自分を感じられない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

先日、Twitter

「相手の感情を感じると、自分が相手の感情に引っ張られて、飲み込まれて振り回されてしまう。。。

だから、できるだけ人と感情の交流をしないようにしている。」

というような投稿を見かけたんです。

自分という存在を守るために、人との感情の交流を避けないといけない。

人と関わっていると、自分という存在を感じられなくなってしまう。

それって、すごくつらくないですか???

今日はそんな「自分を感じられない。。。」というテーマで書いていきます。

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あなたはこんな事はありませんか???

  • いつも困っている人が寄ってくる
  • できないことがあるのが怖い
  • 自分の気持ちを感じられなかったり、考えられない
  • 相手の話の聞き役になってばかりいる
  • 人と長い時間過ごすと疲れてしまう
  • 色々なことをちゃんとできるが生きづらい

本来、自分のことが分かるからこそ相手のことも分かるものなのですが、相手を理解することで自分がいっぱいになってしまい、自分が何を感じ、考えているのか分からなくなってしまっているんです。

相手次第で自分の状態も変わってしまうので、いつも気にかけているのは相手のことになってしまい、自分のことどころではないんです。

相手が落ち着いていたり、穏やかであることが安心なので、相手の欲求を満たすことが最優先となります。

相手のことばかり考えすぎてつらくなるなら、もう全て自分のことに集中してしまえばいいじゃないか!と思うかもしれませんが、自分に意識を向けるだけではこの問題は解決しないんです。。。

<本当の問題は何か?>

自分を感じられないことの問題は、境界線の問題にあります。

境界線とは、その名のごとく自分と相手を区別するその境目。

この境界線がはっきりしていないと、自分の感情と相手の感情が自分の中で混在してしまいます。

そして
相手のことを全て理解しないといけない
相手の感情をお世話しないといけないと言う思い込みも抱えていきます。

これは、幼少期から自分という存在について

愛されたり
大切にされたり

関心を向けてきてもらっていない

という事でもあるんです。

「自分を知る」ということをずっとさせてきてもらっておらず、母親から自分と同じように感じ、同じように行動することを求められてきていることが多いのです。

子どもは親の欲求を満たすために存在していて、子どもが自分自身の欲求を感じて表現することは悪だと信じ込んできたんです。

その状態がずっと続くと、

相手の望みに応えて自分自身は捨てろ、そのために自分は存在するのだ、という思いを強めていきます。

欲求や感情そのものを感じる自分はダメなんだ、ありのままの自分は価値がない、と自分を感じられなくなっていきます。

なので、感じられないと言いながらも自分を感じるのが怖いんです。

<このまま続くとどうなるか>

このまま大人になり、自分を知る機会ができたとしても、人との境界線が引けていないと自分を分かったり自分を知ることをしなくなります。

そのままの自分に価値を感じられないので、

自分なんて、

居ても居なくてもいい

ここに居てはいけない

と自己否定が根っこの人生になっていきます。

そして、自分を知ってしまうと自分の道を進まないといけなくなり、自己否定が土台の自分にひとりで生きていく力などないんだ、と不安や恐怖でいっぱいになってしまい、感じたくないのです。

誰かに従うことで安心し、その指示をしてくれる人がいないとどうしていいか分からないし、考えられないんです。

相手のことを自分のことのように取り込んで、自分の人生なのにいつも周りが基準になってしまいます。

境界線がないということは、

自分の価値がない

自分の存在を認めてもらえない

という常に見捨てられている恐怖を感じているという状態でもあります。

自分を感じると、この恐怖や痛みが自己否定と共に襲ってくるので、ずっと相手に自分の領域に侵入させて、その痛みから逃れていくんです。

そしてより一層、自分のことを分からなくさせていってしまいます。。。

<解決に向けて>

自分と相手の間に境界線を引く。

でも、こうすることが相手との関係やつながりが切れてしまうことのように思い怖くてできない。

誰かに従っていないと、誰かのように生きないと、孤独になり、嫌われ、生きていけなくなってしまう。

それが怖くてたまらないんです。

なので自分が、誰から責められ、どんな否定を感じてきたのか。。。

そうすると、自分は何をしないといけないと思ったのか。。。

自分を感じながら生きると、自分の存在が消えてしまう。。。

そして、自分を感じないように自分を抑え込まないといけない。。。

自分をそこまで無理させてでも、頑張らないといけないことは何だったのか???

