別れから立ち直れない。。。

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

 

先日、ガーリックシュリンプハンバーガーを発見!!!

 

 

OH!!!

ガーリック!!!

 

 

 

食べたい!!!

でも、今から新幹線。。。

ニオイが充満して白い目で見られたらどうしよう!なんて一瞬よぎりましたが、わたしのニンニク愛は止まるハズもなく。。。

 

 

 

 

買うのを一瞬ためらいましたが、恐れを抱いたニオイ問題は全く起こらず、車中おいしく頂きました!

自分の食べたいものを食べる、何とも自分を大切にした感♡

一応食べたあとの袋の口は、いつもより5割増しできつく結んでおきましたが。。。。。。。

 

 

 

 

 

さて、今日は「別れから立ち直れない」というテーマで書いていきます。

 

 

 

大好きな人との別れ、それをずっと引きずっている。

 

 

 

相手からの別れだろうが、自分からの別れだろうが、引きずるものは引きずりますし、つらいものはつらいですよね。

 

 

 

ずっと心の中で、その思い出を握りしめて、別れたことが受け入れられない。

 

 

 

それは、まだ愛しているからでしょうか。。。

 

 

 

情と言われるものなのでしょうか。。。

 

 

 

執着なんでしょうか。。。

 

 

 

どれも正解で、どれも不正解。

わたしは、そんな感覚になります。

 大切な存在と別れると、

 

 

  • 別れてからも、ずっと頭から離れない。
  • いつまでも落ち込んでいる。
  • この先の希望が見えない。
  • 別れを受け入れられない。
  • 自分なんてどうせダメだと思う。
  • 自分のせいでこうなったと責めている。

 

そんな状態が続くことがあります。

 

 

 

その状態が続くと、何に対しても意欲がなくなったり、やる気が消えてしまったり、自分の殻に閉じこもったりと、人との関わりを避けるようになっていきます。

 

 

 

 

別れを経験し、傷ついて、苦しくて、辛くて、寂しくて、悲しいのに、人を求めるどころかどんどん避けていって、別れから立ち直りたくても孤独や孤立を感じて、よりその別れを受け入れることを拒否してしまいます。

 

 

 

なぜ、癒されたいと思いながらも、自分から人を避けてしまうのか。

 

 

 

 

それは、自分の中に未完了の思いが残り続けているからです。

 

 

 

 

別れは、もともと気持ちのよいものではないのだと思うんです。

 

 

 

 

それでも、その別れからくる寂しさや悲しみをしっかりと受け止めてもらえる経験をすると、寂しくて悲しいけれど、その気持ちを受け入れてもらえることで自分は愛されていることを感じることができるんですね。

 

 

 

受け止めてもらうことで、自分は寂しくても悲しくても大丈夫であることや、自分には愛される価値があることを学んでいきます。

 

 

 

 

しかし、子どもの頃に悲しい別れや何かを失った時にそれを十分に受け止めてもらう経験をしてないと、大人になってから経験する別れを自分の価値の無さの証拠にしてしまいます。

 

 

 

 

自分はダメだからこのようなことが起こってしまったんだ、と思うようになってしまいます。

 

 

 

 

よく考えると、別れと自分の価値とは何も関係ないことは分かるのですが、そう思えないんです。

 

 

 

 

自分がダメだからこんな寂しくて悲しい別れがやって来たんだ、と思うんですね。

 

 

 

そうなんです!

 

 

 

問題は、別れから立ち直れないことではないんです!

 

 

 

別れを経験すると、それを「自分が価値のない人間だからこの別れが来てしまったんだ」と自分の頭が結びつけているのが問題なんです。

 

 

 

 

 

 

 

だから別れが起こったことが受け入れられないんです。

 

 

 

別れるということは、自分が価値のない人間なのだと証明することになる。。。

 

 

 

だから、ずっとずっと別れを認めず、寂しさや悲しさや辛さを心の奥底に隠しこんで何とか忘れようとします。

 

  • 他の誰かで埋めようとしたり
  • 何かをすることで紛らわせようとしたり
  • 幸せなことしか見られなくなったり
  • 時間が解決する、とひたすら我慢したり
  • 寂しさや悲しみなどのネガティブな感情を否定したり

 

 

そんなことをしながら、立ち直る日を待ちます。

 

 

 

でもね!!!!!

 

 

 

待っていても立ち直れる日は遠いんです!!!!!

