていきます。

 

 

 

 

もちろん、そんな地獄のような場所に戻る自分を認めることなんてできません。

 

 

 

もう二度とあんな思いはしたくない!

 

 

 

自分に生きるチカラがないと信じていると、またあの時に戻ってしまうのが怖くて必死に過去から逃れようとします。

乗り越えるチカラなんて自分にはないと思い、もう二度と今の場所に帰ってこれないと必死にあの日あの時に戻ることを避けようとするんです。

 

 

 

あの時に戻ってしまったら、もう終わりだ!!!

そんな気持ちで自己否定から逃げ出そうとするんです。

 

 

 

幸い、絶望を乗り越え人生に光をもう一度見つけ直し、笑顔を取り戻していくことは、世の中で理想とされているし、周りが求めることでもあります。

 

 

 

なので自己否定から逃れるために自分の感情を押し殺す痛みを、頑張って悲しみを乗り越えようとしている痛みだと勘違いしてしまいます

 

 

 

しかし結果として、自然に笑顔を取り戻していくことと、笑顔を自分で作り続けることとは違います。

 

 

 

無理に顔で笑顔を作っていても、自分を否定していたら心は笑顔になることはありません。

 

 

 

自分を否定していたら、悲しみも寂しさも癒えないんです。

 

 

 

それは大きな痛みになります。

 

 

 

この痛みは、感じて受け止めることでしか和らぎません。

 

 

 

 

その傷の痛みや苦しさやつらさを感じるためには自分への信頼が必要です。

 

 

 

子どもの時に、失った悲しさや寂しさを表現することが許されていなかったら、感情を否定し、自分を否定することでその痛みを乗り越えようとします。

 

 

 

 

自分を否定することで、自分を守ってきたんですね。

 

 

 

大切なものを失った時に感じた痛みは、小さな頃から感じ続けてきた「愛する親に感じた見捨てられた痛み」でもあります。

 

 

 

 

見捨てられるような自分に、自分の価値を感じる事なんてできないから否定します。

 

 

 

小さな頃は、それが安全だった。

 

 

 

でも、大人になった今、その方法を続けなくてもいいんです。

 

 

自分を信頼して、傷や傷跡を誰かと分かち合ってもいいんですよ。

 

 

 

悲しみや寂しさを安全に表現して、それを受け入れてもらう体験をすることは自分への信頼を取り戻していくことに繋がっていくんです。

 

 

 

それほど、自分の感情を確認してこなかったし、悲しんだり、寂しがっている自分を受け入れてもらってきていないんです。

 

 

 

だからこそ、大人の自分が自分を受け入れてあげること。

 

 

 

悲しみや寂しさを、受け入れるチカラが自分にはあると信じていきたいかどうかを決めること。

 

 

 

 

もうお分かりでしょうが、わたしが悲しんで寂しがっておけば。。。いいこともあったんです。。。

 

 

 

息子への想いということで悲しみや寂しさを持っておけば、自分を信じなくていいし、自己否定を感じなくてよかったんです。

 

 

 

悲しみ、寂しさを持っていれば、自分という存在が許される

 

 

 

 

わたしは、自己否定を感じないでいいように自分を否定していたんです。

 

 

 

 

でもこの自己否定は元々わたしが隠し持っていたもので、息子が亡くなったから自己否定が生まれたわけではないんです。

 

 

 

 

ありのままの自分を確認するということは、過去から今までの自分の感情の全てを確認することでもあります。

 

 

 

感情を確認し、受け止めていくことで自分の価値を見つけていくことができます。

 

 

 

わたしたちは自分で自分のことを好きになる価値がある、とわたしは思います。

 

 

 

大切な存在を失った、その悲しみや寂しさは誰かが埋めてくれるものではありません。

 

 

 

自分への信頼を取り戻していくことが、愛する人を失った傷の回復に繋がっていくとわたしは思います。

 

 

 

