わたしだけが取り残されている。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

 

園での出来事。

友達が外で遊ぶ準備をしているのを見ながら、

「わたし、外に行かないもーん!」と言っていた子。

けれど、周りの子がどっと外に遊びに行ったあとに急に寂しくなったのか、

「待って、待って、待ってよぅー!」

と急に慌てて外へと遊びにいっていました。

 

最初は部屋で遊ぶと決めていたはずが、周りの子が段々と外に行くのを見ていると、自分も外に行きたい、そんな気がしてきたけど、もう友達は行ってしまっていて焦ってしまったんですね。

 

大人のわたし達にもそんなことってありませんか???

 

 

特に大きな何かがあったわけではないけれど、ふと自分はこのままでいいのかな。。。と感じてしまうことってありますよね。

 

毎日をただ消化試合のように過ごしていて、人生がつまらない。。。

 

 

過去を引きずっていたり、

初めてのことに馴染めなかったり、

誰かと比べたり。。。

 

周りをふと見渡してみると、自分だけ取り残されたような気がしてしまう。

 

 

自分だけが、置いてけぼりにされているように感じてしまう。

 

仕事で居場所がない。

プライベートでも没頭できるものはない。

本音を話せる友達なんていない。

お金もない。

そんな時に周りを見渡すと、

充実した仕事をして栄転したり、

結婚して子どもがいたり、

楽しそうに毎日を過ごしていたり、

そんな人ばかりが目に入ってくる。。。

 

 

自分だけが同じところに留まり続けていて、周りの人は順調に進んだり、成長したりしているように見える。

 

 

世界の中で、自分だけが置き去りにされているような感覚って怖いですよね。

 

 

今日はそんな

「わたしだけが取り残されている。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

この自分だけが社会から取り残されているという感覚になると、余計に焦って動き回ってしまったり、何も考えなくて良いように周りとの交流を避けたり、孤独を感じないで良いように無理やりポジティブに物事を考えようとしたりします。

 

 

それでより一層の孤独感に苛まれたりして、悪循環になっていってしまいます。

 

 

<本当の問題は何か?>

 

ここに潜んでいるのは愛着の問題です。

 

いつも、自分という存在がここにいて良いんだろうか?という不安を感じているんです。

 

 

いつも自分だけが社会に対応できていないようで、どうして良いか分からなくて怖いんです。

 

 

自分の存在がいつも不安で希薄なので、周りに迷惑をかけないように、足手まといの自分にならないように、遠目から自分ではない誰かを見ています。

 

 

自分で自分の面倒を見ることができないと思っていて、誰かの助けなしでは生きていけないと感じているので、その助けをずっと待っているんです。

 

 

でも、周りの人も自分のことに一所懸命。

そうすると、社会から自分だけが取り残されたように感じてしまうんですね。

 

取り残された自分を感じながら、

誰も自分のことは見てくれない。

自分はジャマな存在。

わたしは必要のない存在。

という思いを握りしめているんです。

 

 

自分がジャマな存在だと感じたくないから、

ダメな自分を封印してポジティブに考えたり

平気なフリをしてみたり

存在や気配を消したりして

なるべく怖さに触れなくて良いようにするんです。

 

 

<このままだとどうなるか?>

 

自分がけが取り残されている。。。

自分は誰からも必要とされない存在。。。

 

この思いがセットになっているので、ダメな自分が出てこないように自分だけで全てを抱えて隠そうとするんです。

 

 

ダメな自分を隠していれば、社会に順応できる。

そうしたら社会から認めてもらえて居場所ができる。

 

 

そう。。。

自分だけが取り残される、という不安にもメリットはあるんです。

 

 

不安を持っていれば、頑張れます。

心配を持っていれば、行動することができます。

自分で自分を煽っていれば、ダメな自分を隠すことができます。

そうすることで社会に対応できる自分になろうとしているんです。

 

 

不安や怖さを使いながら社会に適応しようとすると、それはもう限界が来ます。

 

 

頑張れなくなると社会との繋がりを切りることで不安を消そうとし、

社会と繋がれなくなった自分が怖くなるとガムシャラに動こうとする。

 

そのループを倒れるまで続けることになってしまいます。

 

 

<解決に向けて>

 

あなたは、社会から取り残されないように必死に頑張ってきたんです。

 

その不安、小さな頃からずっと感じていませんでしたか???

 

不安や心配、怖さを表現してそれを存分に受け止めてもらったでしょうか???

 

受け止めてもらっていない不安や心配そして怖さは、あなたの人生を逃げることや逃れることへと向かわせていきます。

 

 

不安や恐怖に触れないようにしながらも、不安や恐怖を根っこと土台にして生きていくんです。

 

自分は必要のない人間だと思い込んで、それがイヤだと感じながらも、その自分でなくなることを恐れているのは自分なんです。

 

 

あなたが

ありのままの自分を、

ダメなところもある自分を、

できないこともある自分を、

本当に受け入れたいかどうか、なんです。

 

 

あなたが自分だけ取り残されたと感じた時、ここをまず自分に問うことを、オススメします。

 

 

 

 

 

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変わりたいのに変われない〜消せないあの日を抱えて〜

福岡心理セラピストリトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

朝夕が冷え込んできましたね。

 

それでも、昼間はやっぱり暑いので、まだまだ半袖生活な秋。

 

歩いているとほのかに香る金木犀がとても好きで、おもむろに立ち止まって嗅ぎまくっている秋。

 

栗の登場に心が踊り、メロメロな秋。

 

いろいろな秋を楽しんでおります!!!

 

さて、

前回のブログでは、変わりたい!

自分の一部を変えたいのか?

自分の全部を変えたいのか?

というテーマで書きました。

変わりたい! 〜こんな自分がイヤ!〜

 

変わりたい。

新しい自分になりたい。

過去を清算したい。

 

 

その思いを抱えて何とか自分を奮い立たせて頑張るけれど、いつも元の自分に戻ってしまう。

 

今度こそ!

今回こそは!

そう決意するものの、変われない。

 

 

そしてガッカリしながら思うんです。

わたしは、変わりたいけど変われない。

どうせ、何も変わらないんだ、と。

 

 

変わりたい。

その思いの中に、

「あの日のことを消したい。」

という思いがあることがあります。

 

 

でも、その思いを抱えたままだと、変わりたくても変われないんです。

 

 

今日は、変わりたいシリーズ第2弾、

「変わりたいのに変われない〜消せないあの日を抱えて〜」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

変わりたいという動機が

あの日を消してしまいたい。

あの記憶を消してしまいたい。

あの経験をした自分を消してしまいたい。

という思いから来ていたら、どうして変わることができないのでしょうか???