 

 

 

寂しさや悲しみ、自分のネガティブな感情、弱さや恐怖、これらを押さえつけることで立ち直ることはできないんです。

 

 

 

それらの恐怖や、それに結びついている感情が自分の価値とは関係がないことを、自分が身体と感覚で腑に落ちないと、いつまでも別れを否定しながら自分を保たないといけなくなります。

 

 

 

その寂しい別れは、あなたがダメだから起こったのではありません。

あの悲しい別れは、あなたの価値とは関係ありません。

このつらい別れは、あなたのせいではありません。

 

 

 

別れから立ち直れないのは、別れを通して感じた気持ちが癒されていないから。

 

 

 

怖いですよね、ダメだったり、価値の無い自分を見るなんて。。。

 

 

 

だからこそ、どんな形で自分は助かりたいのか、どうやって癒されたいのか、誰と乗り越えていくのかを、自分が選んでいいんです!!!

 

 

 

わたしがわたしにできること、今までのが違うと思ったら選び直していいんです!!!

 

 

 

今、アナタはアナタに何をしてあげたいですか???

 

 

 

 

 

 

<お知らせ>

 

 

 

只今、限定でモニターさんを募集しています!!!

 

 

わたしはこのリトリーブサイコセラピーで命を救われました。

 

 

 

それは、自分の喪失からの再生でした。

 

 

 

たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

 

 

 

お申し込みは、こちらからどうぞ↓↓↓

 

 

 

離婚という喪失

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

 

新緑がキレイな季節ですね。

 

 

 

 

この時期の緑たちって、なんだかとっても柔らかそうですよね(*´꒳`*)

 

 

 

 

ふわふわを期待して、緑に突っ込み、何度ちくちく刺さったことか。。。

 

 

 

 

ダイブしなくなった自分に、だいぶ大人を感じます。。。d( ̄  ̄)

 

 

 

 

そして、5月の緑と言えば。。。

 

 

 

 

 

 

 

そう、我らがよもぎさんです!!!

 

 

 

先日、摘みに行っていいニオイに囲まれました(*´꒳`*)

 

 

 

 

洗うために、そのまま水につけて置いてたんですが。。。。。

 

 

 

 

なんと残念、半日で腐っていましたΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

 

 

 

 

流水にするまではないかな、と思っていたら、暑さでしっかりぬるま湯に。。。( ̄◇ ̄;)

 

 

 

 

よもぎも、人間関係もぬるま湯ではダメなんですね。。。

 

 

 

 

そこに留まるだけのぬるま湯ではなく、新しいものに触れていきたいなー、とよもぎから学んだ5月でありました。。。

 

 

 

 

 

さて、色々な経験から人は学ぶもの。

 

 

 

 

今日は、「離婚という喪失」というテーマでお届けします。

 

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わたし、あんまりイメージにないようなんですが、離婚を経験しています。

 

 

 

 

しかも、2年と持たないスピード離婚でした。

 

 

 

離婚。

 

 

 

それは、

自分から・相手から、愛がある・なし、子どもがいる・いない、揉める・揉めない、どの状況に関わらず、大きな喪失感が伴うものです。

 

 

 

 

どのような形であれ、家族を失ったんです。

 

 

 

 

自分の居場所や存在価値、幸せの家族像という夢や理想、周囲からの信頼、様々なものを失うわけですから、大きな喪失感孤独を感じて当然なんです。

 

 

 

 

そして、離婚までは物理的にも精神的にも色々と大変です。

 

 

 

 

無事に離婚が成立した状況であったとしても、ほっと一息ついた途端に、今まで抑えていた気持ちが溢れて不安定になったり、無気力になったり、そんな状態になってもおかしくはありません。

 

 

 

ならば、離婚なんてしまければいい、ガマンしていればいい、そういうものでもありません。

 

 

 

人の気持ちはナマモノなので、その時に放置してしまうと当然腐ってきてしまいます。

 

 

 

 

離婚の理由なんて、いい悪いではないんです。

お互いに言いたいことはあるだろうし、お互いに自分が正しいと思っています。

加害者、被害者の関係のように見えても実はそれが心地よい依存関係だったりもするので、自分にとっては「正しいのは自分」なんです。

 

 

 

 

わたしも思いっきり自分が正しい!!!をしていました。

 

 

 

 

いつも自分が正しくて、相手が間違っている。

 

 

 

正しく頑張っているからこそ、相手には自分という価値を認めてほしいと思ってしまう。

 

 

 

 

自分という価値を相手に分からせたくなる。

 

 

 

 

何なら相手が分かるまで間違いを指摘しまくって、思い知らせてやりたくなる。

 

 

 

 

支配を受け入れて育つと、自分も人を支配しようとするようになります。

 

 

 

 

特に身近な存在、家族にはあからさまにその思いがでます。

 

 

 

 

支配して当然、言うことを聞いて当然だ、くらいの気持ちを持っています。

 

 

 

 

自分がそうされて育ってきたからというのもありますが、自分が我慢してきた分の積み重ねてきた怒りを、親ではなくパートナーに引き受けてもらおうとしているんですね。

 

 

 

わたしが離婚をしてこの不幸を見せつけてやりたい!と思ったのは、親に対してでした。

 

 

 

アナタ達の子育ての結果はこれやけんね?