自分への信頼を少しずつ回復して、全ての出来事を息子と結びつけないことを決めた今でも、悲しみに暮れる日も、寂しさに潰されそうな日も、息子に会いたくてたまらない日も、自分をダメだと思う日も、わたしにはまだまだあります。

 

 

 

愛する子どもを抱っこして小さな棺に入れ、手を合わせて見送らなければならなかった痛みは、これからだってわたしを何度も包むと思います。

 

 

 

でもそれと同じくらい、わくわくを感じる日も、生きるチカラが湧く日も、笑う日も、感動する日も増えたのも事実です。

 

 

 

砕けそうな自分の痛みを、分かち合いたいと思える人も増えました。

 

 

 

起こった出来事を丸ごと受け入れたいと思うようにもなりました。

 

 

 

変わらず息子を愛しているし、共に生きている感覚を信じています。

 

 

 

そうやって充分に悲しんで寂しがって傷は癒えたと思っても、跡として残ることもあるんです。

 

 

 

その傷跡が疼く時も、もちろんあります。

 

 

 

だから、自分の傷や傷跡を隠さなくていいんです。

 

 

 

大切なのは心が揺れないことではなくて、揺れを感じて認められることではないでしょうか。

 

 

 

自分の心が揺れた時こそ、自分の感情に目を向ける時なのだと思うんです。

 

 

 

気持ちが揺れやすいこのお盆の時期だからこそ、自分が自分に目を向ける、そのいい機会になるのではないかと思いました。

 

 

 

静かな時間に、自分の自己否定を抑えきれなくなったら。。。

 

 

 

そして愛する人を想い、涙を流しながらも自分の心の傷に気がついたなら。。。

 

 

 

自分への信頼を取り戻し、自分を回復していくことをわたしはオススメします。

 

 

 

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<お知らせ>

 

 

 

只今、限定でモニターさんを募集しています!!!

 

 

わたしはこのリトリーブサイコセラピーで命を救われました。

 

 

 

それは、自分の喪失からの再生でした。

 

 

 

たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

 

 

 

お申し込みは、こちらからどうぞ↓↓↓

 

 

 

www.yourexcellence.jp

太陽と虹~喪失からの再生へ~

こんにちは。

 

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

 

今回はこのブログ始まって以来の続編です。

(だいぶ歴史がありそうな言い方をしてみました。。。ええ、言ってみたかっただけなのであります。。。)

 

 

 

 

前回は、喪失について書きました。

 

 

 

公園に行ったわたしが財布とケータイを拾い、大変すごくとても親切に警察に届けたという涙あふれる感動のおはなしを。。。

 

 

 

 

はい、それは紛失!!!

(めんどくさくても、1回つっこんでみると楽しくなって。。。きません。。。ね。。。)

 

 

 

 

だって、拾って届けたのはホントだもーーーーーんっ (● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

(そういうことを言ってるんじゃない。。。) 

 

 

 

 

 

前回は、「平成」のしめくくりに、喪失を受け入れられるようになるまでの過程を書いていきました。

 

 

 

 

 

今回は、「令和」の初めに、喪失からの回復、再生について書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しみを安全に表現して受け入れられるようになると、「もうだいぶラクになってきた」という状態がきます。

 

 

 

 

これはとても喜ばしいこと。

 

 

 

 

ところが!!!です。。。

 

 

 

 

今まで悲しみを認めず拒否してきた分、表現したことにより事実を再び再確認することになります。

 

 

 

 

これがつらいんですね。

 

 

 

 

抑えて押さえて抑えつけてきたものが安全に外へと出ていく。

 

 

 

 

とても喜ばしいことなのと同時に、それだけ必死に抑え込んでいた感情です。

 

 

 

 

出す前や、出した時に抵抗が起こるのは当然です。

 

 

 

 

これは誤解ないように言っておきますが、悲しみを持つことがよくないといっているのではありません。

 

 

 

その時期によって、その人によって感じている度合いは違います。

 

 

 

悲しんでも悲しんでも悲しみ足りない時は、悲しんでいていいんです。

 

 

 