母親に受け入れてもらうため、

否定を恐れながら、

頑張り続けてきた自分の心にある不安や恐怖がそこにはあったんです。

それがつらくて苦しくて、もがいている自分の声を聞いてあげませんか???

自分を感じられない時ほど、自分を知る怖さ、どんな感情を感じることを避け続けてきたのか、を見ていくことが解決へと繋がっていきますよ。

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<大阪基礎コース始まります>

ひとりでは築くことができない人間関係。

今まで自分の中に押さえ込んできた怖さや痛み。

そんな、ひとりではできないことを仲間と共に見つめ、受け止めていくことで自分をたくさん知っていく、ぬくもりのコースです。

もちろん楽しいことばかりではないけれど、だからこそひとりじゃないと感じることができるこの基礎コース。

自分の中にある、

つらさ

悲しみ

痛み

苦しみ

怒り

怖さ

共に助け合って感じていく空間がここにあります。

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人の話が聞けないのは。。。

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

朝夕が、だいぶ涼しくなりましたね。

 

 

 

台風の影響は、大丈夫でしたか???

 

 

 

福岡も、少しずつ過ごしやすい気候になってきました。。。なんて福岡について語ってみたりしましたが、ここ11日間だけを見てみますと、なんと3日しか福岡におらず、あとの8日間はわたくし大阪に居ました∑(゚Д゚)

 

 

 

あれ?

わたし大阪に住んどったっけ?なんて自分にツッコミつつ、大阪を満喫して福岡に帰るっちゃん!

↑取ってつけたように博多弁。。。

 

 

 

わたし、大阪にいる時は「博多弁、激しいね。。。」とよく言われるとです。

 

 

でも、福岡にいる時にそう出まくってはいないんですよ。

 

 

慣れているのもあるかもしれませんが、大阪だからこそ博多弁が出る、というのはあるかもしれません。

 

 

 

相手という関西弁にたくさん触れた時に、自分という博多弁を貫こうとしているのかもしれませんねー( ̄◇ ̄;)

 

 

 

自分の何かを貫こうとしすぎる時、そこには何かしらの恐怖があります。

 

 

 

 

人と話している時に、相手が何か意見を言うとそれを受け入れることができない。

 

 

 

人の話よりも、自分の意見や思いばかりを伝えようとしてしまう。

 

 

 

そして、結果的に相手に分かってもらえなかったり、自分の思いが伝わらない気持ちをずっと抱えてしまう

 

 

 

あなたは、そんな気持ちを抱えることはありませんか???

 

 

 

 

今日は、「人の話が聞けないのは。。。」というテーマで書いていきます。

 

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人の話が聞けない。

 

 

 

それを自分で意識している時とそうでない時はありますが、特に相手と意見が合わなかった時にどういう反応をしているかを思い浮かべてみてください。

 

 

 

責められているように感じる

相手の話を最後まで聞けない

自分の意見ばかりを伝えようとする

分かってもらえず、無駄だと諦めて黙る

そうじゃない!と怒りがわく

相手が納得するまで話し続ける

 

 

 

これってどういう状態だと思いますか?

 

 

 

キャッチボールをしようと思った時に、壁当てをしているんです。

 

 

 

相手が投げてくれたボールをスルーして、新しいボールを自分のポケットから取り出してそれを投げ返しています。

 

 

 

投げるボールが毎回変わるから、もちろんキャッチボールになりません。

 

 

 

じゃあ、相手の投げてきたボールを1回キャッチしたらいいんじゃね???