 

 

 

 

子育て失敗したね、アナタ達のせいやもんね。

 

 

 

 

そうやって自分の身をもって、子育ての失敗を親に見せつけたかったんです。

 

 

 

 

しかしながらです。

 渦巻く気持ちはそれだけではありませんでした。

 

 

 

 

それと同時に、親の望むような人生を送れない自分を責めます。

 

 

 

 

両親を安心させてあげたかった。

 

 

 

 

結婚は、して当たり前のもの。

 

 

 

 

そして子育てをし、親の面倒を見るもの。

 

 

 

 

とにかく世間の目や、周りから見た幸せの形が大事

 

 

 

 

どれだけ反発をしたことろで、親の価値観をしっかり自分が受け入れていました。

 

 

 

 

でも、それは本当に自分が望むことではないので、最後にはひっくり返して終わらせてしまう。

 

 

 

 

そんな「親を安心させることができない自分」をものすごく責めます。

 

 

 

 

自分はみんながしているようにできないという劣等感、欠陥品であるような恥ずかしさ、自分がダメだからこんなことになるんだという罪悪感、これらが一気に自分へと向かってきます。

 

 

 

 

 

今まで親の願いを察知し、自分から進んで行動してその願いを叶えることで親を安心させてきたんです。

 

 

 

 

親の願いは、自分の想い。

 

 

 

 

親の安心が、自分の安心。

 

 

 

 

 

そうやって、親に目を向けておくことが自分の存在意義でもあったんですね。

 

 

 

 

なので、「ほら見たことか、ざまあみろ親め!!!」という気持ちと、「親を安心させることができない自分なんて、なんて価値がないんだろう。。。」という両方の気持ちに襲われます。

 

 

 

 

 自分の心の中で親を責める気持ちと、自分を責める気持ちとがいう同時にせめぎ合っている。

 

 

 

 

相反する気持ちだから苦しいんだ、つらいんだ、とそう思いますか?

 

 

 

 

確かに、同時に逆方向へ向かうような感情にも見えます。

 

 

 

 

しかし、一見すると相反するように見えるこの感情ですが、実は根っこは同じなんです。

 

 

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それは、自分の感情の中心は親だという根です。

 

 

 

 

自分の心の核となる柱が、自分にない。

 

 

 

 

自分の感情よりも、親の(大人になってからは他人の)感情が大切

 

 

 

これが他人軸です。

 

 

 

 

そうなんです。

 

 

 

わたしには、自分の軸というものがなかったんです。

 

 

 

わたしは離婚という経験で、今まで積み重なってきた喪失、つまり自分の心の重心、軸の喪失に気づかされることになります。

 

 

 

 

自分の人生を、他人の為に使い、他人の為に生きる。

 

 

 

 

これでは、生きるのがつらくなります。

 

 

 

 

では、どうしたらいいのか。

 

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離婚と事実を変えるのでなく、他人軸に生きてきた生き方を変えていくんです。

 

 

 

 

自分は何をどう感じ、どうしたいのか。

 

 

 

何が好きで、何がイヤなのか。

 

 

 

何をやりたくて、何をしたくないのか。

 

 

 

その本当は。。。という自分の感情を自分の為に感じて、表現していく。

 

 

 

 

 わたしは離婚と言う経験で、自分の軸をまた大きく捨てようとしたんです。

 

 

 

自分のために生きていない!

そう気がついたら、自分に軸を戻して、人のためでなく自分のために生きる決意がいります。

 

 

 

 

その未来は勝手に見えては来ません。

 

 

 

自分のために生きることが簡単なら、今までだってすぐにそうしていたはずです。

 

 

 

そこには必ず大きな恐怖が眠っています。

 

 

 

そこを丁寧に、そして安心して見てていくこと、安全に表現することが大切です。

 

 

 

わたしは、リトリーブサイコセラピーでその恐怖を安心に変えていきました。

 

 

 

いつからでも、どこからでも、まずは自分の「そんなのイヤだ!変わりたい!」は大きな原動力になります。

 

 

 

離婚という喪失は、大きければ大きいほど自分に回復を求めてきているのではないかと、わたしは思うんです。

 

 

 

その声を無視せず、かつての自分がしてほしかったように自分の本音を聞いてあげられるといいですね。

 

 

離婚の喪失。

それは、満たされなかった親への想いと同じ。

 

 

だからこそ、その喪失の余白を大人になった自分が満たしていきましょう

 

 

 

 

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わたしはこのリトリーブサイコセラピーで命を救われました。

 

 

 

それは、自分の喪失からの再生でした。

 

 

 

たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!

 

 

 

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