 

 

<本当の問題は何か?>

 

ここに潜んでいるのは、自己重要感の問題です。

 

消してしまいたいあの日がある。

それはとてもつらいことです。

時にはその記憶や体験に縛られてしまい、自分の思うように動けない時もあるかもしれません。

 

その記憶や体験がトマウマとなり、あなたを苦しめているのかもしれまん。

 

「わたしが幸せになんてなれるはずがない。。。」

そんな気持ちを抱えるからこそ、自分を何とか幸せにしたくて

自分を変えようと努力する。

 

 

けれどそこには、やはり消してしまいたい自分がいるんです。

今までの自分を消して、新しい自分に生まれ変わりたい。

自分を消すために、自分を変えたい。

 

自分を変えるためには、過去の自分を消さないといけない。

それだと変わりたくても変われないはずです。

変わってしまうと、自分が消えてしまいます。。。

 

 

そして、消してしまいたいほどの過去や記憶や経験は、本来癒していくものなんです。

 

 

気がついていない場合は違いますが、自分が消せないあの日を抱えていると思うのであれば、その癒していく記憶や経験は認識できています。

 

 

では、癒さずにずっと抱えているのはなぜでしょうか???

 

 

つらく苦しくても、抱えておくことにメリットがあるからなんです。

 

 

<このままだとどうなるか?>

 

消せないあの日を抱えるのは、とてもつらくて、苦しくて、みじめで、悔しくて、怒りに満ちています。

 

その記憶や経験があるのは、あなたのせいではありません。

 

経験をしたあなたは、何も悪くはありません。

 

ただひとつ。

そこから回復に向かうかどうかはあなたの責任なんです。

 

回復しないままはとてもつらいけれど、周りの人たちもあなたのそのつらく苦しい記憶や経験に配慮してくれますよね。

 

まさに、消せないあの日を抱えるメリットとはこれなんです。

 

自分からも、

周りからも、

時には社会からも、

色々なことが許されるんです。

 

 

できなくても仕方ないよ。

無理してやらなくていいよ。

代わりにやってあげるよ。

 

そういう

慰め

優しい関わり

誰かがしてくれるラクさ

という自分への関心をたくさんもらっているんです。

 

 

変わりたいのに変われないの。

その理由に、消せない記憶や経験が必要なんです。

これを理由にしておけば、自分はいつまでも自分自身に責任を持たなくて良いんです。

 

自分という存在を誰かに預けることができるんです。

 

なのでこの消せない記憶と経験は、どれだけつらく苦しくても必要です。

 

変わりたいのに変われないとこれから先ずっと言いながら、あなたは自分の人生を誰かに預けたまま生きていきたいでしょうか???

 

 

<解決に向けて>

変わりたい!

変わりたいけど変われない。

と言いながら本当は、

変わらない方が都合が良いと自分が思っているんです。

 

 

まずはその自分に気がつくことです。

 

そして。

過去は消してしまおうとしなくても、何度でも何回でもやり直せるし、取り戻すことができます。

 

わたし達は、またやり直すことができます。

わたし達は、また取り戻すことができます。

 

それはあなたが生きている限り、ずっとです。

 

それができるのは、あなたがこれまでを生きてきたからなんです。

 

 

何度もやり直して、何回も取り戻しましょう。

あなた自身を。

 

 

生きていてくれてありがとう。

あなたが自分にそう言えるその日まで。

 

 

<お知らせ>

 

10月いっぱいで、モニター募集を終了します。

 

11月からは新料金となります。

 

検討中の方は、10月にお早めにお申し込み下さいね!

 

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失うなんて耐えられない!!!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

先日、女優の竹内結子さんが自宅で亡くなられましたね。

 

素敵だなあと思う女優さんのおひとりだったので、訃報を知った時は悲しかったです。

 

人は見えている部分だけでは、本当に分からないんだなと思いました。

 

そして、大切な存在はもちろんのこと、

普段の生活で当たり前だと思いっていたこと、

これからも続くものだと思っていたこと、

が失われた時も、人は大きな喪失感を感じます。

 

人間、生きていれば何かを失うことがあります。

 

それが自分にとってどれほどかけがえのないものであったとしても、当たり前であったとしても、失うということを避けることは難しいですよね。

 

でも、その喪失感を何とかして避けたい。

 

確かに喪失感は楽しいものでも嬉しいものでもありません。

けれど、

何が何でも避けようとしたり

失ったことを認めなかったり

何でもないと言い聞かせたり

をずっとあなたがしているなら。。。

 

今日はそんな心理、

「失うなんて耐えられない!!!」

というテーマで書いていきます。

 

 

   <本当の問題は何か?>

 

自分に起こった喪失を受け入れられない時、そこにあるのは自己重要感の問題です。

 

誰しも、失うことはつらく悲しいことです。

 

でも、つらく悲しい時に誰からも助けや援助がもらえないと、喪失感はもっと大きく自分の中に膨らんでいきます。

 

それは大人になってからだけでなく、あなたは幼い頃からこの感覚を感じていたのではないでしょうか???

 

助けや援助がもらえない時、子どもは自分は愛されていないと思い込み、それを心に刻むんです。

 

膨らんだ喪失感は、やがて見捨てられ不安となってくんです。

 

自分がダメな存在だから失ってしまったのだと思い込んでしまうんです。

 

失うことは、誰からも助けてもらえず自分の無価値の証明になってしまうんです。

 

だから失わないように必死で今を守り抜き、失ってしまったら自分は終わりなんだと自分を追い詰めて行ってしまいます。

 

けれど、人が生きていく限り喪失経験がなくなることはありません。

 

起こってしまった喪失を無かったことにするために、自分自身が壊れてしまわないように喪失の時に感じた感情である

悲しみ

怒り

悔しさ

痛み

恐怖

を上手に隠して生きていくようになります。

 

自分にとって大切な人やものを失っただけでも辛いのに、その辛さを表現どころか感じてもいけないんです。

 

自分の中で、そんな鉄壁のルールを作り上げて自分のことを守っていくことを決めたんですね。

 

そして、感じた喪失を何とか消そうと自分を否定していれば生き延びることができたんです。

 

生きるために、喪失感を感じないで自分を否定して、何とか自分を保ってきたんです。

 

 