 

 

 

相手の言うことを1回受け止めたら、この問題は解決できるんじゃね???

 

 

 

確かにそうです。

 

 

 

受けとめられなかったものを、受け止めることができたらそれはもう、めでたしめでたしです。

 

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しかーーーし!!!

 

 

 

それができないから困っているワケです。

 

 

 

相手の言うことを1回受け止められないんです。

 

 

 

だから

伝わらなくて

分かってもらえなくて

自分を懸命に伝えるんです。

 

 

 

でもその結果、相手も聞いてもらってない感が満載なので、あなたに伝わっていないと思ってより一層伝えてきます。

 

 

 

だからまた自分も伝わってないと思って、懸命に自分のことを伝えようとします。

 

 

 

それで人と関わり、話すのがつらくなっていきます。。。

 

 

 

 

このループ、相手の話を受け止めるだけで解決するでしょうか???

 

 

 

 

そこにあるのは、相手の話を受け止めた時の恐怖です。

 

 

 

 

相手の話を1回受け止めるだけで、

 

相手から飲み込まれるような

相手に服従させられるような

自分を乗っ取られるような

 

 

そんな自分が消えてしまうような恐怖を感じてしまうとしたら、1回どころか人の話を受け止めることなんてできるでしょうか???

 

 

 

できないですよね。。。

 

 

 

実際には、そんな事は起こらないと分かっていても、感覚でその恐怖を感じてしまうんです。

 

 

 

人の話を聞いて受け止めてしまったら、自分が飲み込まれて消えてしまう。。。

 

 

 

 

それを感じないでいいように、人の話を聞かなかったり、自分の話ばかりをして自分を守っているんですね。

 

 

 

だから人の話を受け止めるだけでは解決しないんです。

 

 

 

人の話を聞いた時に

 

飲み込まれたり、

服従させられたり、

消えてしまうような、

 

 

その恐怖が一緒にやって来ないように、その怖さを解決していくことが大切だと思います。

 

 

 

リトリーブサイコセラピーは、恐怖や感覚を扱います。

 

 

 

行動として困っていることの中にも、必ず感情があります。

 

 

 

そして、自分を止めてしまうような、避けてしまうような、その行動には恐怖の感情が眠っています。

 

 

 

その恐怖や、押さえ込まれた色々な感情をひとつひとつ癒していくことで、本当に自分のやりたかった行動が自然にできるようになります。

 

 

 

人の話が聞けない。。。

 

 

 

そんな自分に気がついた時は、自分の中にどんな恐怖があるのかを見ていきましょう。

 

 

 

どんなに怖くても、それをひとりでやらなくていいんだから。

 

 

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それは、自分の喪失からの再生でした。

 

 

 

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taiyotoniji.hatenablog.com

 

境界を育てるチカラ

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

前回は境界について書いてみました。

 

 

 

 

taiyotoniji.hatenablog.com

 

 

 

今回は、その境界をどうやって育てていくか、「境界を育てるチカラ」について書いていきます。

 

 

 

 

あなたはこんなことは思い当たりませんか?

 

 

 

  • 仕事を頼まれたら断れない
  • 人に仕事を任せられない
  • 体調を無視してまで残業をしてしまう
  • 自分は相手の話を聞くが、相手は聞いてくれないと感じる
  • 人に本音が出せない
  • 人の役に立ちたい
  • 親の感情のケアをしている
  • 子どもに自分の理想を押し付けてしまう
  • パートナーや子どものすることに口を出さずにいられない

 

 

 

 

このように、自分のことを人に任せすぎるのも、相手のことに入り込みすぎるのも、境界がないことで起こります。

 

 

 

 

なので境界を自分で育てていくと、自分と相手を分けることができるようになるので、自分に集中できるようになります

 

 

 

 

そんないいこと尽くしなら、どんどん境界を育てていこうじゃないか!!!