ただ、もうある程度その悲しみを自分の中で消化できているのに、悲しみを持ち続けている

 

 

 

 

 

その時は考えてみてほしいんです。

 

 

 

 

 

わたし自身のリトリーブサイコセラピーを受けた経験で言うと、

 

 

 

 

 

悲しみは、あえて自分が残しておきたい感情でした。。。

 

 

 

 

 

わたしは、悲しみの中にいる時は息子とつながっていられたんです。

 

 

 

 

 

不思議な感覚かもしれませんが、悲しんでいる間はわたしは自分の人生と向き合わずにすんでいました。

 

 

 

 

 

悲しんでいれば、自分はそこから動かなくていい。

 

 

 

 

 

 

息子を、自分の人生を逃げるための原料にしていたんです。

 

 

 

 

 

 

自分を生きていくよりも、息子を想い悲しんでいる方がラクだったんです。

 

 

 

 

 

 

わたしはわたしのために生きていない、と心理セラピーのセッションを受けて気がついていくことになったんですね。

 

 

 

 

 

 

 

喪失について様々な考え方があると思いますが、わたしはそこらへんは本人にとってよいものとなるのであればいいと思う折衷論派です。

 

 

 

 

 

(大きく段階論課題論とがあると思っていますが、今回は課題論に沿って遺された人が取り組んでいく課題について話していきます。)

 

 

 

 

 

悲しみや現実を受け入れたあとに、

 

 

 

新しい環境に適応する→亡くなった人との関係を位置づけしなおし、生きていく

 

 

 

という課題に向き合っていく。

 

 

 

 

 

大切な人を失う経験をすると、

  • 何もしてやれなかった
  • どうして今までの時間をもっと大切にできなかったのか
  • 自分のせいだ

という罪悪感を持ちます。

 

 

 

 

それが、悲しみと共に徐々に自分の中から流れ出ていく。

 

 

 

 

 

そうして、自分の人生を生きていく、そう思うようになった時に

  • 亡くなった人を忘れていく
  • 自分だけが進んでしまう
  • 自分だけが生きている

という新たな罪悪感が現れてきます。

 

 

 

これが、先ほどの悲しみの中にいる間は息子とつながっていられる、というわたしの状態です。

 

 

 

悲しみから出て、罪悪感を手放してしまったら、息子との唯一の繋がりを失ってしまう。。。

 

 

 

 

そんなことはないのに、悲しみから出るのが怖くて握りしめていました。

 

 

 

 

これでは、自分で自分の人生を止めてしまっているようなものです。

 

 

 

 

生きるのがさらにつらくなります。

 

 

 

 

では、どうすればいいのか?

 

 

 

 

 

 

 

わたしは自分でどうしようもない時は、リトリーブサイコセラピーの心理セッションを受けました。

 

 

 

 

 

そして助けと支えを借りながらその人がいなくなった世界に取り組んでいきます。

 

 

 

 

 

あの子だけがいなくなってしまった以外に何も変わらないこの世界を、自分の人生として再びどう創っていくのか。

 

 

 

 

絶望、悲しみ、苦しみ、つらさ、痛み、言い表せない感情を感じながら、それでも生きていかないといけない自分は、未来をどう創っていくのか。

 

 

 

 

あの子と同時に失ってしまった自分の価値を、再びどう創っていくのか。

 

 

 

 

 

これほど自分自身を問われる時間と経験は、なかなか持てるものではないと思います。

 

 

 

 

 

子どもを亡くすという経験で、わたしは息子に問われたように思います。

 

 

 

アナタは
本当に孤独な人間なのですか?
本当に無価値な人間なのですか?
本当にその人生を諦め、捨ててしまうのですか?