<このままだとどうなるか?>

先ほども言いましたが、人が生きていく限り喪失体験はつきものです。

 

そんな当たり前の経験が自分に起こる度に、

  • こんなの大したことじゃないと否定したり
  • 自分がダメだから失ったと自分の価値を消したり
  • 何か意味があったのだと事実をねじ曲げたり

を繰り返しながら

 

自分自身をどんどん失わせていくんです。

 

そして、心の中に虚しさや虚無感、自分には何か足りないという欠乏感、自分はダメなんだという正体のわからない不安をずっと抱えていくことになります。

 

喪失を経験し、見捨てられ不安にずっとさらされることは自分は必要ない人間なんだというトラウマも刻んでいきます。

 

不安定な世界

信じられない人々

価値のない自分

を心に刻んでいくんです。

 

 

<解決に向けて>

 

この大きな正体のわからない恐ろしい喪失感は、どれだけ見ないようにしても、それだけ否定しても、何か別のもので埋めようとしても消えることはありません。

 

だからこそ、自分が何を失ったのかを知り、感じ、受け止めることが必要なんです。

 

失ったのは、あなたがダメだからではありません。

失ったのは、あなたが悪いからではありません。

失ったのは、あなたのせいではありません。

 

喪失を経験した時には、自分からも周りからも、助けが必要なんです。

 

本当は、

感じたつらさ、悲しみ、痛みを一緒に感じてもらいたかったんです。

悲しかったね、そう言って守ってもらいたかったんです。

守られている自分を感じ、安心感と強さを育みたかったんです。

 

だからこそ、今。

そんな震えている自分にあなたが気がついたのなら。

その自分に、

どのような思いを聞いてあげたいですか???

どのように声をかけてあげたいですか???

どのようにしてあげたいですか???

 

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諦めるという選択 〜どうせムダ〜

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

人間の最大の弱みは諦めてしまうこと。

最大の強みはもう一度挑戦できること。

なんて言葉も聞きますよね。

 

 

諦める。

それが必要な時もあれば、自分の足を引っ張る時もあります。

潔く次に行くためには必要ですし、やり遂げるためには足かせになります。

 

 

その差ってなんでしょうか???

 

 

大きく言うと、諦める対象が

自分以外のことか、自分のことか。

という差ではないでしょうか。

 

 

最近も、園でこんなことがありました。

あの子と一緒に縄跳びして遊びたい、と熱望する子がおりました。

でもそのお目当ての子は別の子と砂場で遊んでいる。

その子を砂場から連れ出して、自分と一緒に縄跳びをしてほしい!!!

必死に「こっちきて!」と誘いまくるワケです。

でも、その子は砂場で遊びたい。

そういう時、縄跳びをひとりでするか、別の子を誘うか。

もしくは、自分が砂場での遊びに仲間に入れてもらうか。

という選択をしますよね。

 

 

砂場の遊びを止めて、自分と縄跳びをして欲しいー!!!

は、自分の願いではあるけれど、一方的なものです。

どうするか、は相手が選択することです。

自分の欲求のようにも見えますが、相手の選択を自分がコントロールしたいという思いなので、結局は相手の選択なんです。

 

自分以外の選択はコントロールできないので、そこには諦めが必要です。

 

 

しかし、こういう場合はどうでしょうか。

あと少しで鉄棒の前まわりができそう。

だけど、何回やっても最後に身体を起こすことができない。

もういいや。

どうせできない。

何回やってもムダ。

 

最初は大人に手伝ってもらいながらやっていても、自分でいざやるとなると、あと少しというところまで来てやる気をなくしてしまう。

 

これだと自分の成長を止めてしまいます。

諦めてはいけない時なのに諦めてしまう。

諦めれば、失敗をすることはありません。

でも、

失敗を避けるということは、成功も避けているんです。

 

 

今日は、そんな自分のことを諦めてしまう心理、

「諦めるという選択 〜どうせムダ〜」というテーマで書いていきます。

 

人のことであれば、自分がどう思っていたとしても相手の選択を無理やり変えることはできませんから、諦めることは当然かもしれません。

 

しかし、自分のことなのにも関わらず諦めることを繰り返す。

ガマンする。

やる気をなくす。

ムダだからやめる。

そうやって、欲しいという感覚を消していく。

 

しかも懸命に消す訳ですから、元々の欲求はあるんです。

 

なのに自分から欲しいと取りに行くことをしないで、自分から望んでいることを表現しようとしないんです。

 

欲しいものを欲しいなんて言っても、叶わないんだから。

どれだけほしがったって、どうせムダ。

最初から欲しがらなければいいんだから。

と、望みや欲求を自分から否定していくんです。

 

これってどうしてだと思いますか?

 

<本当の問題は何か?>

ここにあるのは、自己重要感の問題です。

 

諦める、それはまさに無力感です。

 

目の前の痛みやストレスに対して、自分には何もできることがないという感覚です。

 

諦めて

自分を無力にして

じっと耐えて

ただただ通り過ぎるのを待つ感覚です。

 

与えられたものだけで満足しようと、今あるものだけで何とか自分を満たそうとします。

 

 

無力な自分を感じることは、

何もできない自分

自分を感じられない自分

何をしても叶わない自分

を感じてしまうので、大きな痛みや絶望を感じてしまいます。

 

 

では、どうして痛みや絶望を感じてまで諦めるということをしてしまうのでしょうか。

 

 

そこには、無力な自分、自分の力を無いことにするメリットがあるからです。

 

自分を無力にすることで、

これ以上傷つかない

関わってもらえた

助けてもらえた

繋がりを感じることができた

 

つまり、

自分のチカラを無いことにしていれば安全だったんです。

 

 

これは幼少期から、

出来ない時だけ構ってもらえた

ダメだと目を向けてもらえ、できると無関心

できた時に調子に乗るなというような圧をかけられる

欲しかったものが手に入らず悲しんでいると、欲しがるのが悪いと放っておかれる

できなかった時に、ほらできないと追い討ちをかけられる

 

 

というような体験から、

欲しがらない、出来ないという状態の方がラクだと信じてしまったんです。

 

 

親が自分の目からはとても不幸に見えていたり

親がガマンばかりしているように見えたり

自分の欲しいものや欲求を否定されたり

自分で選ぼうとしたら止められたり

ということが繰り返されていると、

人生とは苦しいもの、辛いもの、不自由なものというように、人生が苦痛だらけのものになっていきます。

 