そう思いますよね?

 

 

 

 

でもね。。。

 

 

 

 

そんなに簡単なら、今までぐんぐんと育てているんです。。。

 

 

 

 

どうしてできなかったのか???

 

 

 

 

それは。。。。。

境界を育てようとすると、良くないことが起こっていたからです。。。

 

 

 

自分の感情をそのまま出すと、

否定されたり

起こられたり

無視されたり

責められたり

悲しまれたりして

自分を守ることを許されなかったんです。

 

 

 

 

なので自分の欲求を諦め、自分だけで何とかしようとしてきたんですね。

 

 

 

 

境界を作り育てていくことは、親を見捨てて自分も見捨てられることと同じなんです。

 

 

 

 

そう思い込んできたんです。

 

 

 

それくらい、境界を育てることが怖かったんです。

 

 

 

だからこそ、今がつらいんです。。。

 

 

 

自分にはどうすることもできない相手の反応に対して、責任を背負い込んでいるから。。。

 

 

 

相手が自分のことをどう感じるのかは、相手の責任なんです。

 

 

 

 

境界を育てることは、相手を見捨てることでも、自分が見捨てられることでもありません。

 

 

 

なので、感じている怖さは今のものではないんです。

 

 

 

何か昔のような怖いことが起こることを想像して、自分の足を自分で止めようとしてしまっているんです。

 

 

 

 

その怖さを、自分のチカラで超えていきたいと思うかどうかはとても大切だと思います。

 

 

 

超えると決めたその時から、あなたの境界は育ち始めます。

 

 

 

それをひとりでやらなくてもいいんです。

 

 

 

自分で何でもやれる!

人なんて必要ない!

 

 

 

そうやって傷つけられないために自分を守るやり方を続けてしまうのは、相手は自分に何をしてもいいと許してしまっているからです。

 

 

 

人に侵入されることを許してしまっている自分がいるから、誰にも入ってこられないように自分だけでもう充分に満たされているのだと固い自分の殻を作ってしまいます。

 

 

 

これは境界ではありません。

 

 

 

境界は固く狭いものではなく、自分を助けるためにあるんです。

 

 

 

自分は何を求めているのか、それを思い出しましょう。

 

 

 

出来ずに苦しければ、助けを求めましょう。

 

 

 

全てを誰かと分かち合う必要はないんです。

 

 

 

ただ、誰と分かち合いたいのかは自分で選べるんです。

 

 

 

自分を大切にすることは、誰かを大切にしなくなることではないんですよ。

 

 

 

 

自分を生きることは、自分以外の人と心地よく繋がることです。

 

 

 

 

自分にできること、

自分にできないこと、

それを自分で決めることが境界を育てていきますよ。

 

 

 

 

自分の境界、見直してみませんか???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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NOを言えない。。。

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

早速ですが、今日は「NOを言えない」というテーマで書いていきます。

 

 

 

ここ半年ほどで、新幹線に乗る機会が格段に増えたわたし。

 

 

 

新幹線も、人それぞれの日常やドラマが詰まっていて、なかなかおもしろい空間です。

 

 

 

 

先日も乗車した新幹線の後ろの席の方で、お酒を飲んでそのまま寝てしまった乗客がいたんですよ。

 

 

 

 

何を思ったのか、飲みかけのビールを席の下の床に置いて寝てしまい、新幹線の揺れで缶が倒れ、ビールが徐々に床に広がっていきました。

 

 

 

 

なぁーーーーにぃーーーーーー!?

やっちまったな!!!!!

という懐かしいコント話ではなく。。。(古)

 

 

 

 

その前の席に座っていたサラリーマン風の方はカバンを床に置いていたようで、足元のカバンが濡れたことで、ビールが流れてきたことに気がついたようです。

 

 

 

すぐさま後ろを振り返りますが、当の本人は寝ています。。。

 

 

 

しきりにカバンを気にしているところに、乗務員さんが通りかかります。

 

 

 

さあ、ビールがこぼれていることや、カバンが濡れたこと、助けを求めるチャンスです!!!