 

 

 

 

問われたその質問の答えこそが、

生きていく意味を、今までの世界から子どものいない世界へとつながりなおしていく、ということではないでしょうか。

 

 

 

悲しむことは、自分がなくなることではありません。

 

 

 

 

泣くことは、ひとりぼっちな自分を思い知ることではありません。

 

 

 

 

失うことは、自分が無価値な人間だと証明することではありません。

 

 

 

 

 

それを受け取り感じていき、自分を取り戻すことは必ずできます。

 

 

 

 

そして、これからもどの段階も課題も1度経験し味わったから終わるのではなく、何度も繰り返します。

 

 

 

 

それは仕方のないことです。

 

 

 

 

それほどまでに愛しているのだから。

 

 

 

 

だからこそ全ての感情で繋がり、起こった全ての出来事を抱き、共に生きることはできると思います。

 

 

 

 

自分が生きることで確認していく、と覚悟を決める。

 

 

 

 

こうやって亡くなった人と新たなつながりを築くことはできます。

 

 

 

 

息子が生まれてきた日の朝、チカラ強く現れた朝日に輝く太陽。

 

 

 

 

お別れする日の朝、ハート型の雲へと続いていた虹。

 

 

 

 

わたしは今でも忘れません。

 

 

 

 

これからも、遠くてもそうやってつながっていきます。

 

 

 

 

 

 

今までとこれからの人間関係に感情を込めて関わりつながっていく。

 

 

 

 

いつも側にいることはできないけど、いつも共にある。

 

 

 

 

安心して、離れることができる。

 

 

 

 

愛情とは、そうやって変わりながらつながっていくもの。

 

 

 

 

喪失で失われた心は、必ず再生していくことができます。

 

 

 

 

わたしがこれから心理セラピストとして一緒に創っていきたい未来を込めて書きました。

 

 

 

 

大人がシアワセになることで子どもがシアワセになる、そしてそれは愛するあの子の笑顔にもつながっていく、わたしはそう信じています。

 

 

 

 

つらすぎる喪失経験は乗り越える必要はない、とわたしは思っています。

 

 

 

 

喪失は乗り越えることが大切なのではなく、受け入れ、深く強く悲しみ、そこから再び自分の生きる意味を持ち、自分を生きていく意思を持つことこそが大切。

 

 

わたしは、そう感じています。

 

 

 

 

喪失は、自分の再生を教えてくれます。

 

 

 

 

これは、つらい喪失を経験した誰もが思う

「なぜ、自分にこのような事が起こったのか」という問いの答えにもつながると思います。

 

 

 

 

わたし自身、前回と今回の記事を書きながら思うところや感じることがたくさんありました。

 

 

 

そして、子どもを失った経験を改めて再確認して受け止めていく機会にもなりました。

 

 

 

そして思ったんです。

 

 

今の自分だからこそ、できることはあるのではないか、と。

 

 

 

わたしは、心理セラピストを名乗ることはしていますが、まだまだ未熟で勉強すべきところがたくさんあります。

 

 

それはこれからもずっと変わることはないと思います。

 

 

その自分ではありますが、精一杯の自分を込めてリトリーブサイコセラピーのセッションを届けていこう!そう思ったんです。

 

 

 

その一歩目として、今月から

モニターさんの募集

を始めます。

 

 

詳細はまたブログ等で告知させてもらいますね。

 

 

coming soonでございます!

 

 

 

 

これからを共に紡いでいきましょう(*´꒳`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

興味を持ったり、

フォローしてもらえると最高です(*´▽`*)

 

 

 

 

 

 

小躍りしながら、愛を叫びまくって喜びます♪

 

 

 

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子どもを失う意味

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

 

さて3月も終わりますね。

 

 

 

 

あっという間に4月ですね。

 

 

 

 

その前に忘れていますよね。

 

 

 

え?何を?

 

 

 

忘れないでくださいよ~!!!

 

 

それはもちろん、

プロ野球の開幕であります!!!!!

 

 

 

 

 

行ってきました、ヤフオクドーム(≧▽≦)

 

 

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熱いですね、熱いですよ、暑苦しいですよ!

(最後にわたしへの苦情が盛り込まれていますがスルーさせていただきます。)

 

 

 

 

応援を楽しみながら、中盤までは「お♡今日は勝つんじゃね♪」の試合展開だったので

あぐらをかきかき、鼻をほじほじ 心に余裕を持ちながら見ておりました。

 

 

 

ところがであります!!!