自分は親を置いて幸せになったらいけないんだと信じてしまうんです。

 

 

だから、自分のチカラで自分を幸せにしていくことが恐ろしくてできません。

 

 

自分で自分を止めることが安全なんです。

 

 

<このままだとどうなるか?>

 

もちろんこのままだと自分が幸せになることに許可が出せません。

 

自分の欲求が叶えられた経験を自分の中に積み重ねられないので、欲しいという感覚そのものが消えていきます。

 

自分の本当に望んでいる、欲しいものが目の前に来ると、自分で自分のことを止めて手に入れません。

 

どうせムダだと言いながら自分の幸せを諦めていく人生になっていきます。

 

 

どうせムダなんだから、と

何でもいいとどうでもいいものを選んでしまったり

最初から2番目や3番目といった保険を選んでしまったり

自分が変わることを怖がって何にも挑戦できなかったり

自分が本当に望んでいる自分になれません。

 

 

<解決に向けて>

 

どうせムダ。。。

自分にそう言い聞かせながら、

自分が今まで何を守ってきたのか。

何から逃れてきたのか。

どんな怖さや悲しみや痛みを隠してきたのか。

 

そして、今のその安全やラクから本当に出たいのかどうか。

 

ここを自分に聞いていくことで、この問題は解決へと向かっていきますよ。

 

どうせムダ。。。という諦めの底には大きな悲しみがあります。

 

そして、大きな大きなメリットがあります。

 

今の自分は、

本当に欲しいものを諦めたいのか、

諦めることが何より自分を傷つけていないか、

欲しいものを欲しいと言って、叶わなかった時にどれだけ自分が痛みを抱えていたのか、

欲しがることがどれだけ怖いのか、

 

そこの自分の感情を見ていきましょうね。

 

 

 

 

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All or Nothing〜守り続けないといけない人生〜

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

あなたは、今、人生が順調に進んでいますか???

 

 

自分の人生が順調に進んでいる時というのは、誰しも順風満帆にひたすら前へ前へと歩みを進めていきますよね。

 

ところが、何かに躓いた時というのは歩みは当然止まります。

 

いつも自分の思うように人生が進んでいくものではありませんよね。

 

その躓きを、改善することや成長する力に変えていける人と、そのまま泥沼や破壊へと向かっていく人とでは、どこが違うのでしょうか???

 

躓きを改善や成長に変えていける人は、その原因を自分の行為や発言、考えなどの自分の一部として考えることができます。

 

反対に泥沼や破壊へと向かう人というのは、原因を自分自身へと向けてしまい、自分の全てが悪かったのだと思い込んでしまうんです。

 

そんな時あなたの心の中には、

何かひとつが崩れると、全てが崩れてしまう。。。

という怖さが隠れていないでしょうか。

 

今日はそんな心理、

「All or Nothing〜守り続けないといけない人生〜」というテーマで書いていきます。

 

 

たったひとつの躓きや失敗で、全てが無くなってしまうような感覚になってしまって、間違うことが許されないように思ってしまう。

 

自分という存在は、何か間違っているように感じてしまう。

 

そこにはどんな心理が潜んでいるのでしょうか。

 

<本当の問題は何か?>

ここにあるのは、自己重要感の問題です。

 

大きな自己否定があります。

 

物事を進めて行く時というのは、段階がありますよね。

 

でも幼少期から、

自分は何をやってもまだまだ足りない

人からの期待に応えないといけない

相手を満足させたれたらここに居ていい

という感覚で生きてきた人にとっては、「できるかできないか」という相手を喜ばせることができるかどうかで自分の存在の価値を測るので、ひとつひとつ段階を追って物事を進めていくことができなくなってしまいます。

 

過程よりも、何より結果を出すことが大事だからです。

 

なので、自分の中には

自分の感覚

自分の欲求

自分の自信

が積み上がっていきません。

 

いつも、その時その場で自分への評価や価値が変わっていってしまいます。

 

ひとつの躓きや失敗は命取りになってしまうんです。

 

ひとつダメになってしまうと、それと共に全てを失ってしまうんです。

 

だから、いつも崩れないように必死に守り続けないといけない。

 

自分はダメだ、間違っている、まだ足りない、そう自分に言い聞かせていくんです。

 

でも、これがつらければもうとっくにやめています。

なぜやめないのか、つらいのに自己否定を続けてしまうのか、本当の問題はそこにあるからです。

 

 

イヤなのに自己否定をすることで、

周りから

頑張っている姿を認めてもらったり

自分の価値をもらえたり

受け入れてもらったり

という、

価値や評価

ここに居ていいという安心感

をもらえるんです。

 

 

自分にとってどうしても守りたいもの、これがないと生きられないほどの怖さがここにはあるんです。

 

イヤだと感じながらも、自分を生きないことで自分の価値が崩れてしまわないように、自分を否定しながら相手に自分を預けて守っているんです。

 

 

そして全てを捨てることで、

自分を必要として欲しい。。。

という願いのような賭けの気持ちも込められています。

 

 

All or Nothingは

全てか無か

ゼロか100か

必要とされるかいらないか

というように、

全てを自分のものにするか、全てを相手に奪われるか。になってしまい、自分を守ることに必死になります。

 

 

これでは、折り合いをつけながらひとつずつ自分に積み重ねていくことはできませんよね。。。

 

 

 

<このままだとどうなるか?>

 

自分の中にある自己否定を何とかして埋めるために、自分という人間に価値があるのだということを必死に証明しようとします。

 

間違わないように、物事を完璧にしようと頑張り続けます。

 

 

なので問題が起こった時などに、それを一気に全て解決しないといけないと思ってしまい、過程をすっ飛ばして結果だけを追っていきます。

 

単発的になら、このAllの頑張りで乗り切ることができます。

 

でも人生の生き方そのものにしてしまうと、ある日突然やる気をなくしたり折れたりしてNothingになってしまうんです。

 

自己否定を土台にして身につけた努力や頑張りは、いわばメッキです。

 

ひとつ剥がれてしまうと、価値の無い自分がバレてしまう。

 

そんな自分の無価値を感じないために、また守り続ける。

 

だから、自分の思うように物事が進まなかった時には、自分の価値を信じることができません。

 

価値の無い、ここに居られない自分を感じるのが怖くて、今まで築き上げてきた全てを捨ててしまう。

 

ゼロにすることで、

元の自分はこうなんだ。。。

もう守り続けなくていいんだ。。。

これ以上の無価値感を感じなくていいんだ。。。

と、どこかで安心できるから。

 