 

 

 

ん。。。。。。

 

 

 

あれ!?

 

 

 

 

その方、乗務員さんに何も声は掛けませんでした。。。。。

 

 

 

ただただ、カバンを見つめ、困った顔でため息をついています。。。

 

 

それはもう、気づいてほしいオーラ全開です!

 

 

でも、自分からは結局何も言いませんでした。。。

 

 

 

 

最終的には乗務員さんが気がついて床を拭いて、そのビールをこぼした乗客を起こし注意していましたが。。。

 

 

 

こういう時、みなさんが前の席の当事者だったらどうしますか?

 

 

 

良い悪いや、過失で言うならビールを床に置いて寝てしまった方かもしれません。

 

 

 

しかし、明らかに困っているのはビールが足元まで来て、カバンも濡れてしまった前の席の人です。

 

 

 

床にビールがこぼれている!

それが、自分のやったことでも自分が悪いわけでもないとしても、助けを求めるのはやはり「困っている方から」なんですよね。

 

 

 

自分に起こった出来事に対して、ガマンしてイヤを握りしめていてもカバンはキレイにはなりません。

 

 

 

特に自分に非がないと思う時は、自分からどうして動かなければいけないのか、という気にもなってしまいますが、それでも自分から動かない限り相手を責め続け、誰かの助けを待つだけになってしまいます。

 

 

 

 

前の席に座っていた人ですが、乗務員さんに大丈夫ですか?と尋ねられた時に、「いえいえ、自分がこんなところにカバンを置いていたのが悪いんで。。。」「なんか、すいません。。。」と謝っていたんです。

 

 

 

 

そして、たまたま通りかかった無関係のマダムが見かねたのか、ひとしきり乗務員さんに「カバンの保障はないの?」みたいなことを言い、責任を問うたりもしておりました。

 

 

 

 

この2人のような、

自分が悪くないような時にも自分を責める。

自分のことでもないのに黙っていられない。

そんなことはないですか???

そんな自分自身ではなく人の感情のケアをしていることはないですか???

 

 

 

 

  • 自分にどうにもできないし、自分に責任がないことにまでも自分のせいに感じる。
  • 相手の責任で行うことなのに、そこに口を出さずにいられない。

 

 

これって、自分と相手の間に境界線がないことで起こります。

 

 

 

この境界線が曖昧だと、NOが言えないんです。

 

 

 

 

相手に境界線を越えられたり、相手の境界線を越えたりすると、相手に対してNOが言えなくなるんです。

 

 

 

NOを言ってしまうと、

 

  • 相手に嫌われる。
  • 自分だけ仲間外れにされる。
  • 役立たずになる。
  • 攻撃されて怒られる。
  • 自分の立場を失う。

 

こんな気がして言えません。。。

 

 

 

 でもね。。。

相手が自分についてどう思い、どう感じるのかに責任は持てないんです。

 

 

 

 

それは、相手が決めることだからです。

 

 

 

境界線がないと、こぼされたビールでカバンが汚れても何も言えなかったり、何も言えない人の代わりに自分が言おうとしたりして、自分にはどうしようもない相手の反応にも自分が責任を感じて背負おうとしてしまします。

 

 

 

自分の荷物でないものを、ずっと背負いながら生きていく。

 

 

 

それで頑張れたり、パワーが出たりすることもあります。

 

 

 

短期間の話なら、その荷物は自分にとってよい負荷になるかもしれません。

 

 

 

しかしそれがずっと続くとなると、それは段々と重荷になっていきます。

 

 

重荷を背負い続けながら生き続ける。

 

 

それだと、生きるのがつらくなります。

 

 

だからこそ、境界線は必要です。

 