 

 

 

イキナリ同点に追いつかれ、逆転のピンチまで迎えてしまったんです(>_<)

 

 

 

 

ヒヤヒヤ、ハラハラ、イリイリしながらもその後は緊迫の試合。

 

 

 

 

最後はサヨナラ勝ちという、もうたまらない展開で試合終了しました。

 

 

 

 

最初は順調で、その後ピンチを迎え、最終的に歓喜に沸く。

 

 

 

 

もう、劇的な人生ドラマなワケです。

 

 

 

 

人生も順風満帆だけではつまらない、そう思いはするんですが、やはり窮地に立たされたと感じる時はそうとも言い切れなかったりしますよね。

 

 

 

 

それほど、ピンチの時というのはストレスが大きく自分にかかってきます。

 

 

 

 

だから避けたくもなるし、ピンチである状況をコントロールしたくもなるし、そもそもピンチなんかじゃない、と否定したくもなりますよね。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて今日はそんな自分の人生での断崖絶壁のピンチとも言える喪失体験について書いてみます。

 

 

 

 

タイトルは、「子どもを失う意味」です。

 

 

 

 

人は、大きな喪失を経験するとどうなるのか、なぜそのようになるのか、そしてそこからの回復とは何か。

 

 

 

その心理的な道のりを、自分の体験をもとにわたしなりに綴ってみます。

 

 

 

 

 

そもそも、喪失体験とは何でしょうか。。。

例えば

  • 大切な人を失う
  • 身体機能や健康を失う
  • 失業で社会での地位や繋がりを失う
  • 夢を失う
  • 暴力や性的被害、精神的被害を受ける
  • 災害等で財産や思い出を失う
  • 家族の絆を失う

など、実に様々な喪失があります。

 

 

 

 

 

 

その中でも今回は、「大切な人を失う」という喪失についてです。

 

 

 

そして、その大切な人が亡くなってしまった

その場合についてです。

 

 

 

 

大切な人の死。これほど悲しい出来事はありません。

 

 

 

あまりの衝撃で現実を拒否したり、自分や誰かを責めたり、パニックを起こしたり、そこに何か意味を無理に見つけようとしたり、ひたすら死ぬことばかりを考えたりする。

 

 

 

これは、当然の反応と言えます。

 

 

 

 

自分に何が起こったのか分からないからです。

 

 

 

 

 

 

自己紹介でも書きましたが、わたしは妊娠7か月で子どもを失っています。

 

 

 

 

子宮内胎児死亡。死産。原因は不明でした。

 

 

 

医師からその宣告を受けた時、まさにわたしも自分に何が起こっているのか分からず、時間と思考と感情を止め、心を消しました。

 

 

 

 

現実など、受け入れるどころか、自分自身を無にすることでしか自分を生かすことができなかったし、保てなかったと思います。

 

 

 

 

地獄という言葉すら、薄っぺらく思えました。

 

 

 

 

どの喪失においてもそうですが、喪失を感じ、味わう前にまず「やるべきこと」が押し寄せてきます。

 

 

 

 

そして、それに向かっているうちは少し現実を忘れることもでき、そうやって心を守っているのかもしれません。

 

 

 

 

わたしの場合は出産がやってきます。

それまで知らなかったのですが、妊娠5か月を過ぎると出産という形を取ります。麻酔で眠っている間に赤ちゃんがお腹から出されることを想像したわたしは、どれだけ陣痛や産みの痛みに耐えても、それが絶対に産声を聞けることのない悲しい出産になることを知ります。

 

 

 

 

しかし、出産の恐怖に目を向けているうちは、お腹の中の息子が亡くなったことを少しだけ忘れることができます。

 

 

 

 

心が必死に自分の命を守ろうと現実を拒否するんです。

 

 

 

 

 

 

 喪失の5段階という理論で言われていますが、

人がどのように喪失を受け止めていくのかを

段階で示したものがあります。

 