 

 

 

<解決に向けて>

自分の思うよう物事が進んでいるうちは頑張れるのに、ひとつでもダメになると全てを無しにしてしまう。

 

こうやって全てを壊すことで、

傷つくこと

無価値感を感じること

悲しみや怒り

恐怖

を感じてしまうことから自分を守ることができるんです。

 

 

感じてしまうと、誰にも受け止めてもらえない自分も同時に感じてきたから。

 

 

だから破壊した方がまだ耐えられる。

 

自分の生き方が壊れないよにうに守り続けているなら、あなたは周りの人の基準に合わせて、他人を優先し、自分と繋がれていないのかもしれません。

 

 

All or Nothing

相手を全く受け入れないか、全てを相手に預けるか。

そのどちらかでなくても、段階を踏みながら築いていくことはできます。

順調に進んでいる時に、守り続けなくていいんです。

失敗しても、ゼロに戻らず今まで積み上げたところからやり直すことができます。

 

失敗した時や、上手くいかなかった時にこそ自分をどれだけ信じられているのかが分かります。

 

自分を自分がどう見ているのか。

自分を見ることに抵抗があるのなら、まずはそこの怖さを見ることです。

 

 

自分をゼロにするのでなく、

今までの自分の積み上げてきたもの

失敗しても自分の価値に変わりはないこと

自分への信頼や自信

を信じていけるように。

 

 

自分の抱えている怖さを守り、避けるのではなく、じっくり見て感じて解放していくことで問題は解決へと向かっていきますよ。

 

 

 

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否定が繋がり。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

梅雨も本番、いやそれ以上の大雨でしたね。

 

九州地方は、先週からの大雨で被害が出ている地域も出ました。

 

雨は確かに必要なんですが、地が固まる以上の雨はやはり困る。。。

 

これ以上の被害が出ないことを、ただただ願うばかりです。

 

今日はそんな願いも込めながら、水の話でわたしがとても印象に残っている、三本の矢ならぬ三本のペットボトル。

 

水の入ったペットボトルに、

一本は肯定的な言葉をかける

一本は何もせずそのまま

一本は否定的な言葉をかける

をずっとやり続けると、どの水が最初に腐ってしまうか?というお話です。

 

わたしは否定的な言葉をかけられた水が最初に腐るだろうと当時は思ったんです。

 

でもその時に聞いた答えは、なんと何もせずそのままにしておいた水が最初に腐る、だったんです。

 

否定的な言葉をかけられるよりも、最初に腐るのは放置された水。

 

これって、人間も同じで

誰にも関わってもらえないなら、否定のコミュニケーションを受け入れるということです。

 

関わりがなくなるくらいなら、嫌がられた方がマシ。

無視されるくらいなら、邪険に扱われた方がマシ。

繋がれないくらいなら、否定された方がマシ。

 

相手と繋がれず自分を確認してもらえないなら、否定的な関わりでも反応でもいいから自分という存在を認めてもらおうとするんです。

 

誰しも自分を

認められたい

受け入れられたい

愛されたい

と願うものです。

 

でもそれが叶わないとなると、たとえそれが

自分に心地よくなくとも、

否定や拒絶であろうとも、

何とか繋がろうとするんです。

 

今日は、そんな心理

「否定が繋がり。。。」というテーマで書いていきます。

 

心地よい繋がりでなく、不快な否定的なコミュニケーションのをついつい無意識に持ってしまう。

 

そこにはどのような心理が隠れているのでしょうか???

 

 

<本当の問題は何か?>

 

ここにあるのは、自己重要感の問題です。

大きな自己否定があります。

 

幼少期からの親との繋がり方で、自分への

否定

拒絶

卑下

暴言、暴力

利用

を受け入れていたら、家族の一員としていられたんです。

 

それがどれだけ心地よくないものだとしても、何の反応も返ってこなかったり、見捨てられたり、というように繋がりを絶たれるよりはまだ自分を認識してもらえるんです。

 

人間も、多くの水分で成り立っています。

 

水が腐るくらいなら、どんな否定であっても自分に意識を向けてもらっている方がまだ生きられるんです。

 

これが否定での繋がりです。

 

否定されること

否定を受け入れること

否定すること

これが人との繋がりになっていきます。

 

人との繋がりが否定であるということは、当然自分との繋がりも否定的になっていきます。

 

自分を否定していればここにいていいんだ、という安心感を感じることができるからです。

 

この安心感は、イヤなんだけどガマンしていればただ生き延びることができた、という感覚です。

 

本当の安心感ではありません。

 

でもこれしか知らないと、この偽りの安心感にしがみついてしまいます。

 

 

否定され

否定を受け入れ

否定する

これが安心。

 

なので、たとえそのままの自分を受け入れてもらえたとしても、気持ちが悪いんです。

 

本当にはそんなことは思っていないはず、

どうせいつか裏切るはず、

と信用せず、相手を試し続けたり、自分から離れたりします。

 

そうして

「やっぱり自分はダメなんだ」

ということを何度も何度も確認していくんです。

 

<このままだとどうなるか?>

 

関わりがなくなり繋がれなくなるくらいなら、否定されてしまった方がいい。

否定でもいいから繋がっていたい。

否定していれば繋がれる。

 

否定をやめると、誰とも繋がれなくなってしまう。

 

これだと、

否定を受け入れても孤独。。。

否定を受け入れなくても孤独。。。

周りとも、自分とも、誰とも繋がれず孤独を募らせていくことになっていきます。

 

いつも自分はダメでいないとひとりぼっちになってしまう。

 

だから、自分という存在や意志や価値を失くして自分の全てを相手に預けてしまうんです。

 

そうして自分という存在は、相手次第になっていってしまうんです。

 

<解決向けて>

イヤだイヤだと思っている自己否定を自分の中に持ち続ける事にこそ、実は自分の生死に関わるほどの恐怖を抱えています。

 

人や自分と否定で繋がっている。

やりたくないのにやっている。

自分を相手に預けている。

 

それを孤独という自分が壊れてしまいそうなくらいに恐ろしい恐怖を避けるために、自分で自ら選んでいるんです。

 

大人のあなたは否定が繋がりでなくても、もう生きていけます。

 

自分が向き合うチカラをもう持っています。

 

自分という存在の軸を自分に戻して、作り、強くしていくことができます。

 

そのためには、自分の中の恐怖、悲しみ、怒りと向き合い受け入れていくことがとても大事なんです。

 

自分をダメにしているその根本の恐怖を見ていくことで、この問題は解決へと向かっていきますよ。

 

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否定がデフォルト!?