 

境界線は、何を受け入れて、何を拒否するのかを自分が決めることです。

 

 

 

自分が何を好きで、何が嫌いなのかを知ることです。

 

 

 

境界線を育てていくことが、NOを言うチカラも育てていきます。

 

 

 

それは自分が何を求めていて、何を望まないのかを自分ではっきりと知り、周りに伝えられることでもあります。

 

 

 

そうすることで先ほどの新幹線の2人のような

 

主張できない自分が悪いという罪悪感

できないことを自分がやってあげなければいけない義務感

 

を持たなくていいようになります。

 

 

 

自分の領域に責任を持つ

相手の領域は相手に任せる

 

ということができるようになります。

 

 

 

境界線が持てない、ということは

子どもの時に自分の領域を守られずに尊重されていなかったということでもあります。

 

 

 

親の責任を持つこと、心のお世話をすることで自分を守ってきたのかもしれません。

 

 

 

大人になり境界を持つということは、その親の責任を親へと戻し、自分の人生を自分で歩いていく宣言をするということです。

 

 

 

その決意をして、自分に境界を育てていこうと決める。

 

 

 

怖いですよね。。。

 

 

 

今までの自分と変わってしまうし、自分がまるで悪いことをしているかのような気持ちにもなるかもしれません。

 

 

 

それほど今まで、自分と相手の間に境界がなかったこと、NOを言うことが怖かったことに気がつけるといいですね。

 

 

 

 

長くなったので、次回にどうやって境界を育てていくかについて書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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空気を読め!!!~分かって、察しての圧力~

こんにちは。

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。 

 

 

 

さて、連休も終わりましたね。

 

 

 

今年は元号改正や10連休ということもあり、連休明けはなかなか気持ちがついていかない。。。

 

 

そんなこともあると思います。

 

 

そんな状態になるのがイヤだから休みは楽しまない!なんてことになるとこれまた本末転倒ですが、五月病とも言われるこの時期を自分と共に過ごしていきたいものですね。

 

 

 

わたしは連休明けのお楽しみがありまして、連休明けも鼻歌でした♪

 

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行ってきたんです、「いきものがかり」のひっさびさの集牧ツアー♡

(写真はいきものがかりではありません。当たり前。。。)

 

 

 

 思えばどれだけこの日を待ち望んだか。。。

 

 

4年ぶりのツアーで、自分に起きた4年の月日を振り返り、泣き、叫び、笑い、楽しみました!!!

 

 

 

目の前に落ちた、投げ込まれたツアータオルを逃してしまい、欲しすぎてしばし引きずりましたが。。。

 

 

 

ためいきばかり。。。。

 

 

 

こんな思いをするくらいなら行かなければよかったかというと。。。

 

 

 

それでも、やっぱりコンサートに行きたいんですよね♪

 

 

 

心が動くって、素晴らしいことなんだなあと改めて鼻息を荒くする次第のはないきがかりでした。。。(もちろん、そんなかかりは存在しません!)

 

 

 

 

 

 

さて今日は「空気を読め!!!~分かって、察しての圧力~」というテーマでお届けします。

 

 

 

空気を読む、空気が読めない、なんてことが言われるようになって随分経ち、少し前では忖度という言葉もありましたね。

 

 

 

状況を理解し、判断し、行動する、そういうことが空気を読むということに当たると思います。

 

 

 

 

日本は調和を大切にしますから、よりこの空気を読むということが求められます。

 

 

 

そして、空気を読まないことはダメなよくないこととされがちです。

 

 

 

なので、空気をよむことに必死になり、その場で自分を感じられない人も多くいます。

 

 

 

あなたは、こんなことはないですか?