 

 

否認→怒り→取引→抑うつ→受容

 

 

 

の流れの中で、人がその時によって直面する心の状態を5段階に分けてあります。

 

 

 

 これは、必ずしも同じような流れや段階を踏むわけではなく、人によっては飛ばしたり、起こらなかったりもするので、あくまでも指針のようなものになります。

 

 

 

 

 

到底受け入れられない子どもの死。

 

 

わたしは、

 

 

そんなに悲しいことじゃない、

 

 

また次がある、

 

 

今はその時期じゃなかった、

 

 

 

そんな言葉を自分に言い聞かせながら、すぐに今ではない時に目を向けることで現実を見ることを拒否しました。

 

 

 

 

現実を見て事実を受け入れてしまったら、強く深く悲しむことが分かっている

 

 

 

 

それに耐えられないからです。

 

 

 

 

わたしは、この状態の時にリトリーブサイコセラピーと出会います。

 

 

 

 

何も入れていなかった心に、少しずつ感情が入っていきました。

 

 

 

 

そして段々と分かってきます。

 

 

 

 

あの子は死んでしまった。。。

 

 

 

 

もう二度と会えない。。。

 

 

 

 

息子と共に描きたかった未来は来ない。。。

 

 

 

 

 

 否定したいのは、現実ではなくその悲しみでした。

 

 

 

 

悲しむ自分は無価値で無意味な人間で、誰からも必要とされない。

 

 

 

 

その思いこそ、わたしの1番感じたくない感情だったんです。

 

 

 

 

人によって、その感じたくない感情は違います。

 

 

 

 

なので大切なのは、その喪失体験により今まで持っていた自分の中にある何の感情が出てきているのか、ということに目を向けることです。

 

 

 

心理セラピーを受ける中で、わたしは何度も何度も悲しみました。

 

 

 

 

外出した時に出会う子どもの姿を見て泣き、

 

 

妊婦さんを見かけては泣き、

 

 

息子が残してくれた、小さな小さな手型と足型を見て泣き、

 

 

あの子だけがいない現在に泣き、

 

 

あの子だけがいない未来に泣き、

 

 

生きている自分に泣きました。

 

 

 

 

 悲しみは、感じて味わうことで受け入れていくことができます。

 

 

 

 

否定や時間では、抑えつけることはできても受け入れることはできません。

 

 

 

 

その悲しみと涙と想いを安全に出し、表現する。

 

 

 

そしてそれを、ひとりじゃないのだと安心して受け止めてもらう

 

 

 

その経験をしました。

 

 

 

 

自分に起こっていることが自分で納得できていくと、それは安心へと変わります

 

 

 

 

 

自分ひとりでできないことは、人にお願いしてもいいんです。

 

 

 

それは依存ではないからです。

 

 

 

喪失は今までの自分の世界を破壊します

 

 

 

だからこそ、大きな大きな支えが必要になります。

 

 

 

子どもを失う意味、それはお母さんが生きる意味へと繋がります

 

 

 

お母さんが自分を癒すことは、愛しい我が子を愛することに繋がるのです。

 

 

 

だからこそ、この喪失という体験を慌てることなく、急ぐことなく、消すことなく、味わい感じて受け止めていく過程はとても大切です。

 

 

 

いつになったら受け止める時期が来るのか、自分が弱いからできないのか、亡くなった人への愛情が足りないのか、自分はそんな価値もないのか。。。

そう思うかもしれません。

 

 

 

本当は、そんなことはないんです。

 

 

 

 

それでも、罪悪感から自分を責めたい時もあります。

 

 

 

 

それはいけないことではなく、どれも、どの時もそれを味わって感じていいんです。

 

 

 

喪失で味わったどの感情も、生きる意味へと繋がります。

 

 

 

さて、長くなりましたので、 受け入れることを始めたわたしの変化については、また次回書かせてもらいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

興味を持ったり、

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小躍りしながら、ドームでジェット風船を両手で飛ばしながら喜びます♪

 

 

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