リトリーブサイコセラピーの代名詞、カズさんがとても詳しくわっかりやすくYouTubeで解説&力説してくれています!!!

 

まだご覧になっていない方はぜひ!!!

自分の本音が分からない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

しつこいですが、暑くなりました。。。

 

マスクをしていると、温度はそのままムレムレムシムシ湿度は2倍に感じます。

 

お値段そのまま増量2倍は大歓迎なんですけども。。。

(特に食べ物♡)

 

ソーシャルディスタンス、でもマスク外したい。

飛沫に気を付けよう、でもマスク外したい。

感染源にならないように、でもマスク外したい。

 

このように行動するかは別として、自分の中に相反する気持ちが存在することってありますよね。

 

〜したい、でも〜だからできない。

〜したくない、でも〜だからしないといけない。

 

このように自分にストレスがかかった時、人はどうしていいか分からなくなります。

 

どちらを選択していいか分からなくなります。

 

さあ、本当はどちらなんでしょうか???

 

自分でもどうしていいのか分からない時というのは、それは自分の本音が分からない時でもあるんです。

 

今日はそんな心理

「自分の本音が分からない。。。」というテーマで書いでいきます。

 

 

あなたは普段から自分の本音を感じていますか???

 

  • 自分の好きがよく分からない
  • やりたいことが分からない
  • 人にすぐ合わせてしまう
  • どっちでもいい、が口グセ
  • 感情よりも効率を優先する
  • 過程よりもすぐに正解を探してしまう

 

このように、自分の本音をあまり意識せずに過ごしていることの方が多いのではないでしょうか。

 

これで上手くいっている時はいいんですが、人生には何度となく決断する時が訪れます。

 

自分の本音が分からないと、その決断を目の前にしてずっとそこから動けなくなってしまうんです。

 

「わたし、どうしたらいいの?」とずっと誰かからの答えや、助けを待ち続けないといけなくなってしまうんです。

 

<本当の問題は何か?>

本音が分からない。。。

本音を感じられないのは自分の感情を感じていないからです。

ここに潜んでいるのは、自己重要感の問題です。

 

自己重要感が傷ついていると、自分の感情を感じにくくなります。

 

自分に問題や困難なことが起こった時、その時に感じる感情を感じないようにするんです。

 

イヤだなあ

腹が立つなあ

悲しいなあ

苦しいなあ

辛いなあ

寂しいなあ

という感情がスイッチとなって、

 

 

本当は

虚しい

孤独

壊れてしまう

見捨てられる

不安

という本音を感じてしまうから自分を閉じて守ろうとするんです。

 

 

本当は。。。という本音を実は身体では感じていて、それが怖くて感情を感じないように固めているんです。

 

自分が問題や困難に向き合いたくない時ほど、本音を避けようとするんです。

 

本音を感じるのが怖いから、感情のスイッチを切って目の前の問題や困難を先送りにしているんですね。

 

本音を隠してしまわないと、自分が保てなくなってしまう。

 

だから本音が分からないのではなく、本音を分かりたくないんです。

 

分かってしまうと、目の前の問題や困難に向き合わないといけなくなってしまうんです。

 

そしてそれが、誰かのためであることも多くあります。

 

本当はやりたい、本当はやりたくない、その自分の本音を出してしまうと

誰かを

ガッカリさせたり

悲しませたり

笑顔にできなかったり

苦しませたり

不幸にしたり

してしまうと思って、自分で自分の本音を抑え込んでいるんです。

 

そのほうが、自分自身も

安全で

平和で

安心でいられるから。。。

 

 

<このまま続くとどうなるか?>

誰かの平和を乱さないことが安心

自分がここに居られることが安心

誰かのために生きることが安心

 

そのためには、自分の本音を

感じたくない!

知りたくない!

分かりたくない!

と、本音を避けることが何よりの安心になっていってしまいます。

 

その思いが当たり前になると、自分の身体の声は息を潜めて固まり、思考で考えて言い聞かせていることが自分の本音だと思い込んだり、そもそも本音なんて存在しないと勘違いさせていったりします。

 

どれだけ感じないようにしても、身体の底には本音を抱えています。

 

本来あるものをないものにしようとしたり、ないものを無理やりあるようにしたら、もちろん身体は悲鳴をあげます。

 

そして、ガマンをしながら誰かのために生きようとすると、いつも誰かのせいにして人生を生きるようになります。

 

自分の問題や困難が整理されていないと、周りや目の前の人の投影し、どんどん相手のせいにして攻撃してしまいます。

 

すると人間関係も続かなくなってしまいます。

 

本音を隠すことは、人間関係に大きくズレが出てくるんです。

 

 

<解決に向けて>

本音を

感じること、感じきること。

受け取り、認めること。

 

そこからが自分の問題解決のスタートです。

 

自分の目の前の困難から逃げて問題を先送りにしていると、自分の本音を否定しないと生きられなくなってしまうんです。

 

自分とも

相手とも

周りとも

全てが否定のコミュニケーションになるんです。

 

相手からの否定が怖くて自分の本音が出せないとしたら、自分という存在が相手次第で決まると思っているからです。

 

その恐怖を見ていくことで、この問題は解決へと向かっていきますよ。

 

 

 

 

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集団が苦手。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

緊急事態の解除も、少しずつ見えてきましたね。

しかーし油断大敵で、まだ気をつけながらの生活ですね。

3密という言葉も、すっかり定着してきましたね。

3密とは、密閉、密集、密接です。

慣れないマスクは、未だ慣れないままではありますが、この3ヶ月程でその生活も日常となってきましたね。

苦痛を感じるのことがある一方で、元々が人の集まる所が苦手、という方にとってはその機会が減ったのはストレスも減ったかもしれません。

その中でも、お店やコンサート等の知らない人の集まりではそうでもないのに、知っている人、むしろ親しい人が集まるという集団が苦手、という方も多いですよね。

今日はそんな心理、

「集団が苦手。。。」というテーマで書いていきます。

世間は3密でもこのブログは、必見、必須、必需の3必であるように頑張るのであります!

しかし実際には、必食、必睡、必便の日々なのでありますが。。。

(こら。。。)

わたしの3必はさておき、

「集団が苦手」ということは、集団の中で自分の存在価値や居場所を感じることができないということです。

あなたはこんなことはないですか?