 

 

◦発言や行動をする時、相手の顔色を見てしまう

 

◦受け入れられそうなら言う(する)が、そうでなさそうなら止める

 

◦人の行動や言動を常に気にしている

 

◦人の意見に同調しやすい

 

◦自分の意見を言わない

 

◦場の雰囲気を壊すのが怖い

 

◦怒っている人や悲しんでいる人を見るとつらくなる

 

◦自分に自信がない

 

◦人といると楽しめず、疲れてしまう

 

 

 いつもこの状態で人と関わっていくのはとてもつらいですよね。。。

 

 

 

つらいのに、人と関わるとこうなってしまう自分が弱いんだろうか。。。

 

 

 

リトリーブサイコセラピーと出会う前のわたしもそうでした。

 

 

 

人と違うことを言ったり、行動したりすると周りの人は自分の目の前からいなくなってしまったり、違うところを責め立てられてしまったり、弱い部分に付け込んでこられるのではないか。。。

 

 

 

そう思っていたんです。

 

 

 

それは、まさにわたし自身の幼少期の家庭環境そのものでした。

 

 

 

◦親の期待を裏切ってはいけない

 

◦自分よりも親が優先でその願いを汲み取らないといけない

 

◦家庭での暗黙のルールを理解し、それを守らないといけない

 

 

という、いつもどこでも親からの「分かって察しろ!」という圧力がかかったような状態です。

 

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これを当たり前に繰り返し、大人になってもずっと人と関わるたびにこれを続けないといけないとしたら。。。

 

 

 

自分の感覚や感情をずっと大切にできていないことになります。

 

 

 

 

それは、自分で自分を殺していることと同じなんです。

 

 

 

当然、生きているのがつらくなります。

 

 

 

 

なので、自分に聞いてみる必要があります。

 

 

 

 

空気を読み、その場の調和を悪くしないために、いつも自分がどのような行動をとって、どのようにして自分を殺しているのか。

 

 

 

そこには

 

◦本当はこっちがいいと思っている

 

◦本当は納得がいかない

 

◦本当は違うけど、平和を守るため

 

 

 

という本当の気持ちを抑え込んでいます。

 

 

 

それほど、場の空気や平和や安全が壊れるのが怖いんです。

 

 

 

 

 

 

 

その怖さは、自分と相手との間に境界がないことで起こります。

 

 

 

 境界とはいわば自分の領土とも言えます。

 

 

 

自分がどんなことを求めて、どんなことを求めないのか。

 

 

 

そして、周りの人が自分にどのように接することを許し、どのようにすることを許さないのか。

 

 

 

 

その線引きのチカラです。

 

 

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空気を読むということは、幼い頃から親に境界を尊重されず、代わりに圧力を感じてきたんですね。

 

 

 

 

それは、ひとりの人間として自分に価値がないと信じてしまったということです。

 

 

 

 

自分にとって大切なものを守ることを許されなかった

 

 

 

 

なので、大人になった今、境界を作り直し、育てていけばいいんです。

 

 

 

わたしはリトリーブサイコセラピーで、失った自分の価値の気がつきました。

 

 

 

 

そこから、自分の境界や自分の感情を一つ一つ確認していきました。

 

 

 

自分の感情を信じられるようになり、自分で判断して安全に意見を言えるようになりました。

 

 

 

 

大人になって、境界を自分で築きなおすことはできるんです!!!

 

 

 

 

どの道を選ぶのか、その自分の道筋を知っているのは自分だけなんです。

 

 

 

 

空気を読まなくても、自分にとって大切なものを守ることはできます

 

 

 

 

自分を押し殺さなくても、安心を感じていいんです。

 

 

 

 

 

境界は、自分を大切にすることや、自分を愛することを教えてくれます。

 

 

 

自分の中に何を取り入れて、何を拒否するのか、それは時と場合によって自分で選択していいんですよ。

 

 

 

 

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お知らせ

 

 

 

只今、限定でモニターさんを募集しています!!!

 

 

わたしはこのリトリーブサイコセラピーで命を救われました。

 

 

 

それは、自分の喪失からの再生でした。

 

 

 

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