  • 人の目を常に気にしている
  • 人の意見に左右されやすい
  • 誰にでも愛嬌を振りまく
  • 人からの言葉や行動に傷つきやすい
  • 集団の中では言いたいことをガマンする
  • 自分のことなのに決められない
  • 自分は人と何か違うと思う

この感覚があると、もちろん集団の中に居て居心地のよさを感じることはできません。

集団という空間の中でいつも

自分ははみだしていないか

ジャマになっていないか

迷惑をかけていないか

自分はここに居てもいいのか

誰かに嫌われてはいかいか

ということが気になってしまうんです。

では、気にしなければいいかというともちろん気になるものを抑えつけてしまえば余計に怖くなってしまいます。

では、集団に近づかなければ解決でしょうか?

それもまた、違いますよね?

集団は苦手でも、自分だけそこに入れていないと感じるのも、怖さや寂しさを感じるものです。

では、どうすればいいんでしょうか?

<本当の問題は何か?>

ここに潜んでいるのは自己重要感の問題です。

そもそも、「自分がいつも人からどう見られるか」ということをいつも気にしているんです。

 

自分が集団に受け入れてもらえることが何より大切で、そこをハジかれてしまったら終わり。

なので、集団に恐怖感を持っているんです。

集団という社会で

拒否されず

否定されず

嫌われないこと

そこにだけ自分の意識が向いています。

これだと自分自身に意識が向いていないので、人に好かれるための人生になってしまうんです。

本音で集団の中にいないことが問題なんです。

いつも心の中が不安でいっぱいなのは、人から自分を満たしてもらおうという努力をしているからなんです。

元々、安心感なく集団に入っているから自分の存在がいつまでも分からないままになってしまっているんです。

その集団の意識の元になるのが家族との関係です

家族の中にいることがガマンすることで苦痛だったという場合、集団という場所が

誰かのことを自分のこととして引き受けないといけない

誰かのために動き、合わせないといけない

認めてもらい、受入れてもらわないといけない

という自分を出し表現することが危険なところになってしまいます。

<このままだとどうなるか?>

 

この状態が続くと、人や社会を信用できないので頑張り続けることをやめられなくなってしまいます。

人からの期待にも応え続けて、気軽に助けを求めたり甘えることができず、疲れ切って倒れてしまうことは目に見えています。

誰かに従い、添うことでしか自分を感じることがでないんです。

そこまで自分を我慢させているのに、集団に疎外感を感じるので同じ場所にずっといることができずに、転職やその場合を抜けるというように自分の所属している集団をコロコロと変わることをを繰り返してしまいます。

人に認めてもらい、ここに自分は居てもいいのだという保証を人からもらわない限り、集団の中に居れなくなってしまいます。

自分は生きていていいという感覚を、自分ではなく人から決めてもらい、人から安心をもらおうとしてしまうんです。

自分のことなのに、自分ではなく集団の中にいる誰かからその保証と安心をもらわないと生きていけなくなってしまうんです。

<解決に向けて>

 人の集まる場所がなんとなく苦手。。。

その思いは、なんとなく自分の育ってきた家族の中で感じてきた居心地の悪さを思い出しているんです。

過去に自分の傷となっている誰かからの扱いや言動や思いに、今も囚われてしまっているなら、過去のその痛みや感情を終わらせないといけません。

本来、集団というのは同じ環境や人の中でどのように愛情や関係を継続していくか、を経験する場です。

自分の軸を作り、自分を心地よくしてあげる。

愛情でつながる家族を感じてこなかった。

集団で愛情のやりとりを感じてこなかった。

自分のその思いに気がついたなら、

自分の努力を自分に向けること。

自分の応援を自分に向けること。

安心感を人からもらう努力でなく、自分に与える努力を自分に応援してあげるにはどうしたらいいのか、その根っこを見ていくことでこの問題は解決へと向かっていきますよ。

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家族のバランス

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

家での時間が増えて、体重も増える。。。

そんな現実にうなされつつ、

食事や運動のバランス

仕事とプライベートのバランス

色々なことのバランスを気をつけている方も多いでしょうね。

わたしは、最近あまり食事と運動のバランスが取れておらず、わがままボディーな毎日を過ごしているんですが、食べた分は動くというのは本当に大事なんだなぁと痛感しております。。。

バランスをとる

バランス感覚を養う

これって大切ですよね。

バランスをとる、とは

身体の傾きを正確に感知して修正する

という感覚なんだそうです。

そのバランス感覚って、家族でもありますよね。

夫と妻のバランス

親と子のバランス

義理の両親、両親とパートナー、子のバランス

兄姉と弟妹のバランス

そのバランスが何かの拍子に崩れた時、あなたは何を感じますか?

自分ではあまり意識していないつもりでも、あなたが家族の傾きを感じてどうにかしようとしたという経験は誰にでもあるのではないでしょうか?

今日はそんな

「家族のバランス」というテーマで書いていきます。

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あなたが家族のバランスを感じる時というのはどういう時でしょうか?

多くは、

家族の中の誰かと誰が

ケンカをしている

意見が合わない

イジメている、られている

お互いの存在を無視している

もしくは誰かが誰かのことを

攻撃している

拒否している

無視している

という状況が起こった時に、その誰かと誰かのバランスを保つために、

ガマンをする

頑張る

和ませる

繋ぎ役をする

気づかないフリをする

ということをするのではないでしょうか。

これは、家族の中で常に自分ではなく、誰かのために自分の存在を使っていたということです。

あなたはこんなことはないですか???

何をしていても自信がない

いつも自分の居場所を探している

自分より相手を優先してしまう

家族が重いと感じている

自分はどこか欠けていると感じている

認められたくて頑張りすぎてしまう

Noが言えない

本音を言えない

指示がないと動けない

この感覚があると、

自分を感じるということが難しくなってしまいます。

自分を感じることができないということは、いつも自分ではないという感覚で生きているということなんです。

それなら、

自分の感覚を取り戻したらいい!

自分の感覚で生きよう!

自分を大切にするのだ!

発想の転換ができたら、 それで解決でしょうか?

残念なことに、あなたが誰かのために動くことを止めて、あなた自身を大切にしてしまうと、家族はバランスが保てなくなってしまうんです。。。

<本当の問題は何か?>

 

ここに潜んでいる本当の問題は、自己重要感の問題です。

自己重要感とは、できるできないではなく、自分はここに存在していいという感覚です。

子どもは、その感覚を親からもらうことで自分という存在を確認していきます。

ところが、家族の中で両親がいつもケンカをしていたり、誰かと誰かが争っていたり、否定したり、無視したりしていると、子どもは自分が繋ぎ、役に立つことで自分の存在価値を作っていきます。

自分が居ないと、この家が壊れてしまう!

といつも自分を抑えてまで

親の人生のバランスを取っていくようになります。

両親のバランスを取るために、自分をいつもきちんとさせ、親の役に立つことで家族での自分の存在価値があるんです。

自分が家族の中で安心して過ごすために、いつも家族のバランスを取っていないといけない。

本来、両親が夫婦や家族として向き合えない問題を、子どもに頼ってはいけないんです。

それなのに、家族のバランスを取ることを止めて自分を生きてしまうと、

愛されない

認められない

価値のない

自分になってしまうようで、怖くてできないんです。

<このままだとどうなるか?>

 

両親の作った家庭のバランスをずっと取り続けることが自分の存在価値なので、人との繋がりが分からなくなっていってしまいます。

本当は自分自身が愛されたいのに、その気持ちを諦めることで生きてきた究極のバランス職人なので、人に甘えることが分かりません。

自分の子ども時代をずっと終わらせることができずに、いつまで経っても自分に自信が持てず、人からの期待や、周りから受け入れてもらうことでしか生きられなくなってしまいます。

いつも

誰かのために行動し、

誰かのために頑張り、

誰かのために平和を作ることになります。

その生き方を、あなたは望むでしょうか???

<解決に向けて>

いつも自分ではない誰かとして生きることは、とてもつらいことです。

だけど、それをしていないと自分には生きる価値がないとそれを続けていくことは、もっとつらいことです。

自分を生きたいけれど、生きることが怖い。

ここを感じることで、自分の本当に望むものを感じることができるようになります。

身体のバランスは、

筋力+足元の安定

が大切だと言われています。

それを心のバランスに言い換えると、

自己肯定感愛着

が大切だと言えると思います。

誰かのためのバランス感覚から、自分のためのバランス感覚へと変えていくことで、この問題は解決へと向かっていきますよ。

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いつもひとりぼっち。。。

おはようございます。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

人から親切にしてもらったり、優しくしてもらったり、愛情をもらったと感じた時にあなたはどのような対応をすることが多いでしょうか。

その時の一瞬はとても嬉しく感じたとしても、何だか段々とと心がザワザワとしてくる。

嬉しさを感じるのと同時に、悪いことが起こりそうな嫌な感じも受け取ってしまう。

人とつながりたいと思っているのに、気がつけば自分はいつも一人ぼっちの感覚になってしまう。。。

今日はそんな「いつもひとりぼっち。。。」というテーマで書いていきます。

あなたはこんなことありませんか?

  • いつも人の意見に合わせている
  • 自分には居場所がないと思っている
  • 何をしても自信がない
  • 過剰すぎるほどの努力をしてしまう
  • 自分の気持ちを大事にできない

本当は、自分自身を大切にしたいと思っているし、大切にもされたいと思っている。

でも、気がつけば相手を優先して自分が疲れるか、人との関わりが面倒になるかで、結局ひとりを選んでしまう。

では、愛してくれる誰かが現れてくれたらいいのかと言うと、たとえ周りの人が愛情をくれたとしても

  • 茶化したり
  • 本気にしなかったり
  • 止めたり
  • スルーしたり
  • 受け取ったふりをしたり

そうして相手の愛情を信じきれずに、怖くなって受け取り拒否をしてしまう。

何をどうやっても、ひとりぼっち。。。

どうしたらいいんでしょうか???

<本当の問題は何か>

このいつも自分がひとりぼっち。。。という感覚の本当の問題は、自己重要感の問題です。

人からの愛情を受け取れないということです。

自分には愛情を受け取る価値がない、と思っているんです。

また、そう思っておけば自分で自分を守れるとも思っています。

自分はできない存在だから、誰かに守ってもらわないといけない。

そのためには誰かから愛してもらわないといけないんです。

愛してもらうためには、相手の都合の良い道具でなければいけないと思っているんです。

何もできない自分には、愛される価値はないと感じています。

そんなのイヤなのに、相手の都合の良い道具でいることで愛されようとします。

都合のいい道具でなければ愛されない、そう思い込んでいるんです。

その状態で周りから何の条件も付けずに愛されてしまうとどうなってしまうでしょうか?

自分の道具としての役割が終わってしまうんです。

愛されるための自分の役割に終わりが来てしまうんです。

これは生きる意味を失うことに等しい感覚です。

ひとりぼっちは嫌だ、道具としてなんて生きたくない、そう思いながらも愛情を受け取ってしまうと絶望して生きていけなくなってしまうという大きな矛盾を抱えてしまうんです。

<このまま続くとどうなるか?>

愛情が欲しくて欲しくて、孤独が嫌で人とつながりたいと思っているのに、人からの愛情を受け取ることが怖くなってしまいます。

人との関係においていつも我慢をして、その我慢に耐えきれなくなり、自ら孤独を選んでしまいます。

たとえ愛情を持って自分に接してくれる人が現れたとしても、余計に

つらくなったり

苦しくなったり

虚しくなったり

してしまうので、いつまでも相手のことを信じようとしません。

だから結局、相手との距離が縮まらず最終的に孤独になっていってしまいます。

「いつも自分はひとりぼっち。。。」を

ずっと自分で作っていくことになります。

<解決に向けて>

この苦しさは、自分の存在が
他人が軸となることで成り立っていることにあります。

他人とは母親や父親という大切な存在であることがほとんどです。

母親や父親という土台の上で自分が成り立っているんです。

大切な人の存在を守り、その土台の上で生きる事はラクで安心な事でもあるんです。

孤独になることで、母親や父親以外の人と繋がらず、周りの人の愛情を信じなくて済んでいたんです。

自分が孤独になってまで全うしてきた、都合のよい道具としての役割の自分。

その役割の中には、ひとときの安心とたくさんのラクも詰め込まれています。

自ら母親や父親と言う土台の上に立って生きていないでしょうか?

自らその脆く危うい土台の上を選んでいないでしょうか?

いつもひとりぼっちだと感じている時こそ、本当は自分の方から周りの愛情を受け取らないことを決めていないかを見に行くことが解決につながります。

道具という役割から降りて、母親や父親以外の周りの人からの愛情を受け入れる事は、大切な母親や父親を裏切る事では無いんですよ。

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